第18話 今いる場所の意味

 険悪な三人の女子の間に入った俺は、何とか燃えさかっていた怒りを鎮めることに成功した。

 大騒ぎしてしまったドーナツ店を、女子三人は反省しながら俺に続いて出て来た。

 結局何も話し合えなかったこの先の計画を、四人は歩きながら練り合った。

 まあ、昨日のように悪行ではないので、郁子がいたとしても話はできる。

 ただ、天使の奇跡や悪魔の魅惑を、大っぴらに見せるのは避けなければならない。

 それにしても、今のペースで頑張ったとしても、昨日と同じく大逆転がない限り、あの世行きからは逃れられそうもなかった。

 エゼの出してくれた案は効率的で素晴らしかったが、それでも現状、悪行が9万3千ポイントあると聞かされた。

 一発逆転を狙える何かがあればいいのだが、そんなもんは当然ながらその辺に転がっていない。

 そんな中、意外な意見が多々良郁子の口から出て来た。


「そんなに人助けしたいんなら、うちに来ますか? うち葬儀屋なんで、ご遺族のケアとか雑用とか色々あるんです。今日は込み合ってて人手があると助かるんですけど」


 そのひと言で、悩んでいたエゼの表情がパッと明るくなった。


「それで行きましょう。早速案内してください」


 電車に揺られて三十分ほど、郁子の家は確かに葬儀屋だった。

 今晩通夜があるらしく、いろいろバタバタしていそうだった。


「服はこっちで用意しますんで、ベテランのスタッフについて手伝ってください」


 そう言い残して、郁子は奥に話を通しに行った。


「これは、瓢箪から駒といったところですね」


 邪魔者がいなくなったのを見計らって、エゼは意味ありげに説明しだした。


「生きている者に施しをした場合、ポイントは通常のままです。しかしこの世から旅立とうとしている者は、我々と同じ扱いの倍率でポイントがもらえるのです」

「三倍って事か?」

「いかにも。そして、それに携わる親族、関係者、勿論葬儀屋もその恩恵にあずかります。ここで善行を積極的に行えば徳も上がり、さらに三倍増しの恩恵も受けることができます」

「そういうことか。よし。頑張ろう。そんで故人と親族の役に立とう」

「その意気です。ただ天使のわたくしは良いのですが、シルは……」


 エゼが何かを言いたげにシルに目を向けると、シルはなんだか青い顔をしていた。


「どうしたシル、顔色が優れないみたいだけど」

「なんか気持ち悪い……」

「シルは悪魔ですので神聖な儀式に対して拒否反応を起こしてしまうのです。まあ死にはしませんけど」

「そうなのか? 大変だな」

「私、ちょっとどっか行ってるね。終わったらまた呼んで頂戴」

「分かったわ」


 シルが去って行ったあと、俺は黒服を借りて、葬儀屋の仕事を手伝った。

 ボランティアで手伝いたいという変わった大学生を、みんな手厚く歓迎してくれた。

 勝手の良く分からない俺に、手本を見せてくれるのは柳田という、五十代くらいの小柄なおじさんだった。


「君がお嬢さんの言ってたボランティア希望の子か。今時珍しい学生さんだね」

「はい。もう、人の役に立ちたくて。よろしくお願いします」

「こちらこそ。じゃあ早速……」


 頼まれる仕事はいくらでもあった。

 葬儀に関する仕事というものに当然ながら関心のなかった俺だが、出席する人たちを気遣いながら、短時間でかなりの仕事をこなさなければいけないことを知った。

 時間に追われながら仕事をこなし、通夜に集まった人たちに、繊細な気遣いをする。今日一日で、こうして第一線で働く人たちに何度頭が下がる思いを感じただろうか。

 成り行きとはいえ、貴重な体験をした今日という日を、俺は何度となく振り返り、考えさせられたのだった。


 日も落ちて、まだ忙しくなるからと順番に休憩を取っていた時だった。

 色々教えてくれた柳田さんが、慣れないことを頑張って疲れていそうな俺を気遣ってくれた。


「お嬢さんと同じ大学の学生さんだってね、いま何回生だい?」

「一回生です」

「へえ、ひょっとしてお嬢さんのボーイフレンドかい?」

「いえ、違いますよ」


 どう見たらそう見えるのだろう。的外れもいい所だった。


「そうかい、でも君も変わった子だね。きっとボランティアも色々あるんだろうけど、葬儀屋のボランティアをしたいなんて今まで初めてだよ」

「そりゃそうですよね」

「まあ今日はちょっと参列者も多くって忙しいから助かったよ。でも忙しいだけで、今回の葬儀はいい方だよ」

「いいって?」


 少し引っ掛かりのある、意味深い言葉に、俺は聞き返した。

 柳田さんは、その意味を丁寧に教えてくれた。


「故人様は普通にお亡くなりになった方だからさ。十分長生きして皆に惜しまれながら見送ってもらえた。いい最後さ」

「そういうことですか」


 悲しいはずの故人との別れも、視点を変えれば色々あるのだなと知った。


「中には俺たちプロでも目を背けたくなるほどの葬儀もある」


 ベテランスタッフは、手にした湯飲みに口を付けて渋い顔を見せた。


「こういった仕事をしていると、必ず立ち会うことがあるものなんだけど、若い人が亡くなるのは一番辛い。そのうえ残された家族が子供ならなおのことだ」


 ベテランのこの人でさえ、仕事として割り切れないことがあるのだ。当事者ならば、その苦しみは計り知れないだろう。

 

「それは……辛いですね……」

「ああ、ほんの二か月前そんな葬儀をうちでやったんだ。若い夫婦が交通事故で亡くなって、残された中学生の娘さんが号泣しててさ、人の死に立ち会ってきた俺たちも、とてもじゃないけど見ていられなかった」

「それって……」


 俺の頭の中には、あの少女の顔が浮かび上がっていた。

 たった一つ、いいねをもらって笑顔を見せたあの少女。

 まさか、ここであの少女の両親の葬儀が……。

 聞くべきかどうか迷ったが、聞かずにはいられなかった。


「原口……ではなかったですか、その亡くなった夫婦の姓は……」


 俺はベテランスタッフの顔色が変わったのを見て、返答を聞く前にその答を知った。


「どうしてそれを……」


 不可解なことに出会ってしまった人の顔だった。

 きっと俺も、今そんな顔をしているに違いない。

 ポイントを稼ぎたいがために辿った道。

 偶然に出会った少女と、俺の辿りついたこの場所は重なった。

 ただ生きるために足掻きもがいていた俺は今、どうしてここに立っているのかという理由を初めて意識した。

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