第9話 帰投
9-1 臨時首相誕生
「もし、あなたが拒否しないならば、あなたを日本の新首相に推薦します」
あまりの、というか予想だにしない
<大裏切り>
というべき
<指示>
である。野崎はあまりのことに信じられず、目を見開いて驚きを隠せなかった。野崎は思わず言った
「え?何とおっしゃいました?」
「あなたは日本の新首相になるんです。あなたが嫌じゃなければ」
ヨシエは語気を強めて言った。
「それとも、一生、ここで暮らす」
思いがけない内容に、野崎は戸惑っていた。
「大学卒のあなたが活躍する場所は、その知識を生かせる場所よ。知識も教養もあって、再教育の理解も立派なあなたにとっては、卓越した舞台です」
ヨシエは明るい誉め言葉で、野崎の背中を押した。
野崎の表情が、何かしら、ある種の
<威風堂々>
となっていった。きっと、忘れかけていた
<学士>(大学卒)
の誇り、不況とその後の周辺諸国への侵略といった一連の、自身の責任ではないはずの苦しみ等で失ってしまっていた青春の思いが、心中に蘇って来たのであろう。
「首相の任務を拝命します」
「良かった。あなたは新しくできる日本人民共和国の新首相に推薦されます。近日中に、迎えの飛行機が来て、私達と一緒にモスクワに移ります。仕度しておいてください」
親ソ政権としての
<新日本>
は、
<日本人民共和国>
の国名からも分かるように、
<君主制>
すなわち、
<天皇制>
は廃止される。それを、野崎が否定するならば、この人事は否定されなければならかった。とりあえず、ひとまず、任務は成功というべきだろうか。
入室時と同じく、2人の八路軍兵士に護衛されて部屋を出て行く野崎を見送りつつ、
「でも、二者択一で、選択を迫ったのは、何だか、大連の時のアナスタシアとの対面みたいだったね」
とそれまでに学習したことのあるカール=マルクスの文言
「歴史は繰り返す、一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」
の一節に当てはまるような状況になったことに気づいて、思わず、苦笑した。
その後、ヨシエはソ連軍事顧問団等とも相談して、数人の捕虜日本軍将兵を日本人民共和国新内閣の閣僚を抜擢した。該当者には、八路軍の中国人通訳から、事情が説明され、モスクワへの移動の準備をなすことが指示された。
9-2 分かれ
数日後、延安の飛行場に2機のソ連軍用機が飛来した。軍服姿のヨシエは、それまでお世話になった中国共産党の関係者等に礼を言うと、自身の機に乗り込んだ。ヨシエが気に乗り込んで、10分ほどすると、両翼のプロペラが回り、機内にも爆音が響き始めた。徐々に、飛行機が動き出すと、見送りの人々が手を振り始めた。徐々に、滑走路上で速度を上げつつある自機の機窓から外を見ていたヨシエであった。その時、一瞬、ある人物に気づいた。
右腕のない人物が左腕で、懸命に手をふっていた。
「おとうさん!」
しかし、飛行機はそんなこととは無関係に、速度を上げていき、空に飛び立った。父と娘の一瞬の別れであった。そしてこれが、最後の別れになるであろう。
ヨシエとしては、最後なので、乗機前に、父・勝造と言葉を交わせたら、とも思っていた。
しかし、結果として、ヨシエはそれはしなかった。自身の娘がソ連国籍になり、しかもKGB将校になったと周囲に知れたら、やはり、ここ延安でも、父が周囲から
<非国民>
等と非難されるのではないかと思い、それが怖かったのである。
しかし、父・勝造としては、それでも、娘を最後に見送り、
「達者でな」
等、娘への将来のための激励の言葉を一言でもかけたいと思っていたのかも知れない。
ヨシエの機は、既に完全に空の上であった。延安の姿は遠景になり、そして、視界から消えて行った。ヨシエとしても、実際、何と声をかけられただろうか。
「お父さん、元気で」
空中の機内から、勝造に届くはずもないものの、涙ぐみつつ、機窓の外に向けて、一言、呟いた。
ヨシエの様子に気づいた1人のソ連兵が、声をかけた。
「どうしました、同志少佐」
「え、あ、いや、何でもないの」
そう言うと、ヨシエは心中にて、
「まだ、任務中、しっかりしないと」
と、自身に言い聞かせ、モスクワからの持参のファイルを改めて開いた。
9-3 機内
ヨシエは、野崎忠一について、ファイル内の情報を確認しつつ、思った。
「何となくよっわよわしそうな男性だったわね。まあ、ある意味、それでいいのよ」
今回のソ連の日本での親ソ政権の成立のための作戦は、ソ連軍の軍事力によって達成されるべきものである。
<日本人民共和国>
が成立しても、当面はソ連の軍事力に依存するだろうし、この国は、ソ連の極東戦略の拠点となるだろうから、実質的な「力」はソ連軍の手中にあるという構造が当面は続くであろう。
故に、あまりに
<強いリーダー>
は困るのである。場合によっては、ソ連と距離を置く<独自路線>を歩みだしかねないからである。
「だけど」
ヨシエは心中にて、思った。
「私が先年、一部を崩した満州国、或いは、棄てた大日本帝国のように、半ば、民衆から支持されなかったり、遊離している政権ではだめよね」
このことは、まさに祖国・日本を棄てたヨシエが一番、よくわかっていることであった。
現在、つまり、1942年以降の日本の現体制が嫌で、ヨシエは日本を棄てた。言い換えれば、
<大日本帝国>
という国家は、その体制の特徴ゆえに、当時のヨシエ、つまり、
<倉本芳江>
に棄てられたのである。故に、
<日本人民共和国>
は、
<社会>
に支持されなければ、その存続、維持は難しい。
「しかし」
と改めて、ヨシエは内心で、呟いた。
・資本家追放
・地主追放
・男女平等
等、すなわち、新共和国の政策となるであろう主張、理念が、モスクワ放送を通して、ソ連政府から、日本の社会に向かって放送され続けている。
これらは、日本の<社会>が望んでいることでもあろう。
<日本での現場>というべき東京の駐日大使館等から、ソ連政府に対し、情報として、以上のような状況は送られていた。
機中にて、シミュレーションをしていたヨシエであった。
しかし、それでも、
「しかし」
と思うものがあった。親ソ新政権においては、当然のごとく否定される
<天皇制>
のことである。
面談の席で、
<人民共和国>
という言葉、つまり、君主制に対し、野崎は少なくとも、これといった反発等は示さなかった。しかし、それこそ、一般の
<社会>
は、どのように反応するだろうか。かつて、ヨシエが-それこそ、ドジであったにもかかわらず-
<御真影>
のみは極めて、慎重に注意深く扱ったものである。教師の体罰等が怖い、ということもあったものの、学校現場等で、
<天皇制>(君主制)
は、意識さえも超越した、無意識の常識と化している感があった。
しかし、それでも、新政権たる
<日本人民共和国>
が、実利を日本の<社会>に与え得れば、上手くいくのではないだろうか。
1942年の<戦勝>以降、既に、今年-既に終わりつつあるものの-、1956年の今日、既に14年が経過している日本は、各
<個人>
の生活と言うべき
<社会>
は窮乏化する一方とも言えた。
<実効性>
のない現行の体制は、あっさり、力なく、崩れていくかもしれない。19世紀まで、
<父なるツアーり>
の伝統的正統性に強固に支えられていたロマノフ王朝が、第1次世界大戦でのロシア社会の窮乏化の結果、1917年にあっさり、崩壊したように。
色々考えているうちに、ヨシエは徐々に眠くなってきた。ハンガリーの件に続き、2度目のソ連領外への出張であり、一定程度、慣れているとも思っていたものの、疲れがたまっているのかもしれない。
ヨシエはファイルを鞄にしまい、中央アジアへの到着まで、暫く眠ることにした。
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