第3話 竜騎士団
「また門限破りですか、アリウ小隊長⁉︎」
できるだけ音を立てないように、こっそりと騎士団に戻ったつもりだったが、塀を越えてわずか三秒でアリウの犯行は露見した。
げえっ。
思わず出そうになる声を飲み込み、引き攣った笑顔で振り向く。
アリウの門限破りは、もはや毎朝の恒例行事といえる。仮にも隊長格のアリウをわざわざ咎めようとする平の兵士などそうそういないのだが——。
振り向いた先で腰に手を当てて立っていたのは果たして、竜騎士団副団長のイヴェット・カリュクスだった。腰まである黒髪を逆立たせ、紺の瞳を嵐のように怒らせてアリウを睨みつけている。やたらと噛みついてくる人だ。
まあ悪いことをしているのはこちらなので、仕方なくはある。
さりとて、墓参りはアリウの中で譲れない事項だったから、謝る気はない。少ない自由時間では、赤竜丘陵までの道のりを往復するのは不可能なのだ。
視線を泳がせ、ため息を押し殺した。
「えーと、おはようございます副団長」
「ええ、おはようございます。……ではなくて! 夜九時から朝六時までは外出禁止だと、何度言えばわかるのですか⁉︎」
すみません、何度言われてもわかりません。
うっかり口をついて出そうになった舐め腐った返事を、どうにかこうにか押し込める。
「まったく、貴方という人間は団長殿のお孫だからと言って毎朝毎朝好き勝手——」
副団長は額に手を当て、大げさにため息をついた。口を挟む暇も与えず、怒涛のような説教が始まった。
ああ、これは長くなるやつだ。
アリウは遠い目をした。適当に相槌を打ちながら、右から左へと聞き流す。
彼女の弟で、アリウの隊の副隊長で親友でもあるベンジャミンによれば、彼女がやたらと因縁をつけてくるのは、アリウのせいで次期団長になれないと思っているかららしい。さすがにそれはないだろうと思うが、もしそうなら迷惑な話だ。
確かにアリウの家系は竜騎士団の団長を多く輩出しているが、別に世襲制というわけではない。品行方正な副団長と門限破り常習犯の小隊長、次期団長に近いのは、どう考えても前者だろう。
コガラシはというと、我関せずといった顔でその辺の地面を掘り返して遊んでいた。虫でも見つけたのだろうか。楽しそうで羨ましい。
「まあまあ副団長、うちの隊長にも事情があるんでその辺で」
あくびを押し殺しきれなくなってきたころ、第三者の声が割り込んだ。
四十代くらいのくたびれた男性だった。ぼさぼさの茶髪には白髪が混ざり、目の下にはうっすらと隈が見える。アリウの隊のベテラン騎士だ。平の騎士ではあるが、惨劇の前から騎士団に所属していて、団長からも一目置かれている。……酒癖以外は。
アリウは副団長が引き下がってくれるのを期待したが、願いは虚しく砕けた。
「それはそれ、これはこれです、ゲイリーさん」
副団長は厳しい目を向けた。
「どうしても時間外に外出したいのなら許可を取るなりなんなりするべきでしょう」
「許可は取れなかったです」
「ならば大人しく規則に従いなさい、まったくもう!」
キッと睨まれた。聞こえないように呟いたつもりだったが、しっかり拾われてしまった。とんだ地獄耳である。
「それに貴方も貴方ですよ、ゲイリーさん。上官をかばうフリで自分の朝帰りをなあなあにしようとしましたね」
「えっ? ははは、そんなまさか……」
「では塀の外で隠れている貴方の騎竜はなんですか? 大方、こっそり通るつもりが私たちが邪魔で通れなかったから、口を挟んだのでしょう」
ゲイリーはしどろもどろで目を逸らした。
……うん、正直そんなことだろうと思った。
隊長のアリウが言えたことではないが、まともな騎士はあまり彼の下につきたがらない。たぶん、類は友を呼ぶ、というやつだと思う。悲しい哉。
きっと酒場で酔い潰れて気づいたら朝だった、とか、そういう感じだ。
「団長には私から報告しておきますからね。罰則の竜舎掃除、サボらないように」
副団長はしっかりと釘を刺し、肩を怒らせて去っていった。
アリウとゲイリーは目を見合わせて、肩をすくめたのだった。
*
門限破りの罰則は一週間の竜舎掃除だ。
基本は交代制の仕事だが、アリウが入隊してからは完全に彼の仕事と化している。非番の日以外で門限を破っていない日がないのだ、当然である。今日限りで門限破りを止めたと仮定しても、ざっと三十七年近い負債が残っている。困ったことだがその頃にはきっと、アリウは死んでいるだろう。
竜舎掃除の手順は、ほとんど厩舎のあまり変わらない。だがワイバーンは馬よりひとまわり大きく重い上、気性も荒いものが多いので負担は倍以上になる。
とはいえ、アリウにとってはもはや慣れた作業だ。サクサクと房のごみを掃き出して、水洗いしていく。
「あいたたた……」
隣の房を掃除しながら、ゲイリーが呻いた。
「また飲みに行ってたんですか?」
「え? ああ、まあ、そうです。……控えた方がいいんじゃないか、とか、言わないでくださいよ〜」
アリウは苦笑した。
「門限破り常習犯の僕が言えたことじゃないですから」
少しだけそう思ったのは事実だが、ゲイリーが酒に溺れるようになったきっかけに心当たりがあるので、何も言えない。彼が炎の惨劇で妻を亡くしたというのは、竜騎士ならば誰もが知っている。
未練がましくヴィオラの墓に通っているアリウが、何を言えた義理なのかという話だ。
「しかしこいつはまた、腰にくる……」
バケツいっぱいの水を房にぶち撒けながら、ゲイリーがぼやいた。
*
やっとのことでふたりが竜舎掃除を終えたときには、既に朝食の開始時間を過ぎていた。
食堂は昼番、夜番どちらの者も利用できるよう長めに開かれているので、食いっぱぐれることはないが、遅くなればスープは冷める。副団長の説教が痛かった。アリウは心の中で恨み言を言った。「規則を破るからいけないのよ」と澄まし顔の副団長が頭に浮かんで、ぶんぶんと振り払う。
「スープ、冷めても美味しいのだといいですね」
傍らのゲイリーに同意を求めた。
「まあ、そうですね。猫舌なのであんまり関係ないですけど」
「あ、そうなんだ……」
苦笑しつつ、食堂の扉を押し開けた。
食堂の喧騒がどっと押し寄せる。
竜騎士団の構成員は現状百五十を数える程度だが、増員を想定して、食堂はかなり広い。十人から十二人ほど座れる長テーブルが縦二列に、それぞれ十五卓並んでいる。ざっと三百人は余裕で座れる計算だ。この時間はそれなりに人が多いが、それでも三分の一ほどしか埋まっていない。席は自由だが、ほとんどの者が小隊ごとにかたまって座っている。
とはいえ百人もの人間が集えば声が大きくなるのは当然のことで、食堂はいつも騒がしく賑やかだ。
だがアリウが一歩足を踏み入れた途端、波のようにざわめきが引いた。会話のトーンが落ち、あるいは途切れて不自然な間が生まれる。一拍置いて、徐々に音が戻り始めた。
「うーわ。相変わらず嫌われてますね」
「……わざわざ言わないでくれますか」
ゲイリーのあけすけな物言いに、アリウは喉の奥でうなった。
奥の厨房で食事のトレーを受け取り、隊の定位置となった左列奥から六番目の長テーブルに向かって歩きながらも、ちらちらと向けられる気まずそうな視線がある。
正確に言うならたぶん、嫌われているというよりは腫れ物扱い。
竜騎士団には、炎の惨劇で家族を失った者も多い。パーティに招かれていた貴族の子息もいるし、使用人や警備にあたっていた竜騎士や兵士の妻や夫、子供たちも数多く在籍している。
だから遺族という意味ではアリウもさほど浮いた存在ではないのだが、彼の場合はここに「唯一の生存者」「騎士団長の孫」というレッテルが加わる。要するに、扱いに困る、のだろう。
だからと言って中途半端な感情を向けられるのは気持ちのいいものではない。仲間意識と同情と羨望と、「なぜお前が」という逆恨みにも似た行き場を失った怒りと悲しみ。
それらをいっぺんに浴びせられるのはどうしたって酷く——、
「……うっとうしい」
「は? 喧嘩売ってます?」
長テーブルの端に座りながら思ったことは、ため息に乗って漏れ出ていたらしい。
向かいの席に座った茜色の髪の姉妹が、冷ややかな目でアリウを見ていた。
「ちがうちがうちがう、ふたりのことじゃないから」
慌てて否定しながら、頬の内側を噛んだ。やらかした。無意識に思考が口をついて出るとは、疲れているのだろうか。
匙を手に、すっかり冷めてしまったスープを口に運ぶ。今日はカボチャのポタージュだ。ぬるくなったスープは外で冷えた身体を暖めてはくれなかったが、味は変わらず美味しい。
「そういえば、今日は少ないね」
長テーブルを向こう端まで見渡して、首を傾げた。端にアリウと姉妹、少し離れてゲイリーが座っているだけで、席は閑散としていた。いつもならここに新人ふたりと、ベテランの騎士がもうひとりいるはずだ。
「カルマとドリューならハルニアに手合わせの相手を頼んで、三人で演習場に行きましたよ」
「この後哨戒任務なのに、よくやるよねぇ」
妹と姉が口々に言う。
髪をひとつに束ね、無気力にだらけているのが姉のユニス。髪をおろして比較的しっかりして見えるのが妹のファニーだ。性格は真逆のようだが顔立ちはよく似ていて、アリウは髪型が変わったふたりを見分ける自信はない。最初は双子かと思ったが、年子だと言っていた。
「ベンジャミンは相変わらず寝坊?」
「たぶんねぇ。あたしたちもずっとここにいたわけじゃないけど」
「そう、ありがとう」
礼を言ってパンをほおばった。後で起こしにいかないと。ついでにパンくらいは持って行ってやったほうがいいかもしれない。
*
「ベンジャミン、起きろ」
親友の寝部屋に侵入し、声を張り上げる。カーテンを開けると、アリウの部屋並みに散らかった部屋が朝日に照らされた。
「あとにじかん……」
ふにゃふにゃしてくぐもった声が布団の下から聞こえた。三十分程度ならまだしも、二時間とは図々しい。もっとも、三十分と言われたところで待ってやれる時間などないのだが。
「とっとと起きろ、あと十分で哨戒任務だぞ」
寝台に近づいて、布団をひっぺがす。情けない声を上げて、長い黒髪の青年が日の光のもとに引き摺り出された。
「うそだ……まだろくじとかだろ……」
抵抗する声には覇気がない。
「もう九時前だよ。さっさとパン食べて着替えて」
持ってきたパンをその口に突っ込む。さすがにこれなら寝られないだろうし、放っておいてもちゃんと着替えて来るだろう。
そう考えて背を向けようとしたが、ベンジャミンは既に、口を動かしながら寝そうになっていた。恐ろしい。
結局アリウはベンジャミンが支度を済ませるまで見張っていなければならず、集合場所の竜舎前に着いたのは時間を五分過ぎてのこと。息を切らせてコガラシを竜舎から引き出した。
竜騎士団の主な任務は都市周辺の哨戒と、有事の際の空軍としての戦闘だ。
通常、竜騎士団の小隊は十二人。三人一組で四手にわかれて任務にあたるが、アリウの隊は八人と少ないので、二人一組で仕事をこなすことになる。
その日の担当区域は王都の外、東側の一帯だった。王都外周のだだっ広い草原と、その先の赤竜丘陵まで範囲に含まれる。
守護竜のお膝元で面倒が少ないかと思いきや、地味にトラブルの多い地域だ。よほどの危機でないと、ルヴィーダは王墓の近辺を離れようとしない。
アリウは竜舎の前に並んだ隊員を順ぐりに眺めて、心の中で唸った。
騎竜の上でだらしなく居眠りしている副隊長に、最近入隊したばかりの少年少女、年甲斐もなくふざけあう姉妹、頭と腰を押さえてしゃがみ込む二日酔いの男、色眼鏡をかけた薄桃色の髪の女性。
副隊長と一緒に遅刻してきたアリウの言えたことではないかもしれないが、見ていて不安を覚えないのが、ひとりしかいない。みな実力は確かだから、そんな必要はないはずなのだが。
「今日は東側の一帯だから、森に迷い込んだ旅人に気をつけて。カルマはハルニアさんと、ドリューは僕と」
咳払いして指示を出した。薄桃色の髪の女性と少年少女が頷いた。
「あとはベンジャミンとゲイリーさん、ユニスとファニーで。何かあったら報告を忘れないように」
ゲイリーと姉妹が頷く一方で、ベンジャミンの返事はいびきだった。無言で脳天に拳を振り下ろす。
「いってぇ!」
「それじゃあ準備できた班から各々、出発しよう」
ベンジャミンの悲鳴を無視し、両手をパンパンと叩いて解散をうながした。
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