第23話 それは突然に

 朝から偶発的な覗きをしてしまった俺は、貯めてしまった悪行ポイントを挽回するべく、とにかく誰かれ見境なしに挨拶をして回った。

 窓を拭いて回り、知らない奴の重そうな鞄を運んでやり、心にもないお世辞を適当に言い回って、大学の連中をいい気分にさせた。

 そして勿論、三倍ポイントの恩恵を受けるための努力も欠かさない。


「エゼ、今日の君は何というか普通じゃない美しさだ。君のような美人で優秀な天使が近くにいてくれて俺は幸せ者だよ」

「まあ、そんな見え透いたお世辞なんか言って、いやだわ」

「いや、お世辞なもんか。素直な俺の本心さ」

「まあ、お上手なんだから」


 ポッと頬を紅色に染めたエゼに、俺は内心ほくそ笑む。

 あらためて説明すると、天使や悪魔に関わる事でポイントが発生した場合、基本ポイントの三倍のボーナスポイントがもらえる。

 従って、エゼをいい気分にさせたら、とっても美味しいポイントの恩恵にあやかれるのだ。


「ちょっとなによ!」


 エゼをいい気分にさせていると、そこにシルが割り込んできた。


「なんでエゼばっかり褒めてんのよ。私にも色々あるでしょ。言ってみなさいよ」

「いや、困ったな」


 シルを褒めると悪魔信徒と見なされて、三倍のマイナスポイントが付く。

 それだけは避けなければならなかった。


「えっと、ごめん。それは今度ね」

「馬鹿!」


 なんだか拗ねてしまった。そうゆう所も可愛い。

 そんな小悪魔の心情を逆撫でするように、エゼは勝ち誇ったようにシルを見下した。


「フフフフ、シル、おあいにく様」

「くーっ」


 すまない、シル。善行ポイントが貯まったらまた埋め合わせをするよ。

 その後、ポイントに多少の余裕のある俺は、二日ぶりに講義に出ることができた。

 エゼもシルも堂々と学生に混ざって講義に出て、大あくびを何度も繰り返していた。

 そしてシルとエゼが、待ちに待っていたランチタイムがやって来た。

 郁子も合流して、学食名物のデミハンバーグ定食を四人で堪能した。


「んま過ぎよ。天才シェフがこの厨房にいるのね」

「間違いないわ。またまた堕落させられちゃった」


 テーブルに涙の痕をいっぱいつけて、二人は定食を堪能し終えた。

 郁子は勿論美味しそうに食べていたものの、二人の反応に首をひねっていた。


「あんたたち、なんか食べるたんびに、いっつも泣いてるけど、いったいどうしたの?」

「仕方ないじゃない、泣けてくるんだから」

「涙に値する価値のある芸術品よ。分かるでしょ」

「いや、ちょっと分かんないんだけど」


 噛み合わない会話をそこそこした後で、郁子は俺のことを突っ込んで聞いてきた。

 どうやら昨日のことがあったので、余計に関心を持ったみたいだ。


「ねえ、間中くん、やたらと善行に励んだりしてたけど、実はなんか理由があってやってるの?」

「え? いや、そういうわけじゃないんだけど」

「二重人格って線でもう書き始めてるんだけど、あれから良いことばっかりしかしてないじゃない。悪いことをしてもらわないとそこそこ退屈な話になっちゃうんだけど」


 この娘にとっては俺の善行とかよりも、話が面白くなるような盛り上がるイベントが欲しいのだろう。

 昨日までの俺ならば、この作家かぶれの娘から、また逃げ出していたかもしれない。

 しかし、この紅縁眼鏡の娘の存在が、何か一つの大きな歯車のように思えて、少なからず俺自身も、郁子に関心を持ち始めていた。


「まあ、そこは色々足して面白くしたらいいんじゃないかな。そのまんまだときっとつまらないよ」

「そうかな? ねえ、ひょっとして、私の知らない所で面白いことになったりしてるんじゃないの?」


 なかなか鋭い。見事な嗅覚だと言えた。

 もしここにいるのが一度死んで生き返った男で、ポイントのバランスでかろうじて生き延びている男だと知ったら、そのネタのインパクトに飛びついてくるだろう。

 おまけに天界と冥界からの使者がついて回ってると知れば、なおのことだ。

 俺はこの奇妙に絡み合った糸に絡みついているような娘を、どう扱っていくべきかと真剣に考えていた。

 葵も含めて俺たちは、まるで何かに導かれるように集まって来た。

 それは俺の中で、絵空事ではない確信に近いものになっていた。


「ねえ、隠し事はナシよ」

「え? ああ、そうだね」


 俺は嗅覚鋭い郁子から目を逸らして、何気に目を向けた食堂のテレビにくぎ付けになった。


「なんだあれ……」

「え? なになに、どうしたの?」


 郁子も同じようにテレビに注目して顔色を変えた。

 呆然とテレビ画面を見つめる俺と郁子に続いて、丁度テレビに背を向ける感じで席に着いていたシルが、振り返って画面に目を向けた。


「エゼ、大変だわ」

「どうしたの、シル」


 エゼも振り返ってテレビに目を向けた。


「なんてこと……」


 お昼時のいつもの学生食堂。

 決まってくだらない情報番組のチャンネルを映し出しているその画面に、今日はおかしなものが映っていた。

 速報のテロップが流れている。ドローンからの映像だろうか、海岸線の映像が画面には映っていた。

 穏やかなはずの風のない海。

 そこにはおかしな生き物がいて、信じられない姿を海面に浮かび上がらせていた。

 それは誰もが見たことのある姿かたちで、普通なら取り立てて驚くものではないものだった。

 しかしそれはあまりにも大きすぎた。


「イカ……なのか」


 海岸線に突如現れた巨大生物。

 誰もが馴染みのある美味しい生き物は、推定体長100メートルと報じられた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る