後編

飢饉の苦い記憶のもとでやがて、人々には新しい倫理観が生まれた。


『物流は、人の命よりも大事だ。』


おぞましくも殖えすぎてしまった人類に

あまねく物資を輸送してくださるこの尊い交通網を乱すことは

何よりも許されない悪であり、どんな罰を以てしても贖いきれぬ大罪である。


免許証の有無は人権の有無であり、その色は階級の差だ。

道路交通法さえ守れないものが、正しい社会の一員になれようか?

新しい時代を治める政治家たちの胸には、

彼らの正しさを示すゴールドの免許証が輝いている。


人類の意思は、初めて一つとなった。

各々の神を掲げては争いを繰り返してきた人類にとうとう、

たった一つの存在が現れたのだ。


ああ、すばらしき我らの道路交通網よ!


人類に安全運転あれ。未来永劫に円滑な物流のあらんことを。

どうか、交通法を守らんとす我らの志に応えたもう。

そしてもう二度と渋滞という災いをもたらすことなかれ。


交通安全教、万歳!


車両に人工知能を搭載する自動運転を推した者もあったが、

その声は大衆の熱狂にかき消された。

祈りとはいつだって、人間の心からの行いで為されるべきものだ。

それを冷たい機械なんぞに丸投げする奴があるか。


さて、住居を奪われた青年は、今の人類に唯一残された『住居』ではない場所……

つまり、道路へと追放された。

そしてたちまち模範的ゴールド免許のドライバーに轢かれ、死んだ。


法にのっとって言えば、正しき歩行者は歩道と横断歩道にしかいない。

つまり道路上に何かいたとしても、それは人間ではないのだ。


彼を裁いた車はすみやかに別レーンで修理を受け、

大いなる道路交通網の輪へと帰っていった。

この間道路の流れを少しでも乱すことはない。

ゴールド免許者の鮮やかなお手並みだ。

これで車が直らなかったり、運転手が怪我をしていたりすればさらに別のレーンに移されるので、事故がもとで渋滞が起きることはない。


青年の死体はしばらく放置されたが、

やがて道路を巡回している自動道路清掃車に回収された。

どうやら、罪人の血という堪らぬ穢れの始末だけは、

心なき機械にも許されたらしい。

もっとも今では、路上の死体など気にするものもいないが……


とにもかくにも、今日も道路は安全である。

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交通安全教 @tsuk46

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