第36話 怪物の最後

 エゼの奇跡の力で岸まで辿り着くと、一部始終を見ていた郁子と葵が、大喜びで走って来た。


「やったじゃない!」

「やったねお兄ちゃん」

「おお、やったぞ、妹よ」


 どうも葵にお兄ちゃんと呼ばれると硬くなってしまう。

 それはさておき、まだ仕上げが残っていた。


「シルやってくれ」

「うん、行くよー」


 シルは空中に指を走らせた。


「悪魔の魅惑!」


 叫んだ瞬間に、自衛隊の部隊がいる辺りからロケット弾が次々に飛んで行った。

 補給部隊に持ってこさせたロケット弾は、巨大イカのぽっかり空いたオーラの穴に吸い込まれていった。

 遠目にも、イカの肉片がそこいらに飛び散っているのが見て取れた。

 相当グロい光景だった。

 雨あられのような砲撃を受けて、伝説の怪物は完全に沈黙した。

 最後はちょっと可愛そうな感じだったが、世界を滅ぼそうとしていたのだから当然の報いと言えた。


「あーおわったー」


 シルが爽快な笑顔で仕事を終えた。

 そして俺の横に並ぼうとくっついてきた。


「くさっ!」


 シルは顔を歪めて、すぐに離れた。

 そう言えば、さっきイカの上で転んだので、生臭い粘液をたっぷり全身にかぶっていた。

 それにしても露骨な態度だった。ちょっと傷ついた。


「なあ、シル、エゼ、そろそろ裁定の時間だよな」

「ええ、今10分前です」


 エゼはちょっとだけ俺から距離を取ってポイントを確認し始めた。

 イカ臭い俺には近づきたくないみたいだ。

 シルもエゼの横で指を走らせる。


「大変……」


 シルとエゼの顔色が変わった。


「なんだ? どうした? ポイントは相殺されたんじゃないのか?」


 エゼの言っていた理論では摩訶不思議な力が働いて、俺のポイントは中間点、つまりゼロに落ち着くはずだった。

 二人の反応を見る限り、思わしくない結果が出たみたいだった。


「なんだか言いにくそうだけど、いいから教えてくれ」

「じゃあ、言います。間中さん、今あなたは冥界の巨大海獣クラーケンを倒したことにより50億飛んで2800ポイントの善行ポイントを保有しています」

「50億ポイント……」


 俺は取り返せそうにもないその数字に愕然とした。


「神様を殴ったのは相殺されましたが、そこからプラスがここまで伸びました」

「なんてこった……」

「良いことをし過ぎて、ボーナスポイントがかさんだのです。歴史的善人として天国へと召されるでしょう」


 それを聞いてシルが泣き出した。


「ヤダヤダ。モリヒトは私と地獄に行くの!」

「しょうがないじゃない。彼は私が責任をもって天国に連れて行くわ」

「あんたモリヒトを独占する気ね!」

「まあそうなるかしら」


 何やら俺を取り合うように揉めている。

 モテる男の気分を味わえてちょっと得した。

 その時、聞き覚えのある声が背後からした。


「良くやってくれた。誉めてやろう」


 暗闇でも薄っすら光るローブ。

 数時間前に俺がノックアウトした全身真っ白なあのじいさんだった。


「怪物を倒す手間も省いてくれただけでなく、賭けに勝たせてくれて礼を言わないといかんな」


 厭味ったらしく真っ白な髭を撫でながら、セクハラの神様はニヤニヤ笑った。


「これでエゼも下界での仕事が終わったということだな。天界に戻ったら、わしがたっぷり可愛がってやろう」

「神様、それだけはお許しください」

「いいや、許さん。先ほどの暴挙、お前が手引きしたのであろう。もうお前の上司に話を通しておいた。お前の処遇はわしに一任されておる。お前はもうわしのものだ」

「いい加減にしろ!」


 全く反省の欠片もないセクハラの神に、とうとう俺は我慢の限界を超えた。

 さっき殴ったのは結果的にポイントを稼ぐためだったが、今度は損得関係なしに殴ってやりたくなった。


「なんだ? 神に盾突く気か? よかろう、やってみよ。わしには神のオーラがある。今度は油断などしない」


 神は小馬鹿にしたように、俺に左の頬を突き出した。


「さあ殴ってみろ。わしを殴って倒せたらエゼは解放してやる。さあやってみろ」

「その言葉忘れるなよ……」


 エゼは俺が拳を握り締めたのを見て必死で止めた。


「駄目。神様のオーラに素手で触れたら腕が消し飛んでしまうわ」

「エゼ、心配してくれてありがとう。でも止めないでくれ。俺はこいつを男として許せないんだ」


 そんな俺たちのやり取りを、セクハラの神は嘲笑交じりの顔で機嫌よく眺めている。


「さあ早く殴ってみろ。腕が吹き飛んでもその減らず口が利けたらいいがな」

「覚悟しやがれ!」

「やめて!」


 神様の突き出した頬に、俺は渾身の力を乗せて拳を打ち込んだ。

 神のオーラは確かにあった。

 その感触は拳から俺に伝わって来た。

 神様の頬と俺の拳が接触した時、一瞬まばゆい光が見えた気がした。


 ドン!


 俺の腕が吹っ飛んだ……音ではなかった。

 次の瞬間神様は空を舞っていた。

 雨の止んだ暗い海に向かって神様は吹っ飛んで行った。

 俺は何が起こったのかまるで理解できないまま、放物線を描きながら飛んで行った神様の落下点を見届けた。


「あちゃー」


 シルが険しい表情でそう言った。

 神様はさっき退治した巨大イカに空いた大穴に落ちて行ったのだった。

 恐らくイカの臓物にまみれているに違いない。


「良く飛んだねー」


 郁子が感心して声を上げた。


「すっきりした。ああいうのは鉄拳制裁が一番だわ」


 葵も爽快な笑顔でセクハラの神をこき下ろした。

 何故だかわからないが、神のオーラに触れた腕は何ともない。

 俺は自分の拳を眺めながら、どういうことなのか悩み始めた。


「すごいじゃないですか。神様を吹っ飛ばしましたよ」


 エゼも信じられないと驚嘆しつつ、理解できないという面持ちで近寄って来た。


「まるで、神器の力が乗り移ったみたいでしたね」

「そうだな、どういうことだろうな」

「ねえ、なんか光ってない?」


 郁子に指摘されて、ズボンのポケットに目をやった。


「ん?」


 確かに光ってる。

 俺はポケットの中を探ってみた。

 そしてその光っているものを指でつまんで引っ張り出した。

 それは三センチくらいの光る木片だった。


「これは……」

「あ、それ、さっきお兄ちゃんがやらかしたやつじゃない?」

「あ、そうだ。欠けた槍の一部だ」


 葵に指摘されてようやく思い出した。

 なんとなく捨てずにポケットに入れてたみたいだ。


「これのせいで俺の拳が、あのセクハラの神のオーラを貫いたんだな」

「みたいですね、あの冥界の怪物を倒すほどの神器ですもの、欠片だってセクハラの神のオーラぐらいはチョロかったんでしょうね」


 よっぽど腹が立っていたのか、エゼも軽く神様をディスった。

 そして俺の頭上に、光る数字のカウンターが現れた。

 裁定の時が来たのだ。

 エゼとシルが並んで宣言をした。


「裁定を始めます」


 そして三日目の裁定が始まった。

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