第37話 新しい時代

「裁定を始めます!」


 シルとエゼは、沈黙した巨大イカを背にして立つ俺に向かって宣言した。

 そして二人は、何もない空間に指を走らせ、裁定を開始した。

 俺の頭上では、眩しいほどの数字のカウンターが、目まぐるしく変動し始めていた。

 郁子と葵は祈るように両手を胸の前に合わせて、変動する数字を見守っている。

 マイナスだった10億ポイントはあっという間に50億ポイントのプラスに転じた。

 ここからだった。


「神様をただ殴っただけでなく、神器の力を悪用したので倍率も加算して24億ポイント。そして一日に二度も神に手を出した非道ポイントとして2千万ポイント。そして、あろうことか神を人間が半殺しにしたという極悪ポイントが15億ポイント。そしてイカの臓物の中に神聖なる神を叩き込んだ罪として2億ポイント。神の純白のローブをイカの血に染めた罪で3千万ポイント……」


 エゼとシルが何もない空間でそろばんを弾いていくうちに、俺の善行ポイントはどんどん目減りしていった。


「大勢の前で崇高な神に恥ずかしい思いをさせた罪4千万ポイント、当分目を覚まさないであろう神の代わりを用意しなければならない迷惑罪、2億ポイント。神が手を付けようとした天使を横取りしようとした横恋慕罪5千万ポイント」

「そんな罪もあるのか? いやそれに横取りしようとしてないし」


 俺の意見は聞き入れられず、いっぱい細かい罪がかさんでいった。

 俺の頭上のカウンターにあった50億ポイントは情けないほど寂しい数字になっていった。


 そして、エゼとシルは手を止めた。

 全て裁定し終えたようだった。

 俺は頭上を見上げて大きく息を吐いた。

 眩しく輝くその数字は、期待し、ひたすらに願っていた数字では無かった。

 俺の頭上にはプラスポイントとして、2千200万ポイントが明るく浮かび上がっていた。

 その数字を見て葵がしゃがみこんで泣き始めた。

 郁子も悔し気に涙を静かに流している。

 俺は一度目を閉じて、その頭上の輝きを受け入れた。


「エゼ、シル、もういいんだ。裁定を下してくれ」


 最後の宣言をなかなか言い出せない二人に、俺は声を掛けた。


「ありがとな。もう十分だ」


 悲痛な面持ちで、エゼとシルが宣言しようとした時だった。


「あれ?」


 しゃがみこんで泣いていた葵が、足元に何か光る物が落ちているのに気が付いた。

 葵はピカピカ光る小さな何かを指先で摘まみ上げると、傍にいた郁子に意見を求めた。


「これなんだろ?」

「さー何かしら」


 葵と郁子が何やら悩み始めたので、みんな集まって、光るものの正体を見極めようとした。

 そしてエゼが真っ先にその正体に気付いた。


「これって、金歯じゃない?」

「うわっ!」


 葵は金歯らしきものから慌てて手を放した。

 俺は慌ててそれを空中でキャッチした。


「びっくりした。成る程、エゼの言うとおり金歯だな。間違いない」

「殴った時に折れちゃったのね」


 エゼとシルはにんまりと笑って、宣言した。


「裁定を再開します」


 そしてまた二人は、空中のそろばんをはじき始めた。


「神の金歯をへし折った罪1千500万ポイント、治療費、通院交通費、歯のない間のレンタル入れ歯代、全てコミコミで……」


 そして俺の頭上のカウンターが一層眩しく輝いた。

 エゼとシルは高らかに宣言した。


「裁定は下されました!」


 そして俺の頭上にはもう何度も見た数字が輝いていたのだった。



 そして物語は、ほんの少し未来に舞台を移す。


「またここか」


 俺はあんまりいい思い出の無いへんてこな場所に、またやって来ていた。

 シロとクロの間。

 天界と冥界の丁度中間点に位置する、完璧に調和のとれたバランスの間だった。

 ここでは身分による不平等も、見かけや性別による不平等も存在しない。

 ただ、善と悪の比率を澄んだ目で見定め、平等と調和の名のもとに絶対的な裁定を下す。そんな場所だった。

 あまり来たくなかった場所だったが、今回は前来た時といくつかの点が違っていた。

 まず俺の身なりについてだが、半分白で半分黒の、おかしなローブのようなものを着さされていた。

 それと、前の時は晒され者のような扱いだったけれど、座り心地の良い椅子を用意してもらえて、立派な机だってある。

 そして、最も違いがあったのは、この空間にいる人の数だ。

 いや、ここにいるということは、人ならざる何者かなのだろう。ざっと見ただけで百人程度はいそうだった。

 相変わらず、シロとクロの境界線にいるのには違いないが、俺の右側の黒い方にはシルが、そして左側の白い方にはエゼが控えていた。

 俺はやや緊張した面持ちで二人を交互に見た。


「なあ、ホントにやるのか?」


 そう声を掛けると、エゼが余裕の表情で応えた。


「ええ、勿論」


 シルもエゼと同じく落ち着いて俺に応える。


「なんだか楽しみ。ね、そう思わない?」


 俺の緊張をよそに、二人はむしろこの状況を楽しんでいる。

 落ち着きがないのは俺だけってことだ。

 まあ、ここにこうして出向くことを了承したのは、他でもない俺なのだから仕方がない。


「時間ですよ」


 エゼが小声で教えてくれた。


「じゃあ、やってみますか……」


 俺は席を立って、この場にいる者たち全員に向かってこう宣言した。


「裁定を始めます!」


 俺の前にはシロとクロの境界線があり、シロの方に俺が殴ったあの神様、クロの方にこれまた俺が殴った魔王様が不服そうに立っていた。

 集まった人ならざる者たちは、人間の裁判で言えば傍聴人といったところなのだろう。

 もう千年も神と魔王の裁定は行われていなかったのだが、冥界の巨大海獣クラーケンが人間界だけでなく、天界、冥界を震撼させたのに伴って、いろいろと見直されたのだった。

 つまりこの未曽有の危機を乗り越えたのが、神でも魔王でもなく人間であったということが問題視され、超自然的な力が天界と冥界の者でなく人間に働いたのを重く受け止めたのだった。

 そしてこのままでは自分達が衰退していくと考えた神や魔王たちは、俺に特別なポストを与えた。

 それが自分で言うのもなんだが、俺にぴったりともいえる白でも黒でもない裁定者というポストだった。

 そして、裁定者としての初仕事に、賭け事をして色々と混乱させた神と魔王を召喚して裁定を下す役を任されたのだった。

 そして俺の右腕と左腕、シルとエゼは空間に指を走らせ始める。

 しょぼくれた魔王と神は、裁定者の前で己のポイントが凄まじい勢いで変化していくのを呆然と眺める。

 そしてカウンターが止まった時、二人は真っ青な顔をして冷や汗を流していた。


 俺は可愛い天使と悪魔に頷いて見せた。

 そしてシルとエゼは高らかに宣言する。

 この絶対的な中立の間で下された真実を。


「裁定は下されました!」


 こうして世界は、人間界だけではなく天界と冥界を巻き込んで変化していくのだった。

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