* 1-1-6 *

 橙色の日差しは西に傾き、大西洋の海一面を灰黒色に染め上げる。

 鮮やかでもあり、しかし赤く燃えるような濃い光は人の心を美しさに対する感嘆ではなく、今という時分にはどちらかといえば恐怖へと誘う類のものと化していた。


 セントラル1-マルクト-の総監執務室のテーブルに向き合って座る四人の男たち。

 機構の重鎮たる者達が顔を突き合わせ、深刻な表情をしたまま誰一人として黙して語らない。

 何が四人をそうさせるのかといえば、答えは明白だ。 


 沈痛な面持ちのまま、レオナルドが言う。

「我々に出来ることとは、何なのだろうな」

 機構の全権を預かる総監であるからの疑問。総監であるからこそ抱く憂鬱。


 これまで、世界特殊事象研究機構という組織は世界で巻き起こる自然災害や、ありとあらゆる人災に対して手を差し伸べる活動をしてきた。

 飢餓や貧困に対する支援活動。災害によって生活が奪われた人々への支援活動。

 2031年以後からは、国際連盟に加盟している国家群と歩調を合わせて難民支援、受け入れ活動にも尽力してきた。

 そうした多くの問題に真っ向から対峙し、人々に寄り添う存在であった機構。


 ところが、である。


 そうであったはずの機構の理念、目的、或いはレゾンデートルの全てが失われてしまった。

 自らを聖母マリアの現身とした一人の少女は、己の計略の過程で生み出された新世界の神という存在を真に顕現させることで、人類全てを自らの統治下に置いたのだ。

 人々は今まさに、聖書に語られる理想郷、千年王国、さらにその先にある新天新地へと誘われようとしている。


 争いも、飢餓も貧困も差別もない世界。


 27年前。機構が設立されてから今に至るまで積み上げてきたもの全てが無意味なものとなった。

 マリアは、これまで機構が担ってきた役割の全てを引き継ぎ、それらをさらに理想的な形へと変貌させて実現して見せたのだ。

 故にこそ、レオナルドの問いは尤もである。


“自分達の存在意義とは、何であったのか”


 共和国の巻き起こした戦争に加えて、此度の事件。

 完全なる機能不全へと陥っている国際連盟を横目に見ながら、プロヴィデンスを奪われた機構もまた、彼らと全く同じ立場に置かれたといって過言ではなく、状況を打破する為の手段など何も残されてはいない。

 さらに悪いことに、自分達は“状況を打破しようと思い立つことさえ許されない”状況にあるのだから。


 沈黙の時を経て、フランクリンが重たい口を開いて言った。

「現状を維持することに尽くす、としか言えません」

 これも尤もな結論、答えの帰結である。

 彼の言葉を隣で耳にしていたアールシュが言う。

「刻印。スティグマ-ピュシス-と言いましたか。これが体に焼き付けられている以上、我々の動きの全てが空に浮かぶ城へ筒抜けなのでしょうからな」

「だろうとも。何を知っていて、どんな行動を起こそうとしてもすぐに察知される。迂闊に動くことなど出来ようはずもない」


 レオナルドはインド洋から命からがら脱出を果たした初老の指揮官へ言った。

 アールシュ・ルドラ・グレイジアー大佐。彼は機構がシオン計画に基づいて建造した特務調査艦艇群のひとつ、全事象統合観測調査艦艇 参番艦ミカエルの艦長を務める人物だ。


 2週間前、グラン・エトルアリアス共和国との最終決戦の折、アールシュの指揮するミカエルと追随艦艇群はインド洋北方にて調査観測任務に就いていたが、決戦の最中で史上最凶ともいうべき核ミサイル、ヘリオス・ランプスィがセントラル3を壊滅させたことで帰るべき場所を失ってしまった。

 司令を失ったミカエルは直後から、緊急処置として大西洋方面司令へと所属を変更。

 現在、ミカエルと追随艦艇群はインド洋からマダガスカル島、ブラジルを経由しつつセントラル1へ向けての航行途上にある。

 ミカエルがセントラル1へ到着するまでには2週間以上の時間が必要だが、艦長であるアールシュは状況報告と今後の見通しについてレオナルドと話をするべく、先んじて航空機でセントラル1を訪れているという状況だ。


 レオナルドはアールシュをじっと見据えて言う。

「グレイジアー大佐。君はあの光を見たのかね?」

「あの光、とは…… 共和国の核ミサイルのことでありましょうか?」

「無論。我々の大切な同胞を葬り去ろうとした、あの忌々しい兵器の放つ光だ」

 なぜ今、そのような問いを向けるのか。

 アールシュは疑問を抱きつつも、険しい顔つきで問うレオナルドに対して言葉を選びながら返事をした。

「空に浮かぶ火球と、直上に浮かぶ天使の光輪のようなものを見ました。無風であった海上には間もなく、自然界では発生し得ないだろう爆風が起き、その風と上空からの空気が海面を圧し潰した際に発生した大波もミカエルにて観測しました。それら全ての事象を、この目にしています」

「そうか。時に、セントラル3の仲間達は今、マダガスカル島だったな」

「海中シェルターへの避難が間に合わなかった者も大勢います。たくさんの仲間を失いました」

 アールシュは視線を落とし、最後は消え入るような声で言った。


 レオナルドはアールシュから視線を外し、窓の向こうに広がる禍々しいまでに赤く染まった夕焼け空を眺め、深い吐息を漏らしながら言う。

「グラン・エトルアリアス共和国はあの光を“希望の光”であると言ったか。既に記憶が定かではないが―― いずれにせよ、そのような考えを持っていることに違いは無いだろう。当然、私はそのようには思わない。思わないが、しかし」

 そこで言葉を区切ったレオナルドは、腰を下ろしていたソファから立ち上がり、不気味な色に染まる窓辺へと歩み寄って続けた。

「不謹慎な物言いではあるが、“そうなってしまう日が訪れる”。そういう考えを抱く時もある」


 核兵器が希望の光?


 驚愕の言葉を耳にしたフランクリンが言う。

「総監、それは一体どのような……」

 隣ではアールシュが小さく首を横に振り、口を小さく開いたまま同じように愕然とした表情を浮かべている。

 だが、彼の目の前に座るもう一人の男の考えはまた違ったものであった。


「我々や国際連盟に所属していた国々は戦う為の力を全てを失ったが、軍事力についてほとんど何一つとして失わなかった国が世界の中にただ1か国だけ存在する。そういった意味の言葉に聞こえます」


 太平洋方面司令所属、特務調査艦隊旗艦メタトロンの艦長を務める男。ハワードはじっとレオナルドの後ろ姿を見据えたままそのように言った。

「まさか、人類に絶望をもたらそうとした者達が、立場を変えて希望に転じるというようなことがあるものだろうか。信じ難い話であり、信じたくない話でもある。

 だが、事実としてだ。我々には何一つとして行動が許されないが、彼らは違う。彼らだけが違う。この状況下においても、グラン・エトルアリアス共和国という国は唯一、あの天空城塞イデア・エテルナへ牙を剥くことが叶う存在なのだから」

 サンダルフォン、メタトロン、ミカエルの艦長の任を預かる三人の視線はレオナルドの背を捉えて離さない。

「思うのだよ。もし彼ら、グラン・エトルアリアス共和国がイデア・エテルナへ牙を剥くとするなら、それはセントラル3へしたことと同じ。つまり、核攻撃以外に道はないのだろうとね。そして何より――」


 レオナルドがそう言った時、ふいに総監執務室に備え付けられている通信機がコール音を発し始めた。

 およそ、今の場にはそぐわない無機質な音。

 緊張の中に、まったく別の緊張を生み出す空気の振動。

 ただ、レオナルドはこのコールが必然のものだと考えていた。

 ゆっくりと執務用のデスクへと歩み寄る。コールを鳴らし続ける通信機のディスプレイを見やれば、そこには機構ではない外部からの発信であることを示す表示がされていた。


 間違いない。


 確信したレオナルドは応答ボタンを押して言う。

「世界特殊事象研究機構 セントラル1、レオナルド・ヴァレンティーノだ」

 声を聴いたであろう通信の送り主が返事をする。

『AOC C1M 0022 マークת隊長、ジョシュア・ブライアン大尉であります。応答頂いたこと、感謝申し上げます』

「そうであると思っていた。ゼファート司監よりおおよその話は聞き及んでいる。そちらは全員無事かね?」

『はい。既報通り、ヘンネフェルト一等隊員、及びイグレシアス三等隊員を連れ去られましたが、他のメンバーは健在です』

「そうか。ならば良い。2名の隊員については残念だが、君達の無事が確認出来ただけでも喜ばしい報告だ」

 ここで、満を持してといった面持ちでジョシュアが言う。

『総監。我々は今――』

 だが、そう言いかけた時。レオナルドは強い口調で言葉を被せて言った。

「それ以上は言わなくてよい。いや、言うな。貴官らが何を求めてこの通信を送ったのか、どういう状況にあるのかは理解しているつもりだ。だが、それを悟っているとはいえ、我々は貴官らに手を差し伸べることは一切できない」

『っ! それは、一体どのような意味でしょうか?』

「我々、世界特殊事象研究機構という組織そのものが貴官らに対して助力することが出来ないという意味だ。

 直接言葉を伝える良い機会だから伝えておこう。現時点を以て、貴官らを世界特殊事象研究機構 セントラル1所属部隊より除名する。

 私から伝えるべきことは以上だ。今後は、我々に対して何も連絡をするな」


 そう言ったレオナルドは一方的に通信を切断した。

 あまりに突然の宣告に驚いたフランクリンが真意を問おうとするが、レオナルドの手元を見てすぐに言葉を呑み込んだ。


 レオナルドの右手に施された刻印が赤い光を放ちながら不穏な気配を生じさせており、応答切断ボタンに添えられた手は小刻みに震えていたのである。

「総監……」

 呑み込んだ言葉の代わりに出た言葉が、それであった。

「これで彼らマークתは、何者にも縛られない自由な存在となった。見ての通り、天空の意思は我々に彼らを繋ぎとめておく役割を期待したようだが、そのようにあってなるものか。

 我々はグラン・エトルアリアス共和国だけにではなく、財団や彼らにも同じ立場を貫き、君が先程述べたように“現状維持”の姿勢を突き通さなければならない。我々は自らの信念を、志を曲げて傍観者に徹するしかないのだ。絶望の中にある唯一の希望を、自らの手で摘まぬようにな」


 その言葉は重く響いた。

 レオナルド個人の意思も、世界特殊事象研究機構という組織が持つ意思も、双方ともにマリアが構築した新世界の理想を受け入れているわけではない。

 プロヴィデンスを奪還し、奪われた仲間を救出し、失われた命の弔いをし、踏みにじられた誇りを取り戻したいという思いが心の奥底から込み上げる。

 だが、抗う術が無いのだ。右手に刻まれた刻印がその感情を否定し、信念を貫けばその身がどうなるのか警告を発し続けている。

 抗えば、この世界に記録も記憶も残らぬものとして、存在そのものが抹消されてしまうと。


 それだけは避けなければならない。だが、屈するわけにもいかない。


 自身の右手で赤く光る刻印に忌々しいという目を向けながら、レオナルドは囁くように言った。

「やがて来たる、その日の為に」


 機械による理想的な人類の統治を越えて、人があるべき場所へ還る為に。

 いつか元いた場所へ、“シオンの丘”へと帰る為に。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る