一二

 代助はあによめの肉薄を恐れた。また三千代の引力を恐れた。避暑にはまだあいだがあった。すべての娯楽には興味を失った。読書をしても、自己の影を黒いもんの上に認めることができなくなった。落ついて考えれば、考えははすの糸を引くごとくに出るが、出たものをまとめてみると、人の恐ろしがるものばかりであった。しまいには、かように考えなければならない自分がこわくなった。代助はあおじろく見える自分の脳髄を、ミルクセークのごとく回転させるために、しばらく旅行しようと決心した。はじめは父の別荘に行くつもりであった。しかし、これは東京から襲われる点において、うしごめにおるとたいした変わりはないと思った。代助は旅行案内を買ってきて、自分の行くべき先を調べてみた。が、自分の行くべき先は天下中どこにもないような気がした。しかし、むりにもどこかへ行こうとした。それには、支度をととのえるにしくはないときめた。代助は電車に乗って、銀座まで来た。ほがらかに風の往来を渡る午後であった。新橋のかんこうを一回りして、広い通りをぶらぶらと京橋の方へ下った。その時代助の目には、向こう側の家が、芝居のかきりのように平たく見えた。青い空は、屋根の上にすぐ塗りつけられていた。

 代助は二、三のとうぶつをひやかして、入り用の品を調えた。その中に、比較的高い香水があった。せいどうみがきを買おうとしたら、若いものが、ほしくないというのに自製のものを出して、しきりに勧めた。代助は顔をしかめて店を出た。紙包をわきの下にかかえたまま、銀座のはずれまでやって来て、そこからだいこんを回って、ばしを丸の内へ志した。あてもなく西の方へ歩きながら、これも簡便な旅行と言えるかもしれないと考えたあげく、くたびれて車をと思ったが、どこにも見当たらなかったのでまた電車に乗って帰った。

 うちの門をはいると、玄関に誠太郎のらしいくつていねいにならべてあった。門野に聞いたら、へえそうです、さっきから待っておいでですという答えであった。代助はすぐ書斎へ来てみた。誠太郎は、代助のすわる大きなに腰をかけて、テーブルの前で、アラスカ探検記を読んでいた。テーブルの上には、まんじゆうと茶盆がいっしょにのっていた。

 「誠太郎、なんだい、人のいない留守に来て、そうだね」というと、誠太郎は、笑いながら、まずアラスカ探検記をポッケットへ押し込んで、席を立った。

 「そこにいるなら、いてもかまわないよ」と言っても、聞かなかった。

 代助は誠太郎をつらまえて、いつものようにからかいだした。誠太郎はこのあいだ代助がでしたあくびの数を知っていた。そうして、

 「叔父さんはいつ奥さんをもらうの」と、またせんだってと同じような質問をかけた。

 この日誠太郎は、父の使いに来たのであった。その口上は、明日あしたの十一時までにちょっと来てくれというのであった。代助はそうそう父や兄に呼びつけられるのがめんどうであった。誠太郎に向かって、半分おこったように、

 「なんだい、ひどいじゃないか。用も言わないで、むやみに人を呼びつけるなんて」と言った。誠太郎はやっぱりにやにやしていた。代助はそれぎり話をほかへそらしてしまった。新聞に出ている相撲すもうの勝負が、二人ふたりの題目のおもなるものであった。

 ばんめしを食って行けと言うのを学校の下調べがあると言って辞退して誠太郎は帰った。帰る前に、

 「それじゃ、叔父さん、明日は来ないんですか」と聞いた。代助はやむをえず、

 「うむ。どうだかわからない。叔父さんは旅行するかもしれないからって、帰ってそう言ってくれ」と言った。

 「いつ」と誠太郎が聞き返したとき、代助は今日きようのうちと答えた。誠太郎はそれで納得して、玄関まで出て行ったが、くつぬぎへおりながら振り返って、突然、

 「どこへいらっしゃるの」と代助を見上げた。代助は、

 「どこって、まだわかるもんか。ぐるぐる回るんだ」と言ったので、誠太郎はまたにやにやしながら、こうを出た。

 代助はその夜すぐ立とうと思って、グラッドストーンの中を門野にそうさして、携帯品を少し詰め込んだ。門野は少なからざる好奇心をもって、代助のかばんをながめていたが、

 「少し手伝いましょうか」と突っ立ったまま聞いた。代助は、

 「なに、わけはない」と断わりながら、いったん詰め込んだ香水のびんを取り出して、ふうをはいで、せんを抜いて、鼻に当ててかいでみた。門野は少しあいをつかしたような具合で、自分のへ引き取った。二、三分するとまた出て来て、

 「先生、車をそう言っときますかな」と注意した。代助はグラッドストーンを前へ置いて、顔を上げた。

 「そう、少し待ってくれたまえ」

 庭を見ると、いけがきかなの頂に、まだ薄明るい日足がうろついていた。代助は外をのぞきながら、これから三十分のうちに行く先をきめようと考えた。なんでも都合のよさそうな時間に出る汽車に乗って、その汽車の持って行くところへ降りて、そこで明日あしたまで暮らして、暮らしているうちに、また新しい運命が、自分をさらいに来るのを待つつもりであった。旅費はむろん十分でなかった。代助の旅装に適したほどの宿泊とまりを続けるとすれば、一週間ももたないくらいであった。けれども、そういう点になると、代助はとんじやくであった。いよいよとなれば、家から金を取り寄せる気でいた。それから、本来がへんふうを換えるのを目的とする移動だから、ぜいたくの方面へは重きをおかない決心であった。興に乗れば、荷持を雇って、一日歩いてもいいと覚悟した。

 彼はまた旅行案内を開いて、細かい数字をたんねんに調べだしたが、少しも決定の運びに近寄らないうちに、また三千代のほうに頭がすべっていった。立つ前にもう一ぺん様子を見て、それから東京を出ようという気が起こった。グラッドストーンは今夜中に始末をつけて、の朝早くさげて行かれるようにしておけばかまわないことになった。代助は急ぎ足で玄関まで出た。その音を聞きつけて、門野も飛び出した。代助は不断着のまま、かけくぎから帽子を取っていた。

 「またお出かけですか。なにかお買い物じゃありませんか。私でよければ買ってきましょう」と門野が驚いたように言った。

 「今夜はやめだ」と言い放したまま、代助は外へ出た。外はもう暗かった。美しい空に星がぽつぽつ影を増してゆくように見えた。心持ちのいい風がたもとを吹いた。けれども長い足を大きく動かした代助は、二、三町も歩かないうちにひたいぎわに汗を覚えた。彼は頭からとりうちをとった。黒い髪を夜露に打たして、時々帽子をわざと振って歩いた。

 平岡の家の近所へ来ると、暗い人影がかわほりのごとく静かにそこ、ここに動いた。粗末ないたべいすきから、ランプの灯が往来へ映った。三千代はその光の下で新聞を読んでいた。今ごろ新聞を読むのかと聞いたら、二へんめだと答えた。

 「そんなにひまなんですか」と代助はとんを敷居の上に移して、縁側へ半分身体を出しながら、障子へよりかかった。

 平岡はいなかった。三千代は今湯から帰ったところだと言って、うちわさえ膝のそばに置いていた。いつものほおに、心持ち暖かい色を出して、もう帰るでしょうからゆっくりしていらっしゃいと、茶の間へ茶を入れに立った。髪は西洋風にっていた。

 平岡は三千代の言ったとおりにはなかなか帰らなかった。いつでもこんなに遅いのかねと尋ねたら、笑いながら、まあそんなところでしょうと答えた。代助はその笑いの中に一種のさみしさを認めて、目を正して、三千代の顔をじっと見た。三千代は急にうちわを取ってそでの下をあおいだ。

 代助は平岡の経済のことが気にかかった。正面から、このごろは生活費には不自由はあるまいと尋ねてみた。三千代はそうですねと言って、また前のような笑い方をした。代助がすぐ返事をしなかったものだから、

 「あなたには、そう見えて」と今度は向こうから聞き直した。そうして、手に持ったうちわを放り出して、湯から出たてのきれいなほそい指を、代助の前に広げて見せた。その指には代助の贈ったゆびも、ほかの指環もはめていなかった。自分の記念をいつでも胸に描いていた代助には、三千代の意味がよくわかった。三千代は手を引き込めると同時に、ぽっと赤い顔をした。

 「しかたがないんだから、堪忍してちょうだい」と言った。代助はあわれな心持ちがした。

 代助はその夜九時ごろ平岡の家を辞した。辞する前、自分の紙入れの中にあるものを出して、三千代に渡した。その時は、腹の中で多少の工夫を費やした。彼はまずなにげなく懐中物を胸の所であけて、中にある紙幣を、勘定もせずにつかんで、これをあげるからお使いなさいとぞうに三千代の前へ出した。三千代は、下女をはばかるような低い声で、

 「そんなことを」と、かえって両手をぴたりと身体へつけてしまった。代助はしかし自分の手を引き込めなかった。

 「指環を受け取るなら、これを受け取っても、同じことでしょう。紙の指環だと思っておもらいなさい」

 代助は笑いながら、こう言った。三千代はでも、あんまりだからとまたちゆうちよした。代助は、平岡に知れるとしかられるのかと聞いた。三千代はしかられるか、ほめられるか、明らかにわからなかったので、やはりぐずぐずしていた。代助は、しかられるなら、平岡に黙っていたらよかろうと注意した。三千代はまだ手を出さなかった。代助はむろん出したものを引き込めるわけにはいかなかった。やむをえず、少し及び腰になって、てのひらを三千代の胸のそばまで持っていった。同時に自分の顔も一尺ばかりの距離に近寄せて、

 「大丈夫だから、お取んなさい」としっかりした低い調子で言った。三千代は顎をえりの中へ埋めるようにあとへ引いて、無言のまま右の手を前へ出した。紙幣はその上に落ちた。その時三千代は長いまつを二、三度打ち合わした。そうして、掌に落ちたものを帯の間にはさんだ。

 「また来る。平岡君によろしく」と言って、代助は表へ出た。町を横断してこうへくだると、あたりは暗くなった。代助は美しい夢を見たように、暗い夜を切って歩いた。彼は三十分と立たないうちに、わが家の門前に来た。けれども門をくぐる気がしなかった。彼は高い星をいただいて、静かな屋敷町をぐるぐるはいかいした。自分では、夜半まで歩きつづけても疲れることはなかろうと思った。とかくするうち、また自分の家の前へ出た。中は静かであった。門野と婆さんは茶の間で世間話をしていたらしい。

 「たいへん遅うがしたな。明日あしたは何時の汽車でお立ちですか」と玄関へ上がるやいなや問いをかけた。代助は、微笑しながら、

 「明日もおやめだ」と答えて、自分のへやへはいった。そこには床がもう敷いてあった。代助はさっきせんを抜いた香水を取って、くくまくらの上に一滴たらした。それではなんだか物足りなかった。壜を持ったまま、立って室のすみへ行って、そこに一、二滴ずつ振りかけた。かように打ち興じたあと、白地の浴衣ゆかたに着換えて、新らしいかいきの下に安らかな手足を横たえた。そうして、の香りのする眠りについた。

 目がさめた時は、高い日が縁に黄金色の震動をさし込んでいた。まくらもとには新聞が二枚そろえてあった。代助は、門野がいつ、雨戸を引いて、いつ新聞を持って来たか、まるで知らなかった。代助は長い伸びを一つして起き上がった。風呂場で身体をふいていると、門野が少しうろたえたようすでやって来て、

 「青山からおあにいさんがお見えになりました」と言った。代助は今すぐ行く旨を答えて、きれいに身体をふき取った。座敷はまだそうができているか、いないかであったが、自分で飛び出す必要もないと思ったから、急ぎもせずに、いつものとおり、髪を分けてそりをあてて、ゆうゆうと茶の間へ帰った。そこではさすがにゆっくりとぜんにつく気も出なかった。立ちながら紅茶を一杯すすって、タオルでちょっとくちひげをこすって、それを、そこへ放り出すと、すぐ客間へ出て、

 「やあにいさん」とあいさつをした。兄は例のごとく、色の濃い葉巻きの、火の消えたのを、指のまたにはさんで、平然として代助の新聞を読んでいた。代助の顔を見るやいなや、

 「この室はたいへんいいにおいがするようだが、お前の頭かい」と聞いた。

 「僕の頭の見える前からでしょう」と答えて、昨夜ゆうべの香水のことを話した、兄は、落ちついて、

 「ははあ、だいぶしゃれたことをやるな」と言った。

 兄はめったに代助の所へ来たことのない男であった。たまに来れば必ず来なくってならない用事を持っていた。そうして、用をすますとさっさと帰って行った。今日きようも何事か起こったにちがいないと代助は考えた。そうして、それは昨日きのう誠太郎をいいかげんにごまかして返した反響だろうと想像した。五、六分雑談をしているうちに、兄はとうとう言いだした。

 「昨夕ゆうべ誠太郎が帰って来て、叔父さんは明日あしたから旅行するっていう話だから、出て来た」

 「ええ、実は六時ごろから出ようと思ってね」と代助はうそのようなことを、しごく冷静に答えた。兄もまじめな顔をして、

 「六時に立てるくらいな早起きの男なら、今時分わざわざ青山からやって来やしない」と言った。改めて用事を聞いてみると、やはり予想のとおり肉薄の遂行にすぎなかった。すなわち今日高木と佐川の娘を呼んでさんをふるまうはずだから、代助にも列席しろという父の命令であった。兄の語るところによると、昨夕誠太郎の返事を聞いて、父は大いにげんを悪くした。梅子は気をもんで、代助の立たない前にあって、旅行を延ばさせると言いだした。兄はそれをとめたそうである。

 「なにあいつが今夜中に立つものか、今ごろはかばんの前へすわって考え込んでいるぐらいのものだ。明日になってみろ、放っておいてもやって来るからって、おれが姉さんを安心させたのだよ」と誠吾は落ちつき払っていた。代助は少しいまいましくなったので、

 「じゃ、放っておいてごらんなさればいいのに」と言った。

 「ところが女と言うものは、気の短いもので、お父さんに悪いからって、今朝起きるやいなや、おれをせびるんだからね」と誠吾はおかしいような顔もしなかった。むしろ迷惑そうに代助をながめていた。代助は行くとも、行かないとも決答を与えなかった。けれども兄に対しては、誠太郎同様に、要領を握らせないで返してしまう勇気も出なかった。そのうえ午餐を断わって、旅行するにしても、もう自分の懐中を当てにするわけにはいかなかった。やはり、兄とかあによめとか、もしくは父とか、いずれ反対派の誰かを痛めなければ、身動きが取れない位地にいた。そこで、つかず離れずに、高木と佐川の娘の評判をした。高木には十年ほど前に一ぺんあったぎりであったが、妙なもので、どこかに見覚えがあって、このあいだで目についた時は、はてなと思った。これに反して、佐川の娘のほうは、ついせんだって、写真を手にしたばかりであるのに、実物に接しても、まるで連想が浮かばなかった。写真は奇体なもので、まず人間を知っていて、そのほうから、写真のだれかれをきめるのは容易であるが、その逆の、写真から人間を定めるほうはなかなかむずかしい。これを哲学にすると、死から生を出すのは不可能だが、生から死に移るのは自然の順序であるという真理に帰着する。

 「わたしはそう考えた」と代助が言った。兄はなるほどと答えたがべつだん感心した様子もなかった。葉巻きの短くなって、くちひげに火がつきそうなのをむやみにくわえかえて、

 「それで、必ずしも今日旅行する必要もないんだろう」と聞いた。

 代助はないと答えざるを得なかった。

 「じゃ、今日めしを食いに来てもいいんだろう」

 代助はまた好いと答えないわけにはいかなかった。

 「じゃ、おれはこれから、ちょっとわきへ回るから、まちがいのないように来てくれ」と相変わらず多忙に見えた。代助はもう度胸をすえたから、どうでもかまわないという気で、先方に都合の好い返事を与えた。すると兄が突然、

 「いったいどうなんだ。あの女をもらう気はないのか。好いじゃないかもらったって。そうえり好みをするほど女房に重きを置くと、なんだかげんろく時代の色男のようでおかしいな。すべてあの時代の人間はなんによに限らず非常に窮屈な恋をしたようだが、そうでもなかったのかい。──まあ、どうでも好いから、なるべく年寄りをおこらせないようにやってくれ」と言って帰った。

 代助は座敷へもどって、しばらく、兄の警句をしやくしていた。自分も結婚に対しては、実際兄と同意見であるとしか考えられない。だから、結婚を勧めるほうでも、おこらないで放っておくべきものだと、兄とは反対に、自分に都合の好い結論を得た。

 兄の言うところによると、佐川の娘は、今度久しぶりに叔父に連れられて、見物かたがた上京したので、叔父の商用がすみしだいまた連れられて国へ帰るのだそうである。父がその機会を利用して、相互の関係に、永遠の利害を結びつけようと企てたのか、またはせんだっての旅行先で、この機会をも自発的にこしらえて帰って来たのか、どっちにしても代助はあまり研究の余地を認めなかった。自分はただこれらの人と同じ食卓で、うまそうに午餐を味わってみせれば、社交上の義務はそこに終わるものと考えた。もしそれより以上に、なんらかの発展が必要になった場合には、その時に至って、はじめて処置をつけるよりほかに道はないと思案した。

 代助は婆さんを呼んで着物を出さした。めんどうだと思ったが、敬意を表するために、もんきの夏羽織を着た。はかまひとのがなかったから、家に行って、父か兄かのをはくことにきめた。代助は神経質なわりに、子供の時からの習慣で、人中へ出るのをあまり苦にしなかった。宴会とか、招待とか、送別とかいう機会があると、たいていは都合して出席した。だから、ある方面に知名な人の顔はだいぶ覚えていた。その中に伯爵とか子爵とかいう貴公子も交っていた。彼はこんな人の仲間入りをして、その仲間なりのつきあいに、損も得も感じなかった。言語動作はどこへ出ても同じであった。外部から見ると、そこがたいへんよく兄の誠吾に似ていた。だから、よく知らない人は、この兄弟の性質を、まったく同一型に属するものと信じていた。

 代助が青山に着いた時は、十一時五分前であったがお客はまだ来ていなかった。兄もまだ帰らなかった。あによめだけがちゃんとたくをして、座敷にすわっていた。代助の顔を見て、

 「あなたも、ずいぶん乱暴ね。人を出し抜いて旅行するなんて」と、いきなりやり込めた。梅子は場合によると、決してロジツクをもちえない女であった。この場合にも、自分が代助を出し抜いたことにはまるで気がついていない挨拶のしかたであった。それが代助にはあいきように見えた。で、すぐそこへ坐り込んで梅子の服装の品評を始めた。父は奥にいると聞いたが、わざと行かなかった。しいられたとき、

 「今にお客さんが来たら、僕が奥へ知らせに行く。その時挨拶をすれば好かろう」と言って、やっぱり平常のようなむだ口をたたいていた。けれども佐川の娘に関しては、一言も口を切らなかった。梅子はなんとかして、話をそこへ持ってゆこうとした。代助には、それが明らかに見えた。だから、なおそらとぼけてかたきを取った。

 そのうち待ち設けたお客が来たので、代助は約束どおりすぐ父の所へ知らせに行った。父は、案のじょう、

 「そうか」とすぐ立ち上がっただけであった。代助に小言を言う暇もなにもなかった。代助は座敷へ引き返して来て、袴をはいて、それから応接間へ出た。客と主人とはそこでことごとく顔を合わせた。父と高木とが第一に話を始めた。梅子はおもに佐川の令嬢の相手になった。そこへ兄がのとおりので、のっそりとはいって来た。

 「いや、どうも遅くなりまして」と客の方に挨拶をしたが、席についたとき、代助を振り返って、

 「だいぶ早かったね」と小さな声をかけた。

 食堂には応接室の次の間を使った。代助は戸のあいた間から、白いたくの角のきわった色を認めて、さんは洋食だと心づいた。梅子はちょっと席を立って、次の入口をのぞきに行った。それは父に、食卓の準備ができ上がった旨を知らせるためであった。

 「ではどうぞ」と父は立ち上がった。高木もしやくして立ち上がった。佐川の令嬢も叔父についで立ち上がった。代助はその時、女の腰から下の、比較的に細く長いことを発見した。食卓では、父と高木が、真ん中に向き合った。高木の右に梅子がすわって、父の左に令嬢が席を占めた。女同志が向き合ったごとく、誠吾と代助も向き合った。代助はクルエツト・スタンドを中に、少し斜めにそれた位地から令嬢の顔をながめることになった。代助はそのほおの肉と色が、著るしく後ろの窓からさす光線の影響を受けて、鼻の境に暗すぎる影を作ったように思った。そのかわり耳に接したほうは、明らかにうすくれないであった。ことに小さい耳が、日の光をとおしているかのごとくデリケートに見えた。皮膚とは反対に、令嬢は黒いとびいろの大きな目を有していた。この二つの対照からはなやかな特徴を生ずる令嬢の顔の形は、むしろ丸いほうであった。

 食卓は、にんが人数だけに、さほど大きくはなかった。部屋の広さに比例して、むしろ小さすぎるくらいであったが、純白な卓布を、取り集めた花でつづって、その中にナイフとフォークの色がえて輝いた。

 卓上の談話はおもに平凡な世間話であった。はじめのうちは、それさえあまり興味がのらないように見えた。父はこういう場合には、よく自分の好きな書画こつとうの話を持ち出すのを常としていた。そうして気が向けば、いくらでも、蔵から出して来て、客の前へならべたものである。父のおかげで、代助は多少この道にこうをもてるようになっていた。兄も同様の原因から、画家の名前ぐらいは心得ていた。ただし、このほうは掛物の前に立って、はあきゆうえいだね、はあおうきよだねというだけであった。おもしろい顔もしないから、おもしろいようにも見えなかった。それから真偽の鑑定のために、むし眼鏡めがねなどを振りまわさないところは、誠吾も代助も同じことであった。父のように、こんな波は昔の人はかかないものだから、法にかなっていないなどという批評は、双方ともに、いまだかつていかなるに対しても加えたことはなかった。

 父は乾いた会話に色彩を添えるため、やがて好きな方面の問題に触れてみた。ところが一、二げんで、高木はそういうことにまるで無頓着な男であるということがわかった。父は老巧の人だから、すぐ退却した。けれども双方に安全な領分に帰ると、双方ともに談話の意味を感じなかった。父はやむをえず、高木にどんな娯楽があるかを確かめた。高木は特別に娯楽を持たない由を答えた。父は万事休すという体裁で、高木を誠吾と代助に託して、しばらく談話の圏外に出た。誠吾は、なんの苦もなく、神戸の宿屋から、なんこうじんじややら、手当たりしだいに話題を開拓していった。そうして、そのうちに自然令嬢の演ずべき役割をこしらえた。令嬢はただ簡単に、必要な言葉だけを点じては逃げた。代助と高木とは、はじめ同志社を問題にした。それからアメリカの大学の状況に移った。最後にエマーソンやホーソーンの名が出た。代助は、高木にこういう種類の知識があるということを確かめたけれども、ただ確かめただけで、それより以上に深入りもしなかった。したがって文学談は単に二、三の人名と書名に終わって、少しも発展しなかった。

 梅子はもとより初めから断えず口を動かしていた。その努力のおもなるものは、むろん自分の前にいる令嬢の遠慮と沈黙を打ちくずすにあった。令嬢は礼儀上からいっても、梅子の間断なき質問に応じないわけにゆかなかった。けれども積極的に自分から梅子の心を動かそうとつとめたけいせきはほとんどなかった。ただ物を言うときに、少し首を横に曲げる癖があった。それすら代助にはこびを売るとは解釈できなかった。

 令嬢は京都で教育を受けた。音楽は、初めは琴を習ったが、後にはピアノにかえた。バイオリンも少しけいしたが、このほうは手の使い方がむずかしいので、まあやらないと同じである。しばはめったに行ったことがなかった。

 「せんだっての歌舞伎座はいかがでした」と梅子が聞いた時、令嬢はなんとも答えなかった。代助にはそれが劇を解しないというより、劇を軽蔑しているように取れた。それだのに、梅子はつづけて、同じ問題について、甲の役者はどうだの、乙の役者はなんだのと評しだした。代助はまた嫂が論理を踏みはずしたと思った。しかたがないから、横合いから、

 「芝居はおきらいでも、小説はお読みになるでしょう」と聞いて芝居の話をやめさした。令嬢はその時はじめて、ちょっと代助の方を見た。けれども答えは案外にはっきりしていた。

 「いえ小説も」

 令嬢の答えを待ち受けていた、しゆかくはみんな声を出して笑った。高木は令嬢のために説明の労を取った。そのいうところによると、令嬢の教育を受けたミス何とかいう婦人の影響で、令嬢はある点ではほとんどピユ教徒リタンのように仕込まれているのだそうであった。だからよほど時代おくれだと、高木は説明のあとから批評さえつけ加えた。その時はむろん誰も笑わなかった。きように対して、あまり好意をもっていない父は、

 「それは結構だ」とほめた。梅子は、そういう教育の価値をまったく解することができなかった。にもかかわらず、

 「ほんとうにね」と趣味にかなわないとくようりようの言葉を使った。誠吾は梅子の言葉が、あまり重い印象を先方に与えないように、すぐ問題をかえた。

 「じゃ英語はおじようでしょう」

 令嬢はいいえと言って、こころもち顔を赤くした。

 食事がすんでから、主客はまた応接間にもどって、話を始めたが、ろうそくを継ぎ足したように、新らしいほうへは急に火が移りそうにも見えなかった。梅子は立って、ピアノのふたをあけて、

 「なにか一ついかがですか」と言いながら令嬢を顧みた。令嬢はもとより席を動かなかった。

 「じゃ、だいさん、皮切りになにかおやり」と今度は代助に言った。代助は人に聞かせるほどの上手でないのを自覚していた。けれども、そんな弁解をすると、問答が理屈くさく、しつこくなるばかりだから、

 「まあ、ふたをあけておおきなさい。今にやるから」と答えたなり、なにかなしに、無関係のことを話しつづけていた。

 一時間ほどして客は帰った。よつたりは肩をそろえて玄関まで出た。奥へはいる時、

 「代助はまだ帰るんじゃなかろうな」と父が言った。代助はみんなから一足おくれて、かもの上に両手が届くような伸びを一つした。それから、人のいない応接間と食堂を少しうろうろして座敷へ来てみると、兄と嫂が向き合ってなにか話をしていた。

 「おい、すぐ帰っちゃいけない。お父さんがなにか用があるそうだ。奥へおいで」と兄はわざとらしいまじめな調子で言った。梅子は薄笑いをしている。代助は黙って頭をかいた。

 代助は一人で父のへやへ行く勇気がなかった。なんとかかとか言って、兄夫婦を引っ張って行こうとした。それがうまく成功しないので、とうとうそこへすわり込んでしまった。ところへ小間使いが来て、

 「あの、わかだんさまにちょっと、奥までいらっしゃるように」と催促した。

 「うん、今行く」と返事をして、それから、兄夫婦にこういう理屈を述べた。──自分一人で父にあうと、父がああいう気象のところへもってきて、自分がこんなずぼらだから、ことによると大いにとしよりをおこらしてしまうかもしれない。そうすると、兄夫婦だって、あとからめんどうくさい調停をしたりなにかしなければならない。そのほうがかえって迷惑になるわけだから、骨惜しみをせずに今ちょっといっしょに行ってくれたらよかろう。

 兄は議論がきらいな男なので、なんだくだらないと言わぬばかりの顔をしたが、

 「じゃ、さあ行こう」と立ち上がった。梅子も笑いながらすぐに立った。三人して廊下を渡って父の室に行って、何事も起こらなかったのごとく着座した。

 そこでは、梅子がじよさいなく、代助の過去に父の小言が飛ばないような手かげんをした。そうして談話の潮流を、なるべく今帰った来客の品評のほうへ持っていった。梅子は佐川の令嬢をたいへんおとなしそうないい子だとほめた。これには父も兄も代助も同意を表した。けれども、兄は、もしアメリカのミスの教育を受けたというのがほんとうなら、もう少しは西洋流にはきはきしそうなものだという疑いを立てた。代助はその疑いにも賛成した。父と嫂は黙っていた。そこで代助は、あのおとなしさは、はにかむ性質のおとなしさだから、ミスの教育とは独立に、日本のなんによの社交的関係から来たものだろうと説明した。父はそれもそうだと言った。梅子は令嬢の教育地が京都だから、ああなんじゃないかと推察した。兄は東京だって、お前みたようなのばかりはいないと言った。この時父は厳正な顔をして灰吹きをたたいた。次に、きりょうだって十人並みよりいいじゃありませんかと梅子が言った。これには父も兄も異議はなかった。代助も賛成の旨を告白した。よつたりはそれから高木の品評に移った。温健の好人物ということで、そのほうはすぐかたづいてしまった。不幸にして誰も令嬢の父母を知らなかった。けれども、物堅い地味な人だというだけは、父が三人の前で保証した。父はそれを同県下の多額納税議員のぼうから確かめたのだそうである。最後に、佐川家の財産についても話が出た。その時父は、ああいうのは、普通の実業家より基礎がしっかりしていて安全だと言った。

 令嬢の資格がほぼ定まった時、父は代助に向かって、

 「たいした異存もないだろう」と尋ねた。その語調といい、意味といい、どうするかねぐらいの程度ではなかった。代助は、

 「そうですな」とやっぱり煮え切らない答えをした。父はじっと代助を見ていたが、だんだんしわの多い額をくもらした。兄はしかたなしに、

 「まあ、もう少しよく考えてみるがいい」と言って、代助のために余裕をつけてくれた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る