第17話 日本人民共和国臨時労農革命政府成立

17-1 ラジオ発表

 道子は作業していた土塁付近で、結局、ソ連側の捕虜となった。破壊され、半ば崩れ落ちた土塁上には、あっさり、ソ連国旗である赤旗が翻った。なんだか、映画を見ているようである。

 彼女にとっては、-彼女のみならず、多くの人々にとって-、それまで、日々、

 <常識>

であったはずの光景が、あっさりと変わってしまったのであった。

 そして、永田は、というと、ソ連兵の捕虜になってしまったことによって、あっさり、

 <強い存在>

というべき存在から、

 <とるにたえない存在>

というべき姿になってしまっていた。

 開戦前、大威張りであった彼は、ソ連軍の砲火の前に、なす術もなかった。そして、彼も抵抗することもできずに捕虜になったのであった。土塁上にて、大威張りであった永田は、むしろ、土塁上にいたという位置関係からすれば、生き残っているのが、かえって不思議であったかもしれない。武装も解除された永田は、最早、ソ連兵の銃口の前に、しずかにしているよりほかなかった。

 道子としては、家に残して来た母・麻衣子のことが気になるので、とりあえず、家に帰りたかった。新潟市内は、戦闘の行われた個所では、コンクリート造りの建物であっても、焼け焦げ、木造家屋は崩れ落ち、又は、焼け落ちて、瓦屋根が建物を押しつぶすかのように、廃墟になっていた。

 「家は、どのようになっているのだろう」

 気になる道子は、この件について、ソ連兵に話しかけたいものの、ロシア語は勿論、話せない。ソ連兵同士が交わす会話も、皆目、理解できない。既に、日は暮れ、暗くなっているので、所々で、焚火がなされており、降伏した日本軍の保有していた燃料等が使われていた。

 そのうちに、ソ連兵の1人が、ラジオのスイッチを入れた。日本語の放送が流れた。

 「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます」

 何だか、アナウンサーがいつもと異なるようである。誰なのか?まあ、そんなことはともかく、

 <臨時ニュース>

の内容は何か?

 「新潟市内において、日本軍守備各隊は降伏し、新潟市は、ソ連軍によって解放されました。新潟市において、日本人民全ての解放を目指すべく、≪日本人民共和国臨時労農革命政府≫の樹立をなすものであります」

 「!?」

 道子をはじめ、ソ連兵の捕虜となり、そこで保護されている人々は、一同、驚愕した。それまでの

 <常識>

は、今、この瞬間、文字通り、ひっくり返ってしまった。又、

 <人民共和国>

を言うからには、これまでの日本の

 <社会>

 すなわち、日本に生きる各

 <個人>

の全く以て、当然極まるはずの

 <常識>

たる

 <天皇(制)>

もなくなってしまうわけである。ソ連兵に保護されてた地元市民の間から、どよめきの声が上がった。

 しかし、ソ連兵がAK47を肩に担ぎ、彼等彼女等をにらんでいるのである。銃口の前に、武装解除された彼等彼女等に、何等の反抗等もできるはずがなかった。

 ラジオは続けた。

 「日本人民共和国臨時労農革命政府閣僚名簿を発表いたします」

 そう言うと、具体的な人名を挙げ始めた。

 「臨時首相・野崎忠一、外務大臣・大田浩二、内務大臣・星崎凛太郎、国防大臣・・・・・」

 このように、アナウンサーは臨時労農革命政府の閣僚名簿を読み上げると、新政府の当面の政策として、


 ・農地解放 大地主制の解体による小作人への土地分配


 ・工場解放 資本家追放による工場等、生産施設の労働者への解放、資本家追放


 ・男女同権 政治、経済等、社会生活での男女同権、又、それに伴う<家制度>等の解

       体


等を発表した上で、近く、機を見て、

 <人民議会>

の18歳以上男女による選挙等がなされることを報じた。

 以上のような新政策の中で、特に、

 <農地解放>

は、多くの人々に歓迎されるものであろう。道子の周囲の農村出身と思われる人々の間では、表情が少しく明るくなる者もいた。

 対称的、永田は絶望の表情になった。この瞬間、彼は、それまでの地主制度が解体されれば、隣組への食糧供給は当然、途絶える。そのことによって、殆どの地位を失なうと言って良かった。

 永田は、又、明治以来の体制の末端としての、<在郷軍人会>を通して、これまでの体に連なることによって、彼自身の地位をも保っていた。しかし、<在郷軍人会>も近く、解体されるであろう。

 永田は、<名実>の<実>をなくし、同時にそれ故、<名>もなくそうとしていたのであった。

 「皆さん、明日、新潟県庁前で、集会があります。皆さんは、私達と一緒にいかなければなりません」

 ラジオの<臨時ニュース>が終わると、ソ連軍の1人の女性兵士が、日本語で言った。

 人々が、ソ連兵から日本語が出たことに驚いた。しかし、道子にとっては、日本語の分かるソ連兵がいることは幸いであった。すぐに、彼女に問うた。

 「すみません、私、門脇道子と言います。母を家に残したままなんです。心配なんで、家を見に行きたいんです」

 「明日、県庁前での集会に参加されてからにしてください」

 ソ連女性兵の声は落ち着いたものであった。しかし、道子は母のことに気をもみつつも、やはり、大勢のソ連兵が銃を担いでいる前では、女性兵の指示に従わざるを得なかった。


17-2 逮捕

 市内各所を占領したソ連軍は、新潟ソ連総領事館にもやって来た。領事館内には、原田、元田のような特高関係者、又は、憲兵等が、戦闘を避けるべく保護されていた。領事館に入ったソ連兵達の1人が、領事のロトミストロフの部下の一等書記官の通訳を介して、言った。

 「特高刑事の原田さん、元田さん、あなた方2人を逮捕します」

 2人は顔面が蒼白となり、心中にて叫んだ。

 「そんな、約束が違う!」

 しかし、そんな心中の叫び等はおかまいなしに、ソ連兵たちは複数で押しかぶさるように、2人に手錠をかけ、館外へと連行した。

 館外には、複数の兵員輸送車が待機しており、そのうちの1大に2人は押し込まれた。

 2人を乗せると、その兵員輸送車は走り出した。

 原田と元田の2人は思った。

 「そもそも、日本側の密偵とでも言うべき者が、敵たるソ連の内情を探りにソ連領事館に入ったのに、それをソ連側が、お客人であるかのように歓迎し、食料やら、現金やらをくれたことがおかしかったんだ。しかし、背に腹を代えられない状況の下で、俺達は敵に取り込まれてしまったんだ。ロトミストロフの『悪いようにはしない』も、俺達を操る謀略だったんだ」

 しかし、今更、反省してみたところで既に遅すぎた話であった。

 2人を乗せた兵員輸送車は新潟県庁に向けて走った。県庁前に着くと、

 「用足しの時以外、車外には出られない。無断で車外へ出る、或いは逃亡を疑わせる行為があれば、即射殺される」

旨の説明がなされた。


17-3 臨時労農革命政府成立大会

 翌日、一夜明けて、道子等は、ソ連軍の軍用トラックに乗せられて、新潟県庁前に向かった。現場に着いてみると、既に数10台のトラックが止まっており、人々が次々にソ連兵から誘導されて、降りて来ていた。道子もトラックを降り、ソ連兵に誘導されて、県庁前のある場所に立った。

 県庁の建物も、日本側重要拠点の1つであったからか、建物の一部が崩れ、攻撃の痕が残り、壁面の一部が黒く焼け焦げていた。窓ガラスもあちこち、破られていた。

 時刻が午前10時になった。

 会場となった県庁前には多くの市民が来ていたことによって、集会の準備のようであった。同時に、やはり、AK47を担いだソ連兵が各所にくまなく配置され、ところどころに、戦闘用車両が停まっている。

 昨日、道子に日本語で話した女性兵とは別の男性兵が臨時に設営されたのであろう壇上から、日本語で人々に話しかけた。

 「本日、ここに日本人民共和国臨時労農革命政府が成立しました」

 しかし、市民たちからすると、自分たちの意志と殆ど、無関係に事が動いていた。だが、ソ連兵の銃口の前ということもあり、異議申し立て等はできないであろう。

 というより、つい先日までの

 <常識>

が突然にひっくり返ってしまった状況に、何と言って良いのか、分からないというのが正直なところであろう。

 間もなく、壇上に、野崎忠一臨時首相をはじめ、臨時労農革命政府の首脳が並び、順に紹介された。

 <大日本帝国>

が新潟市民をはじめ、市民の民意を無視して戦争を遂行し、

 <戦勝>

後の現在も、民意無視を続けているのに対し、

 <日本人民共和国臨時労農革命政府>

も半ば、同じく、民意無視のまま成立した政府だった。その点は、両者とも違いは無いようであった。

 しかし、


 ・農地解放


 ・工場解放


 ・男女同権


等は、まさに、日本の民意、すなわち、

 <社会>

が待ち望んでいたものであり、その点では、<大日本帝国>よりも<日本人民共和国臨時労農革命政府>の方が<社会>にとって、期待できるものかもしれない。

 そこに、後ろ手に手錠で縛られた2人の男が壇上に引きずり出されて来た。

 先程から、日本語で大会の司会をしていた男性ソ連兵が言った。

 「皆さん、この2人の男、すなわち、原田と元田は、皆さんを抑圧した特別高等警察の刑事でした。しかし、口では、『陛下への忠誠』、『大東亜共栄圏護持』を言いながら、闇食糧に手を出していたのみならず、≪日本人民革命同盟≫と称する反体制組織に取り込まれて、食糧難の中、いずこかからか、食料等を受けつつ、日本の社会に社会不安を起こすべく、交番の巡査・門脇淳一氏を殺害し、ビラを撒いたんであります。これらのことが、我々が押収した警察の資料から明らかになりました」

 そう言うと、別のソ連兵が、壇上からビラを市民たちにかざした。

 ≪日本人民革命同盟≫

のビラは、占領した新潟県警本部から押収したものであったものの、証拠隠滅等をされていた時のために、同じものは、勿論、いくらか、総領事館内にも保管してあった。日本側が証拠隠滅できなかったのは、原田と元田が総領事館前にて

 <警備行動>

をなしていて、物理的にそれが不可能であったということもあるかもしれない。

 或いは、原田と元田は、 

 <重要な証拠品>

を隠滅することで、追及の手が伸びるのを防ぐようにしたかったかもしれない。しかし、それをすれば、日本の県警当局内で怪しまれるであろうから、できなかったのかもしれない。

 あるいは、他の警察関係者が処分しようにも、大混乱の中、出来なかったのかもしれない。

 会場の一遇にいた道子は驚いた。距離があって、よくは見えぬものの、ソ連兵がかざしているビラは、事件当日、父の遺体の傍らで、道子自身が拾い、原田等に渡したものであろう。道子は心中にて叫んだ。

 「まさか、権力の中枢にいる人が、犯罪を起こすだなんて!」

 取材を兼ねて、会場に来ていた≪新潟○○報≫の記者・佐藤は思った。

 「なかなか怪しい、と思っていたが、警察が口ごもっていたのは、警察そのもの犯罪だったからなのか!」

 道子は思わず、涙ながらに叫んだ。

 「お父さんを返して!罪もない家族だったのに!」

 その声に呼応するかのように、会場からどよめきが広がった。ソ連兵が言った。

 「こうした社会不安の元の原因は、この国のこれまでの体制にあります。また、このビラに有ります団体は、それこそ、日本の特高権力に弾圧され、悲惨なことになったということが明らかになっています。現時点では、殆ど存在していないと思われます」

 そのように、説明した上で、

 「新政権は、自身がひそかに良い目をしていながら、皆さんに苦しみを与えた反動権力を処断し、新たな方向に向かうものであります」

 そして、

 「新たな出発と旧体制への決別の意味でも、殺人まで犯した旧体制の具体的存在である原田と元田を人民の名において、処刑するものであります」

 その声と同時に、特高刑事の原田と元田の2人は、壇上のソ連兵の斉射によって

 <処刑>

され、そのまま、血まみれとなって、壇上から、地上へと転げ落ちた。

 会場では、どよめきが改めて広がった。ソ連兵の空中への威嚇射撃が始まった。会場は静けさを取り戻した。

 会場では、壇上の野崎臨時首相から、


 ・農地解放


 ・工場解放


 ・男女同権


等が改めて、公約として発表され、又、それ故に、「家制度」等の旧体制を支えていた諸制度は廃止されることも発表された。

 旧特高刑事2人の死は、それを象徴した出来事だと言っても良いだろう。

 間もなく、集会の解散が宣言され、人々は家路に就き始めた。

 「とにかく、お父さんを亡くしたのは辛い結果だったけど、犯人が処刑されたのは良かった。お母さんにはこのことを伝えないと」

 道子は、そう思いつつ、周囲の人々同様、家路についた。今後、どのようになるか、分からないという不安交じりで、である。但し、それでも、新政府の政策が実施されれば、少しはましな生活になるかもしれない。不安と期待が混在する心中であった。

 大日本帝国は、

 <大東亜共栄圏>

建設、護持を名目として、戦線を拡げすぎた結果として、帝政ロシア時代からの最大仮想敵であったソ連に大きな隙を見せ、結果として、逆に国土の一部を奪われたのであった。

 その後、予定通り、北海道にもソ連軍が侵攻し、札幌が陥落、新潟であったようなソ連軍主催の集会が開かれた他、東北にもソ連軍が侵攻、東北の中心都市・仙台も陥落したのであった。

 一部では、両軍の激戦が展開されたものの、兵力、装備で日本軍が劣ることから、戦況はソ連側に有利に傾いた。又、上陸した地点での元からあった飛行場等、更にソ連側が整備した飛行場等に、ミグ15等のジェット戦闘機が配置されたことは、日本側をかなり苦しめる状況にもなった。

 陸戦では、97式チハや38式歩兵銃といった日本陸軍の装備は、T54/55戦車、AK47に対処する術をほとんど持ちえなかったのである。

 こうして、新潟等、北陸の一部、東北、北海道は

 <日本人民共和国>

となり、旧来からの

 <大日本帝国>

と相互に睨み合うようになったのであった。


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