第2話 内情

2-1 夕食

 「ただいま」

 「あ、御帰り」

 静江が声を出して、迎え入れた。時刻は間もなく、午後7時である。

 「さ、夕食にしましょう」

 いつものように、静江、妙子、雄一の3人がちゃぶ台を囲む藤倉家であった。勿論、仏壇の人になってしまった峯雄にも、静江は夕食を供えた。いつも通り、ジャガイモにカボチャの塩味付けのみである。

 静江は、妙子に話しかけた。

 「妙子、あんた、良い人はいないの?」

 「何よ、急に又」

 妙子としては、雄一を軍の学校に入れることを話題に入れることを話題にすることを言うのかと思っていたので、少し驚いた感があった。

 「別に」

 妙子は、そっけない返答したものの、思う人がいないのでもなかった。近所に住む幸長であった。

 幸長は、妙子に女学校の勉強をいろいろと教えてくれる存在であった。必要な本も貸してくれた。妙子は、学生として、女学校で過ごしているので、男性に会う機会は乏しかった。妙子にとって、昼のラジオの件が、特に新鮮に思われたように、味気ない日々を送っているのが現実の毎日であった。そんな中、然程、年齢の離れていない幸長は、彼女の生活にとって、1つの刺激であり、新鮮さかもしれなかった。

 故に、妙子としては、幸長にそのまま、魅かれる感情を持つようになった面もあるのだろう。

 幸長が警察に連行され、拷問された後、彼の家を訪ね、幸長の母の許しを得た上で、

 <看病>

をしたことが数度あった。そして、そのうちに、幸長の母は、

 <看病>

を任せたまま、外出する等も多くなり、その分、幸長と妙子は、2人だけの時間を過ごすことも増えていったのであった。

 このことは、おそらく、静江も既に承知していたのであろう。しかし、特にとがめはしなかった。知っていて、咎めないことを妙子も認識しつつ、そのことを妙子も話題にはしなかった。

 互いに、半ば、奇妙な黙認状態にあった。

 思うに、このままでは、経済的に苦しくなる藤倉家は、そのまま、衰弱、崩壊するかもしれなかった。だので、妙子が幸長と結婚してくれれば、一定の経済的負担の回避になるかもしれない、という打算も静江にはあったのかもしれない。

 そして、このことは、妙子も心中、徐々に気づきつつあった。何時、終わるかも分からない生活苦を踏まえれば、想像できないことではなかった。

 「別に」

 という娘の声を聞いた静江は、

 「そう」

と同じく素っ気なく言った。そうは言いつつも、

 「雄一のいない間に、はっきりと言っておけばよかった」

と内心、後悔のような感情もあった。

 この件については、雄一も何も言わなかった。多分、家族を同じくする者として、姉の行動を見ているうち、何となく察するものがあったのであろう。

 「ごちそうさま」

 一番最初に夕食を終えた雄一は、食器を片付け、自室に戻った。

 それを見た静江は、書き込むように夕食を済ますと、妙子にも早く食べるように、促した。

 「晩を済ませたら、ちょっと話しましょう」

 妙子も、せかされて、夕食をかきこんだ。


2-2 提案

 食器を片付けた後のちゃぶ台をはさんで、静江は妙子と向き合って座った。

 「妙子、幸長さんとはどうなの?」

 妙子としては、幸長との関係については、既に静江に知られているということは、半ば、分かっていたものの、改めて、口に出されて言われると、動揺を隠せないものがあった。

 「うん、まあ」

 「良い関係なんでしょ」

 その通りであった。事の本質を話の冒頭から突かれる格好となった。

 妙子としては、何か、気恥ずかしいものがあって、

 「はい、そうです」

と、口に出すのははばかられたものの、その回答は顔に出ていた。

 「お母さん、もう分っていなんでしょ」

 「そうよ、でも、口にはしなかった。なぜだかわかる?」

 「良く分からない」

 母親としても、娘の男女の関係に口出しするのは、何かはばかられるものがあったのであろう。だから、口出ししなかったのは想像できた。妙子とて、口出しされて、’愉快な気分になったとは思われない。だから、互いに何も言ってこなかったのである。

 そのことは認識済みであり、故に、話題にしたくないと思って、

 「良く分からない」

という心中とは異なる返答をしたのであった。そう言ったうえで、妙子は

 「でも、お母さん、私と幸長さんが結婚すれば、私の居場所が見つかるかもしれない、と思っているんでしょ」

と問うた。

 「そうよ、学校を卒業した後、何処にも居場所がないのも困るでしょ」

 「うん」

 何処にも居場所がなければ、

 <個人>

は、<社会>を当然の如く構築する日々の生活として、

 <社会>

を様々に生きる、換言すれば互いの関係-これも又、意識するまでもない各<個人>の日々の生活そのものである-たる

 <社会>

そのものであると言えた。その中で、居場所をなくせば、その者は、

 <個人>

として、生きてはいけない。静江はそうした意味で、妙子、そして、雄一のことを案じていたのであった。

 「幸長さんのところのお母さんとも、この件については、話したことがある。2人が良ければ、ちょうど良いんじゃないかって」

 既に、色々、お見通しであった、ともいえた。しかし、幸長の母が、既に妙子の来訪を目撃し、

 <看病>

を任せてしまった以上、当然と言えば、当然のことであったかもしれない。

 妙子は、半ば、分かっていながらも、気恥ずかしさから、建前としては、

 <秘密>

としておきたかった。しかし、所謂、

 <公然の秘密>

たることは、彼女自身でもわかっていたことであろう。

 妙子は、静江が、これまでの関係について咎めたり、茶化さずに話してくれたこと、そして、半ば、自分達の希望を察してくれている母・静江に感謝した。

 「まあ、幸長さんちなら、互いにみそ汁の冷めない距離でしょうよ」

 静江は、娘・妙子のことを案じて、身近な距離に娘がいることのできる今回の話は良い話と考えていた。

 もっとも

 <味噌汁>

の素となる味噌、具材はほとんどない、今日この頃であったが。

 静江は、話を進めた。

 「もし、あなたが良いなら、縁談を進めてみる?」

 「うん、お母さん」

 妙子は返事は、しっかりしたものであった。

 味気ない漠たる不安な日々の中、将来への希望の灯が1つ、見えたからだろうか。

 ちゃぶ台を挟んで静江と向き合って座っていた妙子は、立ち上がると、雄一のの部屋のふすまを開けた。いきなり、ふすまを開けられた雄一は驚きの表情を見せた。

 彼は、先程から、居間での静江と妙子の会話をふすま越しに身を乗り出して聞いていた。

 静江が言った。

 「さっきから、話を聞いていたんでしょ。出てらっしゃい」

 「うん」

 雄一は、自室から、居間に出て来た。


2-3 居間での家族

 改めて、静江が言った。

 「聞いての通りよ。お姉ちゃん、結婚するかもしれない」

 「うん」

 雄一としては、正直、どのように答えて良いか、分からなかった。

 雄一にとっては、事あるごとにうるさい姉であった。

 <女>

とはいえ、自分より強い存在であった。しかし、色々と厳しく、

 <男>

の自分自身に厳しく接して来たのは、しかし、

 <女>

としての優しさかもしれない。半ば、気弱で、ある種の

 <軟弱者>

の自分に対し、然程、年齢の離れていない女性であった。厳しく接せられたとはいえ、本心でぶつかって来てくれた然程、年齢の離れていない女性であった。それは、ある種の

 <愛すべき相手>

だからこそ、しっかり、本音で接そうとしたのかもしれない。換言すれば、ある種の

 <優しさ>

があったのかもしれない。

 それ故に、血のつながった姉弟であったとはいえ、

 <小さな恋人>

であったのかもしれない。

 その姉が、他の男性と一緒になろうとしている。雄一として、何かしら、複雑なものを感じざるを得なかった。

 静江が言った。

 「何か、ないの?」

 「え?」

 雄一としては、何といったらよいのか分からない。静江としても、雄一がなぜ、何とも言わないのか分からない。

 静江としては、

 「家族のお祝い事なんだから、おめでとうくらい言ったら?」

と言おうと思ったものの、

 「まあ、良いわ。まだ、妙子の縁談も正式に決まったわけではないので」

と思い、

 「突然のことでびっくりさせたかもしれないわね。今日のところは、これで終りにしましょう」

 そう言って、妙子と雄一にそれぞれ、自室に戻るように促した。

 居間に残った静江は、仏壇に向かって、

 「あなた、最近も色々と大変です。さっきも見てのように、年頃の男の子は、女親では分からないこともあります。あなたが居てくださったら、何とかなったかしらね」

 そう言いつつ、

 「でも、いつも、お星さまの世界から、私達を見守ってくれていますものね。いつも、本当にありがとうございます」

 そう言うと、静江も自身の部屋-かなり短い期間だったとはいえ、夫婦2人の部屋であった-で布団に入った。

 布団に入って、静江は思った。

 「私の工場での給与も少なくなって来ている。以前、いつだったか、妙子を春江の家に行かせて、食料を何とかしたけれども、そんなこと、いつも、或いは、いつまでもできることじゃない。妙子に新たな居場所が見つかったかもしれないことは、少し、安心かもしれないけど、その後も、日常の食料さえ不足するような今の状況が続いたら、まともな夫婦生活なんか続くだろうか」

 いつ、終わるとも知れない現行の体制と生活は

 <生活>

という日々の常識を送る<個人>という、それこそ常識的立場にある人々の心中に黒い霧のような暗い

 <漠たる不安>

を拡げていた。

 しかし、そんな<生活>を改めて思ったところで、静江に何ができるのだろう。

 <大東亜戦争の正当性>

をめぐって、かつて、妙子と母子戦争になりかけたこともある静江ではあるものの、苦しい生活が続く中で、彼女もさすがに、何もできない立場にいると半ば分かりつつも、この件について、自問自答せざるを得なくなって来ていた。

 そして、考えれば、考えるほど、悩みは尽きないものである。妙子の将来のみならず、雄一の将来、配給の先細りによる自身の生活の崩壊の可能性等、

 <生活>

に関する悩みの種は尽きることなく出て来ていたし、今後も出続けるであろう。

 そんな悩みを自身1人で支え切れるはずもなかろう。静江は-昼に、工場等で何かを頑張っている時等はともかく-、何かの時間ができた時には、次から次へと湧き出して来る

 <悩み>

に押し潰されるかのような気分になる。このままだと、本当に押しつぶされてしまうかもしれない。かといって、相談相手になり得る夫・峯雄は既にいない。

 殊に、収入減に直結する工場の操業停止は、

 <悩み>

が静江に襲い掛かる機会をつくる。

 そして、今のように真っ暗で、周囲に誰もいないとかえって、そんな気分になるのである。

 しかし、そうして、色々、考えているうちに、それらの

 <悩み>

が疲れを強めたのか、静江の意識を遠のかせ、彼女を眠りに誘った。 

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