第5話 エゼの計画

 洋菓子店を出て、取り敢えず、家に帰ることにした。

 帰る途中で唾を吐き、石ころを蹴り、落書きをしたりと、涙ぐましいささやかな抵抗を俺は続けた。

 エゼは呆れ顔で俺の行動を冷ややかに観察していたが、シルは俺のセコイ悪行に飽きもせずアドバイスをくれ続けた。

 天使はささやかな悪行にさえ不快感を示し、悪魔は逆にこういった小さな悪行にも、それなりの価値や面白さを見いだせるのかも知れない。

 そこは、きっと人間とは違う特別な感覚があるのだろう。

 外見は人間そのものだが、二人は間違いなく特別な存在なのだ。

 それから、細かい悪行を行いつつ帰宅した時には、夕方五時を回っていた。


「ただいまー」

「ああ、お帰り」


 パートに出て、いつも俺よりも帰りの遅い母だったが、道草を食って帰った俺たちより、早く帰宅していた。

 母は俺の後ろに付いて来た二人に、いきなり目を丸くした。


「えっ? 守人、どういうこと?」

「ああ、友達だよ。サークルの」

「あら、そうなの? そりゃそうよね」


 まあ、生まれてこの方、女の子を家に連れてきたことなど無いのだ。

 この反応が正しいと言えるだろう。

 友達だと聞いて、やや母をがっかりさせたみたいだったが、いつか俺も胸を張って彼女を家に連れてくるつもりだ。まあ、今のところ、そんな予定はないけれど。


「まあ、上がってくれ」

「おじゃまします」


 二人は母に会釈してから、俺について階段を上がった。


「ここでちょっと待っててくれ」


 狭くて汚い俺の部屋。二人を部屋の前で待たせ、速攻で片付けた。

 勿論エッチなやつをだ。


「お待たせ」


 部屋に通すと、二人ともちょっと嫌な顔をした。


「汗臭い……」

「犬みたいな匂いがする……」


 そう思ったとしても、相手のことを考えて口には出さないものだ。

 汗臭い犬と表現されてかなりへこんだが、エチケットとして消臭スプレーをいっぱい噴いておいた。


「マシになったか?」

「うーん、まあそこそこ」


 二人ともまだ不満げではあったが妥協してくれた。


「さてと……」

「あ、部屋を片付けて2ポイント獲得です」


 さっき唾を吐いたのがこれで消えた。

 いい事をしないようにするというのも、なかなか気を使うものなのだ。


「なあ、エゼ、さっきケーキを食べながら言ってたあれ、上手く利用できないかな」


 エゼはササッと手で胸を隠した。


「いや、しないよ。同意なしでそれをするのは俺のポリシーに反する」

「同意なしでするからポイントがいっぱい貯まるわけですよね」


 エゼは警戒感をありありと漂わせながら、俺を猜疑心に満ちた目で睨んだ。

 シルはやっと気が付いたようで、何度か納得したように頷いた。


「成る程。天使見習いに手を出せばマイナスポイントが貯まるって寸法か。この際やっちゃってください。私は後ろ向いてますんで」

「いや、しないよ。ていうか止めろよ。いくらなんでもだろ」

「エゼの心が傷つくだけだし、いいじゃないですか。ささ、辱めてやってください」

「シル! あんた他人事だと思って」


 エゼは憎々し気にシルを睨みつけた。


「間中さん。実は言ってませんでしたが、この悪魔見習い娘を手ごめにしたら、悪魔と交わったってゆうキツーイ悪行認定がなされるんです。この機会にがっぽり悪行ポイントを稼がれては?」

「なによ、あんた。私を生贄にして美味いもん食おうって算段してんじゃないわよ。このアバズレ!」

「何ですって、あんたこそ私の操と交換に、飲み食いしようって魂胆なんだろ。このチビ!」


 天界と冥界の使いとも思えぬ下品な言葉で罵り合って揉めだした二人を、俺は仕方なしに止めに入った。


「まあまあ、その辺で」

「てめーは引っ込んでろ!」

「大体あんたが、あの女を助けたのがいけないんだろ! てめーのせいだぞ!」


 怒りの矛先がこっちに向かって来た。

 確かにそうだったので何にも言い返せなかった。

 しかしこの二人、頭に血が上ると極端に口が悪くなるな。

 女の子に口汚く罵られるのって、こんな感じなんだー。

 ちょっとした初体験をしてしまい、俺は変態的な幸福感にしばし包まれた。

 しかし困った奴らだ。刻々と死刑宣告の時間が近づいているというのに、当人を放っておいて二人は長々と揉めていた。


「このビッチめ……」

「ちびガキのくせに……」


 さらに罵り合ったあと、まだお互いに睨み合っていたが、いい加減疲れたのか、大人しくはなった。


「なあ、二人とも、争っててもこのままだとこの世から撤退しなければいけなくなるのは確実だ。そうなると二人は食い倒せないし、俺は未練をいっぱい残してしまうわけだ。どうだろう、ここは三人で力を合わせて乗り切らないか?」


 エゼとシルはお互いの目を見ずに、口を尖らせたまま握手した。

 食い意地だけで仲直りできる二人を見て、本当に意地汚いやつらだと感心した。


「それでどうしますか」


 シルが特にいい案も思いつかない感じで俺に振って来た。

 勿論俺はなんも浮かんできていなかったので、エゼに助けを求めた。


「そうですね。まずシルを使って悪行ポイントを稼ぎましょう。悪魔にいい思いをさせればさせるほど、悪の信徒と見なされ悪行ポイントを稼げます。シル、あんた何かして欲しいこととかない?」

「そうねー、今日はちょっと歩いて足が疲れちゃったから、マッサージでもしてもらおうかなー」

「マッサージか、お安い御用だ」


 早速足を揉もうとすると、シルは目を細めて冷たい視線を俺に投げかけてきた。


「言っときますけど、変なとこ触んないで下さいね」

「分かってますって。神に誓って触らないって」

「そこは悪魔に誓って頂戴」


 という感じで俺はシルの小間使いみたいされてしまった。

 足を揉んだだけで30ポイント稼いだ俺は、ポイント三倍のお得さを痛感していた。

 そしてシルを接待しつつ、さらなる効率化を求めてエゼに辛く当たることにした。

 天使を蔑めば、これも悪の信徒と見なされるのだ。


「邪魔だ、どけ」


 狭い部屋で寛いでいたエゼを足でどかせた。

 すかさずエゼが俺を睨みつける。

 エゼも同意の上の仕打ちだったが、本気で怒っていそうだった。


「いまので15ポイント。もっとエゼに辛く当たってやりなさい」

「シル……覚えてなさいよ」


 奥歯をギリギリと言わせながら、エゼは二人を睨みつけた。

 シルは全くどこ吹く風と、また俺にさらなる接待を求める。


「ねえ、ちょっとまたお腹すいたんだけど、コンビニ行って、いい感じのパンといい感じのジュース買ってきてよ」

「え? いい感じってどんなの?」

「それは自分で考えろってんだタコ。さっさと行ってこい」

「あ、私も欲しいな」


 エゼが食い物に敏感に反応した。

 俺はポイントが欲しくて心を鬼にした。


「甘えんじゃねえこのアバズレ。欲しけりゃ自分で買ってきな」

「くーっ!」


 こうして順調に三倍の速さでポイントは貯まっていった。

 シルにコケにされる劣等感と、エゼに恨まれるうしろめたさ。

 死にたくない一心で、プライドも何もかも捨てて邁進するだけだった。

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