* 1-1-2 *

 海を一望する丘から活動拠点へと戻ったジョシュアと玲那斗は、皆が待つ一室へ向けて歩みを進めた。

 目指す部屋とはかつて、リナリア公国が健在であった頃、星の城と呼ばれた国王の居城において来賓をもてなす為に使用されたという部屋だ。


 リゾート開発の進むリナリア島において、星の城は新規に【星の教会】として再建されている最中にあるが、当時の内装やデザインは極力壊さぬように配慮されているという。

 千年も昔のことを知る証人として、イベリスの意見が重要視されていることは言うまでも無い。

 当時存在した星の城とは、つまるところ“彼女の実家”にも等しい場所であったのだから。


 彼女の実家の面影を感じさせるが故だろうか。

 2035年にマークתが怪奇現象調査に訪れた時とは、まるで別物のように生まれ変わった豪華な建物の中は、それでいて玲那斗にとってはどこか懐かしさを感じるものでもあった。

 今は存在しない、自らの内に確かに存在した“もう一人のレナト”の魂が懐かしさを語り掛けてくるかのように。


 ジョシュアと玲那斗の二人は圧倒的な荘厳さを備えた中央玄関フロアを抜け、正面を見据えた両脇にある曲線階段を上る。

 そうして、1階と2階の狭間に広がる回廊の先に存在する、目的の部屋へと突き進む。

 柔らかな雰囲気を醸し出す優雅な回廊に目を奪われることも無く、上品に整えられた内装に興味をそそられるでもなく、脇目も振らず、ただひたすらに。


 アンジェリカの手によって混沌へと突き落とされた世界が、一転してマリアの手によって改変され、歴史自体が醒覚を果たし、人類が永劫の迷いから抜け出そうとする最中。

 いや、最中というよりは終局というに等しい。

 自分達にとってはこれ以上ない程、形容するなら絶望以外の何者でもない理想へと変貌する現実を思えば、今はこの建物が如何な変貌を遂げたのかについて心から興味を向ける余裕などありはしないのだから。


 速足で廊下を歩いた先で、二人はようやく目的の部屋へと辿り着いた。

 豪華な装飾の施された重厚な木製扉が二人がここへ戻ってくるのを待ち侘びていたかのように静かに佇んでいる。

 玲那斗は、扉に設えられたドアハンドルに手を掛けると、迷うことなく手前に力を込めて引く。

 見た目の重厚さに似合わず、軽い力で開く扉の向こう側。そこにはいつもと同じ、既に見慣れてしまった空間が広がっていた。


 色彩がもたらす視覚効果というのだろうか。解放感のある柔らかな白色に染まる室内。

 部屋の上下には優雅な雰囲気を感じさせる木目調の白い廻縁が設えられ、間にある壁面には温かみのあるパールホワイトを基調とした壁紙が全体に貼られ落ち着きのある空間が演出されている。

 床全面に敷かれているのは同じく白色を基調とした、エレガントさを醸し出す模様の入った上質なペルシャ絨毯で、壁面や天井との色の兼ね合いが損なわれないような空間デザインに仕上げられていた。

 清潔や高貴さを表す白色に染まる部屋は、ともすればある意味で明るすぎて落ち着かないといった印象を与えがちだが、象牙のように温かみのある黄基調の白色が実に優美な居心地の良さを入室する者に提供している。


 余談ではあるが、玲那斗が知るところでは星の教会の各部屋は、どの部屋も居心地の良さを追求することが徹底的に求められ、中でもその一環としてペルシャ絨毯を敷くことが重要事項のひとつとなっていたらしい。

 しかも、そうした“居心地の良さの追及”や“大聖堂を除く各部屋にペルシャ絨毯を敷く”という希望や要望は、何を隠そうイベリスたってのものであったという。

 この話を耳にした当時、何気なく『どうしてそんな要望をしたのか』と本人に尋ねたところ、彼女は迷いなくこう言った。


『リナリア公国が健在だった頃、星の城の各部屋には必ず敷かれていたのよ。凄く肌触りが良くて、温かくて。どんな心持ちの時にどんな部屋にいる時でも、私の心を凄く落ち着かせてくれたから』


 嬉しそうな表情を浮かべ、そのように自分に話してくれたものだ。

 その話の最後に彼女はこうも言った。


『貴方も懐かしく感じると思うわ。貴方の心はきっと、“私の家”のことを覚えているはずだから』と。


 玲那斗はこの場にいない彼女の声を脳裏に思い出しながら奥歯を噛み、ぼんやりと室内を見渡した後に自身の足元に視線を下ろす。

 まったくもって、今さらな思考が頭を巡ったのだ。


 そのように大切な想い出を再現した空間に土足のまま立ち入ることの是非。


 彼女本人か、或いは設計した人々に問うてみなければわからないことだろうが、建物内のどこにもそのような文言が記されていないことを見る限りでは“大丈夫”らしい。

 白色のペルシャ絨毯が敷かれた空間に、かれこれ2週間もの間を通じて皆が土足で立ち入っているにも関わらず、不思議なことにまったくもって汚れる気配がないこともひとつの答えであるといえよう。

 これがイベリスの意図であるかは別として、そういった“気を使わずに済む”という隠された配慮も徹底しているところが実に彼女らしい。


 加えて、部屋全体を見回しても華美な装飾というものは特に見受けられないが、控えめながら上品な模様が壁面のところどころに描かれており、明るい割には殺風景にも映りかねない景色に彩を添えている。

 白い天井は暖色の間接照明が淡く照らし出し、中央にはクリスタルのように透き通る豪華なシャンデリアが吊り下げられているが、これも当時の景観を現代に併せて再現する為という、イベリスの希望によりデザインされたものらしい。


 玲那斗は彼女の想いが詰め込まれた部屋を改めて見渡し、かつてこの島で体験した不思議な夢の世界の中にあった部屋を思い出した。

 特に、天井から吊り下げられた輝かしいクリスタル基調のシャンデリアは夢に見たものと非常によく似ている。

 違いといえば明かりをもたらす原理が“電気”か“蝋燭”かといった程度のことだろう。

 遠からず、近からず。

 あの時の夢世界で見た景色が今の時代に再現されるとすれば、きっとこうなるのだろうというものが非常によく表現されている。


 突き詰めて、彼女の実家を再現しているに等しいのだから無理もないことだが、この教会の内装を初めて見たアルビジアやロザリアが、口を揃えて『懐かしい気持ちになる』と語ったのも道理というわけだ。

 ただ、リナリアに縁を持つ者の中で玲那斗だけは、少し彼女達とは異なる感覚を抱いていた。

 この星の教会の中にいると、言葉では言い表せないが“イベリスの優しさ”に包まれているような気持ちになるのだ。

 耳を澄ませば、彼女の声が聞こえてきそうな、或いは彼女の手が自身に触れてきそうな錯覚まで覚える。


 しかし、その感覚はあくまで妄想が生み出す“ただの感覚”でしかないことを忘れてはならない。

 この場に誰よりも存在すべき者たる、彼女自身は存在しないのだから。



 いつも通り、お決まりの仕草で部屋の中を見渡した玲那斗はやがて黙り込んだまま俯いた。

 それ以上に足を進めることも無く、じっと立ち尽くし口を閉じたまま物思いに耽る。

 頭の中に聞こえる彼女の声を慈しむように、ずっと。


 すると、その様子を見かねた親友がすぐ傍まで歩み寄り、間近くであるというのにわざとらしく大きな声で言った。

「おう! やっと戻ってきたか。待ちかねたぜ。良い話をしてやるから、ほら、早くこっちに来て座った座った」

 勢いよく肩を叩かれ、現実に意識を引き戻した玲那斗は自らを恥じるように言う。

「あ、あぁ。すまない」


 そうだ。思い違いをしてはいけない。

 今、この場所に集まる者達は皆が共通の思いを抱き、自身に出来ることについて必死に努力している最中にある。

 ジョシュアの言った通り、傷付いているのは自分だけではない。誰もが同じだというのに。


 感傷に浸ったまま、いつまでも気持ちの切り替えが出来ない自らの未熟さを恥じ入り、前を向き直した玲那斗は呼吸を整えて改めて言った。

「今日までに集まった情報の精査と整理を始めよう。ほんの少しでも、僅かでも…… 二人を取り戻す手立てに繋げられるかもしれない」

 決して気持ちの整理がついたわけではない。

 しかし、周囲の言葉に耳を貸さず、子供のように塞ぎ込んでいても事態が好転することなど有り得ないのだ。

 現実を見ろ、と。丘の上でジョシュアに言われた言葉も、突き詰めればそうである。


『これじゃ、またイベリスに笑われてしまうな』


 自虐の言葉と彼女の悪戯な笑みを想起した玲那斗が、部屋の中央に据えられた立派なテーブルに足を進めようとした矢先、背後からジョシュアが言った。

「俺が言うべきことを先に言われたな。だが、それでこそだ」

 仲間の奮起に喜びを表すような笑みを浮かべ、軽く肩を叩きながら言った彼に、玲那斗は丘の上での態度への反省と感謝を込めて言う。

「すみません。ありがとうございます」

 小声で言った玲那斗の言葉はしっかりとジョシュアに伝わったらしく、彼は左手を挙げて“気にするな”というジェスチャーを見せてからテーブルへと歩み寄った。


 二人の様子を眺め続けていたアルビジアとロザリア、そしてアシスタシアも安堵の表情を見せて息をつく。

 ジョシュアと玲那斗が戻り、全員が揃いテーブルを囲み着席し終えたことでミーティングは始まった。



 まずは隊長の役目として、今度こそ自ら口火を切ってジョシュアが言う。

「ここに辿り着いて2週間。改めて、皆が情報の収集と精査に尽力してくれていることに感謝する。昨日までの時点においても、調査可能な範囲での情報はおおよそ集まったように思う。今日はそれを精査し、整理して今後の方向性を決める為のミーティングとしたい。先に玲那斗が言った通り、あの二人を取り戻すきっかけになるやもしれん」

 ジョシュアの言葉に続き、玲那斗が言った。

「まずはここまでで集まった情報を一旦全て並べて整理してみましょう」


 そう言った玲那斗は来賓室に備え付けられた最新型のホログラフィックモニターを立ち上げ、これまでに収集した情報の一覧を箇条書きにして表示した。

 そこには、これまで自分達が辿って来た道のりが時系列に並べられている他、黒い影の化物の存在や、映像に映し出された謎の刻印の存在などが明示されている。


 この時、モニターに表示された文字列を眺める玲那斗の脳裏に、アンヘリック・イーリオンで対峙したマリアが自身に言い放った言葉が思い起こされた。


『認めたくないのだろう? 君達が信じた可能性とは、常に君達の為だけに都合の良いものであり、その為ならば周囲の人間の犠牲など厭わないという類のものであったのだから。

 君と同じように、もう一人の自分を失った憐れな彼女や、今君の目の前に立つ哀れな女はね、そうした綺麗ごとが生み出す欺瞞と、君達の傲慢さが世界に生み出した呪いそのものでもあるのさ』


 玲那斗は彼女の言った言葉の意味を理解しようとした。


 俺達の信じたものは、俺達にとってだけ都合の良いものであった――


 マリアはこうも続けた。

『だから君と王妃様は、そこで打ちひしがれる彼女や私達の願う理想を、正義を絶対に受け入れることが出来ない。受け入れてしまえば、自らの祈りや願いを否定することに繋がるのだから。

 私達を悪と断じることで、ようやく自らの正当性を担保することができる。言い換えれば、私達という存在が悪を演じていなければ、君達は自らの正当性を示すことすら出来ない』


 俺達という存在が、彼女やアンジェリカといった存在を“呪い”に変えてしまったというのか。


 マリアの抱いた理想。

 彼女が千年に渡り夢に見たという目的は成就し、今や聖書の中でしか語られることの無かった理想郷が現実のものとなりつつある。


 千年王国。復活を遂げた救世主によって導かれた人類が、神の聖所へと昇り辿り着く“最後の理想郷”。

 新天新地と語られるその地は、原初の人であるアダムとイブが暮らしていた楽園に等しきものであるという。


 人の世が多く抱え持つ難題。

 自然環境破壊、戦争、食糧問題、人種差別、宗教差別、疫病の蔓延、難民問題――

 挙げても挙げ尽くせぬほど目の前に横たわる問題の羅列。人類が持つ災厄の数々。

 マリアは理想を実現させることで、こうした諸問題をたった2週間でほとんど全て解決に導いて見せた。


 その方法こそ、【人間ではない者による人間の支配】。

 言い換えると、絶対に過ちを犯さぬ機械による人間の統治、管理社会の構築といったものだ。

 機構が所有していた人類の叡智の結晶〈プロヴィデンス〉。

 マリアはこれを機構から強奪することで自身の理想を実現したらしい。

 この世の事象全てを保管し、この世の行く末を限りなく正確に予見する万能のAIはイベリスの持つ光の異能と交わり、そうすることで新世界の真なる神に成ったとでもいうのだろうか。


 答えは不明瞭なままながらも、おそらくはそうに違いない。

 そこに至るまでの一連の流れが、今自身の目の前に浮かぶホログラフィックモニターに時系列順に表示されている。

 見れば見るほどに禍々しい内容。

 これらはかつて、ドイツのナチ党が神聖ローマ帝国と、ドイツ帝国に続く第三の理想郷として建国を夢見た【第三帝国】の完成を彷彿とさせるようなものだ。


 人種差別を筆頭として、悪逆非道を尽くした彼らナチスの行いと異なる点と言えば、国家や人種、宗教による区別や差別の一切が排斥された上での完全なる選民思想に基づいたものであるということだろう。


 明確にそうであるとは言及しないまでも、やっていること自体が選民思想の最たるものであることは明白だ。

 ただ、人類史がこれまでに示してきた“選民”の在り方とは根本が異なる。

 人種や思想は選別に何の影響も与えず、機械の価値基準によって選民が行われるという世界。

 そこに人の意志が介在する隙など、微塵もありはしない。


『何が神による理想社会だ。こんなものは神の名を騙って実現した恐怖政治以外の何物でもない。マリアは本当にこんなものの為に自らの千年を犠牲にしてきたとでも言うのか。もしそうであるならば――』


 内に沸き上がる想いを押し殺し、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべたまま、力なく玲那斗は言った。

「これが、今自分達が置かれた状況であり、覆さなければならないと信じている状況の全てです。ですが、見ての通りこの中には解決の糸口となる情報や項目というものがありません。明らかな情報不足です。

 自分達が状況を打破する希望を見出す為には、ここで調査観測を続ける以外の新たな“きっかけ”が必要であるという状況に置かれています」


 すると、この言葉にルーカスは深く頷いて言った。

「では、その“きっかけを作る為のきっかけ”に成り得る報告からしましょう」


『何だって?』


 なんとか言葉にして発することを思い留まり心情に留めたものの、いの一番に驚いたのはやはり玲那斗だった。

 驚愕の表情を浮かべる親友に得意げな笑みを見せつつ、自信に満ちた様子で話しを引き取ったルーカスに全員の視線が集まった。



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