第34話 槍は放たれた
冷たい雨が次第に強さを増す中、停止した船の舳先で、俺はいよいよその時が来たのを知った。
心を落ち着かせよう。
全身の震えが収まらないまま、照準を合わせ続けた。
きっと手に汗握っている状態なのだろうが、雨のお陰で感じることは出来なかった。
そして、胸ポケットのスマホから、エゼの声が聴こえてきた。
「いまよ!」
その声に反応して、俺の指は引き金を思い切り引いていた。
ドン!
緊張が吹き飛ぶような発射音だった。
火薬を使って発射された反動で、捕鯨銃が大きく揺れた。
発射されたモリに続いて、繋がったワイヤーが凄い勢いで伸びていく。
眩しい程の閃光を放つ神器の槍は、光の帯を引きながら、真っ直ぐに怪物の急所へと吸い込まれていった。
「やったか!」
命中した手ごたえはあった。
遠目にモリが怪物に突き刺さっているのが確認できた。
続いて海岸の方からたくさんの発射音が聴こえてきた。
シルがロケット弾を自衛隊に撃たせたのだ。
闇夜に幾つもの砲弾が飛び、目標に向かって放物線を描きながら次々に着弾していった。
計画していたとおりに連携し、すべての砲弾が当たったのを見届けた後、俺は操舵室を振り返って、スマホ越しにエゼと連絡を取った。
「どうだ? やっつけたか?」
返答が帰ってこない。
「エゼ、どうしたんだ?」
「何かに捉まって!」
エゼの叫びが聴こえた後、俺の体は中を舞っていた。
いや俺の体だけではない。
視界の中にある色々なものが舞い上がっていた。
錆の浮いたドラム缶、デッキブラシ、工具やヘルメット、そして捕鯨船。
咄嗟に掴んだ捕鯨銃の持ち手が、かろうじて俺と船体を繫いでいた。
眼下には昏い海が広がっている。
そこに信じられないほどの巨大な触手がのたうっていた。
圧倒的な力の前に、400トンある捕鯨船は、海を漂うペットボトルのように簡単に跳ね上げられていた。
怪物に突き刺さったままのモリがアンカーとなって、繋がったワイヤ―が最大限にまで伸ばされる。
捕鯨船の船体は伸びきったワイヤーのおかげで飛ばされず、そのまま昏い水面に落下した。
激しい衝撃。
視界が反転した。
そして俺は昏い海へと投げ出された。
世界は不思議に満ち溢れている。
ずっと昔、テレビのコマーシャルでそう言っていた。
少なくとも、俺の生きて来たちっぽけな世界にはそんな物は無かった。
子供の頃から、特に不思議なことに出会うことも無く、19年も生きてきた。
特撮のヒーローがいる世界に少年時代は憧れた。
近所の遊び友達の間で流行っていた、ヒーローになり切るごっこ遊びに、同じように俺も夢中になった。
特撮ヒーローを卒業してからも、冒険を乗り越えヒロインと結ばれる映画の主人公に、自分を重ねてみたこともあった。
青臭い憧れに過ぎないカッコいい生き方。望んでも手に入らず、いつしか他人事のように感じていた世界。
そして今、俺はそんな特別な生き方の舞台に立っている。
いや海に沈んでいってるのだから、立っているわけではないのだろう。
さっきまで感じていた雨粒の音も、激しい轟音もここにはない。
どっちが上なのか下なのかすら分からない。
ようやくエクストラステージの終わりが来た。
きっとそういうことなのだろう。
そうして俺はゆっくりと目を瞑った。
目を閉じると暗い海の代わりに、明るい光景が浮かんできた。
シル……。
食い物に意地汚い、子供みたいな可愛い悪魔。
エゼ……。
融通の利かない、色気ムンムンの天使。
二人の顔が浮かんだ瞬間に、ぼんやりとしていた霧のようなものが晴れて、俺は完全に覚醒した。
あいつらを助けないと!
俺は目を開けて必死でもがいた。
口から出た気泡が上がって行く方向に向かって、必死で手足をばたつかせる。
猛烈な息苦しさを我慢して、とにかく足掻いて、水面を目指した。
そして俺は、やっとのことで水面に顔を出した。
「ゲホ、ゲホゲホ、ハアハア」
むせ返りながらも、貪るように新鮮な空気を吸い込んで、周囲を見渡した。
雨で視界が悪い。
波に揺られながら俺は捕鯨船を探した。
「良かった……」
奇跡的に船は沈んでいなかった。
恐らく奇跡的と言うよりも、エゼが奇跡を使って持ちこたえたのだろう。
未だのたうつ触手にあおられながらも、なんとか船体を保っていた。
こうしてみると、真っ黒な海上でゆらゆらと波に煽られる船は、いかにも頼りなげに見えた。
俺は必死で船に向かって泳ぎながら、作戦が失敗した原因を考えていた。
神器の槍は間違いなく巨大イカの急所に吸い込まれていった。
その後、相当数のロケット弾が正確に着弾したのも見届けた。
つまり、エゼとシルの連携は計画通りに成功していた。
考えられる失敗の原因は一つだった。
恐らく槍の入りが浅かったのだろう。
そのせいで冥界のオーラを消すことが出来ず、ロケット弾が弾かれたに違いない。
かつてアポロンが突き刺したというあの槍も、捕鯨砲の威力では貫通力が及ばなかったのではないだろうか。
遠目に輝きを放っているあの槍を、さらに押し込むことが出来たら、あるいはオーラを剥がせるのかも知れない。
「モリヒト!」
船体に近づいた俺に、シルの声が聴こえてきた。
「良かった。生きてたんだね。待ってて、今エゼに引き揚げてもらうね」
船上で身を乗り出して、エゼが奇跡を発動した。
俺の体はふわりと浮いて、そのまま甲板の上にゆっくりと着地した。
「心配したんだから!」
シルが俺の胸に跳び込んできた。
ドッキーン!
こんな状況でも男というものはときめいてしまうんだな。
エゼは冷たい目で俺たちを見ている。
「まあ、再会を喜ぶのは後にしよう。こっから仕切り直しだ」
名残惜しいが、俺はシルの肩を掴んで引き離し、エゼに向き直った。
「仕切り直し? もう打つ手はないのですが」
「そうだよ。さっさと逃げた方がいいよ」
諦めたような感じのエゼとシルに、俺は泳いでいる間に急ごしらえで立てた作戦Bを伝えた。
その内容に二人とも微妙な顔をしつつも、了承してくれた。
「成る程、もしかするといけるかも」
「そうね。やってみましょうよ」
こうして俺たちは反撃の狼煙を上げたのだった。
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