第15話 ソ連軍、皇土上陸!

15-1 東京、ラジオ放送

 第2次日本海海戦というべき、日ソ両軍の海戦は、日本側の敗北に終わり、明治のそれとは逆の結果となった。このことは、日本の内地でも報じられた。

 「赤魔・ソ連軍と、我が帝国海軍の交戦の結果、敵に多大な損害を与えつつも、利あらずして、日本海でのわが艦隊は、転進のやむなきに及び・・・・・」

 東京での各々の街角でも、こうしたラジオ放送が聞かれた。大東亜戦争の<戦勝>以来、

 <大東亜共栄圏護持>

を題目のように放送するのみのラジオであったものの、今日は違った。2年前のソ連の対満州侵攻の時以上に、アナウンサーの声は、何か、上ずったものがあるようだった。

 いよいよ、

 <日本本土>

 すなわち、

 <皇土>

が、ソ連軍上陸による上陸の危機にさらされつつあるのである。当然と言えば、当然のことかもしれない。

 銀座では、-既に、繁華街という表情を無くし、賑わいのない街になっていたものの-今日は、電柱のスピーカーの周囲に人々が集まり、大勢の人々が、ラジオの声に耳を傾けていた。

 これだけ、多くの人々がスピーカーの周囲に集まり、ラジオの声に真剣に耳を傾けるのは、まだ、銀座が繁華街と言いうる状況にあったと言えるかもしれなかった昭和16年12月8日の真珠湾攻撃についての大本営発表の時以来かもしれない。

 大日本帝国は、昭和17年(1942年)から、昭和32年(1957年)の今日まで、

 <平和>

な国ではあった。物資が窮乏化していたとはいえ、敵軍の空襲や艦砲射撃に見舞われることもなく、ある意味では、

 <呑気>

な日々であったかもしれない。

 しかし、それは、一瞬によって、破られてしまった。

 藤倉妙子の同級生・富江は、偶然、銀座の一遇にて、このラジオの放送を他の人々と共に、群れとなって聞いていた。

 傍らの日劇の円形ビルには、

 <撃ちてし、止まん!>

 <無敵皇軍>

の2本の垂れ幕が下がっている。富江は心中、舌打ちをし、怒りの感情となった。

 「一体、何なのよ、今日のこのニュース!<無敵皇軍>じゃなかったの?」

 <無敵皇軍>

にために、富江をはじめ、<社会>たる市民たちは、窮乏生活を我慢して来た。それが、まさしく、事実によって、あっさり否定された形である。市民の我慢を受けて来たはずの、というより、半ば、抑圧体制によってそれを強要して来た体制の側たる

 <無敵皇軍>

によって、あっさり、裏切られたのであった。

 今日の放送は、垂れ幕の

 <無敵皇軍>

という<勝利>と対立する

 <敗北>

を放送し、体制の側がそれぞれ、正反対のベクトルを同時に<社会>に向かって言っているのであった。

 富江の右隣の男性が言った。

 「ははは、何、大したことないさ。昭和17年の東京空襲の際も、我が皇軍が勇ましく反撃に出て、鬼畜米英をはねのけて、見事、勝利を勝ち取ったんだ。今回もそうなるさ」

 その表情には、何か余裕のようなものがあった。昭和17年以来、15年も

 <平和>

が保たれている日本であった。そうした意見ににも、根拠がないとは言えないようでもあった。

 別の男性が言った。

 「この15年も、俺達は平和であり続けたんだ。我が皇軍と皇国の強さを敵に見せつけてやる良い機会だし、若い衆に皇土防衛の自覚を持たせて、気合を入れてやる良い機会だ」

 富江は、この男性と一瞬、目が合った気がした。何だか、今の台詞は、これまで女学校の軍事教練の時間に、散々、軍事目的で、半ば、自分たちに向けられてきた言葉と共通しているものでもあろう。

 「う~む」

 内心、富江は思った。既に物心ついた時には、ある種、

 <平和>

になってしまっていた彼女等にとっては、

 <敵>

が具体的に如何なるものなのか、想像がつかないのである。かつて、日露戦争にて、あるいは、その前の日清戦争にて戦った年配者の体験談や、物心の付いた時には既に

 <戦勝>

となってしまっていた大東亜戦争等、色々と聞かされることはあっても、実際の戦いについては、イメージが湧かないのである。

 それでも強いて、

 <内地の戦>

と言えば、女学校の歴史の時間に習った戦国期の戦いであろうか。

 しかし、昭和32年の今日、鎧兜での戦いでもないはずである。富江等の軍事教練でも、鎧の着用等は勿論、なかった。

 ただ、歴史の時間、2度の元寇(1274年、1281年)において、いずれも

 <神風>

が吹いて、元軍は撤退、故に我が皇国・日本は、神の御加護を受けた不滅の

 <神州>

である、ということは言われていた。

 相変わらず、放送を続けていたラジオは、

 「神州は不滅であり、皇国臣民は、今回のソ連軍侵攻に動揺しないように・・・・・」

という内容の放送を続けていた。

 群れの中の1人の女性が言った。

 「まあ、何とかなるでしょ。御一新以来、大日本帝国の我が皇軍は一度も負けたことはないし、私達の皇土は、元寇を除けば、一度も攻め入られたこともなく、国土を踏み荒らされたこともないんだから」

 この女性も、女学校等で歴史を勉強したこと等があるのかもしれない。

 富江は思った。

 「まあ、何とかなるでしょう。なるようになるんじゃない」

 そのように思って、何となく起きていた不安をかき消そうとしたのかもしれない、というより、そう思うより他、思いようがないのである。

 富江は群れから抜け、家路に就こうと市電乗り場に向かった。まだ、昼であるうちに、市電に乗らないと、次の市電が来るまで、かなり、長い時間、待たねばならない。燃料の1つである電力も、

 <平和>

でありながら、窮乏化が続く現状では、途絶えがちであった。 

 <大東亜共栄圏護持>

のため、内地では、市民の足の代表である市電もいよいよ、途絶えがちであった。


15-2 新潟、対ソ戦準備

 ソ連軍にとっての

 <海の道>

が開けたことによって、ソ連軍上陸が間近であることを知らされた新潟では、市民を動員する形で、市内の臨時要塞化が図られていた。市内の要所、要所の塹壕が掘られ、塹壕を掘った時の土で各所に土塁が盛られた。敵の小銃弾等を防ぐためのものであった。

 とはいえ、工事ははかどらない。工作機械の数は乏しく、また、これ等を動かす燃料も不足していた。結果として、

 <銃後>

 あるいは、

 <婦女子>

と称せられる女性をも含め、一般市民の人力に依存せざるを得なかったのである。

 その中に、昨年、父を殺害された門脇道子も動員されていた。彼女も半ば、空腹を抱えながら、塹壕を掘った土をシャベルで盛り上げ、土塁を構築する作業に参加していた。

 土塁の高さは3メートル強程であろうか。この程度の高さがあると、小銃弾が防げるのだそうな。幅も3メートル程はあるだろうか。

 通りを横断するように、建物と建物をつなぐように、土塁は構築されていた。道子が作業をしているその近くには、日本陸軍の主力戦車・97式チハが数台、配置されていた。また、新潟市内を流れる河川にかかる各橋梁には、対戦車地雷が敷設されているのだという。

 道子も既に、ソ連軍侵攻が近いことを知らせるラジオ放送を耳にしていた。そのラジオ放送によると

 <赤魔・ソ連>

なのだそうな。しかし、そのラジオ番組が同じく言うところの

 <神州不滅>

の信念がある限り、皇国・日本は滅亡しないはずである。

 なお、土塁は自分等が、半ば、素手で築いたとはいえ、頑丈そうにも見えた。

 或いは、初めて見た戦車は、

 <鋼鉄の馬>

のようであり、それらを見ると、道子には、

 <神州不滅>

はしっかり、根拠のある具体的なものであるように思われた。

 但し、道子は、

 「自身が銃をもって戦えるか?」

と問われれば、あまり、自身はない。地区の軍事教練でも、竹槍訓練が中心であり、銃の扱いそのものには、慣れていなかったのである。地区の軍事教練では、日露戦争での銃剣突撃による武勇伝が語られ、また、

 「大東亜戦争も、この戦法によって勝利を得た」

との説明がなされていた。故に、竹槍を銃剣突撃に見立てて、訓練がなされて来たのであった。

 動員されて作業している道子たちは、陸軍から派遣されて来た将校、あるいは、地区の在郷軍人会の会員等による指導の下、作業をしていた。その中に、道子の地区の在郷軍人会長・永田の姿もあった。

 道子が表情を見るに、永田は何かしら、

 <戦意>

に満ちているようであった。

 戦いの最前線から半ば退き、活躍の場が与えられて来なかった昨今だけに、久し振りに

 <戦場>

での活躍の場が与えられたことに、やる気に満ち満ちているのであろう。

 「おい、何をぼさっとしている!」

 永田が、道子と目があい、怒声を浴びせた。先程から、永田の様子を観察していた道子は、作業の手が止まっていたらしい。道子はシャベルでのそれまでの作業に戻った。

 そこに、1人の陸軍兵が走って来て、この辺りの陣地構築の指揮にあたっていた陸軍中佐に敬礼し、報告した。

 「ソ連軍、新潟の海岸地区数キロの海上に迫った、とのことであります」

 中佐は言った。

 「赤魔め、ついに来おったか」

 報告を聞いた在郷軍人会の会員等も、永田をはじめ、殺気立った。


15-3 陸の道

 会場でのソ連軍の動きは、日本海沿いの新潟の海岸の各要所と思われる箇所に設置された監視哨にても、見られた。これ等の各監視哨には、ソ連軍を迎撃すべく動いた扶桑、山城の2戦艦をはじめとして、呉から出師した艦隊のほぼ全滅の状況は、情報として既に伝えられていた。

 艦隊の全滅前、沈没直前の龍驤から、呉に向けて、状況が打電されていた他、又、一部の生き残った駆逐艦が、生存者を収容し、新潟港に寄港、情報を伝えていたのである。

 こうした情報から、今回の戦いは、装備面をも含めて、ソ連側が優勢であり、既に日本側が不利になっているのは明らかであった。

 特に、扶桑が沖合の日本海で轟沈したのは、新潟の各監視哨からも、望遠鏡等を通して、目撃されていた。

 皇土に至る 

 <海の道>

はあっさりと開いてしまった。しかも、ソ連側がジェット戦闘機を装備している等すると、陸戦もかなり不利になる可能性がたかい。しかし、それも、既に戦端は開かれてしまった。皇軍兵士達は、皇土防衛からは逃れられない。

 ソ連軍の上陸を遅らせ、日本側に有利に戦局を運びうる兵器があるとすれば、地雷、それも対戦車地雷であろうか。すでに、海岸線には多く、敷設されていた。

 また、ジェット戦闘機と雖も、航続距離が短かければ、皇土への侵攻の力はあまり、発揮されないかもしれない。ソ連海軍は、米海軍にような空母を多く装備した海軍ではない。

 某監視哨に配属されていたある将校は、以上のようなことを考えていた。

 そこに、監視塔の上にいた兵からの連絡が入った。

 「ソ連軍、いよいよ、上陸の模様です!」

 「戦闘配置!」

 兵からの声を聞いて、将校は切り返した。

 海岸の地上では、既に、塹壕内に歩兵が待機し、小銃、機関銃を海に向けて、ソ連軍の上陸を待ち構えていた。砲台も設置され、野砲等が、上陸ソ連軍をにらみ、又、その先には地雷が敷設されていた。

 「ソ連軍はどう出るか?」

 日本軍は、監視哨から、上陸ソ連軍の動きをにらんでいた。

 沖合に停戦した上陸用輸送艦のハッチが開き、下船した歩兵達が、海の中、海岸に近づき始めた。日本側から撃たれまいとしているのだろうものの、日本側の陣地から、機銃掃射等が浴びせられ、海面で水しぶきが上がった。また、海岸の砂も跳ね上がった。

 ソ連兵の中には、倒れて動かない者も出始めた。既に戦死者が出ているのであろう。海面にソ連歩兵が浮かび、砂浜には死体が横たわった。

 「第2中隊、同志中隊長、戦死!」

 上陸した兵の指揮を執っていた第2中隊長が戦死した。第2中隊は代わりに中隊付コミッサール(政治将校)が隊の指揮をとり始めた。

そのコミッサールに兵士の1人が話しかけた。

 「この先には、地雷があるのではないでしょうか。このままの侵攻は危険では?」

 「うむ」

 コミッサールは、一言うなづくと、無線係の兵に命じて、自分たちの正面の500~1000メートル先への砲撃による援護、つまり、地雷原の処分と日本軍陣地への攻撃を要請した。

 <陸の道>

を開くためである。

 彼等と共にT54/T55戦車、多連装ロケット砲トラック等も上陸を目指しつつあった。特に、後者は、欧州戦線にて、発射時の轟音によって、ナチ兵を発狂させたという事実もあった。

 故に、

 <瞬間制圧兵器>

とも言われていた。

 日本側からの反撃の銃弾が飛び交う中、銃弾を避けんと、海岸線にて匍匐状態の姿勢で、ソ連兵たちは味方の戦車砲やロケット砲の支援を待つ姿勢になっていた。

 数分して、耳をつんざくような凄まじい轟音が空気を切り裂いた。

 多連装ロケット砲から斉射されたロケット弾は、彼等の正面にある日本軍陣地に着弾し、激しい爆発と炎が上がった。又、正面の海岸の砂浜でも激しい炎上となった。地雷原が誘爆しているのであろう。

 ソ連側にもまだ、童顔の兵も多く、多連装ロケット砲は味方の装備とはいえ、その大音響は彼等の度肝を抜いているようであった。勿論、多連装ロケット砲の凄まじい大音響と破壊力に発狂しているのは日本軍側であった。そこには、年齢の差は無関係のようであった。

 発狂がいよいよ、頂点に達しているのか、放心状態の日本兵もいた。しかし、そんな彼等にも、ロケット弾は容赦なく襲い掛かった。

 こんな調子では戦えない、というよりも、そもそも、ロケット弾の弾幕の前に、38式歩兵銃や歩兵用の機関銃、あるいは、旧式の野砲等では戦いようがないではないか。

 日本軍陣地では、多くの将兵が塹壕の中で身をかがめていた。自身のみを護るのが精一杯であった。彼等は、学校の軍事教練にて、歩兵突撃、又、軍への入隊以降も、

 『歩兵操典』

等のテキストによって、戦法を教わっていた。しかし、空気を切り裂くような轟音を発する雨あられのような弾幕の前になす術はなかった。

 ロケット弾、そして、戦車砲の砲弾の弾幕は、監視塔を吹き飛ばし、砲台を直撃した。弾薬が誘爆し、砲兵が吹き飛び、戦死し、又は重傷を負った。弾幕は、コンクリートで覆われた司令部にも飛び込み、数人の将校、兵士が焼死した。

 30分程して、ソ連側は、砲撃を停止した。日本側陣地は、殆ど

 <跡>

だけになっていた。あたかもそこに、30分前までは、少なくとも、見た目は精強に見えた防御陣地があったことが、まるで、

 <幻>

であったかのように。

 新潟市内に侵攻するソ連軍にとっての

 <陸の道>

は開けた。

 先程迄、腹ばいだったソ連兵達は立ち上がり、進撃準備を始めた。主力戦車T54/T55のキャタピラーが轟音を立て始めた。ソ連軍は、新潟市内への侵攻を始めた。

 






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