20xx年8月31日
20xx年8月31日 大阪の端の方にある町中華屋にて
長年やっている町中華は、主に常連で成り立っていた。昼時を過ぎて閑散とした店内には、還暦はとうに過ぎた老夫婦が、店のテレビを見ながら寛いでいる。無言だった空気の中、先に口を開いたのは旦那の方だった。
「本当暇や」
「お父さん、しゃあないで。常連も脂っこいもの食べれなくなってきたんやさかい」
去年まではこの時間もまだ常連の誰かがいたが、その誰かも遂に高血圧で食事制限になってしまったのだ。商売上がったりだ、と夫婦は思いつつも、まだこの店を畳むにしても、決心がつかなかった。
味は絶品ではある。特に炒飯は大人気メニューでもあり、その昔はよく雑誌にも掲載された。今もたまに炒飯は載ることもある。
しかし、創業当時から古い建物だったこの店の見た目は、酷くオンボロだ。床や壁は掃除しても、積年の脂のぬるつきは簡単に除去できるものでもない。若い女性たちには入りづらい店だろう。
メニューも、老夫婦の年齢的に複雑な注文をされると捌ききれないため、年々品数を減らす羽目になっている。なによりも、一昨年までは近くに大学があったのだが、建て替えにより、売上の主力である学生たちもいない。繁盛すればと思い、店に商売繁盛の恵比寿の絵をレジ横の壁に飾ったが、閑古鳥は鳴き続ける。
「建て替えが終わる前に、商店街が終わりやな」
旦那は皮肉たっぷりにそう言うと、つまらなそうにテレビを睨み付ける。テレビには別の県のシャッター街となった商店街の様子が映し出されていた。
「怖いことを言わんとってください」
奥さんはその言葉に困ったように眉を下げる。その言葉は妙に現実味がある問題だったからだ。
学生がいなくなり、皆商店街を営む人たちも高齢化している。この町中華のお向かいにあった喫茶店が、先月店じまいをしたばかり。この町中華もいつまで続けられるのか、それは二人の心にある漠然とした不安であった。
カランカラン
そんな時、珍しく店の扉が開いた。
「いらっしゃいませ……はい?」
「いらっしゃい、お客さん……え?」
二人は慌てて立ち上がり、客を迎えようと扉を見ると、そこには二人の男女が並んでいた。一人は中華服を着て、狐の耳が生えた青年らしき人が。そして、もう一人は首に白い布を巻き、派手な和服がよく似合うまさに力士のような巨漢であった。しかも、その巨漢は二人がよく知るものによく似ていた。思わず唖然とする老夫婦は思わず顔を見合わせた。
((恵比寿様や、恵比寿様や))
レジ横の恵比寿の絵にそっくりであった。もし、脇に鯛を抱えていたら、もっと似ていたと思う。
「えろぉ、すんません。二人なんですけど、あ、席ここでええですか?俺、炒飯で」
「炒飯と餃子、中華そば、とりあえずよろしく」
青年と恵比寿に似た巨大な男は、適当なテーブル席に座る。
「へ、へい、毎度炒飯二丁、餃子、中華そばやな」
旦那は注文を復唱すると慌てて、厨房に駆け込んでいく。さっきまで腑抜けていた顔とは違い、その顔は長年厨房に向き合ってきた職人の顔だ。奥さんもまた、慌ててお客に出す水とおしぼりを運ぶ。
「わあ、おばちゃん、おおきにー」
「……ありがとうございます」
狐のお兄さんは軽く笑い、巨体のお兄さんは少しぶっきらぼうに例を言いながら、おしぼりで手を拭く。そんな二人に、思わず奥さんは長年の気質でついつい口に出してしまった。
「お兄さん、恵比寿さんによう似てますね。ご利益ありそうやわ。あっ!」
巨体のお兄さんを見ながら口すべらした、奥さんは思わず口を抑える。そんな奥さんに、狐のお兄さんは腹を抱えて、笑い始めた。巨体のお兄さんはじっと奥さんを見つめている。そして、一頻り笑った狐のお兄さんは笑い涙を拭きながら、奥さんの方を向いた。
「ハハハハハッ!奥さん鋭いなあ!」
「え?」
お兄さんの言葉に奥さんは素っ頓狂な声を上げた。
「せやで、目の前は今代の恵比寿さん。そして、俺は今代のお稲荷様や。美味しい芸術に関しては、直接食べなわからんからなあ」
「……でも、ここの、炒飯旨いって、俺知ってるから」
恵比寿はにっこりと笑う。またまたおもろい冗談やなぁ、と奥さんは言いかけたが、寸前でその口は止まる。何故ならば、狐のお兄さんの耳がぴょこぴょこと動いていたからだ。
(神様や、ほんまに、この人ら神様かもしれん)
「母ちゃん出来たで、炒飯」
旦那の言葉に我へと返った奥さんは、慌てて炒飯を取りに行く。八角形の中華皿の上、ドーム状に盛られた炒飯はいつものように、しっとりとした出来栄えだ。しかも、いつもよりも輝きが増してるように感じた。
「お待たせしました。お先に炒飯ですぅ」
不思議な二人の客に出した炒飯。二人は待ってましたと言わんばかりに、レンゲを持ちながら合掌した。
「「いただきます」」
そして、一口に運んだ。その味の出来具合は言わなくてもわかる。二人はおいしさのあまり、目を弓なりにし、頬を蕩けさせた。
そして、次の瞬間からバクバクと食べていく。なかなか学生でも見ないような、いい食べっぷりである。その間も餃子、中華そばも出来上がり、恵比寿様の前に置いていく。恵比寿様は無愛想ではあるが、美味しいものの前には顔も緩んでいた。
「相変わらず、美味しかったです。また、来ます」
食べ終わった後、恵比寿様は老夫婦に頭を下げ、レジへと向かう。そして、恵比寿様は、飾られた恵比寿の絵を見るとその絵に触れた。
「恵比寿様……?」
「私にできるのは、これくらいなので。本当はこの
巨漢の男は喉元の布を指差していうが、奥さんはなんのことか分からず、二人の男の顔を交互に見る。
「せやな。ほんま美味しかったです。ごちそうさん。あ、恵比寿の
そう言って恵比寿は二人分の代金を払い、稲荷と自称していた男もまた帰っていく。奥さんは代金をレジにしまい、恵比寿の言葉の意味を考えた。
「お父さん、恵比寿様のえぇ
「母ちゃん、
このときはまだ、そんな呑気な会話をする余裕があったのだ。
その翌日、不思議なことが起きた。まず、店の重度の油によるぬるつきが消えていた。そして、店の外観も幾分か綺麗になっていたのだ。
しまいには、もっとびっくりすることが起きたのだ。
「ここが、
店には開店前というのにとんでもない行列ができ、取材の電話や飛び入りもいくつも入ってきた。まさに今までの閑古鳥が嘘のよう。
「なにが、どうなってるんや……」
「これが、恵比寿様の
昨日のことを考えるとそれが妥当だろう状況であり、何故こんなにも神様が取り出たされてるのか、二人にはわからない。が、今はそんなことよりも外の状況をどうにかすることが先決であった。
「けど、二人であの人たち回すんわ、こら難しいで」
「臨時の手伝いとか、必要やな。猫の手も借りたい気分や」
「大丈夫ですよ、私が手伝いますので」
「「へっ!?」」
二人がまだシャッターの締まった店の中で頭を抱えていると、途端に誰かに話しかけられた。慌てて振り返ると、そこには恵比寿様の顔に少し似て優しそうな赤髪の青年がいた。
「初めまして、僕は
老夫婦は困惑しながら、その青年を見つめる。
まだまだこの夫婦は気づかない、レジ横の恵比寿の腕から鯛が一匹逃げ出していることを。
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