第16話 小さなその重さ
子供たちと一通り遊んだ後、ズボンに土がつくことを気にせず、俺は広場の一角でへたり込んでいた。
久方ぶりに本気で駆け回った19歳の体は、見事に疲労困憊だった。
「頑張りましたね。お疲れ様」
クタクタになった俺に、エゼが労いの言葉を掛けてくれた。
少し元気を取り戻して、エゼにポイントの確認をすると、予想以上の好成績だった。それでも10万ポイントを相殺するにはまるで足りていない。
「もうここでは、あまりやることはありませんね」
エゼはへたばったままの俺に「そろそろ行きましょうか」と促す。
なんとなく名残惜しさを感じながら、俺たちは施設を後にしようとした。
正面玄関に続く廊下を通っていると、子供たちのいた部屋から一番離れた奥の部屋に、一人で床に座り込んでスマホを弄っている少女がいるのに気付いた。
エゼとシルが素通りしていったその部屋の前で、何故か気になった俺は、立ち止まってその少女に目を向けた。
「行きましょう。あまりゆっくりはしてられませんよ」
「ああ、分かってるんだけど、あの子どうしたのかな」
エゼは俺の視線の先にいた少女に目を向けてから、俺の背中を押した。
「気になるのなら、行ってきなさい」
俺はそう言われて、少女のいる部屋に足を踏み入れた。
「や、やあ」
相当ぎこちなくなってしまった。
ちっさい子供ならともかく、おおよそ中学生くらいの思春期の少女に話しかけるのは勇気がいるもんだ。
俺が予想した通り、スマホを弄っていた少女は、チラと俺を見ただけでまたスマホに目を戻した。
話しかけるなというオーラが出ているのが、鈍い俺にもはっきり分かった。
この場合どうしたらいいのだろう。
「邪魔して悪いね。いや、なんか、退屈そうだし話でもって思ってさ」
「そう見えますか?」
あなたに関心はありませんよ。スマホに目を落としたままの少女の口調にはそんな響きがあった。
はっきり言って小生意気なガキだった。
こういった手合いは普段なら絶対に避けて通る。
だけどどうしてなのか、無視し続けるこの感じの悪い少女から、俺は目を背けることができなかった。
「まあ、適当に聞いてくれよ。実は俺、先生じゃないんだ」
「えっ!」
流石に意外だったのか、スマホから目を離して、少女は驚いた顔をした。
そして、先生ではないのなら誰なんだと言わんばかりに、警戒心を覗かせた。
俺がいきなりこんなことを言い出したのは、相手の気を引くためというのもあった。
しかしそれよりも、大人に不信感を抱いていそうな少女に、自分を偽ったままではではいけないのではないかと感じたからだった。
対等な関係でないとこの少女とは話せない。そう思ったのだ。
「いや、警戒しなくっていいんだよ。実は近くの大学に通う学生なんだ。気味が悪いかもしれないけど、俺は今、誰かの役に立とうと活動してるんだ。まあいってみればボランティアみたいな感じだよ」
「そんな人いるんですか?」
「ああ、現にここにいる。今日は老人ホームで奉仕活動をしてからこっちに来たんだ」
「一人で?」
「いや、おまけが付いて来てる。あの二人だよ」
俺は部屋の入り口でこちらを見ている二人を指さした。
シルとエゼは視線を向けた少女に軽く手を振った。
「まあ、あの二人は俺に指示するだけ。体を動かすのは俺一人なんだけどね」
「ふーん」
スマホ以外まるで関心のなかった少女は、少なくとも俺と女子二人に何らかの関心を持ったみたいだ。
少女の気が変わる前に、俺はそのまま話を続けた。
「なあ、ぶっちゃけ、俺は良い行いに飢えているんだ。君が何かして欲しいことがあるなら、俺は喜んで手伝いたいんだけど、どうかな」
「変な人だね。そりゃいっぱいあるけどさ」
「ああ、それを言ってくれ」
俺の注文に、少女は間髪入れずにこう要求した。
「お金欲しいな」
「なんだよ。いきなりカツアゲかっての」
「今のは冗談。お兄さんお金持ってなさそうだもんね」
そのとおりだが、ちょっとカチンときた。
「いいから別のやつ頼むよ。あんまし難しくないやつをさ」
「じゃあさ……」
少女は手にしていたスマホを俺に向けた。
ネットにアップされた動画のようだ。
友達か誰かに撮ってもらったものだろう、画面には少女が歌を歌っている映像が流れていた。
「ほう、バンドか?」
「うん。転校する前、友達とやってたバンド。へたくそだったけど、まあまあみんなで頑張ってたんだ」
「そんで俺は何をしたらいいんだ?」
「登録して、いいね押してよ」
「は? やらせじゃないか」
「いいと思ったら押してって言ってんの。無理に押さなくってもいいから」
「ほんじゃあ、まずは拝見させてもらいますか」
俺は自分のスマホを出して、言われた通り動画をしばらく鑑賞した。
「どう?」
最後まで歌を聞き終えた俺に、少女は聞いてきた。
「ああ、はっきり言って、まだまだだな」
「やっぱりそうか……」
「でも、なかなか勢いがあって良かったぞ。この調子で続けろよ」
俺はスマホの画面をグイと押して、いいねを一つつけてやった。
すると少女の顔がパッと明るくなった。
「やった。100貯まった」
「100って、それだけ?」
「いいでしょ。私にとっては悲願だったんだから」
「そうか、すまない。まあ、俺もポイントに関しては偉そうなこと言えた義理はないんだけどな」
そして、やっと笑顔を見せた少女にお別れを言った。
「じゃあな」
「うん。ありがと」
軽く手を振って教室を出た後、ポイントを確認すると、20ポイント入っていた。
「あいつは目標を達成したけど、俺のはまだまだ気の遠くなる道のりだな」
「いいじゃないですか。さあ切り替えて頑張りましょう」
エゼが前向きに後押しをしてくれた。
玄関で靴を履いていた時に、俺はこの施設の職員に声を掛けられた。
「すみません。葵ちゃん見ませんでしたか?」
「葵ちゃん?」
「中学生の、先月からここへ来た子ですよ」
中学生と聞いて、さっきの子のことだと、なんとなく分かった。
「あの子なら、玄関からすぐ右手の部屋にいましたよ」
「そうですか。分かりました」
俺の横を通り過ぎていこうとした女性職員を、何故だか俺は引き留めた。
「あの、あの子ってどういった感じの子なんですか?」
「あら、先生知らないんですか?」
「はい。実はよく知らなくって」
女性職員は親切なのか、ただの話好きなのか、葵と呼んだ少女のことを詳しく教えてくれた。
引き取られた叔父夫婦の家で性的ないたずらをされそうになり、養護施設で引き取られることになった。
学校も変わり、住む環境も激変し、ほとんど誰とも口を利かず心を閉ざしたまま、いつも彼女はうわごとのように、前の学校でバンドを組んでいた時に作った曲を口ずさんでいた。
彼女にとっての心のよりどころは、先ほど目にした動画だったのだろう。
俺はあの時に押した一つだけのいいねに、言い尽くせないほどの重みがあったことを知った。
「はあー」
ため息が自然と口から出た。
これから相当頑張らないとあの世に送られてしまうのに、どうもやる気が湧いてこなかった。
「ちょっと休憩しましょうよ」
「やった。休憩だ」
エゼの提案にシルが喜ぶ。
今は四時前。シルはお腹がすいているようで、おやつに期待しているみたいだ。
不思議なことに、そんなシルを見ていると、また気分がスッと軽くなってくる。
この二人はやっぱり不思議な存在だ。またそう思った。
「よし。今日はドーナツ食いに行こう」
「ドーナツ! やった!」
またテンションが爆上がったシルに、俺もつられてしまっている。それはまあまあ心地よい感覚だった。
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