第3話「ビッグバードの中で②」

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……。


…………。


 矢倉家は、全国でも上から数える方が早い程の、超大富豪である。

 その富と成功を収める代償だったのか、父親は厳格で冷たく、家族をかえりみない男だった。


 年に一度も家に帰らないこともあるほどに。


 そんな父に我が子を立派に育てる事で、少しでも認められたかったのかもしれない。


 母親も、唯臣が父親の様に栄華を極められる男になれる様に、厳しく躾けた。

 友達を作る事や遊ぶ事など、一切許されなかった。


 それ故に家族の愛は唯臣には感じられず、どこか冷めている様な、お互いに肝心な部分を見せない、触れない様な関係性が出来上がる。


 そんな家庭内の芳しく無い親子関係を、ギリギリの所で繋ぎ止めていた存在がいた。


 この豪邸の中で、唯臣が唯一、愛情を感じ、本来有るべく姿、求めていた父親像を見ていた存在が、執事の羊川だった。


 唯臣は、羊川から沢山のことを学んだ。

学んだ事で1番大好きだったのは羊川のエレキギターの演奏だった。


 羊川が弾くエレキギターは、竜の目のように深い緑の色をして、引き込まれるような虎の目模様の"ストラトキャスター”と呼ばれるギターだ。


 唯臣は、幼い頃からずっと羊川の音楽に触れていた。

 自分でも何時間も何時間も羊川のギターを借りて弾いた。


 どれだけ演奏しても雑音しか奏でられなかったが、弾く事自体が楽しかった。


 唯臣は羊川と音楽が大好きだった。


 また羊川はその陽気な話術と性格で、母と唯臣との間で良いクッションとなり、矢倉家は、なんとかを保っていたのだ。


 しかし、その細い一本の蜘蛛の糸は、簡単に切れてしまった。


 それは2年前の春が過ぎた頃。

 矢倉唯臣が高校生に上がったばかりの頃のこと。


 羊川が亡くなった。


 梅雨の大雨で、近所の星城川が氾濫した際に、流されている子猫を助けようとして、流されてしまったと言う事だった。


 目撃者によると、かっちりとしたシャツを来た初老の男と言う話。

 川に入る時に着ていたジャケットを脱いだようで、それが河川敷に残されていて、それが決め手となり、羊川だったと特定したらしい。

 その後、死体等は上がって来なかったが、死亡と判断され捜査は打ち切り。


 そのようにして羊川は消えた。

 唯臣はただの挨拶すら出来ずに、死に目にも遺体にも会う事叶わず、羊川は消えた。


 大切なエレキギターも矢倉家に残して。

 

 矢倉唯臣の悲しみはどれだけ深かっただろうか……。

 普段は、冷静で穏やかな唯臣だが立ち直るまでは時間もかかった。


 この悲しみのどん底の最中に、罪もなくただ自分に、屈託ない笑顔を向けた者を、"ドン"と押し倒してしまう程に……。


 唯臣は、このどん底の最中の時期の記憶がかなり曖昧になっている。

 どれだけ息の出来ない深海の暗闇の中を潜っていたのか。


 だが、そこから浮上するのもやはり、羊川のギターだった。


 羊川の執事部屋に置かれたストラトキャスターを弾き鳴らすと……。


 その音の中に羊川がいた。


……と言える音色が出せるわけはなかったが、それでも唯臣にとって涙の出る程、大事な音だった。


 沈んでいた気持ちが浮上した唯臣は、ギターを弾きまくった。


 時間も忘れて何日も。


 すると、ある日。

学校から帰った唯臣は困惑する。

羊川のギターが無くなっていたのだ。


 母親に尋ねると、どうやら唯臣が家にいる間、ギターを弾き続けるので、勉学に支障が出るからと、楽器屋に売ったと言うのだ。


 自分の息子が慕っていた執事の形見のギターを売ってしまえると言う事自体、異常かも知れない。

 ただ、これが羊川のいなくなった矢倉家の日常だったと言う事だ。


 唯臣はひとまずギターが売却された事実は受け入れ、売った場所を問いただす。

 それが星城商店街にある小さな楽器屋【ビッグバード】だったのだ。


 次の日の帰り道、唯臣はビッグバードを尋ねた。


「おぉ、いらっしゃい!

 ……ん?

 お前、……じゃないか?

 その身長にツラ構え、羊川がいつも言っていただ!」

初見の客でも呼び捨てで"奴"とまで言った店員。


「俺は大鳥って言うんだ!

 唯臣は知らなかったと思うけど……、羊川のバンドメンバーだ。

 羊川は俺の率いるバンド"birds"のメインギタリストだったんだよ。」

唯臣の肩をバンバンと叩いて言う大鳥。


 唯臣は目を丸くした。

羊川のギターは大好きだし、圧倒的な実力者だと思っていたが……。


 まさかバンドを組んでいたとは。


 もしそうなら絶対に羊川がライブで演奏する姿を観たかった。

なぜ羊川は言ってくれなかったのか。


 唯臣は大鳥に、この店にやって来た目的を告げた。


「あぁ、羊川のギターな。

 あのストラトはここに有るぜ!

 こっちだ。」

羊川は唯臣の手を率き、ビンテージエリアに誘った。


 そこには様々な値打ちの高い、美しいエレキギターが沢山展示されていた。

 小さな町の楽器屋には似つかわしく無い、50万、100万、200万台と高額な値札が貼られている。


 そのなかの一角には、確かに深い翠で引き込まれそうな程美しい、ストラトキャスターが掛けられていた。


 しかし、そのギターには値札が付いていなかった。


「羊川に言われてたんだ。

 このギターを弾くべき奴が現れたら……、時期が来たら、そいつに預けてくれってな。」

大鳥は嬉しそうに言った。


「それは唯臣。もしかしたらお前かもなぁ。

 まぁこれに関しては身内びいきとかないからな!」

またしても"バンバン"と肩を叩いて言う。


 唯臣も高校生一年生で174を越える高身長だが、大鳥も軽く180cmを越える巨漢だ。

唯臣で無ければ耐えられないほどの衝撃の肩たたき。


「いつでも来いよ。

 ギターも弾きまくっていいぜ!

 うちじゃあ弾けないんだろう?」

大鳥は"うしし"と笑った。

 

 こうして、高校一年生。

矢倉唯臣のルーティーンが定まる。


 午後15時まで学校の授業。

 午後19時までは図書室での勉強や生徒会の仕事。

 午後21時までは楽器屋でギターの練習。

 そして帰宅後は深夜まで勉強。

唯臣には全てを両立する器は十分にあった。


 いつか自分が、羊川のギターを手に出来る様に。

羊川のギターに選ばれる様に、ギターを練習した。


 そんな生活がちょうど一年程過ぎ、高校2年生の春。

 急にルーティーンに異変が生まれた。





 羊川のギターがビンテージエリアから無くなったのだ。





…………。


……。


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