第33話 伝説の海獣

 出航後、俺たちの乗った捕鯨船は、真っすぐに怪物を目指した。

 日中と違って夜の海というものは、ただただ不気味なものだ。

 その不気味な海に、冥界の海獣が浮かんでいるとなるとなおさらだ。

 男の俺が震え上がっていては格好悪いと、できるだけ平静を保っている振りをしているわけだが、その虚勢がどこまで続くのか自信はない。

 それでも在るのか無いのか判然としない、俺の中立を保つ不思議な力を信じて付いて来てくれた二人に、情けない姿を見せるわけにはいかなかった。

 捕鯨船を天使の奇跡でコントロールしていたエゼは、急所であるイカの眉間に近づこうと、ゆっくりと船を旋回させた。

 雨粒が窓に当たり、パラパラと音を立てる。暗くて分かりにくいが、また少し空模様が悪くなりつつあるようだった。

 波は高くないが、視界は良好とはいえない。

 黒々とした海に浮かぶ怪物の全体像を何とか把握できているのは、相手が白っぽい色をしているお陰だと言えた。

 伝説の海獣クラーケンは、どこにでもいるようなイカの姿を拡大したようないで立ちをしていた。

 スマホの画面で見たドローンからの映像では、時々食卓に上がる調理前のイカそのものだった。

 昏い海にいるその巨体を目にして初めて、そのとんでもない規格外のスケールに誰もが恐怖するのだろう。


「エゼ、あいつ、眠ってるのかな」


 昏い海に、ただプカプカと浮いているだけに見える巨大イカは、いかにも睡眠中に見えた。


「その様ですね。あいつは夜行性なので、そろそろ目を覚ましてくる頃だと思います」

「それまでに、決着をつけたいところだな」

「ええ。暴れ出したら手が付けられないでしょう」


 イカの周りを旋回していた船の動きが止まった。


「ここからなら急所は真正面です。今からゆっくりと近づきますので、間中さんはモリを撃ち込む準備をして下さい」

「いよいよだな」


 俺は船首に出て、捕鯨銃を何時でも撃てるよう準備した。

 そしてゆっくりと船が近づいていくにしたがって、モリに括り付けた神器の槍がぼんやり光りだしたのに気が付いた。


「そう言えば、エゼが言ってたな」


 神器は怪物に反応して本来の力を取り戻す。

 そして今、その役割を再び果たすべく黄金色に輝き始めていた。

 はっきり言ってショボイ木の棒だと思っていたが、紛れもなく本物だった。


「こいつはいけるかも」


 船が怪物に接近するにつれ、槍は輝きを増していく。

 仕留められる距離に入れば、あとは引き金を引くだけだった。

 俺はエゼの合図を待ちながら、捕鯨銃の照準を合わせる。

 少し強まりだした雨の中で、急所を見失わないように目を凝らした。

 風が出始めて船体が揺れ出した。

 恐らくこのまま、少しずつ条件は悪化していくだろう。

 天候が持ちこたえている間に決着を付けなけばならなかった。

 そして手元のスマホにエゼからの連絡が入った。


「今、射程に入りました。もう少し距離を詰めます。すぐ撃てるようにしておいて下さい」

「分かった」


 声が震えた。

 声だけじゃない、足も手も、体全体が小刻みに震えていた。

 後ほんの少しで、人類の命運を握る重い引金を俺は引かなければならない。

 一体こんなところで俺は何をやっているんだ。

 やけくそで自傷気味に無理矢理笑ってみた。


 一方、操舵室でエゼが船を操っている間に、シルはエゼの隣で自衛隊員の動きを操作していた。


「いよいよね」

「ええ、シル、頼んだわよ」

「任しといて。エゼこそ外さないでよ」

「分かってるって。必ず急所に当てて見せるわ」


 二人の声にはいつもの余裕はなかった。

 お互い口元に浮かべている笑みは、無理に作った感じでいかにもぎこちない。

 それでもエゼはシルに、シルはエゼに、気丈な態度を精いっぱい見せていた。


「お腹すいたね」

「ええ、今日は夜食が欲しいわね」


 そしてエゼは船の動きを止めた。

 少しでも船を安定させて、好条件で守人が急所を狙えるようにしたのだった。


「いくわよ」


 エゼが緊張した声でそう言った。


「いつでもいいわよ」


 シルも同じく硬い声で応える。

 そして総攻撃を仕掛ける準備は整った。



 高台から、三人の乗った捕鯨船を見守っていた郁子と葵は、白くぼんやりと昏い海上に浮かび上がる巨大な姿に、不安げな顔を見せていた。

 捕鯨船はそこいらの漁船よりも、それなりに大きな代物だった。

 しかし途方もない巨獣を前に、いかにも頼りなさげに見えてしまっていた。

 胸の前で手を握りしめて見守る二人の視線の先で、旋回して航行していた捕鯨船は、向きを変えてゆっくりと怪物に向かって行った。


「郁子さん、あれ」

「うん。エゼが言ってたとおりだね」


 二人の視線の先に、今までなかった黄金色の光が灯った。

 神器が力を取り戻し始めた証だった。

 天候が少しずつ悪化していく中、巨大な怪物に向かって行く頼りない小船に灯った希望の光だった。


「がんばれー!」


 葵が叫んだ。


「やっつけろー!」


 郁子も葵を追うようにして声を上げた。

 二人の見守る先で希望の光が輝きを増していく。

 そして奇跡を願う二人の前で、一筋の希望の輝きが放たれた。

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