第32話 出航のとき
葵のお陰で、捕鯨船が停泊している港はすぐに分かった。
葵が小学生の頃、しょっちゅう遊びに来ていた祖父の家から、歩いて行ける港だったので、思いのほか簡単に辿り着くことができたのだった。
また、偶然とは片付けられないタイミングで、出港準備中の捕鯨船がそこに停泊していたのであった。
中にいた船員たちを、シルの悪魔の魅惑で下船させると、俺たちは堂々と船に乗り込んだ。
こんな時ではあるが、捕鯨船に乗ったことで、俺はちょっと興奮してしまった。
「これで鯨を捕まえるのか……」
葵が話していた捕鯨銃が、ここからはよく見える。鯨には気の毒だが、ちょっとしたロマンを感じてしまった。
余計なことを考えている間に、エゼは天使の奇跡を使って船を動かし始めた。
「早速、クラーケンのもとへ向かいます。飛ばしますよ」
念動力の類なのか、巨大な捕鯨船はエゼの起こす奇跡の力で、港から出港したのだった。
おおよそ三十分後、捕鯨船は巨大イカを一望できる海域まで到着していた。
「デカいな」
まだ遠目だったが、その途方もない大きさに、思わずそう声に出してしまっていた。
日は完全に落ちているたが、自衛隊の巡視艇が、サーチライトの光で巨大イカを浮かび上がらせていた。
おいおい、今は大人しくしているからいいようなものの、あんましイカを刺激しないでくれよ。
しかし、その姿をひと目拝んでみたいと言っていた郁子は、むしろそのライトアップを歓迎しているみたいだった。
「すごーい、やっぱ生で見ないと、分かんないものねー」
「ホントだ。スマホの画面じゃ伝わらないサイズだわ」
郁子の隣でイカを見物していた葵も、一緒になって盛り上がっている。
どうやら、俺の知らない間に仲良しになっていたみたいだ。
盛り上がる二人に、船を動かしていたエゼが声を掛けた。
「これから一旦、この船を自衛隊の使用している港へ着けます。そこで準備をしましょう」
自衛隊と聞いて、俺はすぐに聞き返した。
「その港って、勝手に俺たちが入って行っていいもんなの?」
「ご心配なく、そっちの方は……」
エゼが説明しようとすると、シルが元気よく割り込んできた。
「そっちは私の担当。自衛隊員だって悪魔の魅惑の前では従順な子犬みたいなものよ」
「そうなの? じゃあお任せしとくな」
見た目完全にロリータだが、シルは悪魔の魅惑に溢れている小悪魔だ。そっちの方も心配なさそうだった。
そこで俺は、もう一つ心配になっていたことを、ここで言っておいた。
「多々良さんと葵は、準備が終わり次第、船を降りてもらった方がいいよな」
俺がそう言うと、エゼとシルもすんなり同意してくれた。
「そうですね、安全な所で待っててもらいましょう」
「だよね。船の操舵はエゼ、自衛隊の方は私で、モリヒトは捕鯨銃担当。二人には私たちの活躍を見ておいてもらおうかな」
葵は俺たちの決断に、かなり複雑そうだった。
やっとできた新しい家族が、自分を置いてまた行ってしまう。そう思ったのかも知れない。
「三人だけで行くの? 私たちはもう何もすることは無いの?」
「葵にはまだ捕鯨銃の準備を手伝ってもらわないとね。多々良さんにもエゼとシルの準備をまだ手伝ってもらいたいんだ」
またすぐに戻ってくるからと説得して、不承不承ではあったが、葵は首を縦に振ってくれた。
最終決戦の要である捕鯨銃のことで、俺はもう一度エゼに確認しておいた。
「神器の槍を捕鯨銃のモリに針金で括りつけるんだったな」
「はい。それと使用方法を確認しておかなければいけません」
郁子が葵の肩にポンと手を置いた。
「葵ちゃんの出番だね」
「私はその辺は分かりません。でも、おじいちゃんに電話して聞いてみます」
葵が老人ホームに電話をかけると、おじいちゃんは昔のことはよく覚えているらしく、詳しくモリの撃ち方を教えてくれた。
スマホに音声を録音しておいて、実際の捕鯨銃を触ってイメトレをしてみた。
命中させる自信はなかったが、使い方だけはなんとなく分かった。
「よし、じゃあ槍を括り付けようかな」
新聞紙でくるんでいた槍を出して、モリの先端に、ホームセンターで購入した針金でぐるぐる巻きに固定していった。
暗い中、手元を葵にスマホで照らしてもらいながら作業していると、パキッという音がした。
「あっ!」
力を入れ過ぎて締めすぎたのか、槍の端っこが欠けてしまった。
「あちゃー」
「なにやってるのよ」
欠けてしまった三センチほどの木片を指でつまんで、俺は周りを見回した。
「葵、このこと内緒にしといてくれ」
「え? 隠ぺいするの?」
「あいつを退治する前に神器を傷つけたってエゼに知られたら、きっと怒られる。二人だけの秘密な」
「いいけど、なんだかセコイわね」
妹に口止めして、俺は最後まで作業を終わらせた。
そこにエゼが様子を見にやって来た。
「このとおり、完璧だよ」
「しっかりしてそうですね。これであとは引き金を引くだけ」
「命中させる自信ないんだけど」
「大丈夫ですよ。ある程度方向を定めて撃ってもらえれば、目標までの補正は私がやりますので」
何とも心強い言葉。
しかしこうなってくると、俺って必要ないんじゃないかと思えて来た。
エゼは船をコントロールする役で、シルは自衛隊が設置しだしたロケット砲を担当することになった。
討伐の流れはこんな感じだ。
まず地域一帯をシルの悪魔の魅惑で避難させる。
そして自衛隊員を操り、攻撃の準備をさせておく。
エゼの奇跡を使って船を動かしてもらい、二人のサポートを受けながら巨大イカに近づき、十分引き付けて俺がモリを撃つ。
神器によって冥界のオーラが消失した部分に、シルが自衛隊員をコントロールしてロケット弾を全部打ち込む。
ただの大きなイカとなった怪物は、いい感じにロケット弾で退治される。
とまあ、こんな筋書きだ。
上手くいくかどうかは俺というよりも、二人の技量次第といったところだろう。
これから怪物と対峙しなければならない俺だったが、エゼとシルがいてくれるという安心感からか、何とかなるだろうと、やけくそ気味な度胸すら芽生え始めていた。
午後十時半。
あと一時間半で裁定の時は訪れる。
今のまま裁定を下されたら、俺は史上最悪の罪悪人として名を残すだろう。
そんでシルと地獄暮らしってのも悪くないかもな。
そんなことを考えているうちに出航の時は来た。
シルは悪魔の魅惑を、エゼは天使の奇跡を集中して行っている最中だったので、俺だけが下船した郁子と葵にしばしのお別れを言った。
「多々良さん、ありがとう。多分返せないと思うけど、槍は大事に使わせてもらうよ」
「あんなのいいって、私のじゃないけど間中君にあげるよ」
「じゃあ遠慮なく、活用させてもらいます」
「うん。ね、こっちこそありがとうね」
「え?」
いきなりお礼を言われたので、何のことかと聞き返した。
「助けてくれたんだよね。二回も、それで最初の時に私のために死んじゃったんだよね」
「ああ、いいよ。あれも多分運命だったんだ。気にしないでくれ」
「でもありがとう。無事で帰ってきてね」
「うん。頑張るよ」
そして俺は新しい妹に向き合った。
「葵、行ってくるよ」
「気を付けてね、お兄ちゃん」
「ああ、できるだけな。妹よ」
「硬いって、変だから早く直しなよ」
軽く茶化した葵の目に、わずかに涙が浮かんでいるように見えた。
「葵、おまえ……」
「何でもないよ。いいから早く行きなよ」
尻を叩かれて俺は船に戻って行った。
そしてエゼとシルが操舵室で俺を待っていた。
「準備ができました。行きましょう」
「ああ、行こう。エゼ、シル」
「よーし、あのイカ、ボッコボコにしてやるんだから」
そして捕鯨船は葵と郁子に見送られて港を出た。
少し風の出て来た昏い海。
空に重く立ち込める雲から、ぽつぽつと雨粒が落ちてきだした。
サーチライトで海獣を照らしていた巡視艇については、余計な刺激をしないよう、シルが自衛隊をコントロールして撤退させておいた。
沖に長く伸びる怪物は、ぼおっと白く暗闇に浮き上がり、時折照らす遠くの灯台の明かりに、不気味なヌラリとした光沢を反射させていた。
「怪物だ……」
近づくにつれ、はっきりとしてきたその姿に、俺は本能的な恐怖を抑えきれず震えてしまっていた。
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