第13話 日ソ(ソ日)開戦

13-1 新潟・ソ連領事館

 4月15日付のソ連の対日宣戦に対しては、モスクワの日本大使館から、東京の日本政府外務省に打電されたことによって、陸軍参謀本部、海軍軍令部にも、情報が回想された。当然の如く、陸軍なら、

 <出撃>

 海軍なら、

 <出師>

せねばならない。

 とはいえ、陸軍主力は<大東亜共栄圏>各地に分散配置され、海軍も主力艦艇の多くは、米軍の反攻に備えて、分散配置されていた。

 もともと、海軍は、<大東亜戦争>開戦以前から、米国を仮想敵として、戦艦をはじめ、主力艦建造を行ない、また、海の戦いである太平洋の各方面で戦いを進めた軍であることから、やはり、陸軍同様、太平洋各地に戦力が分散し、又、米軍の反攻に備え続けなくてはならない状況であった。

 他方、日本陸軍が仮想敵として来たのは、ロシア、そして十月革命後のソ連であった。

しかし、日本の侵略は、所謂

 <南進策>

を採り、海軍と共に、南方に向かったのであった。そして、

 <大東亜共栄圏>

の維持のために、東南アジアの各方面にて、戦力が分散しているというのが、やはり、現実であった。

 ゆえに、陸海軍とも、日本本土、すなわち、

 <内地>

を護る戦力が不足していた。

 しかし、ソ連の対日宣戦は、やはり、現実であり、逃れられない事実であった。

 陸軍しては、首都を護る部隊等を、ソ連軍上陸が予測される新潟等、北陸方面に転送し始め、軍用列車による他、戦車部隊等を帝都・東京から、北陸等に行軍させた。また、上陸が予想される海岸等には、地雷を敷設し、さらに、民間人等を竹槍部隊として、動員し始めた。また、新潟、札幌等の領事館には、特高の刑事、憲兵等が改めて、張り込んだ。

さらに、日本側の作戦等が察知されないにように、電波傍受の作業等も行われた。

 半ば、封鎖された状態の新潟総領事館内にて、総領事のロトミストロフは思った。

 「そうやって、探りを入れに来た特高刑事の原田と元田を利用して、ソ連側の最初の対日作戦の橋頭堡を築いてやったんだ」

 内心で、そのように呟きつつ、彼は、窓の外に目をやった。総領事館を囲み、自分達を半ば、監視している警察官、憲兵の中に、原田と元田もいた。既に、殺人を犯している以上、ソ連側の言いなりになるしかない2人である。

 ロトミストロフは、

 「あなた方は、最早、ソ連のエージェントとして動くしかない」

 旨を告げた時、しかし、

 「我々の言う通りに動けば、悪いようにはしない。新政権の下で、取り立ててやろう」

と言って、原田と元田の2人に、新たな

 <任務>

を納得させたのであった。

 そんなことを回想しつつ、ロトミストロフは思った。

 「さて、新政権成立後、君等はどうなりますかな?」

 一言、呟くと、カーテンの際から外を眺めていたロトミストロフは部屋の奥に戻った。

 新潟ソ連総領事館に張り付いていた原田と元田の2人は、

 「俺達は、殺しを犯してしまった。だが、この件は、ソ連総領事のロトミストロフしか知らないはず。例のビラも含めて、<証拠物件>は、全て、当の犯人である俺達で回収した。現場には証拠は残さなかったし、特高課は、警察の中のエリートだから、他の課員には地位を利用して、干渉はさせないようにしたから、県警内では知られていない。まあ、もう少しの辛抱だ」

 内心にて、そんなことを思いつつ、

 <警備行動>

にあたっていた。この

 <警備行動>

は、最早、日本の為なのか、それとも上陸して来るソ連軍に支援される新政権のためなのか、訳が分からないものなのだが。

 原田と元田は、自身の家族のことも気になった。彼等も家族があるのだ。急に日ソ開戦なので、家族を太平洋岸に逃がしたかった。しかし、新潟県知事の 

 「今こそ、赤魔・ソ連との戦いで、皇国臣民の力をみせつけるべし!」

のスローガンの下、逃すことができなかった。民間人も、兵力不足を補う存在として、逃げることは許されなかった。

 まして、<特高>という国家エリートでありながら、率先して、自身の家族を優先することはできなかった。それこそ、場合によっては、

 <社会>

の疑惑と怒りを買い、警察内部でも問題になるかもしれない。しかし、或いは、既に親ソ新政権の人物となっている以上、そんなことは既に問題ではないだろうか。

 とにかく、考えれば、考えるほど、訳が分からなくなる問題であった。

 ソ連軍の侵攻に備えて、新潟市内では、男女学生、主婦等を動員しての塹壕掘りや、各要所への地雷敷設等の作業が行われていた。


13-2 防備

 新潟市内にて、民間人の動員によって、市内の即席要塞化が進められていた頃、海軍としては、呉に帰投していた旧式戦艦・扶桑、山城の2隻の他、数席の護衛空母を日本海側に回航した。ソ連の対日侵攻は、当然の如く、

 <海>

という天然の防壁を渡海しなければならない。それを、旧式とはいえ、戦艦の巨砲によって、上陸前に粉砕しよう、というわけである。

 日本-ソ連の両海軍が衝突するとすれば、日露戦争での日本海海戦(1905年、明治38年)以来の激突であろう。この時はまだ、敵は帝政ロシアであった。しかし、この戦争で、ロシアは食糧、燃料不足に陥り、国力は傾き、更に首都・ペトログラード(当時)での市民の待遇改善デモに帝政ロシア陸軍が発砲、市民を射殺した同年の

 <血の日曜日>

事件(第1次革命)にて、ロシアの民心は帝政を離れ、その後、第1次世界大戦(1914-1918年)による更なる窮乏化の結果として、ロシア二月革命(1917年3月、露歴2月)にて、まず、帝政が倒れ、続く十月革命(11月7日、露歴10月25日)にて、ペトログラードでのソビエト政権成立、旧都・モスクワへの首都移転、内戦の結果としての、ソビエト社会主義共和国連邦成立(1922年12月30日)という流れであった。

 十月革命後の内戦の際、革命の波及を恐れた日本は、反革命勢力を支援せんと、他の全干渉軍を合計したよりも多い兵力の干渉軍を送った。単なる革命への干渉ではなく、大陸侵略への足掛かりを求めていたのだ。しかし、それは結果として失敗し、その後、1930年代に入って、

 <満州国>

成立という形での、大陸侵略の具体化となったのであった。

 しかし、それも、1957年の今日、危うくなりつつあった。しかし、満州国が崩壊したとしても、皇土防衛は、譲れない一線であった。

 「赤軍(ソ連軍)に、皇土の土を踏ませてはならない」

 それが大日本帝国首脳部の一致した態度のはずである。満州国に配置された兵力の内地への移転も考えられたものの、前もって、兵力を内地に移転させると、それはそれで、

満州里の親ソ政権による満州国への侵攻といった別の混乱を引き起こし、かえって、ソ連の対日侵攻拠点として、中国東北部を与える危険もあり、困難な行動であった。

 帝政ロシアの領土をほぼ、引き継いだソ連邦は、大陸国であり、陸軍国である。それに対し、日本は海国である以上、そのために、緻密な設計と高度な技術を要求される巨艦を多く持つ、海軍を建設して来たのであった。

 そして、その海軍力によって、-勿論、陸軍の力も不可欠であったが-

 <大東亜共栄圏>

を建設し得たのであった。

 これらは、陸海軍首脳部をはじめ、日本の東京中央の考えでもあった。

 扶桑、山城の2艦のほか、急遽、日本海に回航された各艦の乗組員には、こうした

 「海戦においては、我が日本の方が海軍国故に、有利である」

 との講話が、上官から艦内にて、各乗員に伝えられていた他、既に、学校教育等で彼等に教えられていた日本海海戦時の日本側勝利といった歴史も、そうした講話を裏付けているようであった。

 又、昭和17年(1942年)の実質的な戦勝国化が、彼等にとっては、実質的に物心つく前に実戦を終わらせていたこともあって、彼等の心中にて、何かしら、想像の中の世界での

 <格好良い戦い>

としての実戦を掻き立てていたのであった。今こそ、彼等、若い乗員にとって、

 <神州不滅>

を支える

 <無敵皇軍>

の力を、自らの力によって、

 <赤い露助>

に見せつけてやるべき時であり、普段から上官にしごかれて、耐えて来たその成果を見せつけてやるべきであった。

 扶桑、山城の2戦艦をはじめ、各艦の艦内では、

 <侵攻してくるソ連軍>

に対する殺気だった敵意が漲っていた。


13-3 ソ連側の思惑

 ソ連側でも、日本の動きは察知していた。やはり、ソ連は陸軍国であり、戦艦等、日本の旧式戦艦・扶桑、山城にも及ばないかもしれない。但し、戦車等の装備は、ソ連の方が上であり、上陸できれば、短期で決着できる可能性が高い。

 そのためには、陸軍、そして、新潟等に、樹立予定の

 <日本人民共和国臨時労農革命政府>

首脳たる野崎忠一等が無事に日本に上陸できなければならない。

 そのためには、日本海に展開している2隻の日本戦艦を撃沈し、ウラジオストック、ナホトカ等からの陸軍の上陸のための道を拓かねばならない。

 ソ連側としては、戦艦同士の砲撃戦は望めない。しかし、ソ連海軍としては、潜水艦隊の建設に力を入れて来たのが強みと言えるかもしれない。戦艦は海面下の潜水艦には、基本的には対処していない。多数の潜水艦による雷撃が有効な戦法と思われた。

 勿論、ソ連潜水艦隊には、対日宣戦を見越して、4月15日付の対日宣戦以前に、既に

 <出撃準備>

が下命されていた。各艦とも、魚雷発射装置等の点検、確認等の作業をなしていた。潜水艦による日本戦艦の撃沈の他、陸軍を乗せた上陸用舟艇等の道の開拓の為であることは無論である。

 ある潜水艦の水兵が艦長に問うた。

 「同志艦長、敵は巨大な日本戦艦と聞いていますが」

 「うむ、但し、戦艦は基本的に、我々のような潜水艦には対処しとらんから、多分、安全だろう」

 艦長は、<大祖国戦争>と称されているナチ軍との西部方面での戦闘で、潜水艦に乗って戦った戦歴を持っていた。ナチ壊滅の後も、バルチック艦隊に所属していたものの、その戦歴を買われ、今回の対日戦のための極東方面への転属となったのであった。

 質問をして来た水兵は、まだ、若い20代前半の若い水兵であった。ナチが降伏し、欧州方面の戦いが終わった時には、彼はまだ、10歳前半代であった。しかし、彼も又、幼い頃、ナチ軍が迫りつつあった首都・モスクワから、母に連れられ、命からがら疎開し、何とか生きながらえた命であった。

 せっかく、生き延びたのに、今度こそ、戦死かもしれない。そうした恐怖が未だ童顔の彼の表情に出ていた。そうした事情が、その水兵にそうした質問をさせたのであろう。

 艦長は、それを察したのであろう。艦長は、若い彼をなだめるために、

「多分、安全だろう」

といったのである。

 艦の指揮をとる艦長としては、出撃前から、部下の士気が低下しては困るのである。ましてや、狭い艦内である。一部の兵の弱気は、すぐに周囲に感染する可能性がある。それは艦全体の安全の為にも避けなければならないことであった。

 艦長は、周囲で、各々、何等かの作業をしている自艦の水兵等に号令をかけた。

 「同志諸君、出撃だ」

 集まって来た部下の水兵たちに、艦長は説明した。

 「今回のソ日開戦にあたって、日本海を陸軍部隊を安全に通える回廊とすべく、我々は先行する。攻撃目標は、空軍の偵察で発見された2隻の戦艦をはじめとする日本艦隊だ。何、戦艦は、潜水艦に対処している艦首ではないので、我々は、多分、安全だろう」

 艦長は、先の一水兵に対して言ったのと同じ台詞を口にした。彼の部下には、20歳前後の水兵が多く、童顔の者も少なくない。やはり、安心感を与え、士気を高めるのも、艦のリーダーとしての艦長の務めである。

 「・・・・・以上!同志諸君、出撃だ!」

と艦長は説明を締めくくった。水兵達は次々と乗艦し、配置についた。他の艦も同様である。

 ウラジオストックの基地から、潜水艦が、日本海を、日本本土への陸軍が日本本土に渡海するための安全な回廊とすべく、出撃していった。

 各艦とも暫く海上を航行し、沖合に出ると、海面下に潜航し始めた。





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