第3話


 次の日、ラシェルは王宮に呼び出された。

 アーネストの執務室に行くと人払いをされる。ふたりきりの執務室でラシェルは緊張して、アーネストの言葉を待った。


 アーネストは執務室のデスクに座って腕を組みラシェルに口を開く。

「近頃、魔法の練習をしているんだって?」

「あ、はい。水魔法でも回復が出来るんです」

 思いがけない言葉にラシェルの心が少し浮上する。

 しかし、王子の次の言葉は容赦ないものだった。

「そうか、もう練習はしないでいい」

「え、どうしてですか?」


 ラシェルは逆らった。もう少し話を聞いて欲しかったのだ。

 キラキラしい方の近くにほんの少しでも近付けたら、何か、何か自分の心を押し上げる何かを得られたら──。


 そんな事は初めてで、その事が王子の嫉妬心を煽る。

「ラシェル、私のいう事が聞けないのか。君の事は自由にし過ぎた。そろそろ私の仕事を手伝ってもらう。その準備をしておけ」

 きつい言葉で決めつける。

「そんな」

「話はそれだけだ、送って行く」

 話を打ち切るようにアーネスト殿下が立ち上がって手を差し伸べる。ラシェルはその手にぼんやりと手を乗せながら納得のいかない顔をしていた。




 ラシェルを送って、部屋に戻る途中で王妃に出会った。

「どうしたの? アーネスト。いやに機嫌が悪いわね」

「母上、申し訳ありません」

 あまり感情が表に出る事のない息子であった。

「女の子はある日突然、サナギから蝶が孵るように綺麗になるのよ」

 王妃は顔を扇で隠して鎌をかけた。

「あなたでないなら、誰がそうしたのかしら?」

「母上!」

 アーネストが余計に機嫌が悪くなった。どうやら虎の尾を踏んだようだ。

 王妃は扇をしまうと機嫌の悪い息子を放って、そのままスタスタと逃げて行く。



  ***



 アーネスト殿下はもう練習をするなという。ラシェルは納得がいかなくて今日も練習に来ている。

「でも、もう練習しちゃいけないんだ」


 手を挙げて「ヒールミスト」と呟く。手の上で霧が現れてキラキラと光りながら、ラシェルの周りを落ちて消えて行く。

 これが出来るようになっただけでも良かったのかな。

 ラシェルは自分の心に納得させて、最後のお礼を言おうと教師を待った。


 しかし、やって来たのは教師ではなかった。

「頑張っていらっしゃいますのね」

 いきなり後ろから声を掛けられて驚いた。振り向くと綺麗で可愛い聖女がいる。

 ルチアとは話したことも無い。いったい何の用事だろうかと、ラシェルは少し身構えたが、それがルチアのツボにハマったのか笑いながら言った。

「ふふ、身構えて膨らんだネコみたい」


 非常にきれいな人だ。笑顔も眩しい。

「あなたがラシェル様なのね」

 ルチアがそのローズの瞳でじっと見る。

(ああやはり綺麗だわ。殿下と並んで立つととてもお似合いだ、きっと)

 ラシェルは惨めな自分と比べてしまう。心が地面にめり込むような気がした。


「あなたって頑張り屋ね」

 ルチアはにっこり笑って、手に持ったハンカチ包みのものを差し出した。

「え、あの」

「コレ差し入れよ。頑張ってね」

「ありがとうございます」

 これで練習は最後なのだけれど──。

「あら、そのお顔、とても可愛いわ」

「え?」

 聖女ルチアはにっこり笑うと去って行った。


 その後姿を目で追い、とらえどころのない人だとラシェルは思う。包みを開くとクッキーが入っていた。聖女のクッキーはチョコとバニラのモザイクやグルグル巻きのクッキーでとても美味しそうだ。そこにサミュエル教師がやって来た。

「今日は教室で理論を纏めましょう」

「はい」

 教室で聖女ルチアに貰ったクッキーでお茶にする。

 講義も練習も今日で終わりにしなければいけない。

 その後、レポートを開いたが考えが纏まらない。意識が遠くになったり近くになったりして、やがてフッと途切れてしまった。




 いつの間にか机に俯せになって眠っていたようだ。目が覚めると、すっかり薄暗くなっている。

 隣でサミュエル教師が顔を顰めて頭を振っている。

「ああ、先生。わたくしどうしたんでしょう」

「眠ってしまったようだね。私もだが、遅くなってしまった。君は寮に帰った方がいいな。送って行こう」

「はい」


 まだ十分はっきりしていない頭でラシェルは頷いた。外に出ようとすると、いきなりドアが開いた。

 外にはルチアがいた。何とアーネスト王子が一緒である。さらに後ろに騎士のフィンと義兄のヒューもいる。

 ルチアが叫んだ。


「お二人でこんな時間まで、何をしていたのですか!? ね、アーネスト殿下、やっぱり浮気していたでしょう!?」

「ラシェル……」

 殿下は呆然とラシェルとサミュエル教師を見ている。

 ラシェルはまだ頭がはっきりしない。こんな状況だというのに。大変な事が起きているのに。まだ眠っていて夢を見ているのではないか。

「さあ、早く婚約破棄して下さい」

 ルチアが急かす。

 とんでもない悪夢のようだ。


 こんなに簡単に婚約が破棄されるなんて。

 殿下が言った通りに、すぐに練習を止めればよかった。なのにぐずぐずと思い悩んで却って墓穴を掘ってしまった。


 サミュエル先生は何も言わない。何か言わなければいけないのに。

 絶望がラシェルを襲う。もはや何の申し開きも出来ないのかしら。

 父にも母にも申し訳ない事になった。サミュエル先生に責任を取らせる訳にはいかないから、もはや修道院しか行くところは無いだろう。

 それとも、もしかして死刑だろうか。女子の不義は刑罰が厳しいと聞いている。

 このキラキラしい顔も見納めなのだ。

 絶望的な思いでアーネスト王太子を見る。



 すると、サミュエル教師が言った。

「そうか、婚約破棄するんだな。じゃあ私と結婚しよう。何、今から本当に既成事実を作ろう。前から綺麗な子だなと思っていたんだ。なかなか筋がいいし、努力家だ。私の連れ合いとして申し分ない。二人で水魔法を極めようではないか」

「え?」

 どういうことだろう。


 義兄のヒューが割って入った。

「王太子との結婚はやはり反対だったのだ。お前は俺と結婚すればいいのだ。どこにも出なくてよい。何かあれば俺が一緒だ。お前が覚えた水魔法は領地で存分に役立てて欲しい。義父上も義母上も喜ぶぞ」

「は?」


 さらに騎士フィンが出て来る。

「俺は君の真摯に学ぶ姿に一目惚れしてしまったんだ。ギャップ萌えって言うのか。いつもツンと澄ましているのに、一生懸命で諦めなくて、必死になって、可愛い。俺と一緒に世界を冒険しよう。君になら背中を預けられる」

「いや、だから──」


 これは一体どうなっているのだろう。まだ目が覚めていないのだろうか。これが現実とはとても思えない。薬の所為でぼんやりしているラシェルの頭には理解できない。


 さらにルチア聖女が爆弾発言をする。

「私は女じゃなくて男なの」

 何とルチアは男だった。

「せっかく婚約破棄して貰おうと頑張ったのに。殿下が婚約破棄しなければ僕が結婚できないでしょう。この子は僕のものなの。皆にあげない。僕、劇団の売れっ子なの。今度水芝居出すのよ。僕達の魔法できっと成功させましょうね」

「なんなの? これ」

 何かの質の悪い冗談だろうか。それともまだ夢の中にいるんだろうか。



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