第29話 エピローグ
その瞬間、ぼくは何よりも、誰よりも、自由だった。
縦に高く、横に広い、どこまでも見渡せるひらけた視界。
どこまでも広がる青と、薄く広がった雲が見える。
吹き付ける風に服がばたばたとはためいて、邪魔ではあれども解放感ゆえに気にならない。
喧騒は下に。
葛藤は背後に。
束縛は断ち切った。
今、この瞬間だけ、ぼくは誰よりも自由だった。
「ああ、ここに戻るのか」
監獄から戻ったぼくは、ちょうどぼくが自由になるためにビルから飛んだ瞬間に戻ってきたようだった。
あとコンマ数秒もせずにぼくは落下死する。
神たちがまともとは思っていなかったが、想像通りだ。魔王を殺したご褒美もありゃしない。
そのまま死ねとおっしゃるようだった。
帰してくれたとは言えども、その命を助けることはない。
まったくもって神様らしいと言えばいいのだろうか。反吐がでそうである。
スリロスも、日日無敵も、大野ヶ原こみみだってきっと同じ目に遭っていることだろう。
彼らがどのようにしてあの監獄に来たのか、ぼくはファイルで読んだから知っている。
みんな、こういう死の瞬間にあの監獄にやってきた。
そうでもなければ魂を抜いて、あの監獄で肉体を再構成だなんてできない。
不死身の日日無敵がどうやって死んだのかは非常に気になるところであったが、そこまではさすがに書いていなかった。
おそらく神が手を下したのだろう。
不死身を殺せるのは、神か魔王くらいだろうからね。
そうでもなければ、どうやって死んだかを書いていないなんてことはないだろう。
あのファイル、神に都合の悪いことは一切書いてないようだったからね。
シスター・ソレラのところだって、敬虔な武装シスターとしか書いてなかったんだぜ?
あの口ぶりからして、邪魔な奴を殺しまくるヤバイ奴だったに違いないのだ。
そんなわけで、やっぱりあのファイルを信用してはならないわけだ。
それでもぼくはやれることはやった。
戻ったら死ぬかもしれないから、その対処法を教えておいた。
もしかしたら、それで彼らも助かっているかもしれない。
ぼくのようにね。
「というわけで、このままじゃぼくは死ぬから、さっさと助けてくれ」
「ふむ、自由の満喫中じゃなかったのか?」
「これ以上満喫したら死ぬよ」
「はは」
なんて、わかったような声とともにぼくの手が引かれる。
浮遊感が消え失せる。
重力がぼくを見失った。
ぼくは今、本当の意味であらゆるくびきの外側に出たのだと理解する。
そんなことをしたのは、そんなことができるのは、もちろんぼくの手を掴んでいる魔――。
小さい女の子が目に入った。
二本の角は確かに魔王のそれっぽいが、全体的に小さい。
え、だれ知らない。誰これ。
「………………誰?」
「我だよ、我!」
「我我詐欺ならお断りだぞ」
「魔王だよ!?」
「はぁ? 魔王?」
目の前の小さい女の子が二度頷いた。
「どこがだ、魔王はもっとグラマラスな美女だぞ。おまえみたいにちみっちゃくない」
ぼくの目の前にいたのは、魔王の面影はあるが、魔王とは思えない絶壁の少女である。
少女というより幼女である。
ちっさい。
とにかくちっさい。あちらこちらもちっさい。
返せよ、ぼくだけが揉める柔らかおっぱいをよ!
「うぅぅ」
あ、泣いてる。
「仕方ないだろー! 神に気づかれないように我の肉体を再構成しようとしたら、これくらいが限界だったんだよー! わーん」
「え、本当に魔王なの……?」
「君の世界に、こんなことできる奴いないだろー!」
確かに、ぼくは今、魔王? に手を引かれて空に浮いている。
ぼくの世界には魔法使いなんているわけないし、超能力者だっていないはずだ。
こんなことができるのは、よっぽど金をかけてヘリとかから、ぼくの背中にロープをくっつけていたりとかしない限りは無理だろう。
そもそもそんな感じもしないし。
上を見ても何もない。
青空があるだけだ。
どこまでも澄み渡って、雲がどこにもない。
真っ青があるだけだ。
「本当に魔王なのか……」
「やっとか」
「くぅぅ……」
「え、泣く。そ、そうかー。我がこうやって復活したことがそんなにうれしいか」
「いや、小さくなったことが悲しすぎて……」
「正直者か! それよりもっと喜べよー! 我とこうやって無事に脱出できたことをさー!」
小さくなってしまった悲しき魔王の言う通り、ぼくと彼女は無事にあの監獄を脱出した。
どうやって脱出したのかは、簡単だ。
魔王が自殺して、魂の状態になった後、その魂をぼくの内部に収めたのである。
麻薬運搬の彫像のごとく、ぼくは魔王の魂を伴って元の世界に帰還したのである。
「簡潔すぎじゃないか?」
「だからモノローグを読むなよ」
「他に何を言えっていうんだ」
「あっただろー、感動的な別れとか」
「いや、特にはなかっただろ」
スリロスなんかは。
「魔王の強さを喰えなかったのは残念だったが、悪くねえ。一度負けた最強は二度は負けねえんだ。じゃあな」
綺麗にさっぱりと去っていった。
日日無敵は。
「チッ」
舌打ちして帰っていった。
「あぅぅ……」
大野ヶ原こみみなんかは、事実を受け止めきれずに茫然自失の状態でふらふらとゲートをくぐっていたから、別れという別れは何もなかった。
「だから、全然あれくらいでちょうどいいんだよ」
リリス・夢咲やシスター・ソレラには悪いことをしたとは思っているけれど。
どちらもぼくを殺そうとしてきた敵だった。
そんな彼女らに優しくできるほどぼくは強くなかったからね。
仕方ない。
仕方ない。
自由になったからそれで良しだ。
「ふーん、まあいいか。ようやく自由になったのだからな」
魔王が前を見て目を細める。
どこまでも広がる空。
下には喧騒が。
背後には束縛が。
そのどちらもぼくらにはもう関係がない。
魔王に運ばれているという状況以外は、とてもいい気分だ。
「さて、どこへ行く、主様」
「主?」
「嫌か? 我に束縛されるのは嫌だろ? 我はその点、好きな相手になら束縛されてもいい」
「うーん……前の魔王だったらなぁ……」
ぼくはロリコンじゃないんだ。
「前も何も変わってなーい!」
「いやぁ、絶壁だよ絶壁。悲しみすぎるよ」
「すぐに大きくなるわ! 大きくなってみせるわ! しまいには落とすぞ!」
「すみません、調子乗りました」
まったく、ぼくって奴は本当にさぁ。
やっぱりあんな出来事があっても変わらないんだから。
「さあ、主様よ。どこへ行くんだ? 我はこの世界には詳しくないからな。楽しいところがいい」
「そうだなぁ……どこへ行こうか」
今はどこへでも行ける。
自由だ。
素晴らしい。
これこそがぼくの求めていたものだ。
魔王が裏切る心配とかはしないとも。
なんとかなる。
楽観だとも。
「ああ、最高だな」
ぼくは、どこまでも続く綺麗な空にそう言った。
監獄から始まる魔王討伐譚 梶倉テイク @takekiguouren
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