第2話


 学院に入るとラシェルはまじめな事もあって勉学に励み、成績も上位にいた。しかしアーネスト王子はいつも一番の成績であった。キラキラする王子が成績もキラキラしくて、ラシェルは近くにも寄れない。

 幸いにもラシェルはずっとアーネスト王子と同じクラスではなかったので、学院で二人が一緒にいる事もなく、王子の婚約者も表向きは空席のままに置かれた。



 ふたりが3年生になって編入生があった。男爵家の養女でルチアという、ピンクの髪にローズの瞳の非常に可愛らしい少女であった。

 貴重な聖属性の魔法が使える事で、聖女ではないかと王家でも一目置いているという。


 ルチアはすぐに学院に慣れた。アーネスト王子がエスコートして、周りを王子の取り巻きである騎士団長の子息フィン・マックール、ラシェルの義兄のヒュー・リチャード・カーマーゼンそして魔術師の教師サミュエル・ド・ヴィアーが取り巻いていた。


 ラシェルはキラキラしい一団には近付かなかった。しかしながら、聖魔法に少しばかり興味があった。ラシェルに使えるのは水魔法だけだ。

 水魔法でも回復魔法が使えると魔法書で見たような気がする。

 ルチアはアーネスト王子のクラスに入っており、ラシェルと同じクラスには騎士団長の子息フィン・マックールだけだった。

 フィンはアーネスト王子の護衛であったのでラシェルの事を知っていたが、大人しいラシェルは候補の一人にすぎないと思っていた。


 ラシェルは魔法の教師のサミュエル・ド・ヴィアーに聞いた。

「ヴィアー先生、水魔法でも回復は出来ますか?」

 思いがけない質問にサミュエルは初めてラシェルを認識した。

 茶色の髪の大人し気な少女。淡い水色の瞳が熱心にサミュエルを見ている。小動物の様で可愛いと、彼は思った。


「もちろんありますよ。しかし、水魔法の回復は広範囲で非常にゆっくり効くので、かなり上達しないと出来ません」

「わたくし、もう少しで上位に届きますの。それからどのくらいかかりましょうか」

「ああ、それでしたらもう少しですね。放課後課外授業をすればすぐに到達できましょう」

「本当ですか?」

「はい、宜しければ私がお教えしましょう」

 教師の言葉にラシェルは喜んだ。魔術師はとても気まぐれだ。この機会を逃したら、もう教えてもらえないだろう。


 サミュエルはラシェルが王太子の婚約者だと知らない。

 王太子は聖女ルチアとほとんど一緒だった。学院でラシェルと一緒だったことなどない。ラシェルはキラキラしい連中を避け続け、アーネスト王子とは王宮で月に一度のお茶会以外会わなかった。


 フィンは王太子の警固もするからラシェルの事も知っている。しかし、学院では関わらないと聞いていたので今まで無視していた。

 ラシェルは自身と同じような、どこか一歩引いた大人しい少女たちと仲良くしており、会話も手芸やら流行りの小説、カフェのスイーツ等の大人しいものだった。


 しかし、魔術教師サミュエルとの会話は聞き逃せない。

 一応王太子の婚約者候補である。自分のクラスで何かあっては困る。こっそりと見張りをすることにした。

 ラシェルは頑張って勉強している。見ていると勉強している時は本当に一生懸命である。水色の瞳が嬉しそうにキラキラとさざめいて何となく癒される。

 フィンは王太子に報告するのに、自分の感情を入れないようにするのに苦労した。



 聖女と王太子たちは食堂では大抵一緒にいる。楽しそうに笑っているし、王子の隣はいつも聖女だった。くすくす笑ってしなだれかかることもある。

 婚約の事は誰にも言っていないけれど、理不尽だと思う。婚約を望んだ訳では無かった。他の令嬢と同じように憧れているだけで良かった。

 キラキラした思いが黒い感情に塗れて行くのが嫌だった。

 思っても仕方のない事だけれど、もしアーネスト殿下との婚約が公になっていたらどうなっていただろう。


 ラシェルは学院に聖属性の魔法が使える聖女が現れたことで、王太子の婚約者の地位を取られるかもしれないと思った。聖女が王子と結婚したというのは物語で読んだことがある。

 そうなればラシェルは婚約破棄されるのだろうか。心の中でぐずぐずと思っていても仕方がない。思い切って聞いてみようか?



 お茶会でのアーネスト王子は相変わらずキラキラしい。最近では背も高くなり逞しくなって、声も低くなり大人の色気も出てきて余計に目の毒だった。

 王宮の庭園には綺麗な花が咲いていて、ふたりは王族のプライベートスペースのテラスでお茶をしている。のんびりと同じ方向を見ながらのお茶だった。


「ラシェル、その髪飾りはだいぶ前に私が送った物か?」

「あ、はい」

 ラシェルはアーネストの贈った青地に金の刺繍の入ったリボンか、この金地に青い小花の宝石の散らばった髪飾りを、気に入ったのかよく髪に飾っていた。

 どちらも割と地味な意匠なのが気に入ったのだろうと、王子は思っている。

 この頃はすんなりと背も伸びて、ラシェルは段々母親に似てきた。

 下ろした髪を上げたらもっと似て来るだろうと、楽しみに思いながら王子は目を細めてラシェルを見る。


 アーネスト王子を正面に見ない事で、ラシェルの緊張も幾分緩和される。

「あの……、殿下」

「何だい、ラシェル」

「ええと、聖女様はどんな方ですの?」

 ラシェルはそっと遠回しに聞いてみる。

「賑やかな奴だな」

 アーネスト王子の返事は素っ気ない。

 何だか思っていたのと全然違う気がする。

「それより、ラシェル。王妃教育はもう終わりそうか?」

 藪蛇な質問を投げかけられて慌てた。

「は、はい。も、もう少し」

「そうか」

 がっかりされたのだろうか。頑張っているのだけれど。そっと隣を窺ったけれど、感情の分からない端正な横顔に金の髪が眩しく輝くばかりであった。



 放課後である。

「ヒールミスト」

 ラシェルが手を掲げて唱えると上空に水の塊が現れ、パシンと弾ける。

 キラキラと霧のようになって広がる。ラシェルの力ではまだ長く維持することが出来なくて、すぐに霧散してしまう。

「儚い。わたくしみたいね」

 婚約破棄されたら、ラシェルの存在はこんな風に弾けて消えてしまうのだろうか。醜く追いすがる事はしてはいけないと思っても、ずるずると引きずるのだろうか。


 殿下を好きとか嫌いとか、そういう事を考えるだけでも不敬なように思う。

 本当にあの方の側に侍れるほどに、賢く美しかったらよかったのに。

「そんな想いをお持ちですか」

 思いがけずサミュエル教師に返されて驚く。

「あら、詩のようだと思いましたの」

 王太子は天にあって詩のように美しい。

 ラシェルは地に揺らめく陽炎の様。憧れ妬み嫉み劣等感、様々な負の感情が綯い交ぜになって地の底でゆらゆらと揺れている。


 水魔法の方は順調に習得していった。水に回復魔法ヒールを乗せて、キラキラと霧のように撒くことも出来るようになった。

 こんな事したって駄目だって分かっているけれど。何だか少しずつ上達している気がする。もう少し頑張ってみたい。なんだか楽しいし。


 しかし王太子たちの様子は心が痛い。自分から申し出ておきながら。

 馬鹿ね──。

 でもどうすればいいのだろう。みんなが知らないという事で、ひどい事を言われずに済むし、噂にもならなくてありがたいと思うのに。

 お互いに自由にと言ったのは自分ではないか。



「この頃、魔法の練習をしているんだって?」

 休みの日に屋敷に帰ると、義兄のヒューに魔法の事を聞かれた。

 この義兄も王太子と一緒に聖女の側にいるけれど、学院では別にラシェルに気も使わない。黙って見ていることにしたようだ。

「小さな小川くらいであれば、領地の川を導いて、流れを変えるとか出来るそうなんです。わたくしはまだまだですけれど」

「そうかい、凄いな。頑張っているんだね。とても楽しそうだ」とにっこり笑う。

 そう言われると、もっと頑張ろうと思ってしまう。

「でも、まあ程々にね」

 ヒューに釘を刺されてしまったけれど。



 そこは学院の魔法の練習場。

 広さの違う幾つかの練習場があって、その一つでラシェルは練習していた。

 木々の間から光がキラキラ輝くのが見える。


「あの子、殿下の婚約者なんですって?」

 ルチアが背後から聞いた。しかし、アーネスト王子は返事をしない。じっと練習の様子を見ているだけだ。

 練習場ではサミュエル教師が、ラシェルに魔法の構築の仕方について説明している。

「ずいぶん仲が良さそうですね。魔術師は気まぐれらしいですが」

 王子は返事をしないで行ってしまう。珍しい事だった。

「ふうん?」

 ルチアのローズの目がラシェルを見る。



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