第6話 執着
「以上が、本日の哨戒中に遭遇した不審者についての報告です」
アリウは部屋の中央に立って、淡々と報告を終えた。
「ふむ」
執務机の向こう側で白髪の老婆が唸った。組んだ両手の上に顎を乗せ、深く考え込む様子だ。
硝子窓を通って、夕焼けの光が赤く壁を燃やした。空中を舞う埃が夕日を反射して、ダイヤモンドダストのように輝く。
赤い絨毯と相まって、部屋そのものが燃えているような錯覚に陥りそうだった。
古ぼけた革のソファに、ラッカー塗装の赤っぽいローテーブルと執務机と本棚、よくわからない赤のタペストリー。
誰がこの趣味の悪い備品を導入したのか知らないが、アリウは竜騎士団団長の執務室が嫌いだった。守護竜たるルヴィーダへの畏敬の念を込めてのことだろうが、全体的に赤すぎていやになる。視界いっぱいの赤は炎を、炎は十年前の事件を想起させる。暖炉に火が入っていないのが、辛うじて救いだろうか。
老婆の考え事の間、こっそりとため息をついた。
「要はそのふたりが、ルビーラビットを使って何か企んでいた、ということだね」
視線を落としたまま、老婆が確認した。
「はい」
「ううむ。これだけじゃ情報が少なすぎて、目的が読めないが」
「何か妙な薬品を使っていたので、帝国カトレイヒの手の者、あるいは、帝国が背後にいるものと思われます」
「そうだね。とりあえず、哨戒を強化したほうが良さそうだ」
アリウは頷いた。
例の二人組は哨戒ルートから外れたところ、それも森のかなり深くにいた。今回はワイバーンの異常な行動のおかげで発見できたが、今までも隠れて行動していた可能性は高い。
「それから、王都に出入りする人間の監視も強化したほうがよいかと」
「ああ。軍のほうにも掛け合おう。……報告ご苦労」
アリウは軽く会釈をした。
「失礼します」
断って、退室しようとする。だが、ドアノブに手を掛ける前に、後ろから老婆の声が引き止めた。
「ああ、待ちな」
「……なんでしょう、団長」
振り向いて問いかけた。ようやくここから出られると思ったのに。
「そう嫌そうな顔をするでないよ。まあ、お前にとって嫌な話をするけどね」
ならば表情に注文をつけないでほしい。アリウはへそを曲げた。彼とて、嫌なことがなければ嫌な顔などしない。
「お前、今日も王墓へ行っていたらしいね」
イヴェットから聞いたよ、との言葉に、今度こそ、露骨に顔を顰める。
「いい加減、ヴィオラ王子殿下の影を追うのはやめな」
「……余計なお世話です」
呟くように吐き捨てて、顔を逸らしたアリウに、祖母である老婆はため息をつく。
「なにも墓参りに行くな、とは言わないさ。だが、もう少し頻度を考えなさい。毎日門限を破るような奴に跡を継がせるわけにはいかない。年老いた祖母をおちおち引退もさせないつもりかい」
アリウはまじまじと祖母を見つめた。
真っ白い髪にやや曲がった背、骨ばって血管の浮き出た手。一度引退して団長の座を息子に譲ったが、炎の惨劇で息子と義娘を亡くし、当時王太子だったアーサー王子——現サフィール王の要請を受けて復帰した女傑。
年も年だし、健康的なみてくれとは言い難いが、覇気はまったく失われていない。竜の血の侵食で長くは生きられないアリウより、よっぽど長生きするはずだ。
「次期団長の件でしたら、お断りしたはずです。それこそ副団長のイヴェットのほうが、適任かと。では」
言い捨てて、今度こそ退室しようとする。
「だから、待ちなと言ってる」
「……なんですか団長」
不機嫌に振り向いた。
「……今は団長じゃなくていいよ」
「なんですかお
老婆は頭痛を堪えるようにこめかみを揉んだ。
「明日は定期検査のために登城するんだったね」
「……まあ」
アリウは頷いた。続く言葉が予測できているので、あまり気が乗らない。
「陛下から茶会のお誘いが来ているよ」
「……わかりました。話はそれで終わりですか」
「はあ……。まったくこの馬鹿孫が」
老婆は立ち上がって、窓から外を眺めた。必然、アリウには背を向ける形になる。黙ったまま、夕日に照らされた王都を眺めた。
もう退室していいだろうか。許可が出たものかわからず、扉のそばで立ち尽くす。
焦れる耳に一言、声が届いた。
「たまには屋敷に帰ってきな」
*
深いため息をつきながら廊下に出たアリウが目にしたのは、視界いっぱいの顔だった。
ぎょっとして後ずさると、閉じたばかりの戸に背が当たって音を立てた。
「い、イヴェット副団長?」
うわずる声で問いかけると、紺の瞳が瞬きする。
おばけのような登場の仕方をしないでほしい。返事を待ちながら、アリウは心の中で恨み言を呟いた。
「弟は」
「はい?」
「弟はどこ? 帰ってくるところが見当たらなかったのだけど」
脅すような詰問。いつの間にか顎にかけられた手が、ぐいぐいと圧力をかけてくる。
至近距離で美人に睨まれる、というのは人によっては夢のような瞬間かもしれないが、アリウは辟易して両手を挙げた。
「ベンジャミンなら、哨戒中に発見したカーバンクルを王城の研究室に連れていきました。まだ戻っていないなら、そちらにいると思います」
イヴェットはじっとアリウを睨みつける。しばらくして、顎にかかる圧力がなくなった。
「……そう。また貴方の悪影響を受けて怠けているのかと思いました」
「あいつの」
「なにかしら」
「いえ、なんでも」
怠け癖は別に誰の影響でもなく元々——。
そう思ったが、無闇に口に出すのはやめておいた。今朝それで地獄耳に捕捉されたばかりだ。
追求されるかと思ったが、イヴェットは興味なさげに身を翻す。
「疑ってごめんなさい。でも、あまり弟に関わらないで」
「……あんまりベンジャミンに固執するのもどうかと思いますよ」
口は災いの元。
思ったそばから、またうっかりが出た。平和的に立ち去りかけていたイヴェットが、キッと振り向く。
「それ、貴方が言えたことかしら」
至極もっともだ。
「すみません」
素直に謝った。イヴェットは盛大に鼻を鳴らして、今度こそ廊下を歩き去った。廊下の端から、階段を降りる足音が耳に届く。
どっと疲れて、深々とため息をついた。
手を伸ばし、窓から差し込む日に翳す。赤い瞳が目の前にチラついた。
「……本当に、誰が言えたことかって話だ」
戸に背中を預けたまま、ずるずるとしゃがみ込んだ。
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