第4話 報道
4-1 取材
翌日、門脇母子に、地元の記者が取材にやって来た。
「すみません、私、『新潟○○報』の記者、佐藤栄一と申します。昨日の事件の件で、お話をうかがいたんですが」
麻衣子が玄関から外に出て行った。
「既に刑事さんに言うべきことは言いましたし、何ももう、話すことはないんですが」
「はい、ただ、記者として、いくつか、お聞きできることがあれば、と思いまして」
「私達が言えることは、すべて言ったんです。それこそ刑事さんじゃないし、家族の私等にもわからないことが多いんです」
「御主人が殺されたのは夜間と聞いていますが」
「そうです。そこまでわかって言うんでしたら、警察に取材なさったら、如何でしょうか?」
そういうと、麻衣子は玄関を締め、鍵音をかけて、鍵をかけた。麻衣子は記者の佐藤を追い返した。麻衣子と道子は、まだ、昨日の興奮が冷めやらず、自身の置かれた状況が受け入れられないのである。
「お母さん、大丈夫?」
「うん、まあ」
麻衣子は道子に答えた。、勿論、道子とて、興奮冷めやらず、辛い心境であろう。門脇家には、彼女等の他にも、男子が2人、つまり、道子の兄2人がいるものの、いずれも徴兵され、陸軍の兵士として、南方の大東亜共栄圏のある地域に配属されていた。
遠い南方より、時々は、書簡が来るものの、
「皇国と陛下の防人として・・・・・」
等、ある種の、月並みなる文面であった。麻衣子と道子としては、元気で頑張っている、と勝手に解釈するしかないのであるが、食料をはじめ、配給が足りず、正直、明るい話題のない今日この頃である。正直、大東亜共栄圏各地の現場では、反日ゲリラが出没している、との噂も聞いていた。勿論、これらは、
<流言飛語>
とされ、大っぴらには話題に出来ない種類のものであった。道子のとっての2人の兄たちの現場もそのような状況かもしれなかった。
そんなところへ、
「父の淳一が殺害された」
等と返書を書いたら、どうなるのか?いよいよ、訳が分からないことである。正直、返信を書く以前に、道子等としても、どうして良いのか分からないのである。
とにかく、今はただ、2人で静かに暮らすくらいしかできないのが現実であった。
「お母さん、少し、横になったら?」
まだ、外は昼で、明るいものの、道子は母・麻衣子を布団に寝かせた。そして、道子自身も少し、横になることにした。未だに何か、現状が受け入れられない。信じられない。そんな中、それこそ、そうした
<現状>
から逃れる点には、自身も一旦、眠って、
<別世界>
に逃避するしかないと思われた。道子は、先程、麻衣子が鍵をかけた玄関をも含め、自宅の戸締りを確認すると、自身も少し布団にもぐって、眠った。
4-2 警察
門脇家を追われた記者・佐藤は改めて、取材のため、新潟県警本部を訪れていた。
今回の門脇淳一巡査殺害を知ったのは、勿論、麻衣子が言ったように、警察-昨日は、所轄の署だったが-を訪れ、取材していたからであった。本件の取材のため、『朝日』等、全国紙の記者も来ていた。
応対に出た刑事が、記者たちに言った。
「本件は、陛下と皇国に対する反逆を促すビラがばらまかれる等、非常に重大な事案である。当局として、それ故に、そのビラについては、人心の動揺を避けるために、公開はできない。記者諸君には、人心の動揺を鎮め、不審なビラは、ただちに、交番等、関係部署に届けることを記事にし、促してもらいたい」
刑事は、彼等、記者たちに対し、
「もらいたい」
というある種の
<申し出>
のような表現を使った。しかし、これは、実質的には、体制側からの
<命令>
に他ならなかった。大日本帝国憲法には、
<報道の自由>
の項目はなく、むしろ、
<戦勝による平和>
が言われながらも、
<戦時体制>
が継続している今日、しっかりと権力の側の都合に合わせた検閲制度があった。その検閲に引っかかったら、警察、それこそ、特高の側から、どんな目に遭わされるか、分かったものではない。
警察の側からの一方的記者会見の後、記者たちは佐藤を含め、自社の社屋に引き上げ始めた。
自社に戻りつつ、佐藤は思った。
「門脇家から、ここに来るまでに、現場付近の町内の人たちが言っていたよな。『これから、どうなるんだ』って。あの地区は、暫く、警察のいない空白地域になるかもしれない。それこそ、警察だとか検察だとか、司法の番人と言われる人々でさえ、闇食糧だの、闇物資だのに手を出している始末だし、これは最早、公然の秘密だ。いよいよ、良からぬ勢力がはびこるような場所になるのだろうか」
そのように思いつつ、
「公開されなかったビラとやらだが、やっぱり、地区の人間が言うには、反体制的な事が書いてあったと聞く。昨今の闇経済がはびこる現状じゃ、本当に何か、不穏分子が動き出しているのかもしれないな」
佐藤は取材記者として、町内を歩いていた時、地元民の間でのビラについての会話を耳にしたので、詳しく聞いてみようとした。しかし、皆、言いたくない様子だった。
<反体制>
について書いたビラについて色々、口にしたら、彼等彼女等とて、それこそ、
<体制>
側の
<お咎め>
は免れ得ないであろう。口でしゃべっただけのつもりでも、
<隣組>
等を通して、密告されることは十分、あり得るのである。配給も乏しくなっている昨今、
<密告>
によって、
<体制>
側から可愛がられ、それによって、より多くの配給にあやかろうというものもいる。そうした
<恐怖>
が、<社会>をして、口を堅くさせ、口を重くさせる傾向を作り出していた。
事件現場であった地区でも隣組や在郷軍人会が存在しているので、警察の空白地帯となったとしても、或いは、
<生活物資不足>
といった現状が警察抜きでも治安を維持するかもしれない。
佐藤はそうした状況を心中にて改めて思いつつ、『新潟○○報』の社屋に戻った。
「ただいま、戻りました」
佐藤は上司、あして、周囲の同僚記者に帰社の挨拶をすると、自身のデスクにつき、ペンを手に取り、取材結果を紙に書き始めた。記事は検閲に引っかからないように書かねばならないことは言うまでもない。
佐藤は、そのことに注意しつつも、ペンを進めた。
「市内××町にて、殺人」
の見出しの下、
「市内××町の駐在の巡査・門脇淳一氏、〇日深夜、夜勤中に何者かに短刀らしきもので刺され死亡、県警は犯人逮捕のため、鋭意、捜査中。みだりに人心を動揺させぬよう、流言飛語に注意すべきとの県民への注意喚起・・・・・」
といった記事を佐藤は書いた。
「デスク、これでよいですか?」
佐藤は、書いた原稿を上司のデスクに見せた。
デスク氏は、原稿を一瞥すると、
「まあ、こんなものだろう」
という意味の台詞を口にし、そのまま、記事として翌朝の朝刊に掲載するように指示した。この他、社説の記事は、無論、
「不審なビラに動揺せず、皇国・日本と大東亜共栄圏の大義を護れ」
の見出しの下、事件現場付近において、佐藤も耳にした
<不審なビラ>
が出回っているようであるものの、それに動揺してはならない。不審物は、<銃後>を支える自覚を以て、1人1人が、主体的に警察等、関係当局に届け出なければならない旨を訴える内容となっていた。
翌朝の朝刊と為るべく、記事原稿は印刷所に回されていった。全国紙等も今頃は同じであろう。但し、検閲の下、内容も然程、差のないものであろう。
そんなことを思いつつ、佐藤は、退社し、家路に就いた。
4-3 その翌朝
相変わらず、変哲のない毎日ではある。本日も、新潟でも、東京でも、大阪でも、その他の各地方でも、日は登っていた。日が昇るのは、-無論、天候によって、その姿は各地域にて変化はするであろうものの-平等な姿であろう。
しかし、昭和31年現在、
<社会>
は統制されつつも、食糧配給等に各自の利害が絡んで不平等の様相を呈していた。
<不平等>
が半ば、変哲のない姿であると言えた。
東京の藤倉家の郵便受けには、いつも通り、変哲なく、朝刊が投げ込まれていた。朝、雄一は郵便受けまで、新聞を取りに行き、早速、手にした新聞を拡げた。
今朝の朝刊も、6ページ程度の薄いものであった。
<非常時>
が、
<常時>
としている日本では、既に<日中戦争>(昭和12年、1937年~)の頃から、生活物資の統制がなされており、当時、まず、マスコミでは夕刊がその対象となり、紙面が減り、そして、消えて行った。そして、朝刊も薄くなり、今朝のような姿になっているのである。
そして、新聞も、最早、政府側からの単なる
<社会>
への一方的情報伝達の手段と化していた。
雄一としても、ラジオは先日のハンガリー情勢の報道のような特別番組を除き、同じ内容の繰り返しなので、面白くもないのである。
新聞とて、同じではあるものの、自分のペースで紙面を追える点は、ラジオと異なりる楽しみと言えた。つまり、アナウンサーが一方的に話す速度にひきずられるラジオとの違いである。
新聞には、受け手の主体的な動きが許される余地があった。
雄一が手にした新聞の中に、
「新潟市××町にて、巡査、殺害さる」
という見出しの記事が社会面にあった。
「新潟市××町にて、駐在勤務の巡査・門脇淳一氏が殺害された。新潟県警は目下、容疑者逮捕に向け、鋭意、捜査中」
とあった。
遠く新潟のことである。何があったのかは分からない。しかし、雄一の近所でも、隣組会長・山村太造の秘書・喜八が殺害され、結果として、太造その者が逮捕された。現代日本の
<社会>
は、変哲がないようであるわりには、犯罪は発生しており、犯罪は変哲のない毎日に、ある種の話題をもたらす存在であった。
居間にて新聞を読んでいた雄一のところに、姉の妙子も起きて来た。
「あら、もう新聞、読んでいるの?」
「うん」
「読み終わったら、きちんとたたんでおいてよ。新聞は家族みんなのものなんだから」
これ又、全く変哲なき、いつもの
<家族会話>
というべき光景であった。
一通り、記事を読み終えた雄一は、紙面の中にある社説に目を移した。
<社説>
には、以下のようであった。
「最近、皇軍兵士、そして、皇国日本を支える銃後の婦女子等によって達成せられた大東亜共栄圏の成果を『批判』するビラが、発見せられる事例がある。非国民というべきそのような不届きな行為は、厳しく断罪されねばならない。又、心ある臣民ならば、こうした動きを積極的に当局に届ける態度が肝要であり、それが皇国への赤心を具体的に示す真の忠の道である」
何か、常々、ラジオにて放送されている内容とそれこそ、変わりない、つまりは、
<変哲なき>
主張であろう。
「しかし」
と、しかし、雄一は思った。
先日、図書館にて見たように、昭和31年現在の今日より、はるかに過去の時代であった戦国期の方が、明銭が流通し、経済的にも豊かに思われるのである。かつて、現行体制について、学校で喧嘩したこともある雄一は、書物から得た知識とはいえ、そのように思わざるを得ないのである。
雄一も既に15歳である。色々な矛盾に多感になる年頃であった。
しかし、それを学校で口にすれば、体罰等のひどい制裁を受けることは明らかであった。こうした件については、
・姉-母
の形での家庭内戦争になりかけたこともあり、雄一は疑問を抱きながらも、言いたいことも言えない状況であった。
そこへ、先程、一度は自室に戻っていた姉の妙子が再び、居間に戻って来た。
「新聞、読み終わったの?」
「うん」
雄一は、先程、妙子に言われたように、新聞をたたむと、自室に戻った。何かを言おうものなら、またまた、妙子ともめそうな気がして、何も言わずに自室に戻った雄一であった。
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