軌跡を味わう

帆尊歩

第1話 軌跡を味わう


職場の同僚から、「休み取ったけれど、どこか行くの」と聞かれて。

「息子と東京へ」と答える。

「へー、息子さん高校生でしょう。お母さんと出かけてくれるなんて、いいね。普通嫌がるでしょう」

「違うんですよ、私がどうしても見たい展示が上野の博物館であるんで、行くって言ったら、なんか行きたいショップがあるらしくて、どういう訳か付いてくるって」

「へー、息子は、小さい彼氏だもんね。いや高校三年なら小さくはないか」

私は羨ましいだろうと、心のなかで大見得を切った。

四十を越えて久しい。

まだ四捨五入すれば四十だけれど、あと数年もすると四捨五入で五十。

私がアラフィフ!


東京に向かう高速バスの中で、息子の翔はずっとスマホでゲームをしている。

私も負けじとスマホを見ているので人の事は言えないが、あまり会話はない。

並んで座っていたら、終始楽しい会話が出来るなんて期待は初めからしていないが、ちょっと寂しいかな。

でも若い彼氏である。

可愛い息子の翔と、こうやってバスに隣同士で座っていられるだけで幸せだ。

翔を生んだのは私が二十五の時だ。

一人息子で可愛くて仕方がなかった。

小さい時、バレンタインに本命のチョコをあげても、翔は母親からチョコレートを買って貰った程度にしか思わない。

私にとってそれが、どれ程本気のチョコだったか。

まあいいんだけれど。


「ママ、デートしよう」まだ小さかった翔が私に言ってくる。

「えっ。あんたデートの意味知っている?」

「ご飯食べに行くことでしょう」うーん、間違ってはいないけれど、と思ったけれど、私は舞い上がった。

だって大好きな小さな彼氏から、デートに誘われたんだ。

それこそ、この子の父親が、初めて私を食事に誘った時の十倍以上嬉しかった。

そんな小さな彼は青年の彼氏となって私の横に座って、一緒に東京に向かっている。

もうこれ以上を望むのはバチが当たる。

きっと翔が彼女を連れてきて、結婚なんてしようものなら、嫁いびりをしてしまいそうだ。


東京に着くとそこからは別行動。

夕方おち合って、ご飯を食べて、高速バスに乗って帰る。

私は上野に向かう。

この東京にはかつて暮らしていた。

「若い娘を東京なんかに出せるか」と騒ぐ父親を何とか説き伏せて、大学から東京にいた。あのころの私には、東京に行くことで、バラ色の未来が広がっていると思っていた。

仲間とバンドを組んで、ボーカルをやった。

小さなライブハウスで、週末歌い、終わると打ち上げをして、誰かの家で魚寝。

バンドで有名に、なんてことは微塵も思っていなかったけれど、卒業しても田舎に帰る選択肢もなかった。

充実していた。

彼氏も出来た。



上野に着いて、お目当ての展示の博物館に行く。

展示を見ながら、頭の中は私の軌跡をたどる旅へと、頭はトリップしていた。

若い娘からすれば実家のある田舎町は、つまらない所だった。

このままいれば、高校を卒業して、どこかに働きに行って、高校の同級生辺りと結婚をして、地元で家を建てて、地元で暮らして行くだけだ。

そんなのは嫌だった。


ああ、だめだ、もうあんなに見たかった展示なのに頭に入ってこない。


卒業すると父親から、帰って来るのかと聞かれた。

私はあっさり帰らないと返事をして東京で就職した。

私は花の東京のOLとなった。

仕事は大変だったけれど、きちんとお給料ももらえて、プライベートも充実していた。

でもバンド仲間とは疎遠になった。

みんな普通に就職してバンドどころではない。

あんなに盛り上がったあの時は何だったんだろう。

何も残らない。

ただ思い出が残っただけ。


三年後に職場の同僚と結婚した。

二十四のときだ。

私は仕事を辞めて専業主婦になった。

そして今日一緒に来た息子翔が生まれた。

でもそのころから、夫とすれ違いが起こるようになった。

些細なことでけんかになり、夫婦仲は冷めていった。

そして冷め切ったところで、離婚と言うことになった。


四方を絵画に囲まれた展示室の真ん中に大きなベンチが置いてある。

疲れた、ベンチに座ろう。

私は自分がこういう芸術に興味がある人間と思っていた。

ライブハウスで歌ったあと、居酒屋で仲間とくだをまくとき話題が途切れると、今見ている画家の自分なりの感想を言ったりしていた。



離婚した私は、翔と共に親に頭を下げて実家に戻った。

保守的な土地柄なので、離婚して戻ってきたと言うと、いい顔はされないかと思ったら、以外と温かく迎えてくれた。

親もたまにしか会うことのなかった翔と、一緒に暮らせると言うことで、内心喜んでいた。

いくら内心では喜んでいると言っても体裁が悪いと思ったのか、私は親が見つけて来た人と再婚した。

なんと婿養子に入ってもらった。

そして今、実家で暮らしている。

新しい旦那は隣町の会社で働いていて、会社の寮に入っている。

そして週末だけ帰って来る。

微妙な関係だけれど、これが割とうまくいっているのか、ここ十年、何の問題も起きていない。

すでに初めの結婚生活よりも長続きしているところを見ると、全ての事が、なんとなくさやに収まり、うまく回っているということか。


私は博物館を後にすると、昔住んでいた辺りまで足を伸ばした。

あんなに輝かしい未来があると思っていた場所が、今になると単なる思い出の場所だ。

結局今の実家での生活をするだけなら、東京の大学なんて行かなくても良かったし、東京で結婚しなくても、おそらく東京に出なくても、今の夫と結婚していた。

いったい何だったんだ。

軌跡をたどれば何もない。

軌跡を味わってみたいなんて思ったけれど、結局その軌跡は意味がなかったと思い知っただけだったのか。



翔との約束の場所に近づくと翔が手を振る。

「お母さん。早く、早く。腹減ったよ」

「ああ、ゴメン、ゴメン」翔の手にはセレクトショップの大きな紙袋が二つ握られていた。

私は考え直す。

もし東京の大学に行かなければ、あの会社に就職することはなかった、そうすれば前の夫に出会うこともなく、今目の前の翔だって生まれてこなかった。

「何食べたい?」私は翔に尋ねる。

「肉」

「はいはい。でもあんまり高いところだめだよ」

「なんで」

「お父さんがうらやましがるから」

「いいじゃん、普段は一人で好きにやっているんだから」

「こらこら。お父さんは私たちのために一生懸命働いてくれているの」

本当のお父さんではないのに、という言葉は言わなかった。


「あんたは、将来どうしたいのよ」

「俺は別に、ずっと実家でいいんだけれど」

「いや外の世界を見なくちゃ」

「だってお母さんだって、東京の大学に行って、就職して、結婚したのに結局戻って来たんだろ。だったら」

「外の世界を見て来たからこそ。地元の良さがわかるのよ」

「そんなもんかな」

「そんなもんよ」

「わかったよ。早く肉食べに行こうよ」東京に行ったからこそ、翔がいる。

「お母さん。早く」

「はいはい」

これまでの軌跡を追えば、つまらない軌跡かと思ったが、そんな事はなかった。

軌跡を楽しむことが出来た。

今日はいい日だった。

さて、大好きな彼氏と肉でも食べに行くか。

そう心の中で叫ぶと、私は前を行く翔の後を追った。

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軌跡を味わう 帆尊歩 @hosonayumu

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