第16話 市街戦

16-1 ソ連軍、新潟市内突入!

 海岸沿いの日本軍防御陣地を壊滅させたソ連軍は、戦車隊を先頭に、新潟市内に進入し始めた。

 ソ連側としては、この他、兵員輸送車等も上陸させており、歩兵は基本的にその中に乗車させられ、移動していた。

 日本側としては、市内各所に構築した土塁の背後から、潜望鏡にて、ソ連側の動きをにらんでいた。土塁の各所には、日本陸軍の97式チハ戦車の他、95式軽戦車等も配備されいた。

 いかにも凛々しく見える日本側の兵員配置であった。

 各所にある土塁の一遇にて戦闘配置についていた永田は、ため息交じりに感嘆した。

 「いやあ、これ程の凛々しき兵員配置とは、流石は、大東亜で鬼畜米英を打ち破った我が皇軍だ」

 海岸線の防御陣地が突破され、味方に多くの死傷者が出たことは、既に情報として入って来てはいた。また、現場から黒煙が上がるのも確認できた。それでもなお、こうした台詞である。太平洋の戦場で、所謂

 <戦慣れ>

していたからだろうか。

 永田の周囲の半ば同年輩の者は多くが、永田と同じような考えのようであった。しかし、若い衆としては、陸軍が市内に展開する等は、初めての体験のなので、最初から何か戸惑いのようなものがあったようである。初めての戦いに対する士気の高揚と、しかし、黒煙が上がったことから来る恐怖の入り混じった感情のようであった。

 沿岸の防御陣地を壊滅させたソ連軍は、しかし、市内に進入し、各土塁に迫って来た。

 道子は思った。

 「大丈夫かしら?」

 市内の比較的中心部にある道子等の陣地迄、砲撃音やロケット砲の連射の轟音が聞こえて来ていた。また、市内の所々から火災の火の手が上がるのが見えた。

 道子の内心の声に応えるかのように、永田が得意気に言った。

 「あの程度が何だ、緒戦では良くあることだ」

 永田は、道子をはじめ、若い衆の表情を察して言ったのかもしれない。それで以て、彼女等、彼等を激励しようとしたのであろうか。それとも、

 「俺の若い頃は・・・・・」

 <武勇伝>

をぶとうとしたのか。

 いずれにせよ、若い衆の士気がなえて戦えないであろう。

 日本側としては、市内各所の土塁を盛った応急陣地からの砲撃等によって、ソ連軍の侵攻を食い止めようとしていた。しかし、やはり、上手くいかない。

 日本軍の火力は、戦車をも含め、歩兵による白兵戦への支援兵力として位置づけられる傾向にあった。故に、そもそも、生身の人間より強いはずの戦車の機動力、火力を中心とした戦法をとるソ連軍の方が、数段、強いと言えた。無論、戦車そのものの装甲、砲撃力も日本のそれより強力である。

 その理論、思想は、第二次世界大戦の欧州戦線にて、同じく、戦車を中心装備としたナチ陸軍との戦いを経て、強化されたいた。

 欧州戦線と異なるのは、島国・日本は平原が少ないということだろうか。しかし、新潟は平野の多い地形のようである。

 ソ連軍は、市内のそこここで、進撃を妨害すべく構築された土塁に出くわした。しかし、ソ連軍戦車、多連装ロケット砲はそれらを容易に吹き飛ばした。やはり、工作機械も乏しく、市民の手作業でなされた陣地は弱かった。各所で、市内の防衛戦は突破された。

 ソ連軍が進む市内の建物の影から、日本軍戦車も姿を現した。しかし、満州里の外郭要塞に進撃した前世代戦車・T34にさえ勝てなかった日本軍戦車である。T55等の100ミリ砲に砲撃されると容易に発火、擱座した。

 あるチハは右側のキャタピラーを吹き飛ばされ、故に、乗員の意志と関係なしに右旋回を始め、通り脇のコンクリートの建物に衝突、炎上した。壁面が崩壊し、ガラス片が降り注いだ。戦車は爆発、炎上した。

 最早、明治以来の日本が中心とし、太平洋の戦場でも勝利を導いたはずの戦法-日本の軍部、殊に陸軍はかなりの自信を持っていたはずの戦法-は、明らかに通用しなくなっていた。

 そして、それは、若い世代がひたむきに学校教育等で教え込まれて来た 

 <無敵皇軍>

が音を立てて崩れていく姿でもあった。

 ソ連側としては、東京等、他方面からの日本軍の増援が来る前に、新潟市の要所を占領し、新政権の樹立準備を行なう必要があった。そのためにも、戦車を中心として、進軍のスピードを緩めるわけには行かなかった。

 しかし、装備で優秀であっても、ソ連側が恐れるべきは、

 <見えぬ伏兵>

としての地雷であろう。


16-2 擱座

 戦車を先頭に、新潟市内に進入したソ連軍ではあったものの、市内を流れる大河・信濃川にて、橋を渡ろうとして、1台の戦車が擱座してしまった。他にも橋はあるものの、侵攻を食い止めんとしてであろう、多くは既に、破壊されていた。

 ソ連側としても、この状況は予測はしていた。しかし、市内への侵攻は送らせてはならなかった。米国と異なり、母艦を多く保有しているのではないソ連側としては、航空戦力の支援は望めず、残った橋を突破しようとしたのであった。

 対岸から、日本軍の反撃が始まった。日本軍の砲弾、銃弾をT55等、ソ連戦車は跳ね返せるものの、橋上で擱座し、動けなくなったT55が、そのまま、ソ連側にとっての障害物と化してしまった。

 侵攻部隊の中心に位置する通信車両に置かれた師団司令部は、無線で先頭部隊に問うた。

 「先頭方面、状況は?」

 「同志師団長、先頭の戦車の擱座のため、前進できません」

 先程、先頭方面で爆発が起き、黒煙が上がったのを確認で来ていたので、半ば、了解済みではあった。

 「擱座した戦車の兵員は?」

 無線を通じて、師団長は部下に確認させた。

 「2名戦死、2名は救助しましたが、1名、重症です!」

 先頭方面が聞き返して来た。

 「こちらは日本軍との交戦状態ですので、戦車回収車は手配できません!」

 「当然だ、生存者を収容したならば、2号車が先頭の戦車を橋から落とすんだ!」

 この命を受けて、後続のT55が砲塔を後方に旋回させ、車体を炎上している戦車にぶつけ始めた。

 金属同士の激しい衝突音が響き、キャタピラーからは火花が飛び散った。

 数10トンもある戦車である。一度擱座し、進撃路を防ぐ形になれば、容易に

 <敵>

に変身してしまう。

 日本軍の銃弾が飛んでくる中、2号車の戦車兵はいらいらしながらも、車体を後退させては、1号車にぶつけるという作業を繰り返した。この作業の完了が遅れれば遅れるほど、日本側に反撃のチャンスを与えてしまう。

 日本側の銃砲弾が、T55の装甲を貫通しないのは幸いとはいえ、そのうちに、日本軍歩兵による切り込み突撃があるかもしれない。

 ノモンハン事件の時には、ソ連側に劣る装備の彼等は、果敢に火炎瓶等を手に、突撃して来たとも聞いていた。そうなると、ソ連側にとっては厳しい状況になるかもしれない。 

 多くの橋が落ちていることで、日本側もそのまま、反撃には出られない。しかし、とにかくも、急がねばならなかった。

 10数回の体当たりの結果、炎上する1号車は信濃川に落ちた。しかし、ソ連側は大軍になっている。1本の橋の上を縦列になって進むのは、相手に反撃に機会を与えかねない危険な行軍でもあった。

 故に、危険を承知で、架橋作業が行われた。進軍のための臨時の数本の橋を架けるのである。

 歩兵達は腹ばいになりつつ、弾除けの鉄板に隠れつつ、日本側と銃撃戦を交わした。川岸の戦車隊、砲兵隊が、対岸の日本軍陣地を志向した。

 「発射!」

の合図とともに、戦車砲、野砲が斉射した。対岸の日本軍陣地で爆発が起こり、炎上、数名の兵が吹き飛ばされるのが確認できた。

 結果として、日本側の反撃はかなり弱った感がある。

 工兵達は、慎重に、しかし、速やかに架橋作業を始めた。減ったとはいえ、日本軍の銃弾が飛び交う中での作業である。銃弾を浴びて、死傷者が出、河面は赤く、血で染まった。


16-3 日本側陣地

 日本軍陣地へのソ連側の砲撃は続いていた。日本側にとっては、信濃川を渡らせてしまったら、新潟の各主要部は、占領され、ソ連側の勝利、日本側の敗北となるであろう。日本側にとっては譲れない一線であり、信濃川という川が正面にあるとはいえ、この信濃川を挟んだ戦いは、

 <背水の陣>

であると言えた。

 しかし、戦車等の重装備部隊が通れなくするための橋梁破壊の措置が、かえって、日本陸軍が得意としたはずの日露戦争以来の

 <歩兵突撃>

を困難にし、最大の

 <仮想敵>

にかえって、有利な状況を与えていたのであった。

 しかも、陣地内の兵は、実戦経験のない若輩者が多く、緒戦であるこの場で、教わった戦法が通用しないことを実感させられていた。橋梁のない河川は渡河できないのは言うまでもなく、たとえ、渡河できたところで、何ができよう。弾幕の中、

 <死>

が待つのみであろう。

 或いは、陣地内で縮こまっている現在でも、殆ど、何らの抵抗の術もない彼等にとって、<死>が近づきつつあると言えた。

 陣地の中に立てこもっている日本軍将兵等からは、しかし、日本側の反撃を受けつつも、ソ連側の渡河準備作業が終わりつつあるのが確認できた。

 執拗に続く日本側からの反撃を避けんと、ソ連軍工兵らは臨時架橋の脇に身を隠すようにしていた。

 信濃川には、ソ連兵の死体が浮かんでいた。しかし、そんなものを気にすることもなく、ソ連戦車隊は、臨時橋梁の上を渡り始めた。ソ連軍はいよいよ、日本軍陣地に近づきつつあった。

 100ミリ戦車砲が火を噴き、日本軍陣地の兵を吹き飛ばした。数人の日本兵の死体が、河面に落ち、水しぶきが上がった。

 無縁で連絡し合っていた各連隊長に対し、師団長からの命令が響いた。

 「師団長命令、一斉突撃!」

 それまで、日本軍側の反撃を警戒しつつ、ゆっくりと進んでいた各戦車が、一斉の轟音を上げ、排気口から排ガスを排出し、日本軍陣地に突進した。歩兵達も一斉に突撃し始めた。

 すでに、日本側にとっては打つ手なしの状態であった。ソ連軍戦車が陣地内を走り回り、日本兵たちを踏み潰した。T55戦車主砲脇の機関銃が、日本兵をなぎ倒した。

 こうした攻撃に対し、小銃や機関銃で対抗することはできない。加えて、

 <38式歩兵銃>

は、弾倉に5発の銃弾を装填できはするものの、連続発射はできない。1発撃つごとに、槓桿を引いて、薬莢を出さねばならなかった。ソ連側のAK47の相手ではなかった。

 日本軍陣地は、あっさり、陥落した。

 その後、ソ連軍は、その負の夕刻までに、新潟市内の県庁、市役所、軍関係施設、郵便局、電信局、学校等、各主要施設を占拠、応急防御陣地たる土塁等も多くが破壊され、占拠された。

 ソ連側も多くは、物心つく前後には、ナチが壊滅し、然程、実戦経験のない者が多かったものの、師団長以下、将校等の中核的人物には、スターリングラード戦、又、攻守逆転してのベルリン攻防戦等を経験している者も少なくなかった。過去の市街戦の戦いの経験が、今回の市街戦で役立ったと言えるかもしれない。

 占領された各要所からは日章旗は降ろされ、代わりにソ連国旗の赤旗が翻った。

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