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 久しぶりに土日が両方休みになったので、愛車の錆落としも兼ねてドライブに行くことにした。


 チェーン店が立ち並ぶ国道を10分ほど走り、いつもの十字路を左折して高速道路の入り口に向かう。料金ゲートに差し掛かったとき、以前とは様子が違うことに僕は気づいた。

 違和感の正体はすぐにわかった。「ETC/一般」のゲートの横に、「無料」という見慣れない標識が掲げられたゲートがあったからだ。


 これが噂の無料高速か。以前ニュースで見たのを思い出した。東京で試験導入しているとは聞いていたが、いつの間にか地元にもできていたのか。新しい物好きの血が騒ぎ、僕は迷わず「無料」の方へと車を進めた。


 ゲート自体は意外にも普通のETC対応ゲートと同じように見えた。だがスピードを落として通り抜けると、突如車内に若い女性の合成音声が流れた。


『この度は無料プランをご利用いただき、誠にありがとうございます。当プランは走行中に広告が流れます。御了承ください』

 問題ない、それは知っている。高速利用料を広告で回収するビジネスモデルだ。最初に聞いたときはなるほどと膝を打ったものだ。


『安全のため、自動運転をオンにしてください』

 これも問題ない、僕は緑色のボタンに手を伸ばした。今どき高速道路を自分で運転しているのは余程の車マニアかスピード狂だけだし、僕はそのどちらでもない。どちらかといえば、技術マニアとしては先程からこの声の出処が気になっていた。


 あたりを見回すと、高架脇に巨大な板チョコのように並べられたそれらが見つかった。

 指向性平面波スピーカーアレイ。とても小さなスピーカーデバイスを無数に並べ、波の干渉を使って特定の方向にのみ音を出す技術だ。

 原理は僕も知っているが、時速100kmで走る車にどうやって位相を合わせ続けているのかについては想像すらできなかった。ドップラー効果の影響も受けるはずだが、車の速度に応じて周波数を変えているというのだろうか。


 十分に発達した科学技術は魔法と見分けがつかない、などとクラークの言葉を思い出しているうちに車は自動運転のままランプを抜け、本線へと合流した。そして次の瞬間、僕の視界は真っ白な映像に覆われた。


『夢を追いかけるあなたへー!』

 売出し中の若手女優が白い背景の中からぬっと現れる。

『その夢を一緒に叶えませんか!』


『転職するならアクチュアル!』

 大きなロゴが弾けとんだかと思うと、僕の目の前には再び高速道路が現れた。


 なるほどこれは自動でなければ運転できたもんじゃないな、と僕は思った。映像はおそらく垂直共振型面発光レーザーでフロントガラスに投影されたものだろう。しかその精度には舌を巻くばかりだ。あのかまぼこ型の黒いカバーで覆われた装置がその投光器だろうか?

 下に小型だが、同じ形をした受光器のようなものも見える。こいつが光レーダーの原理で車からの距離と速度を測っているのかもしれない。


 次の広告が始まる。

 今度は路面はそのままだが、両脇の景色ががらっと変わった。ヨーロッパの田園地帯のような美しい映像が投影され、心地の良いクラシック音楽が流れている。目の前に一台の車が現れ、流線型の美しい車体を見せびらかすかのようにゆっくりとすれ違っていく。僕の乗っている車のメーカーが発表したばかりの最新型だ。

『ラグジュアリーのその先へ』

 ナレーションとともに視界が暗転する。

『Drive To The Future.』

 暗闇の中にメーカーのロゴが浮がび上がる。


 メーカーもボディタイプもクラスも僕が乗っている車と同じ。なんとピンポイントな広告だろうか。  

 きっと偶然ではない。おそらくどこかにあるカメラの映像から車種を判別して流す広告を変えているのだろう。


『お客様へのお知らせです』

 最初に聞いた合成音声が再び流れてきた。

『広告を非表示にしたい場合はいつでもカーナビから有料プランに切り替えが可能です』


 余計なお世話だ。

 僕はむしろこいつを楽しんでいるのに。

 さぁ、次は何だ?


『僕たち』

『わたしたち』

 フロントガラスの両側から男女が一人ずつ飛び出してくる

『結婚しました!』

『毎日300組のカップルが誕生しています。婚活アプリNo.1のラブコネ!』


 そう来たか。休日の昼間に一人で車を走らせている若い男。そんな奴は十中八九独身に違いないとAIが判断したのだろう。最新の深層学習ならフロントガラス越しに僕の顔から性別年齢を推定するなど訳もないことだ。


『ダイエットするならプラチナジム!』

『〇〇店新規オープン!入会費実質無料キャンペーン実施中!』


 顔の画像からダイエットが必要と判断されたとしたら腹立たしいことだった。でも、〇〇店は僕が転勤前に住んでた家の近くだ。おそらくナンバープレートで判断したのだろう。チッチッ、ツメが甘いな。僕は誰にとも無く呟いた。


 その後も投資、腕時計、マフィアが成り上がるゲーム、男性向け化粧品と言った広告が立て続けに現れては消える。


 限られた情報からよくもまあ僕をプロファイリングしたものだ、としばらくは感心していたが、そのうち僕はすっかり飽きてしまった。

 そしてどちらかといえば、広告と広告の間にちらりと見える、僕の車の前をノロノロ走っているトラックの方に僕は気を取られていた。別に急いでいるわけではない。そもそもアテもないドライブだ。だが制限速度よりゆっくり走るのは何だかむず痒い感じがする、それに目の前をデカブツに塞がれているというのは気分が良くなかった。


 追い越そう。

 僕はハンドルを右に切る。セミマニュアルドライブアシストが起動して、自動運転システムが道路情報、車速、後続車の情報を取得して自動的に車線変更してくれる筈だ。


 だがそれは起こらなかった。


 もう一度。

 やはり何も起ききない。


 代わりに目の前で流れていた広告が途中でぷつりと途絶えた。


『お客様へのお知らせです』

 視野の左側からアザラシのようなキャラクターが現れた。高速を運営している企業のマスコットだ。アザラシは視野の中央までやって来るとペコリとお辞儀をして


『無料プランの方は追い越し車線をご利用頂けません。ご不便をおかけしますが、追い越しをご希望の方は、カーナビの画面から有料プランにご加入ください』

 と可愛い声で言った。


 これは予想外だった。

 Pay to win、人を出し抜こうと思ったら課金しろというわけか。さて、どうしたものか。


 考えてみれば、もともと高速に乗るまで無料プランがあると僕は知らなかった。つまり最初からお金払うつもりで居たのだから、ここで課金しても損はないはずだ。だが、ここまで延々広告を見させられて今更金を払うのは癪だった。


 僕はぐっと我慢することにした。まあいい、次のIC降りよう。あそこにお気に入りの日帰り温泉がある。


 そして帰りは有料で帰ろう。


 諦めてハンドルを手放すと、僕は再びシートに深々と体を預けた。いいだろう、こうなればとことん付き合おうじゃないか。


 前を走っていたトラックの背中が消え、視界は再び闇に包まれた。次の広告が始まるようだ。


『薄毛にお悩みの貴方へ――』


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