第21話 そして二度目の裁定を

 シルと葵がさっぱりとしてお風呂から上がってくると、さっそく俺はさっきエゼと相談していた内容を葵に打ち明けた。

 話をするにあたって、俺たちのことを話さなければ辻褄が合いそうにないので、いつか記憶を消すという前提で、エゼは了承してくれたのだった。

 突拍子もない話に困惑する葵に、俺はつたない語彙力を総動員して、それでも足りない所は、シルとエゼに補ってもらいながら、何とか最後まで聞いてもらった。


「……というわけなんだ」

「いや、聞いても理解できないんだけど」


 当然の反応に、俺が困っていると、エゼとシルが余裕をもってフォローしてくれた。


「私たちが何者なのか、彼が何者なのか、もうしばらくしたら葵ちゃんにも分かるわよ」


 二人は壁に掛けられた時計を見てそう言った。時計の針はあと十分で十二時を指す。その時にまた裁定の儀式が始まるのだ。


「ああ、そうだったよな」


 別に今の時点で葵に理解して貰わなくとも良かったわけだ。

 頭の上に浮かぶ、例のあれを目の当りにしたら、流石に葵も信じるしかないだろう。

 今日一日の終わりを迎えるにあたり、シルが何もない空間に俺のポイントを確認しだした。


「今、98ポイントですね」

「ああ、さっきエゼから聞いたら100ポイントあったから、窓から唾を飛ばしといた」

「ナイスです。これで明日のデミハンバーグは頂きだわ」

「ああ、美味いぞ。期待していいからな」

「フフフフ」

「フフフフ」


 不気味に笑いあって、あと五分という時だった。

 葵を見ていて、ふと思いついた疑問を、俺は口に出していた。


「あ、そうだ、着替えってどうしたんだ?」

「ああ、お母様のを貸してもらいましたけど」


 葵は答えずに、シルがそう答えた。

 確かに、葵が身につけている部屋着は母のものに間違いない。

 縦のサイズはいいけれど、横のサイズが華奢な感じの葵にはフィットしていなかった。

 俺は何の悪気もなく、余計な心配をしてしまった。


「そうか、でも下着はどうしたんだ? 母さんの胴の太さじゃいくら何でもサイズが合わないだろ」

「えっと、それは、その……」


 代わりに答えようとしたシルが、どう返そうか言葉を探している。

 その間に葵の顔がどんどん赤くなっていく。

 俺はそこでやっと察した。


「あ、ひょっとして……」

「エッチ!」


 ビンタが飛んできた。

 張り倒された頬がいい音を立てているのを感じながら、俺は同時にマズいことを聞いてしまったのを痛感していた。

 そして一方で、女子中学生に平手打ちを貰うという初体験により、心に新しい風が吹き抜けていた。


「ああっ!」


 シルが叫んだ。

 何もない空間を見つめて唖然としている。

 その横でエゼもその空間を覗き込む。


「何てこと……」

「え? どうした? ポイントが変動したのか?」


 この土壇場でポイントが変わるのは歓迎できない。

 はっきり言ってだいぶ焦った。

 そしてシルが口を開いた。


「悪行ポイントが加算されました。中度のセクハラ50ポイント。未成年ボーナスでさらに40ポイント。軽度の心的外傷10ポイント。そこからビンタを食らってお悔やみポイントがちょっと帰ってきて、マイナス2ポイント」

「というと、えーと」


 俺は両手の指で、いま自分のポイントがどうなっているのか、必死で勘定した。

 もどかしい俺の計算能力を待たずに、エゼが保有ポイントを教えてくれた。


「98ポイントが相殺されて、現在ゼロポイントです。完全にバランスの取れた状態に戻りました」

「またか!」


 仰天している俺の頭上に、目に見える数字のカウンターが現れた。

 裁定の時が訪れたのだ。

 葵は、俺の頭上にいきなり現れた光るカウンターに、大口を開けたまま呆気に取られている。


「裁定を始めます」


 そう宣言した後、シルとエゼは立ち上がり、並んで何もない空間のそろばんをはじきだした。

 俺の頭上のカウンターが、目まぐるしく変化し始めた。


「うそ……」


 さっきまで半信半疑だった少女は、その光景を目の当たりにして、目を丸くしていた。

 そして、驚嘆は、やがて好奇心へと変化していく。

 順応することに柔軟な、この年頃だからこその特権と言えるのではなかろうか。

 そして大幅にマイナスだった数字は一気に動き出し、最後はゼロになったのだった。


「裁定は下されました!」


 シルとエゼが声を合わせてそう言った。


 俺の頭の上のカウンターがひときわ眩しく光る。


「ポイントゼロに付き裁定は持ち越されました」


 こうして慌ただしい一日は終わったのだった。



 自分の目でおかしなものを見てしまった少女は、その余韻に、しばらく言葉を失っていた。

 だが目を逸らすことのできない現実を前に、その不思議な現象を柔軟に受け容れた。

 そして、これからしばらくはここにいないかという提案を、少女はあっさり了承した。

 施設に戻るよりもこちらにいる方が面白そうだと言って、あまり深く考えもせず決めてしまった葵に、言い出しっぺの俺の方が、これでいいのだろうかと考えさせられた。

 立て続けに辛い体験をしてきた彼女には、この提案はそれほど大したものでもなかったのかも知れない。


「私、ここから学校も通えるし、全然問題ないよ」

「そうか。まあ前向きなのはいいことだ」

「ね、私ここの子供ってことになってるんだよね。何とかの何とかってやつで」

「悪魔の魅惑よ」


 シルが適当な葵を諭す。


「じゅあ、二人は私のお姉ちゃん? でもシルはそんな感じじゃないかな」


 葵は、あまり身長も変わらない、幼さなげな体つきのシルを見て、そう判断した。


「失礼ね、こう見えてもあんたより年上よ」

「そうなの? じゃあお姉ちゃんだね。お姉ちゃんって呼んだらいい?」

「シルでいいよ」

「私はエゼで」

「じゃあ私のことは葵って呼んでね」


 女子会議はさっさと終わった。そして葵は俺に向き直った。


「ねえ、お兄さんの名前は?」

「ああ、守人だけど」

「モリヒトか、そう呼ぼうかな」


 そう葵が決めかけた時に、シルが口を尖らせて異議を唱えた。


「ちょっと、それは私がモリヒトを呼ぶときに使ってんの。ズカズカ入ってこないでよね」


 シルは自分に優先権があるのだと主張し、葵を退けた。

 え? ちょっとジェラシー感じちゃってるのか? やっぱりシルは俺のことをちょっとだけ好きなのか?

 俺はついつい顔が緩んでしまうのを感じてしまっていた。

 はた目から見たら随分だらしない顔をしていたに違いない。


「ふーん、そういうことなんだー。じゃあしょうがないよねー」


 葵はニヤニヤしながらシルと俺を何度も見た。

 思春期の女子なら、こういった場面に、おのずと興味を惹かれるだろう。


「じゃあ、私はお兄ちゃんって呼ぶね。自然でしょ」

「ああ、そうだな……」

「お兄ちゃん」

「えっと、なんだい、妹よ」

「硬い硬い。もっと肩の力抜きなよ」


 なんだか急に妹ができた。

 これからしばらくは俺と二人の監視者で、この少女の様子を見ていこう。

 こうして葵は俺たちと合流した。

 裁定される男の家に、見習い天使と見習い悪魔、そして突然できた女子中学生の妹が暮らすことになったのだった。

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