第15話 先生と呼ばれて
エゼに連れられて児童養護施設にやってきた俺は、いきなり戸惑っていた。
それはエゼの天使の奇跡で、俺がこの施設の先生として、みんなに認識されてしまったからだった。
「ねえ先生、弟が泣いてるんだけど」
最初にそう声を掛けられて、いきなりどうしていいのか分からなくなった。
取り敢えず、小学校低学年くらいに見える、おかっぱの姉に手を引かれて、泣いている弟の様子を見に行った。
教室の隅で、確かに弟は大泣きしていた。
幼稚園児くらいの弟は、悲しくて泣いているというのではなく、泣くことで何かを訴えかけている、そんな感じだった。
「どうしたんだい?」
俺は小さな彼の背丈に合わせるようにしゃがみこんだ。
泣きじゃくっていた弟は、ようやく落ち着いて手の甲で涙を何度か拭った。
やっと話を聞いてくれる大人が現れたことで、男の子は話し始めた。
「大事にしていたグローブがなくなって……」
「グローブ?」
「去年サンタさんから弟がもらったの」
小学生の姉が補足してくれた。
「えっと、どんな色だったかな?」
「青」
「水色でしょ」
また姉が弟を補足する。
姉に聞いた方が早そうだったが、話を聞いてやるのも大切なことだと思い、二人の話に耳を傾けた。
そしておおよそ全貌が見えてきた。
将来野球選手になりたいと憧れている弟の圭介は、去年のクリスマスに施設を訪ねてきたサンタから水色のグローブを貰った。
殆どの子供たちは玩具を貰っていた中で、彼のグローブはみんなから珍しがられた。
大概は貸してくれとひと言あるのだけれど、姉が言うには勝手に使ってしまう子供も数人いるらしかった。
おやつの時間になって、一旦みんな戻って来たのに、グローブは彼のもとへ返却されていないという。
多分使った子が、施設のグラウンドとかに忘れてきたのだろう。
「探してくる。待っててくれ」
そう言い残してグラウンドに出てみると、話にあった水色のグローブだけでなく、バットもボールも放ったらかしにされていた。
俺はそれらを持って、また教室へと戻った。
「これだよね」
「うん。そうこれ」
弟はあっさり機嫌を直すと、走って部屋を出て行った。
「ありがとう。先生」
「いや、どういたしまして……」
弟に代わって姉がお礼を言ってくれた。しかし先生と呼ばれると、くすぐったい感じがするものだ。
そして、それから俺は主に小さい子たちと遊んでやることをメインに、つかの間の先生を堪能したのだった。
お年寄りに比べて、子供たちの注文は整理できていないものが殆どで、具体的に何をすればいいのか分かり辛かった。
例えば、遊んで欲しいと言われて、ゲームの相手をしてやると、たまたま勝ってしまった俺に、ポカポカと小さなげんこつが飛んで来た。
この場合は、ゲームをするのが彼の希望ではなく、勝っていい気分になりたいというのが正解だったようだ。さらに言えば、負けっぱなしではなく、彼が飽きない程度にこちらがいい勝負をしてやらなければならない。
ここの先生たちは、毎日大変だな。
老人ホームでも思ったことだが、そこで働いているスタッフに、頭が下がる思いだった。
「エゼ、そろそろ一時間じゃないかな」
「ええ、そのくらい経ちましたね」
これくらい頑張れば、また成果が数字に表れているはずだ。
「ポイントどうなった?」
「3千200ポイント貯まりました。いいペースですがもっと頑張らないといけませんね」
「そうだな。先は長いな」
やはり、効率よくポイントは貯まっていた。しかし、俺の抱えている負債はこれくらいではビクともしない。
「疲れたけど、いい気分だよ。昨日とはえらい違いだ」
「間中さんは、悪行に向いてないんですよ。性に合うか合わないかはその人の資質で決まりますから」
「資質って?」
「心そのものと言っていいでしょう。よく性根とかと呼ばれているあれです」
「ふーん、性根を叩き直すとかいうあれか」
「そうです。でも、性根は本来変わりません。いわばその人そのものなのです」
エゼと話しながら休憩していると、さっき遊んでやった子供たちが走ってきた。
「ねえ先生、鬼ごっこやろうよ」
「鬼ごっこか……よし、やるか」
「フフフフ、人気者ですね」
エゼに見送られ、俺は小学校以来の鬼ごっこをすることとなった。
最近あんまり走っていなかったのでスタミナが心配だったが、子供に負けたくないので頑張った。
子供たちに混ざって、子供の様に駆け回っている守人を眺めていたエゼの傍に、ようやく眼鏡女子を振り切って来たシルが戻って来た。
「エゼ、何してるの?」
「シル、遅かったわね」
ポイントを稼がなければいけない男が、夢中で子供たちと鬼ごっこをしているのを見て、シルは険しい顔をしていた。
エゼは口元に柔らかい笑みを浮かべながら、シルに経緯を話して聞かせた。
「ふーん、お年寄りの次は、子供たちってわけか」
「そういうこと。大学で善行をするより、需要のある場所で対応する方がビッグチャンスの可能性があるって踏んだわけ」
「順調なの?」
「そうとも言えないわ。確かにポイントの入り方はかなりの速さだけど、10万ポイントを相殺するには、ビッグチャンスが到来するのを待つしかないわ」
「そんなに上手くいくのかな」
シルはエゼの横に座って、守人の走る姿を一緒に眺める。
「ねえシル、私、少し気になっていることがあるんだけど」
「え? 何を?」
「あなたも気付いてるんじゃない? 彼の異常さに」
エゼが引っ掛かっているそのことについて、シルは一つ頷いて肯定した。
どうやらその気懸かりは、二人にとって共通のもののようだ。
「あのプラスマイナスゼロだったことだよね」
「おかしいと思わない? かつてそんな例は一度だってなかった」
「そりゃおかしいよ。でも今こうして目の前でポイントを地道に何とかしようとしてるじゃない。いかにも普通だよね」
「それがそうじゃないのよ」
エゼは何もない空間を指さした。
そこには裁定者しか見ることのできない数字が並んでいた。
「昨日の時点で魔王様を殴って、あの人の最終ポイントは相殺され、ほんの少しプラスになった」
「うんそうだね。ここに12ポイントと出ているよね」
「そう。今見ているのは昨日の裁定した時の数字よ。でもこれを見て」
エゼは指で別の画面に切り替えた。
その瞬間、シルは顔色を変えた。
「これは……いったい……」
「分かったでしょ。昨日の夜、彼は私たちがいなくなった不安から、泣き叫びながら住宅街を徘徊した。そして私の使った天使の奇跡で眠らせた地域外までその喚き声は届いていた」
「それってつまり、迷惑ポイントが見過ごされていたって事なのね」
「そう。昨日六人の地域住民が彼の喚き声で目を覚ました。つまり異例ではあるけれど、あの裁定はあとで訂正され書き換えられたの」
「六人かける2ポイント、合計マイナス12ポイント……」
「つまり、ゼロってこと……」
シルはエゼの説明を聞き終えて愕然としていた。
「何らかの力が働いている。そう考えないとつじつまが合わない」
エゼは子供たちと走り回る守人を目で追いながら静かにそう言った。
「本人も、恐らく天界や冥界の誰も気付いていない何かが起こっている。私はそう思ってる」
エゼの言葉にシルは何も言わなかった。
奇跡は二度起こった。
そして、もし三度目が起こったとしたら……。
エゼとシルはその時、自分たちが向き合っているものの大きさを、おぼろげに感じ始めていたのだった。
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