第2話 プロの仕事

 彼の姿が消えるや否や、私は部屋へ駆け込んだ。まず窓を全開にしてから山のような衣類と目立ったゴミを、今は物置になっている子ども部屋へ隠した。それから普段のニ倍の速度でシャワーを浴び、洗濯済みと断言できるシャツとジーパンに着替えた。もちろんブラもした。ジーパンに腹の肉が乗っていることに衝撃を受けたけれど今は構っている時間はない。久しぶりに眉を描き、リップを塗ったところでちょうどインターホンが鳴った。


 私は何事もなかったかのようにドアを開けて来客用のスリッパを出し、それを丁重に断って持参したスリッパを履いた青年も初めて来訪したかのようににこやかに廊下を歩いた。


「では、台所の掃除から始めますね。横山様はどうぞご自由にお過ごしください」


 簡単な説明の後、彼は早速仕事に取り掛かった。私はとりあえず仕事用の机に座ったものの、彼の様子が気になって何も手につかなかった。上着を脱ぎ、水色のエプロンをつけた彼の顔は先程までとは打って変わってとても大人びて見えたので、私はとうとう席を立ちカウンター越しに話し掛けた。


「あの」


「はい」


 見上げた彼の顔に子犬の笑顔が浮かび、そのギャップに年甲斐もなくキュンとする。


「あ、手を止めなくていいです。作業を見てたら邪魔かしら?」

「いえ、嬉しいです」

「嬉しい?」

「はい、やる気が出ます」


 変な子。でも面白い。私は珍しく自分からコミュニケーションを図った。


「お話しても大丈夫?」

「もちろんです」

「えっと、名前……」

「谷岡です。谷岡賢志たにおかけんじ

「谷岡さん……賢志君でもいいかしら」

「皆さんそう呼んでくださいます」

「そう、良かった」


 彼の偽りのない笑顔にグンと距離が縮まった気がして心が弾んだ。


「じゃあ遠慮なく賢志君って呼ばせてもらうね。賢志君は随分若く見えるけど、いくつなの?」

「十九です」

「十九!」


 まさかのダブルスコア! 姉ちゃん、気持ちは嬉しいけどいくら何でも若すぎるよ!


「この春就職したばかりで、今日初めてひとりで作業するんです。ベテランじゃなくてすみません」


 肩をすくめ頭をペコリと下げた彼の手元は滑るように動いて見る間にシンクの水垢を消していく。正にプロの仕事だ。


「いやいやどうして、なかなかの仕事ぶりじゃないですか。一流の職人さんですって」

「ホントですか? やった!」

 素直に喜ぶところが可愛らしい。私はいつの間にかこの青年との会話が楽しくなっていた。


「こんな言い方あれだけど、若い男の子が家事代行って珍しいんじゃない?」

「そうですね、僕の働いている職場では他にいません」

「なんでまた? あ、いけない質問だったかしら?」

「いえ、全然。僕、おばあちゃんっ子で、小さい頃からおばあちゃん……えっと祖母ですね、その家事する姿を見て育ったんです。それがまた手際が良くて、その頃の僕には魔法に見えたんです。特に料理は絶品で。だから僕もそういう人になって、大人になったらおばあちゃんを楽させてやりたいって思ったんですよ」


 そこまで言うと、賢志は僅かな時間手を止めた。

 

「それで、調理科のある高校に入って調理師免許取ったんです」


「すご〜い!」


 私の半分の年齢の子がこんなにも明確な目標を持って生きていることに、私は純粋に感動した。


「おばあちゃん、喜んだでしょ?」

「えーっと、二年前に亡くなったのでこの姿は見てないんです」


 あっと息を呑んだ私に向かって賢志は慌てて手を振った。


「あ、大丈夫です。気にしないでください。僕の中でおばあちゃん、いや祖母は今でも生きてますから」


「おばあちゃんでいいよ」


 賢志は照れ臭そうに笑った。


「僕を産んでくれたのは母ですけど、今の僕を作ったのはやっぱりおばあちゃんで……そのおばあちゃんが死ぬ間際に言ったんです。私の代わりに大勢の人を幸せにしてくれって。だからそれが僕の新しい目標になりました」


 私は胸が詰まって次の言葉が見つからなかった。暫しの沈黙の後、その代わりを彼が担った。


「横山様はどんなお仕事をされてるんですか?」

「え、私? ああ、私はアクセサリーを作ってて」

「あの机のところにあるのですか? 後で見てもいいですか?」

「もちろん」


 その後も賢志は流れるように作業を進め、掃除が終わると和食の惣菜をてきぱきと七品も作り上げた。味見したそのどれもがとても懐かしく優しい味わいで、彼のおばあちゃんの料理を食べているような錯覚を覚えた。


 約束の三時間が過ぎて帰り支度を終えた賢志を作業机に招き寄せると、彼は私の作品を食い入るように見つめ感嘆の声を上げた。

 

「うわー、綺麗ですねえ! これは宝石ですか?」

「宝石とまではいかないの。天然石って呼ばれてて、宝石みたいに高くないから気軽につけられるのよ」

「そうなんだぁ。あ、このケースに入っている石を組み合わせてアクセサリーにするんですね。凄いなあ。触ってもいいですか?」

「もちろんどうぞ」


 原石を掌に乗せて目を輝かせる賢志の横顔は、仕事中とは違って少年の顔に戻っている。私は何だかそれが嬉しくて饒舌になった。


「今賢志君が持っているのがアクアマリン。薄い水色が綺麗でしょ? 三月の誕生石よ。その隣がガーネット。安いのは黒っぽいけどこれは透明感があっていい石なの。その隣はアメシスト。比較的安価だし人気があるからよく使うのよ」


 私の言葉のひとつひとつに感心する賢志は、次に机の上の作りかけの桜の髪飾りを指差して、持ってもいいかと目で訊いた。私が頷くと泡でも掴むようにそっとそっと持ち上げて掌に収め、目の高さで四方八方から観察した。


「どうやってできているのか僕にはさっぱりわかりませんが、この飛び抜けた美しさは理解できます。素晴らしいです! 横山様は素敵なアクセサリーでお客様を幸せにするプロなんですね」

 

「え? プロ? 私が?」


「はい。これを手に入れて嬉しくない女の人はいないと思います。」


 何それ! やばいんだけど!


 賢志の飾りのない褒め言葉に、私は図らずも胸が熱くなった。


「そっか。そんなふうに言ってもらえると嬉しいわ。そうだ、今日のお詫びに好きなのひとつどうぞ」


 賢志が目を丸くした。


「いえ、そういうつもりで言ったのでは! それにお客様から何かいただいてはいけない決まりです」

「真面目だなあ」

「あの、その代わりひとつ買ってもいいですか? もうすぐ母の誕生日なんです」

「そういうことならお安くしておきますよ。どれにします?」


 賢志は長い時間をかけてひとつ選んだ。ドロップ型の石をワイヤーで包み、天使の羽を付けたペンダントトップだ。

 

「これがいいんですけど、おいくらですか」

「そうね、チェーン付けるかどうかで変わってくるけど。ちなみにお母さん何月生まれなの?」

「六月です」

「あら、偶然? それはムーンストーンって言って六月の誕生石だから、きっとお母さん喜ぶわよ」

「ホントですか! でも高かったら買えません」

「じゃあ、今日は特別価格三千円でお譲りします」

「え? それって安過ぎませんか? 僕、こういうの買ったことなくてわからないんですけど」

「大丈夫よ。その代わり、またうちに来て美味しいご飯をたくさん作ってくださいな」


 賢志は目を見開き私の顔を見た。


「それって僕の仕事を気に入ってくれたってことですか?」

「もちろん! 今後ともよろしくお願いします」

「やった! ありがとうございます! こちらこそよろしくお願いします!」


 賢志は深々と頭を下げた。そしてとびきりの笑顔を残し、丁寧にラッピングされたペンダントを持って喜々として帰って行った。




 翌朝、私は六時に目が覚めた。いつもなら二度寝するところだが、今日はベッドからするりと下りてほんのり色づいたカーテンを開けた。朝日が部屋の奥まで差し込んで一瞬ですべてをオレンジ色に染め上げる。


 こんなふうに朝日を見るのはいつ以来だろう。


 私は暫くその景色をうっとりと眺めた。朝日のエネルギーが体のゼンマイを最大まで巻き上げてくれる。その勢いのまま駆け出した私は、衣類を洗濯機に放り込み、ゴミを分別して掃除機をかけ、ついでに仕事道具も整えた。そうしてお昼までには部屋は見違えるほど片付いて、ピカピカの水回りと釣り合うようになった。


 すっかり気が済んだ私は、シャワーを浴びてこざっぱりとした服に着替え、眉を描き、リップを塗ってから一階のコンビニへ行った。でも、買い物かごに入れたのはいつものおにぎりではなく、お米と緑茶のティーバッグと桜色のマニキュアだ。例の無愛想なおばさんは訝しげな顔をして私を見たが、マニキュアを手にした途端嬉しそうに笑った。


「あら、一緒」


 それと同時に、ふくよかな左手を突き出してピンクの爪を見せてよこした。案の定薬指に指輪が無かったから、今度私のアクセサリーを勧めてみようと思った。

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こんにちは、家政夫の谷岡賢志です① ピカピカ いとうみこと @Ito-Mikoto

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