第4話


「いい加減にしろ。私はラシェルと婚約破棄などしない」

 疲れたように王子が口を開いた。

「聖女をエスコートしたのは、父上と母上に彼女が学院に馴染むよう協力するよういわれたからだ。いわば公務のようなものだ。私は決してラシェルとの婚約を破棄したりはしない。君と結婚する。出来ないのなら王位継承権を返上しても良い。ラシェルだけなのだ」

 信じられない思いでラシェルは王太子を見る。



(わたくしはどうすればいいのでしょうか)

「やはり修道院に行くしかないのでしょうか?」

「「「「「何でそうなる!!!!」」」」」



  ***



 結局、王太子に引き摺られるように王宮に連れて帰られ、そのまま殿下の部屋に連れ込まれた。護衛も誰も引き留めようともしない。


「本当に君みたいな人はどこにも出せない。何人落とせば気が済むんだ」

 ソファに身体を投げ出されて、アーネスト殿下を見上げる。

「そんな事は決して、わたくしはもう修道院に──」

「修道院に行って、また男を引っ張り込む積もりか!」

「ひどい!」

「どっちがひどいんだ!」


 こんな風に言い合った事ってあったかしら。息も荒げて睨み合っているけれど。

「だって、わたくしはみっともなくて、殿下とお似合いではないから」

「どこがだ」


 殿下はラシェルの腕を捕まえて、鏡の前に連れて行った。

「君のどこがみっともない?」

「え」


 鏡の中にアーネスト殿下とラシェルがいる。キラキラと輝く目を潤ませて、ほおを紅潮させて、顔を上げて、殿下を睨んでいる──。

「これはわたくし……?」

「こんな風にしたのは誰だ」

「殿下」

「君をこんなに綺麗にしたのは誰だ?」

「で、殿下ですわ、他に誰が居ると──」


 届かない手を鏡の中の自分に伸ばす。


 鏡の中のラシェルが泣いている。背後から殿下に抱きすくめられて。

 なんで泣いているんだろう。嬉しいのよ。嬉しいはずなのに。

「わたくしはみっともなくて鬼っ子だから……」


 アーネスト殿下は手の届かない秋の空、夜空に浮かぶ金の月。少しでも近付ければ。そう思っても鏡を見れば、地上に突き落とされる。


「でも、少しはほんのちょっとでいいから、わたくしはお側に近付きたくて──」

 届かない筈の彼がすぐ側に居る。ラシェルを抱きしめている。

「ラシェル、綺麗だよ。私が君を綺麗にしたんだな」

「殿下」


「いい加減で名前で呼べ。まったく君は、ひどいと言いたいのはこっちの方だ。もう待たないからそのつもりで」

「アーネスト様」

 まだ怒りも収まらないアーネスト殿下が、ラシェルの腕を掴んで引き寄せる。

 怒った顔もキラキラしくて、怖い感じで背中がゾクゾクして……、


 ステキ……。


 ラシェルはぽーっとアーネスト殿下の顔に見惚れていたので、間近に迫った殿下に「目を閉じて」と命令されてしまった。



  ***



 キスは甘かったけれど、

 その後、ラシェルはアーネスト王子に、服を全部剥かれて身体中を調べられた。

「殿下!」

「君が潔白なら証明して見せろ」

 それこそベッドに押さえ付けられて、明々と照明をつけたベッドの上で足を広げられて、ソコを押し広げられ、指を入れてかき回された。

「ひどいです」

 恥ずかしさに泣いて言うと、殿下はソコに入れた指を舐めて、

「当然だろう。君の様な迂闊な人はこれぐらいでは済まない。明日は病院に行ってもらう」と、ラシェルに服を押し付ける。

 そして女官を二人呼んだ。


「君の世話をする女官だ。ラシェルを部屋に」

 アーネスト殿下はそう言うとラシェルに背を向ける。

 殿下の隣の部屋に連れて行かれた。


 翌日、アーネストはラシェルを迎えに来て、王宮の医局にいる侍医の許に連れて行った。

「間違いなく処女でいらっしゃいます」

 医局員や侍女やら護衛やらがいる前で、侍医が恭しく所見を述べると、殿下は黙って頷いただけだ。


 王宮に戻ると、部屋ではなく庭園のガゼボに、茶の用意をさせた。

 王族のプライベートスペースで、人払いをしてしまえば誰も来ない。

「怒ったか」

 殿下が問う。

「いいえ、そうされるだけの事をしたのだと」

「ほう、分かっているのか」

「考えました」


 アーネストはお茶を一口飲み、庭園に顔を向けた。

「君は手がかかる。しかし、私はそれが嫌なわけじゃない。ゆっくり育てるつもりだった」

 目を眇めてラシェルを見る。

「しかし、女というものは、ある日突然、蝶になるんだな。もう少しで手遅れになるところだった」

 自嘲するように呟く。

「私は自分に腹が立っているんだ。自分の甘さに。これで国王になどなれようか」

「殿下、ごめんなさい。甘いのはわたくしの方でございます。わたくしこそ殿下に相応しくは──」

「や、め、ろ」

 殿下はラシェルの言葉を途中で一言ずつ区切って遮った。


「あ、はい。申し訳ありません」

「まあ君が逃げたいのは分かる。昨日の私が、私の本性だし」

「え」

「逃がしはしないが」

 殿下はそう言って、本当にキラキラしい笑顔で笑うのだった。


 ガゼボを風が通り抜ける。殿下の金色の髪が風に揺れる。庭園の花が香って、木々の緑が揺れて、空は殿下の瞳のように真っ青で──。

 でもラシェルの頭の中は、昨日の殿下の自分に対する仕打ちが、細切れに浮かんでは消えて──。

 

 コクンと唾を飲み込んでチラリと殿下を見ると、殿下は獲物を狙う肉食獣の目でラシェルを見ていた。

 背中がゾクゾクする。

「ねえ、ラシェル。君、昨日濡れていたよね」

「……っ!」

「私は君の為にせっせと別邸を用意して、使用人も選んで、玩具も用意していたのに、君と来たら……」

 ラシェルは首を横に振って唇を戦慄かせた。


「私は結婚するまで待つよ」

「君は私に甚振られて喜んでいたね」

「そんな身体で待てるのかい」

「この淫乱売女が──」


 ああ、そんな言葉に身体が熱くなるのは何故だろう。

 扇で口元を隠そうとする手を掴んで止められて、ラシェルの潤んで唇の開いた表情が曝け出される。

「私の前でだけだよ、そんなはしたない顔をするのは──」

「はい、殿下」

「名前で呼べ」

「アーネスト様……」

 顔が熱い。身体が熱い。



  ***



 サミュエル教師は魔法省の研究部門に転属になった。元々そちらに志願していて、教師が足りないために学院に勤務していたのだ。

 義兄ヒューは両親が慌てて婚約者を探した。優良物件なので良い相手が決まりそうだ。

 聖女ルチアーノは男だったけど、聖魔法が使えるので聖人として扱われる。時々女装をして遊んでいる。浮気性だともっぱらの噂だ。

 フィンは騎士になって護衛を頑張っている。騎士道精神が旺盛で、腕が立つので護衛から外せない。彼のファンは多いのでその内いい人が見つかるだろう。



 ラシェルは王宮から出してもらえないまま、王太子のエスコート付で学院に通った。教室には護衛が付いて来る。

「あの、わたくし一人で……」と言うと、

「本当に一人で大丈夫だと、思っているんじゃないだろうね」

 怖い笑顔の殿下が返した。

「この前みたいにみっともない事になったら、今度こそ外に出さないよ」

 ニコニコとキラキラしい笑顔で言ってくれる。


 この頃やっとアーネスト殿下を正面から見れるようになったけれど、やっぱり目の毒だと視線を俯けてため息を吐いた。



  終



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侯爵令嬢は罠にかかって 綾南みか @398Konohana

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