20xx年8月24日

 

 20xx年8月24日 福岡のコンサートホールにて


 その日、海外の有名なバレエ団による「白鳥の湖」の公演をしていた。美しいバレエに大人たちや、バレエに憧れた少年少女たちはうっとりとその踊りを見ている。しかし、中には興味なさそうに欠伸をして、その踊りをつまらそうに見ている子どもたちもいた。


 幻想的で厳かで優美な音楽、細部までに魂が込められたプリンシパルの動きは、まさに動く芸術とも言えるものだ。しかし、バレエに興味ない少年は退屈そうに眺めている。技術、演出、どれも一流だが、若い彼にとって刺激が足りなかった。


 しかし、それは第二幕最後の『黒鳥とのグラン・パ・ド・ドゥ』。

 妖艶かつ、触れてはいけない、悪の香り。美しく踊る黒鳥に少年は目を見開く。退屈だったものが、少し面白いものへと少年の中で変わる。他の人も目の色が変わる。

 次の第三幕、どんなものになるのか、少年は前のめりになりそうな身体を抑え、その時を待った。


 始まった第三幕、それは違った意味で観客を驚かせた。まず、湖で白鳥を踊る19人のバレリーナたち。その床が、まるでのように、波紋を幾重にも描いていく。彼女たちが、跳ねれば、足を上げれば、美しく水飛沫が舞うように照明の光にきらきらと輝いた。悪魔たちも現れ、主人公、皇子と、舞台はクライマックスへと向かう。

 途端に始まる激しい戦いは、白や黒の羽根が舞い、その激しさに観客たちは固唾を呑んで見守る。結末は知っているが、悪魔の気迫が凄まじいものだったのだ。


 少年はそのステージを食い入るように見つめていた。なぜだか分からないけれど、一人の白鳥から目が離せない。若い視力の彼はその白鳥の顔をまるで焼き付けるように見ていた。


 水飛沫が舞うだけではない。美しく安らぐ自然な森の香りが何処からともなくするのだ。悪魔が倒されるその時の風や、緊迫したなにかも観客たちに伝わる。

 そして、悪魔が倒され、夜から朝へと背景が移り変わる。最後は王子と白鳥が結ばれ、白鳥の湖は大団円を迎える。


 カーテンコール。前のめりになった観客たちのスタンディングオベーションが、最高の演者たちを迎える。


「あの人、誰なんだろう」


 少年はカーテンコールの時には居なくなってしまった先程の白鳥を探す。18人の白鳥たちは優雅にその声援を受けている。しかし、彼が探す人はそこにはいない。美しく、しなやかで、美しく柔らかい、舞台化粧してもわかる。彼女はアジア人顔の女性だった。少年の初恋を奪っていった白鳥は、あの中で一人美しい布を纏っていた。

 少年は、思った。彼女のことを一生忘れることはないと。それくらいに美しい彼女は、頭の脳裏に焼き付いた。

 

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