第8話 面談
8-1 事前準備
昨日、約20年ぶりに父・勝造に再会したヨシエは、翌日より、捕虜日本兵との面談の準備を行った。この席には、ヨシエのみならず、ソ連軍事顧問、更に、通訳の呉等も参加した。
呉が参加しているのは、やはり、中国共産党として、ソ連側の動向を知っておきたいという意味合いも含まれているのだろうか。そうだとしたら、ヨシエは席上の発言では、慎重にならざるを得ない。
席上、事前に捕虜日本軍将兵のファイルを確認していたヨシエではあったものの、列席者に、
「同志の皆さん、人選にあたりまして、何か意見はありますか?」
と問うた。ヨシエの訪問前から延安にいたソ連軍事顧問が口を開き、
「同志少佐、貴女は、今回の人選にあたり、どんな人物がふさわしいと思いますか?」
人選にあたっての本質的問題である。また、この発言は他の中国側列席者には、ロシア語の通訳によって訳され、中国側列席者に伝えられた。
中国側には、中国側なりの-現時点ではまだ、中国国民党政権ではあるものの、将来的には中国共産党の-利害があるであろう。
ヨシエもロシア語で、
「国際共産主義運動、特に、将来的にはアメリカ帝国主義に対抗し得る人物が良いでしょう」
と答えた。露骨に
「親ソ的な」
等と答えると、中国側としては、警戒心を抱くことになるかもしれない。勿論、
<国際共産主義運動、特に、将来的にはアメリカ帝国主義に対抗し得る人物>
が、ソ連中心のそれと解釈されれば、
<親ソ的な>
と解釈できないこともない。しかし、未だに、中国共産党の対立者たる中国国民党政権を米国が支援しているという現実からすれば、反米的スローガンは中国共産党にとって、受容できない台詞ではない、とも思われた。
他の列席者が発言した。
「日本のどこかに上陸するとして、その軍事力は当然、ソ連軍ということになりますね?」
現実の状況の確認である。
「当然、そうなりますね」
「そうなると、赤軍による対日侵攻ということになりますが、その口実はあるのですか?」
これ等については、日本語の方が分かりやすいかもしれない、という配慮からか、呉が、日本語でヨシエに伝えた。
しかし、その
<口実>
については、ヨシエも知らされていなかった。
「その件については、私も分かりません。作戦は始まりつつも、私も作戦の一翼を担っているとはいえ、やはり、一翼ですから、知らされていない点もあります」
ヨシエは、ロシア語で回答しつつ、同じくソ連側列席者である軍事顧問の方を見た。彼も、勿論、知らされてはいなようであった。
対日侵攻作戦は、ソ連という体制にとっての一大計画なので、容易にその全容が、おそらくは異なり利害を持つであろう他の国々等に知られてはまずいであろう。
更に中国側から発言が続いた。
「対日侵攻は、何時頃を計画されていますか?」
「これもまだ不明確ですが、来年以降でしょう」
既に季節は冬であり、月は11月になっていた。軍の動員等、準備には一定の時間が必要である。年を越し、作戦発動は、来年、すなわち、1957年、日本で言うところの昭和32年にならざるを得ないと思われた。
さらなる質問が中国側関係者から続いた。
「既に満州里には、我が中国共産党の政権ができ、満州国とのにらみ合いになっておりますが、ソ連軍が対日侵攻した場合、満州国の扱いはどのようになるのでしょうか」
通訳がロシア語に訳し、ヨシエやソ連軍事顧問等に伝えた。
これについては、ソ連軍事顧問の1人が説明した。
「対日宣戦と同時に、満州国にも我がソ連軍が攻め込むでしょう。日本側は、大東亜共栄圏の名の下、支配権を拡大しすぎましたね。加えて、方々で反日ゲリラが蜂起するようになり、資源獲得のための侵略というよりも、支配のための支配と化した感があります。その支配のために、日本軍は各占領地に分散し、満州国を実質的に支配して来た関東軍も他地域に配転になって、弱体化していますし、満州国軍では内部で不満が高まりつつあるのが現実です」
勿論、ソ連邦としては、大東亜共栄圏を切り崩すため、現地の共産党をはじめ、反日ゲリラを支援していた。大東亜共栄圏の各地では、日本にとっての重要施設たる石油基地、港湾、弾薬庫の放火、爆破等をさせていた。
現地住民への抑圧による労働力の使用によって、現地で調達された資源等によって、なされた占領政策であった。それは人々の怒りをかった。その弾圧のために、日本軍は占領軍として弾圧に動くために、現地での調達資源等を使用せざるを得ないものの、それそのものが、占領政策そのものによって発生することになった反日ゲリラにによって、困難になりつつあった。また、弾圧が現地の
<社会>
の怒りをさらに買っていたのである。
以上のような状況が、ソ連側にとっては、これは勢力を拡げる良い機会であった。
但し、各方面での反日運動は、米、英軍等も支援しており、主導権争いの様相を呈していた。そうした事情もあって、中国では、ソ連と同じく、共産党政権が成立することが望ましかった。
ソ連軍事顧問の彼は、こうした状況を踏まえつつ、
「満州里等、各方面から侵攻したソ連軍は、満州を皆さんに引き渡すでしょう。日本の侵略の結果としてとは言え、重工業施設等もありますし、又、降伏した満州国軍や関東軍等の装備も中国共産党に引き渡され、中国共産党の政権獲得のために貢献するはずです」。
この状況は、ヨシエ自身が満州里近くの外郭要塞にて、実体験したことだった。
但し、毛沢東の指導の下、独自の路線を進む可能性もある巨大国家・中国が親ソ的になるかどうかは分からない。それ故に、ソ連としては、日本を押さえておきたいところだった。
「対日侵攻後の政権の人選ですが」
ヨシエは改めて、ロシア語で言った。
8-2 人選
「それについては、ソ、中両国いずれに対しても反ソ、反中でない人物が良いでしょう」
ソ連軍事顧問の1人が改めて発言した。中ソ両国の双方への国益を配慮した発言と言える。通訳が、この発言を中国側に伝えると、一定程度、納得したようであった。
「具体的には、どんな方々がいますでしょうか」
ヨシエは、ロシア語にて質問した。ロシア語の分かる中国側列席者が、数語、中国側で会話を交わした。
呉が、日本語でヨシエに話した。
「野崎忠一はいかがでしょうか?」
「野崎忠一?」
ヨシエは改めて、持参のロシア語ファイルを開いてみた。
<H>(ロシア語の「エヌ」)
と書かれたファイルの中に、
・ノザキ=チュウイチ
の名はあった。
日本の有名国大を卒業の後、陸軍に応召し、中国戦線に投入されたものの、その後、捕虜になった旨が記載されていた。
「なぜ?」
改めて、ヨシエは呉に問うた。
「もともと、反戦思想の持ち主だったようでね、ここ延安での再教育の内容も比較的、呑み込みが早かったんです」
そのように呉は言うと、
「彼に面談されたらどうでしょう。既に、目ぼしい関係者は、別室に待機させてあります」
「分かりました。候補者は全部で、何人くらいですか?」
「40人くらいですね」
「今日、午後から面接できますか?」
「大丈夫です」
「では、昼食の後、午後2時からにしましょう」
その後、数件の発言の後、会議は解散となった。
8-3 面談
午後2時、用意されたヤオトンにて、面談が始まった。
面接官は無論、ヨシエである。この他、この他、ソ連軍事顧問、そして、呉を含めた2人の日本語の話せる中国側通訳が席に着いた。彼女等の背後には、銃を担いだ2人の八路軍兵士が警備として立った。又、八路軍兵士はヤオトンの入り口にも2人いる。
そこへ、更に、2人の別の八路軍兵士が護衛する形で、野崎忠一が入って来た。身長165センチ強程の男性であり、特に太ってているでも、痩せているでもなかった。彼は、ソ連軍の軍服を着用し、テーブルの中央に座っているヨシエの姿を見て、少し、驚いたようであった。皇軍には女性兵はおらず、又、日本人がソ連軍の軍服を着用しているのを初めて見たのであった。
野崎は、それまで見たことのない姿に驚きを隠せなかったのであろう。
兵2人に護衛されて面接会場というべきヤオトン内に入ったものの、立ったままの野崎に、ヨシエは声をかけた。
「どうぞ、お座りください」
野崎としては、久し振りに、同じく捕虜兵である人々以外から、しかも異性から聞くネイティブの日本語であった。
「はい」
そう一言、言うと、彼は、テーブルの正面にある椅子に座った。かつて、彼は、就職の面接会場にて、同じような格好になったことがあった。それから、既に20年前後も経過していた。
「お名前と年齢、それから、出身地をおっしゃてください」
「野崎忠一、年齢50歳、1906年生まれ、出身地は東北、秋田県です」
「はい、ありがとうございます」
ヨシエは野崎の回答に、まずは礼を言った。
「彼は緊張しているかしら?」
そう思いつつも、何かしら、野崎の表情は読み取り難い。かつてのヨシエがそうだったように、彼も又、何かしら、自身の表情を隠す術を身につけているのだろうか。
「私は、ソ連のKGB少佐・ヨシエ=クツーゾネフと言います。今日、あなたを中心的に面接を行います」
野崎としては、既に元・日本人の女性がKGB将校になっていることは聞かされていた。
しかし、彼も又、
<捕虜は恥>
という皇軍教育を受けた人物であった。正面のヨシエの姿を見て、やはり、何かしら、違和感を覚えざるを得なかった。
しかし、周囲には、銃を担いだ八路軍兵士がいる。おそらく、批判的な事は言えないであろう。
ここへ連れて来られた時点で、半ば、自分の運命は決められていたようなものだろう。
如何なる
<運命>
になるかは分からぬものの、ある種の
<覚悟>
を決めなければならないであろう。
「野崎さん、あなたの経歴について読ませていただきました。日本国内の有名な大学を出ていますね」
「はい」
「その後、内地で就職されて、事務の仕事をされていましたね」
「おっしゃる通りです」
野崎はヨシエに、
<自分史>
を追跡されていた。
「そして、その後、八路軍との戦いで、捕虜となって、ここでの暮らし、今に至る、ということで良いですか?」
「はい、その通りです」
<自分史>
の追跡を終えた正面のヨシエから、更なる質問が発せられた。
「あなたは、ここ延安での再教育の呑み込みが早く、理解も良いと聞いています。ご自身でなぜだと解釈されますか?」
野崎は1分ほど考え込み、そして言った。
「日本の今の体制になじめなかったのかもしれません」
これは、かつてのヨシエとよく似た状況である。興味を持ったヨシエは更に問うた。
「なじめなかった。具体的には?」
「私が大学を出て就職せんとした頃は、大恐慌で本当に生活が苦しい最中だったんです。あちこち、這い回って、どうにか、ある会社に就職したんです」
そのことは、既に資料に記載されていた。
「なるほど、それで?」
「ですが、不況のおかげで、まともに給料は出ないし、そのうちに、首切りも示唆されたんです」
「ふむ」
「労働運動なんかしたって、弾圧されて、警察のお世話になりかねないし」
野崎は、当時の苦しい状況を振り返りつつ、言った。
「それで、昭和6年に満州事変があって、私も応召したんです。その時はそれでも、苦しい状況から脱出できると思い、良かったとさえ思いました」
この点は、勝造と同じであった。皆、生活の苦しみにあえいでいたのである。
「二等兵の階級で入隊して、満州に送られましたけど、上官の体罰、さらには、周囲からも根性のなっていない青二才のひょろひょろインテリ野郎とか言われ、ひどいことでした」
ヨシエは心中、野崎に同情せざるを得なかった。彼女自身もある意味では、同じ目に遭わされてきた過去があるからである。
「相当に辛かったでしょう。だけど、今後、新日本建設のために働いてみない?」
<新日本建設>
のために、野崎にはどんな役回りが与えられるのか。彼にとっては、正面のKGB女性将校次第であろう。あるいは、
<捨て駒>
的役割かもしれない。
とりあえず、野崎にとっては、一体、どんな
<指示>
が出て来るのか?彼は恐怖交じりに緊張した。
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