第10話 そして裁定は下された

 シルを襲おうとしていたのは、あの黒い方のじいさんだった。


「あれ? どうしてじいさんがここに?」

「じいさんじゃない! 魔王様と呼べ!」


 プライドが高いのか、早速呼び方一つで癇癪を起こし出した。

 歳を食ったら角が取れて温厚になっていくという説は、誰にでも当てはまるものではないらしい。


「悪かったな!」


 怒った。つまりやっぱり俺の考えは見透かされてるってことだ。

 また、何にも考えないでおかないといけないのか。

 いや、しかし、こいつがシルをたぶらかそうとしてたのは疑いのない事実だ。

 現行犯のロリコンの分際で俺に説教しようとは、たとえ魔王といえども許し難い。

 どうせ死ぬことだし、ひと言悪態をついてやろうと口を開きかけた。


「全部聞こえてる。誰がロリコンだ。わしはシルに何もしとらん」

「嘘つけ。今まさにそんな感じだったじゃないか」

「だから、それは誤解だって。わしもつい腹が立ってこいつにキツいことを言ってしまったが……」


 俺はシルに目を向けて、そうなのかと確認した。


「はい。魔王様のおっしゃる通りです」

「ほんとに?」

「はい」


 しかしシルは何で怒られていたんだ? 酒を飲んだからか? 俺と変な関係になろうとしていたからか?


「いや、そういうわけではないのだ」

「あの、勝手に頭の中を覗くの止めてもらえませんか?」

「うむ、そうだな。確かに人間界に来たら、わしもあんまり力を使うべきではないかも知れんな」


 魔王様は珍しく俺の言うことに耳を貸してくれた。


「まあ、ちょっと気になって覗きに来たわけだよ。お前がシロかクロのどっち側になったのか」

「ホントに? 今朝は相当めんどくさそうだったはずじゃあ」

「いやそんなことはないよ。もう気になって気になって」


 嘘をついている。はっきり顔にそう書いてあった。

 なんだか裏がありそうな雰囲気が、このじいさんからプンプン臭ってきていた。


「いや、冗談でしょ。白いじいさんと共謀して、俺をあの白黒の場所に捨てて行こうとしてたじゃないか」

「いや、だからその……」


 分かり易く冷や汗を流している。絶対に何か隠している。俺は確信した。


「まあいいや。魔王様がわざわざ俺のとこに来て、しかも様子が変だったってことを、死んでからあの世で聞いて回ろう」

「おい、それはやめようよ。噂になるじゃないか」

「じゃあ、教えてくださいよ。このままじゃ死んでも死にきれない」

「うぬぬ、足元を見よって、仕方ない……」


 余程まずいことなのか、魔王様は観念してシルに話してやれと命じた。

 シルは一つ頷いて、ことのあらましを教えてくれた。

 つまりはこういうことだった。

 世にも珍しい白でも黒でもない状態であの世に送られてきた俺を、あの時、白い神と黒い魔王はどうするか話し合った。

 そして普段暇を持て余していた神様と魔王様は、この男で賭けをしようじゃないかと盛り上がったのだった。

 黒の側に行けば魔王様の勝ち。白の側に行けば神様の勝ち。

 けっこうお互いに大事なものを賭けたみたいで、ことの成り行きをシルとエゼのそれぞれから聞く手はずだったらしい。

 そしたらいきなり、俺が10万ポイント獲得したと知らせを聞いて、神様は大笑いしたそうだ。

 そして俺が絶対悪いことをすると余裕をこいていた魔王様は、見事に足元を掬われたのだった。

 人間界に直接偉大な神や魔王が干渉することはできないという暗黙のルールがあるため何も口出しできず、セコイ悪行ポイントをチマチマ稼ぐ俺に、魔王様はイライラを募らせた。

 その上、見習い悪魔のシルは予想をはるかに下回るポンコツで、ろくなアドバイスもせず飲み食いをしている始末。

 逆転を願っていた魔王様はとうとう我慢できなくなって、何やってんだと直接シルを叱りに来たのだった。


「というわけです」


 シルは自分の不甲斐なさを反省しているのか、涙を浮かべながら全てを語り終えた。

 その涙を見て、俺は無性に腹が立っていた。


「なあ、魔王様、一言いいか?」

「ああ、特別に許す。手短にしろ」


 その言い草が余計に頭にきた。


「言わせてもらうが、あんたは間違ってる」

「何だと?」

「何だとじゃねえ! だいたい賭け事をして儲けてやろうってセコイ考えを持ってたのはあんただろ。それに巻き込まれたシルとエゼが可哀想だろ」


 勢いに乗った俺の口からは、ドンドン調子よく言葉が飛び出してくる。


「シルは一生懸命やったよ。セコイポイント集めも飽きずに付き合ってくれた。それに飲み食いして悪いか? 女の子は普通そうやって楽しむもんなんだよ。俺だってシルにいっぱい思い出をもらったんだ。生まれて初めて体験することを、今日だけでシルにはいっぱいもらったんだ。それを自分の都合で操作しようとしやがって、たった一日だったけど、これは俺の人生なんだ。お前のものじゃない。悪いかってんだこの野郎」


 唾を飛ばして言い放った俺を、魔王様は憎々しげに睨みつける。

 そしてその顔に冷たい笑いが浮かんだ。


「今の無礼は忘れてやる。どうやらこの世を去る時が来たみたいだぞ」


 俺の頭上がぼんやりと光った。

 見上げると数字が浮かんでいた。

 どうやら零時になったみたいだ。


「では、これまでの記録を照合する。シル、エゼ、ポイントを提示してこの者に裁定を下せ」

「分かりました。裁定を始めます」


 いつの間にかエゼもやって来て、シルと共に何もない空間のそろばんをはじき始めた。


「天国行きか……」


 ボソリとつぶやいた俺に、魔王様は冷笑混じりの声を上げた。


「馬鹿なやつだ。そんなわけないだろ」

「どういうことだ?」


 やれやれしょうがないと、魔王様は説明するのもくだらないと言った感じで、今俺の身に起こっていることを、さらりと言ってのけた。


「お前は、わしという至高の存在を殴った。それがどれほどの罪か分からないのか?」

「まさか……」


 俺の頭上にある数字のカウンターがすごい速さで減っていっていた。

 8万ポイントあった俺のプラスポイントは、ゼロとなり、マイナスに転じた。そしてそのマイナスの数値はすごい勢いで桁を増やしていっていた。

 その数値は、簡単に読めないほど桁を増やし続けた。


「そんな……」

「そういうわけだ。悪いな、賭けに勝たせてもらって」


 言葉もなく立ち尽くす俺に、魔王様は悪魔の素顔を覗かせた。


「ようこそ、地獄へ」


 ニタリと悪魔のように笑ったその顔は、冥界の住人に相応しい笑みだった。


「ではわしは帰るとするか」


 魔王が立ち去ろうとしたその時だった。


「お待ちなさい!」


 制止したのはエゼだった。


「裁定はまだ下されていません。ここから検討し、熟考し、精査してまいります」


 エゼはシルの横に並び、話し合いながら、そろばんを弾いていく。


「魔王様を殴ったのは1千万ポイント。しかし相手が至高のものと知らずに手出ししたのを差し引いて8百万ポイント」

「しかも、冥界からは出て来てはいけない掟を破ってあなたは地上に来た。過失は魔王様にもありますね。さらに半分差し引かせてもらいます」


 シルとエゼの作業が進むにつれて、俺の頭上の数字の桁がドンドン減っていった。


「さらに賭け事のために人間を利用していたことも勘案しないといけません」

「自分の楽しみのために見習い悪魔を利用しようとしたことも差し引かれますね」

「さらには神と結託しての口裏合わせ。おまけに雇った見習い悪魔へのパワハラ。それをさらに隠ぺいしようとされましたね」

「いや、そういうつもりじゃなかったんだ」

「だまらっしゃい!」


 エゼは見習い天使だが、悪魔側には手厳しかった。


「それらは全部、ことの起こりを誘発したとして、基本的なポイントから削られます。当然ですわ」


 さらにエゼは忘れてはならない、特別に適応されるポイントについての説明をした。


「そしてこれは至高の方に関わる事例です。五倍の上乗せと、我々使者の上乗せでさらに三倍を計上いたします」


 空間に向かってそろばんを弾いていた二人の手が止まった。

 エゼとシルはお互いの顔を見て一つ頷いた。

 そして最後に、二人はニタリと怖い笑みを浮かべた後、魔王様に向かってこう言い放った。


「裁定は下されました!」


 俺の頭上に浮かんでずっと目まぐるしく変わっていた数字がピタリと止まった。

 きっとこの時見たその数字の輝きを、俺は一生忘れないだろう。

 俺は天を仰ぎ見ながらそんなことを考えていた。

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