運のツキ 【一話完結】

大枝 岳志

運のツキ

「井島さん、これまでに工場での勤務経験とかってありますか?」


 登録したばかりの派遣会社。電話の声しか知らない女の営業担当にそう尋ねられた僕は、あまり長くはないそれまでの社会生活を振り返ってみた。キャバクラの送迎ドライバーから始まり、チラシのポスティング、青果倉庫での出荷準備、呼ばれた時だけ行くATM設置作業……と、工場での経験は全くなかった。


「えーっと、ありませんね」

「そうですか。ですが、ご安心下さい! 今回ご紹介したい企業さんは新設部署での勤務なので、未経験でもOKなんですよ!」


 だったら何で聞くんだよ。と思いながらも、仕事に困っていた僕はその紹介を二つ返事で了承し、実際に工場見学へ行くことになった。

 工場見学中に新しい部署とかいうのは準備中で見せてもらえなかったけれど、工場は車や電車の細かな金属部品を作っているらしく、フロアのあちこちに大きな機械が並んでいて、薄暗いのもあり迷子になってしまいそうな造りをしていた。

 見学案内をしてくれた作業員の人も課長さんもずっとニコニコしていて良い人達だった。その場で「是非お願いします」と言われたので「はい」と答えてしまったのが運のツキだ。


 勤務初日を迎えた僕は、始業開始からわずか十分でここに来たことを大いに後悔していた。

 配属された新しい部署は電車に使う金属シャフトとかいうのを大きな機械で加工する仕事だったのだけれど、一緒に働く上司の下仁田という背の低いオッサンがとにかく嫌な奴だったのだ。

 奴はやって来た僕を見るなり、開口一番こう告げた。


「ここには俺とあんたの二人しかいないんだから、役に立ってもらわないと困るんだからね!」


 よれた作業帽をかぶっている下仁田は腫れぼったい下唇をつきだし、四角い眼鏡の奥の小さな目で僕をジッと睨みつけながらそう言った。 

 返事に困っていると、さらに続いた。


「あんた、工場の経験はあるんだろう?」

「あの、事前にお伝えしていた通り……ないんですけど」

「かぁーっ! まさかあんた、ど素人!?」

「まぁ、はい」

「はいじゃないよ、はいじゃー! そんなの無理無理、素人じゃ出来っこないんだから。うちはね、そんな甘くないんだから。ったく……」


 下仁田はぶつぶつ呟きながら何処かへ電話を掛け始めた。


「あー、山田さん? うちにえらい素人寄越してくれたじゃない。うちは無理だから、そっちで引き取ってよ。え? そんなのこっちゃ聞いてないよ」


 しばらく怒り口調での電話が続いていたので、その間に周りを眺めてみた。

 工場の中は何に使うか全く分からない機械が所狭しとギッシリ並べられていて、機械には一人、または数人の作業員がついて作業していた。みんな僕と同じ二十代くらいの作業員達で、中には談笑しながら作業している人もいた。

 通り掛かるついでに仲間同士で声を掛けて笑い合ったりと、みんなずいぶん楽しそうだ。それに引き換え、僕の来たこの部署というのはこの下仁田という嫌なオッサンと僕の二人しかおらず、おまけに僕は下仁田に拒絶されまくっている。


 もう既に辞めたいと思っていると、電話を終えた下仁田がいきなり僕の服の後ろ襟を掴んで歩き出した。


「こっちこいよ! ほら!」

「ちょ、何するんですか!」


 下仁田は僕を大きな機械の操作パネルの前まで連れて行くと、パネルをいじくり出した。画面にはQとかSENDとか色んなコマンドが表示されていたけれど、僕が理解出来るのはかろうじて「ENTER」だけだった。


「おい、これ見ろ」

「はい?」

「ここに書いてある言葉の意味、これくらいは流石に分かるだろ?」

「いや……全然」

「はぁ? 経験がなくたってせめて工業高校くらいは出てるんだろ?」

「えっと、普通科です」

「はぁ!? 普通科ぁ!? 自分が何が出来るかくらい、分かんだろうがよぉ……。おまえ今まで一体何して生きてきたんだよ!? 遊びで生きてんじゃねーんだぞ、バカ野郎!」

「あぁ……すいません」


 目標も夢もない僕は今まで半分遊びで生きているようなものだったので、そこは強く否定できなかった。


「なんでこんなド素人雇ったのかと言えばな、あんたは「育成枠」ってことなんだとよ。だから、勝手に見て覚えてくれよな。こっちゃ別に頼んでねぇんだから。俺が欲しいって言ったのは「即戦力」なんだから。俺は仕事あるから、おまえ邪魔だから下がってろ」

「あ、あの……僕は何をすれば?」

「だから邪魔だって言ってんだよ! 下がって見てろよ頭悪ぃなぁ!」


 なんなんだ、この偏屈オヤジ。ぶっ殺してやりたくなったけれど、ぐっと我慢して僕は下仁田が作業するのを見てみることにした。三メートルはありそうな材料の細長い金属棒を機械にセットすると、機械の中で長い刃のついた歯車が回転を始める。回転した刃が加工した金属棒は五センチくらいのものとなって、機械から次々に吐き出されて行く。

 しかし、それが何に使うものかも分からなければ、どんな仕組みで歯車が回転しているのか、見てても何も分からなかった。

 一時間ほど見ていると機械が止まった。どうやら歯車についた刃を交換するみたいで、下仁田が機械の扉の中に頭を突っ込んで作業を始めた。

 その様子を見ようとして横から覗き込むと、下仁田が怒鳴った。


「だから邪魔すんなって言ってんだよ! そこに立たれたら光が入って来なくなるんだよ! あんたねぇ、邪魔すんならもう帰っていいよ!」


 僕はおとなしくすっこんだけれど、本当にそのまま帰ろうか悩んだ。

 しばらくすると見学の時にいた課長さんが部署にやって来て、少し離れた所から僕を手招きした。

 相変わらずにこにこしていていたけれど、丸々と太っているせいか、ここが嫌になっているせいか、だんだんと野豚に見えて来た。


「井島くん、どう? やってる?」

「いや……帰れって言われたんで帰ろうかなぁって思ってました」

「あちゃー……やっぱりなぁ。下仁田さんね、あの人……相当変わってるんだよ。しばらくの間だけ目瞑っててくれないかなぁ? ぶっちゃけるとね、井島くんが仕事覚えたら下仁田さんには異動してもらう予定なんだわ」

「あ、そうなんですか?」

「うん。誰とも馴染めない人でねぇ……腕は良いんだけどねぇ」

「まぁ……そういうことなら、なんとか我慢します」

「悪いけど、頼んだよ」


 野豚はへらへらにやにやしながら現場を去って行った。どうせいなくなるなら、もうしばらく我慢してみようか……。そんな気分で気持ちを切り替え、僕はその後も黙って作業を眺め続けていた。


 お昼休みになると食券を買ってカレーを食べた。先輩の社員や同じ派遣会社の人が話し掛けてくれて、下仁田以外の人達は割とまともなんだと知ることが出来た。

 みんな普通に会話が出来るし、何より僕に同情してくれていたし、シモじい(下仁田のことだ)と二人きりはあまりにも可哀想だと言ってくれた。

 前に座っていた僕と同じ派遣会社の人に「もう帰りたいですよ」と漏らした矢先だった。座っていた椅子を後ろから蹴られた。振り返ると、下仁田が立っていた。


「なんで働いてもねぇ奴がいっちょまえにメシなんか食ってんだよ? あぁ!?」


 下仁田は冗談で言っている訳では無さそうで、目が血走っていた。

 僕と同じ派遣会社の人を「使い捨てはあっち行けよ」とどかせると、下仁田は映画のヤクザの組長みたいにドカッと椅子に座ってのけぞってみせた。


「おい。おまえ、家は何処から来てんだよ?」

「あの、井島って名前なんで。せめて名前で呼んでもらっていいですか?」

「それは俺が認めてないから、むーりー。名前で呼んで欲しかったらさっさと仕事覚えてよぉ、俺の役に立てよ。大体よ、なんだおまえ。午前中ボーっと突っ立って見てるだけでよ、覚えようって姿勢がいっこも見えねぇんだよ。メモのひとつも取らねぇ、俺が吐出待ちしてる間に質問もしねぇ。馬鹿以下だな、おまえは。産んだ親が悪ぃや」

「だって……邪魔すんなって言ったじゃないっすか」

「おう、言ったよ? だっておまえ、邪魔だもん。ひとりで仕事出来たらのんびり気楽でいいのによぉ、おまえ邪魔なんだもん。俺はおまえの子守りする義理はねぇよ? おまえな、突っ立ってるだけでも目障りなんだよ。消えちゃえよ」


 消えちゃえよだと? 目の前にある味噌汁茶碗を掴んで、ぶっかけてやろう。このジジイ、悲鳴上げるほどぶん殴ってやる。

 そう思って立ち上がると、後ろから羽交い絞めにされた。僕を羽交い絞めしたのは野豚野郎の課長だった。豚の癖に生意気にも、小声で僕を諭しにかかる。


「井島くん、今はグッと堪えて、ね? あとちょっと、あともうちょっとだけだから……ね?」

「でも……こいつ」

「頼む……本当、頼むよ」


 振り上げた拳を下ろすと、下仁田が僕を指差して子供みたいにはしゃいだ声を上げた。


「おぉー、こっわ! この人、こっわーい! 急にキレてかっこいいねぇ、お兄ちゃん! あれれー、ボクに図星つかれて怒っちゃったのかなぁ?」


 ふざけやがって、このクソジジイ。そう思っていると、下仁田は予想外の言葉を口にした。


「バカが。おまえの派遣会社の事務所に頼んでよぉ、住所送ってもらってんだこっちゃ。おまえ、俺の昔を知らないだろ? あんまナメた態度したらな、夜中に押し掛けるからな。だからさっき何処住んでるか聞いたんだよ。てめぇはうまれつきの嘘つきみてぇなツラしてっからなぁ。さて、僕は誰かさんと違って真面目で忙しいから休憩は終わりにして、早々と現場にもーどろっと」


 爪楊枝で黄ばんだ歯っカスをほじくり倒しながら下仁田は戻って行ったが、僕はきっちりと一秒も余らすことなく休憩を取った。喫煙所で先輩達に労いの言葉をもらったけれど、もう何もかもどうでも良かった。


「だったら先輩達が僕の代わりに入って下さいよ」


 そう言ってみると、先輩達はみんな揃いも揃って黙り込んでしまった。先輩じゃない、こんな場所にしかへばり付けない無能のゴミクズ共だ。フジツボと同じだ。小汚い社会のフジツボ共め。外に出たら人様の前で二度と笑顔を見せるな。

 少し考えて帰ろうかと思ったけれど、住所も知られていると聞いてやるべきことは一つしかないと決めて新設のゴミクソ現場へと戻った。


「お疲れさまです! 井島、戻りました!」


 作業をする下仁田に元気よく声を掛けてみたけれど、案の定無視された。

 僕は下仁田に近付いて、今度は絶叫した。


「井島、戻りましたー! 戻りましたよー!」

「うるせぇなぁ! 黙ってろ、ぶっ殺すぞ!」

「逆に殺しちゃうかもしれませんけど、午後もよろしくお願いします!」


 僕が丁寧に挨拶しているのに、下仁田はやはり挨拶の「あ」の字も返そうとしなかった。あまりに社会常識がないし、年齢もジジイには違いなさそうだから尋常小学校中退なのかもしれない。仏頂面を浮かべながら、機械のパネルを操作したり、吐き出され続ける何の社会の役に立ってるのかも不明な謎の五センチ金属棒を古臭い顕微鏡みたいな機器を使って覗き込んだりしている。このゴミ工場には恐らく買い換える金がないのだろう。


 午前と同じ作業手順なら、もうそろそろのはずだ。見て覚えろ、と言ったから僕はしっかりと学習させてもらった。

 機械が止まり、刃を交換する為に下仁田が機械の扉を開けて中へ潜り込む。ハンマーで刃が据え付けてある歯車を外し、新しいものと交換を始める。交換を終えた歯車を元にセットしたのを見て、僕はまず機械の側面にある停止解除と差しっぱなしの鍵を回し、センサー解除ボタンを押した。やはり、下仁田は自分のことに夢中で僕のことには目もくれない。

 午後になってから机に機械マニュアルがあったので必要項目だけを集中して覚えた。ただ突っ立って見ているだけじゃない所を、下仁田に見せつける必要があった。

 機械油の吐出口を点検し始めたのを見て、パネルに近付く。

 点検モードから手動作業モードに切り替え、「運転」のボタンを押すと、シミュレーション通り機械が唸りをあげて動き出す。

 機械から半身を出していた下仁田だったが、突然動き出した機械にパニックを起こしたようだ。


「えっ、おい! おい、おい! 助けてくれ! おい!」


 下仁田は機械の中から出たがっていたが、作業着の裾が回転を始めた歯車の台に挟まってしまったようで、逃げ出せず扉をバンバン叩き出した。


「おい! 見てないで緊急停止ボタンを押せ! 押せえ!」

「すいませーん、教えてもらってないんで分かりませーん! 何処にあるんですかー!?」

「早く押せよ馬鹿野郎!」

「あ、見てろって言われたんで見てまーす!」

「見てひげち、あ、あじゃちっ、あっ、ちば」


 回転する刃のついた歯車は止まることなく、勢い良く下仁田の頬に穴を開け始めた。分速何万回転でグルグル回る刃先が進むたびに、絶叫する下仁田の頬からは血が噴き出し始め、機械油と混ざって茶色に変化して行く。

 下仁田がいくら叫んでみても至る所に作業中の機械が並んでいるので、その叫び声は誰の耳にも届かない。バカ同士みんな仲良く、午前と同じように談笑しながら作業を続けている。

 僕もきっと今は微笑んでいるだろう。鏡を見なくても分かる。何故なら、楽しいからだ。


 右に傾いている下仁田の顔面。頬から脳天まで見事に刃が下仁田を掘削したところで僕は機械の停止ボタンを押し、叫ぶことを止めた下仁田を機械から引きずり出した。

 血液と機械油に塗れた下仁田は口をパクパクさせ、何か戯言を呟いている。脳も損傷しているのだろう、身体がまばらなタイミングでビクビクと激しく痙攣を起こしていた。パクパクビクビクと、まるで魚みたいだ。

 パクパクしている口元に情けで耳を少し傾けてやると、下仁田はしきりにこう言っていた。


「つつ、強くあたれって、いったから、いったから、つつ、強くあたれって」


 そう言って、痙攣が止まった下仁田は目を開いたまま動かなくなった。

 異変に気付いた他の社員達が駆けつけて来て、既に手遅れの救急車を呼び始める。税金が勿体ない。そう思い、もう動かなくなった下仁田を見下ろしていると後ろから肩を叩かれた。振り返ると、野豚野郎の課長が立っていた。

 心なしか、喜びを抑えきれないようなニヤケ面を浮かべている。豚のツラにも笑み、だ。


「初日からこんなことになっちゃって……井島君、本当にすまないね」

「そりゃ、びっくりしましたけど。こういうのは事故ですから」

「そう……うん、事故だから。こういうこともあるんだなって、分かっておいてね。事故だから」

「はい」


 野豚課長は僕の肩をもう一度叩くと、聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で「助かったよ」と呟いて現場を去って行った。


 その後やって来た大勢の警察官に囲まれながら、野豚課長は僕の方を指さして隣の警官に何やら耳打ちしていた。すると、数人の警察官が僕に向かって歩き出し始める。

 僕は朝言われた通り、その様子を誰の邪魔にもならないよう、機械の側に立って黙って見続けていた。

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