第2話 テイクツー

 大学へ向かう大通り。

 見慣れた街並みが、いきなり目の前に現れた。

 気が付くと、そこそこ急ぎ足の人ごみの中で、俺も人の列に混じって歩いていた。


 おお、戻ってきた。


 死んだと思ってあきらめていたのに、きっちり生きて戻ってこられた。

 これも、あのどう見ても俺の事を嫌っていそうな、シロとクロのじいさんたちのお陰だ。

 それにしても、けっこう粋な計らいをしてくれたものだ。

 俺は生の喜びを噛み締めつつ、またあの事故のあった交差点へと向かっていた。

 俺が戻ってきたのは、あの事故が起こる三分前の世界。

 あのやたらと偉そうだった白と黒のじいさんたちは、話し合いの結果、俺に善行、あるいは悪行を行わせるために執行猶予をくれた。

 即興で決めたルールだったがこんな感じだ。

 仕切り直しをするにあたり、善悪の中間点で絶妙なバランスを取っている俺を、一日単位で自由に行動させ、善行と悪行のポイントを集計するのだという。

 集計は深夜零時きっかりに行い、その結果、善悪どちらかが100ポイントを超えた場合、即あの世行きになる。

 善行100ポイントを超えたら天国。反対なら地獄という分かりやすいシステムだ。

 そしてズルをしないように監視役を二人つけられた。

 一人はシロの側から、もう一人はクロの側から。

 優秀な奴は出払っていて、二人とも見習いらしい。

 簡単な仕事だからと左遷同様に俺についてきたのは、見習い天使のエゼと、同じく見習い悪魔のシルだった。

 二人とも、それはそれは不満そうな顔で、いま俺の後ろに付いて来ている。

 馬鹿でもできる仕事だと仲間からコケにされて、嫌々やっている感じだった。

 まあ、見張られてはいるが、俺はこの世にこうやって戻ってこれたのだ。

 100ポイントを貯めて天国に行きたいと思う奴もいるかもしれない。

 しかし、俺は死ぬにはまだ早すぎる。

 紹介が遅れたが、俺の名は間中守人まなかもりひと。大学生で、まだ十九歳。やりたいことは山ほどあって、それらをまだ殆ど達成していない。

 女の子とデートしたこともないし、彼女と手を繋いだこともない。キスだってしたことないし、その先の楽しいことも何にもしたことがない。

 ちょっと異性とどうこうしようというのに偏っているが、俺の歳ならそんなもんだ。

 このまま青春を謳歌することなく死んでたまるか。

 天国行きはあと五、六十年後くらいでいいんだ。

 それまでは生きてやる。あのじいさんたちが即興で作ったルールを逆手に取ってな。

 俺は腹の中でヒヒヒと笑っていた。

 あのじいさんたちの決めたルールだと、つまり100ポイントに満たなければあの世に送られることはないのだ。

 うまーく善行と悪行のポイントをコントロールして毎日を過ごせば長生きできる。

 おまけにこのくっついて来ている二人が、俺のポイントをカウントしてくれている。こいつらに現状のポイントを確認しながら生活すれば、まず安心だろう。

 なあに、ちょっと気を付けてればいいだけさ。

 そう思ってた。


「もうすぐまたあれが起こるのか……」


 少し先で歩行者信号が青に変わった。

 俺は小走りで人をかき分け、さっさと横断歩道を渡り始めた。

 先に渡っておけばあの事故を見なくて済む。

 人命救助は、10万ポイントだと、あのシロクロの間で聞かされていた。

 前回と同じように、女子大生を助け、車に衝突されて死んでしまえば、人命救助に自己犠牲のボーナスで30万ポイントが付き、その場で天国へ直行だ。

 よしんば死ななかったとしても、人命救助をすれば10万ポイントを貰えるわけだから、今晩十二時にはあの世行きだ。

 スマホに夢中になって横断歩道を渡っていたあの女子大生は、今俺の後方にいる筈だ。

 申し訳ないが今回は助けない。勿論良心は痛むが、こっちも死活問題なんだ。許せ。


 そういうわけで俺は横断歩道を渡り切って、その先へ向かおうとした。

 そう、向かおうとしたんだ。

 だけどなんで振り返ってしまったのだろう。

 明滅し始めた歩行者信号。

 スピードを落とさずに突っ込んでくるあの忌々しい白い商用車。

 俺は馬鹿なのか。

 踵を返して足が勝手に女子大生に向かって駆けだしていた。


 ドン!


 大きな音ではなかった。

 勢いよく飛び込んだ俺は、女子大生の体にタックルする感じになっていた。

 そして仰向けに倒れこんだ彼女の背負っていたリュックが、丁度クッションになってくれた。


「いたたた」


 紅い縁取りの眼鏡をかけた女の子は、何が起こったのか分からない様子で、覆いかぶさる俺の顔を吃驚した顔で見ている。

 やがて、上に重なったままの俺の体を、力いっぱい突き飛ばした。


「なにすんのよ!」


 女の子は全く周りが見えていない様子で、完全に変態か何かを見る目でそう言い放った。

 やがて、周囲で一部始終を見ていた人たちが駆け寄ってきて、俺たち二人を助け起こしてくれた。


「大丈夫か? 怪我はないか?」


 サラリーマン風の男性が、俺にそう声を掛けてくれた。


「ええ、今回は大丈夫そうです」


 そう応えると、男性はちょっと引っ掛かったのか、少し怪訝な表情を浮かべた。


「ありがとうございました。もう大丈夫です」


 今回は死なずに済んだ。男性の後ろにはシルとエゼがいて、呆れた顔でこちらの様子を窺っていた。

 一安心したのもつかの間、通行人に助け起こしてもらった女子大生は、イヤホンを外すと、眼鏡の奥で俺を睨みつけながら、ヒステリックな声を上げた。


「あの人です。あの人が突然私に抱きついてきて……」


 俺を指さして非難しようとしたときに、彼女はようやく気付いたようだ。

 白いバンが対向車線に停車中のバスとぶつかっている事に。

 助けに飛び込んだ俺をよけようとして、ハンドルを切ったのだろう。

 事故を目の当たりにして、やっと何が起こったのかを理解したみたいだった。


「あの、私、その……」


 何か言おうとしている女子大生に、俺は背を向けた。

 申し訳ないが、今ここでじっとしている訳にはいかないんだ。

 警察が来て事情を聴かれたりでもしたら、貴重な時間を失うことになる。


「10万ポイント……」


 あの世への階段が、俺の歩く先に、はっきりと見えた。

 いったい何をやったらポイントを相殺できるのだろう。

 自分で招き寄せた終焉を前に、俺は気を失いそうになりながら、とにかく走り出した。

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