第25話 神様のお話

 巨大イカが大型漁船を薙ぎ払ったのを目の当たりにして、ようやく人間は、どえらいものと対峙していることを自覚した。

 どうにかして食ってやろうとしていたのから方向転換し、あの巨大生物を殲滅する方向に政府は舵を切り直した。

 巨大イカは漁船をあちこちに吹っ飛ばしたあと、何事も無かったかのように、また大人しくなった。

 エゼが言うには海底深くにいたため、水圧の関係でまだぼんやりしているのだという。

 そして、恐らく今夜あたり本格的に動き出すだろうと、エゼは天使の奇跡で予言したのだった。

 タイ焼きを食べ終えた後、郁子は俺なんかよりもよっぽど面白そうな巨大イカに関心を持ったのか、直接見に行ってくると言って帰って行った。

 俺はシルとエゼに今晩旅立つ準備をしろと勧められ、悩みながら帰宅した。


「ただいまー」

「あ、お兄ちゃんおかえり」


 先に学校から帰宅していた葵が、普通にリビングでテレビを観ながら寛いでいた。

 お兄ちゃんと呼ばれて、あらためて自覚するも、返事が硬くなってしまった。


「お、おう、ただいま。妹よ」


 葵は俺のおかしな返しに苦笑した。


「ねえ、お兄ちゃん、あのおっきいイカ見た? 漁船を特撮かなんかみたいに張り飛ばしてたよね」

「ああ、スマホの画面で見たよ。ひどいもんだ」

「ねえ、あれの正体って何だか知らない?」


 葵は恐らく、シルとエゼなら知っているのではないかと思っているみたいだ。

 怪物のことも話しておこうかと思っていたし、他にも色々とあったので、取り敢えず話をし易い所へと移動することにした。


「葵、二階で話そうか」

「うん。分かった」


 部屋に入るなり葵は詳しく教えてくれと迫って来た。

 エゼが俺に代わり、その辺りのことを詳しく説明した。葵は驚嘆していたもののすんなりと納得した。

 そして説明を聞き終わった後、葵は落ち着いた口調で、こう言ったのだった。


「なんだか皮肉だな。昨日は私、もういいやって思ってたのに、世界を滅ぼす怪物が現れたって聞いて、なんだか残念だなって思ってる。もう少しこの新しくもらった日常を楽しみたかったなって。でも仕方ないよね」


 俺は葵の言葉に心を動かされてしまっていた。

 それは彼女の口から、生きたいというはっきりとした意思表示を聞けたからだけではない。

 そのまだ幼げな少女がこの日常を愛しみ、そしてこれから起こる現実を受け止めていたからだった。

 俺は自分よりも幼い彼女が静かな覚悟を秘めているのを知り、天国行きのポイントを確保しておこうと、どこかで考えていた自分を恥ずかしく思った。

 これじゃあ兄貴らしくないよな。


「なあ、エゼ、シル、あのイカ何とかならないかな」

「なんとかって、無理ですよ。神様と魔王様が寄ってたかってやっとの怪物ですよ。天界と冥界が動かない限りどうすることもできませんよ」

「そうですよ。あいつはあんな美味しそうな姿だけど、それはもう天災級の化け物なの。私たち下級悪魔と天使が何とかできる相手じゃないわ」


 エゼもシルも揃って首を横に振った。

 どうやら、相談する以前の問題のようだ。


「なあ、さっきは人間には無理って言ってたけど、現代では色々武器だってあるんだ。ミサイルとかで何とかなったりしないかな」

「無理ですね。あいつは冥界のオーラを纏っている厄介な奴なんです。そのオーラを纏っている限り、通常の武器は全く歯が立ちません」

「そのオーラってなんだ?」

「神様や魔王様が纏うオーラです。オーラを纏っている相手には触れることもできません」


 エゼの返答に俺は首を傾げた。

 確かこの前、俺はその魔王様を殴り倒した気がするんだけど……。


「なあ、確か最初の裁定の夜、俺、魔王様を殴っちゃたりしなかったっけ?」

「ああ、あれは油断してらしたからですわ。人間界では魔王様も冥界にいるときほど力を使えないのです。分かりやすく説明すると、冥界にいるときは常に充電されている状態で、人間界では充電できない状態になる。つまり節約して使わないと電池が空になってしまうわけです」

「そうか、それでオーラをオンにしたままにできないんだな」

「ええ、あれは消費が大きいんです。必要な時以外は使わないでしょう」


 それを聞いていた葵は、感心したように手を叩いた。


「すごいじゃない。お兄ちゃんって、魔王をやっつけたの?」

「いや、一発入れてやっただけだよ。ちょっと頭にくることがあって」

「へえ、どんな?」


 そう聞かれて言葉に詰まった。

 シルに手を出そうとしていたから逆上したと言ったら、またからかわれそうだ。

 シルはその時のことを思い出したのか、ちょっと嬉しそうに俺に流し目を送っている。

 俺にちょっと惚れている。間違いない。

 シルがいるなら地獄もいいかも。一瞬血迷ってそんな考えが頭に浮かんだ。


「なに? 赤くなってるけど」

「いや、まあ、それより前向きな議論をしよう。なあエゼ、つまりあいつはオーラを纏っている間は無敵なわけだな」

「おっしゃる通りです」

「魔王様と同じだとすれば、冥界のオーラを出したままだと、いずれ充電が切れるわけだよな」

「まあ、そうゆうことになりますね」

「だったら、充電が切れるまで待てば?」

「それはお勧めしません。長い間あの巨体に充電している筈ですから、恐らくオーラを使い切るまで100年ぐらいかかるでしょう」

「やっぱり無理か……」


 三日で世界を滅ぼすと言ってたのに、100年も持ちこたえられるわけがない。

 そうなるとどうすればいい。

 そこへ葵が素朴な疑問を挟んできた。


「ねえ、大昔、あのイカって神様にボコられたんでしょ。その時もオーラを纏ってたんでしょ」

「そうよ。それがどうかした?」

「オーラを纏ってたら無敵って言わなかったっけ」

「ええ、通常の武器は全く効かないわ。伝承によると武器の名工であるヘファイストスという神が神器を作ったらしいわ。それで奴のオーラに穴を空けてみんなでボコったって記録があるの」

「その神器ってのを借りてきて、ボコっちゃえば?」


 俺は思わず拍手した。単純だが、素晴らしい意見だった。


「葵、お前は天才だ。なあシル、オーラを剥がしちまえば、ただのでっかいイカなんだろ?」

「そうだよ。モリヒトの言うとおりだよ」

「ちょっと借りてきてくれよ。その神器ってやつをさ」

「それが、ちょっと……」


 シルもそうだが、エゼもなんだかその先を言いにくそうだった。


「なんだ? どうしたんだ?」


 やはりそう簡単には持ち出せないものなのだろう。

 神器っていうくらいだから大事に祀ってあるに違いない。

 秘宝を持ちだすには、多分面倒な手続きとかあるんだろうな。

 人間界で当たり前のお役所仕事みたいに、いっぱい申請書類を書かされて、あっちこっちの部署をたらい回しにされた挙句、申請却下とか?

 神様だし、別に金を寄こせとは言わないだろうが、何か見返りになるものを差し出すよう、要求して来たりするのかな?

 勝手に想像していると、ようやくエゼの口からある真実が告げられた。


「その……言いにくいんですけど、ただいま神器は所在不明で……」

「え?」

「つまり、捨てちゃったの。間違って」

「なんだそれ!」


 まさかの申告に、俺も葵も開いた口が塞がらなかった。

 それからエゼは、どうしてそうなったのか、そのいきさつを丁寧に教えてくれた。


「ヘファイストスは、クラーケンに対抗するための神器を一晩で作れって最高神に命じられたの。丁寧な仕事をモットーにしていた彼だけど、一晩で作った神器には彫刻も装飾も施せず、全くと言っていいほど美的な仕上がりにできないまま献上したわけ。まあそんなんでも武器の能力は申し分なかった」

「ふんふん。それで?」

「それで見事イカを倒した後、みんな大喜びで100日間、お祭りをしたらしいの。祭りの後、神器を置いてた場所には何もなかった。下級天使の小間使いが、みずぼらしい神器を他のゴミと一緒に捨てちゃったらしいの」

「すごい話だな。天界って馬鹿ばっかりなのか?」

「まあ、そんでそのままなわけ。ゴミは人間界に捨てたらしいけど、探しもしなかったんだって」


 絶望的な話の後に、俺は一応聞いてみた。


「もう一回作ってもらえたりしないかな」

「それは無理。今はあれを作れる名工は天界にいないんです。悪しからず」


 それを聞いて、俺はあらためて思った。

 どうも最近の神は、質が落ちてきているみたいだと。

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