第24話 イカフィーバー

 海岸沖に突如現れた巨大なイカは、その巨体を揺らしながら悠々とその海域を泳ぎ回った。

 深海に生息するダイオウイカは、大きいものだと20メートル近くになると言われている。

 しかし、突然現れた巨大イカはそれどころではなく、しっかりと測量チームが計測した結果、体長180メートルあることが分かった。

 リポーターが最初に言っていた100メートルの二倍近くの大きさに、水族を専門とする研究者だけでなく、漁師や海洋学者までもが駆り出されて、この怪物の正体を調査しようとしたが、何一つ有力な手掛かりは今のところ得られていなかった。

 巷で様々な憶測が飛び交う中、その巨大生物がなんであるのかを、知っている者が二人だけいた。

 エゼとシル。この二人はあの巨大イカの正体を知っていたのだった。

 午後からの講義をまた一つ終え、中庭に出て三人で紙パックのジュースを飲んでいた時、エゼとシルが例の巨大イカの話をしだした。


「えらいもんが出て来たわね」

「このタイミングで復活するなんて聞いてないよ」


 どうも事情を知っていそうな二人に、俺は何が起こっているのかを尋ねた。


「私たちの仕事はあくまで、間中さんを監視し、裁定を下すことなのですが……」


 何やら緊急事態の匂いがエゼからしてきた。


「あれはただの大きなイカじゃないんです。クラーケンといって冥界の獰猛な海獣なのです。その昔、あまりにひどい暴れ方をしていたクラーケンに見かねた神たちは、あいつを倒すべく決起ました」


 一度話を区切ったエゼの代わりに、そこからはシルが話し始めた。


「まあ、冥界でも手の付けられない化け物だったんで、神と魔王がタッグを組んで寄ってたかってボコボコにしてやったんです。それから海底の奥底に封印したはずなんだけど、なんせ大昔のことで近頃はみんなクラーケンのことを忘れてしまっていたものだから、封印のメンテナンスを忘れていたんだと思います」

「は? やらかしてるじゃないか」

「まあそういわれたら元も子もないんだけど、そういうことなの」


 昔の神や魔王はやり手だったみたいだが、最近のやつらは相当たるんでいる感じだった。


「そんでその冥界の猛獣をこの先どうするんだ?」

「んー、どうするんだろ」


 シルもエゼもその辺りは何にも知ら無さそうだった。


「また神様と魔王様が力を合わせてボコボコにしてくれるんだよな」

「どうかなー、最近神様と魔王様はあんまし仲良くないし、昔みたいに威厳もないしヘタレだし」

「シルの言うとおりね、私の見立てでは見て見ぬふり。つまり人間たちで何とかなさいって感じじゃないかな」

「そうなのか? で、俺たち人間で何とかなる代物なのか?」


 その質問に紙パックのジュースを飲み終えたシルとエゼは、腕を組んでしぶーい顔をした。

 そしてエゼの口から、あんまし聞きたくなかった返答が帰って来た。


「まあ無理だと思います。万に一つも勝ち目は無いでしょう」

「そんなに手強いのか!」

「ええ。あいつはかつて、たった一体で神と魔王の軍団とやり合った最悪の海獣です。今の人間の力では恐らく……」

「恐らく……」

「よく持って三日、目覚めたばっかりで今はぼおっとしてるみたいだけど、そのうちに本気で世界を滅ぼしにかかるはずよ」

「マジか! ポイント稼いでも無駄じゃないか」

「そういうことです。さっさと善行ポイントを稼いで、今晩でも天国に召されることをお勧めします」


 そうアドバイスしたエゼに、シルは不満たっぷりに文句を言い出した。


「なに勝手なこと言ってんのよ。モリヒトは私と地獄に行くんだから」

「あら、彼がそう言ったのかしら」

「まだ聞いてないけど、ねえモリヒト、そうだよね。私と一緒に地獄だよね」


 女の子に誘われるっていうのは本当に気分がいいものだ。

 しかし、それが地獄だというとまた話は変わってくる。

 シルと楽しいことの続きをしたいが、色香に惑わされて間違った選択をすれば、これからのアフターライフを棒に振ってしまうだろう。


「シル。君の誘い、ホント嬉しいよ。でも慎重に考えさせてくれ?」

「なに? 私一択じゃなかったの? さてはエゼと隠れてなんかしたな!」

「フフフ、おあいにく様だったわね、シル」

「やっぱりそうか! このゲス野郎!」


 勘違いしたシルと、それを弄んで愉しむエゼ。

 天使に翻弄され、悪魔に汚く罵られた俺は、自分のこともそうだが、これから起こる未曽有の大惨事を目前にし、真面目に悩んでいた。



 そして午後四時過ぎ、大学帰りにタイ焼き屋でタイ焼きを頬張る俺たちは、気になる巨大イカのその後をスマホで眺めていた。

 待ち伏せするように合流した郁子も、俺の横でタイ焼きを頬張っている。

 事情を知らない郁子は、調子よくイカに関する情報を教えてくれた。


「なんか、漁師さんたちが網をかけるって。捕まえて美味しく頂こうって漁協が提案したら、農林水産省がそうしようって決めたんだって」

「マジか? あいつを食べるってのか?」

「そうらしいよ。なんでも市場でイカの値段が暴落してるんだって。まだ捕まえてもないのにイカフィーバーになってるんだって」

「お気楽だな……」


 タイ焼きの餡の甘さを味わいながら、俺はスマホの画面を凝視していた。

 隣で覗き込むように郁子も目を凝らしている。

 シルとエゼは初めての粒餡の甘さとタイ焼きの芳ばしさに、泣くのが忙しくてそれどころではないようだ。

 配信されている映像は生中継のもののようで、今まさに大型の漁船が巨大イカを取り囲み網をかけようとしていた。


「これってマズいんじゃないのか……」


 そう呟いた瞬間だった。

 ドローンの映像は信じられないものを視聴者に届けた。

 大きく海が揺れて、何十メートルもあるようなイカの足が跳ね上がったかと思うと、まるで子供の玩具か何かみたいに、大型の漁船はことごとく宙を舞ったのだった。

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