第3話 いつもと違う日

3-1 提示

 涼子は玄関をくぐった後、まず、2階に上がった。2階に彼女の部屋があるのである。

 階段を上がっていくと、2階から、妹の厚子が話しかけて来た。

 「お姉ちゃん、お帰り」

 「あ、ただいま、厚子」

 「さっき、お母さん、呼んでいたわよ」

 「分かってるって」

 涼子は階段を2階に上がっていき、妹・厚子の脇を通ると、自身の部屋に入ると、モンペからスカート姿に着替えた。

 着替えている時、下の茶の間から、聞き慣れない野太い声が聞こえて来た。

 部屋から出た涼子は、廊下にいた厚子に尋ねた。

 「誰?」

 「田舎のおじさんよ」

 厚子の表情が何となく暗い。涼子は何かしら、不審なものを感じつつも、厚子を促し、1階に降りた。

 涼子が、1階の居間のふすまを開けると、ちゃぶ台を囲んで、家族が揃っていた。

 父・基次が向かって左に、母・寛子が右、そして、叔父の基朗が正面に座っていた。基朗は、父・基次の兄にあたり、幼い頃、遊びに行った田舎の家の長男である。

 3人の座り方からすると、同じ江口家とはいえ、あたかも、基朗が、この家の主人と言わんばかりの態度である。

 涼子は、当然の如く、何かしら違和感を感じざるを得なかった。

 「涼子、そこに座れ」

 基朗は、それが当然である、と言わんばかりの態度で、ちゃぶ台をはさんで、彼自身の正面に座るように、涼子に指示した。

 「はい」

 一方的な指図に、内心、不快なものを感じつつも、畳の上に正座し、厚子もそれに続いた。涼子は、今日、基朗が訪ねて来るとは、一切、聞いていなかった。

 寛子が口を開いた。

 「基朗おじさんね、今日、涼ちゃんのために、縁談を持って来たの」

 「え?」

 涼子は思いもよらぬ突然の話に驚き、思わず、声が出た。

 「うむ」

 基朗は、古武士然とした居丈高な態度で、言った。

 「涼子、今日は、お前が嫁ぐべき相手を紹介しに来た」

と言うと、ちゃぶ台の上に、その

 <男>

の写真と氏名の書かれた紙を提示した。

 <村川 剛造>

と、その紙にはあった。

 「近々、お前には、この彼との結婚を進めてもらう」

 一方的な命令であった。

 涼子は内心で怒り、

 「何の、この話?連絡もなくいきなり現れて、しかも、主人気取りで」

 内心の怒りは、涼子の表情を変えた。それは基朗にも伝わったかもしれない。

 「異議は許さない」

といった態度で、基朗は続けた。

 「お前には、わしの住む村に来てもらい、わしらの家の手伝いをしてもらう。婦女子として、その心構えはあるだろうな」

 寛子が、口をはさんだ。

 「おじさま、すみません、涼子は20歳を超えたとはいえ、弱弱しい娘なんです。おじさまの世話といっても、不慣れなところもあるでしょうし、もう少し、猶予していただくことはできないでしょうか」

 涼子には、母・寛子の発言が、娘としての自分をかばってのものであることはすぐに分かった。戦時体制がなおも続く昭和36年の今日、田舎では、停電は都市以上に頻発していると聞くし、水道も良くない状況かもしれない。勿論、ガスも通っていないのではないか。

 加えて、何よりも、地主家の長男として、幼い頃から、当然の如く特別扱いされた育って来た基朗のもとになど置かれたら、一体、どんな扱いを受けることになるか、分かったものではないであろう。

 寛子は、自身の夫・基次の方に目をやった。基次は、何か言いたげな表情であった。しかし、苦虫をつぶしたような表で、何も言わない。

 寛子としては、基次が何も言わない、というより、何も言えない、どの事情が分かっていた。

 基次も、戦時体制が厳しくなると、軍に召集され、陸軍の一兵卒として、南方戦線に送られ、前線で戦った経験を持つ。日本の実質的勝利となった昭和17年の翌18年、幸い、内地に帰還することができたものの、ある意味、そこからが

 <命がけ>

の帰還だった。占領地では、反日ゲリラが出てくる可能性もあったし、既に、米・英の連合軍が反撃の準備として、潜水艦を潜航させている、あるいは、反日ゲリラが日本側輸送船がゲリラによって、中途で爆沈させるために爆破工作がなされていいるという噂もあった。

 そうした活動を抑え込むためにも、日本軍は占領地での駐留を続けねばならず、連合軍の本格的な反撃に備えて、各占領地に大軍を配備せねばならない、といった事情があった。

 そんな状況の下、漸く、内地に帰還できた基次ではあったものの、内地では物不足が続き、当然、経済は循環せず、働き口も少なく、漸く、再就職口を見出したものの、基次は然程の給料が稼げるわけでもなかった。その分は寛子が働き、又、勤労奉仕の現場でいくらかは稼げる涼子の給与等で、何とか、助け合って暮らしてきたのである。

 今日の<縁談>-実質的には命令―にあたって、実は、基次と寛子は、事前に、基朗から、

 「涼子をわしの都合に合わせてくれるのであれば、米等の食料を多少は支給してやろう」

といった内容の書簡を、基次と寛子は受け取っていた。

 この件につき、基次と寛子は、あらかじめ、涼子に伝えようかとも思っていた。しかし、それを事前に伝えれば、涼子は嫌がり、話そのものが破談になるかもしれない。しかし、そうであれば、米等は手に入らぬであろう。それは、換言すれば、江口家の食糧危機になりかねないことかもしれなかった。

 しかし、それでも、寛子が基朗に

 <延期>

を求めたのは、やはり、母として、娘を思わざる得ない気持ちであろう。

 しかし、今日、いきなりこの話が来た涼子としては、事情が呑み込めるはずもなかった。

 涼子は、一方的かつ勝手な

 <命令>

に、多少、反発の色を顕わにしつつ、言った。

 「おじさん、何なんですか、その話」

 「わしが、持ちかけている話が分からんのか!」

 基朗が声を荒げた。

 「いきなり、押しかけてきて、分かるわけないじゃないですか」

 当然すぎる道理である。

 「婦女子のくせに口ごたえするか!」

 寛子はうろたえの表情を浮かべつつ、

 <釈明>

した。

 「すみません、基朗おじさん、さっき言いましたように、この子はまだ、未熟なんです・・・・・」

 そんな寛子の言葉などお構いなしに、基朗は勝手な怒りをぶちまけた。

 「基次、お前は、家庭内で、娘どもをどのように育てていたのか!かわいげのない婦女子に育ておって」

 「かわいげのない」

 この言葉は、涼子達の日々の生活を否定するものであった。勤労奉仕の現場で、女性達も皆、空腹に苦しみつつも、わずかな給与で頑張り、生活を支えて来たのである。

 この言葉は、さすがに許せるものではなかった。

 「可愛げがない?どういうことですか?私達、女だって、いつも大変なんですよ!私だって、働いたお金で、この家の家計を支えているんです!」

 <本音>

というより、

 <嘘、偽りなき真実>

 あるいは、

 <事実>

であった。

 「生意気、言うな!」

 その言葉と共に、ちゃぶ台をまたいで、基朗のビンタが鳴った。

 涼子は張り倒され、一同は、驚愕した。目に涙を浮かべた涼子は、そのまま、2階に駆け上がった。

 「涼子!」

 母・寛子の声が涼子の背中を追った。

 「放っておきなさい」

 基朗は、再び、古武士然とした態度で言った。

 厚子は、怒りの表情を顕わにしつつ、心中、思った。

 「一体、何様のつもり?」

 基朗が、厚子等、周囲の者たちの表情を気にしていたかは分からない。基朗は、

 「最近の者どもは、恥と自覚をわきまえない者が多すぎる」

と自身が、ことの

 <真理>

を分かっていると言わんばかりの古武士然たる態度であった。

 

3-2 <説教>


 「最近の若い者は」

という言葉が出る、と厚子は思った。涼子よりも5歳年下の厚子であった。彼女も女学校に通っていた。その学校現場にて、生徒から嫌われる教師は、この言葉を口にする傾向が強いように思われる。そうでなくても、耳にしたくもない

 <説教>

を口にするのである。

 以前、小学校の裁縫の時間に、下着に花の刺繡をしたという同級生が、勝手なぜいたくをしたとして、

 「戦時下の今、皇軍将兵に申し訳ないと思わないのか!」

とひどく叱責されたことがあった。

 どうせ、これから、基朗の我々に対する

 <説教>

が、

 「最近の若い者は」

の台詞から始まるのではないか?厚子は不快なものを予測した。

 「最近の若い者は」

 厚子の予測は当たった。この言葉に学校で不快な思いをしているのに、家の中で迄、言われて、いよいよ不快な気分になった。

 「昭和17年まで、わしらは皇国と大東亜共栄圏の先頭を担って、飲まず食わずで戦ったものであった」

 厚子は話を聞きつつ、思った。

 「あらあら、予想通りね。今だって、何にも変わってないじゃん。それに、さっき、涼子お婦ちゃんが言ったように、みんな、飲まず食わずなの。何が自慢なのかしら?」

 当然すぎる程の疑問であった。

 基朗は、そんな厚子の心中の批判に応えることもなく、

-声に出さないのだから、当然と言えば、当然かもしれない、というより、基朗が先程の涼子に対してのように、暴力によって相手を抑圧しているのだから、声に出せないのであったが―

自分が真理を教えてやる、と言わんばかりに、

<説教>

を続けた。

 「最近では、女どもが勤労動員ごときで、働いている程度で、男にたてつくこともあると聞く。日本古来の誇りと美風を何と心得ておるか!」

 「勤労動員ごとき?私ら女たちを含め、みんな、どんな思いで生活しているとおもっているのさ!」

 厚子は、いよいよ、怒りの表情になった。しかし、基朗は、その表情を分かっているのかいないのか、それこそ分からぬものの、

 「わしの地元でも、勤労動員の婦女子どもが、銃後であることをもわきまえず、生意気を言うので、厳しく指導してやったものだ」

と、古武士然と述べた。

 きっと、先程の涼子と同じく、ビンタや体罰を受けたものがいるに違いない。

 「基次、特に、お前は、家の主として、娘等に、婦女子としての教育をどのようにしておったのか!」

 基次は、それこそ、経済的問題等で、兄の基朗に頭の上がらない存在であった。

 又、東京で結婚、家を持って暮らしていたのは、次男だから、実家の地主家を継がなくてよい、と言われたというより、長男だからと、甘やかされ、常々、特別扱いされている兄・基朗の下、

 「この実家には重要ではないではない存在」

として、実家を出されたのである。勿論、基朗の立場を最優先させるさせるためである。それまでは、長男・基朗の子分のような存在であった。

 しかし、実家を出されたことによって、かえって、基次は自由になれた、と言えた。

昭和初期の世界大不況、その後の満州事変、日中戦争、大東亜戦争と、

 <非常時>

による困窮がなくば、実家と縁を切って、自立した生活をいよいよ、享受できたかもしれない。

 しかし、経済的困窮の中、隣組の配給は滞り、やむなく、実家に援助を求めざるを得ないことが少なくなかったのであった。

 <家制度>

によって、制度的に、

 <戸主>

たる長男の子分に置かれているのみならず、生活の命脈を握られているのであった。

 そんな状況では、基次は。基朗に頭が上がるはずがなかった。

 「すみません、今日は、せっかく、お越しくださったのに、ご不快な思いをさせまして。客間に布団の用意がございますので、どうぞ、お休みください」

 寛子が口をはさんだ。

 厚子は内心で思った。

 「このままでは、この馬鹿おじさんのバカ演説にいつまで付き合わされるか、わかったもんじゃない。もてなしを建前とした、お母さんの入知恵ね」

 「うむ」

 それだけ言うと、さしたる礼もせず、基朗は客間に消えた。

 基朗が客間に消えた後、寛子は、基次と厚子の2人に、声は出さず、

 「お疲れ様」

と表情を含めたしぐさで伝えた。寛子とて、内心は基朗への怒りで充満していることであろう。しかし、声に出せば、またしても、愚劣な

 <説教>

を招来しかねない。

 3人は怒りを心中に持ちつつも、他方で、

「やっと終わったと」

という感覚から、心身ともに疲れがどっと出た、というのが正直なところだった。

 そして、それは、既に2階の自室にいた涼子にも同じことであった。基朗のふざけた

 <説教>

というより、愚劣な

 <演説>

は、階下の音は、2階に響きやすいという構造もあってか、涼子の耳にも、よく聞こえた。

 まともに起きているのも嫌になった涼子ではある。彼女は、いつもより早く、早目の時刻に布団にもぐった。布団を通してとはいえ、床、つまり、1階の天井に頭をつける格好になっているせいか、基朗の声は良く聞こえた。

 「婦女子のくせに?ふさけんな!」

 涼子は激怒し、基朗を激しくののしった。

 基朗は、

 「銃後を支える婦女子」

と言ったはずである。なぜ、

 <銃後>

を婦女子に支えさせたのか?

 <前線>

での戦いを遂行する

 <皇軍将兵>

を支えるためである。なぜ、支えているのか?無論、

 「婦女子の支えがなければ、この<非常時>を遂行できないからである」

ということが言われていた。

 このように考えれば、<前線>と<銃後>は相互に支えあっているのである。そして、<銃後>

なくして、

 <前線>

が成り立たないならば、むしろ、

 <婦女子>

は、前線の皇軍将兵から感謝されるべきではないだろうか?とさえ思えてくる。

 実際、かつての女学校時代、

 「皇国日本と大東亜共栄圏の存亡は、<銃後>を担う皆さんの双肩にかかっています」

といった

 <訓示>

をそれこそ、たびたび、聞かされたものであった。

 そして、それは、学卒後の現在も変わりはないのであった。しかし、そうでありながら、

 <女>

であるからと、差別されるのであった。その現実も変化はなかった。

 <神州不滅>

と喧伝されたこの

 <大日本帝国>

の昭和36年の現在の、文字通りの

 <事実>

であり、あるいは

 <真実>

であった。もっとも、

 <神州不滅>

の信念は、国土の半ば北半分が奪われ、同地に

 <日本人民共和国>

が成立し、同国からのラジオ放送

 <人民の声>

が<南>と同放送が称している<大日本帝国>に向けて、盛んに宣伝放送を為すようになってから、国内においては、

 <人民の声>

に対抗せんと、帝国政府によって、ますます、強調されて喧伝されていたのであった。

 涼子は思った。

 「神州不滅?半分、既に滅びたじゃないのさ」

 涼子の思いは、間違いなく、文字通りの

 <事実>

であった。しかし、

 「半分、既に滅びた」

にもかかわらず、それでもなお、

 <非常時>

は果て無く続いているのであった。食料等の物資の不足という形で、それは具体化していた。

 <非常時>

が果てしなく続く、ということは、この困窮生活が果て無く続く、ということであった。おまけに今日のような暴力である。

 <暴力>

といえば、勤労奉仕の工事現場での監督の暴力が、涼子に言っては代表的なそれであろう。しかし、今日の基朗の暴力もひどかった。

 加えて、基朗の

 <縁談命令>

なんぞに従いでもしたら、一層、ひどいことになるのは火を見るより明らかなのではないか。それは、母・寛子は、彼女をかばったという事実からも容易に推測できることであった。

 こうしたことを考えていると、涼子は、いよいよ、怒りで眠れなくなって来た。

 そうこうしているうちに、彼女は、

 「いっそ、あのバカ基朗を殴り殺してやろうか!」

とさえ、思った。

 しかし、女の力で基朗を殴り殺せるとは思えない。台所にある石を基朗の脳天にでも叩き付ければ、殺せるかもしれない。しかし、流石に、まだ、涼子にもある種の理性があった。

 なによりも、今夜、眠れずに、明日、工事現場でふらつきでもしたら、またも、監督の暴力を受けるのは必定であろう。それを思えば、無理にでも寝なくてはいけない涼子ではあった。

 いらいらして、なかなか寝付けなかったものの、それでも、1日の疲れがあったからか、次第に涼子は眠りの世界に入って行った。


3-3 決心


 「涼ちゃん、厚ちゃん、朝よ」

 階下から、母・寛子の声がした。

 「は~い」

 厚子は着替えると、1階の茶の間へと降りて行った。涼子も着替えたものの、階下に降りる気にはなれずにいた。

 茶の間では、昨日と同じく、主人面している基朗を中心に、基次、寛子、厚子等がちゃぶ台を囲んでいた。しかし、涼子がなかなか降りて来ないのを不審に思った寛子は、2階に涼子の様子を見に行った。

 「涼子」

 ふすまを開けた寛子が、涼子に声をかけた。

 「あ、お母さん」

 「朝だけど」

 「うん、ちょっと、今日、早目の出勤を言われているので、朝を食べずに出たいんだけど」

 これは、基朗と顔を合わせたくないがための口実であろう。

 「分かった、待ってなさい」

 寛子は、涼子の朝食を弁当として用意し、いつもの昼の弁当と合わせて、2つ、持たせた。

 「じゃ、気を付けて、行ってらっしゃい」

 「うん」

 モンペ姿の涼子は、玄関から家を出た。

 涼子は、母が自身の心中を察してくれたことに感謝した。とりあえず、今朝は、不快な思いをせずに、何とか、家を出ることに成功した。

 近くの市電乗り場まで歩き、そこで、行列に並び、市電を待った。

 いつもの朝の出勤風景である。女性は多くがモンペ姿、男性はカーキ色の国民服であった。約20年間も変化のない、大日本帝国の朝の風景であり、

 <現実>

であった。

 10分程して、市電が来た。行列の人々が黙々と、車内に入り始めた。涼子も何も言わずに、車内に乗り込んだ。

 車内の乗客達には、それぞれ、行き場があるはずである。涼子は、左斜め向かいのシートに座って居る国民服姿の男性を眺めつつ、思った。

 「あのバカ基朗も、昨日、うちに来たときは、国民服姿だったけれども、自分の家ではどうなのかな?偉そうな着物姿なのかな?」

 幼い頃、遊びに行った際、ある男が偉そうに和服姿でいたことを、涼子はかすかに覚えていた。それが基朗であったか否かは定かではないものの、同じく、得意になって威張っていたことからすると、基朗であった可能性は高いであろう。

 「みんなが苦しんでいる時に、威張り放題・・・・・」

 涼子は改めて、心中にて改めて、怒りが湧いてきた。自分が欠席した朝食の席でも、好きに威張っているに違いない。

 涼子にとっては、

 <今日>

というの最大の問題は、いつものごとく、勤労奉仕の時間が終われば、文字通り、

 <帰宅>

せねばならないことである。もし、基朗がいまだに居座っているとしたら、またしても、不快な思いをしなければならない。そして、まして、今日、現場で監督の制裁等があれば、涼子とて、最早、帰宅後、基朗を前にして、理性など吹き飛んでしまうかもしれない。

 彼女は今朝、とりあえず、1つ目の不快という

 <関門>

をすり抜けたにも関わらず、すぐに、

<不快な思いの現場>

と化してしまった自宅に帰宅せねばならない、ということに思いを為さねばならず、このように考えていると、胃のあたりが-食料不足が日常であるにもかかわらず-何か、重たくもたれるのであった。

 「次は△△停車場、△△停車場」

 車内に車掌の声が響いた。涼子は下車せねばならない。涼子はシートから立つと、料金を払って、下車し、現場に向かおうとしたところ、佳代子の姿を見つけた。

 「川本さん」

 「え?」

 声をかけられたことに気づいた佳代子が振り返った。

 「今朝も、勤労奉仕の現場へ?」

 「そう、川本さんも現場に向かっているんでしょ」

 「そうよ」

 「私ね、今日、ちょっと、事情があってね、朝、食べていないから、先に行って食べるね」

 そう言うと、涼子は先に現場に急ぎ、現場小屋の中で朝食を掻き込んだ。

 午前9時から、いつも通りの工事であった。

 <神州不滅>

 <皇国日本>

 <大東亜共栄圏の意義>

といった訓示の後、これまた、いつものように、シャベルをとって、手作業による工事を始めた。

 訓示の標語は、様々な形で、日常生活の中の、最早、

 <常識>

であり、何の変哲もない存在であった。だので、皆、朝の訓示はいつも、半ば、聞き流しているのであった。換言すれば、気にもならない存在になっていたのであった。

 そんな中、この国では<北>と称せられる日本人民共和国からの放送である

 <人民の声>

の方が、よほど、新鮮なものに思われてくる。勿論、それを口に出すことなどできないのだが。

 午前の作業の後、朝食と変わらぬジャガイモ、カボチャといった根菜の昼食の後、午後5時には、作業終了、解散といった、日常の流れとなった。

 しかし、涼子にとっては、あの基朗がいるであろう家に帰りたくなかった。それを思うと、気が重くなり、帰りの足取りも重くなりそうであった。

 「どうしたの?」

 「え?」

 佳代子が話しかけて来たのだった。

 「ま、ちょっとね」

 「少し、歩いて話す?」

 「うん」

 多少、帰宅が遅れても、基次や寛子は親として、とがめはしないであろう。戦前にあったと聞いているミルクホールや盛り場-涼子その人にとっては、最早、物心ついた時には、伝え聞くだけのものでしかなかったものの-昭和36年の現在の

 <非常時>

日本には、最早、存在しないのであり、若者が羽目を外すことはできないのである。

 「川本さん、西日本の田舎から逃れて来たって、言ってたよね」

 「そうよ」

 「今後、どうするんですか?」

 涼子は、現場では一番、気の合う、しかも、姉御肌の彼女を頼もしく思っていた。既に、佳代子と出会ってから数か月経過しているので、多少、立ち入ったことを聞いても良いかとも思って、訊ねてみた。

 「北に行こうと思っている」

 「え?北?どこへですか?」

 佳代子は黙って、半ば上空に視線を

 <北>

の方角に投げかけた。

 涼子は、もしや、と思い、驚きの表情を浮かべつつ、かつ、注意して小声にしつつも言った。

「北って、まさかあの北!?日本人民共和国!?」

佳代子はうなずいた。口に出してではないものの、涼子の発言を肯定はしたのであった。

「突然に、大変な話を聞いてしまった」

涼子は驚愕の表情になった。

 2人は歩きながら、川にかかったコンクリート橋の途中で止まった。

 「追われたように逃げた故郷になんか、今更、帰れないし、帰りたくないの。かといって、こんな国に希望なんかないし」

 しかし、それは涼子にとっても、半ば、同じことであった。本来、この時間は、

 <日常>

ならば、帰宅の時間である。しかし、いつもの如く、帰宅したら、どうなるのであろう。基朗によって、苦しめられるだけなのは明らかだった。

 涼子は、父の基次、母の寛子、そして、妹の厚子が必ずしも嫌いではない。しかし、父の基次が、基朗に頭が上がらないことを思えば、最早、家族は涼子の味方になってくれないかもしれない。そうなれば、自身の未来は真っ暗である。一生、苦しむかもしれない。そう思えば、胃が重くもたれ、脳天がイライラの感情で全く占められてくる。

 佳代子が言った。

 「あなたが、私のことをどう思おうと勝手。但し、私は私の道を行く。私のイライラと我慢も限度なんでね」

 まるで、涼子の心中を代弁したかのような台詞である。

 但し、涼子は誰かに、今の会話を聞かれたのではないか、と不安げに周囲を見回した。夜空が迫りつつある中、幸いにも聞いているものはいなさそうであった。

 佳代子があらためて言った。

 「涼ちゃんは、どうするの?」

 この言葉は、自身と行動を共にするか否か、という意思決定を迫っているものとも思えた。

 涼子とて、この

 <大日本帝国>

に希望が持てなくなっていることは無論だった。食料事情さえ、半ば保証されなくなりつつある昨今、法は闇経済を取り締まれなくなり、半ば、

 <社会>

の有様を定義する存在ではなくなりつつあった。

帝国政府の標語は、それ故にこそ、聞き流されているのである。

この国にとどまっている限り、人生が開けるとは思われなかった。

涼子は決心したように言った。

「私も行きます」

「そう、じゃ、ついてらっしゃい、とりあえず、新潟の柏崎まで行きましょう。当座の必要経費は私が持っているから」

 

こうして、東京から涼子と佳代子が乗った列車は、蒸気機関車が改めて、太い汽笛を鳴らしつつ、柏崎に向かっていた。

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