「はぁ……はぁ……」



 息切れしている中、ぼくは必死に女を追いかけている。

 桜史郎はぼくを嘲笑いながら、逃げている。



「……よくも、よくもぼくの友達を」


「メンヘラキモすぎ。あたしに執着しないでよ。もう別れたんだから他人でしょ?」



 田舎のあぜ道、誰もいない夜道で、ぼくは彼女に覆い被さった。

 両手を首にかける。

 彼女は嗤っている。


 鏡の中で、泥沼 凶子が、ぼくをみている。



「ふふ、女に力で勝てると思ってんの? つけあがるのもいい加減にしろよ、マジで」


「……許さない。絶対に許さない」


「男なんて所詮──子供を産むための道具に過ぎないでしょ。ガキ産んでとっとと消えろよ。日本の多老化に貢献できたんだから本望じゃん。アンタに私を殺せると思ってるの?」


「……人を性奴隷扱いしやがって。男の敵め」


「殺せるもんなら殺してみてよ? できないだろうけどね!」



 桜史郎がぼくの顔面を殴りつけてくる。

 血が引っ込む。頭がグラグラする。

 女が、ぼくの服を掴み、地面へと叩きつける。

 体勢が、逆転する。



「ああ、本当にかっこいいわね、あんた。その顔を傷つけてやりたぁい。粉々にしてやりたぁい。ずっと抑えていたのよ、私の中の破壊衝動をね。女である以上、これも全部正当防衛になるわよねぇ……?」



 女がカバンの中から、ナイフを取り出してくる。

 首元に突きつけられる。

 逃げ出そうとしたとき、両手を押さえられた。

 ナイフを咥えながら、女が嗤っている。



「どうやって遊ぼうかなぁ。やっぱり、陰茎は切り落として、飾るのがベストかしらね。あはは、あなたの大切なお友達の瑞希くんは、本当に気持ち良さそうだったよー? どう? どう? 動画で一緒にみる? 喉元ブッ刺したらすぐにこの世逝きだけど、それもマンネリ化してるしさぁ」


「……お前、イカれてる」


「ふふ」



 女が嗤っている。ぼくの前でナイフを突き立てようとしている。

 助けを呼ぼうとしたのだが、口を押さえられる。



「んー!んー!!」


「……黙れよ、クソ男。あたしに犯されるのを喋って、そこで待ってろ」



 誰もいない夜道。森のすぐそば。

 ふと、田んぼに誰かが立っているのがみえた。


 泥沼 凶子が、こっちを見ている。

 泥沼 凶子が、ぼくに何かを伝えようと口を動かしている。

 ぼくはジーッとそれを見ている。



「あああああっ!!」


「いいね、いいね、その歪んだ表情。かっこいい〜。さすが、琥珀くん。痛がってる姿も素敵よ」



 脇腹にナイフを突き刺される。

 女がぼくを見下している。ぼくは女を見下ろしている。



「じゃあ、生きてよ。琥珀くん」



 女がそういったとき、ぼくは思いっきり、彼女を蹴り上げた。

 桜史郎が体勢を崩す。

 その隙にナイフを奪って、構える。

 立場が再び逆転し──世界が反転した。



「死ぬのはオマエのほうだよ、桜史郎。女を奴隷扱いするようなクズ男は、わたしが成敗してやる」



 泥沼 凶子が、ぼくを見ている。

 いや、違う……。


 泥沼 凶子は、


 目の前にいるのは桜史郎ではない。

 吉親 潤海だ。

 わたしは、この男を殺そうとしている。



「……よくもわたしの友達を傷つけたね。オマエなんて、生きる価値のない──ただのクズ男だ」


「やめろぉ!!!! 京子!!!!!」



 わたしは男の、顔面にナイフを突き刺した。

 地に向かって、呟く。




「大好き! あなたのことが大好き! あなたをとっても愛してる! 愛してるぅうう!! あなたの子供を孕ませたい! 産んで、育てて、くたばって、人生を謳歌したい!! この世を去らないで! どうか、この世を去らないで! あなたには生きてて欲しいの! 生きて生きて生きて生きて、そうして逝きてほしいの! 去らないで!去らないで!去らないで!! あなたの苦しむ顔を見たくないの! 見たくなくて、見たくなくて、たまらないの! ほら、もっとそのかっこいい顔を見せて!! あれ、もうグチャグチャになってる? 誰がこんなことをしたの……。ああ、私か。私がやったのか。ひひひひひひひ、どうでもいいか。どうでもいいや、どうでもいい。男なんて全員クズばっかりだし。一人二人消えたところで、なんにもならないし! じゃあ、いっか!!! いっか!!!!!!」



 わたしは何度も何度も何度も何度も何度もナイフを引き抜く。

 引き抜き、引き抜き、引き抜き、引き抜く。


 血が──落ち咲く。


 シャツが血で滲んでいる。


 まだ息のある彼の耳元で、私は囁く。

 この希望や喜びを──飲み拾う。



「愛してるよぉ!!


 愛してるぅ!!


 大大だぁーーい好き!!


 大好きなの!


 好きで好きでたまらない!!


 お願い!!お願いお願いお願い!!


 あなたを傷つけたくない!!


 たくさん生きて!!

 少なく死んで!!


 生きて!!

 生きて生きて生きて生きて!!


 頼まないから、ゆっくりと生きて!!!!


 ──たくさんたくさん生きてッ!!!!!」




 わたしは笑っていた。


 息がある。

 ゆっくり霊柩車を呼ばないと。

 これで雨降ってわたしもシャバに出られる。



「あははっ──!こんな人生最高ッッ!!」



 全身が真っ青だ。

 身体のどこも痛くない。

 星が手を伸ばしている。

 ぼくは生きてゆく。

 いつからか狂ってしまったこのセカイで。



 ──この、反転したセカイの中で。


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反転したセカイの中で。 首領・アリマジュタローネ @arimazyutaroune

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