第17話 ややこしい女ふたたび
いったいどういう嗅覚をしているのだろう。
ドーナツ店を訪れた俺たちの前に、あの作家かぶれのややこしい女子、多々良郁子が再び現れたのだった。
「あっ!」
ドーナツ店の自動ドアが開いた瞬間、鉢合わせになった俺と郁子は同時に驚いて声を上げた。
「見つけましたよ」
「見つかってしまった」
店内に入った俺たちの後に続いて、恐らく今食べ終わったばっかりの郁子もついてきた。
ここであったらもう逃がさない。
紅い縁取りの眼鏡の奥の目には、獲物をロックオンした強い光があった。
四人掛けの席。俺の座る席の隣で、注文したドーナツと飲み物を前に、郁子はこちらを睨んでいた。
一息入れたかったのに、妙な居心地の悪さがある。
それにしても、振り切って来たとシルから聞いて安心していたのに、ここで鉢合わせになるとは、やはりこの人、普通の人ではないのだろうか。
一抹の恐ろしさを覚えつつ、チラと隣を見るとやはり睨んでいる。
逃げ出したことを、相当根に持っているようだ。
「私を避けてるんでしょ!」
ストレートに聞いてきた。そのとおりなのだが、そこは人間として最低限の気遣いを見せた。
「いや、いろいろ忙しくってさ。ごめんね」
「おかげでさんざん歩かされた。おまけにさっき食べたのにまたドーナツ食べてるし。太るっての」
別にそれらどちらも俺に責任はないのだろうが、だいぶ腹に据えかねているようだ。これ以上ややこしくならないように、俺は作家かぶれの機嫌を取っておくことにした。
「まあ、ここで会えたしさ。あれでしょ、小説のネタだったよね。今こうしていることを書いたらいいじゃない」
「ドーナツ店でドーナツお替わりしてるののどこが面白いのよ。つまんねーって読者から飽きられるのがオチよ」
「いや、そんなハラハラドキドキな展開は、ドーナツ店で起こらないと思うよ」
「分かってますよ。だからイライラしてるんじゃない」
やりにくい娘だ。しかし今まで全く女と縁がなかった俺が、三人の女子たちとこうしてドーナツを食べている。
目の前には初めて味わうドーナツに無言で感涙しているエゼとシル。
そしていったい幾つめのドーナツなのか知らないが、不機嫌な顔で齧りついている眼鏡女子。
おかしな組み合わせだが、それぞれ三人とも、外見に関しては可愛い女の子だった。
「うー、曇ってきた」
ホットコーヒーの湯気で前の見えなくなった郁子は、眼鏡を外してから紙製の眼鏡拭きでレンズを拭き取り始めた。
俺はその横顔を見て、またちょっとした発見をしていた。
まつ毛が長い。鼻はそんなに高くないけど形がいい。少しそばかすがあるな。そこもこの娘のチャームポイントか……。
「なんですか」
眼鏡をかけ直して郁子が聞いてきた。
俺は慌てて視線を逸らす。
あんまり異性をまじまじと見てしまっていたのを、本人にも前の二人にも気付かれたくなかった。
「それでこれからどうするんですか? 予定を聞かせてください」
「えっと、まあそれはこれから話し合うつもりで……」
「これから? じゃあ、私も話し合いに同席させてもらいます」
なんでそうなる。多分これからの展開を自分なりに面白くしてやろうと考えているのだろう。
変に口を出されると、善行を行うのに相当支障が出てきそうだ。
俺はドーナツを齧りながら、その甘さとは反対に苦い顔をしてしまっていた。
そして、おやつの間だけでも普通に寛ぎたくて、当たり障りないことを聞いてみた。
「ねえ、多々良さんっていつもどんな小説書いてるの」
「そうですね。まあ主にミステリーですね。と言っても推理小説とかじゃなくって、ちょっと不思議な感じのやつ」
「SFってこと?」
「まあ大筋はそんな感じです。この前書いたのは、悪魔に魂を奪われた男が、復讐して魂を奪い返す話でした」
その話にシルはすかさず反応した。
「そんなの取り返せるわけないじゃない!」
その剣幕に、一瞬たじろいだ郁子だったが、すぐに小説にケチをつけられたことに対して、感情的に抗議した。
「なによ。そんなのわかんないじゃない」
「無理なもんは無理だっての!」
シルは一歩も退く気は無さそうだ。それはそうだろう。何せその道の専門家だ。
しかし、一歩も退く気がないのは、郁子も同じだった。
「あんたに何が分かるのよ!」
「何もかもよ! そんなの常識だっての」
言い争いになった。
ドーナツ店の店内で、険悪なのはこのテーブルだけだった。
周囲のお客さんの注目を集めてしまい、何とかしなければと焦っていると、エゼが口元についた粉砂糖を紙ナフキンでスッと拭いて、やれやれと言った顔をした。
「はいそこまで。あなたたち、場所をわきまえて慎むように」
落ち着いた感じで仲裁に入ったエゼのお陰で、掴み合いの喧嘩にならずに済んだ。
「お二人とも、こういった共有スペースを利用するマナーが分かってらっしゃらないようね。小さいお子さんやお年寄りが気持ちよく使えるよう、大人として配慮すべきじゃありませんか?」
なんだかできる人みたいにエゼが見えた。今日のエゼはなんだか輝いている。
「まあ悪魔の話はもうよそうよ。それで他にはどんな?」
シルの機嫌を勘案し、俺は話題を悪魔から変えようとした。
郁子もちょっと反省したのか、気を取り直して別の小説の話を始めた
「そうですね。その前に書いたのは堕落した天使の話。清らかなイメージの天使だけど、実は性悪で男を退廃させていき、最後に天界から追放されるって物語です」
たったそれだけの筋書きだけで、エゼの顔色が一変した。
「もういっぺん言ってみろ!」
「なに? どうして怒ってんの?」
今度はエゼが真っ赤になって怒り出したので、郁子はまたも戸惑いを露わにした。
「クソみたいな話を作りやがって、いい加減やめちまえ!」
「なによ! 読んでもないのに批評する気?」
「読まなくっても分かるっての。一文字目で駄作決定よ!」
えらい剣幕で怒り出したエゼ。
渾身の作品を馬鹿にされて怒り心頭の郁子。
また怒りが再燃したのか、乱入していきそうなシル。
ドーナツ店の一角で、ヒステリックな女たちの怒号が響く。
本当はこのまま三人を置いて出ていきたい気分だったが、そういうわけにもいかない。
命のカウントが刻一刻と短くなっているのに、俺は全く蚊帳の外に追いやられてしまっていた。
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