サイコロを拾う
大垣
サイコロを拾う
一月二日の午後、僕は駅の北口広場に居た。
正月の眠くなるような太陽の光の当たる、広場のベンチに座りながら二人の友人を待っていた。
待ち合わせは十三時だったが、どちらの友人も時間になっても来なかった。それは何となく分かっていたので僕は気長に待った。
すぐ側にあった自販機でペットボトルのお茶を買って飲んでいると、鳩がのこのこと歩いて来ては、またどこかへ飛んで行くのを幾度か繰り返した。しばらくすると僕は足を組んでポケットに手を突っ込んで正面を見つめているのにも飽きて、ぶらりとその辺りを歩き始めた。
歩くと行っても暇つぶしになるようなものは何もなく、ただぐるりと周囲を回るだけだった。
また戻ってベンチに座ろうとした時、柵に囲まれた大きな広葉樹の傍で、僕は道に一つの黒いものが落ちているのを見つけた。拾い上げてみると、それはサイコロだった。黒地に白の「目」の入った、傷はあるが丁半にでも使えそうな極めて標準的なサイコロだった。
僕は何となくサイコロが、というより正月にサイコロを拾ったことが妙に気に入ったので、それをポケットに突っ込み、指先で転がして弄っていた。
ベンチに戻って十分ほどすると、向こうからロングコートを着た男と、ダウンジャケットを着た男の二人組が歩いてきて、近づくとロングコートの方が手を上げた。KとNだった。
よう、すまんすまんと軽く二人は言うと、僕らはそこで少し談笑した。三人は高校の部活の同級生で、もう毎年の正月ぐらいにしか遊ばないが、とても気の合う仲だった。
二人は今住んでいる場所のことや仕事のことのことを話した。Kは都会で商社に務め、Nは地元から随分離れて建築業をやっていた。かくいう僕はまだ大学でダラダラしていた。
「そろそろ神社に行こう」と、頃合いをみて僕は言った。下手をすると一日このベンチで話し続けてしまいそうだった。
向かう神社はこの辺りでは一番大きく立派で、神社へと続く大通りにはかなり人が出ていた。親子連れや晴れ着姿の人がぞろぞろと神社へ歩いて行った。
参道にまで来るとチョコバナナやりんご飴を売る屋台が立ち並び、人混みの騒がしさの中には心地よい平和な空気が流れていた。
手水をしてから賽銭をする行列に並び、毎年ありきたりで大した意味もないような願い事を想った後、木箱に入った百円で引ける安いみくじを引いた。結果は大吉で、羽振りの良いことが書かれていた。百円で一年の運勢が大吉なら随分割安だと思った。
一通りの正月の儀式的な行いを終えた後、僕と二人の友人は昼飯をまともに食っていないことに気付き、各々屋台で好きなものを買ってからまた集まることにした。集合場所は神社の広場を抜けた先にある、流鏑馬の格好をした大きな銅像にした。
Kは焼きそばを、Nはイカ焼きなどを求めてどこかへ行った。僕はさっき来るときに見たタコスが食べたかったのでそれを探した。
タコスの屋台はすぐに見つかった。色々と種類があったのでよく分からなかったが、適当に柔らかい生地で牛肉のものを頼んだ。僕の後ろに並んだ人が店主 におすすめを聞くと、幸運にも僕が注文したものとまったく同じものだった。
紙の袋に入ったタコスを我慢出来ずに食べながら集合場所に行こうとした時、突然声をかけられた。
「ねえ、✕✕君じゃない?」
見るとベージュのコートを着込んだ一人の女が立っていた。僕は一瞬戸惑ってぼうっとその女の顔を眺めていると、
「私、覚えてる?ほら二年の時の」と女は言った。
「覚えているとも。Aだろ」
高校二年の時同じクラスだったAだと僕は思い出した。忘れもしない。なぜなら僕が二年が終わる時に告白した女だからだ。そして僕をにべもなく振った女だった。化粧や髪型やらで大人っぽくなり、いくらか別人に見えたが雰囲気は昔のAのままだった。
「今ちょっと忘れてたでしょ。告白までしたくせに」
「そんなことないよ。今何してるんだ?」
「うん、まあ色々ね。地元にはもう居ないけど、正月にはこうして帰ってきてる。何食べてるの?」
「タコス」
思っていたより腹が空いていたらしく、Aと喋っている間も僕はタコスを食べ続けた。Aとの会話は昔と同じように気楽なもので、高嶺の花というより道端の草(失礼極まりないが)といった感触がして、僕はそこに惚れたのだと徐々に思い出した。
「もう結婚でもしたのか?」
「さすがにまだだね。もしかしてまだ私のこと好きなの?」
「そうだね、話しやすいし僕に優しくしてくれるし愛嬌があって大好きだ。思い出した」
「呆れた」と、Aは白い歯を見せた。
「ところであの時はなんで僕のことを振ったんだ?」と、僕は言った。当時はごめんなさい、とただあっさりと断られただけで、ふと、今になって気になり面白半分に尋ねてみた。特に理由なんかないのかもしれないと思っていると、
「特に何が嫌って訳でもないよ。でも何が嬉しいって訳でもなかった。まあその時あなたの気分じゃなかったって感じかな」
なるほどね、と僕は思った。とても納得のいく、爽やな回答だった。
「ところでさっきからポケットに何か持っているの?ずっと動かしてるようだけど」と彼女は言った。
「ああ、サイコロだよ。拾ったんだ」と言って僕はポケットから黒いサイコロを取り出した。ずっと弄っていたのでそのうち角がなくなるんじゃないかと思った。
「ふうん。ねえ、私のことまだ好きなんでしょ」と、Aは言った。
「ん?ああ、そうだな」
「なら賭けてみようか」
「え?」
彼女は細い指をぴっと一本の木に向けた。
「あの木が見えるでしょ。一番大きな木。今この場所から、サイコロを交互に振るの。サイコロの出目は歩数で、一が出たら一歩、二が出たら二歩、六が出たら六歩という風にする。そうしてあの木にたどり着くまでそれを続けるの。それであなたが先に着いたら、付き合ってあげる」
この女は何を言い出すんだと僕は思った。そんなことで突然付き合う付き合わないを賭けることがあるだろうかと呆気にとられた。しかし不純な気もするが、もし本当なら願ってもないことだとすぐに考えた。手早くタコスの包み紙を丸めて近くのごみ箱に放り投げると、僕はその「賭け」を了承した。
「じゃ始めようかしら」
僕が先にサイコロを振った。サイコロは地面に転がり、二つの白い「目」が顔を見せた。
「二歩だね」と僕は言って、立っていた場所から二歩木に向かって進んだ。次にAが投げると、三の目が出た。
二三度それを続けたが、Aは連続で大きな目を出したので、二人の間に距離が出来ると、僕はサイコロの受け渡しのために地面に印をつけて往復した。出た数字は大きな声で言うようになった。通行人が不思議な目で僕らを見た。
まだ大丈夫かと思っていたが、そのうち僕は勝てないことを悟った。Aは恐ろしいほど運が良く、二人の距離は絶望的なまでに広がった。
サイコロを渡しに行くと、Aは、
「そこに居て。もう戻る必要はないから」と言った。Aの目の前にはもう木があった。結局一度も抜かすこともなく、Aは最後の一投をし、「いち」と言って一歩踏み出して、木に触れた。
「私の勝ち」
「やれやれ、運が良いんだね」と僕は諦めて言った。
「違う。運じゃないよ。そういう運命ってこと。私と✕✕君は結ばれない運命。サイコロのゲームですら、それがはっきりと分かるの。見て、私とあなたの距離。これが私とあなたの運命の距離なの。どんな『賭け』や『ゲーム』をしてみても、きっとこうなる。私とあなたは決して運命を共にしない。そう運命で決まってる。あなたの、私に対する運命はこんな簡単な『賭け』に勝てない程度なの。分かった?」
そうまくし立てる彼女の論が、僕には附に落ちるような、そうでないような心持ちだった。しかし実証を伴ってきっぱり言われてしまうと、やはりそんな気もしてきた。運命。そういうものなのかもしれない。
「分かったよ」
「良かった。でも改めて言っておくけど✕✕君のことは嫌いじゃないんだからね。それじゃ、またいつか。」
「ああ、元気で」
Aはそう笑顔で言うと、木の裏側へと駆けて行った。僕も後を追って木の裏へと回ってみたが、Aの姿は既に人混みの中に消えたのだうか、後ろ姿さえも見ることはなかった。
僕は突如として現れそしてまた消えていった僕の微々たる青春に、少し寂しいような気持ちでしばらくその往来する人の群れを眺めてから、友人二人を随分と待たせていることに気がつき、待ち合わせの場所まで急ぐことにした。
冷たい風が頬を気持ちよく撫で、空は雲一つなく晴れ渡っている。正月は至って平和だった。
サイコロを拾う 大垣 @ogaki999
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