第4話 哨戒
王都からしばらくは、何もない草原が続く。この辺りはひなたぼっこに出てきたワイバーンと旅人の間にトラブルが生じることもあるが、ひらけていて発見は容易いため、そう気を張る必要はない。
問題は赤竜丘陵に入ってからだ。
そもそも、赤竜丘陵は許可のない一般人が立ち入ることはできない。王都の壁の内側に野生のワイバーンが侵入できないのと同様、こちらは竜種の領域なのである。
だが稀に、何も知らない旅人が誤って迷い込んでしまうことがある。そうなれば、驚いたワイバーンたちは自衛のため旅人を攻撃するし、竜種に襲われてただの人間が無事に済む確率は低い。
丘陵地帯に差し掛かると、コガラシは高度を下げて梢すれすれに飛び始めた。そうして迷い込んだ旅人がいないかを木々の隙間から探し、発見したらすぐに保護する。
異種間の友好的な共存関係は、適切な距離を保つことで成り立たれているのだ。
「ドリュー、この高度で大丈夫?」
アリウは振り向いて、その日の相方になった茶髪の少年に声をかけた。ワイバーンに梢すれすれを飛んでもらうのは意外と難しい。
「はい」
ドリューは緊張した様子ながらも、しっかりと頷いた。
さすが、十三で入団試験に合格しただけのことはある。難なくこなして、周囲に警戒の目を向けることも怠らない。これならば心配はいらないかな、と安心して前を向く。
立ち入ったことのない一般人からは『暗い』『ジメジメしている』『恐ろしい』などの印象を抱かれがちな赤竜丘陵だが、意外にも木々の隙間から見下ろす風景はのどかなものだ。竜の種類によって好む環境も変わってくるが、ドラスティアの竜たちは暗すぎたり、湿気が多い環境は好まない。
時折爪とぎの跡がある岩や、勢い余って引っこ抜かれた木の幹が転がっている以外は、普通の森となんら変わりがない。
日も高く昇り、奥まったエリアに辿りつく頃、違和感を覚えて手綱を引いた。コガラシが滑らかにホバリングに移行する。
「どうしたんですか?」
ドリューが不思議そうに尋ねた。木漏れ日の差す小さな空き地を手で示す。特に目立ったものの何もない、ただの空き地だ。
「うーん、いつもならあの辺りで緑の鱗のワイバーンが昼寝してるんだけど……」
「緑の……? 見当たりませんね」
「うん。水場に行っているだけだと思いたい」
「その言い方だと、違う可能性が高いんですか?」
「勘がいいねえ、損するよ」
アリウはため息をついて説明を挟んだ。
「こういうのは個体差があるけど、あそこで昼寝してるワイバーンは習慣から外れた行動を嫌うみたいなんだ。だからこの時間にここにいないとなると何かイレギュラーが起きた可能性が高い」
「なるほど……ワイバーンの行動からも異変がわかることがあるんですね」
「そう。少し哨戒ルートから外れるよ。はぐれないように着いてきて」
*
樹海を奥へ奥へと進んでいく。
これまでのルート上で何も見つからなかった、かつ、他の班からの発見報告もないということは、より王都から離れた場所で何か起こっていると見るのが自然だ。
だが奥のほうは旅人が迷い込むことも少なく、哨戒の重要度も低い。
それはつまり、誰かが意図的に哨戒の目を避けて何か行っている、と考えることもできる。言いしれぬ気持ち悪さが背筋を這うのを感じて、無意識に手綱を握る手に力がこもる。
嫌な感じだな、と心の中で呟いた。
赤竜丘陵をずっと東に進んでいくと、魔龍山脈に行き当たる。そこは、竜種ですら近寄りたがらない、魔の領域だ。そこに何か潜んで企んでいるとすると、それは確実に良くないものだとわかる。
何かあると決まったわけでもないが、万が一の際はドリューを避難させたほうがいいかもしれない。
ふと視界の隅に、妙にきらきらしたものが映りこんだ。慌てて急停止する。
雪のように白くふわふわした生き物が、木の下でもそもそ草を食んでいた。くすんだ秋の森に似つかわしくない、眩しいまでの白。だが特筆すべきはそこではなかった。文字通りルビーの瞳が、赤く赤く、輝いている。アリウの目を惹いたのは、その宝石の輝きだった。
追いついたドリューが同じものを見て、ハッと息を飲んだ。
「あれは……ルビーラビット⁉︎ でも変だ、この国には生息していないはずなのに」
「うん、そうだ。少し様子を見てくるから、ここで待機していてくれる?」
「はい。……でも、どうやって?」
ワイバーンを着陸させては警戒されてしまう。ドリューは不思議そうに首を傾げた。
「どうやってってそれは、こう……」
「えええええええ⁉︎」
背後から押し殺しきれない叫び声が聞こえた。
一回転して着地の衝撃を殺す。木の葉を巻き上げつつも素早く起き上がった。音はほとんど立たなかったが、ウサギの耳が聞き逃すはずない。ルビーラビットの耳がピクリと動き、正面から目が合った。
アリウは息を詰めて相手の出方を窺った。
ルビーラビットはしばらく、不思議そうにアリウの様子を観察していた。つぶらな一対の瞳が、じっ……と見つめてくる。瞬きひとつせず見つめられて、居心地が悪くなってくる。
と思うと、興味を失ったようにフイと首を背けてしまった。
アリウはほっとして息を吐き出した。どうやら脅威と見なされずに済んだらしい。
ルビーラビットは紅玉の瞳を持つカーバンクルだ。別名、人喰いウサギとも呼ばれる。
あまり人里の近くに姿を現さない幻獣なので、愛くるしい姿のどこに人喰いとあだ名される要素があるのかと、疑問に思う者は少なくない。
だが、侮るなかれ。
その小さくも鋭い牙は、自身を脅かす者の喉に喰らいつき、敵が死ぬまで決して離されることはない。草食動物と変わらぬ見た目でいて、竜種の庇護を必要としない数少ないカーバンクルなのである。
だからこそ、ドラスティアで見かけることはないはずなのだが、元の住処に何かあって、集団で流れてきたのだろうか。
脅かさないよう、そろそろと近づいたアリウは、さらに奇妙なものを見つけて息を飲んだ。
毛にほとんど埋もれているが、首元に革のベルトが見える。首輪だ。そして、首輪を木に繋ぐ、細い鎖。
これは、偶然迷い込んだのでは有り得ない。何者かに連れ込まれたのだ。
となれば、誰に、何の目的で? そして鎖で繋いで放置した人間は今どこで、何をしている?
手がかりを求めて見回す。争った形跡があった。ワイバーンの鉤爪が地面を抉った跡。踏まれてほとんど掻き消えているが、人間の靴跡もある。
「うわああっ!」
駆け戻ってドリューに指示を出そうとしたとき、悲鳴が耳を叩いた。大きさからして、そう遠くない。
アリウは舌打ちして木によじ登った。コガラシの背に飛び移る。
「急いで応援を呼んでくれ、できればベンジャミンを。僕は悲鳴の主を探してみる」
「わかりました!」
ドリューが頷いてワイバーンを旋回させた。アリウもコガラシの手綱を繰って、悲鳴が聞こえてきたと思しき方角に急行する。
悲鳴は一瞬だったので自信はなかったが、一分と経たないうちに、アリウは判断の正しさを確信した。何か争っている音がする。恐らくは、剣と鱗がぶつかる音だ。
「あそこか」
枝葉の切れ目に金属の反射が見えた。
人間がふたりが赤と緑の二頭のワイバーンと相対し、戦っている。というか戦っている人間は実質的にひとりで、もうひとりは木の上に避難して庇われているようだ。ただでさえ人間とワイバーンが戦って勝つことは難しいのに、数の不利を抱えて持ち堪えているのは、もはや奇跡と言える。相当な使い手のようだ。
だがその均衡も長くは続くまい。人間の顔に疲労が見える一方で、ワイバーンのほうはなかなか敵が倒れないことに苛立っているだけだ。そのうち他のワイバーンも続々と様子を見にくるだろう。
「コガラシ、いける?」
相棒の肩を叩いて問いかけた。
コガラシは「当然」と言わんばかりに高く鳴いた。
翼を折りたたんで木々の間に身を躍らせる。地面すれすれの超低空飛行。幹を巧みに避け、ワイバーンと人間の間に身を割り込ませた。
ギンッ。
鈍い音が響いて、コガラシの翼がワイバーンの鉤爪を、アリウの剣が人間の剣を受け止めた。
交わった剣の向こう側で、相手が大きく目を見開く。
大柄な女性だった。
アリウとて決して背の低いほうではない。だが目の前の女性は、コガラシの背に乗って普段より視線が高くなっているアリウと、同じくらいの目線の高さをしている。この辺りの人間ではない。
逆に庇われている人間は、アリウより頭ふたつぶんほども背が小さいように見えた。パッと見では性別はわからない。奇妙な組み合わせだ。
「こっち、急いで!」
何はともあれ、人間とワイバーン、どちらも怪我なく事を収めるのが竜騎士の最優先事項である。
コガラシの背から飛び降りて、ふたりを誘導する。
奇妙な二人組は顔を見合わせた。どういう視線の遣り取りだったのかはわからない。だが僅かな逡巡の末、彼らは着いてくることを選択した。大柄なほうが小柄なほうを肩に担ぎ、アリウに向かって頷く。
「そっちは任せたよコガラシ!」
背後に叫んで、走り出した。
後ろでガーガーとワイバーンたちの言い争いが聞こえた。コガラシが彼らをなだめるには、少し時間がかかるだろう。縄張りを荒らされて気が立っている彼らを落ち着けるためにも、早めにここを離れたい。
人が立ち入らない森であるため、道と言える道はなく、地面は酷く走りにくい。
アリウはふたりが着いてきていることを確認するためしばしば振り向いたが、ぴったりと張りついてきていて逆にぎょっとする羽目になった。
「このあたりまで来れば大丈夫かな」
十分近く走っただろうか。
ルビーラビットを見つけた場所よりも少し手前、王都よりも山脈よりの場所にいい具合の空き地を見つけ、アリウは立ち止まってふたりを振り返った。
女性は安心したように息をついて、担いでいた小柄な相方を降ろした。これだけの距離を人ひとり担いで走って、息ひとつ乱していないとは恐れ入る。
コガラシの背を降りた今、アリウは女性の顔を見るのに思い切り首を反らせねばならなかった。
それにしても妙な組み合わせだ。
長身の女性のほうは大剣を片手で易々と持ち、革鎧を身につけていた。長い髪をひとまとめにして後ろで束ね、釣り上がった瞳は警戒するように、間断なくアリウの様子を窺っている。
小柄なほうは逆に、あまり戦闘が得意そうには見えなかった。カルマやドリューとそう変わらない身の丈のようだが、年齢は読めない。金髪に縁取られた顔は随分とかわいらしいがどこか骨張って、性別のほうも不明だ。ふたりとも茶色のマントを羽織って、旅人のようにも見える。
この状況でなければ、わけあって逃亡中の貴族の子息か令嬢と護衛だと言われても、信じらなくもない。
だが……。
「おふたりは旅人さん?」
「ええ、まあ」
代表して、女性が頷いた。
アリウは努めてにこやかに、注意事項を述べる。
「じゃあ知らなかったかもしれないけど、この森は竜たちの住処なので、許可のない立ち入りは禁止なんです。ああして襲われることがあるので、次から気をつけ……てッ——!」
言いながら、こっそりと後ろ手で抜いた短剣を、小柄なほうの手元に投げつけた。
四角い筒がその手から滑り落ちた。ドンッと音がして筒の先端が向いた先の幹に穴が空く。
「やましいことがなきゃ、こそこそ命の恩人の隙を狙ったりしないよねっ……!」
木柄なほうが気を取られている隙に突貫した。こういうとき、狙うべきは戦闘力のないほう。
当然、女性が割って入る。アリウの口元に笑みが浮かんだ。
刃が激突する寸前で急停止した。身をかがめ、低い体勢から右手と右脚を軸に、思いきり蹴りを繰り出す。
正面からの衝撃を想定した受け身は、下からの攻撃には脆かった。死角からの攻撃に反応が間に合わず、斜め下からの蹴りをもろに食らった身体が横に流れる。
勢いのまま跳ねるように起き上がり、もう一撃、叩き入れた。
生じた隙を逃さず小柄な相手を確保しに動くが、そちらも女性が作った時間を無為にするような愚鈍ではなかった。脱兎の如く逃げ出していたが、逃げられないと悟ると短刀を手に向かってくる。
一撃、二撃と刃物が火花を散らした。想定していたより戦える。だが、そこまでだ。
短刀が弾かれ、宙を舞う。
崩れた体勢を立て直す間を与えず、背後にまわり込んで羽交い締めにした。
「グッ」
「お?」
足が浮いたことから首が締まって、苦しそうな呻き声が口から漏れる。
一方でアリウは別のことに気を取られ、首を傾げた。
「チッ」
かすかな舌打ちが辛うじて耳に届いた。
風圧が耳元に迫り、とっさに、人質ごと頭を下げる。
——豪ッ!
明確な殺気とともに、大剣が頭上を薙いだ。逃げ遅れた髪が数本、はらはらと宙を舞う。
「うそでしょ」
アリウは口元をヒクつかせた。人質が人質をなしていない。というか、今の剣は人質ごと殺しに来ていた。
立て直す暇もなく、頭上から雷のような追撃が襲いかかる。
人質を突き飛ばし、逆方向に地を蹴った。これでは人質ではなく、足手まといだ。轟音を立てて、大剣が地面にめり込んだ。
隙と見て斬りかかるが、フェイントもない単調な攻撃はあっさりと躱されてしまう。
反撃に備えて腕を構えたが、想像した追撃は来なかった。女性は大剣と転がった相方を回収し、素早く撤収する。
「しまった!」
歯噛みするが、もう遅い。
だがふたりが森の奥に姿を消すより早く、矢が雨のように降り注いだ。
そのすべてを人間離れした動きで回避、あるいは斬り飛ばして茶色のマント姿が舞う。
「でりゃあーーーっ!」
藤色の塊が上空から落ちてきた。振りかぶった
衝撃に耐えられなかったのは仕掛けた少女のほうだった。腕に伝わる痛みに顔を顰める。続いて振るわれた大剣を受けきれず、吹き飛ばされてごろごろと転がった。
「カルマ!」
「カルマさん!」
上からドリューとハルニアの焦った声が聞こえた。
女性は身を翻して駆け出した。
去り際に矢を拾い上げ、剛腕で投げつける。矢は上空に飛んでいき、ハルニアの顔面に吸い込まれた。
「っ!」
ハルニアはとっさに避けたが、掠めた矢は色眼鏡を弾き飛ばした。割れたガラスの破片が頬を傷つけ、血が吹き出る。
重傷を避けたことに胸を撫で下ろしたが、慌てて視線を下げたときには不審な二人組は姿を消していた。
アリウは吹き飛ばされた少女に駆け寄った。目立った外傷がないことを確認して、ほっと息を吐く。うまく受け身を取ったようだった。骨も折れていないし、意識もはっきりしているようだ。
三頭のワイバーンが続けざまに着陸した。
鞍から飛び降りて着地に失敗し、足をもつれさせながらドリューがかけてくる。弓もしまっていないところを見ると、相当慌てている。
「カルマ、大丈夫⁉︎」
「いてて、だいじょうぶ。吹っ飛ばされちゃった」
返事した少女は無傷ではあったが、相当に悔しそうでもあった。藤色の髪を掻き回して、口をへの字に曲げる。
「ハルニアさんは? 目は無事ですか?」
「ええ、傷も見た目ほど深くはないようです」
「よかった」
アリウは息を吐いた。
*
四人と三頭がルビーラビットを発見した場所まで戻ると、ベンジャミンが雪のようなカーバンクルを保護していた。ドリューはベンジャミンにも声をかけてくれていたらしい。なぜか、その腕にはルビーラビットが二羽抱えられている。アリウの見間違いでなければ、一羽増えている気がする。
「わっ、かわいい!」
カルマが顔を輝かせた。頭を撫でようと手を伸ばす。
途端にルビーラビットが牙を剥いた。慌てたのは他の四人だ。ハルニアとドリューががカルマを引き留め、ベンジャミンが数歩下がった。
「おっ……と気をつけろ、こいつら噛んだら死ぬまで離さないぞ」
「ええー、副隊長は触ってるじゃん」
カルマが頬を膨らませる。
「こいつ昔から動物に好かれるんだよ。人間以外の」
アリウは苦笑してそう細くした。ベンジャミンがぶすっとそっぽを向く。
「人間以外、は余計だ」
「そんなことより、一羽増えてる気がするんだけど」
「おー、あっちのほうで見つけたから、ついでに拾ってきた。この様子じゃ、まだ他にもいるかもしれねえ」
ベンジャミンが眉を寄せる。
「わざわざこんなとこまで連れてきて酷いことしやがる」
「目的は見当つく?」
「さあな、さっぱりだ」
そうだよなあ、とアリウはため息をついた。
「とりあえず、ベンジャミンはその二羽を王都に連れていってくれ。元いた場所に帰すのか、このまま赤竜丘陵に住まわせるのか、判断を仰ぐ必要がある。ハルニアさんとカルマもこのまま帰還して薬師に診てもらってください」
そう指示を出して、もう一度深々とため息をついた。
なにかが起こるような、そんな予感がひたひたと押し寄せていた。
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