『ノアの旅人』

西井シノ

『ノアの旅人』テキスト

作者 

【西井シノ】


目次

【第1章】序譚{ノアの旅人}

【第2章】第1譚{頑丈な国}

【第3章】第2譚{人狼の村}

【第4章】第3譚{野原の宿}

【第5章】第4譚{生きている失われた国}

【第6章】第5譚{決闘の国}

【第7章】第6譚{周期を逃した七人}

【第8章】第7譚{魔術学院の街}

【第9章】第8譚{洞穴シーラの街}



------------------------- 第1部分開始 -------------------------

【第1章】

序譚{ノアの旅人}


【サブタイトル】

①ダンジョンは、人が死ぬところである。


【本文】

 緊急を要していた。恟恟きょうきょうたるこの事態は。

 焦燥と憔悴、鳴り止まぬ鼓動に冷や汗と手の震え。動揺が吐き気となって漏れ出てくる。水下みぞおちの押される感覚が溜飲のせり上がりをしつこく催促するように、この流動的な吐き気が唯々不快だった。


――気持ち悪い。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い逃げ出したい帰りたい。


 この街が、このギルドが、始まって以来の大崩落だ。それはテロリストの凶行、自然災害の猛威、新米冒険者による人為的な事故。あるいはそれら全てが違うのかもしれない。原因の所在は未だ確定していない。何にせよギルドの観測機器たちは恣意的な活動を示唆し、もし仮に人為的で有るならば入窟を許可した番台係の失態。すなわち……


 私が、私の判断が、私の過ちが招いてしまった"人災"。


 それでいて状況は暗中模索を体現するかのような混沌に有った。百聞は一見に如かずである。しかし今は、千聞で一見を越えなくてはならない。私は震えた手で受話器を耳に当て喉から声を捻りだす。


「いっ、一体!貴方たちは誰なんですか!?」


 緊張交じりの声色を嘲るように、淡々とその声は帰って来た。通信機の本来の登録者とは違う声、訛りも調子も地元の人間ではない誰か。


「誰なんですかって、酷い人だな。」


 時は遡る。あの瞬間まで。



―――――――――― 


「え、うんこしたいの?」


「うん。」


「……」


 気まぐれなアコーディオンが冒険者たちの背中を撫でるように、あるいは彼らを鼓舞するかのように、ギルドハウスの中で流れている。


 差し込み始める朝の陽光に照らされ、白髪の男はカチャカチャとハーケン(岩場の割れ目に打ち込む登山道具)やらカラビナ(金属のリング型固定具)だとかを木製の長机に広げ、一つ一つ念入りに確認しながらナップザックへと戻していく。


 おおよそ酒屋には似つかわしくない装備、似つかわしくない番台、似つかわしくない掲示板。例えるならば夏の高山に挑み行くアルピニストらの山小屋のような。しかしそこには朝から酔いの臭気が入り混じる。


 片や最後の一滴を飲まんと机に溶ける者。片や固唾を飲まんと帰還を待つ者。このカオスこそダンジョンによって隆盛を遂げたこの街の、もといこの宿居酒屋タバーン型ギルドハウスの日常だ。


「おい、エドガー。――ヒック!、息子は元気かぁ?――ヒック!」


 アルコールは、この街の血液である。


「あぁ、お陰様でな。しかし元気過ぎるのも考え物だ。最近は『いつか街一番の冒険者になる』と言って止まない。お前からも何か言ってやってくれないか?」


「それは良くねぇな……、俺からも言ってやらねぇと。"国一番"になれよって。」


 ジョッキ樽に入った酒を喰らうように呑みながら、スキンヘッドの巨漢はニヤニヤとしながらそう言った。エドガーと呼ばれた熟年冒険家はその言葉に呆れた様に笑うと、真剣な面持ちに直って酔っぱらいの男の顔を見る。


「さて、ロイダル。昨日のダンジョンの様子はどうだった?」


 ロイダルと呼ばれた男は"ダンジョン"と言う言葉を聞くや眉をピクリと動かして酒を置いた。


「んあ?……あぁ、第三鍾穴(洞窟深部にある空気の通り道。)から南風。モンスターは例年通り元気だ。昨日から芝香草のシーズンだとか聞いていたが、ったく。今年はそうでもねぇ。まぁ、基本的にいつも通りだわな。」


 この街のダンジョンには死体潜りと呼ばれる地中の毒菌と、雑香草とよばれる短草が吹き出す植物塩基が毒の砂塵として舞っている。南風であれば出入口に押し戻されるような向かい風。この場合、探索できる制限時間リミットは少しばかり短くなるの対し、北風であれば制限時間リミットは伸びる反面、ダンジョンの深部に滞留するような押し風となり最終層の毒素濃度は軽々と基準値を超える。また突風のある日は最も危険で、風向きに限らずギルドが半強制的にダンジョンを閉鎖する。


「そうか。」


 エドガーは琥珀色の丸々とした美しい鉱石を内ポケットから捻り出し、手のひらにすっぽりと収まる大きさのそれをキラリと眺めがらロイダルの話に相槌を打った。


「なんだぁそれは?」


「これか?良くは分からないが第三層の神殿から発掘した。強い魔力を秘めているようだが、それ以外は調査中。」


 そう言ってエドガーは帽子を被り、深呼吸して背筋を伸ばす。


「おいおい、戻しに行くのか?」


「まさか、賊にでも捕られたら面目が立たない。ダンジョンで調べてみるのさ。」


 エドガーはそう言って白髭を一撫でした後、琥珀色の鉱石をしまった重々しいナップザックを隆起した逞しい左腕で軽々と持ち上げて背負い、立ち上がった。


「さぁ、行こう。」


 自身に気合を入れるようなエドガーの静かなる一声に、朝一番ギルドハウスにいたほぼ全ての冒険者たちが立ち上がって応える。


「おうおう、今日も勇ましいねえ。」


――【クラン・エドガー】

登録・アルバルム冒険者ギルド

階級位 《ランク》:A級冒険者クラン

専門位 《クラス》:「調停士」(ダンジョン管理、整備を主な目的とする。)

リーダー「エドガー=ウィリアム」

団員数15名


 彼らこそが、洞穴ダンジョン街であるこの{ジマ街}の主役ヒーローである。


「わぁーお、すげぇ。」


「へっへっ、すげぇねぇ~」


 番台に手記を書き込む手を止めた余所者の青年は、その光景を物珍しそうに眺めながら笑った。横には番台にすら背丈が届かない少女が、ふざけたように釣られて笑っている。


――はぁ、またか。


「終わりましたか?」


 その様子を見た番台嬢のミサは、溜息交じりで呆れた様に二人を催促し案内を進めようとしていた。


――無名のF級冒険者クラン。こういう奴等はよくいる。ジマ街を訪れたついでに冒険者ライセンスを悪用し、小遣い稼ぎとトラッキングを兼ねようとしている危ない観光者やから


 ミサは怪訝な顔をしながら、その冒険者が提示したクエストを睨み、つっぱねた。それがダンジョンの安全を守る彼女の仕事だからである。


「はぁ、ダメです。ジマ岩窟の第2層からは肉食のモンスターが現れます。このクエストもこのクエストもこのクエストだって、すべて受領できません。」


「え。……いやほらだってお姉さん。俺たち"探索士"なんですよ、ただの冒険者じゃなくてさ?俺達無敵のオー、シーカー♪」


 青年は拳で音頭を取りながら、面食らった顔で指を震わせ経歴をなぞった。


――何が探索士だ。


「ダメです。不可です。」


「えぇ……。じ、じゃあ。こっちでいいや。」


 青年は難易度の下回ったクエスト用紙を数枚差し出す。横にいた少女は男のその残念がった顔を見てクシシと笑った。ふざけた連中。遊び半分の冒険観光。それを見てミサは確信する。


――私がいなきゃ、君らは死んでいたよ。


 と。


「これくらいなら良いですよね、第一層にある芝香草の採集クエスト全部。こうなったらダンジョンの芝香草は全部手に入れてやる、……くらいの勢いで!やる気は有るんですけど?」


――馬鹿だ。


「はぁ……、分かりました。受領しましょう。」


 ミサは呆れた声色でスタンプをポンポンポンと押していく。何回押しただろうか。ギルドが管理するこのクエストというものは、難易度や種類によって受注できる人数が限られている。この手の採集クエストは需要が多く難易度も優しめ。受注人数もほぼ無制限であり、クリア条件は早いもの勝ちで満たされていく。


 つまり、逆を言えば簡単に手に入るのであればこんなクエストなどは、とっくの通りにクリアされているはずなのである。用紙が余る理由、今年の芝香草は不作なのだ。


「くれぐれも安全にはお気をつけ下さい。それと他の冒険者さまの邪魔だけは……」


 ミサが顔を上げると、彼らは隣接する居酒屋の番台に移り、料理を注文していた。


「俺チキンフィレ!!」


「プーカ全部!!全部食べるます!!」


「それはダメ。あと……」


 ミサは顔に手を当て、溜息交じりに俯いた。


「――大変ですね。お姉さん。」


 次の客だ。


 ミサは次の男に手渡された書類を眺める。

 5人パーティ。クラン情報、そして冒険者ライセンス、クエスト用紙。有難いことに、リーダーであるこの男はギルドでの受付に慣れているらしい。何が必要かを心得ている。


「いえいえ。」


――こうやって、いつも楽ならな。


 ミサはそう思いながら精査を始めた。


――C級冒険者。主な実績はジマリ大洞穴の第三層探索、迷いの峠踏破、サステイルの大サソリ討伐隊への参加。ガラン地下牢のB5到達?!


「凄いですね。実力だけならB級クラスですよ!!」


 ミサは先程とは一転した明るい表情で、元気にそう言った。


 ダンジョンギルドの番台は生命を秤にかける大変な仕事では有るが、こういった華々しい実績を精査することや素晴らしい冒険者と会話をすることは、旅行を趣味としているミサの楽しみでもあった。


 彼女はスカートとベージュのポニーテールをふわりふわりと揺らしながら、楽しそうに書類を眺めて話す。


「ふむふむ。登録はウェスティリアですか、魔術で有名な所ですね?!」


「えぇ、まぁ。実際は癖の強いギルドですけどね。」


「へぇー、そうなんですね!」


 楽しそうに頭を揺らすミサを青年一行は微笑ましく眺めている。


 パーティーは近接特化な鎧の男、魔法支援1の女司祭、魔法支援2の女魔導士、学者肌の眼鏡少年、そして恐らくは攻守万能のリーダーの彼。全員顔が良い。


 しかし、ミサにとって不思議なことがひとつ。


「ご自身ではあまり魔法をお使いにならないんですね~。ウェスティリア出身なのに珍しい。」


「あっ、えぇ。実はそうなんです。」


 遠近両用で攻守万能なクランリーダーとは、往々にして魔法が得意なものであるが、この男は魔法に対する自己記述があまりなかった。


「いえいえ、へぇー。」


 その時。ミサがそう感心した声を漏らすのと同時に、5人パーティーの後方からけたたましい怒号が上がった。


『――うるせぇッ!! 気に食わねぇつってんだよッ!!』


 ふと見れば先程の観光者が、ジマ街冒険者であるスキンヘッドのロイダルにビールの入ったジョッキ樽をぶつけられていた。

 樽はひしゃげて、ビールが零れ、観光者は全身にビールを浴びていた。


「ぷぷっ、いい気味です。」


 それを見てミサは、頬を膨らませて笑った。青年はそんなミサを見て笑って言う。


「酷い人だな。」

 

「いいんです。あの観光客はダンジョンを軽んじている観光目的の無魔ノイマ(魔法が使えない人間)ですから。ダンジョンで死なれるくらいなら、ロイダルさんに存分に怒られれば良いんです。」


 ミサはまた、ぷぷっと笑い声を漏らして判を押した。


「それでは安全に気を付けて、頑張って下さい。」


「あぁ、どうも。」


 青年パーティは笑顔で挨拶しその場を去った。同時にビール塗れになった男が、背を丸くしながら速足で酒場を出ていくの見て、ミサはまた少し笑うのである。


 あれも一つの優しさ。

 

 ミサはそう感じながら背筋を伸ばしてスッと息を吸った。人情と喧嘩の絶えないこの街では、どれほど互いの中が悪かろうと、ダンジョンと向き合うならば命を賭すと言う共通項で繋がる。だから彼らはみなプロフェッショナルで、ミサもその一部だった。


「よし、次の方どうぞ。」


 しかし事態は、急変する。




------------------------- 第2部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

②緊急事態~エマージェンシ~


【本文】

{ジマ街・ダンジョンギルド}


 昼下がりのギルドハウス。ミサが昼食と休憩を済ませて戻ったその場所は、主戦場の如き慌ただしさで、魔鉱石を用いた受話器の鈴がけたたましく鳴り響いていた。


「み、みなさん!どうされたんですか?」


 咄嗟にミサに反応できたのは、ギルドマスターのジンだけ。


「ミサちゃん緊急だ!!第3層で崩落事故。きっとどっかの馬鹿が魔鍾石のつららに魔法を当てたんだろう!!」


「そ、そんなことが有り得るんですか!?」


「し...詳細は分からない。しかし厄介なことに、主要な鍾穴からの空気が遮断された可能性が有ると報告を受けた。現在ギルドは緊急事態エマージェンシーを発令させているッ。」


 早口でまくし立てるジンは、苦虫を嚙み潰したような顔を上げる。


「情報を早く回さないと毒と酸欠でみんな死んでしまう。それとその、君にもし心当たりがあったら……」


「……え?」


 ジンはハッと正気を戻すように、一度止めた手をまた忙しなく動かし始めた。


「いいやッ、今はより早く多くの冒険者に!!」


 ミサは青ざめた顔で言葉を詰まらせた。当日審査、体調面を含めた最終チェックや訪れた冒険者の入窟制限を地元のスタッフが行うダンジョン特有の審査。すなわち移動時間を加味すれば、午前中、第3層まで到達できる人間の審査を受け付けていたのは自分だけだったからである。


 一体誰が、あるいは何が原因で事故が起きたのか。責任の所在は何処に有るのか。一体何が悪かったのか。何をすれば良かったのか。


――どうすれば。。。


 ミサの頭の中ではグルグルと目まぐるしく回る困惑と焦燥が正常な思考を妨げていた。第三層の崩落事故。崩落に至るまでに大きな地震も地鳴りもデータには無かった。通常では有り得ない状況。確定的な人災。冷や汗。それを生み出した自分という存在。血の気がスッと、引いてゆく感覚。


「――ミサちゃん!!」


 瞬間、ギルドマスターがミサを急かす。責め立てる訳でも無く、今に活路を見出す為の催促。その言葉にハッと意識を戻し、ミサは最善を尽くすため近くの受話器とダンジョンに潜った冒険者らの名簿へすぐさま手を伸ばす。


「……は、はいっ!!」


 やることは多いが、限られている。まずは早朝から現在時刻までに至る、受付済みかつ最終第三層に潜り得るへ連絡を入れなければならない。クエストへ冒険者を誘導しダンジョンへ挑ませる仕事。ならばこのアフターケアもギルドという職には欠かせない。ただつっ立っているだけが番台嬢では無い。


「こっからここまでは伝えた。しかし不運なことにクラン・エドガーは当時、散開調査を行っていたらしい。それも崩落した現場付近。つまり深層へ行くほど魔素の乱れから通信が届きにくい。ミサちゃんは繰り返し残りの10人へ連絡を頼む!」


「はい!!」


 ミサは指でなぞられた名簿の、斜線の引かれていない番号に周波数を合わせ、魔鉱石のダイヤルを回して通信を図る。しかし受話器の鈴は一向に鳴り止まず、冒険者からの応答は無い。もしかしたらもう、大勢が死んでいるのかもしれない。


――落ち着けっ、次だ、次だ。


 ミサは焦りと共に、震えた手で名簿をなぞっていく。次第に名簿の文字は涙で霞んでいきながら、しかし堪えるように、ミサは通信をはかり続けた。


――次は、ダイアナ・モードレット。その次はログルス・カイゼル。ヨーウ・エリジャー。ライ・ローレンス。焦るな。落ち着け、冷静に。


 リリリと受話器が音を鳴らす。


「もしもし、ギルドか?こちら第2層。」


「ダイアナさんですかッ!?」


「ミサちゃんか、丁度良かった聞いてくれ。今しがた巨大な地震が有ってな、強い強風のあと完全に南風が途絶えた。一体何が有ったんだ?」


 ダイアナ・モードレットはB級冒険者のクラン長。彼の率いる7人パーティーは救助隊としての実績も多分に有る。特に初級冒険者は彼を命の恩人とするものが多い。ミサは頼みの綱へ息を呑むようにして心を落ち着かせ、事故の情報を出来る限り詳細に伝えた。


「第三層の魔鍾石によってダンジョンの一部が崩壊しました。恐らく地震はその為で強い余震は考えられていません。そして、この崩落により主要鍾穴からの空気が遮断された可能性が有ります。」


「なんだって!?」


 ダイアナは声を荒げた。


「ダ、ダイアナさん、第三層には連絡の途絶えた冒険家たちが多くいます。ダイアナさんが頼みの綱なんです。事態は急を要し、現在ギルドでは緊急事態エマージェンシーが出ています。新たに救助部隊が入ることはありません。だからどうか、第三層への救難クエストを受けてもらえませんか?」


 その言葉にダイアナは声を渋らせて言った。


「う……。す、すまない。今回ばかりは応えれそうにない!私も聞いたが音の大きさから第三層の崩落はかなりの大規模だと推測される。地形も安全なルートも分からず、タイムリミットは僕たちが戻る分で精一杯。先程撤退を決めたんだ。巻き上げられた砂塵の粉はしばらく致死量だろう。実際、すでにウチのパーティーですら嘔吐と発熱が出た。」


「そんな……」


「すまないね、ミサちゃん。……しかし、私より私達に受付を済ませたクラン。地元の連中らだけだけど、顔の知っている奴らは私達の後ろにいる。だから第二層以降の避難誘導、情報伝達は精一杯私達が引き受けるよ。どうか君は深層に潜った人たちへ連絡してみてくれ。エドガーのクランならきっと……。いや、うん。」


「そうですか……。あ、ありがとうございます。分かりました。」


 ミサは一瞬肩を落とすと直ぐに謝礼を述べ、大幅に名簿の名前を消していった。落ち込む猶予など既に無かった。迷う猶予など既に無かった。ただ考え、行動に移す。


「マスター!ダイアナさんに連絡が付きました。第二層以上のクランは彼の指示で誘導されます。後はそれ以外のクラ……」


 彼女は自分の言葉に思考を停止させた。

 今回の事故を起こし得る人間に心当たりがあったのである。


「どうしたんだい、ミサちゃん?」


「い、いいえ。……通信を続けます。クラン・エドガーの頭から繰り返します。残りの行方不明2人もこちらで繰り返します。マスターは救難手続きを」


「あぁ、そうだね。」


 ミサは必死に名簿に刻まれた17つの周波数へ通信を行う。


――エドガーさん。


 開拓士クラスの{クラン・エドガー}は、ジマ街にとっての希望であった。現在、ジマ岩窟ダンジョンが整備され、第一層にはF級冒険者すら入れてしまうのは彼らの功績が大きい。


 それ故に、街の稼ぎ柱としても精神的支柱としても彼らは失くしてはならない存在。


「――パパっ!!」


 唐突にギルドハウスのドアが開く。目に映ったのは見慣れた幼い少年の見慣れな泣き顔。横にはロイダルも一緒だった。


「パパはどこ!!」


 少年は街中が顔を知ったエドガーの一人息子。彼の悲痛な言葉にミサは心臓が縮みあがるような感覚とせり上がるような溜飲の不快感に襲われる。そして再度、ミサの意識が目的と乖離する。しかし時が止まったかのような一拍を置いて、ロイダルは手を止めたミサにすかさず声を掛けた。


「――ミサちゃん!」


「ロ、ロイダルさんっ、その恰好は?!」


 ロイダルはハーケンやピッケルを腰に据えたベルトに、皮のグローブをはめ、探索の一張羅を着込みながら現れた。


「あぁ、手続きは要らねぇよな? それよりまさか、さっきのふざけた連中の仕業じゃないだろうな?!」


 ロイダルの頭には、今朝方ビールをぶっかけた人間の顔が浮かぶ。


「分かりません。それより、第二層のダイアナさんが救難クエストを辞退されました。だからロイダルさん。」


 ミサは心苦しそうにロイダルを見つめた。


「ダ、ダイアナがっ?クソッ……あのダイアナが諦めたってのか?!」


 ロイダルはクマを浮かべながら、酒臭い口を捻らせ地面を踏み鳴らした。


「クソッ!!クソクソクソクソッ!!クソがッ!!」


 ダイアナ・モードレットという実力者が諦めたという指標。その事実一つでギルドに影が落ちる。そう皆は既に知っているのだ。ダンジョンには明確な生と死の境界線が、はっきりと隔てられているということを。


「ロイダルさん……。」


 ダンジョンとは人が死ぬところである。それは鮫が陸では死ぬように、獅子が海では死ぬように。生きる場所が隔てられたこの世界で、迷宮の闇に溺れた人間はさも当たり前のように死んでいく。それが自然の摂理であるから。そして時間は過ぎていく。


「――クソッ!!」


 ロイダルが癇癪を起し長椅子の脚を蹴飛ばしたその時、ダンジョンギルドに着信の呼鈴がリリリンと鳴り響いた。ミサは鬼気迫った表情で受話器を手に取り「こちらギルド」と返答する。


「……ミ、ミサちゃん。こちら第二層、ダイアナだ。」


「ダイアナさんっ!!」


 受話器の先のダイアナの声は困惑に参ってしまったように、疲れ切って震えていた。


「その驚かないで聞いて欲しいんだが……。」


「はっ、はい、なんですか!何が有ったんですか?」

 

 そしてダイアナは息を呑み、その先の言葉を紡いだ。


「今しがた、が"崩落したダンジョン"を下っていった……。」


「――はっ?」


 その言葉にミサは少し怒ったように言葉を返した。


「何を言ってるんですかダイアナさん!!こんな忙しい時にっ!!」


「本当なんだっ!!が、四輪になりながらダンジョンの中を下って行ってしまった。これが幻覚だったなら、恐らく私は助からないッ。と、とにかく第三層に残るクランが一つ増えるだろう。彼らが何者かは分からないが、つ、通信石を強奪された。もう意味が分からない!!」


 ダイアナは戸惑ったような声色で、慌てながら弁明するようにそう言った。これは回り切った毒のせいか。ミサには青ざめたダイアナの表情が目に浮かぶ。


「と、とにかく連絡が有るかもしれない。つまりその、キャラバンに乗った何者かからの、強奪された私の通信石いしからの――」


 その時ミサの隣に置かれたもう一つの受話器から――リリリンと不気味な音が鳴った。同時に一瞬間、ミサの背筋に悪寒が走る。

 

「ミ、ミサちゃん。」


 ロイダルのその言葉にミサは静かに頷き、息を呑んで受話器を取った。


「は、はい。こちらギルドです。」


「プツ……、ッ……、ッ」


 ザザザァーと言った激しい雑音交じりに、その声が次第に輪郭を帯びる。


「あっ……、あっ、あー……聞こえますか、……電波悪いな……いや、電波じゃないのか。」


 ぶつ切れの声は、激しい風切り音と共に聞こえてきた。


「もしもし?」


「もしも……。あ、お姉…ん?そっか……か話が早っ、今しがた深層で事故が起きたら、くて、誰も救助に行け……だとか。話によ、……ばもう"死人"が出てるだとか何とか。……あぁ、後何人生きて帰れるのかなぁ?」


 それは誘拐犯の如く傲慢で、狂気的で、余裕を孕んでいるような声色だった。ミサは慌てた拍子に言葉を繰り返す。


「死人?!死人が出た……!?本当に……?私が……送り出した…そ、それは本当ですかっ!?……いや、それより。一体、貴方たちは誰なんですか!?」


 焦燥交じりの声色を嘲るように、淡々とその声は、はっきりと聞こえる様に帰って来た。


「誰なんですかって、酷い人だな。」


 ギルドの受話器は呼鈴の音を増やしていく。隣でそれを取ったギルドマスターは、驚いたような声で「……?」と呟いた。他の受付番も同様に戸惑っている様子が目に映つる。


「はい、こちらギルド。……ですか?洞窟ですよ?」


 冒険者を疑う声、自分を疑う声、懐疑の心がギルドを支配する。


「洞窟口より入電。先程、変な風体のキャラバンが入窟したとの報告が、ってあれ?私何を言ってんだか。」


「アンタきっと毒が回ってるんだ。あぁ確かに、幻覚効果はまだ学会で――」


 呆れた様な声が、あちらこちらで漏れて出る。所詮百聞は一見に如かずだ。どれだけ聞いても、信じられないことがこの世界にはある。そして間違いなく現場は混沌とし、このギルドハウスは混乱していた。たった一つの、その一件により。


「落ち着いてください!」


 次々に鳴る呼鈴は輪唱するようにその数を増やし、受話器の向こうでは口を揃えたように「」という言葉が飛び交っていた。非常識で場違いな状況証言。鳴り止まない受話器。減り続ける命の制限時間。過去に類を見ないカオスの合唱を前に、ミサは苦しそうにユラリと頭を振った。


――酸素が足りない。


 そして時は、もう一度遡る。混沌を分別するように。




------------------------- 第3部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

③主人公


【本文】

「わぁーお、すげぇ。」


「へっへっ、すげぇねぇ~」


 この世界には魔法が有り、非力ながら俺たちは、


「終わりましたか?」


――旅をしている。


「あ~、はいはい。」


 その声に急かされ提出したクエスト用紙は、どれも手付かずの無理難題ばかりだ。分かっている。


 恐らくは時期尚早なクエストなのだろう。初めからクリアできないとは理解しているけれど、今回の目的は深層「第三層」へ挑むことに有る。


 目的を隠すための建前なんて、正直何でも良い。


「ダメです。ジマ岩窟の第2層からは肉食のモンスターが現れます。このクエストも、このクエストも、このクエストだって、受領できません。」


――え、マジで?


「え。……いやほらだってお姉さん。俺たち"探索士"なんですよ、ただの冒険者じゃなくてさ?ほら、俺達無敵のオー、シーカー♪」


 拳を握りリズムを取る。題名「無敵☆探索士」作詞作曲さっきの俺。


「ダメです。不可です。」


――厳しいが過ぎるofあまりにも。


 俺は受付嬢の顔を覗き込むように見て、不快感を示した顔をする。


 まぁ断られるのも無理は無い。それが命を秤にかける彼女の仕事である以上、低級の俺らは従うしかない。


――いや、それでも少し辛口。いいのかな?根に持っちゃうよ?根に持たれたく無いでしょ?まぁ持っても何もないんだけど。


「えぇ、じゃあこっちでいいや。」


 俺は難易度の下回ったクエスト用紙を数枚差し出す。中の一枚は『上質な芝香草』のクエスト用紙からもっとも印刷の薄かった1枚。


 数枚の用紙を局所的に重ね、主題や詳細部の異なる記述を巧みに隠すのだ。

 これが通れば俺たちは深層への入窟を間接的に認められることになる。


 余りにも古典的な手だが存外これの通じることが有る。横にいたプーカは俺が仕込んだトリックに気付きクシシと笑った。やめなさい、勘づかれたどうする……。


「じゃあ、これくらいなら良いですよね?第一層にある芝香草の採集クエスト全部。こうなったらダンジョンの芝香草は全部手に入れてやる、くらいの勢いで!!」


 俺は番台のお姉さんと視線を交え、その隙に手元では用紙を巧い具合に移動させ、『上質な芝香草』クエストだけを目立たないように弄る。あぁ、なんてことだ。駆け出し底級冒険者として学院を抜け出し1年ちょっと、レベルアップしたのは階級やスキルではなく番台嬢を惑わす猪口才な手品。先生泣くだろうな~。


「やる気は有るんですけど?」


「はぁ……、分かりました。受領しましょう。」


――ほっほっほっ、ブァカめ。


 番台嬢は呆れた様な声色でスタンプをポンポンポンと押していく。

 さて、何回押しただろうか。ライセンスが無かろうが実績が無かろうが俺たちは資格を手に入れる。俺達無敵のオー詐欺師♪


 その中の一枚である『上質な芝香草』クエストにも受領印が押された。全くもって未熟な受付だ。少しお馬鹿。地方のダンジョンは人手不足なのだろう。


「くれぐれも安全にはお気をつけ下さい。それと他の冒険者さまの邪魔だけは……」


 俺は彼女が押したクエスト用紙をまとめさっさと片付けて番台を後にする。

 隣はレストランだ。ここでは芝香草の飼料で育った上質な鶏肉料理が売られているのだ。これは頼むしか無い。そして成し遂ぐ完全犯罪。


「俺チキンフィレ!!」


「プーカは全部!!全部食べるます!!」


 ぼさぼさの碧髪を揺らしながら、プーカが人差し指を立てて料理を差した。


「それはダメ、あとその喋り方やめなさい。」


 食べ盛りの娘だろうが所属は万年金欠クラン、そんな余裕は無いのだ。

 そんなことを想ってメニューを眺めていると、近くに背の高いマッチョがバランスを崩して俺にぶつかった。


「おっと失礼。」


――ッ?!


「おい!」


「アァアンッ!!」


――あ。この人、怖い。


「とっ、良い体幹だぁ。トハハハ・・・ナイスマッスルっ!!なんて……」


「チッ……」


 俺は目を逸らす。見た目に反して随分手先の器用な奴だ。俺から盗んだ"それ"を使って何をするんだか。怖いから直接は聞かない。俺は頼んだメニューを待ちながら、長机でその光景を眺めることにした。


「米食べんの、ナナ?」


「米は弁当で持ってきたよ。席を取ってるから水汲んで来てくれ。」


「あい。」


 俺は物静かそうなスキンヘッドの隣に座り、影を潜めてその光景を見守る。マッチョに盗まれたのは俺のクラン証書だ。どうせ中身の無い写し書きだから好きにしてもらっていいが、一体それをどうする……?


「――大変ですね。お姉さん。」


 マッチョは細身の男にクラン証書を渡す。クラン証書は出身の冒険者ギルドによって渡される特別な紙に書かれたものだ。


 よって特定の記入欄以外を偽装することは出来ない。つまり主要な登録情報だとか、パーティーの構成人数だとか。


 そして奴らは5人パーティ。様相から見て地元の人間では無いらしい。つまり同じく地元の人間ではない俺たちが狙われた。奴らの目的は確定的に違法入窟。しかし偽造には限界があるぞ...。どうする?


「どしたん、ナナ?」


「……証書が盗まれた。あそこ。」


 俺は番台へ目配せし、プーカと眺める。


「――凄いですね。実力だけならB級クラスですよ!!」


 どうやら手続きは円滑らしい。


「魔法だな。証書に仕込んだのか?」


「できるん?」


「分からない。あるいは弄ったのは受付嬢ヒトの方かも、催眠でもかけられたか。どちらにせよ偽造対策が甘すぎる。この期に及んで人の目だけで判断しようとしている。それも魔法が疎かな受付嬢に。」


 受付嬢はそんなことに気付く余地も無さそうに、スカートとベージュのポニーテールをふわりふわりと揺らしながら、楽しそうに書類を眺めて話していた。


「……可愛い。」


「ぷぷっ、あんなん好きなん?」


「何言ってんのさプーカくん。可愛さと好みタイプってのは似て非なるものなのだよ。可愛いものは好ましく無くとも可愛いことがある。可愛いからと言って好きという事とは決して同義ではない……。」


 俺は無い眼鏡を弄り、口を尖らせ高説を垂れてやる。


「へぇ、きめぇ。」


――きめぇはひでぇ。


「……そ、それに受付としては未熟だしな。俺たちの実力も見誤ってるだろ?」


 俺は冗談めかしに笑いながら言ってやた。プーカは直ぐに興味無さげにチキンフィレとそのタレを白米に絡めて、豪快に貪り付いている。


「――ほぉ、坊主。てめぇらそんなに強えってか?」


 その時、何処かの誰かの何かに火が付いた音がした。


「……え?」


 顔を真っ赤にしたスキンヘッドの酔っぱらいは立ち上がって俺を睨む。


「あのお姉ちゃんの目がそんなに節穴だって言うのか?」


「え。……えぇ、まぁ。そうでしょう、現に彼女は若く見える。このギルドで働ける年齢を考えれば恐らく彼女は新人でしょう。……え?」


「――月日が浅いから未熟だってのか?テメェらが大したこと無いってのが間違いだってのか?」


 なんと面倒くさい酔っぱらいなのだろうか。


――座る席を間違えたな。


 しかし、俺の言っていることは間違っちゃいない。反省や気付きこそが往々にして人を成長させるのだ。それ故に俺はこの意見を曲げない。


「相対的に考えれば、冒険者を捌く人数が少ないこのギルドの、月日も浅い番台の目が未熟だと言う事は――」


『うるせぇッ!! 気に食わねぇつってんだよッ!!』


 そう言うとスキンヘッドの男はビールの入ったジョッキ樽を振りかぶり、俺の脳天へと当て、中身をぶちまけた。


 樽はひしゃげてビールが零れ、俺は全身にビールを浴びる。机の上にあったチキンフィレの皿は、プーカが避難させるように攫い、華麗な所作で胃袋へ流し込んだ。


――俺の分……。


『まだ分からねぇのか、テメェら無魔ノイマは冒険者を名乗るんじゃねぇ!!ダンジョンじゃてめぇら一人の行軍で大勢の命が消える、分かるか?こんの疫病神めっ!!』


――またか。


 この世界には差別が有り、そんな中で俺たちは旅をしている。これは人種差別と同じくらい深刻な問題だ。後天的に魔法を失った俺も、近年までまさか自分が標的になるとは思いもしなかった。すなわちこれは、魔法使いの優生思想、あるいは選民思想特有の排外主義。とかく人間にはよく起こる"対立"の1つ。


これがこの世界で俗に言う、無魔差別ノイマさべつというヤツだ。


「そう……ですね。……行こうプーカ。」


 俺はプーカの手を引き席を立ちあがる。

 このスキンヘッドの男は無論、魔法が使えるのだろう。事態がヒートアップでもすれば参事は拡大するばかりだ。


 喧嘩になれば敵わない。


 それに魔法を使えない冒険者が足を引っ張るという事故は、確かに多く存在する。無魔の冒険者が使えない初心者であるイメージは、万人の頭に根強く在るのだ。


 クラクラ揺れる頭で、俺の中にある気力や怒りが虚しく引いていくのを感じた。

 どれだけ自信が有ろうとも、そう振舞って生きようとも、俺は無魔だ。力は、証明されたその時にしか認められない。


 そしてそんな機会はそうそう無い。


「ナナシ弱っちぃ」


 プーカはまたクシシと笑う。その笑顔で、虚しさは若干晴れる。


「ほっとけ。」


 ビールに濡れた黒髪が、重々しく揺れた。



------------------------- 第4部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

④岩窟前の道具屋


【本文】

――まるで葬儀屋だな。


 翌日立ち寄った道具屋の婦人は顔を抑えて俯いていた。部屋の奥からは子供の泣き声も聞こえてる始末。時刻はおよそ12時ごろ、まだ昼時。


「こんにちは!」


 アルク・トレイダル、貿易商。我がクランの財務担当、もとい財布担当が晴れやかな笑顔でそう声を掛けた。これがビジネススマイル。


「あぁ…、いらっしゃいませ。」


 婦人はその面をあげれば、見るからに辟易としてる表情をしていた。


「芝香草ってありますか?」


「えぇ、去年のなら。」


 婦人が指した冷蔵のショーウィンドウには、立派な香草が青々と並べられていた。どれも一級品。それに他の街に持ってくだけでそれなりに利益の出る安さだ。これだからトレーダーは辞められない。いやトレーダーじゃないんだけど。


「凄いよナナシ、値段もさることながら質が良い。目利きの上手い人間が採集したんだろうね。」


「そうみたいだな。」


「――みたいだな~。」


 俺の言葉をプーカが真似した。常時ふざけたやつである。

 俺はそれに構わず、あからさまに疲れ切った顔の御婦人に言葉をかけた。


「何か有ったんですか?」


 婦人はその言葉にハッとした表情を見せ、店の奥に通じる戸を閉めて笑った。


「すみません。子供が……、うるさかったですよね?」


――違う、アンタだ。


「えっと。時に僕らは冒険家でして、ジマ岩窟に挑戦する上で必要なものを知りたいのですが」


 俺の言葉に婦人はパッと顔をあげ、咄嗟にショーケースへ手を付き言葉を返す。


「え、あっ!いいえ。ジマ岩窟では先程、崩落事故が有ったと知人から聞きました。今は既に入窟規制が掛けられているはずです。」


――冗談だろ。


 唐突な知らせに俺たちは顔を見合わせ、小声で先行きを話し始める。アルクは顔をしかめていた。


「さっき通りが騒がしかったのはその為か。……そうなって来ると赤字だね。」


 アルクは顎に手を当て、俯いた。


「……崩落事故の度合いによっては長くても数か月、次の国まで三日、芝香草と七面鳥を持ってしても食料分と売買分で利益は良くても……」


 このクランの商売担当が長考する時は、大体手の打ちようが無い時だ。


「じゃ、あの手で行くしか無いな。気は進まないが、ここで引き下がれば殴られ損。この街の思い出がビール一色になるのはごめんだし。」


 予想外の事態では有ったが、腐っても認可冒険者の端くれ。俺たちの中では既に"何を"するかが決まっていた。


「――もしやもしや、ご家族の誰かがダンジョンにおられますか?」


「どうしてそれを……」


 俺は辺りを見渡し、並べられた探索道具の数々を眺めて言った。


「道具屋にはそういう店が多いですから。特段ここの品揃えは、冒険者の需要をよく理解しているらしい。売れ筋の良い物ばかりではなく、無かったら困る物が揃ってある。」


 婦人はそれを聞きじわじわと涙を流し始め、何かを想い更けったように「旦那です」と声を漏らした。そして俺はそれを耳にし計画を実行する。


「……なるほど。ここがかの有名なクランエドガーの御宅ですか。分かりました、それではミスウィリアム。お金は要りません。そんでもってサインを下さい。アナログで伝統的なギルドの契約ですが、緊急の指名クエストとして俺たちが彼らを助けてきます。」


「止めて下さい……。」


「もし危険なら諦めましょう。もし望みが薄いならそれでも諦めましょう。ただ御守り代わりとして依頼して欲しいんです。貴女に万に一つの損も無い。」


 俺はつらつらと簡易的な依頼書の形式を白紙に書き留め、ショーケースの上へ置いた。


「貴方に何が出来るんですか……?」


 婦人は涙を落しながら言った。恐らく、俺が魔法を使えないのだと理解している様子である。


「俺は、何も出来ませんよ。」


 俺は清濁を併せ吞み、ケラりと笑ってそう言った。


 この人は、元々は名のある冒険者だったのかもしれない。あるいは腕の立つ魔導士だったのかもしれない。しかし事実として、それがどちらにせよ今はただの子持ちの道具屋の店番。それならば……


「残念ながら俺も横にいる彼もそこのちっこいのも、一人じゃ何も出来ないような無能ばかりです。」


その言葉で、抑制されていた悲哀の蕾が憤怒となって大輪を咲かす。


「ならば無駄じゃないですか!!」


「いいえ。"俺たち"ならば、余裕なんです。」


 婦人はその言葉に黙りこくり、数秒間を置いて激しい剣幕で机を叩いた。。


「――ふざけないで下さいッ。いまやダンジョンは猛毒に汚染され、深部に辿り着くことすらままならない"超高難易度域"に成り果てている!!」


 心臓を抑えて苦しそうに、それでも冷静になろうと言葉を紡ぐ。だがそれでいい。婦人の剣幕はしかし想定内だ。感情はどんな形であれ内側で藻掻き溺死していくよりも、外側に暴発させ誰かを巻き込んで発散させた方が良い。独りじゃ所詮、一人分しか変わらないのだから。


「貴方には分からないんです。それでも救いを差し伸べたいと、一体どれほどの人間が切望しているのか。そして考えあぐね、苦渋を舐めて傍観を迫られているのか。……少なくともこの街の人間はあのダンジョンに魅入られ、恐れ、愛し、付き添ってきた専門家たちです。その彼らが夫の、エドガーの救出を断念した。この意味が分かりますか?もう助からないんですよ。……貴方が今していることは、その浅薄で醜悪な薄ら笑いは、この街とエドガーへの侮辱です。」


 醜悪……、とは些か酷いものだ。でも何を言われたって構いやしないさ。


 実に、自信が有るということや態度がデカいということは時に人を説得させる交渉材料と成り得る。虚勢と言うゼロから信頼というイチが手に入るから。そして俺たちが手に入れたこのイチから、数を増やしていく事は決して難儀なことではない。その後は、俺たちが持っているモノを乗算してやれば良いだけだから。


……つまりは俺達には大義が必要で、いつだって命を賭けるに相応しい覚悟に足る理由がいる。それが例え建前でも、構いやしないんだ。理由の中身そんなもんに構ってられない。重要なのは、後悔するかその否か。


「ふざけちゃいないさ。俺たちにしか、成せないことがある。」


 一刻の余談も許さない汚染洞窟。

 崩落の闇に隠された不確定要素。

 超高難易度域と成り果てた深淵。

 要救助者という名の確定的な重荷。

 それでも、常人では踏み入れられない領域に俺たちは行く。


――何故なら"それ"が出来るから。


「そして今ここに居る"貴女アナタ"にしか出来ない事だってあるはずだ。いくら平静を装って店を開け続けていたって、返らない日常も有る。……それならば、祈りを捧げ待ち続ける悠久の絶望を選ぶより、今ある最善を尽くすべきだ。例えそれが、泥濘を啜っているような通りすがりの無名冒険者に頼る事だとしたって。」


「……っ。」


――それに、無料だしな。


やがて彼女は筆を取る。ドブから拾ったその藁に縋って祟るほどの勢いで。


依頼主

【キャシー・ウィリアム】

請負者

【ユーヴサテラ】

クエスト依頼

・崩落したジマにおけるクラン・エドガーの救出。


 キャシー・ウィリアムは魔法の羽ペンを滑らせ、インクをつらつらと載せていく。


 舞台は整った。

 白紙だった契約書に記されたその名前サインを持ち、俺たちはキャラバンへと乗り込む。ただのキャラバンでは無い。木目の美しいロフト付きのキャラバンだ。

 そこにいるのは五人と一匹。それは無能ながらに癖の強い――さすらいの、――変質の、――異様なる、――非凡たる、――個性的で、――超常な、『探索者シーカー』たちである。





------------------------- 第5部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

⑤~始動~ 技師と黒猫とスナイパー


【本文】


「本当に行くんですかっ!? 貴方たちはレベル1、クラン階級位はFなんですよ?」


 管理所と札の建てられた家屋の中に、岩窟の入り口は存在した。流石はダンジョン街である。街の中心、物の中心、人の中心、この街を形作る全ての源がこのジマ岩窟なのだろう。


 自然系の無法地帯ダンジョンとは違い、そこにはギルドの見張りが立っていた。恐らくは事故が起きた為でもあるだろうけど。


「あぁ、すみません。まぁほらでも貴方に止める権利は無いでしょ。当方は第三層『上質な芝香草』のクエスト用紙に、ウィリアム婦人からの指名も有るでござる。」


 髭の生えた若い管理人の男は、目を丸くしながら俺に問う。


「で、で、でもキャラバンでなんて、一体どうやって?」


「ハハハ、ご冗談を。そこに道が有るじゃないですか。じゃあ通してもらいます。――リザ!!」


 それを合図にアクセルが踏まれる。赤茶髪のポニーテールを揺らし、怠そうにキャラバンを運転しているのは我がクランの技術師である彼女リザだ。


 リザはおんぼろだったこのキャラバンを改造しあらゆる機能を向上させた操舵師、そしてオーパーツの採掘される特殊ダンジョン『シーラ』では鑑定師としての役割も果たす異形者である。その本職は鍛冶師であり実力ある小国の軍師でもあった。


 そう、意味が分からない。


 要するにつまり、幾つものの顔を持つ万能な技術者である彼女は正に、このキャラバンに居ること自体、異質な存在なのである。


「人目は?」


「無いよ。」


 リザの問いかけに言葉を返したのは、運転席の上部にあるロフトから物騒な対物ライフルを構えて伏せているだろう少女。名前はテツ。その見た目は限りなく中性的であり、冷静沈着な判断力とその声色は{ユーヴサテラ}の熱気を抑え、指針を大きく左右する羅針盤。


 生まれは魔法制限領域、すなわち特殊高難易度ダンジョンである『シーラ』で育った根っからの探索者。あらゆる敵意やダンジョンでの脅威を察知し、クランにおける風見鶏としての役割をもたす先導手トレイルリーダー


 俺たちが『探索士(シーカー)』専門職 《クラス》を名乗れるのも彼女のライセンスがあってこそだ。階級位はB級。年齢こそ不明であるが、恐らくは最年少のレベル6到達者である。



・・・・・・



 沈黙が世界を包む。


 岩窟の闇に濡れたのはキャラバンの胎内だ。


 この空間に五人と一匹。


 時間も心も目的も、


 その全てが溶け合うように、


 息を呑む。


 音がする。



「さぁ、行こう。」



 静寂を破るその一声に黒猫が呼応し、キャラバンはブゥオーンと低い音を立てて、啼いた。


「全箇所自動施錠《オール・オートロック》、確認《チェック》……」


 リザが唱えるように呟く。

 

 暗闇の中で、俺は両の素手を擦り合わせ、鞘に収まった短剣を確認し屋上へ向かう。

 テツは今頃ライフルの空撃ちでもしているはずだ。


「経路探索機能準備済(ルート・サーチ・システムレディ)……」


 グローブを着ける音や生唾を呑む音でさえ、際立ってしまうようなこの刹那。


「鐘の斥候兵(スカウトベル)、右翼錨銃(アンカーライト)、左翼鉤銃(ハーケンレフト)、動作確認アウペイブル……」


 アルクは不安そうな青白い顔のまま、戸棚やら食器棚やらへのしまい忘れが無いかを確認しているのだろう。


 プーカはどうだか、まだ寝ているかもしれない。


要求形態リクエスト・探索士 (シーカー)」


 リザが最後にそう唱える。

 そして全員がいつも通りのルーティンを完遂し、全員がこの深い世界への旅立ちを前に、凄む世界の圧倒的な危険を前にして、

 

 このキャラバンの"恩恵"と"真髄"に


形態フォーム探索士シーカー


 触れるのである。


『――ノアズ・アークッ!!』


 黒猫エルノアが高らかに魔法を唱え、リザはアクセルを踏み、キャラバンは前進しながらその様相をより小さなものへと変えていく。


 ――ダッダッダッと高鳴る鼓動に比例して加速するキャラバン、流れる岩壁に道草と苔の群れ、遠ざかる出口の明かり。点灯するヘッドライト。


「行くぞ、ユーヴ。」


 俺は気合を入れるが為に声を漏らす。

 7畳は有ったかのような広々とした車内は、今や4畳にも満たない大きさだろう。 木の外壁はレンガが沈むように、あるいは転がるように、一斉にパタパタと動き出し、ステルス性の高い流線型のフォルムへと姿を変える。

 

 そんな小さなキャラバンの屋上には護衛者《ジーク》である俺が顔を覗かせ、床と天井の間に位置し運転席の丁度頭上辺りに設けられたロフトからは、ダンジョンでは羅針盤の役割を果たし得る先導手《トレイルリーダー》のテツが、それぞれ進路に対する警戒及び排除の為に構えている。すなわちダンジョン内では、それぞれに役割分担ロールを決めている。


 車内には非戦闘員である三人と一匹、


 特段リザは操舵師として鐘の斥候兵スカウトベル右翼錨銃アンカーライト左翼鉤銃ハーケンレフトと言ったキャラバンの機能を操りながら、スイッチやらレバーやらの敷き詰められた高度な操舵席から、彼女にしか出来ない安全運転(仮称)を心がけている。


 つまり彼女は俺たち【ユーヴサテラ】が行っている、方舟探索キャラバン・シーキングの中核、このキャラバンの脊髄にあたる。


「飛ばすぞっ!!」


――中級難度ダンジョン、ジマ岩窟。

 その正体は初級、中級、超上級と分けられた三層構造の横穴。長年の開拓整備により二層まで難なくと到達し、油断しているような冒険家たちをあっけらかんと呑み込むような、人工物と天然の蟻地獄である。


 しかし現在は崩落事故により、目に着く人間の流れが慌ただしい。おおよそ事故の詳細な情報を知るにはギルド本部からネタを仕入れるのが早くて正確なのだろうが、俺たちは上層にしか挑まないと勘違いをされている為、もとい勘違いをさせたが為に、第二層以降の挑戦で手渡される通信手段を持ち合わせていない。


「――テツ、ナナシ聞こえるか。」


「うん。」


「あぁ、屋上も聞こえてる。」


 操舵席との連絡手段は、アナログながら通信管と呼ばれる鉄パイプである。


「――私が思うに、ジマのルートは大して難しいものじゃない。地図を見た感じでも大通りばっかの優雅な道のりだ。よく整備されているらしい。しかし起きた事故の詳細が分からない、最悪なのは二次被害でルートが遮断され頓死するようなことだ。」


「それに関しては良い案がある。今しがた左前方に避難者集団を捉えた、恐らくは第二層挑戦者。ハーケンガンを伸ばしてくれれば俺がギルドとの通信石を借りてこれる。」


「――借りる、ね。」


 リザが何かを察したかのように笑った。


「いけんのか?」


「――もちろんだ。」


 それから俺は左前方へ飛び降り、走るように襲い来る床を踏み込んで集団へ突き進んでいく。彼らは少し警戒したような面持ちをしているが、俺よりかは右側で並走していくキャラバンに気を取られているようだった。


「……おっ、おっ、おっ!!」


 しかし俺に視線を集め始めたその集団は、その距離を縮めていくごとに「止まれ!」「止まれ!」と手を伸ばしてジェスチャーする。


――構うものか。


『どぅぅぅうお、ちょいちょいちょいちょいちょッ、うわぁあッ!!!!』


 ――ズババッ、とそのまま避難者の群れを縫うように突っ込み、先頭に居た人間の腰からぶら下がった通信石を強奪する。


『だあっ、き、君ィ!!』


「リザ!!」


 すかさず合図を送れば、キャラバンの前方に設置されたハーケンガンからロープ付きのハーケンが射出。俺はそれを咄嗟に掴み、巻き戻されるそれに振り放されないように引っ張り返す。


「これ借りますぅ!!」


 そして適当に手を振り、しかりと返す旨を伝えた。借りると言う体であれば、失くしたとて窃盗では無い。……ということにしている。


「貰って来た!」


 俺は通信石を手に持ち、車内へ戻る。


「借りてきたんじゃなかったのか……。」


 リザが呆れた様に笑って言った。








------------------------- 第6部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

⑥~進行~ 薬師と交易人


【本文】


 彼らから借りた通信石は、見知らぬ冒険家らへと繋がった。どうやら連絡を取り合う寸前だったらしく、ギルドへの周波数は分からないままだ。可能性が有るとすればギルドからの連絡を折り返す形。向こうから連絡が有れば通信石のダイヤルは勝手に正しい周波数を刻んで回ってくれる。


 つまり今、俺たちの目の前にある死体の通信石いしならば、ギルドへ繋がる可能性が高いのだ。


「行こう、リザ。」


 俺はキャラバンへと乗り込み、血にまみれたそれを握る。死体漁りは趣味じゃないが、このままでは死んだ冒険家らが浮かばれないだろう。


「ナナ~。」


 キャラバンの床に腰を降ろし、鼻をスンスンと鳴らしながらプーカが口を開いた。


『――毒臭い。』


 ここにいるプーカはその手の冗談を言わない。実に毒臭いなんて罵倒は聞いたこと無いが、プーカは五感が受け取ったあらゆる毒性を敏感に察知する万能のカナリアだ。キャラバンは別段なりふり構わず走り始めるが、俺は戸口をしっかりと閉め屋上に出た後でハッチも強く引っ張った。


「ロックしてくれ。」


「はいよ。」


 リザがスイッチをパチリと下ろし、ガチャリと鳴った音でキャラバンは外界との空気が遮断される。

 驚くべきことに俺は毒に耐性が有り、プーカには完全に毒が効かない。しかし残りの三人と一匹には酸素残量という一定の猶予が設けられただろう。


――カラカラカラ、カラカラカラ。


 通信石が音を鳴らす。

 俺は今、何を言おうか考えている。


 世界とは不可解であり、その真実はいつでも未知だ。いくら証拠を揃えようと、目に捉えられていなければ、そしてそれを理解出来なければ、俺たちは疑心と未知の海に溺れるのだろう。


 所詮、他人の考えなど分からないものなのだ。


 それ故に、これはほとんど確定的な"予測"でしかない。


「はいッ、こちらギルドです。」


――おっ、当たり。


「あっ。あっ、あぁー。聞こえますか? 少し電波が悪いな。……いや電波じゃないのか。」


 俺は屋上からフロントガラスへ顔を垂らし、ダンジョンの中心から逸れるように指をさした。恐らくはこの粉塵に含まれた魔素がジャミング代わりになっている。


「――もしもし?」


「もしもし。」


 通信石からは聞き馴染みの有る声がした。


「あ、お姉さん?そっかそっか話が早いや。今しがた深層で事故が起きたらしくて、誰も救助に行けないだとか。話によればもう死人が出てるとか何とか。あぁ、後何人生きて帰れるのかなぁ?」


「そ、そそそそれは本当ですかっ!?……い、いいやそれより。一体、貴方たちは誰なんですか!?」


 焦燥交じりの声色に、本当に覚えていなさそうな口調。ビール瓶で酔っぱらいにぶっ叩かれいるんだからもう少し覚えてもらいたかった。


「誰なんですかって、酷い人だな。」


 道端に逸れて見えてきたのは避難者ら数人の列だ。先程の死体を見てしまったからには、あの列へ混じりたい心境では有る。


 しかし今は、俺たちみたいな曲がりものにしか出来ないことが有る。そしてここがダンジョンであるならば。


「――では改めて。ウェスティリア冒険者ギルド登録クラン、ユーヴサテラ。リーダー「ナナシ」、団員数5、階級位はFランク。」


 滑走するキャラバンを、ハイビームを反射させた怪しげな紫色の鉱石たちがチラチラと照らす。中には馬鹿な5人と一匹が常闇を切り裂き運ばれる。通信石の先では番台嬢が思い出したかのように、「はっ…!」と声を漏らした。


「クラン専門位クラス探索士シーカー。」



・・・・・・


「クラス、探索士シーカー……?」


「きききゅ、聞いたことが有りますぅ。」


 受話器越しの声が漏れる。


「そそ、それは超高難度ダンジョンの調査に特化した冒険者の職位。かかかっ、数々の変人奇人が集う特殊な集団のそそそそ総称……。それが探索士シーカー、いわばダンジョンの専門家です。」


『――バカかてめぇっ!!!!!!!』

 

 耳をつんざくようにして聞こえたのは、昨日の酔っぱらいの声だ。

 第一声から暴力的な荒っぽさを感じる。


「バカとはいささか――」


『今すぐ戻れアホンダラァ!!!!てめぇらみたいな若輩者がッ――』


――戻りたい気持ちは山々だ。しかし、


「登録番号132、ワイリー・スペンサー。」


『はぁ!?てめぇ、ワイリーがどうしたってんだ?!』


 俺は通信石の持ち主の名前を唱えた。キャラバンはいずれにせよ、風を切りながら深淵へと突っ走っていく。


「死因は氷塊による魔法攻撃、内臓を穿たれ即死していた。」


「はっ?!――ア"ァ"!!?」


 要領を得ないような返事に、俺は少し語気を荒げて返す。


『殺人鬼がいるっつってんだよ。』


 ともすればだ。ともすればダンジョンで起きた何らかの事故は恣意的な人災、すなわちテロである可能性が高まってくる。あの死体を見た瞬間に俺たちの中ではそのドロドロとした不穏な可能性が沸々と煮え滾っていた。


「本当ですか?」


 応答主が番台嬢へと変わった。


「えぇ、あれは他殺体でした。取り敢えず、このダンジョンで何が有ったのかを教えてください。」


 少々息を呑むような音をさせて、有り得ない程に長く感じるもどかしい沈黙を挟んで、ついに番台嬢は口を開く。それは何処と無い焦燥を感じさせるようにして。


「第三層の"魔鍾石"と呼ばれている巨大なつららが、崩落しました。魔鍾石は魔素の塊で、震度計からは崩落の原因が冒険家らによる魔法の暴発だと予想されます。とにかく、一番重要な問題は空気です。ジマ岩窟の土は疫虫菌と呼ばれる菌毒と雑芝郡の高水準の植物塩基をふんだんに含んでいる為、舞い上がった粉塵が新しい空気に流されなければ、肺から身体を蝕まれます。」


「そうですか。」


「探索士だか知り得ませんが、今その場から踵を返さなければ貴方がたは泡を吹き、爛れた皮膚を眺めながら頭痛と吐き気に悶え毒死します。そして、貴方たちには第三層へ挑む権利が有りません。如何なる正義感を宿していたとしても、例えそれが慈善であろうともッ、貴方がたにはそこに立ち入る――」


「正義感?」


 俺は通信管の蓋を開き、車内へ会話の音が響き伝わるように話す。


「俺たちに正義感なんてありませんよ。有るのは第三層へ挑む権利、『上質な芝香草』の採集クエストとウィリアム婦人からの『救援依頼書』です。そしてギルドへの連絡を図ったのは交渉の為。危険かどうかとか、引き返すべきかどうかだとか、もとより聞いて無い。」


「はぁ!?」


「そしてこれは今現在ギルドが入窟した冒険者各位に出しているであろう緊急クエストと同等な内容のものであるはずだ。そして俺達は、これを完遂しに行く。例え猛毒の岩窟内であると理解していても。」


『だからッ!!それ以上先に行けば――』


 俺はキャラバンの窓をコンコンと叩き、開いた戸の中に通信石を放り込んだ。アルク・トレイダル。彼はこういった類の交渉を嫌っているが、杜撰な管理体制をしいたギルドへの当てつけだと言ったら、すんなり首を縦に振ってくれたのだ。


「えっ、あぁはいはい。あー代わりましてアルク・トレイダルです。現状この地は超高難度ダンジョンと言わざるを得ない状況に変わりました。そこでギルドからの報奨金についてですが。」


「あのッ――・・・」


 アルク・トレイダル。貿易商トレイダル家長男、現ユーヴサテラの詐欺担当、もとい交易人である。彼の交渉術は砂から金を生み出し、泥から金を生み出し、ゴミから金を生み出すものだ。彼はダンジョンでは文字通りの『無力』で、ビビりで、置物以下のお荷物になるわけだが、この弱小クランが探索士として生活できている理由も彼の手腕があってこそである。


「……まずは、一人頭10万イェルが妥当だと考えています。何せ要救助者は街の希望ですからね。損失を考えれば当然。それに、命はお金に換えられないでしょう。」


「……あなっ、あな、は何を――」


 アルクは奴隷商だとか、臓器売買だとか、スラム街に蔓延る貧富の差すら嫌悪を走らせる善人だ。しかしいざ交渉が始まれば悪魔的な要求を通してしまう。これを詐欺師と形容せずして何と言うのだろう。


「事故現場まではあと二分で着くでしょう。通信はそこで途絶えるはずです。さて、彼らの安全の為に存在し搾取してきたギルドが、ここで彼らの為に要求を呑めないのであれば、貴女方はなにゆえ存在するのでしょうか。疑問ですね。」


 アルクの交渉額はギルドがギリギリ捻出できるラインなのだろう。そういった交渉相手の事前情報は、彼の頭には往々にして蓄えられている。通信石越しには、ギルドの焦りと苦々しい声が聞こえてくるのだろう。


――なるほどこれは、底辺クランだ。









------------------------- 第7部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

⑦~秘策~ 黒猫と方舟を編集


【本文】

 交渉中のアルクが左手を挙げ、リザが速度を上げる。


「いいえ。事態は一刻を争っています。僕らも命を懸けることになるでしょう。」


 まもなく到着だ。


「分かりました。一人頭9万9千イェルですね、良いでしょう。これで交渉は……え?何ですか?おぉっと通信が……」


 ――ツー、ザザザッ。


 途切れた音に安堵したような顔をして、アルクは親指を立てた。通信は途切れたのではない。切ったのである。


「着いたな。」


 眼前に広がる景色は、痛々しくも神秘的であり。生き残った魔鍾石のつららが地上の陽光を吸収して、深い闇に染まった岩窟を白く鮮やかに照らしていた。



{第三層・崩落した魔鍾洞}


 入口の魔鍾石エリアを抜け、先に見える斜面を覗けば最終到達地点{岩窟神殿}が見えてくる。しかしながら、魔鍾石のつららは丁度斜面に掛かる地点で大崩落を起こしたらしく、岩窟神殿に至るまでの大道はまるで雪崩が起きたかのように、グシャグシャに荒れていた。


「コロして...くれ、ハァ...、コロ、し、て...」


「タスケッ......、エッ...、エッ......」


「……キュゥ、キュゥルッッッ...」


 毒にやられた為か、緑色の苔が顔に付着した身体は必死に酸素を取り込み、何かに擦れる高い音を響かせる。既に絶命したものは顔の肉すらも爛れ始め、白い骨を覗かせていた。


「アレは?」


「助からん。アレもぉアレも無理ぽ。ってか、みんな無理やんね。」


 プーカは目に見える倒れた身体へ手あたり次第に指を差していく。心なしか確かにここは息苦しい。やはりここらは毒素が強いのか。しかし、そんな遺体とは打って変わり、魔鍾石の白に良く映える鮮血が見えた。画用紙を丸めた岩に絵の具が塗り潰されたようなそのコントラストは、まるで絵画のように現実離れをしている。


 俺は流血を敷いた魔鍾石の岩をどかし、潰れた死体の装備品を確認してみる。


「はー、ナムナム。」


「死んでんかね。」


 傍らにヒョコッと顔を出したプーカは、死体を突っついて確かめた。


「これこそ見りゃわかんだろ。即死だ。」


 ――ベルトのピッケルに、カナビラとロープ。ナップザック。護身用の杖。


「許可証、許可証っと。」


 有名なクランで有れば服装に統一感を持たせるところも少なくないが、地方のクランや小規模なクランであれば、服装以外で身元を確かめなければならない。まぁ十中八九はクラン・エドガーの団員なのだろうけれど。


 俺はナップザックを開き、中に有った書類をまさぐる。どれもこれも良く濡れている。当たり前か。人間の血液量は体重の8パーセントだ。死体の彼を70kgと見込んでも5kgの米袋に入りきらないほどの血液を含んでいることになる。


「あった~。」


 俺は血に濡れた書類を懐中石灯で照らし、中身を確認した。


――【ナナシ】 

所属「ビスタノーラ」

登録「ウェスティリア冒険者ギルド」

専門位「究明士」


 目を疑う文字、夢でも見ているのだろうか。


「俺のだ……。」


 つまりこの死体が持ち合わせていた書類は、俺のを偽造したもの。


「ナナシ死んだん?」


「おぉ、不吉なことを言う子だ。嫌われちゃうよ?主に俺から。」


 プーカはそんな俺を先程のように突っつく。そしてしばらく、ボサボサの短い碧髪をゆらゆらと揺らしながら、顎を撫でて考える動作をした。


「ほうほう。死んでんね。」


「おい、そんな伏線は無いからな。」


 俺は懐の短剣を抜き、手のひらをちょこんと切って血を垂らす。


「見りゃ分かんだろ。存命だよ。」


 そして流れ出る鮮血をそのまま書類へと垂らした。


――【ナナシ】 

所属「ユーヴサテラ」

登録「ウェスティリア冒険者ギルド」

専門位「無し」


 血液に触れた文字は部分的に、まるで焦げたように消えてゆき、その後ろから新しい文字が浮かび上がって完全に正しいプロフィールへと姿を変えていく。


「魔法やんね。」


「そうみたいだな。」


 俺はその紙を丁寧に四つ折りにして尻ポケットへしまった。そしてもう一度、死体を確認する。顔や身体は潰れきりもはや性別すら特定できない状態だろう。


「死んでんね。」


「あぁ。」


 この時点で俺は、平静を装い全くもって混乱していた。何故なら証書を盗んだそいつは、俺が殺人鬼と断定的に推測していた犯人だったからである。



――――――――

{第三層・岩窟神殿前}


「一人いた。」


「あっちもだ。」


 斜面の先には予想通り、崩落に飲まれながらも生き永らえたクラン・エドガーの団員達がいた。幸いなことに彼らは虫の息どうしで肩を寄せ合い、その多くが神殿前の柱の下で草臥れていた。


「リザ、あの集団をキャラバンへ入れてくれ。俺とテツは散らばった怪我人を見つけ出す。プーカとアルクは介抱。各自2分以上外へ出ないように。」


「うん...」

「分かったよナナシ。」

「了解。」

「えぇえええええええええええ!?」


 各々が返事をし、俺はキャラバンから足早に飛び降りて走る。


「――大丈夫か?」


 向かう先は真っ先に目に飛びついた怪我人。長い髭面に毛色は真っ白。


「おい大丈夫か、おっさん。おい。」


 あの時見た、エドガー・ウィリアム。


「息は有るな。右腕は、……折れたか。」


 俺は脈を確かめ、次に怪我を確かめる。目立った外傷は頭の流血と複雑に曲がった右腕だけ。背中や胸には内出血を起こしたような痕跡も見られない。出血量も大したことないだろう。意識はまだある。


「立てるか、喋れるか?」


『――触れ……』


 エドガーは薄眼を開けて、口を開く。


「ん。何だって?」


 俺は頭部の流血を拭いながら、耳を傾けた。


『――触れ、て……、しまった……怒りに、』


「どうしたおっさん。辛かったら無理すんな、今俺が助けて……」


『――違ヴ! ……ゴっちジゃない!!』


 その時、目をかっぴらいたエドガー・ウィリアムは、吐血したまま神殿の方へ指差した。


 刹那。


 野太くけたたましい咆哮が、神殿の中から向かうように響き、重々しい足音が地鳴りのように駆けあがってくる音がした。

 竜だ。それは頭部を竜にかえ、何本もの腕を生やした人間とのキメラ。


「エルノア!」


 俺は咄嗟に叫び、キャラバンは形を変える。


――ノアズ・アーク、形態フォーム:大巨人タイタン


 キャラバンから伸びた木製の巨腕は竜の頭を抑え、炎の咆哮を器のように受け止め、握りつぶす。フォームタイタン、巨人の両腕を模したもの形態。足を模すことも出来たりするらしい。

 息もつかさぬ間に、――ダァンと強烈な轟音の銃声が一つ。

 テツの狙いすました一撃が人間部と竜頭部の境目を撃ち抜き、二つを接合する喉のような場所に風穴を開けて捻じ切った。


 俺はすかさずエドガーを背負い、キャラバンの傍へ駆け寄る。


「全員中に入れ!!」


 アルクらは救助者を抱え4畳ほどのキャラバンの中へ、一人また一人と入っていく。


「――ナナシ、このままじゃ狭すぎる。」


「シーカーを解いてノーマルで戻る。追手が居たら……」


 リザの言葉にすかさずプランを返すが、テツが屋上から周囲を睨み冷静に口を挟む。


「まだいる、三体。しかも退路。」


 俺は短剣を抜き、屋上へ飛び乗る。


「分かるナナシ? 神殿の中に1、出口方向、左右に1ずつ。囲むように蠢いてる……。」


 背中越しにテツが指さし、やっとその姿を視認する。光届かぬ岩窟の闇に潜み、触覚のようなものをヒュルヒュルと動かしながらコチラを覗く何かが三つ。

 その一つは、俺たちが貝のように閉じこもったのを見ると、ゆっくりと、またゆっくりと距離を詰めてくる。それは俺の正面。神殿側の1つ。


「来る……。」


 しかし、闇から姿を現したのは華奢な人間の冒険者だった。


「テツ、俺一人で良い。それとエルノアに伝えてくれ。……」


 様相は俺たちと同じ人間だ。しかし深淵の如く底知れないその殺気と狂気は、まるで先刻の怪物のように人間離れしていた。


『――逃げられると思っているのか?』


 得体の知れない魔女帽が、そう聞いた。


「どうして俺たちを狙う。」


『――貴様らが神の怒りに触れたからだ。易々とこの神殿を荒し、秘宝を奪い去った。』


「なるほどな~。」


 それを聞いて思うのである。


 ――腹立たしいな。


「なら俺たちは関係無いはずだ。誰かが憎いなら、恨めしいなら、その誰かだけを狙えば良い。俺たちなんかに妨害されず、小賢しい真似をせず、正々堂々祟り殺せば良い。出来る筈だろ、なんせ神の怒りなんだから。」


『侮辱するか?』


 奴は魔女帽を傾げ、目を見開く。


「侮辱も何も無いだろ。往々にしてそうだ。戦争も、貧困も、奴隷も、飢餓も、政治も、法律も、不幸な事故も、この戦いも、往々にしてそうだ。往々にしてそうだった。お前らが言う所のその怒りは、『神』って奴はさァ?」


 俺は奴を見下ろして言う。


「――あまりにも『不完全』だろうが。」


『異教徒め。』


 ――黙れ、邪教徒。


「おいところで、逃げられるかどうかと聞いたな?――逃げやしないさ。」


 俺は秘策を広げる合図の為に、右手を伸ばして指を鳴らした。

 パチンッと軽快な音を立てた指の下では、人混みが嫌いな黒猫がギュウギュウになったキャラバンに嫌気がさしている頃合いだろう。


 だからこそ選んだのだ。


「ただ、耐えるのみです。」





------------------------- 第8部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

⑧~籠城~ 名も無き結末


【本文】

 合図と共にキャラバンは内側から眩い光を放ち、レンガ大に象られた木製の直方体がバラバラと転がるように四方へ広がる。


――ノアズ・アーク、形態フォーム堅守護籠城キャッスル


 移動能力を捨て耐久性と迎撃性能にステータスを振ったような背水の陣。

 すなわち、俺たちはここで迎撃戦に出る。あるいは奴らの体内に毒が回り救助がやって来るその日まで、この場所で耐え忍ぶ。


「さぁ、この地でアンタらの身体は何時間持つんだろうな。」


 フォームキャッスルで拡張された空間は、方舟が初めから内在していた亜空間から取り出されたものだ。つまり俺たちを含め生存している13人と一匹を持ってしても充分過ぎる程に正常な酸素が満ちている。


 場所も良好だ。上下三段を含めおおよそ30畳程の床面積を誇るこの巨体を、魔鍾石のつららやら岩石の柱やらで潰されるようなことは無さそうな立地。


 いや、例え隕石が落ちようとも、この形態が崩されるビジョンは浮かんでこない。それ程までに底知れない守備力を秘めていることが最大にして唯一の強みだからだ。


『そんな木の城で、何が出来るというのだ。』


「お前らを凌ぐくらい造作も無いさ。」


 最上階からは首巻で口と鼻を覆ったテツが狙撃銃を持って顔を出した。


「あんま無理すんなよ!」


 俺がそう声を掛けると、テツはただ親指を上げて答えた。


『虚勢は不要だF級の無魔ども。……もしもそれが真実ならば、貴様らは何故相対する!』


――痛い所を突くじゃないか。


 事実、強力な攻撃を防ぐにはエルノアの魔力操作が肝となる。三方向から猛攻を受ければ一匹の黒猫に掛かる負担は甚大なものになってしまうからだ。


 それもA級ダンジョンにいるような怪物三匹。奴らの体力を削る為にも、エルノアの体力を持たせる為にも、俺は奴らの攻撃を分散させなければならない。


「自宅に群がる宗教勧誘は、撃退するのがマナーだろ?」


 俺は短剣を抜き、左手の甲の皮を裂いた。

 互いに臨戦態勢。


 俺の構えを見るのと同時に、魔女帽はグロテスクに頭部を変形さえ、今にも激しく暴れ出しそうな竜頭へと姿を変えた。隆起する首の筋肉からは、圧倒的な殺気と触れただけで鮮肉が腐りそうな禍々しい瘴気が立ち込める。それも三方向から同時に。


「そんな怖い顔しなさんさ、隣人さんら。それともアレですか。引っ越しの挨拶がまだだって?」


 右手では短剣を握り、交差させた左手は流血した甲を正面へ見せるように。体制は少々前傾で左脚は前に、


「それではどうぞ――」


 踏み込む。


「粗品ですが。」


 同時にテツが魔女帽だった怪物へ、――ダァンと轟音を響かせ一撃を放った。


『ヴィア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”!!!!!!』


 首元への直撃。しかし足りない。


――死なねぇか。


『ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ッ!!――二度は、無いッ!!』


「知ってるよ。」


 俺は手の甲から垂れる鮮血を散らしながら、絶賛再生中の竜のキメラへ斬りかかる。

 短剣は順手から逆手へ持ち変えた後に斬り裂いて、地へ踏み込み瞬時に間を置く。前陣速攻のヒット&アウェイ。射程はネックだが身軽さのある素早い戦型。


『小賢しいッ!!』


 刹那に振り回された鞭のような触手が、俺の死角から胴を襲った。

 衝撃、浮遊、不快感、そして軋むような背中と腰の痛みを受けて、衝突した岩壁がパラパラと崩れていく。


「ガッハ……!!――ゲホッ、ゲホッ……」


――なんだそれ……!!


「スゥー...ハァー...、スゥー..、ハァーッ。――スゥー、ゲホッ!!」


 いくら呼吸をしても酸素が足りず、咳が止まらない。

 肺が圧迫されたか、身体がパニックを起こしただけか、如何せん重すぎる一撃。

 どうやったらそんな力が出せる。悪魔にでも魂を売ったのか。


「ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ!!」


 休んでいる暇はない。砂塵は晴れ、キメラの鋭利な触手が眼前に現れる。


――ズザッ!!


 と、左頬を掠めて壁を穿った触手を刹那に掴み、俺はそれを斬り落として距離を取る。


『キェェェェェッ!!!!!!』


 キメラはそれを抜き去ると、失った右腕を不思議そうに眺めた。


「再生しないだろ。……俺の血が付いたもんな。」


『―――!!?』


 そう。通常では有り得ない"後天的な無魔"である俺には、言わば呪いが掛かっている。それはこの身体に魔法を使えなくさせる呪い。それは例えどんな状況であり、どんなに場所にいようとも、俺の身体を制限し続ける忌まわしきもの。毒への抵抗力はある意味その"呪い"の副産物だ。


 しかしこの身体の内側に流れるその瘴気が、出血という形で強制的に外界に発露した時。すなわち強制的に物理的に、他者に”干渉させた”時。


 この呪いは武器となる。


「所詮お前らは人間だ。ハァッ……、どんな契約をかわしどんな力を手に入れようとも、ハァッ……、魔法で得た力であれば、俺はてめぇらをぶっ倒せる。」


――虚勢で虚言だこんな戯言。だが、これで良い。


「今だ、撃てッ!!」


 俺は短剣を鞘へ戻し、キメラの後方、キャラバンの上から二体相手に奮闘するテツへ向かって限界まで叫んだ。

 瞬間キメラは背を向けて振り返り我らのスナイパーへ防御の構えを取る。キャラバンではそれを耳にしたテツが忙殺されそうに返答した。


「――無理!」


「じゃあ、いいや。」


 俺は鞘の短剣を抜き去りながらキメラの首元へ飛びこんで、振り向きざまの首を斬り裂いた。肉の中の硬い管が引っ掛かって切れた感触。裂傷からは水風船が裂けた様に血が吹いた。手に残る感覚は正真正銘の致命の一振り。


『一閃。』


(【一閃】剣術・居合技。

 ――斬撃系統の初歩的な抜刀術。あらゆる魔法との親和性が高い基本的な近接攻撃術で身体に内在する様々な力をバネのように発出させ、瞬発的に高い速度と優れた威力の斬撃を繰り出す。)


 無魔でもやれることは有るのだ。磨いてきた技はそう簡単には腐らない。即死へ誘えば、断末魔は出ないものだ。再生能力を失い喉を切断されたキメラは、その場で膝を付き崩れ落ちるように倒れていった。


「よし手伝って!」


 テツはすかさず声を上げる。


「無理。」


 俺は這うようにして岩壁をへたれこみ、襲われ続けるキャラバンを見守った。さっきの魔女帽。恐らくは、一番強いキメラだったろう。


――2体くらいなら大丈夫だよな、エルノア。


・・・


 しばらくして目を開く。


「プガッ……、ごほッ、ごほッ……おぇ……げぷっ」


 意識が世界の色を取り戻し、この気道を塞ぐ泡を吐き出した瞬間。キャッスルでは二段目に備えられた二つの迎撃窓が素早く開き、片方はアルクの弓矢が、もう片方からはエドガーの右手が飛び出しては『氷の礫』と『毒の矢』を同時に放った。


「おっさん……。」


 時間の感覚はおぼろげだったが、致命的で決定的な瞬間を目に移す。三段目から放たれるテツのライフル攻撃に耐えられなくなった二体が、堪え切れず飛び上がった所を狙い撃ったのだ。


 俺はやがて静かになった戦場にゆっくりと近づいていく。


 結果的に喰らったのは一撃だけだ。しかしそれがジワジワと軋むような腰の痛みを誘発し続ける。そして流石に気分が悪い。


「いててて……」


 全くもって困ったものだ。

 

 俺は呆然と消し飛びそうな意識をギリギリで保ち、鞘に納めた短剣の先っちょで毒矢の刺さったキメラを突いた。


「死んでっかな?」


――ツンツン。


 瞬間、ピクリともしなかった筋肉がプルっと震えて躍動する。


『――グワァァァアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!!』


 強烈な咆哮を上げて飛び上がったキメラの鉤爪が、筋肉のガチガチに凝り固まった俺の頭上で振り上げられた。


「――危ないっ!!!」


 しかし、それを制止する氷塊の魔法がキメラの腹を穿つ。良いタイミング。


「気を抜くな、冒険者。……いいや命の恩人。」


 俺は顔を見上げる。


「エドガー、さん。……元気になったようで、良かった。」


 靡く白髭に大きな体躯。彼の身体には元来、ここらの毒に対する「耐性」というか、強い「回復力リカバリー」が培われていたのかもしれない。それは長年の開拓活動で得た適応力。魔法とかではない身体の神秘。

 俺は皆の待つキャラバンの方へゆっくりと歩み、広々空間へと変わったキャラバンの床へ身体を倒した。


「……アルク、扉閉めて。」


「うん。言われなくても閉め切るさ、こんな毒まみれの外気なんて。」


 スカーフで口元を覆うアルクはいそいそとキャラバンの扉を閉め、空気が漏れないよう完全にロックする。何やかんや有ったが、これで後は救助を待つだけらしい。俺はゆっくりと深呼吸をし、肺に満ちた空気を入れ替える。


「はい、これ。」


 アルクはカップに入った水を俺に寄越した。10数名に活きた水を渡しても枯渇することは無い貯水槽。キャラバンの強みであるこの貯蓄量は救難クエストにとても向いている。


「ありがとう名も知らぬ冒険者。君の"部下"の薬が良く効いたよ。」


「……エドガー。」


 エドガーは倒れ込む俺の頭を手繰り寄せ、優しく抱擁した。偉大なる調停士、エドガー・ウィリアム。その身体は歴戦の氷魔術師らしくひんやりとしていた。微かに香る煙の臭いはこの地で作られた葉巻のものだろう。


「俺は……貴方を目指してここまで来ました。」


「あぁ、お陰で皆が助かった。」


「いえそれだけではなく、探索士としても。……覚えていますか?ロスターク魔術学院の探索士寮ドライアドに貴方が来て下さったこと。」


「ロスターク。そうか、君はあそこの生徒だったんだね。……良い手下を抱えているようだ。」


 エドガーは俺の頭を優しく撫で、にこやかに肩を叩いた。見れば外傷はほとんど完治しかけている。これがエドガーウィリアム。圧倒的な回復力と突出したカリスマ性。白髭と白髪の特徴的な見た目は、冒険者らの勇気の象徴シンボルであることに違いない。


 なればこそ、どうする。


 現状は、救助を待っているだけではない。

 このダンジョンという極地で俺たちは、安全を確保しつつ留まってなければならないのだ。それこそ、フォーム・キャッスルを解くような真似が出来るはずもなく、ここでの戦闘はなるだけ避けたい。


「ナナシくん。だったかね?本当にありがとう。帰ったら一緒に美味いものでもやろう。私の家は妻が作る手料理が本当に美味しくてね、あぁ息子もいるんだがとても元気な8歳なんだ。やんちゃな歳さ。」


 エドガーは落ち着いた声色で俺に話しかける。


「ハァ……、ハァ……。」






「大丈夫か、ナナシくん。呼吸が浅い、酷いケガだ。」


「……ナナ?」


 酸素を荒く吸い続けゆっくり目を閉じる。脱力した俺はプーカに担がれて薬剤室へ入った。彼女の部屋には俺専用の強い薬が有る。薬が強いのは毒が効きにくい為だ。そしてこの部屋だけは、特別な構造と仕組みを持っている。このキャラバンの唯一特別な一室。プーカは扉を閉め、壁越しからは音が消える。


「どしたんナナ、仮病なんて。」


「ハァ。……いいや、実際疲れてるよ。」


 俺たちは小声で話す。この部屋はキャラバンの中でもう一段階、外界と遮断できるようになっている。音も空気も魔法も、そしてそれ以外も。それでも小声なのは、菌にやられた喉と念の為。


「……きっついな。」


 身体は確かにボロボロだ。

 しかしそれ以上に、この精神が、泣きたいほどにボロボロに疲弊していた。


「どしたん?」


 俺は仰向けの身体に降り注ぐライトの光を、目に腕を覆って隠し、涙を抑えながら思い出す。体温は徐々に上がっていく。たかが推理だ。それでも、この推理がたがうことは無いのだろう。きっと現実とは、性格の悪い何かで出来ている。


――あぁ、どうしようもない。


「昔、……魔術学院に居た頃。エドガーに逢ったんだ。」


「うん。」


 プーカは眠たくなるような声で、優しく相槌を打つ。


「俺のことなんて、覚えて無かっただろうけど。……とても優しくて、……穏やかで、愛されるべき人だった。」


「うん。」


 いくら空気を吸っても酸素が足りない。身体の興奮が冷めやらない。


「だから、誰かに憎まれるべき人じゃなかった。……そう感じたんだ。人嫌いのあの時の俺が、少なくとも、そう感じる何かがあった。エドガーは、そういう人なんだ。」


「そっか。」


 プーカは俺の額に手を置いて、淡々と言った。


「ナナが悲しいなら、プーカも悲しいよ?」


 俺は自然に泣いていた。ゆっくりと、溢れ出す様に。恐らくはこの不甲斐なさに。人生の儚さに、運命というものの愚かさに、思想という名の汚らわしさに、そして何よりも自分の無力さに。きっとこれは悲しいのではない、悔しいのだ。


 ダンジョンは人が死ぬところだ。それでも屈辱を抱えながら何も出来ない現状に、悔しくて、いたたまれなくて、ずっと涙が止まらない。ゆっくりと何故か溢れ出るそれを拭う。プーカも俺の額を撫で続ける。彼女はすでに気付いている。気付いた上で何もしない。それが最善だと知っているから。


 何が為にそうするのか。仲間とは何か。旅とは何か。人生とは何か。何が為に産まれて、何が為に生きて、何が為に死にゆくのか。貴方は一体、どんな罪を犯したのか。いいや少なくとも、こんなはずでは無かったのだ。


 とても偉大な人間だったのだから。しかしそれでも、現実は無慈悲だ。



 




------------------------- 第9部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

⑨人殺し


【本文】


「みなさん!」


 ――ギルドの救助隊が到着したのは、それから二日後のことであった。


「……空だ。」


「おぉ。」


 漏れ出る声は歓喜そのもの。そこに詰まる溜息は疲労だとか安堵だとかを内包した、ある種の幸せであるはずだ。


「……夢じゃない、助かった。」


「あぁ。……あぁ。」


 久方ぶりの新鮮な空気に、肺から身体が満たされていく。救助された全員が、希望の陽光に当てられ歓喜の安堵を吐き出すように感嘆する声を漏らした。


{ジマ岩窟・大入口}

「結局救助したのは私たちですけどね!」


 不服そうな顔をしながら渡されていく小銭袋についての恨み節を吐くのは、ギルドの受付嬢だ。合計で792,000イェル。この街周辺で流通している特別な大金貨きっちり七枚分の入った袋は簡素な見た目に反して重々しい。


「うおー。」


 俺は地味な驚きの声をあげているプーカの頭を撫でる。今回の功労者だ。旨いものでも食べさせてやろう。


――というか……。


「持ってきてたのか。」


 変なギルドだ。やっぱり杜撰。歩く金庫じゃないか。受け渡しなんて、今でなくてもいいものを。


「えぇ。でも半分は願掛けですよ。……なんせ、貴方たちの事など誰も期待してはいなかった。それでも本当に生きていれば直ぐにでも渡してやろうと、マスターが。」


「なるほど。」


 救助者の容態は良好らしい。流石はプーカ様と言ったところか。

 二日ぶりの家族や友人を前にして、クランエドガーの団員たちは飛びつくようにハグをしていく。中には涙を流す者もいた。それは安堵の体現でもあり、同時に死者への追悼でもあるはずだ。


「――イーラン、良く戻った!! あれが噂のキャラバン隊という奴か……?」


「あぁ、およそオーパーツだ。」


「本当に、あんな奴らが? 信じられない・・・・。」


 視線が集まる。


「――無事でよかった。本当に良かった!」


 聴覚過敏とでも言い表そうか。ダンジョン帰還後の感覚が過剰になる副作用。耳に入る声が煩わしい。戦いを終えると、この身体は感覚が研ぎ澄まされ五感が過剰に働いてしまう。まるで偏頭痛のそれ。興奮が冷めやらぬまま、何処となく気分が悪い。


 また、晴れ渡った空を見上げながら、眩しすぎる陽光に嫌気がさす。


――不快。


「……ユーヴサテラ様。」


 群衆の中から唐突に、俺たちを呼ぶ声がした。声の主を辿り、人中から姿を現したのは感動を分かち合っていたウィリアム夫妻だった。みんなは何気なく一同に会し、静けさが広がる。


「ウィリアム婦人。」

 

 この一時。街の象徴的な存在である彼らと、本件の英雄である俺たちとの対面を群衆は見届けるようにして口を紡いだのだ。


 そうか。言わばここは凱旋門なのだろう。ともすれば、そういう役回りだ。いつもいつも。


「ユーヴサテラ様、有難うございました。」


 三人家族。頭を深々と下げて、佇んでいる。


「これは残りの金貨九枚と銀貨二枚でございます。この一人分の報酬だけは、私たち個人で負担したいと申し出ました。本当に、何とお礼を申し上げればいいか……」


 婦人は硬貨の入った袋を前に差し出し、もう一度深々と頭を下げる。


「顔を上げて下さい。」


 俺は婦人の肩を撫で顔を上げさせ、目と目を合わせた。

 婦人はボロボロと涙をこぼしながら泣いている。

 

 テツは、戸惑ったような泣き出したいような顔をしているウィリアム家の一人息子と顔を合わせ、大幅に減った非常食の在庫のクッキーをチラつかせ、静かに笑って手招いた。


「ほら、こっち。」


「え..?」


「あげるよ。おいで。」


「――うん。」


 群衆からは掻き分けるようにしてスキンヘッドの冒険者が出てくる。受付嬢はそれを制止しようとするが、真に受けない様子だった。


「ちょっと、ロイダルさん……!!」


「……大丈夫だって、別に殴ったりしねぇよ。」


 そしてロイダルと呼ばれた男は俺の前に立つと、鋭い眼光で俺を睨む。


「ぐぅえ。」


 俺はつい嫌そうな声を漏らし、耳に入れたロイダルは舌打ちをして眉をひろめるが、しかしそれから深々と頭を下げた。


「すまねぇ。殴って悪かった。……有難う、旅人さん。」


――ほぉう。


 ロイダルの頭は燦々と煌めく陽光を跳ね返し、光を放つ。

 なるほど、酔いが無ければ下げれる頭も持ち合わせているのか。

 しかし、その謝意は過大評価だ。


「あんたのお陰だ。エドガーはこの街に居なくちゃならねぇ。あんたが救ってくれたんだ、旅人さん。無魔だとか何とか、俺は自分が恥ずかしい。すまねぇ。そしてありがとう……。」


 腰は90度。何とも辛い仕打ち。ただ感情は要らない。


「いえいえ、頭を上げて下さいよ。」


 俺たちは元来、感謝されるような人間ではない。今回もしかりと対等な報酬を得ている。それ故にただのクエストと同じなのだ。依頼を受けて達成して報酬を得て。それならただの取引だ。それ故に感謝なんて要らない。感謝なんて、されたくない。今は。


「僕らはただ、全力を尽くしたまでですよ。ギルドの皆さんがいなければ、生きて帰れはしなかった。」


 俺は笑いながら、謙遜したように言いくるめ、小銭袋に触れた。

 しかし婦人は差し出した小銭袋を見つめながら、それを渡さないようにガッチリと握っていた。


「え?」


 俺は袋を少し引っ張てみる。しかし婦人はそれを引き戻し、その押引きを三回ほど繰り返して、やがて婦人は腹を割った。そして俺は同時に腹を括ったのだ。


「そ、その!……変な話かもしれませんが。」


 視線が気になる。群衆の向ける一人二つのぎょろりとした目玉が。眼光が。


「なんですか?」


 俺はにこやかな表情を崩さないまま耳を傾ける。


「受け取らないで……、欲しいんです。」


 その言葉を受けて困惑した表情を浮かべたのはロイダルだった。


「キャシー、お金が無いならそうい――」


「違うんですッ!!……そうじゃ、ないんです。」


 この時点で、戦況とも呼べる"盤面"を把握していた人間は、俺たち五人と一匹だけだったであろう。世界が俯瞰で映る。神経が研ぎ澄まされる。視野が狭まる。やがて五感は全覚醒する。不愉快な脱力を命令しながら。


 実に、本当はもう少し待ちたかった。最高の瞬間を。


『私の夫は、何処ですか!?』


 緊張が波及する。相手もそうだ。

 ウィリアム婦人の瞳孔が狂ったようにかっ開く。

 だから違う、もうワンテンポ。

 

――沈黙が広がった今。俺は笑って茶化す様に口に出す。

 

「何を言っているんですか。エドガーさんなら横におられるじゃあないですかぁ、」


 この視界にはキャシー・ウィリアムのぐずぐずに泣き崩れた顔が飛び込み、俺は冷静に心が乱れないよう視線を移した。


「可笑しな人だッ――


 刹那。それは余りにも永い、永い、永い、永い。永い刹那。


『 な 』 


 短剣を抜刀、俺は持てる限りの速度を出し尽くして、エドガー・ウィリアムの喉を横に捌いた。刃の通過点は血で滲み、裂傷となった箇所から鮮血が散らばる。やがてそれは膝から折れて重力のままに崩れていった。手に残るは、圧倒的な肉々しい感触。そこにあったのはエドガーに生まれた絶対的な隙と、その結果。その暇に俺は自分を殺し悪魔のように命を刎ねた。


「え・・・?」


 血飛沫がゆっくりと空へ舞うように、時間が伸びる。



『エドガァァァアアアアア!!!!!!』


 野太い声ながらに耳を裂くような声量で誰かが叫んだ。婦人の右側にのっぺりと立っていたエドガーは、血を流しながら横たわる。一転俺は右足を踏ん張って、有無を言わさずに横から飛びつかんとしたロイダルの鼻先を思いっきりぶん殴った。


「かはッ――」


 ロイダルはピュッと鼻血を空へ散らしながら、静かに白目で倒れていく。

 

 沈黙と唖然。力無く崩れ落ちた街の英雄を前にして、同調するように何人かが肩を落とし、そのまま膝から崩れ落ちる。痺れるような、張り裂ける様な、嫌悪と疑念と憤怒の眼差し。どこか息苦しくて、押圧的で閉鎖的な場所にいるかのような感覚。世界の空気が変わったように、酸素が足りなくなる。世界の憎悪が俺という一点に集められている。


『てん、め"ぇ"え"え"え"ええええ!!!!』


――後悔は無い。


 例えそれが卑怯であろうとも。残酷な結末で有ろうとも。この時間は流れていく。


 さて、……何と言おうか。


 俺は目の前で唖然とする婦人を前にして、淡々と口を開いた。


憑依呪法乗っ取りと言う禁術.....、です。本人エドガーは、最初の崩落でもう……。」


 疑念も何も無い。どれだけの傑物であろうとも偉人であろうとも、ダンジョンとは平等に、人が死ぬところなのだから。


「細かいことを長くは話せません。恐らく俺たちは拘束されます。ってか、その前に半殺しにされる。だから今言えることは一つ。」


 もう一度深く頭を下げる。そして悟った。あぁこれが本来の場所すがた


「誓ってこれが、最善でした。」


 そう、だろう。これがダンジョンに不法侵入を図るならず者を放置し、大勢の死人を出す結果につなげた張本人の立ち位置。やはり現実とは、簡単にグッドエンドだけが立ち並ぶほど甘くは無いらしい。


 まぁ時の運。


 俺たちは所詮非力。選んできた選択肢に後悔は無く無駄も無い。ただ、それでも。目の前で涙を流すこの人には、死人を慕ってきた彼らには、同情せずにはいられない。逆に同情して欲しいまである。いまやこの街で俺たちは、もとい俺は、最高の道化で極悪人だ。


『死ねぇえええええええ・・・えええ!!!!!!』


 やがてもう一つ群衆の一カ所から声が上がり、波及する様に大声は広がって救助者を取り囲んでいたギャラリーの輪が息を合わせた様に、四方から刺す槍の如く俺の元へ走り出す。


 ゆっくりと、ゆっくりと近づく人間の波。冷静な思考が、この脳の回転が、世界の時間を遅めてゆく。どうしようか。どうするべきか。高鳴る心臓の一拍よりも早く、頭に思考を巡らす。抵抗しようかと身体に力を込める。そして次に、


――あぁ...。


 全て、どうでもよくなる。


――覚悟してたさ、私刑そのくらいは。


『やめてくださいッ!!!』


 瞬間、場を一蹴するように挙がる一声。迫り来る大衆の荒波を静めたのは、眼前。エドガーの死体に寄り添うウィリアム婦人だった。


 群衆は足を止め、目を丸くする。


「貴方は、夫を救うと言ってくれました……。その目は夫のように、澄んでいた。」


 彼らの驚愕した顔を一瞥し、俺は構わず口を開いた。


「あっそう。キャシーさん、こんな俺をまだ信じてくれるのなら、エドガーウィリアムの胃にある卵型の石をこの短剣で突き刺してください。それがきっと、不幸を呼び続ける。見届けたら、俺たちは姿を消します。」


 愛を誓った人間の死体。喉を斬り裂いた人間が、目の前で更に刃を立てろと要求している。一体どんな気持ちだろうか。誰にも分かるはずが無い。それから婦人はエドガーの身体をまさぐり、腹の中に何かを感じ取ったあと、ゆっくりと短剣を手に握る。


「やらなきゃ、……ダメですか?」


「貴女でなくてもいい。また俺が――」


 その言葉で、婦人は振り下ろす。胃の中に仕込まれた石を服の上から刺し砕いたのだ。そして流れ出る鮮度の悪い流血と共に、婦人はもう一度泣き崩れた。観衆はその光景に唖然とする。俺も何故だか分からない、何故彼女は理解できているのか。


 血濡られた短剣を返された時、強欲ながら一言だけ彼女に聞いた。


「……何故、分かったのですか?」


 キャシー・ウィリアムはその問いに対して「愛してるから……」と俯いたまま答えた。まったくもって、まったくもって、不可解な応え。あるいはエドガーに対する弁明だったのかもしれない。








------------------------- 第10部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

⑩ex,旅の始まり


【本文】


「HAHAHA!!――ユ ウ ヴ サ テ ラ !!――不法入窟、経歴詐称、不法取引、不法占拠、窃盗、器物損壊、そして殺人および殺人未遂!!やったなオイオイ、遂に"落ちたな"落ちるとこまで。まぁそれが探索士もぐりしの仕事だってんなら良いパンチラインだけどなぁ!?落ちるだけになァ!!」


「うるせぇ。死ね。」


「――おぉっと、コォコォで脅迫罪ッ!!全く参ったねぇ、困った!!」 


 黄色いジャケット、穴の開いたジーンズ、むさくるしいオールバックに、ピアスと指輪の数々。机一つを挟み、酔っぱらっているかのようにテンションの高いこの眼鏡男は尋問官である。それも顔見知り。


「なんでお前がココにいるんだよ。」


――【チック=アウグレン】

所属:アイギス評議会。

素性:フェノン騎士団、第二師団・副団長。

字名:白血のアウグレン



「ナ  ン  デ ! ? かって??――おぉい、ホワットッ!!! 西側地方ウェスティイリア中央地方アイギスがズブズブだからに決まっているじゃないか!?そして俺たちと評議会もズブッズブッ!!」


「随分と聞こえが悪いな。」


「事実さッ!!」


 フェノン騎士団とは平和都市と謳われる王都アイギス、すなわち世界一の大城塞及び城下街に仕える秘密組織だ。彼らは正式な立場を明確にしないが、実質的にはアイギスに忠誠を使える軍隊である。


 彼らが立場を明確にせず秘密組織という体で活動しているのは、アイギスというこの世界のバランサーである大都市の"絶対性"を担保する為であり、逆を言えば本気を出せば、暗殺なり暗躍なんなり「やっちゃうぞ?」という脅しの為でもある。


「……お前の言った罪状は全て冤罪だ。評議会も地に落ちたな。」


 俺は取調室の分厚い扉に目を逸らしながら言った。


「ナナシぃ、俺が言いたいのは"そうなっていた可能性が有る"ってことなんだぜ?今回の件については団長もカンカンだ。世界最強(笑)さまも気を悪くしてんじゃねぇのか?」


――それは面倒。はっきり面倒。


 チックの言う団長とは九代目フェノン騎士団長、ナインズのことだ。そして世界最強さまと言うのは恐らく。否、十中八九。カミサキ・サテラの事を指す。


「・・・・・・」


 俺は口を紡いだ。


「ダン・マリカァ?!」


「誰だそれ」


「何にせよセニョール、今のところてめぇは人殺しだ。……自分の口で答えろ、何が有って、何をしたか。」


――すぅ……。


「嫌だ。」


「――WOW!!反抗期ッ!!? ――困ったなぁ、オイ!このままじゃ拘束したキャラバンを重要証拠として取り押さえ……」


「――分かったよ! 分かったチック、話せばいいんだろ。」


「分かればヨロシだ、ナナシィ。」


 チックは手を叩いて大きく頷いた。いちいち挙動のうるさい奴である。俺は、机の上に置いたメモを手繰りよせるチックを待たずに、ジマ岩窟崩落事故についての話を始めた。



・・・・・・・


「ことの発端は、第二層の中腹?だったか。クラン・エドガーのワイリー・スペンサーという冒険者が死んでいた。確定的だったのは他殺体であったこと。気掛かりだったのは背後を突かれていたところ。死体は出口へ向かうようにして倒れていた。例えばそれは逃げる背中を追撃したような、あるいは不意打ちされて死んだようにな。」


「……氷塊魔法。確かにワイリーの遺体には背中から腹部にかけての穴が有った。」


「10人以上の中隊で一人だけ、かつ帰路に背中を一撃。現場に残った溶けかけ且つ血の付いた氷塊。まぁ、ここまでは単なる不審死でしかない。繋がったのは崩落現場のとある死体だ。俺たちのクラン証書を偽装した、今回の犯人と言える青年クランの代表者の死体。」


「ふむ。」


 チックは顎を撫でながらメモを残していく。


「身体の主要部を潰されたあの死体を見て、憑依呪法によるスワップを勘ぐり始めた。」


「おいおいナナシぃ、憑依呪法のっとりには自身への呪いの刻印、そして標的への接触が大前提。どうしてそれが可能だと思ったんだ?」


 確かに分からないことは多い。しかし真相を暴くために必要なのは全容では無い。消去法で炙り出される証拠パーツだ。


「それは分からない。ただ方法や過程は重要じゃない。仮にもクラン・エドガーは年季の入った部隊だろ。そしてジマは彼らのホーム。それをエドガー本人であれば、最悪の被害状況へ拡大出来たし、ワイリーの死も狙い得た。決定的だったのはキメラの死体だ。氷塊で穿たれた一つは紛れも無くエドガーの放ったものだった。」


 それに砕いた石のことも有る。あの「石」はフェノン騎士団の収集対象でもあるお宝。何も知らない筈がなく、確たる証拠になっていることに相違は無いだろう。実際ユーヴサテラの目当ても同じだ。つまり俺たちがあそこにいた理由と、奴らがあそこに居た理由。


「ワイリーが殺された理由は何だ。まぁ考えられるのは憑依呪法に気付いたとか、キメラ化を見られたとか、キメラ同士の談合を見られたとかそんなところ。つまり、第三層の神殿から出てきたのはダンジョンに祀られた神だとかじゃない。如何せん奴らは、特にエドガーの中身は仲間を殺してまでも信頼を勝ち取ろうとしていた。正に狂気的。そしてその狙いは狂信的。そうだろ?」


「はぁん?」


 チックは耳をほじりながら聞き返す。


「目的はエドガーの体内に隠されていた。ご存知、蒼塊の封印石。」


 俺がそう口にした瞬間チックは机をバンッと平手で叩き降ろし、目を丸くして口元に指を当てた。


「・・・・おぉっ、ボーイ!お口が大きいぜ?!」


「それはお前だろ。」


 蒼塊の封印石。それはエル=ダンジョンへ繋がる秘宝だと言う。情報源はウェスティリア魔術学院のオルテガ・オースティック教授。現最高位、アポストルシーカー。


――もういいだろうか。


「まぁいい、最後だナナシ。」


 チックは、探るようにこう聞いた。


「人を殺したことについて、……どう思っている。」


――人を殺した、か。


 不殺とは強者の特権である。それ故にきっと、人を殺す日がやってくる。何回も何回も、非力な俺に襲い来るように。しかしそれは先日の事ではない。


 俺は面と向かって言い切った。


「殺す前に思ったんだ、憑依呪法に生者はいない。あそこにいたのは、醜悪で狂気的な死念で動いていた"得体の知れない何か"。つまりそれはエドガーでもなく、ギルドにいたあの冒険者でも無い。……俺はただ、その呪いを解いたに過ぎない。」


 事実、憑依した身体は一週間と持たずに寿命を迎えるのである。

 それ故に禁忌、それ故に呪術。

 

「うむ。やはり知識はあるみたいだな魔法使えないのに。」


――うるせぇよ。


「そう、ナインズはその点を一番気にしていた。お前が肩を落としていないかってところ。慰めにはならねぇかもしれねぇが、教科書の中の世界じゃあ、お前はエドガーを殺してねぇ。かく言う俺も同意見だ。」


「……」


 チックは足を組み直し、人差し指で机をトントンし始める。


「さて、テメェらが意味のある行動を狙って取ったことは理解した。テメェの証言は確かに、揃えた証拠と一致している。……つまりぃ、落ち込んで無くて何よりだってことォ。そんな暇お前らには無えからなあ?!」


――やはり評議会は既に内情を把握していたか。超イヤらしい連中。


「……落ち込んではいるさ。貴重な時間を取られた訳だから。」


 その言葉にチックは苦い顔をして、人差し指をピンと張り、高説垂れモードへと声色を切り替えた。


「オイオイぃ、ナナシ!――テメェらのやり方は何にせよ危うかったんだぜ?!それをカバーしてやったのは俺たち。分かってんのか?おーい!!ってか前から思ってたけどよぉ、お前の根っこもちとサイコだよなぁ。なんかぶっ飛んでるつーか、闇を感じるつーか、」


「あぁ。うっせうっせ。」


 俺は耳を掻きながら、そっぽ向いて受け流す。


 その時、取調室のコンクリート壁が

 ――ドゴォ!!と、驚異的な音を立てて崩れさった。


「――ううぅっわおッ!!なんにおバカ!!?」


「おっ、いた。」


 最初に見えたのはフワリとした碧髪。


「……ちょ、ちょっと君ぃ!!」


 壁の中からは戸惑った表情をした尋問官と、欠伸をしたプーカが顔を覗かせた。恐らくプーカへの事情聴取は血盟主への形式的なもの。さぞ退屈だったに違いない。


「ふわぁ。ナナ~、腹ぁ減った~。」


 ――修理費は、要らないだろう。


「行くか。……じゃあこっち。」


 俺は格子の窓が設けられた壁側に指を差す。


「――おけおけ、おけなり。おけなり山地の、味噌ラー」


「え、とお、ちょいちょいちょいちぅ!!!」


「――メンッ!!!」


 チックの制止をものともせず、プーカはもう一蹴り。くるりと回した踵を壁に当てコンクリートをぶち破った。


「食べたァああああああああい!!!!」


「はぁ、おいおい。頼むぜ……」


 咆哮を上げたプーカに頭を抱えながら、チックは渋い顔で杖を抜き、壁に魔法を当てて粛々と修理を始める。


「――そうそう。勘づいてッかもしれないがよ。首謀は例のカルト教だ。いいなナナシ?」


「近付くな、だろ。……分かってるさ。」


 俺は瓦礫に足を掛ける。


「それだけじゃねえよ。そしてそんな単純じゃない。世界は今、古臭い暗黒へと向かって突っ走ってる。上手くは言えないがよ、連中が上手くやれば大量に人が死ぬ。」


「はいはい――」


「会いに行け、求道者に。」


 腰を曲げて杖を振るチックは、俺に目線を上げてそう言った。


「嫌だね。」


 俺は前を見て吐き捨てる。壁の外には木製のキャラバンが、陽の光を一杯に吸収して待機している。リザは「さっさと乗れ。」と言わんばかりに人差し指をクイクイと動かした。


 俺は抱えていた想いを忘れるように息を吸い、左足を前に運び、朝露に濡れた雑草を踏む。新たな旅路への、第一歩。草を踏み分け、キャラバンの木板へ足を掛ける。


「次はどこへ向かうんだ。」


 肩まで伸びた赤髪を一つに纏めながら、ラフなタンクトップを着たリザがそう聞いた。


「う~ん、東。」


「東のどこ?」


「東の下の方……。面白い村が有るんだ。八つの特徴的な村々が集合した共同体。何でもそれぞれの村に"気味の悪い噂"が有るらしい。名前は確か【オクタノ八村群】。」


 リザは髪留めを噛みながら、渋った顔でバックミラーを覗く。

 毎度のことだ。アバウトな注文で、気ままに走る。山あり谷あり後悔あり。見切り発車は最初が一番楽しい。


「情報それだけか?」


「だけ。」


「……ったく。」


 そうやって今日も、旅をするのである。







------------------------- 第11部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

  設定資料:使い古したメモ帳


【本文】

 ~キャラバンの禁書室~


(ここは古びた書斎だ。辺りは散らかり、所々で埃が積もっている。おおよそこの場所を"蔵書室"と言わせるような程に、保管されている書物の数が多いわけでは無いが、繊細な彫刻の施された本棚が申し訳程度に一つ置かれていた。貴方はその埃塗れの本棚から、とある古びたメモ帳を発見した。)


『――――――――

【極秘書物・ヨムナキケン!】

・・・


{心得}

ダンジョン...人が死ぬところ。

シーラ...ダンジョンで魔法が使えない地帯。

魔法...いらないもの。

オーパーツ...手足のように大事。

死ぬこと...寿命。それ以外に非ず。


―――

{チェックリスト}

☑アンカーガン

☑ハーケンガン

☑「ライフル・オーパーツ」

 →☑アトモスフィア狙撃銃

 →☑クナタ固定砲

 →☑アサシンセミオート

 →☑ドラグーン対人狙撃銃

 

☑サクラ6リボルバー右用

☑サクラ6リボルバー左用

☑W&S M500

☑特殊携行物各種

☑ゴーグル

☑グローブ

☑帽子

☑首巻

|☑その他(もしあれば)


―――

{クラン・ユーブサテラ}

→最強っていう意味らしい。多分適当。


 魔術学院:ナナシ・アルク

 ↓

 ダンジョンアミテイル:自分

 ↓ 

 アドスミス王国:リザ

 ↓

 スマイルマーク:プーカ

 ↓ 

 現在地


護衛人ジーク

・ナナシ 171㎝(これらは目測)

キャラバンを守る役割。

攻撃手段 剣技のみの体術

魔法 無し

能力 呪血をまき散らす(←キモい。)←消せ!

見た目 東国付近によくいる黒髪の中肉中背 弱そう

(護衛なのに魔法も使えない)

→魔術学院の特別野外演習として旅をはじめる。


交易人トレーダー

・アルク・トレイダル 168㎝

お金を守る役割。

攻撃手段 無し

魔法 初導科なみの基礎をちょっと

能力 銭ゲバ (←ウザい)←ヒドい...

見た目 西国付近によくいるベージュ髪の中肉中背 弱そう

(頼りに成らない)

→ナナシに同行、家業と許嫁から逃げているらしい。


運搬師ポーター薬師ファマシスト

・プーカ 136㎝

運んだり治したり食べたりする役割。

攻撃手段 無し

魔法 無し

能力 無し

見た目 碧髪でぼさぼさのセミロング 背が小さくて、丸っこい 弱そう

→おいしいごはんの為に同行。


技術師メカニケ

・リザ 174㎝

作ったり直したり運転したりする役割。

攻撃手段 無し

魔法 無し

能力 無し

見た目 赤茶っぽい髪色、多い髪型はポニーテール 強そう

    筋肉が綺麗でスタイルが良い

→このキャラバンとオーパーツを調査する為に同行。


・黒猫のエルノア 25㎝

みんなを癒す役割。

攻撃手段 無し

魔法 2種類あるようだ。教えてくれない。

能力 無し

見た目 黒いふさふさ。

→なんか始めから居る。


・キャラバン 2m~10m

馬が要らない魔法のキャラバン

見た目と中身 4畳、7畳、14畳に可変

名称は魔法のキーなので書き起こさないものとする。


――――――

{最近訪れたダンジョン一覧}

ジマリ大洞穴

名称不明地帯

トライデント斜塔ダンジョン


―――――――

{最近訪れた場所}

ジマリ洞穴街

…洞穴付近に出来た湿っぽい街。じめじめしている。街の周囲は洞穴を囲むように城壁のようなものが建てられている。付近には川や森が沢山ある。牛肉と温泉が有名。温泉には絶対に入ろうと思う。


ウヌメン村

…峠道にある小さな村。霧が出ると怪しげな雰囲気に包まれる。でも子供たちは元気一杯。


トライデント斜塔街

…とにかく大きい屋内の街。雨は降らないけど日差しは入って来て気持ち良い。お店では何でも売っているけど、他の街に比べて変わり種が多い。斜塔街の下はダンジョンになっている。お店の人はみんな自慢げに「"とれたて"だよ!」とか「ほら、まだ生きているよ!」などと言っているが、{まだ生きているゴブリン}を誰が買うのだろうか...?


オクタノ八村群・ヴズゥル村

…物々交換が主流の村。他にも七つほど村々が有り、何処もそれぞれの特色が有るらしい。冬には近辺の滝で氷柱を見ることが出来るそうだ。主な家畜は羊で、毛皮を使った交易品や羊肉の料理が沢山有った。並ぶ防寒用品のデザインはどれも可愛いらしく、肉料理はワイルドな骨付きで、どれもとても美味しそうだった。無かったのはそれらを買う為のお金である。




――――――――

{大陸について}

・魔術が科学を圧倒し、失われた技術や特殊なダンジョンが散在する魔法世界。

大陸名は『オルテシア』


 中央には、世界樹と平和都市の名を冠する大地『アイギス』

  東には、貧しさと伝統が息づく『イーステン地方』

  南には、技術力と熱気の舞い上がる『サステイル地方』

  西には、豊かさと学術の根づく『ウェスティリア地方』

  北には、支配と寒気に包まれた『ノスティア地方』が存在

 探求者(シーカー)と呼ばれる特殊な冒険者らによって昨今、西の海を越えた先に新大陸が発見されている。


 また、魔法の存在しない特殊な世界とを行き来する稀有な人間も存在している。


 その地は、魔法世界と隔絶された、交り合う事無き世界である。


 さて、何のことだか。


・・・・・・・・・・・――――――――』



(あなたはこれから始まる冒険を前に、ユーヴサテラとこの世界についての知識を深め、メモ帳をパタリと閉じた。)



   



     

------------------------- 第12部分開始 -------------------------

【第2章】

第1譚{頑丈な国}


【キャッチコピー】

――きっとそれが、難攻不落を誇るあの小国の裏側さ。


【サブタイトル】

①肉を食べてる吟遊詩人


【本文】

「おっ、吟遊詩人だ。」


「何言ってんのお前。吟遊詩人がこんなところにいる訳が――えぇッ!?」


 ユーヴサテラは休憩中の吟遊詩人を発見した。次の街へ向かう道中、頬杖を付きながら運転していたリザが、真緑に生い茂った草原の上でテントを張り焚火の前でカリカリの骨付き肉を食べている音楽家を見つけたのだ。傍らには弦楽器を携え、ロバと一緒にもぐもぐと口を動かしている。あれは正真正銘、絵に描いたような吟遊詩人。リザは彼の前でキャラバンを止め窓を開けた。


 俺とプーカはまるでサファリパークで動物を見るかのように、キャラバンの中から顔を出し吟遊詩人を覗く。


「おぉ~。」


 稀有な職業だ。各地を回り歌を披露するという大道芸人的要素を持ちながら、国家や王族や貴族の為に曲を作り詩人としての要素も併せ持っている。


 そうただの詩人ではない。吟遊している詩人なのだ。これは珍しい。確かに金持ちというような風体でも無く、長旅にも適しそうな装備をしている。恐らく本物なのだろう。そしてその相棒はリュートではない。何かキューティクルで音を鳴らすタイプの楽器。本当に珍しい。マジ感嘆。


「あれ歌うん?」


 プーカは吟遊詩人を指差して言う。


「歌うよ~。今に見てな。歌ってお金をせがんでくるよ~。――3、2、1、はいッ!!」


「……歌わんね。」


 吟遊詩人は目線を逸らし、黙々と肉を喰らう。


「・・・・」


「チッ……、仕方無いな。」


 俺は1イェル硬貨を親指で弾き、その時を待つ。吟遊詩人は国を称える為の歌なら、その国からお金を貰っている為無料で歌うと聞いていたんだが....」


「まだなん?」


「まだみたいだな。」


「……あの肉美味そう。」


「美味そうだな。」


 寡黙な吟遊詩人だ。ひたすら遠赤外線に焼かれたジューシーな肉塊にかぶりついている。腹が減るから止めて欲しい。


「手拍子でもすればいいんじゃないのか?」


「そうなん?」


「ほら、やっぱノリが無いと。」


 俺とプーカはタンッタンッと手を叩き、リズムを作ってやる。


「はぁい!はぁい!はぁい!はぁい……!」

「――はぁい!はぁい!はぁい!はぁい!」


 すると吟遊詩人はやっと肉を口から離し、咀嚼していたものを飲み込んで口を開いた。


『おい今ァ肉喰うてんねんッ!!』


――おっふ、コテコテや...


「おぉぅ……、すみません。」


『なんやワレ飯喰うてる時に歌える奴がおるかいなッ!休憩中にノリも糞もあるかいなッ!オ”ア”ァ”ッ!?』


 吟遊詩人はまくし立てるように声をがならせ唾を吐き散らす。コテコテや。吟遊詩人なのに、コテコテや。



――――――――


 暫く経った。 


「えぇーえぇ、さっきのことは。それより商いの話や。最近の吟遊詩人ちゅうのは近くの国の案内人ガイドもしとんねん。歌は無料で歌ったってもええねんけど、あんさんら、どや? ――1つ、次の国のガイド雇わへんか?」


 よく喋る吟遊詩人だった。吟遊詩人とはもっと風のように飄々と、もっとクールでスタイリッシュなイメージが有ったが、コテコテの方言に胡坐をかいて爪楊枝なんかで歯間を弄り、終いには痰を吐き捨てている。なんだこいつ。


「いや結構です。金無いんで。」


「おおう。――そうかいな、まぁええわ。あの国には稼がせてもろてん。余所への体裁ちゅうのを気にしてるんやろなぁ~。まぁワイにはその恩もある、……よっしゃ! いっちょ歌ったるで。」


 そういって吟遊詩人は弦楽器を肩に立てかけ、弦を持って軽やかに弾き始めた。そう、これは旅の途中に辿り着いたとある不思議な国のはなしである。



{頑丈な国}




------------------------- 第13部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

②テハリボの関門前


【本文】

『愛を叫ぶ土壌に、映る作物は栄え、誰にも通させはしない~♪

――他国にぃもッ、悪魔にぃもッ、荒れ狂う天の神でさえ~、

――通さないッ!さっ、通させないッ!!誰も崩せない国~♪


 謀る事すら許さぬ、あの国の落とし方、誰にも通させはしない~♪ 

――騎士たちさえもッ!蛮族は無論ッ!誰も破れない国~♪


――強さとは~、あぁ強さとは~、堅牢な硬さ~、巌窟の魂~♪頑強な街~♪そう、頑丈な国ぃ~♪』


――ルッタタ~ルッタタ~、ルッタタ~ルッタタ~♪



・・・・・・・



 頭の中に流れるメロディーと共に、その国は現れる。


【テハリボ王国】

 直径約250メートル、高さは最大で62メートルにも及ぶ城壁に囲まれ、天井は開閉式の屋根で蓋をした堅牢を極めし国。総面積は約五万平方メートル。これは、かの有名な東京ドーム一つ分という奴である。いや有名ではないのか。そしてこの王国の中に300人が暮らしており、城壁の中には食料自給率をギリギリ賄え無いほどの田畑が存在しているらしい。


 この度俺たちはそんな国に、運良く紛争地帯で拾う事の出来た鉄製武器を売りに来た。アルク曰く、城壁が立派な都市ほど、武器や防具は鍛冶師や騎士らに需要があるらしい。


 無論、侵略国家に渡すような武器は持ち合わせていない。つまり平和的な考え方を持ってしても、武器防具が売りやすい国家なのだ。


「高ぇ~。」


 キャラバンの屋上からプーカと共に、聳え立つ城壁の高さを仰ぎ見る。

 威圧的な見た目である。堀や壁からは針が飛び出し、入出口や地形の構造は複雑。壁に掘られた紋章のような装飾は、対魔法用の緩衝力を持つのだろう。


 物理的にも魔法戦略的にも万能な防衛力を持ち、複雑なその構造は、敵を絡めとって殺める為の工夫が張り巡らされているはずだ。



――――――――


{頑丈な国『テハリボ王国・関門前』}


「初めての隊商様には専属の案内人が付きます。素性が分かり交流が増えれば案内人は付きまといません。言葉を濁さなければ監視役、防衛上の懸念の為です。ご容赦下さいませ。」


――雇わなくて良かった~。


 俺たちは吟遊詩人の顔を思い浮かべて安堵する。


「いいえ、歓迎します。」


 そう言って俺はキャラバンの扉を開け、紋章の入ったローブを纏う眼鏡の案内人を招き入れた。この紋章は恐らく公人であるという証拠なのだろう。


 しかしそれでも、若干痩せ細っているように見えたのが不思議だった。何故なら民が痩せ細っている国の公人は往々にして、ふくよかな者であったからである。


――着痩せするタイプか?


 いや、この地に限っては不思議でも無いのかもしれない。

 何故ならこの国の特徴は、城壁内に田畑を内在しているという所に有るから。


 これは道端で吟遊詩人にばったり会うより珍しいことで、例えば城下町の食料自給を賄う田畑というものは、通常城壁の外に有ったりする。


 しかしこの国では、それらに付随する産業すらも全て城壁内。

 つまりこの国の在り方は、シェルターに近いのだ。


「な、何か付いてますかね……?」


「あ、……いえ。お茶でも飲みますかね?」


「飲まな~い!!」


 プーカは答える。


――お前じゃないわい。









------------------------- 第14部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

③テハリボ大耕地前


【本文】

 俺たちは正面から見て斜めに建てられた大きな門をくぐり、壁と壁の間にある坂道を蜷局とぐろ状に登っていく。

 

 内壁の構造は、まるで異形なカタツムリの中みたいだ。


「城壁の中にはもう3枚の壁が有りまして、合間合間にはトラップが張り巡らされております。人二人分程であれば直線の通路も御座いますが、大きな道ですと2kmほど迂回をしなければなりません。」


「げっ、2km?」


 リザは{蜜出しの木の細枝}を加えながら渋い顔をした。


 一枚目の城壁は黒色であった。外側から見れば戦意を喪失するような重々しい黒色である。

 しかし、内壁には街を想わせるレンガの模様や、こども達が描いたと思われるエキセントリックでモダン的な絵がずらりと続いていた。


「はは……、随分と可愛らしい。」


「保育園と小学校の卒業絵ですね。進軍する蛮族らも、これには複雑な気持ちを抱えることでしょう。」


――やはりそういう意図ですか。


「これらの城壁や防衛手段のあれこれには、残念ながら多大な維持費が掛かってしまいます。しかしそのおかげで、この国は大陸1の堅牢を誇っているとも謳われております。」


「維持費は、幾らくらいなんですか?」


 アルクがすかさず金の話を始める。そういうとこだぞ。


「それは秘密ですな。」


「でしょうな。」


――なら聞くな。


 アルクは腕を組んだまま「ウン」と頷いた。案内人ガイドは笑顔のまま話を逸らすように、次のトピックへと舵を切った。


「さて国土は5ha、全体の2分の1は建築や防衛施設、もう半分は田畑や家畜を世話する場所です。ここを抜けると見えてくるのが・・・」


 素晴らしいバスガイドの声を片耳に挟みながら、窓の外を流れる城壁の絵を眺めている。魔法世界の小学校や保育園とは、一体どんな場所なのだろうか。残念ながらその答えを、俺や彼女は持ち合わせていないだろう。


 俺は退屈そうに窓の絵を眺めるプーカと目を合わせた。


「ナナシ、茶ぁーまだ?」


「プーカちゃん。さっき飲まねぇって仰ったでしょ?」


「え?ワシが?」


――え?じゃない。


 プーカは何事も無かったかのように驚いた顔をした。



―――――――――


{テハリボ城下街}


 合計4枚の壁を迷路のように越え、キャラバンは高い城壁に陰る街々を視界に移す。


「おぉ~。」


 大迫力。


 視界一杯に入る街々の光景は、まるで大事なものを押し込んだジオラマのようであった。内壁には森や空の絵が描かれており、閉鎖感を緩和しているようだ。


 しかしその壁の中にも、幾枚の窓から無数の通路や部屋を覗き見ることが出来た。


「――人口はおよそ300人。

 見込みの有る"若者"や好奇心旺盛な者、愛国心に溢れ第二の暮らしを求める健康な"老人"などは、積極的に国の外へ出向き、近くの村で暮らしたり、ウェスティリアへの留学や引っ越しなどを行って、それで300人前後。多くて350人を超えないように人々が暮らしているのです。」


「なるほど。」


 城壁の中には軍服を着た人間が見える。


「生活はみな厳しいですが、戦乱の世においても平和を願い続け、大陸1の最高の防衛力を保持するこの国は我々国民の自信と安心の源、そして偉大なる誇りなのです。」


 俺は肩に乗った黒猫エルノアに小声で話しかける。


「良い国だな、エルノア。」


「全くだな。」


 エルノアは皮肉屋である。

 そしてこの声色は皮肉を上げる時のものだ。


――まぁ分からなくも無い。


 ガイドの話も裏を返せば、この国は民が防衛費の為に貧困に喘いでいます。反逆者や反乱分子を簡単に追い出せます。という意味にも取れる。


 しかしそれでも、戦争を自ら起こさないというスタンスは、とても興味深い。

 まぁ「起こせない」が正しいニュアンスなんだろうけれど。

 


「左右に広がりますのが、テハリボ大耕地です。国民の食料はここで賄っていますので、農家は大切な公人です。というか、もはや村に近いものが有りますね。

 領土はと言えば、この国の周りには広がっていませんから。防衛を司る兵士も国の運営者もみな公人扱い、思えば国民の大多数が公人なのです。」


 耕地で育っているのは恐らく根菜だろう。戦時における最優先食料は腹持ちの良いイモ類だからだ。


 太陽が当たりづらく住居から離れた場所には家畜の小屋が建てられていた。まるでテトリスのように敷き詰められた施設には無駄が無い。


「ゆとりが無いな。」


 黒猫が呟いた。モノは言いようである。


「……そんなんだから黒猫なんだよ。」


「おい、爪を研ぐぞ。」


――どんな脅しだ。


「ユーヴサテラ様の目的は武器の売買という事でしたので、国が管理する武器屋まで案内させて頂きます。ちなみにこの国では武器屋や鍛冶師も"公人"です。内部から侵略されては、堅牢な城壁を持つ意味が無いですからね。」


「分かりました……。」


 アルクは少し戸惑った顔で頷いた。

 恐らく大幅な値段の交渉が難しいと見たのだろう。


「武器を売買された後はお好きに滞在なさってください。観光の栄えた街では有りませんが、歴史館などは大変面白いですよ。何分、この国は敗けたことが御座いませんから。」


「ほう。」


 案内人(ガイド)の青年は楽しそうに笑って言った。見れば街の人達にも笑顔が溢れている。


「余所からこの国に越してくる人はいるんですか?」


 俺は敷き詰められた軒並みを眺めながら尋ねた。

 街々にも、道の幅や家の大きさがある程度決まっているようにも感じられる。


「……うーんと。えぇ、少数ですがおりますよ。大体は婿に入られる方か、戦争を嫌って逃げ込んできた退役軍人といったところでしょうか。

 別段迷惑だとは思っていませんが、増えすぎるのは良く有りませんね。何せ、領地の外は強いモンスターがいますから。田畑は直ぐに壊滅しますので。トホホですよ。」


 だから成り立たないのだろう。


 きっとこの国は300人前後という人口でしか存在し得ない。つまりこの現状はこの国の最高で有り、揺るぎない最低ライン。


 技術の進歩が無い限り、予算不足である現状は変わらないが、それを国民全員が良しとしている。


 全くもって欲の少ない、稀有な国である。


「――平和だな。」


「どうかな。」


 黒猫がボソッと囁いた。







------------------------- 第15部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

④テハリボの武器屋前


【本文】

{テハリボ王国・城下町武器屋}


 俺たちは武器屋の外でアルクを待ちながら、錆びれた城下街を眺めていた。陽当たりは悪く、街行く人たちの服装はボロボロである。

 しかし、この国は平和だ。そして、取引が長い。そして、


「――長いッ!!」


 リザが机を殴った。


「キレんなって。」


「ねぇ、まだなん?」


「いっぱい拾ったからな~。」


 戦場に落ちていた武器類は多種多様で重量感が有った。それらを安全に多く回収できるのはこのキャラバンならではだ。


 実を言えば戦場の武器回収は、戦争を起こした国のクエストにある情報であった。そこに起点を効かせたのは商人であるアルクと、技術士であるリザ。


 特にリザは鍛冶師という側面も持っている。どの武器にどのような需要が有るのかを大きく熟知していた。

 

 そこにアルクの詐欺的な、もとい天才的な口の上手さが合わさればノーリスクハイリターンで、デリシャスな商いは確定的だった。


 もちろん窃盗では無い。戦の芽を摘みながら、戦場に生えてしまった雑草の如き凶器類を収穫しただけ。

 ちなみに俺たちはこれを"収穫祭"と呼んでいる。そう、不謹慎である。


「おっ、出てきた。行くぞ。」


 俺は目を閉じていたプーカの肩を揺すった。アルクはと言えば、どうにも不満気な顔をしていたが、こういう時、悪い結果であることはまず無い。


「どうだった?」


「全部売れた。ただ、もっと高く売れたはずだったよ。でも武器商がいちいち値上げ交渉をする度に財務担当に確認を取り始めるんだ。……アレが厄介だった。」


 アルクは膨れ上がった財布を持ちながら、武器屋の看板を睨みつけた。


「超グッジョブ。」

「――ぐっじょぶ。」


 俺とプーカは親指を立て、アルクの方へ掲げる。


「ユーブサテラ様、この度は良い取引でしたね。さて、名残惜しいのですが私はここで別のお方の案内をしに向かいます。ごゆっくりテハリボをお楽しみくださいませ。それでは!」


 ガイドは深々と頭を下げ立ち去って行った。


「ありがとうございましたー。」


「ばいび~」


 アルクは頭を下げ返し、俺とプーカは適当に手を振った。


 一応の目的は達成されたから、これからすることは特にない。街を観光しようにも、本当に見る場所は少なそうだ。


 辺りを回っていれば夜が更けそうだが、宿を利用するような浪費はしないだろう。


 というか慣れない安宿で寝るよりかは、キャラバンで寝た方が落ち着くのである。 

 食料貯蔵がギリギリなこの街では、珍しい料理も期待できそうに無いし。


「どうするナナシ~?」


 リザが運転席にもたれながら聞いてくる。


「まぁ、歴史館行って国を出る感じかな。一見さんの俺たちが不審な動きをするのは宜しくないし、何よりも買えそうな物が無い。」


 俺の意見にアルクも頷いた。


「そうだね。交易もあんまり盛んじゃないみたいだった。長居しても仕方が無いかも。」


 そうして俺たちは、城下街の外れにある歴史館へ向かった。

 敗北の無い防衛戦の国史はさぞかし痛快なものが有るのだろう。


 観光客の少ないこの国においても盛況な場所であるのなら、それはさぞかし面白いものが見れるはずだ。





------------------------- 第16部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

⑤テハリボ王国のジオラマ前


【本文】


『テハリボ歴100年ッ!!記念すべきこの日に、不落のテハリボを落して見せようと息巻いたアレクサンドロスの大軍勢を3枚目の壁を持ってして跳ね除けたのが、この第一次ア=テハリボの戦いッ!!まずアレクサンドロス軍は1枚目の壁をトレビュシェットという兵器で砕こうと謀った、しかぁしッ!!テハリボの誇るこの大壁は特殊な魔鉱石を合成した壁であり、奴らの投石をものともしなかったッ!!これがテハリボが……』


 この人は、歴史館の案内人でも国の凄い人でも何でもない。

 俺たちが旅人とみるや話しかけてきた一般人のしわっしわの御老体である。


「はは………、おぉ、すごい!!」


 話は確かに面白いが、戦争の大半が圧倒的過ぎる防衛成功譚で飽きてしまう。中でも面白い話は大抵、テハリボ王国が追い詰められた時であった。


 特に国が陥落しかけた話は、御老人の興奮度がピークに達し、顔を真っ赤にしながら鼻息を荒らげて話し込んでくれた。


 もはや陥落しても喜ぶんじゃないだろうか。


 しかし、大規模な戦闘が有ったのは、直近では数十年に遡るほど遠い過去の話で、この国はやはり他国に比べ、長い間平和であった。


『してッ!!あのアイギスが陥落した日より、この国は世界で一番堅牢であるとの称号を得た。つまり世界一ッ!!この国は世界一の盾ッ!!』


――熱い。そして長い。愛が凄いんだろう。あと唾が凄い。凄い飛んでる。


「ねぇナナ~、腹減った~」


『――更にィ、テハリボ歴125年の節目ッ!!!』


「う~ん。」


 テハリボ国のジオラマを見ながら、老人は熱弁。

 プーカは俺の服を掴みながら「飯飯」叫んでいた。


「あ、ありがとうございます。……野宿の準備も有るので、僕らはもう旅に出ます。」


「――そうかいそうかい、それは残念。気を付けてな旅人さん。」


 思った以上に時間は潰れ、短いようで長いテハリボ王国の滞在が終わった。



――――――――――


 キャラバンはテハリボ王国を出国し、可能な限り距離を離していく。あの王国の周囲はモンスターが強すぎる為だ。

 しかし、陽が沈むまでは2時間といったところか。あと30分も走らせたら野宿の準備をしなければならない。


「俺たちのキャラバンも、あの国くらい頑丈だったらな~」


 俺は窓の外の夕日を見ながら言った。


「冗談言うな。充分頑丈だろう。……それに、あの国よりかは飯が有る。あの国の人間は可哀想な奴らだよ。」


 黒猫エルノアは髭を揺らし、淡々とそう言った。


「どうだかな。可哀想かどうかは本人たち次第だ。

 少なくとも、戦争とは無縁って事実だけに幸せを感じる人もいる。きっとあの国の人達は、貧しくも幸せだったんじゃないのか?」


「ふん。」


「それにみんな、国を攻撃する誰かに対しての共通の敵対意識を持ってた。あぁいうのは人を結束させるんだ。連帯性も協調性も団結意識も生まれる。小さな国だったからか、みんな友達も多そうだったし。お前と違って」


「知るかバカ……。ちね。」


 フードの中で拗ねて丸まったエルノアの背中を撫でる。

 しかしあの国で戦える兵士は多くても300人なのだから、実際はどうなのだろうか?

 ――歴史上はそうであったが、本当に不落なのだろうか。


 俺はそんな疑問を抱き、戦争の何たるかを知っていらっしゃる我らがクランの技術士リザに質問を投げる。


「リザならあの国を落とせるか? 例えば3000の兵士を持ってたとして、あの国を攻めるとする。」


 返って来た答えは、意外なものであった。


「簡単だな。」


 リザはそう言って溜息を吐く。


「へぇ、そこまで仰る。でも、どうやって? ……兵糧攻めも意味無いぞ?」


 俺は隣に座る自信家を更に問い詰めた。

 しかし、返って来た答えはまたまた意外なものであった。


「ナナシ。あの国は堅牢なんかじゃないよ。……落とすに値する報酬リターンが無いんだ。経済的価値も、戦略的価値も。脅威も。逆に言えば、征服すれば300人の奴隷が必要になる。――だって普通は住みたくないだろ、あんな場所。」


――報酬リターンが無かった?


 まぁ、言われてみればそうだ。あの国はあの国の中でしか活動出来ていなかった。

 それに人間誰しもお腹一杯ご飯を食べたいし、広い場所に住みたいと考えるだろう。


 そう例えば、代々受け継がれる強い愛国心や戦争への過度な恐怖が無ければ、普通はあの国に心を囚われるなんてことは無い。


 何故ならあの国に住むだけで、高い防衛維持費という強烈な借金を、国民全員が背負うことになるから……。


「あと奴隷は簡単に国を転覆させ、新国家を容易く樹立できるだろうな。何故なら奴隷の監視人すら足を引きずるコストでしかないから、やはり多くは配備出来ない。

 国民は10% すなわち30人でも謀反を起こせば、強烈なストライキになり国に打撃を与えることが出来るし、大義も無く攻め入った国は各国の信用をも失うはず。アクセスも悪いから、人員の補充にすら難儀するだろう。そんなんだからあの長い歴史の中で、初めから誰も真面目に攻めちゃいなかった。」


「はぁ・・・」


――おれはポワっと、感嘆の溜息を吐いてしまう。


「つまり。あの国を落し得るような大国は、不可能だから攻めなかったんじゃない。攻める意味が無いから攻めなかったんだ。中小国規模の「攻めよう」と考えたバカな国は、独裁者の無能が見事に発揮されたか御遊びだったんだろうな。きっとそれが難攻不落を誇るあの小国の裏側さ。本気を出されれば簡単に滅ぶ、仮初の平和と自己賛美に溺れた国。」


「……それマジ?」


「多分ね。」


 リザは頬杖を付いたまま欠伸をして、こう言い切った。


「――結局強さとは、敵を脅かし得る "攻撃力ちから" のことなのさ。」






------------------------- 第17部分開始 -------------------------

【第3章】

第2譚{人狼の村}


【キャッチコピー】

――1つだけ、誰かが武器商を殺し得る条件が存在した。


【サブタイトル】

①恐ろしい夜にて


【本文】

――ピシャッ!!


 と、闇夜を裂くような雷鳴が轟く午前0時。


「うるさいな。。。」


 貸し出された枕に顔を埋める彼は、村の騒がしさに眠れずにいた。雷鳴のせいではない。酒に酔った村人たちの宴が、昨晩の22時から続いていた為である。


――勘弁してくれ。


 夜雨と稲光は天邪鬼だ。その日の風は身体を押すほどに強く、それに催促された気だるげな雷雨が降ったり止んだり。


 魔法生物学者である彼にとっては、都から飛び出しフィールドワークに勤しむここ数日間は、安宿に身を委ねる事すら未体験づくしの「冒険」であるに違いない。


 ましてや木造の薄い壁に響く全ての音は、彼の睡眠を妨げるのには充分な騒音で有った。


「クソっ・・・」


 咄嗟にベッドを飛び出して、彼はトイレへ向かっていく。


 隣の家は未だに煌々とした光が窓の外へ漏れ出ていた。田舎町には珍しい夜更かしの光景である。トイレの窓からまどろみの中で彼は眺める。


――雨が、止んだ。


 窓から入る心地よい夜風に吹かれ、彼は何気なく外に出ることにした。安宿の一階部屋から食堂を右手にエントランスを抜け、湿った道の真ん中に立つ。


 ぼんやりと流動する雨雲の隙間からは、僅かに月明りが漏れていた。


「――ん?」


 こんな夜更けに少女が一人、武器屋の正面扉の鍵を開けて入っていくのを彼は視界に捉える。この辺りは夜行性の肉食動物が出る地域。いくら不審者が少ないとは言え、彼にとっては危うげなその光景が、彼の脳裏に焼き付いていた。


「まぁ、いいか。」


 彼は湿気た煙草を咥えて火を着ける。


――プカァっと吐いた煙が、妙に重々しかった。

 

 これも情緒であると彼は飲み込む。

 慣れない土地に慣れない景色、そんな場所で吸い慣れた煙を吐き出す一時。


「チルい。」


 慣れない言葉を彼は独りでに呟いた。


――第一発見者{ライ=アリエス}が、死体を発見した六時間前のことである。



 






------------------------- 第18部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

②オクタノギルド本部館


【本文】


「紙面の通り、ヴズールの村での殺人事件です。依頼主はこの村の村長様で、報奨金は結果に応じて渡されます。目撃者があのテーブルに座っている彼です。今から旅立つそうなので、話を聞いていかれてはどうでしょうか?」


 ナップザックを背負い靴紐を結んでいる男を指差し、ギルドの番台係が俺に耳打ちをした。


「しかし、無残な死体だったそうなので、気遣ってあげて下さいね?」


 分かってるっての。


―――――――


{近隣八つの村の連合組合・オクタノギルド本部宿}


 ここらの売買取引は物々交換が基本となっており通貨は普及していない。そこで次の街へと向かう費用としての小遣いを稼ぐ為、俺たちは久しく普通にクエストを受けていた。アルクは大分落ち込んでいた。トレーダーとして屈辱だとか何とか言ってたが、トレーダーならこんなルートで大陸を歩かないだろう。


 そう、お前の本職はトレーダーじゃないのだ。すまんね冒険者。


 俺はなにやら調子よさげにニヤつくプーカの頭を撫でる。


「プーカ、余計なこと言うなよ。」


「ヘイヘイ、へへへへ、ヘモグロビンは~、真っ赤な血~♪」


――クソガキめ。


「こんにちは。」


 俺の声を聞き一瞬肩をすぼめた男は「やぁ」と挨拶を返した。いたって普通の好青年といった感じ。しかし、寝不足感のある大きなクマをぶら下げている。


「近隣の村で起こった殺人事件に関するクエストを受けた冒険者です。単刀直入に言いますが、無理なく話せる範囲で何が起きたのかを教えて欲しい旨。」


「むねむね」


 そう言うと男は、また一瞬肩を震わせ露骨に嫌な顔を見せて返した。


「へ……、へえ、珍しいね。こういったクエストを受けるような冒険者は、大体金をふんだくるのが目的の詐欺師だっていうのに。だから報奨金は村長委託の信用払いになったんだろ、もし仮に犯人を見つけても、村長側が支払いを拒否することだって有る。その、み、都の自警団が来るまでは、関わらない方が身のためだよな普通。そう互いに……。」


「そして、遠い都からやる気の無い自警団が到着した頃には、証拠は消え去り事件は泡と消える。酷い惨状だったとは聞くが、誰かが助力することで変わる問題も有る。それが俺たち冒険者所属証(ライセンスホルダー)と、ならず者との"些細な"存在意義の差です。信用払いは確かに好きじゃないけど、多くの場合においても信用がなきゃ仕事は始まらない。」


「そうかい。ただ"そういうこと"だけじゃ、……無いんだけどな。」


 ヘラっと引きつった笑いを浮かべ、男は俺から目線を外した。


「その。。。死体は惨殺だった。胴体に三本の大きな裂傷と噛み傷、そして頭部が無くなっていたんだ。ハッキリ言って、アレは人間の所業じゃない……。」


「人間の所業じゃない?」


 男は青ざめた顔のまま続ける。


「あぁ。出血と服の形状で判別が難しかったがあの裂傷は間違いなく。そう、出るんだよあの街には、人狼ってやつがさ……。」


「人狼……?」


「そうだよっ、だからアンタらにはどっちにしろ事件は解決できないって言いたいんだ。単刀直入に伝えればな。……だから自警団を待つしかないが、その頃には村人は誰一人として生き残っちゃいない。今頃あの村は血の海、だから僕は逃げるんだ。この時期の人狼は、何人食っても食い足りないはずだからな!!」


 なるほど。現地には早めに向かう必要が有りそうだ。

 使い物にならない扱いをされている現状には不満だが、これは難儀な話で、今聞いた証言がギルドに伝われば、頼みの綱であるこのクエストがおじゃんになる。


 そうなれば俺たちは、これから暫くは腐った肉で腹を満たしながら、互いの機嫌と便秘がアルマゲドンな旅路を進むことになるだろう。I don't wanna close my anus...♪そうなればユーヴサテラは解散の危機である、それだけは避けなくては。


「分かった。人狼と分かれば直ぐに村を捨てて逃げるさ、ただ俺たちは――」


「い、命が無いぞっ!!僕は生物研究者だから分かるっ、紛れ込んだ人狼は一人じゃない!! 足跡を見たんだっ……!!」


 それが事実であるならば厄介な話だが……。


「ただ俺たちは。――今、この場から去ろうとしているあんたも当然疑っている。」


 俺がそう話すと、プーカがにやっと笑い、男を指差した。


「犯人みっけ!」


「やめなさい。……まだ八割くらいしか怪しくないでしょ……。」


「――そんなに怪しんでいたのかっ!!」


 男は驚いたような声色で言った。


「当たり前だろ、俺たちが調査をせずに得するのは偽善者と犯人だ。ならば必然、俺たちから村を遠ざけようとするアンタも大概怪しい。」


「な、それも、そうか……。」


 俺は適当に男の手を取り、握手を交わし、勢いまかせに話を続ける。


「ってことで協力どうも、俺達はもう出るとします。まぁ、あんたに関しては本当に生物学者かどうかを洗えば白が出そうだし、本音を言えばあんまり疑っちゃいない。情報どうも。それじゃあまた会えたら。」


 時間が無いのは事実である。残りの村人の安否も分かっていない。俺は男に手を振ってすぐさま踵を返した。


「ま、待ってくれ無名の冒険者。名前だけでも教えてくれないか。せめて僕は君たちの無事を祈りたい。」


 そういうと男は黄金色をしたリングのネックレスを取り出し、そいつにキスをして屈んだ。神なんかに頼るつもりは毛頭無いし、知らない神に祈られても重たいだけだが、こういった一期一会の厚意は受け取っておくべきだと感じる。


「クラン・ユーヴサテラ、ナナシ。こっちはプーカだ。」


「そうかい。」


 男はニコリと笑い目を閉じて言った。


「クラン=ユーヴサテラ。あなた方に祝福を、どうか神の御加護が有らんことを……。」


「――よかろう。」


 プーカが腕を組みながら裏声で言った。


「黙ってなさい……。」


 男は驚愕した顔をパッと見せる。彼の癇に障ったか……。


「――おぉ今、神の声が聞こえましたッ。あなた達は死なない!!無敵だッ!!」


「はは……。や、やったぁ。」


――本当に学者かコイツ。


「うおおおおおおおおおおおおおおお無敵ぃいいいい!!!」


 プーカはそれを聞き、咆哮をあげる。それを見た学者は何やら気分が乗ったのか、不慣れな調子で拳を握り腰に腕を当て腹から声を出し始めた。


「うぅ、うぉおおおおおおおおおおおお!!!!」


 共鳴。大丈夫だろうか。罰は、当たらないよな?


「フンス!レッツゴーナナシ!人狼村ゴー!」


「あ、あぁ……。」



------------------------- 第19部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

③ヴズールの武器屋にて


【本文】


{人狼村・ヴズール武器屋の一階寝室}


「ここで殺されたのは、隣街のアッサムから移住した武器商の旦那で、寝込みを襲われたんだと思いやす……。」


 武器屋の寝室へ俺を招き入れた村長は、想った以上に若い人間であった。村自体も錆びれた様子はなく、比較的綺麗に見える。


「そうですか。」


 寝室までの足跡は複数。現状に至るまで多くの人間が出入りしていたことが伺える。野次馬をいなす警察みたいなのがいない時点で、仕方の無いことでは有るが。


 死体には確かに傷跡が三本、端っこのは浅くて分かりづらいが全体で見れば縦に平行の裂傷で、真ん中の1本が深く入っているように見える。

 そして頭部が欠落し、首には歯形が付いている。


――頭部だけ・・・?


「村長、この村は最近興された村なのですか?」


「はぁ……、良くお気付きで。確かにこの村は、近隣の村や街から人を寄せ集めた若い街で有りやす。歴史はまだ一年と有りません。けれどみんながみんな嫌われ者やならず者という訳では有りやせんで。故郷の古い掟や慣習に嫌気がさし、ならば自分たちで興してみせようと躍起になっている、そういった向上心ある連中の村なんです。」


 人狼にとっては最高の環境という訳か。

 計画を練り、機をてらったとして合点が行くようなタイムライン。


 そしてこれから被害者が増えていったとしても何ら可笑しくない状況。しかし、それなら不可解な点が一つ有る。


「分かりました村長。もう察している者もいるかもしれませんが、僕が思うに、……というか彼が推測していた通り、この村には人狼が紛れ込んでいるでしょう。」


 俺は半ば脅迫して同行させた生物学者、ライ=アリエスを親指でさし、寝室に備え付けられた唯一の小窓を確認する。


 ライを同行させた理由は人狼についての知識が有ったからだ。俺が人狼なら次に学者であるアンタを襲うだろうと、適当に捲し立ててこの現状に至る。


 しかし人狼とて相手は人並みに賢い。この近辺の自警団で指紋まで調べるような技術組織はいないだろうから、俺は公然と素手のまま、窓ガラスの建付けを確認する。


――スライドは良好。だが、人が出入りするには厳しい大きさ。


「ライさん。覚えていないかもしれないが、この窓のロックはどうなってた?」


「わ、分からないよ。けれど、ここは出入りするには少々高い位置だ。から、もし外から入ったとするならば足跡が有って当然。でも昨日は雨風が強かったから痕跡も有るはず。僕が分からないほどに消えているなんてことは……、でもでも、ロックをしていないなんて不用意なことがこういった村で……。」


 頭が良い人なのだろう。けれどライさんは、何処か抜けている感じが否めない。


「痕跡が分かるならこの部屋の状況を見ればいい。そして恐らく、窓から侵入した痕跡は無い。もし雨の日に泥だらけの靴で入れば、窓側の床が汚れているはずだからな。」


「あぁ、そうだね。」


 ライは全く疑いの無い、晴れて納得したような表情を見せた。

 この人は嘘でも簡単に言いくるめられそうだ。


 だが事実として、ずかずかと正面から土足で上がったこの足跡の中に、拭い去った痕跡の無い血しぶきの上を踏みまくったこの足跡の中に、犯人のものが有ると言うのは確定なのだろう。


「多くの人を部屋に入れてしまったのは何故ですか?現場の証拠が滅茶苦茶になってしまっている。」


「すいやせん。興したばかりの村でやしたから、パニックと相まってアッシ自身も動揺してしまいやして、現場をまとめるものがいやせんでした。死体を前にして、取り敢えずは医者を入れ、取り敢えずは薬屋を入れ、手遅れと分かれば追悼の為にと親戚や近隣住民を...」


――なるほど。


「でも、殺した人狼が魔法使いだったら?武器屋に入った痕跡を残さず、店主を殺害出来るような魔法を使っていたら……、その時は、一生犯人を見つけられないんじゃないか?」


 ライが初歩的な疑問を投げかけた。なるほど魔法教養は足りていないらしい。


「もし魔法だったら、死体に残留した"魔素"を調査するプロが呼ばれて解決でしょうね。人の身体に流れ、成長を共にする特殊魔法の性質には明確な個人差があるので。それに、そんな上級の魔法を使えるものならば、白昼堂々皆殺しにして、部外者が来る前にみんなまとめて非常食だ。初級中級程度の魔法であれば、こういった店には悪戯防止兼防犯用の陣が感知するはず。魔法の可能性は限りなく少ないでしょう。」


「そんな陣が...?」


「えぇ、カウンターの上にある水晶を見ればどんな物か分かります。アルク?」


「うん。ここのは、術者にニシンの塩漬けの臭いを吹き飛ばすタイプですね。ノスティア国のヴァルトヌス家産だ。結構いいお値段。」


 そう、限りなく少ない可能性を追っていても仕方が無い。今は冤罪でも犯人を絞らなければならないのだ。なぜなら、粗方絞れれば向こうからボロを出すことも有るから。


 そしてもう一つ重要なのは、確定的な「白」を洗い出していくこと。殺人事件は「黒」を見つけるのと同じくらい、この「白」を確定させていくことが鍵となって来る。


「村長。店主が死んでから村を出た人間は?」


「いいや、そこの彼だけでいやすね。それと、すいやせん。……アッシはさっきから気分が、その、吐き気がするんで、部屋の外にいさせてもらいやす。」


 村長は首を横に振って部屋を出た。確かに隣人の死体を前に、少し無理をさせた。

 しかし、その話が本当ならば、犯人である人狼は潜伏で間違いないだろう。武器屋の正面扉が破壊された痕跡も無いのだから、あとはアリバイを集めて、昨日この店に入れた人間だけを洗えば犯人は大方絞れるだろうか。幸いなことに、村の高台には昨夜も見張りが居たらしい。


――なんだ、思いの外イージーなのかも知れない。


 俺は部屋の外へ赴き、窓を開けて空気の変わった場所に佇む村長へ向けて計画を伝えた。


「……ということですから明日の朝、殺人が出来た人間だけを集めて話し合いをしましょう。ライによれば、人狼は本能的な生き物だと。犯人と疑わしい人間には、人血を入れた杯を目の前に置き、牢屋へいれて確かめます。」


「そう……、ですか。分かりやした。ご協力感謝申し上げやす。」


 そして事情を聴き、情報を集め、焦燥の中で迎えた明日の朝。俺はこの村が抱える大きな闇の渦に、あっけらかんと、呑まれることになるのであった。



------------------------- 第20部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

④青空の集会所にて


【本文】

「可愛いねぇ?」


「むー。」


「あはぁ~、天使でござるな~♪。ナナ~?」


 プーカが抱えるピンク色の服を着た短髪の幼女。当時の深夜、武器屋から出てきたところをライに目撃された彼女こそが、今回の殺人事件の最有力犯人候補であった。名はリエナ、武器商がアッサム街から連れてきた娘だと言う。


「別に、トイレ借りにいっただけだもん。ミカの家のトイレが壊れてたから、お家戻っただけだもん。」


「な、何故彼女はミカさん宅に……?」


 ミカという女性が、おっとりと頬に手を付いて答える。


「う~ん。村長からの頼みでして、可愛いから預かっているのだけれど、良く分からないわ。」


「し……酒乱の酷い方でしたから、リエナの本当のパパでも無いと、何よりも本人から裕福な家で預かって欲しいと言われていましたから、さもなくば山に捨てるとかも言っていましたし。」


 リエナはまた頬を膨らませ、プーカもそれを真似する。


「あいついやな奴!!」


「やな奴~!」


 俺を見るなお前は。


 そして昨晩、ミカ宅では収穫祭のパーティーが催され、多くの人間が互いにアリバイを持っていた。村の高台からは監視役の代わり番が村全体を見張れる位置でツーマンセルの常駐。


 その彼らには武器商との不穏な噂が無く、殺す動機が無い。収穫祭に参加していた何人かは武器商を毛嫌いしていた様子では有ったが、如何せん殺人を起こすには悪条件過ぎる集まり。誰も武器商を殺せない。リエナ以外は。いや、違う。誰もだ。誰もなのである。


「ナナシ。昨日も言ったが、紛れ込んだ人狼は、ひ……1人じゃない。僕は見たんだ。朝に訪れた武器屋の寝室には個体差のある足跡が二種類有った。2人以上なんだ、何処からとか殺り方は僕には分からないけど、間違いない事実がそこにある……!!」


 手詰まりである。村人全員を牢屋に入れる訳にもいかないし、正に手詰まり。なら、村全体に人血の杯を置き、一晩様子を見るか?奴らの次の殺人を防げれば、面倒な推理を挟む必要も無い。


 いいや、ダメだ。これはゲームじゃない。考えろ、俺が人狼ならどうする……?俺が人狼なら……。人狼なら。人狼なら……?


 脳裏に浮かんだのは、頭部だけ消えた死体である。


――そう。人狼なら、可笑しな点が有ったじゃないか。


「村長……。後で調べようとも思っていますが。かつて、この村の周辺地域で、人狼による被害は有りましたか?」


 村長は言葉に詰まったのか、或いは思い出すために記憶を巡らせているのか、奇妙な間をおいて答えた。


「ま、まぁ……。ちらほらと聞き入れていやす……。直近ではアッサム街で現れたと。如何せん、ここいらは田舎ですからね……。」


 なるほど不思議だ。不思議ともう、これしか答えが無い気がするのだ。頭に廻った奇妙な結論。


――しかし、どうするべきであるか。


 しばしばミステリーで多用される消去法とは、選択肢が明確な時に有効なのであって、それは消去し切れるモノが有るから有効なので有って、消去しきれない選択肢が出てきた時、或いは選択肢が見えない時は無力なのであると悟っている。


 そして今回のケースにおいては、もし俺の出した結論が正解ならば、探るという行為そのものがリスクであると考えられる。


――複雑だ。では、どうする?


 答えはいつも単純で明快だ。俺たちはいつだってこういう時は賢く立ち回れる。そしてそれは、つまり、すなわち、ずばり、ぶっちゃければ、"降参"するということ。


「――はぁ。。。」


 俺は辺りを見渡して溜息を吐いた。


「村長、申し訳ない。この事件はどうにも、一介の冒険者には難しすぎる様で、何もかもが分かりかねます。所詮僕らはただの放浪者だったみたいだ。どれだけ探偵面をしようとも、どれだけ推理を重ねようとも、やはり分不相応。この脳みそでは限界が有るのでしょう。いやはや申し訳ない。――諦めることにします。」


 俺がそう言うと、ライは驚いた顔をして言った。


「な、ナナシ。ここまで来て諦めるのか?!」


「だって仕方無いだろ。こういったクエストを受けるような冒険者は、大体金をふんだくるのが目的の詐欺師なんだから。それに、犯人が人狼と確定した以上、俺たちの身が危ない。加えて報奨金を貰えるかは村長の判断だ。もし村長が人狼なら収益ゼロ。まぁ、……あの、惨殺死体を見ただろ。明日は我が身だって話。それよりさぁ~、ライさん。あんた学者だっていう話だったよな?相当金を持ってるんじゃないのか?」


 俺がニヤリと笑うと、ライは戸惑ったような顔をした。


「な、何だ。何が言いたいんだ?」


「いやぁ~、よくも犯人のいるこの村まで、ズケズケと帰って来れたよね~?大丈夫かな~?生きて街まで帰れるのかな~?」


「お、お前ら、詐欺師ども!!!端からそれが狙いかっ!!あぁ~神よ!!ユーヴサテラに天罰を!!神の鉄槌を捧げ給え!!」


「めんど~い。」


「――あぁ、神よ!!」


 ライは膝を付きリングを掴んで、目をパタリと閉じながら天へ叫んだ。


「いいのか?次の街まで"有料"でなら送ってやろうと思ってたのに。あぁ、そんなこと言っちゃってさ。どうしよっかなぁ~。」


「う、ウソです。あぁ神よ、やはり彼らとこの僕に祝福を!!」


「――いいよ~。」


「あぁ神の声!!」


 よし、そうと決まれば交渉の時間だ。


「――アルクっ!!」


 キャラバンの中からはそろばんを弾き、目を光らせたアルクが歩いてくる。


「フフフ……、金額の交渉は中で受けますよお客さん。何処まで?」


 本物の詐欺師の顔をしている。お前の本職はきっとそれなんだよトレイダル君。きみは二度と交易商を名乗らないように……。


「ひぃぃい」


 連行されるようにキャラバンへ入っていくライを横目に、俺は村長の方へ顔を合わせる。さて、本当の交渉の時間だ。


「経緯は聞かないさ、村長。短い間だったけどありがとうございます。珍しいものが見れたよ。」


「は……、はぁ。」


 村長は眉をひそめて、困った顔で俺を見る。


「それと、報奨金を渡すか否かは|村長(あんた)次第だ。その、何もしてない俺たちが受け取るのは良心の痛むところだが、証拠が有れば、つまり金を貰えればギルドはクエストを達成したとみなしてくれる。無論口外はしないさ。犯人は見つからなかったが村を襲う人狼は消え、村には平穏が訪れた。村長はそれに喜び俺たちに報酬を与えた。事件は無事解決。どうだ?」


「へぇ……。そうでやすか……。」


 俺の言葉に村長はコクリと下を向いて「待っててくだせい」と呟き、家屋の中へ。しばらくして現れた彼は、貨幣の入った巾着袋をシャラりと鳴らして俺に渡した。


「何がとは言いませんが、答え合わせのつもりで差し上げやす。……あんたはきっと、良い人だ。アッシはこの村がもっといい場所になると信じていやす。またお越し下さい詐欺師の旦那方。その時はもっと発展したこの村で、最高のおもてなしをさせていただきやす。」


 俺は、村長の後ろに立つ村民たちをぐるりと見渡し、村長と目を合わせた。


「怖いのじゃないよね?」


「へへっ………。」


 若い村長は、気さくに笑ってこう返した。


「そいつはぁ……、どうでしょうかね……。」



------------------------- 第21部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

⑤人狼の村にて


【本文】

「に、二度と乗らないからな!!」


「毎度~。」


 丸眼鏡の中で涙をこぼしたライを降ろし、オクタノギルドが管轄する地域の外れへキャラバンを動かす。天気は快晴の無風だ。俺はデッキで運転するリザの後ろの席に座り、柔肌のような向かい風を顔に浴びながらポケットに入れていた報酬金をちゃりちゃりと鳴らした。


―――――――



「そういえばナナシ。どうして金を貰えたんだ?」


「ん~。」


 背中越しのリザの言葉を聞き、プーカとアルクが耳を立てて近寄って来る。


「僕も気になるな~。」


「プーカも。」


 俺はちゃりちゃり袋を弾ませたのち、それをクランの"財布"に向かって放り投げ、伸びをして空を見上げる。


「おっと、お金を投げるなよ。ナナシ。」


 アルクがそれを大事そうにしまうと、屋上からデッキへ顔を覗かせるテツと目が合った。


「んー、テツは分かってそうだな。」


「……まぁね。お金まで取るとは思わなかったけど。」


 テツは頷くと、眼を細めて少し引いたような顔をした。


「そんな顔すんなって。アルク先生の詐欺師マインドが乗り移っただけだ。」


「な、それは一体どういうことだい?――というか本当に、どういうことだい?」


 アルクは首を傾け眉をひそめると、真剣に困惑した面持ちでテツに詰め寄った。テツはそれを見るやデッキから身軽に飛び降りて、甲板に腰を掛けたのち、腕を組みながら言った。


「――あの村、全員人狼。」


 呆気にとられたようなアルクの顔を眺め、しばらくの沈黙の後「正解。」と言ってみる。


「……え?」


 そして俺は、ことの真相を話すことにした。


「……まぁ、何と言えば良いか。あの事件の犯人は被害者以外の不特定多数だ。まず初めにリエナの身体じゃあ、遺体に有ったような裂傷は残せないという前提が有る。しかしそうなれば誰にもアリバイが無く、誰にも殺すことができない状況が生まれる。

 では、本当に誰も武器商を殺し得なかったのか?その答えは否であり。1つだけ、誰かが武器商を殺し得る条件が存在した。

――それは村人の不特定多数、あるいはその全員が嘘を付いていたとき。つまり口裏を合わせていた場合。アリバイを含めた昨夜の全ての状況が一変し得る結果になる。恐らくはやっぱり、村の子供たち以外全員が嘘つきだったんじゃないかな。村人のアリバイはあまりにも綺麗過ぎていたし、アリバイ無しが生まれない程度には無駄が無かった。実際問題、これは逆に不自然過ぎる。大雨が降りしきるあの夜、村民全員がアリバイを持ち得るなんて不可能に近い。」


 俺は村民たちの顔を思い浮かべて、状況を思い出す。


「――つまり。もっとも大きな。消去法を持っても消去しきれなかった、膨大な選択肢の塊こそが、絶対に正解できない答えだった。

 そうなれば必然、あの村は被害者を含め全員が人狼だった可能性が濃厚になる。何せあの遺体、非可食部の"頭部以外"喰われて無かったからな。捕食目的なら肉は残さないだろ?

 まぁ詳細な真意は結局分からなかったが、如何せん人狼たちが人狼を民意で殺したんだと推測できる。経緯は不明だがそれは民主的に裁かれたのと同義、被告はなんか掟とかでも破ったんだろう。」


「そ、そんな危ない所にいたんだ。でもじゃあ、その推測なら、もしかしたらだよ、中には普通の人も。」


「暮らしていたかもな。可能性として。ただ事実としては、彼らは互いと互いの居場所を守るために皆で嘘を付き合ったんだ。

 ――つまりどんな形で有れあそこは、人狼が居て然るべき場所。{人狼の村}だった。

 もう一つ忘れちゃいけない事実としては、そんな村にポツリと6人異端が混じっていたということ。つまり俺達。だからあの時、優先すべきはライ=アリエスの命。俺たちは彼が脅威に成らないように立ち回る必要が有った。はず、だと思うんだけどな~。どうでしょうか?」


 ユーヴサテラでは、独断での行動があまり推奨されていない。

 今回の件は致し方なかったとはいえ、俺自身がテツや他の仲間に相談せず独断で諦めたのも事実だ。それが如何に好転しようとも、仕方なかったとしても、それを当たり前にしてはいけない、"推奨はされない"というのが、ユーヴサテラの一貫したスタンスである。


 俺はジト目で睨む、隊の参謀様と目を合わせ、機嫌を伺った。


「及第点かな。」


 一応は副盟主のテツがそう言って顔を引っこめると、横からプーカが「9点台だねっ。」と茶化した。


「ナナシ……、ぼ、僕的には、ひゃくてん……!!」


 滅茶苦茶に小声でアルクは囁き、親指を立ててニコリと笑った。……あぁ、現金な奴。俺はそう思いながらニヤッと笑い返し、小さく両の親指を立てた。


「あっ、でもナナシ。もしも武器商が死ぬべき人間では無かったとしたら、君は悪に加担したことになる。そのことについては、どう思っているんだい?」


 ぼやっとした顔をしながら、アルクは中々に核心的で考えさせられることを聞いてきた。

 俺はその問いに対する答えをぼんやりと考える。


「まぁー、それでも。人狼という異形に囲まれていたあの状態から無傷で抜け出せたことを考えればワースだ。思うにこの世界には、――不道徳や悪に加担することで得られる最善も、確かに存在する。」


「なるほど。」


「逆を言えばより明確なんだ。悪に加担する選択肢には最善が無いなんて考え方は、どう考えても絵空事に過ぎないだろ?」


 俺はそう言い終えて茶を啜った。

 このお茶を買えたのも、悪に加担したかもしれないことによる「結果」である。


「まぁ、君らしいね。」


 アルクはそう言って満足気に笑った。




------------------------- 第22部分開始 -------------------------

【第4章】

第3譚{野原の宿}


【キャッチコピー】

――ユーヴサテラはそういったクランだ。


【サブタイトル】

①組まれた薪の周り《登場人物》


【本文】

「ららら、魔法はクソ~♪」


 俺は悪態を口ずさんで、力を込めながらカッカカッカと火打石の火花を火種に向かって散らしている。火種とは笹掻き状にした木の枝や、動物から採った毛を取って丸めておいたものだ。魔法が使えれば全くもって不要な物々である。


「もぉーナナシ、僕がやろうか?」


「甘えるな。ここがダンジョンならお前は無力。経験こそが力なのです。」


 我がクランで唯一魔法を扱えるのが、同じ魔術学院の高導科(高等魔導士学科)に真っ当に在籍中であるアルク・トレイダルだ。学院に在籍している俺たちは現在、謂わば現場実習というような扱いを受けて旅をしている。


 主な理由を上げればアルクは親や許嫁から逃げる為、俺は学寮長が用意した高難易度ダンジョンへの推薦入窟許可証を行使出来る為だ。すなわち、授業料を払わずに利用できるものだけを利用している形となる。そもそも、魔法を使えない俺があの学院で学べることも少ない。それに実習課程を踏める今の今まで、進級出来ているだけで力技も甚だしい。


 無論、シーカーとしての実績を積み上げて入窟許可証が必要無くなれば、いつだって学院とはおさらばだ。アルクに至っては既にトレーダーとしては一流以上であるから、最も在籍している意味が無い。


「日が暮れちゃうよ……。」


「日が暮れたら魔法で頼む。」


「はは、プライドとか無いな~。」


 さて、今何をしているのかと問われれば難しい。だが最もオブラートに、分かり易く妥協した言い方をするならば、それは{キャンプ}だと言えるだろう。


 もっとも俺たちにはキャラバンという家が有るわけで、新築一戸建てを所有し、居を構えていると言えばそうであるから、キャンプという粗雑なものと同一視されるのは不服だが、キャンプをしている。


 家が有るのに焚火をしている理由は、竈を既に利用しているから。そして情緒が有るからです。そう、チルいのだ。


「ららら、魔法はクソ~♪現に、人類ほとんど使えない~♪」


「まぁそうかも知れないけど……。いや、厳密にはそうじゃないかもしれないわけで……。」


 魔法を扱うには膨大な知識がいる。それは例えるならば1から銃を製造し、発砲するまでの手順まで頭に入れておくような、或いは例えるならば、誰でもその人物が特定できるような完璧なデッサンを行うような、そんな所業。修得するにはそれ相応の時間と環境が必要になる。


 しかし、生活になんら転用できない「殴り書き」のような粗末な魔法で有れば扱える人間は少なくない。これがこの世界で無魔ノイマと呼ばれる無能力者への差別が広く波及してしまった理由。いつだってネガティブな要素のマイノリティは肩身が狭いのだ。


 丸太の上に座り、俺たちは起きない焚火を眺めている。いずれ情熱的に燃える木々たちの、燻っているポテンシャルを眺めているのだ。


「魚獲れた。」


 川原の方からは黒髪のショートヘアに雫を滴らせたテツが歩いてくる。出会ったばかりの頃は長髪だったが、旅をするに従い髪を切ってしまったせいで、今や女子ウケの良さそうな美男子みたいになってしまった。


「何?」


「なんでもないです。」


 俺は目を逸らす。表情から感情を読めないのは彼女の長所であり、コミュニケーション上は弊害というか少し探り探りに気を使うところ。もう少し月日を経れば分かるようになるのだろうか。


「腹減った~。」


「減った~。」


 後は飯が出来そうな匂いを感じ取り、キャラバンから出てきた赤髪マッチョと下品なチビガキに猫を添えれば、{ユーヴサテラ}の完成である。何と愉快なクランだろう。最高に居心地が良い。


「あっ、じゃあ火お願いします。」


「はいはい。」


 俺がそう言うとアルクは杖を取り出し、焚火に一瞬で火を起こした。








------------------------- 第23部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

②焚火の周り


【本文】

 無魔ノイマ(=魔法を使えない人間のこと。)がイジメられる職業が有る。

 1に戦闘家、

 2に冒険家、

 3に探索家だ(全て個人差がある(俺調べ)。)


 そして俺たち{ユーヴサテラ}は5人中4人が魔法を使えず、このランキングの上位三つを総なめしているという快挙っぷりである。


「焼けた?」


 パチパチと燃える火に、魚の脂が炙られその身と共にジワッと焼ける。大事なのは焦らないことだ……。じっくりじっくり、その時を待つ。


「そろそろだ……。」


「美味ぇ。ナナシ天才。」


 ハフハフとフワフワの身を冷ましながら、プーカはパリパリの皮目に歯形を残す。


「いや、それまだなんだけど………。」


 溜息を一つ吐き、焼けたと思われる魚から皆に配っていく。プーカは先にかぶりついてしまったが、生焼けでも無さそうだし、良い毒見担当になった。


 塩加減も……、うん。悪くない。


「ハフッ……、ん、そいで……、次は何処へ向かうんだっけか。」


 リザは魚に被り付きながら、俺に視線を向ける。彼女は鍛冶師で有り技術士でありキャラバンの操舵士(ドライバー)だ。それ故にこういった打ち合わせは毎夜の如く行われる。


「東の方に街とダンジョンが有るらしい。だから東で……。」


「本日もまた、ハフッ……、アバウトだな。」


 明確な目的地が無い時は、計画も適当になる。それこそ他国との交流が無い街に着いた時や文明の未発達な国に赴けば、隣国への地図が無いなんて事はザラにある。


 俺は焚いていた釜の白米をお椀によそい、焼魚の脂を乗せて、醤油ベースの甘味ダレを小匙にすくってトロリと垂らした。


「そんなもんだろ、旅なんて。」


 言葉を紡ぎながら、タレと魚を乗せた白米を口へ掻きこんでいく。

 少し熱いが中々……、うん。これもジューシーで美味い。


「まぁな。私も好きな所に行けるし、万々歳。」


「行き先を決められないなんて、僕はトレーダー失格だよ………」


 リザとは対照的にアルクは肩をガックシと下げて俯いていた。確かに目的地はアルクが指定することも多い。小さい頃から各地を転々としていたアルクの商売勘や土地勘は、クランにとって大きな指針となるからだ。しかし、交易商売をするだけが{ユーヴサテラ}では無いのだから致し方ない所もあり、現状トレーダーとしては充分過ぎる程に働いていくれている。


「キャラバンは調子良いんだろ?」


 その言葉にリザは軽く頷いて、咀嚼が終わった後に自信満々に言った。


「いつも通りだ、何処へだって行けるさ。」


 この言葉は文字通り、火の中水の中、モンスターの群れの中ですらという意味でも有るのだろう。


 この世界には荷車探索法キャラバン・シーキングという言葉が有るが、その最たるもの。否、その枠組みにすら当てはまらないほどにキャラバンを駆使する探索士隊シーカークランこそが、俺たちなのである。




------------------------- 第24部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

③焼いた魚串の周り


【本文】

「まぁお金に関しては、徐々に返せてはいるよ。テハリボの交渉も結構な額を引き出せたし。人命にお金は換えられないから、気負うことは無いよ。」


 アルクは俺をフォローするように言った。借金とは最初期に発生したキャラバンの改造費と諸々の賠償金である。人件費は無い。リザが仲間になったからだ。

 

 そんな俺たちでも、ただ借金を返済しながら各地を回っている訳では無い。この旅における明確な目標は一応確りと、2つも存在している。


 一つ目は新大陸への渡航だ。ウェスティリア地方、西側に広がる果てしない毒の海を越えた先には完全なる未開拓領域が広がっているとされている。


 未開拓とはつまりその全てがダンジョンであるようなものであり、正式な渡航には探索家クランとしての高い実力が認められるか、自ら航路を開拓する2通りのルートで新大陸への道を切り開くことが出来る。しかし新大陸の情報は渡航手段を含めても秘密が多い。


 つまり新大陸へは前者として受動的に目指すにせよ、後者として能動的に目指すにせよ、俺たちはまずその「情報を集める」ところから始めなくてはならないわけで、どちらにせよクランとしての知名度や影響力は必須事項と成って来る。


 二つ目の目的は生命の泉を見つけることだ。生命の泉とは不要な不幸を跳ね除ける聖水が採れると謳われている場所だ。不要な不幸と言われれば複雑に聞こえるが、要は他者が要因で受けた障害や傷を癒す効能のことである。


 発端は飽くまで個人的な話で、下半身の麻痺した大切な友達の為に一肌脱いでやろうと思い至ったのが始まり。


 そしてその生命の泉は、この『オルテシア』大陸に存在しているとされている。西海から先に広がる大陸を新大陸と称せば『旧大陸』の何処かである。理由は古い文献からである。


――古の大陸。5つの文明に5つの神域在り。南に冥界、北に天夢、西に鏡面、東に深淵、未だ神秘は見つからず。


 だったか。


 神域とはこの世界における『神々の領域(エル=ダンジョン)』であるとされる説が最有力であると囁かれており、旧大陸オルテシアには現在

 南方サステイルの【神々の墓標・エル=アラム】

 北方ノスティアの【神々の山稜・エル=サミット】。

 西方ウェスティリアの【神々の森域・エル=フォレスト】。

 が確認されている。


 東方イーステン中央アイギスには現在様々な説が挙げられているが、まぁ如何せん友達を助けるだとかそんな慈善的な目的を抜きにしても、高難易度ダンジョンを制覇するという快挙は、子々孫々に語り継げる偉大な功績と成り得るのだ。


 往々にして優れた探索家はその生涯を、末代のままに幕を閉じていくのだが……。


 つまり、安全はやはり第一ということ。


「もう寒いのは嫌だよ?」


 ダンジョンの話題となれば、このクランにも一応その手のプロがいる。{テツ・アレクサンドロス}ダンジョンで生まれ育った彼女は、この弱小クランを探索家(シーカー)クランという形に留めている唯一にして最大の要因だ。


「もちろんだ。俺も嫌だしね。」


 年齢は彼女自身も知らないらしいが、様相はまだ幼さを残している。シーカーライセンスは『B級プロシーカー』。つまり彼女は天才だった。驕(おご)りを許さないシーカーの世界では未だアマチュアだと謳われることもあるが、全体としてみれば一人前の世界の住人である。入窟を許可されないダンジョンもほとんどないことだろう。俺たちと一緒じゃ無ければね。


「………それ、美味しいですかね?」


 俺はテツの持つ串に刺さった焼魚を見て言った。焼き加減はアレが一番上出来な仕上がり。


「うん、さすが僕だ。」


「焼いたのは俺……。」


 テツはボーっしていることもまま有るが、無口という訳ではない。そして飯も良く食べる。総じてこのクランは全員が良く食べる。しかしその中でも特段食費を圧迫するのは碧髪のチビ、プーカだ。



------------------------- 第25部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

④香ばしい蒲焼きの周り


【本文】

 ユーヴサテラはもともと連盟であった。それをプーカと出会ったばかりの頃、血盟として強引に名前を渡したのには複雑な経緯がある。しかし、彼女の実力はと言えば単純明快。最強クラスの荷物持ち|(ポーター)だ。キャラバンの総計は1tは有るかもしれないが、プーカなら安々と持ち上げるだろう。そして彼女には薬師としての一面も有る。ダンジョン固有の動植物を食べる時は、プーカの毒見と判断が必須なのだ。

 薬師としてのスキルに伴い、プーカはユーヴサテラの医療を司っている。一見ちゃらんぽらんであるが、探索家としての役割の豊富さは、他クランが喉から手が出るほど欲しくなる程の才能なのである。


「ナナシ、タレとって~。」


 プーカはそう言うと、俺が渡した秘伝たれの小壺の蓋をキュポッと快音を響かせながら開け、中のタレを魚に塗りたくり、そのまま火の上で炙った。


「へっへっへっへ。じゅわじゅわ~」


 タレに包まれた白身と皮が香ばしい匂いを上げて焼けていく。


「おぉ~。革命。」


 俺は拍手をしながらそれを真似して焼いていく。


「さぁここで料理界の革命児{プーカ・ユーヴサテラ}さんに起こし頂きました。えぇ、貴方にとって料理とは。」


「ふん、我が"人生"であります。」


 特に深い意味は無さそうだ。俺はそのままマイク代わりに渡した最後の魚の串をプーカの前の地面に置いた。


「ちなみにナナシ氏、これが最後でありますか?」


「そうであります。」


「もっと獲って来いであります。」


「黙れであります。」


 俺は残った串を焚火にくべて、煤を払って立ち上がった。


「デザート作って来るわ。」


 贅沢は敵だが、カロリーは勇者。まぁ特に深い意味は無いが、砂糖と小麦が余っていたので、ミルクレープとそのシロップでも作ろうかなと思っていた。スーパーもコンビニも無いこの世界だが、やれることは多い。魔法が使えれば調理はもっと楽にできるし、良いことだって結構ある。

 そう言えばスーパーとコンビニで思い出したが、俺にはもう一つ、崇高な目標が存在した。それは古い記憶にこびりついた"魔法の使えない世界"と、この魔法の使える世界との因果、関係性を解き明かすことである。実に、この願いは叶ったら良いなくらいに思っている。旅の途中に調べたいサブクエストのようなものだ。何故なら今はそんなことより、この世界への好奇心が収まらないから。


「ナナシ、手伝おうか?」


 アルクが横から顔を出し、テツが眼を擦りながらキャラバンに戻って来た。


「……僕はもう寝るよ。おやすみ二人とも。」


「え、あぁ、おやすみなさい。」


「おやすみー。」


 みんなマイペースでそれぞれの方向を向いているが、明日にもなれば俺たちはまた、一つの方向へ進んでいく。正に一蓮托生。ユーヴサテラはそういったクランだ。



------------------------- 第26部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

⑤交わされる約束の周り


【本文】

 ユーヴサテラを語る上で外せない人物がもう一人いた。否、人物と呼べるのは彼女がその姿をした一時だけであろう。


「みんな寝たか……?」


 キャラバンの屋上に座る俺の背後で、星天の夜に溶け込むような真っ暗なローブを纏う、黒猫だったエルノアが姿を現した。


「さぁな。」


 俺は屋上の欄干に見える木目をサラっと撫でる。

 綺麗なもんだ。傷一つ無く粗も無い。


「たまには掃除をしろ。」


 ふてぶてしい口調で、エルノアは俺の隣に座る。魔女帽でも被れば立派な悪役になりそうな見た目である。幼さの残る均整な顔立ちはいつ見ても無駄が無い。


「いつもしてるさ。」


「足りない。」


「そですか。」


 さて、人物とは言ったものの、彼女は人ではない。無論人の姿をしたときは人としてなんら遜色ないものである。猫の姿をすれば人語を喋れるビックリ動物に成るだけで、それを可能とするのは彼女が「精霊」という括りの生き物であるからで、すなわち俺たちとは能力も素性も一線を画す。


「懐かしいな、こういう夜は。」


「そですね。」


 エルノアは顎を上げて、満天の星空を見つめた。肩よりも伸びた長髪がサラサラと風に当てられ綺麗に流れていく。母親によく似たのだろう。


「ボクの別荘はまだか?」


 別荘とは新大陸のことである。

 

「キャラバンで空でも飛んでくれ。」


「そうだな、一番重い奴が降りれば飛べるかもしれない。」


 エルノアはふふっと笑って俺を見た。


「今度リザと交渉してみるよ。」


「殴られそうだな。」


 新大陸の渡航とは、シーカーとしての最大の栄誉であり最高の通過点だ。

 そんな一部の人種が熱狂するような目標を精霊である彼女が期待する理由はひとえに、彼女が大量殺人鬼であるからである。


 その罪は多岐にわたる。場所も量も方法も。


 しかし俺たちは彼女を守っている。素性を隠し通し、身分を欺きながら。底辺クランの防人として共に旅をしている。これも理由は単純なもので、そうしたいからそうしているのだ。


「まだ寝ないのか?」


「――君は?」


「見張りだ。」


 これは夜更かしする時の常套句である。


「必要無いだろ。」


――それもそうだ。ここはダンジョンでも何でもない唯の野原である。モンスターの気配も無い。


「お前は寝ないのか?」


「猫は夜行性なんだ。知らないのかニャ?」


「こういう時だけ猫ぶんなよ……。」


 ふざけた奴だが、凄い奴ではある。

 彼女は新大陸への渡航経験があり、【神々の山稜・エル=サミッツ】を帰還した生物。字ずらだけなら伝説級にシーカーしている。その武勇伝が伝播することは多分一生涯無い訳であるが。それでも、ユーヴサテラ発足以来、最初で最小かつ最高の仲間だ。


 例え名目上、犯罪者であったとしても。


「ノアズ・アーク……。」


 エルノアは浅い息で囁くようにそう唱えた。呼応するようにキャラバンの木板は月型に隆起し、彼女の背中を優しく撫でる様に変形する。


 即席のソファの完成である。


「一人分ですか。」


「ふふん。なぁに、一緒に座りたいの?」


「いいや、床サイコ~。」


 俺は寝っ転がって伸びをした。人間とは欲深いもので、無いものを欲してしまうものなのである。それは精霊も同じ。


「舐めるな。こうするだけだ。」


 エルノアはそう言って月型の木のソファを平らな床に変え、星空と見合うように寝転んだ。結局は同じ体制である。


「そう言えば……。」


 エルノアは思い出したかのような顔でこう聞いた。


「君は元の世界に戻りたいと、思う?」


 難儀な質問だ。


「どう考えても、こっちがホームだよ。エルノア。……ただ、こっちにいる限りは、また魔法が使いたい。」


「そうか。」


 そして難儀な目標である。


「見つかると良いな、生命の神泉(エル=ヴィータ)。」


 エルノアは微かに笑った。


「運んでくれ。船主様。」


「勘違いするなよ。盟主はプーカだ。操舵士はリザ。先導手はテツ。どこに行くかは皆で決める。君がそうやって決めたんだ。君がボクを連れていくんだよ。」


 ここぞとばかりに、


「そうだな。」


 正論を言う。


「でも良いさナナシ。偶には猫の手でも貸してあげる。ボクなりの猫の恩返しってやつをね。」


「うん。」


 漠然とした光の数々にまとまりを付け夜空という名の闇を開拓したように、冒険という名の闇に触れこの世界を開拓していく。


 そういう職業がある。そういうクランがある。誰一人として欠けてはいけない。


 俺たちは、『探索士シーカー」である。




------------------------- 第27部分開始 -------------------------

【第5章】

第4譚{生きている失われた国}


【キャッチコピー】

――ここが、鉄屑渓谷です。


【サブタイトル】

①ロイアン街のクエストギルド先


【本文】

 ――☆6クエスト(部類:超高難度)『アクエイの護衛』

 ・達成条件:危険地帯で調査を行う対象の護衛。帰還生存。

 ・達成報酬:10万イェル              


「ウマいな………。」


「ウマいな。」


 プーカは俺の声を真似て言う。俺は張り紙を見るや直ぐに剥がして、詳細をしっかりと凝視した。護衛クエストは俺たちの得意分野だ。それに危険地帯と言えど、数多のダンジョンに挑んできた俺たちにとっては塵以下の危険(リスク)。ウマい。これは余りに……ウマい。


「よし、プーカ。唾つけろ。」


「――ブゥッ!!」


「よしっ!!」


 俺は唾液の飛び散った張り紙を持って番台に突き出した。


「――これ受けます。」


「嫌ですッ!!」


 嫌ってなんだよ………。



――――――――


{ロイアンの街『クエストギルド』}


「ぶ……文明学者のアクエイです。この度の申し出には大変感謝しております。私の目的はこの街の近くにある鉄屑渓谷という摩訶不思議な場所の調査を行うことです。つまり僕はその場所専門の学者でして、探査も何度か行っていまして多少地理には詳しいのですが、何分ですね、昨今あの渓谷で同業者やその付き人、後は観光客の何人かが死亡しまして。……危険地帯と指定された次第なので、御覚悟のほどは宜しくお願い致します。」


――分かった、さっさと行こう。


 俺は学者をキャラバンへ乗せ、運転席のリザへ合図を出した。


「リザ行こう。」


「お、おじゃまします………。」


「あ、そこ座ってどうぞ。いやぁ今後とも御贔屓にお願いしますぅ、ユーヴサテラですぅ。プーカお茶出して、お茶。」


 これが10万イェルの客である。いや、偉大な調査のお供になれて本当に光栄の至り。


「どぞ、粗茶です。……てかナナシっ。金のなる樹はお茶で育つん?」


 プーカが小声で囁いた。絶対に聞こえる距離だ。


「――ばっかお前何言ってッ!!……いいやスミマセン失礼な奴でして。………こらッ、愛想良くしなさい。チップくれるかもしれないだろうッ!!」


 俺はプーカの頭を抑え、接待の何たるかを説き伏せる。


「……ナナシ、僕の尊敬する君は何処へ行ってしまったんだ。」


 アルクは呆れた様にそう言った。


「ゲフンゲフン、まぁ冗談はさておき。今回は普通(ただ)の秘境だった場所がダンジョンに指定されたっていう異常なパターンだ。現に他の冒険者がこのクエストに手を出さなかったのは、このイレギュラーさが大きい。……ビジネスの話をしよう学者さん。俺たちが無事に生きて帰る為に。」


 俺は古びた地図を広げてそう言った。




------------------------- 第28部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

②ロンア鉄管橋を越えた先


【本文】

「鉄屑渓谷の崖上にある{ロンア村}は、ギルドからお金を貰い鉄屑渓谷の管理村として機能しています。まずはこの場所へ伺い入谷の申請をします。それが終り次第、ロンア大橋を渡り東からグルリと回り込むようにスロープを降りていきます。」


 学者は地図をなぞり、キャラバンは進む。辺りは霧が立ちこみ始め、不気味な様相を呈していた。


「ここらは一般人でも立ち入り易いように整備が成されています。しかし、次に見えるロンアの鉄管橋を西へ渡りしばらく進めば、数千年前の姿を残したままの道が危うさを残して続いています。観光客の多くはそこで引き返していきますが、その場所まで行けば、鉄屑渓谷が何たるかはお目に掛かれるはずです。」


 時は進み、学者はキャラバンの戸を開け外に出た。そして聞こえてくる不可解な遠い音。


――プシュー……、タンタンタンタン……。プシュー……、タンタンタン………。


 一定のリズムを刻みながら鳴るそれは、パイプの中でガスの蒸ける音や金属の叩かれ弾ける音たち。凡そそれらはこの世界には物珍しい類のものであった。


「この地では年中、流れる川の上に深い靄が掛かっていまして、渓谷の上からこの姿を眺めることは叶いません。しかし、ここまでの道のりを対価としても、この素晴らしきキカイな神秘を望みに来る価値は、確かに有ると言えるでしょう。」


 眼前に広がる景色。それは近代の産業革命を想わせるような、ボロボロで無骨で力強い金属やパイプの剝きだした、何かの工場であるかのような渓谷であった。


「ここが{鉄屑渓谷}です。」


――プシュー……、タンタンタン………。カッカッカッ、プシュー……。


 それは時に何かに詰まったかのように音を鈍らせ、それでもなお能動的に一定の循環を見せ、動き続けている。


「行方不明者が多発しているのは、ここからもっと先にある鉄屑渓谷街という名の最深部です。まぁ私たち学者からすれば{鉄屑}という名前は不名誉ですが、……見えますか?ここにある境界線が。」


 そういって学者は近くにある鉄骨や歯車と、崖に生えた雑草との間に指で線をなぞった。


「ここから魔法が使えなくなります。その原因は不明ですが、この渓谷が隠す技術はこの場所でしか作動しません。……ご存知、魔法を介さない技術という物は不安定ですから、それらの仕掛けは壊れやすく異常が起こりやすい。しかし或いは、他に魔法の使えない領域が有れば、作動するかもしれませんが。」


「魔法が使えない……。」


 俺は特殊領域ダンジョンを思い浮かべる。


「……心当たりが有るようですね。つまりはそう言う事です。恐らく、ここに眠る技術はロストテクノロジーでしょう。それは特殊領域(シーラ)に眠るオーパーツのように、私達が見つけ出すのを待っている筈です。」


 学者は眼鏡を曇らせながら、曇りの無い表情でそう言った。



------------------------- 第29部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

③鉄屑渓谷街


【本文】

『ターノフ。――フォーム・ポケット。』


 最後にキャラバンを降りたリザが、その木目に手を当てて囁く。


「ノアズ・アーク」


 それを了承するように呼応したエルノアは、キャラバンを輝かせ、その姿を担げる大樽ほどの大きさにした。これをプーカが嫌そうに担ぐまでがワンセットである。{ノアズアーク・フォームポケット}重量はそのままに、無限に収納を可能とする木製ナップザックの完成だ。


「ここまでの快適な陸の旅も良かったですが、この先はキャラバンでは危険でしょう。ですが私は……、えぇっ?!」


「さぁ、行きましょう。」


 俺は学者の背中を押して、鉄パイプの剥き出した狭い道を進んで行く。



――――――――


{鉄屑渓谷街}

 錆びれた鉄橋の下は川の流れる奈落である。至るとこで足場は切れており、渓谷特有の湿気が鉄を滑らせ、足の縺れを誘っている。普通に転落したっておかしな話では無いだろう。


「地図でも説明した通り、この周辺で死者が出ています。」


「学者さん。何故ここだと分かるんですか?」


 俺は辺りを警戒しながら進んでいく。しかし人影はおろか生物の痕跡すらも見当たらない。


「転落死体は下流に流れ着きますからね、道中にも死体が無かったという事は、この鉄屑渓谷街でしか死者が出ない筈なんです。如何せん3隊10名が行方不明。いや、全滅していますから、神隠しでも起きたのでしょうか。」


 俺たちが15人と1匹目にならないことを祈るばかりだ。


「この広大な仕掛けは、渓谷の温度を調節するものだと言われています。渓谷に有るのは水力を利用しているからでは無いかと……。」


 学者はそのまま鉄板の上に座り込み、口数を減らしながらスケッチを始めた。


「……或いは、水量を調節し氾濫を防いでいたのかもしれません。ここらには家屋もありますから、それが街と言われている所以でも有りますし……。」


 アルクはオドオドしながら音の鳴る場所を見つめている。これは通常運転だ。しかしテツは時折ライフルのスコープを覗き込み、いつも以上に辺りを警戒していた。


「しかし奇妙なことも有るのです。」


 学者はスケッチブックをしまい、ゆっくりと深部へ進み始める。


「……機械の狭間に有る軒並みには、人が住んでいたような痕跡は無いんですよね。例えばベッドだとか、火を起こす場所だとか、居住空間はあれど生活感は無いんです。この鉄臭さの為か動物も寄り付かず、生物の骨や遺骸だとかも勿論ありません。あとは……」


 そして彼は、一際大きな鉄製水車の前で立ち止まり屈んだ。


「……血痕だとかも。」


 靴の下には血の乾いた汚れが、鉄床の錆びと共に消えようとしていた。そうそれは本来、こんな場所には有るはずが無かったもの。

 

 ――っ!?


「ナナシッ!!」


 テツの叫び。刹那、細い何かが風を切って飛来するような音が鳴った。俺は瞬間的に短剣を抜き、学者の眼前へ迫り来る矢を二つに叩いて落とす。しかし、


『ぐうぅっ、うわぁあああああああああ!!!』


 ズレた軌道の一矢が学者の腕を穿っていた。


『うッ、腕がぁぁああああああああ!!!!』


――なんつー威力ッ。


 肉が抜けた様に、大きな傷が上腕に空いている。ただならぬ速度と質量、ただならぬ一射。それも同時に。


「ちっ、撃てッ!!」


 と指示を飛ばすが速いか、――ダァンッと鳴り響く銃声の轟音が速いか、テツは攻撃された方向へ向け弾丸を返した。


「――屈めッ!!」


 応戦するように飛ぶ大きな矢が、鉄の欄干に当たりけたたましい音を鳴らしている。状況は余りにも芳しくない。


――カンッ、カン!!


――ヒュゥッ。


 死の風切り音が、度々耳を掠めていく。


『ひぃいいいいいいいい!!!!!』


 俺は咄嗟に学者の頭を抑え、退路を振り返った。足場は悪く土地勘に乏しい。こういう時の打開策は、一つしか無い。





------------------------- 第30部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

④昇降機を降りた先


【本文】

 俺は咄嗟に学者の頭を抑え、退路を振り返った。しかしそこには既に道を塞ぐようにして、人型のカラクリが奇怪な音を立てながら不気味に距離を詰めていた。


――キキッ、キキキキィィィッ……!!!


――カッタカッタカッタカッタ…………!!


 三本の腕に2本のブレードとボウガンをそれぞれに装備し、三つの顔をカタカタと見開きしながら、三本の脚に着いたローラーを転がすカラクリが五体。無機質に鬼気迫るその姿には圧倒的な不気味さが有った。


「何だアレッ、聞いて無いぞッ!!」


 俺は学者へ向けて問い詰める。


「わ、わたっ、私も知らないですぅ!!」


 痛みが霞んでいるうちが、学者の頭が回るリミット。俺は続けて急かすように胸ぐらを掴んだ。決して怒っている訳では無い。冷静に、彼を焦らせるように語気を荒げる。


「退路はッ!!」


「――こっち、こち、こここここ、このレバっ、レバーをっ!!」


 滑舌を空転させながら、震えた指で学者はレバーをさす。俺は涙目のアルクと学者をレバーの方まで手繰り寄せながら、短剣を構えて殿を務める。これが探索士クランに必須と呼ばれる護衛役ジークの役回り。


『かかってきやがれッ!!』


『――キキッ、キキキキィィィッ……!!!』


「やっぱ嘘ッ、多いぃ!!!」


 差し出されたリザの手を取り、俺はレバー付近の色変わった鉄床へ飛び乗る。瞬間、アルクはレバーを強く降ろし、色の変わった鉄床の部分がガクリと下へ抜け始めた。


――なるほど昇降機か、マズイ。


「プーカ落とせッ!!」


 俺はプーカの背負っていたキャラバンを昇降機から外へ放り出す。形を小さく留めたとは言え、フォームポケットの総重量は500kgを優に超える。


「ニャア"ッ"!!!!」


 フードの中に居たエルノアが、悲痛な声を漏らしながら俺のうなじに歯形を付けた。


「いでぇッ!!……ったく、どうせ壊れねぇだろ。」


 ドォンと激しい音を立てたキャラバンを一瞥し。そして短剣を再度抜いて一息吐いた。瞬間、――パラパラパラと、汚い錆が舞い落ちる空を仰ぎ見る。


「――ちっ、汚っ、うぉおおおおおお降って来たぁぁああ!!!」

 

 束の間の安堵。頭上からは殺意溢れる四体のカラクリが、目を光らせながら落下してきていた。機械的な戸惑いの無さは人間の持つ狂気を軽々と上回る迫力を見せる。落ちれば途方も無い高さの奈落。すかさず俺は短剣を振りさばき、順々にカラクリをいなしながら、昇降機の外、崖の下へ落としていく。


 ――4、3、2、最後ッ!!


 落としたカラクリもまたドォンと激しい音を立て、見た限りでは派手に四散した。


「頼む、壊れててくれ……。」


「――ニャッ!?」


 エルノアが俺を睨む。


「いや、キャラバンじゃなくて……。」


 下りゆく昇降機に接していた崖は途切れ、眼前にはザァッーと音を立てる大滝が姿を現した。幻想的な光景である。無骨な建造物に囲まれた渓谷の中に、苔と飛沫に溢れた瀑布の神秘的なコントラスト。しばらく俺たちはボォーッとそれらを眺め、浸り、それが束の間の癒しであったと知らされるように、猟奇的な光景を視界に捉えた誰かの息を呑む音で、全員がまた意識を尖らせた。

 

「……アレは、同僚ですか?」


 出血した腕を縛った布で抑えながら、俺の言葉に学者は息を漏らすように「そう。……でないことを祈っています。」と答えた。鉄屑渓谷街『B1F』。昇降機の辿り着く先に待ち構えていたのは、大滝の飛沫に鮮血を洗う、斜め十字架の鉄板に磔にされた10人の遺体であった。


「なんだ……これは。」


 ガッシャンと仰々しい音を立てて、錆びついた昇降機は滝つぼの上に出来たガラスと鉄板の床の上に辿り着いた。近未来的な高級感と鉄トタンによる安っぽさのコントラスト。ガラスの下には水流が見え、滝から溢れた飛沫が床の上で小川を作る。そこに流されるようにして、磔にされた死体からは滝の飛沫に当てられた血と脂が運ばれていた。


「まだ新しい……。」


 学者は呟く。その表情は困惑と好奇の混ざったような、どうにも複雑な表情であった。




------------------------- 第31部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

⑤途切れた言葉の先と、保留される冒険の先


【本文】

{ロイアン街クエストギルド}

 俺たちが直面した諸問題らは、学者アクエイにより詳細にギルドに報告された。無論あの後は即帰宅である。長居は無用。俺たちに出来ることの最善は、新鮮な情報を生きて持って帰ることだった。渋るかと思われた学者も、腕に走る激痛の前ではどうしようもなく、すんなりと撤退を受け入れた。


「はい、はい。……分かりました。今回の事件については引き続き調査を……、はい………、有難う御座いました……。」


 学者とギルドの番台係が話を終える。近付いてくる学者の顔は血色は宜しく無かったが、不謹慎にも喜びに満ち溢れた俺たちの顔を見て、学者は呆れた様に笑い、報奨金を差し出した。


「どうぞ。」


『――イェーイッ!!!!』


 今夜は何を食おうか……。


 アルクが懐に金貨をしまったのを確認してから、俺は学者へ言葉を交わす。


「でも、本当に良いんですか?」


 ――まぁ何を言われても、返すつもりは無いけれど。


「はい。確かに調査はあまり出来ませんでしたが、それ以上に大きな発見も有りました。心残りが有るとすれば、恐らく鉄屑渓谷街は、より高位の危険地帯として封鎖されてしまうということでしょう。そうなれば、私のような学者はいよいよ近づけません。」


 俺はその言葉に頷く。


「そうでしょうなぁ。だから、俺たち探索士シーカーが息をしている。して、今後はどうするんですか?」


 俺がそう聞くと、学者は悩んだふりをしながら笑い、希望の灯った眼をしながら言った。


「鉄屑渓谷と同じような場所が有ると聞いています。無骨なロストテクノロジーが依然生き永らえながら、文明の失われてしまった神秘的な場所が。勿論そこは既に、特殊なダンジョンとして閉ざされた危険地帯だと知っています。しかし私は同時に、私の様な軟弱者であっても命を賭して守ってくれる人たちがいることも知っています。」


「そうでしょうなぁ。」


「――でしょうなぁ。」


 プーカが俺の声を真似ながら言った。学者はそれに笑いながら言葉を続ける。


「ですからユーヴサテラ。再度会えたら、また私のクエストを引き受けて頂けますか?」


「えぇ。クエスト用紙に唾を付けておきますよ。」


 笑いながら承諾する。


「ふっふっ、まさか。……可笑しな人達だ。では次会う時は{アクエイ}で良いですよ。そっちの方が気楽で良いです。」


 アクエイはそう言って手を伸ばし、俺は堅い握手を返した。そして「それじゃあ」と挨拶を挟み踵を返すと「あっ。」と思い出すようにしてアクエイが俺を引き留めた。


「そう言えば、あの街で横槍が入った話のその続きなんですが。参考までに話しておきますね。」


 そう前置きをして、アクエイは最後に言葉を紡いだ。


――――――――


「……なんて言ってたんだい?」


 キャラバンは人々を置き去りにし、穏やかな草原を進んでいく。地図を広げて次の目的地を鉛筆でなぞるアルクは机の前で片手間ながら、興味深そうに俺の話を聞いていた。


「えぇっと。確か。」


 話は途切れた言葉の先。俺はアクエイに言われた最後の言葉を思い出し、口ずさむ。


「……機械の狭間に有る軒並みには、人が住んでいたような痕跡は無かった。例えばベッドだとか、火を起こす場所だとか、生物の骨や遺骸だとか。であるからもしかすれば、この文明を作ったのは、人では無いかもしれません。……だって。」


 ビビりのリザは肩をすくまし、アルクは頭上にハテナを浮かべていた。





------------------------- 第32部分開始 -------------------------

【第6章】

第5譚{決闘の国}


【キャッチコピー】

――それが我が国の誇る"最高"の法律。


【サブタイトル】

①ブルックリンが死んだ日


【本文】

 ブルックリンが死んだ日。燻りすら消えた灰のように、地面に項垂れていた僕を

さも煙たがるように彼は現れた。


 ブルックリンが死んだ日。妹が死に、僕の世界が一変した日。当たり前が世界の外に追い出され、法律という名のしがらみが僕らを襲った。物乞いも窃盗も、拙い声で叫ぶ恋歌も、みんなみんな消えてしまった。


 残ったのは、燃える様な肺の痛みと、それに喘ぐ痛々しい叫び。


 ブルックリンが死んだ日。燻りすら消えた灰が、風と共に散ってしまった日。この街から僕らは消えた。


 僕は今、つまり何者でもない。


 だからこそ全てを懸けるのだ。この命を懸けて、真実を暴き出す。


 ブルックリンが死んだ日。僕の決意が挫かれた日。頭上の彼は僕を見下し、ゴミ溜めのネズミを見るかの様に、されど、目の前のゴミを吹き飛ばすように、僕の全てをかっさらった。




―――――――――




 ヒノキの香りが豊かな建物。しかしながら外装はコンクリートやレンガを基調とした頑丈な作り。

 街の外壁は様々な単色が連なるカラフルな創りに統一されており、街全体が明るい雰囲気を醸し出す。


「この国の法律は先進的だと言われており、法治国家として特段優れた治安を確保した為に、他国からも高い評価を頂いております。」


「法律?」


 俺の言葉に案内所のお姉さんはコクリと頷いて答えるのを思い出す。


「はい、この治安を担保する基盤となるもの。それが我が国の誇る最高の法律「区別法」と「決闘法」に御座います。」


――区別法、決闘法……。


【サステイル地方・ハンドラ王国】

 決闘法というその法律の名が印象強く、それでいて先進的な発展を遂げたこの国を世間は{決闘の国}と呼んだ。


 「見ての通りこの国は民主的な発展を遂げ、言論的な自由が保証された国では有りますが、いささか最初期には平等を叫ぶ声が多く寄せられていまして、しかしながら王政から始まる貴族制度はこの国を支える大きな柱で御座いますし、ならず者にまで資産が散ってしまいましたら国は崩壊しかねませんので、デモや内乱を抑える為にも平等に機会を与えられ、尚且つ反乱分子を抑え込む方法が必要でした。

 そうして生まれた1対1の戦いにおける勝者の要求を呑む慣習、それが後の決闘法に当たります。区別法はその決闘法を整備するための身分制度のようなものだと言えるのかもしれません。低い身分の者からの決闘を、高い身分の者が拒むことは出来ないのです。」


 俺は耳を傾けながら、だだっ広い城下街の地図に目を通した。



――――――――


「……その結果がこの、元・貧民窟スラムって訳か。」


 案内所の話を思い出しながら眺める街は、何処か真新しさと退廃地区の荒廃した名残が同居しているようであった。



{決闘の国・ブルックリン街}


 生き物が魔法を使うには体内に在る魔素が必要である。それは例えるならば蓄えれらた筋肉のようなもので、蓄積するには栄養ある食事や魔素を魔法として外界に出力する為の専門的な知識が必要になって来る。


 すなわち、「言いたいことが有るなら一人ずつ掛かって来い。もしも僕らに勝てるのならば……。」

「決闘法」という法律には、法を整備した王家の騎士や貴族側の自信にも似た挑発が含まれているのだろう。


 だから王政を敷く他国からは、一目を置かれている。


「――窃盗だァ!!」


 パリンと道具屋のガラスが割れ、覆面をした少年が飛び出してくる。


「だってさナナシ。」


 アルクが他人事のように言った。声の主は突き破られたガラスの中から飛び出してきたハゲ面のエプロン。恐らくアレが店主だろう。


「めんどくさいな。」


 俺はテツと目を合わせて"拳"を差し出す。阿吽の呼吸、同タイミング。テツが差し出したのは"チョキ"であった。


「はい、よろしく~。……グハァッ!!!」


 テツは俺にエルボーを決めた後、一目散に逃げる少年の背後を追っていった。


「アイツ、負けたからって殴るなよな。……殴られるくらいなら行くじゃん?俺。」


「まぁまぁ。」


 アルクは笑いながらそう言い、店主へと近づいた。


「おい見たかプーカ。アレが秘儀、――ナチュラル詐欺師スマイルだ。」


「――なちゅ?え?ちーずふぉんでゅ?」


「よぉし、後で食おうな。」


 別段、道具屋で何かを買う訳では無い。彼はクエストの交渉をしにいったのである。そう冒険者とは常に能動的なもの。ハングリー精神が大事なのだ。


「はらへったぁ」


「そだな。」


 俺が適当にプーカに相槌を打っている頃、アルクはいつもの常套句を道具屋の店主に吹っ掛ける。


「お困りですか? ……なるほど、実は僕ら冒険者ギルドに所属している者でして。え?証拠ですか、それはもちろん……、えぇ申請などは、えぇ、はい……」


 何故見知らぬオッサンと、ここまで円滑に交渉できているのかが疑問である。中々に向こうからの好感度も良いらしい。俺なら即、盗人とのグルを疑うものだが。


「奴はここいらじゃ有名なドブネズミだ。言うなればスラムの亡霊、1年前に死に損なった街の汚れさ。畜生っ、なんで俺の店が。それも今日みたいな日に限って……。」


「……今日みたいな日、というのは?」


 アルクは首を傾げて尋ねた。


「前夜祭さ。2年前に猛威を振るった流行り病がメディール公爵一家の新薬によって消息した記念のね。明日は祭り当日。こういう祭日は店が繁盛するんだ。酒だとか包帯だとか塗り薬だとか、煙草や弁当はもちろん、大きな音を鳴らす道具だってよく売れる。最近の売れ筋はこのブブゼラさ。」


「――ほぉ、それは何故なにゆえに?」


「決闘があるのさ。主に貴族らが自分らの権威を見せる為に、賞品や賞金を提示して自分たちの家族の代表と戦わせる。もちろん身分差や思想コミュニティの違いが有れば、「決闘法」に乗っ取り多少の無理難題も押し付けることが出来る下剋上の日。飲みと祭りの席じゃあ、この国は無礼講が当たり前になる。それが終われば後夜祭さ。」


「そうなんですね。」


アルクは関心したように頷いた。どうせ交易トレードの事を考えているに違いない。祭日を狙えばよく売れそうだからな。よし、今度は物を売りに来よう。


「前夜祭は何が催されるんですか?」


「何言ってんだあんちゃん、さっきも言ったろ。決闘だって。」


「なるほど、では明日は?」


「――当日はもちろん決闘さァ!!」


「ちなみに後夜祭は……?」


「ばかいっちゃいけねぇ、決闘だよ。」


――バカみたいな国だな。


 俺は遂、表情に出てしまう。アルクは一向にニコやかなまま話を続けている。ポーカーでもさせたら強そうではある。プーカはと言えば上の空だ。


「けっけっけっとうち~は、ふくのうち~。……めしまだ?」


「おだまりプーカ。」


「ゴマダレくうか?」


「言ってない。」


 分かりました。と声を弾ませ、アルクが契約を取り付ける。

――もしも犯人を捕まえられたら、報奨金5万イェル。


 字面だけでも、そのドブネズミやらが街へ与えた被害の影響が図り知れる内容であった。あるいはこれが圧倒的な詐欺師パゥワーか。


「気を付けるんだぜ。アンタらにあのドブドラゴンを討伐出来るとは思えねぇがな、新米冒険者さん。せいぜい頑張るこった。」


――ドブドラゴンってなんだよ。


 全く何を吹き込めばここまで価格が上がるのか、店主は一体何を聞かされたのか、目の前にいる彼は本当に交易商なのか、討伐とは一体なんなのか、プーカの腹は何でいっつも空々スカスカなのか、コンフィデンスマンの世界へようこそ。


「えぇ、でもなるだけ頑張ってみます。ギルドにもクエスト依頼として提出しておきますので、その辺は安心してください。」


「おうよ。」


――緊急クエスト。☆0(部類:難度不明)『スラムの亡霊の拘束』

 ・依頼主:道具屋店主「トグル」

 ・達成条件:道具屋の商品を盗んだ犯人の確保、拘束。

 ・達成報酬:5万イェル  


 ひょんなことから始まった報酬激ウマクエストであるが、無論他の冒険者と共有する訳が無く、犯人確保の布石すら我がユーヴサテラは既に打ってあるという独占案件。


「おいおい5万だってさプーカ。何食べたい?」


 俺は頭の後ろで手を組みながら、呑気にそんなことを話し、整備された元スラムの道を歩いていく。塗装が所々でハゲあがり、細かい路地が連なってるところを見るに、土地勘によるアドバンテージはだいぶ高そうでは有るが、やがてはテツの合図が街中に響き上がるであろう。


 俺はそんなことを考えながら街の空を眺め、浮かぶ雲を見ては「ハンバーグ」みたい。と想起していた。


「たいちょお。プーカはオムライスがいいであります。」


「ふむ。検討しようぞプーカ一兵卒。」


「ありがたきしらすくえ。」


 なんて呑気な話であろうか、この時の俺はまだ、自分の身体から血を流す羽目になるとは思いもしていなかったのである。


――パァン。


 暫くしてから遠くの空で、聞き慣れた空砲が鳴った。





------------------------- 第33部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

②ゴミ溜めの上


【本文】

「テツ!」


 細く湿った暗い路地を正面に、小銃を軽く構えたテツが佇んでいた。


「見つけたか?」


「うん」


 俺はそう声をかけ、体制を崩す様に寝転んだ少年と目を合わせる。


「お前リーダーがいるっていったな。僕でも分かるぞ……。なんでこんな弱い奴に従ってるんだ!?」


――出会い頭に失敬な奴だ。


{ブルックリン街・未整備の退廃地区}


 路地裏に伏せ込む彼は、テツの前で鋭い眼光を放ったまま叫んでいた。外傷も無く抵抗もしてこないところを見るに、上手く脅したらしい。


「君には関係ない。」


「うるさいロボット野郎!!――お前は自分より弱い奴に付き従う大馬鹿の奴隷だッ!!この国の腐り切った貴族に飼われた家畜以下の大ボケと同じ、野良犬だよッ!!」


「違う。」


 テツは冷静な声色でそれを否定した。


「違くない、お前みたいなクソ野郎は一生後ろのリーダーぶったやつにこき使われるんだ!!そうやって騙された奴からみんな死んでった!!」


「違うって。」


「違うなら証明してみろっ!!」


 テツは眉をひそめ、困った顔で言った。


「証明は出来ないけど。……僕は、女だよ。野郎じゃない。」


――そこかよ。


「え、……女?」


 俺は恥ずかしそうな、かつ少し怒ったような顔をしたテツを後ろに下げ、少年との間に割って入った。


「ウェスティリア冒険者ギルド所属クラン以下略、お前を捕まえる。理由は勿論お分かりですね?さっさとお縄についてたぼれな少年。」


 用意した縄をピシっと張り、正面へ構える。こんなんで5万イェルを貰ってしまうと、他のクエストが馬鹿々々しく感じてしまうだろう。


「近付くなっ!!」


 しかし少年は最後の抵抗と言わんばかりに書物を広げ、血だらけの腕を描かれた魔法陣の上へと置いた。


「なんそれ。」


「僕は撃ってないよ。」


 テツは補足をするように少年の怪我へ指差した。


竜四肢りゅうじしの呪書、マヌケなトグルの道具屋が価値も分からずに撃っていた骨董品。自分の四肢の一部を贄にして力を得られる禁忌だ。これが有れば僕は強くなれるッ!!」


――呪いか。


「止めとけって。」


「近付くなッ!!」


 少年の気迫は本物だった。俺の頭の中では「ドブドラゴン」コースが次第に現実味を帯びていく。もしそうなれば5万イェルじゃあ安すぎる案件。いや、それでも妥当なのか、恐ろしいな。


「分かった。近付かないよ。」


 俺は自身の掌を斬って、手に持っていた縄と短剣を地面へと落とした。


――カチャン、と音を鳴らし倒れる短剣と同時に、俺は手を挙げ降伏の意を見せる。


「それじゃあ降参。――しませんっ!!」


 フリを見せ、俺は手の平から滴る流血を魔法陣目掛けて巻き散らした。我ながら何とも清潔感の無い攻撃だろうか。しかし。


『クソッ!!――竜四肢の解ッ!!……あ?えっ?」


 効果は抜群らしい。俺はそのまま足を伸ばし、膝から先をしならせるように少年の胴体へ蹴り込んだ。


「カッハァッ……!!!」


 少年の指先は微かに燻り、焦げる様に黒く染まっていた。


「竜四肢の呪書。古代文字は読めないが今の感じだと炎竜系統。お前の左腕を焼き焦がし、竜腕に変える代物。」


「なんでだっ!!どうしてっ!!?」


「さぁな。いずれにせよ聞きたいことが出来た。5万イェルは勿体無いが、とりあえずキャラバンまで来てもらう。」


 俺は呪書を拾い上げプーカへと投げる。


――ボトッ。


 振り向くと、さも当たり前のようにキャッチしないプーカが、本を睨め付けていた。


「ちょっと、プーカちゃん?!」


「重い。」


「――お前はポーター何だけどっ!!」


「こんぐらい自分で持ちなはれ。」


 そう言われると、そうするべきな気がしてきた。(子供じゃあるまいし。)と君はそう言いたいのかい?うん?


「まぁいいや。立て少年。」


「フシンだ。」


「良いから来い。街のお偉い人にお尻ペンペンされて、挙げ句一生治らない痔を抱えながら牢獄で死にたく無かったら、"こんな弱い奴の背中を追っかけて"付いてくるんだな。」


 俺は思い出した悪態をここぞとばかりに言い返した。








------------------------- 第34部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

③キャラバンの机の上で


【本文】

「間違いない。これは竜四肢の呪書、竜名は{アルデンハイド}大手クランの名前にも成っているサラマンダーのものだ。創ったのはアイギス西北に存在したとされる竜谷の国、もしくは斜塔街のオーパーツだと思う。」


 リザは拡大鏡を用いながら丁寧に禁書を確認し、俺はその言葉に感心しながら補足をしていく。


「そして、これを収集しているとされていると噂に名高いのが悪神教キリエと呼ばれるカルト教団だ。」


「カルト……?」


 フシンはキャラバンの床にへこたれながら、包帯を巻いた左腕を抱え、目を丸くした。


「あぁ、奴らの目的は呪われた人間に接触しコミュニティを広げていく事に有る。同じ境遇を持ってるとアピールして取り込んでいるんだ。だからもし、道具屋にソレが有るとお前にタレコミした奴がいるのなら、あるいは間接的に知らせた奴がいるのなら、それはきっと悪神教キリエに違いない。」


「どうしてそれを信じろって言うんだ。例え呪われたとしても、俺は誰にも惑わされたりはしない!!――それがお前らであっても!!」


 その通りだ。フシンからすれば俺たちも充分に未知数。


「別に。そこまで言うなら好きにやりゃあ良いけど。どうしてそこまで力を手に入れたいんだ。」


 俺は煎じた茶葉を湯呑にいれ、丁寧に机に置いてそう言った。


「どうしてだって!?……いや、アンタらが知らないのも無理はない。だが、この街のほぼ全員は、それを知った上で黙っているんだッ!!」


 フシンはそう言うと悔しそうに俯き、唇を噛んでから顔を上げた。


「僕は、大貴族メディール家を倒すッ!!」


「おっ……」


 プーカはこの街で買いたての塗り薬と、フシンに巻いたばかりの包帯キットを見ながら声をあげる。


――【メディール薬品】。


示されていた名前は恐らく、フシンが今しがたあげた貴族の名前だろう。


「聞いたことがあるよ。メディール家。」


 沈黙の後、端を発したのはアルクだった。


交易トレードではよく名前が挙がるんだ。メディール家の薬と比べて値段がどうだ、効能がどうだってね。それほどサステイル地方ではスタンダード、表の薬品市場を支配コントロールしながら、裏では麻薬により闇市場を支配しているって噂が有名。」


「それは噂じゃない。現に、ここのスラムは奴らが薬漬けにした人たちで溢れていた。」


「興味深い話だね。」


 アルクは感心したように微笑む。


「だがこの国の転換期、麻薬の売買が公にされそうになった時代。三代目当主メディール・アントシア。そして次期当主候補ダイアン・メディールは、ブルックリンの廃屋から人為的に病を流行らせ、事前に用意してあった特効薬をあたかも発明したフリをし、国の英雄と祀りあげられながらそれを高額で売り捌いた。住む家すら持たないブルックリンの連中が、一生かけても手に入らないような高額でッ!!」


「証拠は?」


 俺はボソッと呟くように聞いた。


「証拠は全て、メディール家の地下に有るッ!!みんな知っているんだ。流行り病で死んだのはブルックリンの人間だけ。だから国民はメディール家が感染源を作った噂を都市伝説だと有耶無耶に掻き消し、世論は自分たちを責めないだろうと踏んだ当時のメディール家は、大切な研究資料としてそれらを保管してある。」


「見たのか?」


 フシンはキッと俺を睨むと、言葉を続けた。


――おぉ、怖っ。


「ブルックリンに住んでいたのは半端者だけじゃねぇ……。僕の父さんはメディール家の研究員だった。墓を守るためにこの街に住んでいたけど、一連の事件でメディール家の闇に葬られた。」


「死んだのか?」


「きっとそうさ。僕は見てないけど……。」


 涙しながら俯くフシンから俺は目を逸らす。同情する分として5万イェルは要らないとしても、この手の人間に関わると碌なことが無い。もっとも面倒なのは噓だったパターン。本当は都市伝説だったものに当てられたか、被害妄想、あるいは精神異常を引き起こしていた場合、俺たちにそれらの事象の全てを裏付けるような手立ては無く、彼に加担しても単に大貴族に喧嘩を売ったと言う事実だけが残り、身内切りに逢えばクランが即死ぬ。


「……ただ。灰になった妹の近くに、父さんくらいの焼死体が有った。……あの日、閉鎖されたブルックリンの街は地獄だった。市民権を持たないゴロツキやメディール家に反抗するものは軒並み焼き殺された。そして、それを知っているのはあの日、閉鎖された街の中に侵入した僕だけ。」


 時に都市伝説には、記憶に残り話伝えられるようなインパクトが必要になる。もしその話が本当であるならば闇が深いと締めくくるに限るが、そこまで激しい情景であるならば、より一層信憑性を失っていく。


「本を返してくれ。」


「お前のじゃない。」


「話を聞いてなかったのか?!僕たちが味わってきた地獄を知ってなお、君らみたいな余所者ですら僕を阻むのか!!――あぁ、神様。あぁ僕を!!」


 フシンは泣きながら叫んだ。


「――どうして僕を救わないんだッ!!」


 幼いその身体を震わせ、たくましく生きた彼を嘲るように場は静まる。


「そんな神はいねぇよ。」


 俺は呪書を手に持ち、フシンの前に置いて話を続けた。


「――ジャンヌダルク。大昔の異国で神の啓示を受けた英雄が、国を救い、大勢の民を救い、命を救い、最後には敵に囚われて死んだ。火刑だった。」


 呪書の厚さは両手を重ねた程だ。肝心である魔法陣の描かれたページは木版のように丈夫な素材で出来ており、迷える者を呪いで誘う様に簡単に開いた。


「本当に絶望してきた人間は、お空にいる神って奴が如何に無能かを知っている。死ねばいいようなクズ野郎を助け、本当に救われるべき善人を救わず、どれだけ自分が苦しんでいようと助けに来ない。誰かが富や糧を独占する傍ら、大勢の人間が今日も何処かで苦しみながら死んでいく。そういうシステムの世界を抱える神なんかが万能で有能な筈が無く、挙げ句の果て子供の我儘みたいに異端者を退け、教会で金までせびるようなら、よくよく考えればそんな神様、親のスネを齧る引きこもり並みに業が深い。――左手を出せフシン。」


 俺はフシンの左手を掴み、魔法陣の上に置く。


「今から、この世で一番辛い時間が永遠と続いていく。呪書っていうのはそういうものだ。例えば瞬く間に肩につけた傷跡まで火柱が立ち、一気に腕が焦げ落ちて竜腕が生えるなんて生温いもんじゃない。」


「……え?」


「じわじわと弱い炎が爪の先から肩にかけてゆっくりとお前を炙り焦がしていく。異国の大英雄{ジャンヌダルク}はそうやって死んだ。皮膚、肉、血管、神経、滴り落ちながら蒸発する血液を眺め。おっと、しかしながら今回お前は、死ぬことは無いな。」


「――は?」


 俺は構わず続ける。


「それ故に自分の腕が炭になっていくのを見ながらも、避けられない苦しみが延々と続き、どれだけの痛みを伴おうと、いくら神に叫ぼうとも、その腕が贄として灰になりきるまで苦痛を味わい続ける。そして呪われた後も、痛みは続いていく。その命が尽きるまでな。あぁ随分と楽しみだな。……さぁ行くぞ、フシン。準備は良いよな、だってようやく念願の……」


『――やめろッ!!!』


 フシンは包帯の巻かれた左手をパッと離すと、怯えたように手を抱えた。


「そして竜腕は、選ばれた者にしか授けられない。フシンが使っても確率的には十中八九ハズレだ。後は失敗した竜腕の副産物的な力が長くて二時間ほど残る。成功してもそれをコントロールするには多くの時間と痛みが伴う。」


「そんな……。」


「その覚悟がお前に有るなら、好きにすればいい。ただ俺は、神にも等しいそんな力よりも、人間の力を信じている。所詮人間を救う神様って奴はお前を含めた"人間"なんだ。人間にしか、真に苦しむ人間は救えない。人間にしか人の絶望は変えられない。」


 これらは飽くまで私的な考えだ。しかし、ここにいる仲間が俺の中で、それを証明し続けた。

 エルノアは一鳴きしてキャラバンの扉を開ける。さて明日の祭りが楽しみだ。どうにも、哀れな彼が呪いなんぞを使わずに参加してくれることを祈るばかりである。


 俺が目を逸らすと、フシンは猿のように呪書をかっさらい、小動物のように忙しなくキャラバンを飛び出していった。


 


------------------------- 第35部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

④野外ステージの上で


【本文】

「決闘法の決闘には大きく分けて5種類が御座います。こちらの看板をご覧ください。」


「はいはい。」


  祭りを運営するギルドハウスの番台より、俺たちは備え付けられた看板を指され視線を移す。


「まずは一番上から、

――『決闘法による規則』

【大決闘】

 →氏族による3対3で行われる決闘。

【決闘】

 →個人による1対1で行われる決闘。

【召決闘 及び 小決闘】

 →召喚された魔獣を戦わせる決闘。

【決死闘】

 →どちらかが命単品を賭けの対象に置く決闘。「入場規制G・死者アリ」

【死闘】

 →両者が命単品を賭けの対象に置く決闘。「入場規制G・死者アリ」

 となっておりまして、本日予定されていますプログラムは主催者、つまりはメディール家を対戦相手に置きまして、

10:30より「【決闘】VS 自由参加」

12;00より「ランチイベント【召決闘】VS オオクロイノシシ(解体ショー)」

14:00より「【決闘】VS 自由参加」

16;00より「メインイベント【大決闘】VS アマデイル家」

と、なっており。入場料はどなたでも1DAY1000イェルから承っています。」


「――高かいな。帰るか。」


 俺は颯爽と踵を返し、アルクと見合わせる。アルクは少々苦い顔をしたが何も言わない様子であった。


「えぇ~、みないん?」


 対してプーカは心底不服そうな顔を見せた。


「いやだってね。高ぇ金払って素人の戦い見ても面白くないでしょ?それに、ランチ出るクロイノシシだって別途料金が掛かんのさ。想像してみろよ高級な巨大クロイノシシが目の前で調理されんのを見ながら俺たちは持参した弁当でおからを齧るんだぜ、嫌だろ?なぁ嫌だろ?」


「えぇ~。」


 プーカは拗ねた顔をして身体をくねらせる。仕方がない。うちには金が無いのだ。


「そういうことで申し訳ない。今日のところはお暇させて……」


「――待ちたまえ冒険者。」


 そう言って唐突に背後から声を掛けてきたのは、はにかんだ真っ白い歯がギラリと光る金髪のロン毛男であった。ワイシャツは胸元まで大胆に開けており、ピアスにはダイヤが煌めいている。こいつはどの角度から何回見ても、貴族だ。


「ダイアンさま。」


 番台のおっさんは驚いた顔を見せ、颯爽と現れたナイスガイに深々と頭を下げた。見上げるとかなり高いことに気付く、身長は190cmを超しているか。


「君らみたいなパーティーは始めて見た。思うに、国々を転々とするような冒険者の方々は良い広告塔になってくれる。ここは初回無料特典としゃれこもうじゃないか。」


「はぁ……」


 俺はぴくぴくと主張の激しいふと眉をみながら、鬱陶しさに溜息をもらしてしまう。


「おぉっと、そうか。名乗るのを忘れていた。ダイアン・メディール。次代のメディール家当主だ。82歳の叔父が死ねば、次は僕が当主となる。そう、まぁほぼ当主だ。」


――どんな自己紹介だ。


 ダイアンは胸筋をぴくぴくと震わせながら、前髪をかきあげてそう言った。


「{クラン・ユーヴ}です。ではご招待してくださると?」


 俺は探りを入れる様に聞いた。第一印象、何ともいけ好かない野郎。


「――もちろんだ。3人くらいどうってことない。今宵の決闘。次期当主であるこの僕の活躍をその美しい眼`sに焼き付けて頂けるなら、いくらでも招待しよう。イノシシもいっぱい食べていいぞ?僕の奢りだ。」


「はぁ、貴方は神です。お慕い申し上げますダイアン当主。」


「神ぃ~~」


 俺とプーカは両手を組み、祈るようにしてダイアンを見上げた。


「次期ッ、当主だ。まぁ良い、それも気分が良いッ!!ではさらばだっ、はぁーっはっはっはっはっ!!」


 ダイアンは颯爽と去っていく。なんと明朗快活でナイスガイなのだろう。友達に成りたい。


「ナナシ。君って奴は打算的というか何と言うか、現金なやつだな。」


――お前が言うな。


 俺は溜息を吐くアルクへ、心の中でツッコんだ。



―――――――――


「レディース&ジェントルメェン、ボーイズ&ガァルズは……今日はお家でお休みぃ。――ようこそお越しくださいました、年に一度の『救世祭』主役はもちろんコイツだぁぁああああ!!!!」


 歓声が鳴り、舞台からは火花が散って、楼台には一斉に灯がともる。野外ステージの中央から颯爽と現れたのは、記憶に新しいあの男と、それを取り囲む従者たちであった。


「――ダイアン・メディィイイ、ルッ!!!!」


『FUUUUUUUUUUUUUUUUUU!!』


 うるせぇよ。


「楽しくなってきたね、ナナシ。」


 アルクは満面の笑みでそう言った。


「楽しいままなら、良いんだけどな。」



・・・・・・・


――日が昇り、昇り切り。


 中央の楔から鎖で繋がれたオオクロイノシシが、楕円形の巨大な決闘台に放たれ、討伐され。


 香ばしく焼かれた匂いが立ち込み、グツグツと煮込まれた匂いが立ち込み。


 プーカが調理されたそれらを大方食い締め、立ち並ぶ屋台の品を無料券で食い荒し、大方荒し終えた後。


 決闘台が汗に濡れ、流血に濡れ、祭りが佳境を迎えた


――その時であった。


「さぁ、本日のメインイベントVSアマデイル家はぁ、メディール家の”圧倒的”な一人勝ちで終わりました。」


 アナウンスが終わり、ダイアンはマイクを掴んでパフォーマンスをする。


「アマデイル、中々手強い相手だったよ。」


 皮肉たっぷりの言葉に両家はニヤッと笑い、会場は歓声に沸いた。


「ダイアン。お前は例年通り大したことなかったが、後ろの妹君が睨んで来るものだからね、集中できなかった。」


「――はっはっは!」


「まぁ、腕は上げたんじゃないか?完敗だ。君は【大決闘の悪魔】さ。まさか一人でここまでやるとは……」


 アマデイルの当主が主催のダイアンを称え、後ろからは赤い布に包まれた何かを執事らしき男が運んで来る。


「お望み通りくれてやる、伝説の名画【アイギスの解放】だ。――さぁみんな!!今宵のヒーローに拍手をッ!!!!!!!!!!」


『――おおおおおおおおお!!!』


 手渡された一枚の絵が、決闘法という慣わしにも似た祭りの醍醐味を引き立てているのだろう。その価値は如何様か。恐らくはメディール家の提示した巨大農耕地と吊り合うほどには貴重なのだろう。


「俺たちが勝てば貴族入りだな。」


「そうだね。」


 アルクはニヤリと笑って頷いた。

 刹那、決闘台を正面に向けた野外ステージのマイクが――キィーン、とツン裂いて音を響かせる。


『大悪党ッ……!!俺はお前を裁きに来た……。』


 その声の主を俺たちは知っていた。



『――メディイ・・・・・・イイイイルッ!!!』



 響き渡り若い声に、会場は静まり返る。


「……なんだ、なんだ?」


 楽しそうにざわつくのは酒に酔いきった奴ら、事態に焦りを見せるのはプログラムを把握している司会進行と会場の警備だ。そう、これは決闘に参加しようと意気舞う当選者でも、サプライズの為に用意されたイベントでもない。


 決死闘を仕掛けんとする、一人の若者の痛切なる叫びである。


「あちゃ~。」


 その腕は痛々しく、真っ赤な紋様に抉られ血に染まっていた。露呈した肉と焦げ切った皮、黒く染まった手先、中途半端に伸びた鉤爪。さて、どれほどの痛みに耐えたのだろうか。それでも、フシンは「竜四肢の呪書」に選ばれなかったのである。







------------------------- 第36部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

⑤追憶の上で


【本文】

――しかし、それでも。


 フシンは痛々しく火傷した左腕を掲げながら叫んだ。あの痛みこそが、フシンの心の痛みや当時のその追憶を、現在に体現させ昇華させたもの。


『僕の家には亡くなった母さんの借金が有った。けれど僕らは楽しくて、家族三人ひっそりと暮らしていた。父さんがいない日は僕が妹を守る役目だった。


 そんな僕らを街の皆は見守っていてくれた。ブルックリンは確かに酷い街さ。数ある城下街の中でも最も汚い、もっとも暗い、もっとも貧しい。それでも、そこに住む人間の心は、一つの風前の灯火として、常に暖かかった。例えどんな奴であろうとも、ブルックリンから成功し立ち去る者達を、みんなは等しく祝福した。


――ジョイアン、ラルク、デニー、ミルタ、プチャラケ、ドランテ、アイゼル、クラシュ、ジニー、ミランダ、ケシー、マルコ、リンダ、ブラヘッド、マチルダさん、キンラケさん、そして父さん。妹のリンカ。


 僕は。あの日、お前が焼き殺したあの街の想いと、焼き切った左腕の為にお前を裁くッ!!覚悟は良いか、ダイアン・メディールッ!!!』


「た……、退場させろッ!!」


 動揺を発露させるメディール家の使用人とイベントスタッフとは対象的に、ダイアンはマイクを手に取り悠々とした顔で声を吹き込んだ。


「待て。」


「な、何故ですか?」


 訳も分からず困惑した表情の使用人をあざ笑うように、ダイアンは口角を上げてフシンの言葉に耳を傾けた。


『僕と"決死闘"をしろッ!!』


 そしてダイアンは読み切ったような表情で顎を上げ、使用人へ向けてその答えを返えすのである。


「法律だからさ。」


 この国の人間は「身分法」により、不平等ながらに身分という区別が存在するが、貴族や騎士を筆頭とした高身分の人間は、下の身分の者からの決死闘を断れないのである。



―――――――――――


 決闘台の上、ダイアンとフシンは睨み合うように相対した。


「目的は"メディール家地下室"の開示だ。ベットするのはこの命。」


 金髪をさらりと搔き上げ、ダイアンは溜息を吐く。


「はぁ、君は下らん都市伝説の為にその命を賭けるのかい。それにその腕。……悪魔に魂を売るのは法律で禁止されているんだ。君みたいな子供にはまだ分からないかも知れないがね。」


「御託は良い。」


「そうかい。ならば、いつでも掛かって来い。」


 ダイアンの金髪が揺れ、フシンの痛々しい左腕に風が当たった。左手の爪は異様に伸び、この距離からは腕に鱗が並んでいるのを見て取れる。中途半端に人を越えた力。腕の周りには赤黒い瘴気が纏わりついていた。


【炎蜥蜴竜《アルデンハイド》の左呪腕】

――常人では到達しきれない、竜という圧倒的な力の一部は、不完全ながら確実に、フシンの左腕に宿っている。


「だ、大丈夫かなフシン君。何分持つかな、ナナシ。」


 不完全な竜腕は不可逆性を併せ持つ。それは必然呪いである為であり。それは病のように身体を蝕んでいく。


「さぁな。」


 しかし、それを支えるフシンの意志の力は、一つの命に勝るものが有る。つまるところ、フシンが戦える時間は相手を負かすには充分であるだろう。


「1分も、持たないんじゃないか。」


 それでも、現実とは非情なのである。重要なのは時間では無い。


『――うぉおおおおおお!!!!!』


 フシンが振り下ろした鉤爪からは、マグマにも似てドロリとした大炎が、ダイアンに噛みつかんとするように、猛烈な勢いで襲い掛かった。例えるならば噴火。常人では避けきれない程の速度で有りながら、その勢いは豪雨に氾濫した小川のように強烈。


「すごい炎だ……。」


「――ダイアン様ッ……!!」


 使用人は喉を震わせて叫ぶ。観客は息を呑み、舞台が焦げる。フシンは肩で息をしながら、ダイアンへの損害を見届けていた。


「ふん、、、、」


 そしてダイアンは現れる。


『まさに、無傷っ!!』


――癖の強い奴め。


 ダイアンは両手を広げて天を仰ぎ、絶望したフシンの顔を見下ろした。


【特殊魔法系・分光の翼スペクトラム

――魔法の性質を分解し見極める固有式魔。ダイアンは敵魔法の火力を支える構成要素を瞬時に分離させ弱体化。のち、対応する優位魔法をぶつけ相殺しているようだ。

 例えば炎で有れば燃焼物(酸素や燃料、それに似た性質の魔法等々)を分離し、初歩的な水魔法と折り合わせて相殺する。


「――な、なんだって……。」


 フシンは苦虫を嚙み潰したような顔でダイアンを睨んだ。


「き、効いて無いねナナシ。」


「そうみたいだな。」


 しかし、これは必然。


 勝敗を左右するのは、火力でも知力でも戦術でもない。

――総合力だ。


 フシンにはその大部分が欠けていた。戦闘における知識も経験も戦術も。往々にして戦う為には、生きて勝つ為には勇気だけでは足りない。


「魔法を分離する固有魔法か。魔法薬学に精通する奴らにとっちゃピッタリな式魔なんだろう。戦闘以外にも応用効くのが貴族らしい。」


「れ、冷静だねナナシ。僕はもう心配で仕方が無いよ。」


 アルクはあからさまに動揺した様子で言った。こと戦闘になると領分から外れる為である。インドア派め。


「どうしたボーイッ!!命を賭けた戦いだ。もっと華々しく踊ってくれよっ!!」


『黙れっ!!』


 フシンが肩で呼吸をし、一歩を踏み出すたびに刻まれたアザは広がっていく。かぎ爪を振るえば更に深く、魔法を放てばもっと深く。それには痛みも有るだろう。それ故に焦りもあるだろう。しかし戦いにおいては、その焦りが仇となる。


『――うぉおおおおおおおおッ!!!!!』


 左腕に任せた大振りの一撃。


「浅い」


『くっ!!』


 ダイアンは両翼を華麗に操り、軽い身のこなしでフシンの攻撃を避けていく。

 しかし、ダイアンに中距離攻撃を相殺されてから近接戦闘に切り替えたフシンも中々の善戦。ダイアンから受けるレイピアに血を流しながらも、スラムで鍛えられた身のこなしに竜の力が合わさり、地力の底力を見せていた。


 さて、どうだろうか。

 呪いが無ければ彼はもっと戦えていただろうか。

 

 もう一年待てば、結果は変わっただろうか。


 ダイアンは満足したような顔をして、フシンの鉤爪を煌々と光る翼で掃い、彼を回し蹴りで軽々と飛ばす。


「もういいかな?」


 そして辛そうに倒れたフシンを幾度となく踏み潰し、蹴っては笑い。蹴っては笑いを繰り返す。結局はワンサイドゲーム。


『ぐっ……、……がはっ、……だぁッ!!』


「うん?え?……なんだって?」


 観衆の声もヒートアップしていく。


「子供が蹴られても、笑ってるんだね。」


「決闘の国だからか。それに身分差も有る。俺たちの国とは常識が違う。」


 貴族としての体裁を気にし、情けを懸けると思っていた俺が間違っていたらしい。これがダイアン・メディールの本性か。それともこの国の気性か。フシンが血を吐き、傷ついていくことに、なんら抵抗が無い様子である。


『ガァッ……、だはっ……、ア"ァ"……!!』


「ボーイ?どうした?――このバカめっ、メディールをっ、私をっ、――侮辱っ、しやがってっ!――汚点っ、風評っ、被害っ、――下らん都市伝説などっ、信用しやがってっ!!」


『ガハッ……!!』


「これっ、以上っ、下らない噂が広がったらっ、責任っ、取れるのかっ、君、AHH!!?」


 血反吐を垂らせども、間違いなくこの状況を招いたのはフシンだ。復讐だとか制裁だとか、短絡的で直情的な感情に身を任せ、結局自らを追い詰めた。


 そういった一時の感情は身を亡ぼす。


「だぁずっ……、だず、助げっ」


「あぁっ?聞こえねぇんだよっ、あぁ?!お前、ここに立ってるって意味分かってんのか?死ぬのっ、お前はっ、今からっ、死ぬのっ!!」


 だから、仲間が必要なのだ。


「誰が、だずげでッ!!!!」


――嫌だ。


「誰に言ってんだろうな。」


 俺はボソッと呟く。


「ナナシ、ここは堪えよう。なんせ緊急時以外、決闘台に勝手に上がるのは法律で禁止されている。それも決死闘の最中なら相当重い刑になる。」


「分かってるよ。」


 フシンは蹴り続けながら悲痛な叫びをあげる。父を殺され、妹を殺され、仲間を殺され、挙げ句最後には甚振られて死ぬのだ。


「――助げでっ!!」


 幾ら願おうと、幾ら祈ろうと、神はお前を助けない。それがこの世界。それが現実。それが現状。だからこそ人は、人にしか救えない。神は善行も蛮行も見ていないのだから、きっと必要なのは勇気じゃない。


 きっと必要なのは、人を人たらしめている、知恵というやつだ。


「何とか言ったらっ、どうなんだっ……、――いっ?」


 刹那。

 ダイアンの脚が止まる。


 靴底とつば迫り合いをするのは見知った短剣だ。


「はぁ……、バカだなぁ。」


――子供大好きマン。いや、女か。


 アルクはわなわなと唇を震わせ俺を見た。あれも恐らく感情に身を任せるタイプ。時にそれは悪い事ばかりではないけれど。


「……な、な、な、何やってるんだい、テツ……!!」

 

――計画と違うのは、勘弁して欲しい。


 テツは果てしなく殺意を持った目つきで、ダイアンの蹴りを受け止めていた。

 





------------------------- 第37部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

⑥審議の上で


【本文】

「……な、な、な、何やってるんだい、テツ……!!」


 決闘台の経過を見ながら、俺のフードには魔法を使ったエルノアが――スッと現れ、フードの中に体重を乗せた。


「何処に行ったかと思えば、あそこか。」


――あそこか、じゃないでしょ。


「はぁ、迷子じゃなくて良かったな。で書類は?」


「君の右ポケットに入ってる。結果は黒だった。というより何で止めなかった。」


「止めるも何も気づいたらアレだ。」


 テツは鋭い眼光でダイアンを睨みながら、彼の靴底を短剣で弾いた。


「子供をっ……、蹴るな……!!」


「また乱入者か。興が冷めるな。」


 テツはそのまま、ダイアンへ詰め寄ろうとする。


「――マズいんじゃないか。」


「潮時か。」


 俺はエルノアにそそのかされ、決闘台に飛び乗った。


「ち、ちょっと君っ!!」


 乱入者パーリィーだな。


「――ん? おいおい、三人目かい。頼むよ……。折角良い所なんだ。それに君は、見知った顔だ。」


 目の前に来ると相当でかい。2mは有るかという気迫が有る。まるで金髪の大天狗。盛り上がった筋肉に4枚の翼が靡く異様な怪物。俺はダイアンの呆れたような顔を一瞥し、笑顔をつくって見せる。


「――いやぁスミマセン。あっ、皆さんもゴメンなさい。お前も何やってんのテツ。ダイアンさん怒ってるだろ全く。」


「ん……?」


 会場は興醒めも良い所。無言の圧力と軽蔑の視線が、決闘台の上に一人だけ全く戦う様子の無さそうな俺に向いてくる。


「それにしてもこんな所にいるとはなぁ。よぉし捕まえたぞ、窃盗犯。言い訳はキャラバンで聞かせてもらおーう。」


 俺はそう言ってフシンを担ぎ、立ち上がろうと膝を曲げた。


「おいおい、何やってんの?ここ、何処だか分かってんの?」


 アドレナリンだくだくのダイアンはレイピアの針先を俺に向け、威嚇する。


「部外者が決闘台に上がるのは犯罪。ましてやココは決死闘の舞台。それがどういうことだか分かっているのかい?緊急時でもない限り……」


「緊急時。……ですか。」


 俺はダイアンの言葉を遮り、一枚の紙をビシッと張った。


「――緊急クエスト。☆0(部類:難度不明)『スラムの亡霊の拘束』

 ・依頼主:道具屋店主「トグル」

 ・達成条件:道具屋の商品を盗んだ犯人の確保、拘束。

 ・達成報酬:5万イェル 」


「なんだいそれは?」


「……クエスト受注日は昨日。つまり、この決闘が始まる前から彼は犯罪者であり、俺たちの拘束対象。

 現在、緊急クエストの犯人を正式に確保したですが何か問題でも?それとも法律は良くご存じで無いようでありますかダイアン閣下。決闘法は緊急時のみ部外者が決闘台に上がることが出来る法律であります。この際の緊急とは無断で借用されたトグル店主の呪書の回収。今この時も左腕の呪物はその効用は失われつつありますが、まだ左腕を斬り落とせば売り物になるかもしれませんので。」


 俺は腰の鞘から短剣を抜き、担いだフシンをテツに、そのまま台から降ろさせようと背中を押す。


「ちょっと待て。ベラベラとうるさい御託ばかり。たかが窃盗如きで決死闘を止められると思っているのか?金を払った客はどうなる、地下室の開示を賭けた僕はどうなる。そんな猪口才な理由で彼を降ろせると思っているのか?」


――正論だな。


「ならば刑が確定した後にでも続きをやれば良い。ましてやあのダイアン・メディールともあろう人間が、まさか日を置いただけで負かされるかもと杞憂する"小心者"ではないと信じたいものですが。」


「ふん。言うじゃないか。――それならばこの状況はどう収集する。貴様らの横槍で遮られた観客たちの不満は、そして勝ち勝負を持ち越された僕の立場は、このフラストレーションは、どう解決する。お前らが生み出した、この舞台をッ!!」


 ダイアンは4枚の両翼と槍のように長い両腕を伸ばし、観客の声を味方につける。会場の熱は、俺たちという共通の敵によりヒートアップ。「そうだそうだ」と不平不満の声と共に飛んできた缶や空き皿のゴミを避け、俺は奥の手となる書類の束を右のポケットから出した。

 

「次は、なんだい?」


「さて、何でしょうね。私もまだ詳しく読んでいないもので、報告書のようにも見えますが。いささか文字が小さくてね。びっしりと内容が詰まっているみたいだ。えぇー、報告書のタイトルは……」


 俺が発した言葉に、ダイアンは鋭く顔色を変えた。


「タイトルは、――ブルックリンが死んだ日。」


「なんだと?!」







------------------------- 第38部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

⑦記された悲劇の上で


【本文】

「タイトルは、――ブルックリンが死んだ日。記されている内容は大量虐殺ジェノサイドの一部始終だ。こんな根も葉もない噂の証拠らしき書類を、何処の馬の骨かも分からないクランが持っているなんて可笑しな話だが。まさかアンタらの所有物でもあるまいしな。」


 決闘台の袖からメディール家の使用人が決闘台の上に登った。


「あっ。」


 ダイアンは使用人に耳打ちをされ、しばらくした後に口角を鋭く上げた。


「部外者が登っているようで。」


「緊急だ。」


「何の御話でしょうか?ここは決死闘の舞台、緊急性が有るならば……」


「家にコソ泥が入ったらしい。」


――ウソは付けないよな。


「へぇ、それは大変ですね。」


 俺は書類で顔を扇ぎ、頬に風を送って視線を逸らした。


「貴様ら、自分が何をしたのか分かっているのか?」


「まさかまさか、かのダイアン・メディールはそのコソ泥が我々で、この書類が自分たちの物だと仰りたい?」


「そんな訳が無いだろう、阿呆が!!」


「――そうだよな。しかし、コイツを呼んだ限りは、もう俺たちは見て見ぬフリをするわけにはいかなくなった。なんせ歴史を揺るがす大犯罪。こんなコソ泥の命などどうでも良くなるほどの罪。どうぞ彼の命を取るなりなんなり、余興の続きをお楽しみください。俺たちは今からこの文言の裏を取るため、評議会へ出向くとしましょう。なんせ、この国の言論は自由であるらしいからな。そうだ、新聞にでもタレコミもしてみましょう。」


 俺は紙を丁寧に織り込み、ポケットへとしまった。


「貴様ッ……。」


 ダイアンの顔が、たいそう天狗らしい顔つきに変わった。


「けれど、まぁその前に。」


「――お前を殴らなきゃ気が済まない。」


 拳を堅く握り口を挟んだテツを後ろに下げ、俺は一歩前に出る。役割は分担が大事だ。


「ほう。やるっていうのかい?何も知らない偽善者の分際で。」


「あぁ、そうだな。……偽善者の俺とお前が闘う。地下室の開示と評議会の査察が条件だ。賭けるのは、俺の全て。」


「くっ……。本気で言っているのか?」


 ダイアンは躊躇うように眉をひそめた。


「断るのか、ダイアン・メディール。――さて、ここは決闘の国、俺は旅人ナナシ。魔法は使えず、冒険者としては駆け出し。敗ければ俺は死に、勝てばアンタは無実を証明できる。どう考えてもノーリスクな最高のイベント。退くのか!!」


 無論俺は国民では無い。身分法は適応外だ。それ故にダイアン・メディールには拒否権が有る。しかし。


「逃げるのか!!この大舞台でッ!!……とか、言ってみちゃったり。」


 その言葉に、ダイアンは胸を張って言い返す。


「――受けてたとうっ!!最高のショーになるッ!!」


「よし。」


 俺は踵を返し、テツが担ぐフシンの左腕に短剣を当てた。


「……ツゥ……、はぁ、……これは?」


「【皇女の短剣】っていう特級クラスの武器。魔法や瘴気をゆっくりと自然吸収してくれる。それ以外に何が出来るかは知らないけどな。少しは楽になるはず。」


「……すぅ、はぁっ……、なぁ、戦うのか?」


 フシンは痛みに喘ぎながら問う。


「まぁ。」


「あんな怪物にッ?!……お前は弱いのに?!」


――余計なお世話だ。


「確かに俺は弱いけど、あんな奴は屁でも無い。」


 俺は自身の手の平を裂いて、血塗られた短剣をフシンの肩へとゆっくり刺した。


「ヒィッ……!?……痛く、ない?」


「なら良かった。テツ、あとよろしく。」


「僕がやる。」


「俺が死んだらな。」


 俺は出血する右手を握っては広げて、握っては広げて、身体はトントンと小刻みにジャンプ、筋肉を伸ばしたり関節を曲げて鳴らし、身体を少しづつほぐしていく。


「無魔の君が素手かい?僕を少々舐めていないか??」


 ダイアンは不敵に笑った。会場は増えつつある警備の量にざわつき始める。恐らくは俺たちを捉える為に集まってきているのだろう。何にせよ、退路を作るには決死闘は避けられない結果だった。


 しかし、この決闘は俺の意志でもある。


「――舐めてんのはお前の方だ。命を賭してここに立った亡霊の意志を、アイツが背負った亡者の想いを、それに突き動かされたバカたちの想いを、お前は軽んじ、舐め腐り、踏みにじっている。……想い出せよ大馬鹿貴族。分からねぇなら教えてやるよ、今日が一体なんの日かを。今日が一体どういう日かを。」


 ダイアンは金髪を描き上げて笑った。


「はて……、ご享受頂きたい。」


 俺はテツが投げた皇女の短剣を掴み、戦うために構える。フシンの呪いを吸ったその赤黒い瘴気は、今日の日の為だけに在った。


「――ブルックリンが、お前たちを殺す日だ。」


 




------------------------- 第39部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

⑧決闘台の上で


【本文】

「報告書は大方フシンの言葉を裏付けていた。てめぇ、そんなナリして結構なカスじゃねぇか。私欲の為にここまで虐殺して飄々としている奴を俺は始めて見た。」


「何のことだか?」


「とぼけるな。直接手を汚さずとも首謀者はテメェだ。人を救う薬作ろうっていう氏族クランが、よくここまでカスになれたもんだな。」


「おい、そろそろその臭い口を閉じてくれ。君と僕じゃ生きている世界が違うのさ。」


「その通りだ。俺の世界をテメェの血みどろの世界と同じにするな。」


 ダイアンは瞼をピクピクと動かし、両翼を広げた。


「よくもまぁ見ず知らずの話に、そこまで憤慨できるものだ。……死んでくれ。」


 刹那レイピアが眼前に迫る。


――速い。


 ただの貴族じゃない。決闘の国という特殊な環境に順応した圧倒的実力者。俺はレイピアを短剣で弾きながら重心を左に落とし、レイピアを右にかわす。


『――分光翼《スペクトラム》』


 しかし、避けた先には硬化した刃の如き翼が、手足を振るうかの如く追撃に現れる。


『集光《フォーカス》。』


 同時に太陽光が翼に集まり、俺の視界を煌々と遮った。俺は地面を大きく蹴り、身体を逸らして反転。距離を取ることを余儀なくされる。


「おぉっと、危ないぞ。舞台から落ちれば君の負けだ。」


――完全に防御主体の式魔と思っていたが……、これは。


「……ざけんな。死ぬまで俺は負けねぇ。」


――これはもう、一介の闘士とは一線を画す魔導士だ。


「貴族にしては、強いじゃねぇか。」


「君が弱いだけだろう、魔力を感じないぞ。それとも隠しているのか、いいやならば試すだけだ。」


 ダイアンはすかさず両翼を広げ、鋭く尖ったように硬化させた羽を立たせる。


『――分光翼《スペクトラム》・羽刀フェザーナイフ


「くっ……!!」


 刹那、無数の羽が直線状に飛来し風を斬り裂いて襲い来る。


 短剣の間合い。叩き落とす数十枚の羽、残りはこの身体に突き刺さり、文字通り刺すような痛みに襲われる。


「HAHAHA!!おいおい、マジで使えないじゃないか。良くも僕に立ち向かったものだ。一発殴らなきゃ気が済まない?冗談はよしてくれよ!!」


 血流が激しさを増し、傷跡からは炙られたような熱を感じる。熱くて痛い。そして感覚が研ぎ澄まされていく。


「HAHAHAHA!!いやぁ。BOY……。君は一体何のために戦っているんだ?虚しいじゃないか。虚勢ばかりの人生、こんな最期を迎えてしまうなんて……。彼を助ける為?ブルックリンの復讐?世迷言を。見てもいない歴史を鵜吞みにし、見せかけの善意で憤怒を演じるッ!!」

 

 出血の霧、混じり合う復讐の瘴気が俺の身体に纏わりつく。


「所詮貴様らはッ、ただの偽善者に過ぎないッ!!!」


 大翼の展開が空を覆う。圧倒的なその実力を誇示するように、ダイアンは力を込めて魔法を解き放った。


『フェザーナイフッ!!!』


 先程の比に成らないほど、無数の羽が眼前に迫る。


「同感だよ。」


 俺は横一線に短剣を振るい、空間を薙いだ。赤と黒の瘴気が髑髏を浮かばせながら三日月状に広がっていく。


「なッ……?」


月薙つきなぎ。』

(=【月薙】剣刀技・横薙ぎ。

 ――イーステンの南部山地発祥の伝統的な斬撃技。【月光剣】と呼ばれる括りに位置づけられ、特定の構えと斬撃の波動から大気中の魔素を利用した簡易術式として発動され、通常よりも僅かに強力な薙ぎの一撃を繰り出せる基礎技。)


 消滅した翼の燃えカスみたいな灰が、パラパラと空中に散った。


「何故だ。なぜ効かないっ、なぜ魔法が消えたのだっ!!」


 ダイアンは困惑した表情で吠える。


「何故だろうな。一体何故魔法は消え、何故俺は生きていて、何故俺はお前に立ち向かうのか。」


 次いで俺は全身に力を込め、身体に内在する魔素を高速で循環させる。


「答えは一つ。それが呪いだから。」


 アメリカ合衆国カリフォルニア州サンノゼ。レバーアクションライフルに分類されるウィンチェスターライフルを始めとした数々の名銃を生み出し、その銃の犠牲となった数多の亡者によって米国一呪われた家があった。

 

 実際呪いというものはおおよそ世界中に伝わっており、不確定不明慮な超常現象として取り上げられるが、往々にして呪いが呪いたる状況というのはどの国を見ても1パターンしかない。それは被害者が事象を「呪い」と認知した時。すなわち呪法とは、気付きによって効力を増す精神への攻撃手段。呪いが掛かると狼狽えたその隙こそが「呪い」が付け込む最大の隙間。


『くっ……、――分光翼スペクトラムッ!!』


 なりふり構わずダイアンは魔法を蓄積し、光の翼を正面へ閉じる様に構える。対照的に俺は守りを捨て、瘴気を纏った短剣を鞘に収めて居合を構えた。


「大貴族メディール家次期当主、ダイアン・メディール!!お前が焼き切った全ての生命を、その魂を、その痛みを、この復讐を、断罪を、怒りを、捌けるものなら捌いてみろ。」


 身体が力む。視界が狭まる。


――勝負は、一瞬だ。








------------------------- 第40部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

⑨イッセンを終えた上で


【本文】

 踏み込みは深く、曲げた膝は強靭なバネのように、一直線に跳ねて飛ぶ。


『一閃ッ!!』


【一閃《いっせん》】

――大陸東部、イーステン発祥の居合剣技。"親和性"が高く、あらゆる技と併用されて使われるようになった剣技の基本型。


 鷹のような速度で、集約した瘴気と溜め込まれた魔法を正面へ。


「――来いッ!!」


 ダイアンは全身全霊で受けの構えを取る。刹那、俺の刃がダイアンのレイピアに接し、それを大翼が支えんと力む時、短剣に纏う深紅の瘴気がダイアンを取り囲む。


「ぬぅぅうッ!!!!!」


 その瘴気は髑髏どくろを模る様に、あるいは爛れた人間を模る様に、冥界の如き異様さに化けダイアンを突風のぶつかる如く襲い狂った。


「うぉおおおおおお!!!!」


 ダイアンは声を上げ、上腕を隆起させながら全身の力を正面へ押し出し、分光翼を辺り一面にまき散らし、まばゆい光を放ってそれを押し返していく。


「うおぉおおおぉわたしはァア……こんな場所で散る男では無ァイッ!!」


 一閃の一撃には俺の血液も含まれている。魔法を抑制する呪いの血霧。しかしそれでもなお、ダイアンは分光翼を維持しながら、瘴気の一撃を分解させていく。


「何が痛みだ、復讐だっ。所詮お前らは魔素で構成された瘴気の思念体っ。この翼の前ではただの物質に過ぎないっ!!!」


 確かにその一撃には、あらゆる想いが宿っている。だからここまで持ちこたえ、ダイアンを苦しめていた。


「――消えろ亡霊共っ!!」


 ダイアンがそう叫ぶと、翼の光は太陽のように煌々と煌めき、周囲を閃光の眩さで包んでいく。


『うぅぉぉぉぉおおおっ……、――どはぁッ!!!!!』


 分光翼が七色に光を飛ばし、短剣から放たれた瘴気は鮮やかに消滅した。


「終わりだぁ!!その一撃、制したりッ!!」


 圧倒的な魔力。そして経験値。ダイアンは持てる全てを費やし、ブルックリンの亡霊たちを鎮め切ったのだ。

 ……けれどその無念は、託された想いは、ただの物質なんかでは無い。人伝に受け継がれる、感染病にも似た、かつ掴みどころの無い、しぶとい本物の呪いなのである。


「――偽善者で良いんだ俺たちは。それでも、真っ直ぐ生きられるなら。」


 俺はダイアンのうなじに短剣を当てた。切っ先がプツりと肌に刺さり、そこから血の雫がコポっと外に出る。


「その式魔は、負荷が掛かると良く光る性質がある。だから見えなかった。目の前の事ばかり追ってるからそうなった。そうだろ?」


「貴様は、囮にしたというのか……。あの禍々しい瘴気を……」


 ダイアンは困惑したような声でそう言った。


「それが俺のやり方さ。想いも憂いも、勝つ為に利用する。ブルックリンの亡霊達には、不服だったかも知れないが――」


 俺は短剣の刃をギューッとうなじへ押し当てた。


「いっ……、ぐっ……!!」


 ダイアンは広がっていく痛みに軽く喘ぐ。俺はそれに構わず言葉を続ける。


「こうなれば、問題無いだろ。……なぁダイアン・メディール、あんたを殺す。もし今から始まる調査が円滑に進まず偽証を伴うものであれば。あるいは隠ぺいを含むものであれば、その時はどんな呪いよりも容赦はしない。あるいは――」


 俺は沈み切った観客を見渡してから、ダイアンに声を掛けた。


「まだやる?」


 静寂を切って、ダイアンは両手を掲げる。


「……降参だ。」


 混沌と困惑を含めながら、それでもただ戦いを見に来たような街の狂人たちは、その狂風に煽られるかのようにけたたましく、節々に戦いを締め括る大声のファンファーレを上げた。



・・・



――――――――

{決闘の国、城壁の関門橋}


「もう行くのかナナシ。裁判は今からなんだぜ?」


 フシンは呆れた様な顔で、微笑しながらそう言った。メディール家の裁判はこの国の健全さを表すアピールにもなると噂されていた。恐らくはもったいぶって地下室に溜め込んでいた膨大な研究資料が、真っ黒過ぎて庇い切れなかったことに原因があったのだろうけれど。


「フシン。上手くいっても、どうせお前に多額の慰謝料が入って御終いだ。俺たちには一銭も入らないってんだから、この街にいたって意味が無い。」


「そうかもしれないけど……。」


 落ち込むフシンを見てアルクは両手を広げて笑う。


「現金だなぁ。」


――お前の提案だろ。


 俺はアルクを睨んでから、下を向くフシンの肩を叩いた。


「一期一会の出会いさ。惜しんだって意味が無い。」


「そういう意味じゃないだろ。」


 フシンは苦い顔をして言い返す。


「というか弱く無かったな、お前。」


「最強だからな。」


 冗談めかしにそう言うと、今度はアルクが苦い顔をした。


「また会えるよなナナシ。だって凄いクランになるんだろ?」


「そうだな、世界最高のシーカーになる。しつこい追っかけにサインくらいはしてやるさ。」


「言っとけよ。」


 フシンは照れたように俺を殴った。


 踵を返せばキャラバンは進む。


 いくら手を振ろうが、別れは別れのままである。


「ナナシ。最強だとかって話は冗談にならないよ?分かってる?もし悪神教キリエたちに聞かれてたら……」


 しばらく進んでアルクが口火を切り、俺は溜息交じりに言葉を返す。


「はいはい、分かってますって。」


 揺れるキャラバンの中で、この名ばかりの最強が話題を変える。


「そう言えば、結局どうやってメディール邸に入ったんだ?」


「……ん?」


 猫が眠たそうに欠伸をしたあと、めんどくさそうに口を開いた。


「キャラバンでパーッとやって、ボクがスゥ―ッ、っさ。」


「おいおい、最強だな。」


「最強だもん。」


 アルクはまた呆れた様な顔をして、このバカバカしく稚拙な会話に溜息を吐いた。


「それにしてもいい国だったなぁ~。」

 俺は伸びをしながらそう言った。


「どこが?」と怪訝な顔で言ったのはテツだ。

「確かに~」と、いの一番に同意したのはプーカ。

「どうかなぁ。」と場を見て言葉を濁したのはアルク。


 どうやらその評価は賛否両論であるらしい。









------------------------- 第41部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

⑩ex,旅の回帰


【本文】

「ナナシ。次はどこだ。」


「うん、今回はもう決まってる。」



・・・・・・


 曇天が立ち込める生憎の天候。サステイル領・決闘の国を離れ北上する俺たちには、ウザったい様な軽い雨が落ちようとしていた。


「――えぇっ!!学院に戻るのかい?」


「あぁ。ノスティア領の最北域で予定通り炭を売ったら、の話だけどな。」


 この国の四大地方を『領』と呼ぶのは、大戦の名残である。もし四大地方がなんらかの摩擦で争うものなら、その領内にある国々や街々は自身の『領』の元に結束してきた。特段ノスティアという地方にはその精神が息づいており、忠実、結束、あるいは支配的であると言える地域である。


 そしてアルク曰く、大陸でのトレードの鉄則は「対岸の物を売れ」だそうで、基本的には北の物品は南によく売れ逆もまた然り、西の物品は東によく売れ逆もまた然りなのであるそうだ。


「な、何か用事が有ったのかい?ナナシ、僕自身の意志としてはあんまり戻りたくないというか、大口を叩いて出た割に今はあんまりトレードが上手くいってなくて……。」


 アルク・トレイダル。その実家は有力な交易商である。その長男であり跡取り息子である天才交易商のアルクには、政略の為に決められた許嫁が存在していた。つまり彼は現在、絶賛逃走中なのである。


「気持ちは分かるが、先生オルテガからの書簡が最近増えててな、かなり圧力を掛けられてる。」


「――オルテガ・オースティック。どんな人なんだろう……」


 テツはボソッと呟いた。シーカーであるならばその名前を一度は聞いたことがあるだろう。

 ウェスティリア魔術学院『冒険士寮{シルフィ―ド}・寮監督教授』元S級探索士クラン・トーチライツ隊長。最高位アポストル(エルゾーンから帰還したマスターに与えられる称号)シーカー。サステイル地方エル=ダンジョン。『神々の墓標エル=アラム』生還者。異名:求道者・導きのオルテガ。確かに有名な人物である。


「それはナナシがまだ一通も返してないからでしょ。わざわざ帰る必要が有るのかい?」


 俺は不満げな顔を浮かべるアルクを宥める様に話す。


「……実は、一通だけ返したんだ。俺たちが丁度大陸を一周した頃、ウェスティリアからまた出るついでに。」


「――なんて返したんだい?」


「生存報告と、……仲間が出来たって返した。それからはあからさまに送られる書簡が増え始めて、新大陸渡航のヒントを教えるから帰って来なって。」


「……なるほど。」


 プーカ、テツ、リザが仲間になる過程で、ユーヴサテラは俯瞰的に見れば時計回りに大陸を回ったことになる。その間、様々な初級ダンジョンやクエストに触れ知識を蓄え、俺達はすなわち現在、チュートリアルが終わった段階にやっとのこと立っている状況にあるのだ。


――だからこれは、良い機会かもしれない。


「ってことで、一旦帰ろう。……面倒だけど。」


 新たな道の為に、旅の回帰が始まっていく。


 次に目指すはウェスティリア城。その大城下都市、ウェスティリア冒険者ギルド。旧ウェスティリア城を改築し革命の象徴として建立され、数多の伝説を残した傑物たちが教壇に立つ舞台。その地下には高難度の監獄迷宮が入り混じり、狂気と謎を内在させた巨大な学舎『ウェスティリア魔術学院』。


 急がば回れと言い聞かし、ここに一つ、憎愛すべき古巣への帰省が始まる。




{決闘の国}





------------------------- 第42部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

設定資料:真新しいメモ帳


【本文】

(貴方は埃塗れの本棚から、とある綺麗なメモ帳を発見した。中身を覗くと、どうやら幾つかの文字が黒く塗りつぶされているようだった……。)



『―――――

 【極秘書物・ミルナキケン】


 〔タイトル・魔法の勉強〕 


{初めに}

 この世界には2種類の人間がいると聞いた。

 無魔(ノイマ)の人間と式魔(シグマ)を持つ人間だ。


 僕は生まれてからずっとダンジョンで暮らしてきたが、どうやらそこは魔法が使えない特殊領域だったらしい。

 そのせいか僕は、魔法が使えない身体になっていた。

 いわゆる無魔ノイマって奴だ。


 ただし、その反対の人間を式魔シグマと言う訳ではないそうだ。式魔シグマは体内の魔素を外界に触れさせ応用したもので、生き物が繰り出す魔法全般のことを指す。


 ここは僕もややこしいと感じるが、つまり無魔とは式魔を使えない、または使わないものを指す言葉であり、魔法が使えない者を指す言葉ではないということだ。


 ……例えば、先天的に式魔を使えない異世界からの転移者や、呪われた冒険家でも、強制的に魔素を外に出し"式魔に似たことを行う技"も存在する。


 つまり理屈的にはこの世界に住んでいれば、誰であろうと魔法が使えるようになるのだ。この世界の空気を吸い、この世界の食べ物を食べ、この世界の水を飲めば、嫌でも血中には魔素が混じっていく。だから例え僕でも、魔法の勉強をし、魔素についての理解を深めることは今後の冒険に役立つことになるはずだ。この一冊では、これから聞いたり、見たりして学んだ魔法の知識についてをメモしておこうと思う。


 ただし、魔法を使う人間に特有のオーラみたいなものが存在しない、うちのリーダーみたいな奴は早々に無魔判定が下され、敵との判別がしにくい無魔を毛嫌う冒険者達からは、運が悪ければ樽で殴られることもあるようだ。

(或いは、太々しい顔をしているからかも知れない……。)



――――――


{式魔・(シグマ)あるいは(シキマ)について

<i681830|40039>


 地方によって発音が異なる。

 世界通貨である「イェル」とか「ジェル」とか「エル」とかと同じだ。


 式魔を使うには多くの努力が必要だが、ダンジョンに挑む者や騎士を目指す人間は、無魔であるとイジメに合うらしい。


 式魔の性格は様々だが、聞いた話によれば普通は6つに区分された基礎系統のどれかに該当する。


・基礎系統

1原始...一般的な魔法系統。白魔法。黒魔法。汎用性に優れ実用的。

2契約...召喚士等が該当。

3身体...体内の魔素を肉体の強化という形で外界に発出させたもの。

4自然...一般的かつ戦闘向きにもなる。研究が進んでいる分野。

5物体...ものづくりがしやすい?って聞いた。(雑な説明だ。)

6感知...占い師も、元を辿ればここから派生するようだ。


(番号は適当に振った。)


そして、

7特殊魔法...基礎系統の性質が複合されているもの。


 特殊魔法については分からないことが多いらしいが、例えば炎の剣を作る魔導士がいれば、4と5の性質を持った7ということになる。


 かの有名な最強のずんぐりむっくりチビ、サテラ・カミサキの扱う扉魔法(ゲート)は5と6を合わせたものだ。

 一説によれば親和性がうんたらかんたら……で、基礎魔法で出来た六芒星の頂点に特殊魔法が来ることから「六芒星魔法」とも呼ばれている。


 で、その六芒星は生き物によって系統の場所が様々。魔物が人知を超えているように、人間以外の親和性の有無や関係性は未解明だ。


 白魔法と黒魔法は原始系で、光魔法と闇魔法は自然系だが、黒魔法と闇魔法の複合性質は通常の人間では不可能なので、得意とするような奴は六芒星の振分けが似ているモンスターの血を継いでいるので「殺すべき」という意見もある。


 過激思想だ。


(考え方は色々あるらしい。僕が覚えるなら、今のところは1が良い。)


「五大自然系属性」

 炎

 水

 風

 雷

 岩

 →自然系に属する魔法で、これらは覚えやすい。上級の冒険家には自然系魔法を満遍なく憶える者もいる。炎魔法は暖を取るために、水魔法は喉を潤すために。


 なるほど便利だ。



――――――

{魔法の難易度}


 いろいろな国や、神技会を筆頭としたさまざまな評議会によって、様々な基準がある。暇そうだったのでナナシに代表例を書いてもらう。以下に記す。

<i681827|40039>

(例;基礎雷魔法)

魔術学会アカデミア↓  魔法研究ギルド↓  元老神技会↓                 

          SSS級   カタストロフィ級 (ヤバい)

           SS級            (ここは、内緒)   

特級          S級            (極雷の槍ケラノウス)   

1級          A級            (特雷の槍ケルノス)

2級          B級            (大雷の槍ケルノ)

3級          C級            (雷の槍ケラン)            

4級          D級            (ビリビリするやつ。)

5級          E級           (ピリリッとするだけ。)

0級          X級           (規格外や珍しいもの。)


 魔法の致死性に基準を置いていたり、発動の難易度に基準を置いていたりするので結構バラバラ。


 例えば、操血魔法(血を武器にするもので、血操魔術とは別物。)とかは頑張れば高い殺傷能力を有するけど、習得難易度で言えばナイフで手を切れば、案外誰にでも出来るので、アカデミアでは5級、連合ギルドではX級に該当。地方によっては禁術扱いだった。

 

 神技会スケールは憶えるに値しないと思うけど、カタストロフィ級という基準値を設定したことが功績としてある。元老神技会は昔からヤバいカルト組織と言われているけど、連合ギルドのSSS級は神技会に合わせて作られた。


 その発端となった魔法は、平和都市アイギスと関連深いフェノンズの旅団が放ったもので、一国を勦滅させた程だと言われている。詳しい話は{サテラ}が知っているそうだから、次に会ったら聞こうと思う。


―――――

{剣技について}


 地方によって様々な流派が存在する剣技。特定の所作や動きによって殺傷能力が上がるその仕組みは、空気中に含まれる魔素を集約させていることにある。すなわち、魔法陣と同じような効力を身体の動きで生み出し斬撃を強化しているのである。また魔法を付加することも可能で相乗効果を生み出せる。なんと奥深い。


 有名な流派

・四神流「発祥地:イーステン刀剣の国」

・月光剣「発祥地:イーステン刀剣の国」

・竜剣舞「発祥地:アイギス竜の谷」


 なお、四神流の格下とされる四大派生が特に人気を誇っているらしい。

「青龍」

「白虎」

「朱雀」

「玄武」

 これらは魔法の性質によって相乗効果の大きさが変わる。適性検査みたいなものだ。相性があってそれを選び取ることが出来るから人気。ナナシは玄武剣をたまに見せるがアレは守りの型らしい。キャラバンは堅いんだ、これ以上守りは要らないでしょ。あぁ神よ、どうか彼にもっとマシな攻撃手段を与えたまえ……。




―――――

{■■■■と魔法}


 『"■■■■にとって魔法が必要かどうか"が長年議論になっている。これは式魔の持つ後天的な不可逆性に起因する命題だ。すなわち、シーラと言う巨大な未知に対して、か弱き我々人類が獲るべきスタンスは、唯一生まれたままの純粋な無魔で無ければならないという考えだ。』―(■■■■の心得より引用)


 とあるが、つまり何かの魔法を極めた人は、その人がどれだけ優秀であっても他の魔法が扱いずらくなってしまう身体に変わってしまうということらしい。


 例えば王国に仕える魔法騎士でとりわけ名を挙げているような将軍たちは、強力な自然系魔法を扱えるが、私生活では最も容易な"白魔法"で物を浮かせることすら出来ないとか……。

 

 これは考え物だ。

 式魔の習得には長い年月が掛かるが、■■■■にとっては悪い方向に作用してしまうかもしれない。そしてそれは不可逆性を持つ。

 しかし冒険者としても、実用的な魔法を扱えたからこそ、楽な旅が出来たという事例も多い。


 めっちゃ、悩む。



・・・・・・・・・・・――――――――』









------------------------- 第43部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

設定資料:世界のマタタビ大全Ⅲ


【本文】

(貴方は埃塗れの本棚から、古くて分厚い図鑑を開いた。何と中身は『シーカーの心得』であった。)

 


『――――――――――――――

【シーカーの心得】

著・ククルト=フランデ


→トライデント斜塔ダンジョンで頭角を現した伝説的獣人|探索士(シーカー)。クラン・爪痕(クロウズ・マーク)の初代先導長。踏破したダンジョンは90以上にも及び、当時最高位であったマスターシーカーの称号を獲得。晩年はダンジョンギルドの上級開拓家や番台嬢としても活躍。多くの功績を世に残した。


《第一章・シーカーとは》 

・シーカーとはライセンスを伴う特殊な冒険家の総称である。

・所得ライセンスには明確なクラス分けが存在し、クラスによっては立ち入る事ができないダンジョンも存在するが、パーティ内の一人でも条件を満たしていればOKなど、ダンジョンによってまちまち。

・取得者は国が取得許可を与えた人物に限り、すなわちそれは国家及び定められた団体の身分を証明出来るものでなければならず、国家間の秘密保持の為その条件は厳しい。

 →(追記)現在はやや緩和され、特定の学院や冒険者ギルドの所属者などでも取得が可能。

・シーカーの存在は公だが、施設の使用許可や集まりの場などは秘密が多く、これは情報を盗賊や蛮族らに漏らさない為の工夫である。また、シーカーは国際機関ではないが、シーカーキャンプはシーカーなら誰でも使える。

・主な収入源は鉱石や古代武器などのオーパーツ、薬草、珍味食材となるだろう。

 主目的は最下層の秘宝や敵の討伐であり、基本的にそれらは特殊領域迷宮シーラを形成する要因となり、"強大な魔力"を秘めている為に稀少価値や武器としての運用など、国力を著しく左右するものと言われる。

 またその"要因"は円環点とも呼ばれており、異常の解決後、探索家の帰還を容易にする。(稀に普通ダンジョンでも同様の現象を確認できた。)


《不破領域用、索敵隊列》

・目的は大パーティにおける、危険地帯での低戦闘能力者を守ることと、主軸だけでも目的地にたどり着かせるという捨て身の作戦の要素、敵の群れ遭遇時の安全確保。取り分け未開拓領域における探索は、縦列のみでは死亡率が高いとされる。なお下記の例は{クラン・爪痕}で採用された8名体制である。


「索敵方法1」

警戒線を浮かせ、範囲内に陣形を入れる方法。→オーパーツ(骸の糸)

「索敵方法2」

探知魔法を特定の人間が展開し、範囲内に陣形を入れる方法。→魔法(先導の光輪)

「図解・陣形一覧」 

〇=戦闘員 

□=非戦闘員(負傷者、支援者等)


D1 

     ○

   ○   ○

    □□□

  ○     ○


D2

      ○

    □   □

   ○     ○

    □   □

      ○


D3

    ○   ○

      □

     □□□ 

    ○   ○


D4

      ○

      □ 

   ○□   □○

      □

      ○


D集約

      ○

     ○□○

     ○□○

      ○


主な使用場所

 …眠れる龍の森(ノスティア地方)

 …オーク荒野(ウェスティリア地方)

 …ゴブリン街跡地(サステイル地方)

 …暗黒森林(ノスティア地方)

 …影踏み森(イーステン地方)

 …月光荒野(イーステン地方)

 …焼失の森(サステイル地方) etc...


4.03より追記 

使用されたと推定されているが、帰還者はいない。

…アンノウン(新大陸・不明海域)

…|神々の樹海(エル=フォレスト)(ウェスティリア地方)

…ゲーテ大洞穴(新大陸・不明陸域)  




《攻略レベル:危険度》

・区分けが二つある理由。

(知っての通り、私欲にまみれ情報戦争を謀る国家間が"共同"で制定した下記の危険度推移は、現場では全くもって意味を成さない。やはり現場で命を懸けている者と、権力に飼い慣らされた開拓家たちとの熱量の差には、明確なものがあるのだろう……。)

→追記・現在はシーカー区分けに合わせ、改訂、追加拡張がなされた。…しかし現在においても各ダンジョンごとに〇級と分けられているこの大雑把な区分は、層毎の危険度を意識する現場のシーカー達からは好まれていない。 


「国が制定した区分け」

〇(G~A)級

G 子ども向け注意喚起レベル

F 河沿いの探索地レベル

E 巨大オオアリの巣窟レベル

D 大ネズミの下水道レベル

C 

B 

A 竜谷レベル      ―――以上基本7段階    


S 特定エス級ダンジョン  ――追加1段階      

SS(EL)特定エル級ダンジョン      

SSS            ――追加2段階


測定不可        計10段階+α


「シーカーたちの区分け」

(G)レベル1  注意領域

(F)レベル2  要注意領域

(E)レベル3  警戒領域


 危険領域  (プロ領域)

(D)レベル4 下級

(C)レベル5 中級


 特別危険領域(ベテラン(ネザー及びマスター)領域)

(B)レベル6 上級

(A)レベル7 上級特化


 限界領域

(S)レベル8   絶命領域 Sエス

(EL)レベル9  神々の地 EL(エル=)

(EL)レベル10  神々の懐  EL(エル=)


 特殊領域

レベルα 日々変動が激しく測定不能。

レベルβ 謎すぎて推定すら出ない。


…探索地シーラ内部でも区域によって変化するレベルのため、場所によっては国家水準的には高レベル帯ダンジョンでも、ビギナーが探索している場合も有る。


…加えて危険度が明確で、気が引き締まる区分と言われている。


…レベル4からはプロシーカーの仕事と言われている。


…Sがつくものを絶命領域と言う。


…対して難度の高いA以下を絶望領域と揶揄する奴もいる。


…神々領域しんじんりょういきと区別するところもある。


…探索士領域シーラは隠語。故に仲間内では探窟地とか探索地とかいう団体も多い。

 →追記・現在ではシーラとして普及している。


…ダンジョンとライセンスの難度及び級位については謙遜ありき、通常の感覚ではレベル5で上級者。レベル6まで行けば秀でた天才扱いされる。すなわち、ダンジョンを前に図に乗るなと言う事だ。


《ライセンス》

 管理されたダンジョンは、パーティに一人はライセンス所持者がいなければならない。

 場所によっては所持者しか入れない。


     通 称      別 称     推奨難易度(級)

最低位  ビギナー  ・ 底級       F~


低位   アマチュア ・ 低級(アマチュア)E~


下位   セミプロ  ・ 初級(アマチュア)D~


中位   プロ    ・ 準中級(アマチュア)C~


(ここからは極僅か。通常は天才と呼ばれる境界。)

中位   セミトップ ・ 中級(ベテラン) B~


上位   トッププロ ・ 上級(ベテラン) A~


高位   マスター  ・ 特級  (怪物) 


最高位  アポストル ・ 極級  (怪物)…エルゾーンから帰還したマスターたち。


  計 8 等 級 + 2

改訂 連盟会議より追加決定。二等級SとAの間


高位   ネザー   ・ 高級    (以下、通常S級とまとめて呼称)


高位   グラン   ・ 最高級


高位   ヴォイド  ・ 準特級


 計 11 等 級 + 2


以下、特殊ライセンス

「特例:先導開拓士・パスファインダー」

・シーカーではなく、とりわけ未開拓領域。例えば監視所や観測所、中継拠点地シーカーキャンプの無い様な場所を専門的に調査、開拓し実績を挙げた者。

・シーラでの実績が無い為や、様々な理由でライセンス発行基準をクリア出来ていない者もいる。

・認められた者は「制限無し」(顔パスと呼ばれている)として如何なるダンジョンにも入窟可能。

→(追記)・シーカー達には、レベル的に高くても"セミトップクラス"と思われていたが、近年ではマスター区分まで見直され始めた。理由は未開拓領域が減少し難度が上昇せざるを得ない為と、選考理由が厳しい為。


「特例:拠点開拓士・ビルダー」

・シーカーとしての能力は低くくとも、本格的な前哨基地確保のために"特例として"「制限無し」となっている者。

・悪用厳禁である。ビルダーを採用した隊は死亡率が3割ほど高くなっている。


《黄金の七人隊・ゴールデンセブンス》

・参考までに記載するのはダンジョンにおける最良の編成とされる一つだ。知っての通りダンジョンにはクランメンバー毎に役割を決められることが多い。

 しかし数多ある隊職、そして構成人数の中で、如何なる事態に遭遇しようとも生還を可能とする編成が有るとされている。すなわち理論値だ。

 誠に皮肉なことではあるが、それがかつて、私が所属していたクラン

黄金律ゴールデンオーダー》が編み出した産物であることには相違ないだろう。

 大変難儀なクランでは有ったが、我らながらに探索士の編成選択における礎を築き上げたことには誇りを感じざるを得ない。しかし時を経れば伝説は揺らぎ、人伝に変わり切った解釈が迷信に堕落することも想定されなければならない。


 すなわち以下に、初代黄金律による探索編成を記し遺しておきたい。

『先導手』(トレイルリーダー)

『護衛者』(ジーク)

『技術師』(メカニケ)

『医療師』(メディック)

『調理師』(リッパ―)

『運搬師』(ポーター)

『幸運者』(シスター)




・・・・・

――――――――――――――』








------------------------- 第44部分開始 -------------------------

【第7章】

第6譚{周期を逃した七人}


【キャッチコピー】

――零下80度位、ですかね………。


【サブタイトル】

①極寒キャラバンの中


【本文】

 ノアズアーク。


 ……俺たちのキャラバンには、特別な仕様が有る。


「――なぁ、ナナシ。」


・1つ目は姿形が変わること。どんな難所だろうと素早い追手だろうと、その時々に合わせた姿に変わり、直面した危機を乗り越えてしまう。

・2つ目は魔法を使って動くこと。少しの魔力さえ有れば何十キロと走っていける。

・3つ目は魔法が使えること。それは時と場所を選ばずに、閉鎖されたキャラバンの中で有れば、魔導士は魔法を扱える。これは取り分け、シーラと呼ばれる魔法制限領域内でとても有用。


「――おい、ナナシ。」


 そんな特別なキャラバンを所有するのが、俺たちだ。


「……あぁ。」

 

 ウェスティリア冒険者ギルド登録クラン【ユーヴサテラ】

 専門職クラス・『探索士シーカー

 主な活動はダンジョンで発見されるロストテクノロジーや叡智の財宝である"オーパーツ"の収集、その研究、及び売却である。


 しかし、俺たちみたいな新参クランには入窟が許可されないダンジョンも存在する。つまりダンジョンでの宝拾いだけでは事が多々有るのだ。これは非常に世知辛い。


 そこで重要な収入源こそ、特色見られる珍しい物品や食料の交易(トレード)。そして街々で受注出来る"クエスト"の達成報酬。


「――ナナシ、見張りは?」


 真っ黒い毛並みの猫が、器用にも俺の肩に乗りながらそう喋った。


「あぁ、はいはい。分かってますとも……。」


 俺は筆記途中のペンを置き、重たい腰をゆっくりと持ち上げて起立する。

 

「つらつらと何を書いてたんだ、遺書か?」


 黒猫(エルノア)はヘラッと笑って言った。


「そうだな、それに限りなく近い。」


 見張りというのはキャラバンの見張りである。


 何故俺たちが乗車中のキャラバンに見張りが必要なのかと問われれば、それは遭難したからだ。遭難すればすることは一つしかない。


 何もしないこと。


 何もしないことで熱量消費を抑え、食料燃料等々の浪費も抑えている。しかしながらそれでも外部環境は苛烈を極めていた。まぁダンジョンとは往々にしてそういうものだ。今回で言えば寒さがその苛烈さに当たる。


 寒すぎるから俺たちは、キャラバンが接続する魔法部屋の1つ『禁書庫』に籠っているのだ。ここは外界から遮断されている。よって寒さも届かない。

 

 しかし全員が籠っていれば肝心のキャラバンはもぬけの殻である。いざ寒波が去った後にモンスターにでも荒らされていれば、怒髪が天を衝きながら、一方床に向かって箒を掃き散らすハメになる。そこで俺は最大限の防寒装備を整え、魔法部屋の戸を開けキャラバンに戻るのだ。最悪の事態を避ける為に。


――ガチャリ、と。


「――うッ。……はぁっ、しばれる……。」


 白い息と共に思わず声が漏れ出てしまう。刺すような寒さを顔面一杯に浴びて、手袋の上でも手を擦りながら首を縮こめて鼻を啜り、凍える顔をすっと上げた。


――!?


「えっ……。」


 あぁ、しかし。見張りに出るには少々遅かったらしい……。


 キャラバンの中には、ガチガチに鼻水を垂らして震えているオッサン2人が並んで立っていた。さぞ驚いただろう。今更になって人が出てきたのだから。


「――うぁッ!!」


 そう、これは俺たち新参『探索家シーカークラン』が過酷な特殊ダンジョンで経験した、周期を逃した時の話である。





{周期を逃した七人}


------------------------- 第45部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

②寒いキャラバンの中


【本文】

「いいかナナシ。人助けも良いが、禁書庫は絶対不可侵だ。キャラバンの魔法を使うのも無し。」


 エルノアが冷たい声でボソッと呟き、静かに肩から降りた。


「……分かってるよ。」


 それから俺は息を呑んでキャラバンの戸を開け、追い出した二人を招き入れる。



―――――――――


{ノスティア地方『ダンジョン・神秘の青蕾(ブルジェオン)』}


 椅子に座り暖炉に手を当てながら、二人の探索家はその火を見つめていた。キャラバンは先程と打って変わり、暖かさを若干保持し、俺たち七人の冒険者たちに暖を与えていた。プーカは寒そうに縮こまりながら、二人の客人を見て舌打ちを決める。


「チッ……、」


「止めなさい、そして睨むな。」


 俺はプーカの頭を捻って目線を逸らさせる。冒険家は肩身狭そうに「ハハッ……」と笑った。


「事実迷惑をかけている、実に申し訳ない。」


「いえいえ……。」


 アルクは魚骨のスープをカップへよそって、二人の元に差し出す。


「あぁ、有難い。すまないね……。」


「いえいえ、400エルです。」


「あぁうん。……え?」


 彼は怒っている訳では無い、現金なのだ。アルク・トレイダルは{ユーヴサテラ}の資金繰りを司っている。ダンジョン探査の知識や戦闘員としての力はほぼ皆無だが、素晴らしい詐欺師もとい商人だ。


 さっき舌打ちを決めた丸々として態度の悪い少女も、ただふてぶてしい訳では無い。プーカは一応クランの盟主で有り、薬師の顔を持つ運搬車(ポーター)というサポートの怪物。背丈は小さいが、クランの大黒柱である。


「しかし、このキャラバンに人がいるとは思わなかったよ。というか、まだ人がいるとは思わなかった………。君らには救われたよ。君らがいなければ私らは凍死していた。……いいや、その危機はまだ去ったとは言えないがね。」


 外では冷たい風がピューッと吹いて鳴いている。俺は眠そうに首を揺り動かすテツの肩を揺すりながら、傍らで話を伺う。


「……二人は地元の探索家ですか?」


「ん?……あぁ、そうだよ。私たちは親子なんだ。息子と二人で、母の腰痛に効く薬を取りに来た。しかし情けない事に周期を逃してしまった。君たちもそうだろうが、知っての通り私たちは今、帰路を失ってしまっている。神秘の青蕾(ブルジェオン)が口を閉じてしまったからね。」


 神秘の青蕾ブルジェオンとは、このダンジョンのことである。つまるところ俺たちは、神秘の青蕾ブルジェオンと呼ばれている"蕾状のダンジョン"の中にいる。それは地理的な自然現象か、はたまた植物のような生物類そのものか。とにかく俺たちはこの気まぐれなダンジョンに囚われている。


「……次に口が開くのは、いつだか分かりますか?」


「うむ……。」


 二人は顔を見合わせる。そんな中、技術士のリザは運転席で呑気にもアコーディオンを奏で始めた。その軽やかな音は「危機的状況」を「日常」と混同させる。


「私たちの予想では二日後です。最近では地上の気温が低いことも有り、吸寒期が直ぐに終わる短い周期にシフトしたと考えています。でなければ、私たち地元民が周期予想を誤ることなんて、ほぼ有りませんから……。」


「吸寒期?」


 聞き慣れない単語を俺は聞き返す。


「あぁ……、吸寒期とは周辺の寒気をブルジェオンが取り込む期間のことです。その間ブルジェオンは冷やされた空気の代わりに、ダンジョンの地熱で暖められた空気を地上の街へ送り込みます。つまり周辺に有る街は全て、ブルジェオンという天然の暖房に恩恵を受け発展した街なのです。」


「へぇ、そうなんだ。」


 流石地元民である。良い話を聞いた。しかし逆に言えば、今から俺たちを襲い来るものはそのシワ寄せということになる。ノスティア地方の極まった寒波を集約したシワ寄せである。


「して、ダンジョンはどれくらい冷え込みますか?」


 俺がそう聞くと、二人は絶望したような顔を見せて答えた。


 







------------------------- 第46部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

③風除け張りのキャラバンの中


【本文】

「して、ダンジョンはどれくらい冷え込みますか?」


 俺がそう聞くと、二人は絶望したような顔を見せて答えた。


「零下80度位、ですかね………。」


「80?!」


 アルクが驚いたように声をあげる。零下80度と言えば南極大陸、ボストーク基地で観測された-89.2度という地球最低記録に匹敵する。ともすればそればこの世界でも、衝撃的な数字であることは変わらないだろう。ちなみにゴキブリに噴射する凍死ジェット系のアレは最高温度幅ー85℃というのが謳い文句である。


 しかし、仮にもダンジョン探索を生業としている者からすれば、一つの疑問が沸いてくる話だ。


「なぜ管轄のギルドは防寒の避難所や拠点を作らなかったんですか?これなら、周期を逃したら死ねと言っているようなものだ。」


 その疑問に、悩ましい顔をしたのは父親の方。


「地震と虫害でしょうなぁ……。長期的に残る建築物はシロユキアリの根城になり、慢性的に起こるブルジェオンの震れに耐えられるような技術なども無しに。作らなかったというよりかは、作れなかった。」


「なるほど……。」


 そうこうしているうちに、外気温は徐々に、その絶望的な低温へと近付いているのだろう。弾いていたアコーディオンに飽きたのか、少し危機感を感じたのか、リザはおもむろに立ち上がり「誰か手伝え。」と言って風除けを腕に抱えた。


 「いいよ。」と快い返事をしたのはアルクだ。彼はどことなく人に使われるのが似合っている。


「個性的な人ばかりで、賑やかなクランだ。」


 スープを啜りながら父親の方が呟いた。キャラバンの周辺には屋上を頂点にテント型の風除けが展開されていく。ガラス戸は木製のシャッターで閉じ、極力生み出した暖気を逃がさないように工夫する。


 後は防寒具だ。魔法の倉庫にしまってあった布団を全て外に出し、着れるものは全て着る。そんな俺たちの準備を横目に父親のおっさんは笑顔で言った。


「旅人の方にとって、こういったことは良くあることですか?」


 あるわけがないだろう………。


「ちなみに、こういった事とは?」


 俺は念の為に聞き返す。


「……あぁ。仲間内で協力して、一つの危機を乗り越えるようなことです。」


――それは良くある。そんなことばかりだ。


「茶飯事ですね……。残念なことに。」


 俺は作業をしながら答えた。これは持論だが、冒険家とは危険を自ら冒すような者たちではないと思っている。つまり冒険家とは、目的の為に存在する危険を極力回避しようと努めるからこそ冒険家たるのだ。きっと、そうでなければ馬鹿や愚者と同じ言葉で事足りてしまう。


 しかし、そういった意味ではこの状況下は回避すべき事案。まだまだ三流なのだ、俺たちは。ちなみにクラン級位はゴリゴリの底辺であるFランク。三流どころではない。


「いいや、しかし。……私には楽しそうに見える。旅人の方。今から極寒の恐怖が襲い来るというのに、私は今、久方ぶりにドキドキしているんです。君たちとなら乗り越えられるような気がする。」


「……それも、そうですね。」


――というか、乗り越えられなければ死ぬんですけど。


「ナナスィ……?」


 タンと寝室から飛び出し、深皿を持ったプーカが何か凄いことを閃いたような顔で、ニヤニヤしながら近付いてくる。


「カキ氷つくんべ。」


「お前は馬鹿だよ。プーカ。」


 極寒と閉鎖の恐怖が立ち込めるダンジョンで、七人と一匹さすらいの冒険家らは木製の家城に身を寄せながら、刻々と迫るその時に備えている。


………そして俺たちは、夜を迎えた。







------------------------- 第47部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

④超極寒キャラバンの中


【本文】

 その日の夜は防寒対策と暖炉のお陰か、ノーマルな真冬の夜といったような寒さであった。そして未だ太陽が昇らない早朝から昼にかけての暖炉の見張り番を代わり、一睡を挟んで夜に起きる。喧騒の中で迎えた19時は、地獄のような寒さのピークで、手足の末端の痛みで意識が覚醒した。


「ナナシ。次寝たら死ぬかも。」


 テツが眠そうな目で瞬きしながら言った。


「うぅっ、そう思うなら、もう少し早く起こしてくれ………」


 床に足を打ち付け血を回す。ジンジンと痺れが続き、蕁麻疹のように痒い。


「うおぉおおおおおおおおおおおおお!!!!!」


 暖炉の前ではリザがこれでもかと石炭をぶち込んでいた。外では風除けがバサバサと激しく靡き、氷か石かが壁に打ち付けられる音がする。


「これで目覚めないのが不思議だよ。」


「……それは確かに。我ながら。というか何だよアレ………。」


 暖炉の広さはあからさまに拡張され、その炉内はより高く深くなっていた。四方からは水蒸気を出すパイプが悲鳴を上げている。変形というより魔改造だ。俺は険しい顔の黒猫を手繰り寄せ、肩に乗せた。


「お前使ったな?魔法。」


「………いや不可抗力だし、……致し方無し。寒さが限界、突破で冥界……果ては寒波で、待てば後悔っ……、さぶいっ。」


――なぜライム。


 黒猫は身体をぷるぷると震わせ、てとてと机の上を歩く。まぁ全裸にはきつかろう。全裸には。


「うぅ……、客人の耳にはリザから誤魔化しが入っている。ボクは寝る。」


「いや、死ぬぞ。」


 黒猫はテツの服の中に入り、クルッと丸まった。


「猫型湯たんぽ……。」


「お、ちょっと、いいなそれ。」


 身体は依然震えが止まらず、足をジタバタさせ続ける。


「うおぉおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」


 投炭担当はアルクに変わり、ひたすら石炭が炉内へばら撒かれていった。


「ぷはぁ……、あぁ、これは厳しい………。」


 スープの入ったカップを震わせながら、客人の父親の方が言った。


「こ、今晩が必ずピークだ……。乗り切れば、うぅ………」


「頭が痛いぃ………、でも美味いぃ………」


 その横ではプーカが、カキ氷の入った深皿を震わせていた。


「おバカだ………、なんで、誰も止めなかった………?」


「――ふはぁ!ナナシッ!起きたんだねッ!!これは良いよ!!身体がッ!はッ!暖まるッ!!」


――投炭`s ハイ、とでも呼ぼう。


「うぅ、そりゃ良かったです。………でも、お前の燃料が先にバテそう。みんな飯は……?」


 その言葉にテツが首を振る。


「ナナシ。何か作ってくれ、暖かいの!」


 リザが汗を拭きながら言った。


「……へいへい。」

 

 俺は身体を縮こませながら立ち上がり、キッチンの食糧庫を覗いた。牛乳は勿論、魚から肉から野菜から、何から何まで全てが凍っている。


「うへぇ、冷凍庫いらねぇじゃん。買わなくて良かったぁ……。」


「良い加減っ、はっ、買おうよっ、はっ、」


 蛇口を捻れど水は出ない。竈は暖炉に吸収合併され、キメラのように連結されていた。


「困った……。プーカ、かき氷まだ有る?」


「うんん、もういいらないい!!」


 プーカは自室の調合場を指差した。このキャラバンは右後方にメインのキッチンを置いているが、左後方に一室だけ設けられた小部屋には、プーカが薬を調合する為のミニキッチンが展開されている。移動せず居を構える時だけだが、キャラバンは若干横に広がるのだ。


 俺はプーカ部屋に蓄えられた大量の氷をポッドに入れ、キッチンに戻る。依然食材は凍っているが、ここで取り出すは宝剣とも名高い名刀{皇女の短剣}。圧倒的に戦闘用であるこいつで凍った魚、シイタケ、玉ねぎをガリガリとスライスしていく。

 

 切れ味は抜群だ。それらをまとめてポッドにいれ、蓋をロックして炉内の端の方へぶち込み、準備はバッチリ。元々煤だらけのポッドだったし、汚れるのは仕方が無い。


「ナナシッ!これッ!!本当にッ!!大丈夫ッ?!!」


「ダイジョブダイジョブ、燃やせ燃やせ。あぁ、石炭はちょっと避けて。当たらないように。」


 数十分待ったらそれを取り出し、網を使って濾(こ)していく。


「――あッつ!!」


「出来た~?」


「まだ。」


 濾した黄金白濁のスープをまた鍋に戻し、今度は塩と胡椒を加え、長ネギ、鶏肉、ニンジン、ジャガイモ、白菜、しめじ茸、えのき茸を一口大にぶった切り、ポッドに入れる。


 根菜類を多めに入れたのは腹を膨れさせるためだ。炭水化物を取らなければ身体から熱は生まれない。ポッドにまた蓋をしたら、また炉内の端の方へ肩身狭そうに置いてやる。25分もすれば充分だろう。俺はポッドを取り出し、机の上で蓋を開けた。


「じゃじゃーん!」


「おぉ~、ナナスィ~、タイトルは?」


 プーカは鼻を鳴らしながら湯気立つポッドの中身を覗き、俺に聞いた。確かに、メニュータイトルというのは食材の味に雰囲気を付けてくれる最高の仕上げだ。


 例えどれだけ舌に合わない料理でも異国風(エスニック)とか言っておけば、「こんなもんか~^」と納得出来てしまうのもこの為である。ここはひとつ、食欲のそそる名前でも付けてやろう……。


「……うーん。『ぶち込みッ、魚介と鶏の野菜スープ』!!」


「ダッセッ……。」


「ナナ、つまんねッ……。」


「ナナシは捻りが無いよね。」


「零下80。」


――てめぇら。


「おい、食わせんぞ。」


 確かに探せばもっと面白い名前を付けれそうではあった。無かったのはその余裕。俺は直ぐに冷めてしまわないよう、分厚い奥底の陶器を7つ取り出しスープをよそった。何度目かの最後の晩餐である。







------------------------- 第48部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

⑤ブルジェオンギルドの中


【本文】

 霜柱に轍(わだち)を付けながら、緩やかに曲がるスロープを空へ向かうように上っていく。垣間見える青と雲と陽の光は、幾日ぶりかの癒しであった。開いた蕾から外へ出て、遠くに見える山稜から少し下を見下ろせば、蕾の外周を取り囲むように建てられた家屋の集まりが見て取れる。


 ダンジョン街。


 それはダンジョンがもたらす恩恵を具現化した人類の軌跡だ。そしてその偉大なダンジョンを管理しているのがダンジョンギルドである。俺たちは受注したクエストの達成報告をしに、あの極寒の地獄から舞い戻ったのだ。


「万年草の確認が取れました。………こちらが報奨金ですね。以上でクエストは完了になります。有難う御座います。お疲れ様でした。」


 ――赤字だ。


「ナナシ、赤字だ。」


 アルクは呟いた。


「今、同じことを思ってたよ。……えぇーっと、どれだけ資源が減っただろうか……。特に石炭。」


「いくつかはストックしておこうと思っていたんだ。しかしアレの大多数は次の街で売るつもりだった……。」


「疫病神はいるんだな。しかも二人もお目にかかれた。」


 俺は少し毒を吐く、これがデトックス。違うか。


「それは言わない約束だよ。僕らは冒険者なんだから。……人命にお金は換えられない。」


 遭難を共にした二人は颯爽と家へ帰っていった。少しは恩を返して貰いたかったが、こっちが秘密保持の為に最善を尽くさなかった訳で、向こうは金が無いからダンジョンに居たわけで、善悪で考えても、道徳的に考えても、この赤字を彼らから取り返すのは良くない。


「ナナシ。僕はトレーダーとしての僕を天才だと思っていたけど、いざ旅を始めて見ればこのザマだ。……あぁ、僕は親のスネをかじっていただけの凡人の出来損無いだったよ……。」


――自己肯定感低め。


「まぁ、楽しかったし学びもあった。授業料か娯楽代だと思えば良いさ。」


 俺はアルクの背中を押して、キャラバンまで戻って行く。


「その言葉は嫌いだけど、今はそう思うことにする……。」


 ギルドハウスの扉を開き、陽の下に晴天を見上げる。フードの中ではモゾモゾッと黒い猫が体勢を変え、前足を俺の肩にのっけた。


「旅は道連れ世は情け、それで得する弱者だけ。」


 エルノアはフフンと笑ってそう言った。……まぁ、結果論だ。結果的にそういう時も有るのだろう。結果的に。


「腹黒いなぁ。」


「――黒猫だもの。」


 他愛もない思案を巡らせ、キャラバンは今日もまた新たな旅に立っていく。






------------------------- 第49部分開始 -------------------------

【第8章】

第7譚{魔術学院の街}


【キャッチコピー】

――ピター・ピニックの駄菓子屋には要注意だ。


【サブタイトル】

①音楽の横で


【本文】

――どれだけの絶望があろうとも、笑おうじゃないか。


 愉快な音楽と共に踊る冒険家。ヴァイオリンの音に跳ねた打楽器のリズムを加えて奏でられるその曲は、誰しもの心を揺り動かす。


「るったったら~ら。」


――誰かが笑おうとも、誰かに笑われようとも、誰かを笑おうとも、自分を笑える生き方をしようじゃないか。


「るったったら~ら~らー。」


『――ラッダッダッダー。』


 深い霧の立ち込める教室は、燦々太陽の照らす南国へ、それから鮮やかなオーロラの広がる銀世界を越え、木々の立ち並ぶ大地の海へと情景を移す。


 男は杖を振るう。


「フリューゲルは偉大な竜騎士。クロノスは謎に包まれた西界魔術の祖、シルフィードは天命を運ぶ美しき交易人、そしてグノームは全てを創造する研究者。フェアリアはある意味、その全てがシンボルとなる。」


 心地よいリズムが教室に流れ続ける。


「現存する古流四大クランは、火のサラマンダル・アルデンハイド、そして水のウィンディーノス・ヒュドラのみ。しかし、冒険家『シルフィード・テンペスト』の意志は我が校ウェスティリア・シルフィード寮、そしてフェアリア寮の伝統として受け継がれています。しかし後にフェアリア寮の由来には別の精霊が関わっていたという学説が浮上しました。不確定な話ですが皆さんが今から歩む道に比べればとてもとてもマシな話でしょう。」


 教壇に立つ男は杖を振り空中に名前を残す。


「さて、ここはウェスティリア魔術学院1人気の無い寮。しかし中等魔導士の試練を見事に潜り抜け、この道を選んだそのセンスと英断を称えましょう。」


 文字は緑色に光り、彼らを魅了した。


「そう、ここは冒険士寮の中に存在する高等魔導士寮。

          ――ようこそ『探索士寮(ドライアド)』へ」


 端正な顔立ちに若々しい佇まいをするその男の瞳には、捉えどころの無い深い闇が淀んでいた。


 男の名前は{オルテガ=オースティック}

 世界最高峰の探索士の、一人である。


「ふむ。今年は、七人ですか……。」


 そう呟くと、オルテガは水晶に向かい杖を振った。七人の学徒は水晶から発せられるその光の先、映像の投影された黒板を見つめる。


「中導科(中等魔導士科)で大方魔法を学んだ皆さんでしょうが、取り敢えずはここを目標としましょう。」


 映し出された映像には、人間一人分はあろうかという程の巨大な牙を生やした魔獣と、それに立ち向かう五人の冒険者らの姿が有った。その状況はまるで過激な処刑ショーのように、緊迫していた。


 教室はザワつく。


「去年まで君たちを教えていたライネル先生でも、この学院が飼い慣らしたペッドでもありません。私が個人的に所有していた魔獣の卵を孵化させ成長を待ち、繁殖期の今、三日三晩ご飯を抜いて生徒らに当てた映像です。無論ここで想定されているのは、特殊危険領域{シーラ}での戦闘。彼らは魔法を使いません。」


 魔導士課程を踏んだ彼らには見慣れない光景。全くもって魔法を使用せず、魔法に似た技を扱える魔獣と対峙する人間。


 幾度と吹き飛ばされながらも、連携を取り合い、死闘を繰り広げる生身の人間。


「あっ、」


 一人の生徒が声を上げる。


 映像に写された一人が、炎の魔法を上げたのである。


「あぁ、良いのです。彼は『探索士寮ドライアド』ではなく『交易士寮シルフィード』。しかしながら君たちは挑み行くダンジョンで、専門外の人間と共闘することもあるでしょう。その時には守らなくてはならないのです。あるいは、……見捨てるべきかもしれません。」


 流れ続ける優雅な曲と激しい戦闘との兼ね合いは正に、セレブがパーティー会場でデスゲームを眺めるようなコントラストである。


 緩やかで軽快なヴァイオリンにティンパニーが加わり、リズムは段々と激しさを増して戦いも過熱する。


「ほう。何か気付いた様子です。みなさんならこの状況、どうしますかね。圧倒的な強者を前にして、ただ絶望するだけでは探索士シーカー足り得ません。そう、いつだって我々は探さなくてはいけない。さぁ、ミス・ヴァイオレット。貴方なら何を探しますか。」


 急に名前を指された女の子は、戸惑ったようにそれに応える。


「あ。相手の弱点ですか?先生。」


「うん。……それもいいでしょう。しかし、君らと同じくらい、あるいはそれより弱い彼らが見つけたのは、恐らく別のものでしょうね。」


 映像の中の青年はパーティを手招き、洞窟の岩壁へ身を寄せ合う。それを見るやオルテガは、教室の右前、廊下へ通じる扉へ杖を構えて制止した。


「あっ、まっずい。そうかそっちですか。いやはや困った教え子ですよ……。」


 映像の五人は魔獣と相対する。猛烈な突進、ギリギリの回避、砕ける岩壁。

 刹那、教室の扉は――ドガシャンッ!!と強烈な音を立てながら壊れ、そこからは映像にのっていた魔獣が映像の勢いのままに現れた。


『―――うぇえええええええええ!!!!!』


 叫びを上げる生徒らを前にオルテガは全く動じず杖を返し、魔法を放つ。


『ヴィクター。』


 直後、杖の先に展開された魔法陣と接触した魔獣は、その勢いを全く反転させたかのように後方へ吹っ飛んだ。オルテガは壊れた学院の扉を一瞥し、少々青ざめた表情で薄ら笑いを浮かべながら話す。


「えぇ...、紹介しましょう。君たちの先輩です。一応。」


 オルテガがそう言うと、教室に空いた風穴からは血まみれの男が現れる。ボロボロの風体、疲れ切った土色の顔、服には無数の泥が付いていた。


「えっと、なにか一言。」


  男は口を開く。


「……探索士寮ココだけは、止めとけ。」




 




------------------------- 第50部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

②魔城と教室の横で


【本文】

「へぇ~、随分立派じゃねぇか。」


 リザは感心したように、遥か先に聳える大城を望む。


「外面だけな。」


「何を言ってるんだい。中身だって伝統ある素晴らしい学び舎さ。隣に位置するこの街は少し学院から離れているように感じるけど、ポータルと呼ばれる転送門が有るから苦労はしないんだ。街にしては防御が手薄に感じるだろうけど、それも魔術学院の防衛システムに関わる重要な作戦の1つなんだ。」


「というか村だろう。」


「そうかもね。」


 アルクは目深に被ったフードを揺らしながら、懐かしそうに街を眺める。


「働いているのはほとんど学生さ。農産物はグノームが、交易や店番はシルフィード、見張りはフリューゲル、何でもやるのがフェアリアとクロノス、まさに魔術学院の街。」


「なるほど。だから奪還戦か。」


 リザは得意の観察眼で、急に街の核心を突いた。


「え。あぁうん、そう。この街は歴史的にも囮として戦術的な機能をしてきた。食料だとか燃料だとかは敢えて焼き尽くして、学徒はみんな城に立てこもる。いち学校とは言え、国の要所であり重大な戦力が結集する場所だからね。」


「ここよりも学徒の死者を出してる学校は存在しないだろうな。」


「ナナシ、それは語弊が有ると言うか。まぁ事実なんだろうけどさ。ほら、歴史も有るからね。それだけ色々有ったのさ。」


 アルクは弁明する様に言った。


「わたあめ~、ぶたにく~。」


 プーカは店内に並ぶ食品に釣られては、ストリートを右往左往している。


「武器、本、杖、魔法……」


 多くの品数に、目を見張る商品広告、テツもその意識をまばらに散らせていた。


「みんな、買い物は後だよ。先に案内しなくちゃいけない所が有るからね。」


 アルクは自慢げに話す。


「どんな場所だ?」


 リザは興味深そうに聞いた。


「僕とナナシの出発点さ。一応、みんなもここに登録してあるし、僕ら全員のホームと呼べる場所になる。それは国の中心でもなく、政治の要所でもない。新たな才能が日々集うこの場所にあるもの。」


 立ち並ぶ軒並みを大きく凌ぎ、四階建ての立派な木造建築が顔を表す。


「――ウェスティリア冒険者ギルド本館。」


 俺たちは固唾を飲んで、その扉を開けた。


「登録者数約400余名。本館には多くて50人弱の冒険者が集い、酒池肉林の長机を囲んで毎日の如く宴会のようなバカ騒ぎを繰り広げ、て……」


……いるはずだった。しかし今日は、伽藍洞である。


「あら~ナナシ!お帰りぃ。アルクも一緒ねっ!!きゃーみんな、二人が帰って来たわよ!!って誰もいないんだけどね!本当バッドタイミング。」


 番台係のミシャはウェスティリア魔術学院の先輩である。ロングの茶髪を緩く巻いた髪の毛は、出会った頃から変わっていない。時折、隣接する厨房も手伝いに行く彼女は、使い古したエプロン姿が制服である。


「ただいまミシャさん。みんなは?」


「うーんと。デッカイ魔獣を倒しに、緊急のやつ。それとー、今日は大事な授業があるらしくてみんな見ないかなぁ。」


 そういえば俺たちが特別なだけで在籍者は普段、授業を受ける学生である。特段この本館は酒池と言えど酒は飲めないので、この時間にいないのも不思議ではない。しかし人っ子一人居ないのは不可解。


「緊急クエストね。どんなやつ?」


「んーと。何やら新しく出来た洞窟の調査らしくて……。」


 この頃、俺たちはこの大根役者の芋みたいな演技を見抜くべきだったのである。


「報酬金は20万イェル。早い者勝ちだって。」


「行きますッ!!」


 ミシャは間髪入れずに食いついた俺たちの顔を見るや、舌をペロッと出して笑うのであった。


「じゃー、いつも通り書いておくわね。」


「こいつらも一緒で。」


「えぇ、お仲間ね。初めまして。そして、いってらっしゃい{ユーヴサテラ}。私は何処に居ても、貴方たちをずっと応援してる。」


 冒険の日々は、激動の毎日である。


 今回の帰省に関して言えば、番台係ミシャの顔を見たのは、この数秒間だけであった。


「貴方たちに、祝福があらんことを……。なんてね。」


 最後に彼女は、そう言って笑った。



―――――――

「{魔術学院の地下迷宮}そういう名前で登録されている特別なダンジョンだ。本来はセキュリティの関係で学徒等関係者以外には立ち入ることが出来ないが、ここに至る裏道は無数にある。もっともその裏道を通じても、このダンジョンから学院にバレずに潜入することは、ほぼ不可能だけどな。」


 走るキャラバンから眺める景色は、あの頃とは大きく違う。その高さも、速さも、心強さも。


「監視でもいるのか?」


「あぁ、学院は捕獲したコウモリの片目に水晶を埋め込んで放ってる。」


「それは、なかなか……。」


 ハンドルを握るリザは退いたように言葉を濁す。


「こういう話はマシな方さ。後で合いに行く教育者は元S級探索士。実に、あんなところまで登り詰めた奴に、健常者は存在しない。」


 俺たちは城下街の麓にある洞窟から北へ向かって歩いてく。現在地は旧ウェスティリア城の南に流れる川の下あたりだろう。地中に染み出す水の量が増え、モンスターの量も増えていく。


「岩肌が見えてこれば{魔術学院の地下迷宮}に辿り着くよ。それと、研究が進めば地下牢獄だとか、地下墓廟だとか、相応しい名前が着くって聞いたことが有る。つまりここはそれほどまでに詳しく調べられた場所じゃないから、何があるか分からない。一応みんなには細心の注意を……」


 息巻いて案内を進めるアルクの顔が曇った。なるほど、地形が変わっているのである。


「通れない、みたいだな。」


 リザがブレーキを踏む。


「……おかしいな。ナナシ?」


「地形変動はダンジョンではよくある、だから緊急クエストなんじゃねぇの?知らんけど。」


 俺たちはキャラバンを降りて辺りを見渡した。見知った質感のダンジョン。見知らぬ道幅、見知らぬ別れ道。見失った帰路。


「歩くか。」


「ぐえぇ~ッ!!」


 真っ先に声を上げたのはプーカだった。


「学院のカツカレーセットは最高なんだよなぁ。」


「そうだったね~。」


 アルクは懐かしそうに笑い、プーカが節操無く手を挙げた。


「やります隊長っ!!やらせていただきます。」


 方舟探索法キャラバンシーキングを断念する時は、往々にしてプーカが尻拭いをする。すなわち荷物持ちである。


『――フォームポケット。』


『ふわぁっ。……はいはい、ノアズ・アーク。」


 首の後ろ。フードの中から欠伸をして、やる気なさげにエルノアが呟く。直後キャラバンはレンガのような切れ込みを入れながら、ガタガタとサイズをコンパクトに縮め、巨大なナップザック程の大きさに変形した。


「おめぇ……。」


 総重量は500kgから1tと聞かされている。嘘か誠か。とにかく常人が持てる重量では無かったことは確かだ。プーカは嫌そうにしながらも、夏休み前の学生が持つカバンのように、何とかしてそれを背負い込んだ。


「ワレ、……軽量化っ、求ム者ナリ……。」


「おう。金があったらな~。」


 リザが軽々と返事をした。それは重々しい課題ではある。金は無い。



――――――――

{魔術学院の地下迷宮(仮)}


 頭の悪い泥人形の化け物を切り捨て、狂暴化した巨大コウモリを撃墜し、俺たちはノスタルジックに道を進む。初等モンスターの群れも今となっては。いや、今でもかなり強くね……?なるほど成長していないらしい。というか、学生に当てるモンスターとしては頭の悪い強さをしている。ここを実習にチョイスするド外道がこの学院の教壇に立っているらしい。


「方角は合ってるはずなんだけどね……。」


 珍しくアルクは先頭を歩いていく。確かに、人口的な構造が入り混じるこのダンジョンでは、崩落による行き止まりなどが分かり易く、比較的出口を示唆するものや、目印となるものが有ったりして迷いにくいダンジョンではある。


「意味不明だな。まるで知らない場所に来たみたいだ。」


 俺は辺りを見渡した。


「そうだねナナシ。……取り敢えず、あのコウモリにでも手を振っておこうよ。誰かが助けに来てくれるかもしれない。」


「こんなところで助けられたら、本末転倒というか赤っ恥というか……。まぁいっか。」


 俺も何となく手を振った。


「あっ。」


 直後。リザが何かに気付き声を上げる。


――グルルルルッ……。


 強烈な息遣いと、腹の音。身体が伝える危機感の悪寒。よくあることだ。しかし、いるはずも無い高ランクモンスター。


「レベル5と見た。」


 リザは淡々とそう言った。


「A5?」


「それはちょっと違うな~」


 現実逃避にも似た会話。諦めるにはまだ早い。


「言ってる場合かっ!!」


 俺は二人を後ろに下げ、最初の猪突猛進を正面で受け切る判断をした。しかし、相手は魔法という猪口才な小細工で世界を支配する「人間」などではない。鼻っから遺伝子レベルで差をつけた、肉食動物という自然界の支配者である。


「――2mッ!!」


「2.5」


 俺の目測をテツが訂正する。ぶつかればトラックのような衝撃が身体を襲い、足は地面から離れて久しい。


『――ム”リ”ッ!!』


 背中から肺が圧迫されるような感覚。


――ハァっ、ハぁっ、


「死ぬっての……。」


 息を整えて状況を整理する。


「ナナシっ、ひぃっ、どうするのっ!!」


「各自、がんば……」


 俺は何とか整えた息で言葉を捻りだした。全くもって有り得ない状況である。有り得ない地形変化に、有り得ない強さのモンスターの奇襲。そしてもっとも有り得ないことは……。


「ここに、……誰も居ない事。」


 あれだけの登録者がいる本館のギルドで、全員が顔を見せず、クエスト先には誰も居ない。ならば、間違っていたのは前提だと仮定できる。はじめっから。前提から状況は、間違っていたのだ。


「レ、火炎レヴィッ――ぶぅわああ!!……こ、この魔法久々に、つかっ、使っ――うわぁあああ!!!」


 アルクは激しい慌てっぷりを見せる。


「全員こっちだ。試したいことが出来た。」


 その間、俺は狙った場所に立ち、全員を集めた。


「なっ、ナナシ。どうするんだい。」


 魔獣は地面を引っ掻き、闘志を湧きたたせる。


「後ろの壁にあの豚をぶつける。ギリギリで避けるんだ。」


「――なんでっ??」


「説明は後。あの魔獣は実体だ、当たれば死ぬから絶対に避けろ。それと正面で灯石を砕くから横か後ろを見るんだ。合図を出したら左右に散開。」


 俺はプーカの背負ったキャラバンに手を添え、その時を待つ。魔獣の助走、助走から疾走、牙に地面を散らし、砂煙は激しく舞い散る。


『――いくぞ。散ッ、と、スタンッ!!』


 俺は一歩前に踏み出し、灯石を短剣で真っ二つに割りながら、飛び箱の要領で上へ、魔獣の頭部を転がる様に飛んだ。激しい衝撃を受けた灯石は溜め込んでいたエネルギーを一斉に散らし、瞬間的に閃光を生み出す。発光。それを喰らわないように手で遮り、一方的に魔獣の視界を奪う。


 激しい混乱、死なない勢い。突き抜ける壁。これが知的生命体の精一杯である。そして狡猾ながら人間というのは、人間すらも利用する。


『ヴェクター。』


(【ヴェクター】白魔法・反転魔術式。

 ――初等白魔法。対象を跳ね返す魔法陣を展開する。発動は容易く制御も容易。しかしながら反転させる物理現象の大きさ(速度や質量)に比例し難易度が増加し、対象に魔法的要素が絡めば難易度は極度に跳ね上がる。成功か失敗かの一か八かであり、実践で扱うには使用者の力量と瞬発的な判断力が求められる絶技。)


 聞こえた声の主からして魔獣が吹き飛んだ。こんな芸当が出来る者など、(A)数えるほどしかいないだろう。


 同様に、こんな真似をする人間も(B)数えるほどしかいない。


 A∩B=『奴だ。』


「えっと、なにか一言。」


 全くもってふざけている。何がしたかったのかは理解できるが、手の込みようと発想が常人の域を遥かに超えている。俺はそんな鬱憤を抱きながら、余裕そうに後ろで手を組んだ教師を前に、不思議そうに俺を眺めるひよっこたちへ向けて。


「……探索士寮ココだけは、止めとけ。」


 陰湿なネガキャンをした。






------------------------- 第51部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

③探索士科準備室の机の横で


【本文】

彼はコーヒーを啜る。


「取り敢えずは、帰ってきてもらってアレですが、長居は無用ですよナナシ。」


 オルテガ・オースティック。世界最高峰の探索士は、俺の師として呟いた。


「大仕掛けですね、先生。仲間の分析が為にギルドを空にするだなんて。」


「ふふ、確かに見物でしたよ。」


 オルテガはカップを持ち、上品に笑った。


「ですが、貴方がたの能力は既に大方仕入れています。探索士は情報戦ですからね、生徒たちの動向は隅々チェックしてますよ。」


「キモいですね。」


「愛、故です。

 ……{洞層ダンジョン・アミテイル}の死霊姫。先導手トレイルリーダーは勿論、索敵者としても他の追随を許さないでしょう。探索士としては天才的な潜在性を持ち合わせていますね。」


 オルテガは「初めまして」と呟き、テツを見て微笑んだ。


「そして、プーカ・ユーヴサテラ。優秀なポーターであることは理解しましたが、私の情報網を持ってしても分からないことが多い人ですね。しかし、恐らくはグレーな人なんでしょう。」


 オルテガはプーカに微笑んでそう言った。


「オッスオッス!」


 プーカは差し出された菓子を貪りながら、片手を挙げて適当に答える。


「そして最後に、アドスミス国の第三王女。類いまれなる軍才を持ちながら多才にして豪腕。キャラバンに手が加わっているのも、もしかすれば貴女の仕業ですかね?」


 オルテガの鋭い洞察力と情報の多さに、リザは苦い顔をして言った。


「なんでそんなことを知っているんだ。」


 オルテガとリザの間には痺れるような緊張が走る。テツも若干の警戒心をオルテガに向けているようだった。


「安心して下さい。ナナシから聞いたわけでは有りません。この世界から消えたパーツを探し、調べ、可能性を当てはめただけです。」


「変態なんだよ。」


 俺はリザたちを宥める様に補足した。


「相変わらず失礼ですねナナシ、誉め言葉として受け取っておきます。それに私は君たちの味方です。ナナシも私の事を世界で一番信用していますから、みなさんも安心してください。」


「胡散臭いな。本当なのか、ナナシ。」


 強ち間違いではない。


「信用というか、警戒に足る人間ではないよ。それに情報は絶対に漏らさない。」


「先生は自由人だからね。」


 アルクは補足した。


「えぇ、その通りです。私はこの世界にある全ての思想と宗教に踏み絵と罵倒と唾を吐きかけられるほど中身が有りませんからね。大事なのは教え子の生存報告と、彼らから伝え聞く冒険譚です。私は自分で旅をすることが出来なくなりましたから、今はそれが一番楽しい。そして、君たちを私の持ち得る知識で守ることが、今の私の最優先事項です。」


 オルテガはそう言うと、自身の左腕の袖を捲り上げ、黒い紋様のようなおどろおどろしい痣を見せた。


「一方的に知られているのは気持ちが悪いでしょうから、少しだけ私の御話をさせてください。互いを知ることが信頼への一歩です。」


 不思議なことに、その痣は正常な皮膚との境目で波を打つように揺らいでいる。いつ見ても気味が悪い。もちろん口には出さないが。本人も気のいいものでは無いだろう。


神々の領域エル=ゾーン探索家シーカークラン『トーチライツ』の先導手であった私は、十人の仲間全員と引き換えにあの地獄から生還しました。以来、私は最上位アポストルの称号を得ましたが、シーカーとしての活動はそれが最後です。」


神々の墓標エル=アラム……。」


 テツがそう呟いた。


「よくご存知ですね。」


 オルテガは微笑む。


神々の墓標エル=アラム。命こそ在れ、探索士としての私はあのダンジョンに殺されました。この痣は魔法制限領域、俗に言う『シーラ』への探索を二度と出来なくさせるものです。すなわち、私は急激な魔素量の減少に耐えられない身体となりました。これはダンジョン探索では致命的な呪いです。ダンジョンは魔素の流れが激しく不安定ですからね。私は二度とダンジョンには戻れない。」


「最上級アポストルシーカー。オルテガ・オースティックの実態は、たまたまエルゾーンに迷い込み、牙を失った虎ってわけ。」


 俺は手軽に付け加えた。


「わぁー、ナナシ。酷い言い方をしますね。……まぁ、可愛い教え子の要約を逐一訂正したりはしませんが。確かに、あそこから生還しただけの者と、あのレベルのダンジョンに挑み続けられる者とでは明確に力量差があるでしょうね。」


 オルテガは何故か楽しそうに微笑し、笑い疲れたかのようにコーヒーをすすった後、俯きながら話題を変えた。


「さて、と。」


 搔き集められた五人分の椅子。昼食の余りであろうバタースコッチを茶受けに、急遽設けられた歓迎会は、どうにも安っぽさが垣間見える。


「大陸を時計回りに移動したことが、君たちの受注したクエスト履歴からは分かりました。」


「犯罪だろ。」


「もちろん嘘ですよナナシ、私教育者ですしますし。ね、そんな気がしただけですよナナシ。あぁ~、いまナナシはあそこにいそうだな~。とね。風が教えてくれたのです。」


――各クランのクエスト履歴はギルド間の最高機密情報である。オルテガ・オースティックほどの男なら閲覧できるだろうけれど。


「まぁ必然、エドガー調停士のことも聞いていますよ。」


 オルテガは表情を変えずに、そう切り込んだ。エドガーはオルテガが学院に招き、時折教壇に立たせるほどの仲。つまりそれほどまでに、優秀な調停士であり冒険者であった。


「………。」


 俺が沈黙したのを見て、なお、オルテガは表情を変えずに続ける。


「よくやってくれました、ナナシ。貴方がやらなければ私が殺っていましたよ。あるいは他の私が殺っていたでしょう。すなわちエドガーの身体を殺すべきだという決断は、多くの貴方と同じ意志のあるものが共有し、あるいは多くの私が共有し実行すべきと判断出来るものだった。……それが偶々ナナシだっただけです。貴方はいつもそういう役回りですが、まぁ気にしないことです。」


「えぇ、分かっています。」


 オルテガは優秀な探索士ゆえに顔が広い。情報網も俺達とは桁違い。コイツには、いや、コイツのレベルに達する人間には、この世界がおおよそ俯瞰的に見えているのだろう。


「実に、それ故に急遽呼び出したのですけどね。」


 オルテガは一拍置いて話始める。


「それ故に長居も無用なのです。君を取り巻く環境は私を含め過保護な者たちばかりです。」


「――自覚が有ったんですね。」


「えぇ。ですがフェノンズや評議会、そして君のことを知る一部の人間と、サテラさん。私は、彼ら彼女らとは過保護の方向性が違います。なんせほら、私は探索士ドライアドの学寮長ですからね。」


「つまり、何が言いたいんですか。」


 俺は問い詰める。オルテガはその返答を{ユーヴサテラ}全員と目を合わせてから応えた。


「行くんでしょう?――神々の命泉エル=ヴィータへ。」


 曇りの無い目。疑いでは無く、信じ切った瞳。それは既に、その場所が有ると確信していて、俺たちがそこに行くことを前提とした”覚悟”への問いかけ。


「もちろん。」


 俺は敢えて、当たり前のように、さも近くのスーパーに行くかのようなノリで、しかし確かな意思を持って、無論その覚悟を宿して、そう言い切ってやった。


「ですよね。ですから私は、この禁忌を伝える為にさも密会のような形で今君たちと話している。私が今日伝えたかったことは、結局は一つです。」


 オルテガは少々小声に、けれどしっかりとした呂律でハキハキと言の葉を並べた。


「君たちは。悪神教キリエに勝たなくてはならない。」








------------------------- 第52部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

④彼らの横で


【本文】


――かつて、この世界を覆い支配した思想があった。その名を『終末の審判』。


 宗教団体キリエ。のちにカルト教団の悪神教と銘打たれる彼らが発したその思想は、ガレスと呼ばれる最強の災厄により現実味を帯びていく。


 『終末の審判』要約はこうである。


『この世界には善と悪の神が存在し、かつて善の神は悪の神を滅ぼし、善はこの世の正義となった。


――善は「良い」ことであり、悪は「悪い」ことである。


 しかし善を追い求めたこの世界は、未だに不平等であり不完全。善は理想論に過ぎず、楽観主義の狂信者らによる大きな過ちであった……。


 終末の日。転換の日。審判の日。

 善を支配する理の暴力が破れ、悪を降り撒く平等な神が現世に降り立つその日。善の信者は災厄に死に絶え、悪の信者だけが悪神の救済の元に次なる平等な世界への切符を手にする。貧困も餓死も犯罪も異教も、不平等という平等な悪の元に、消滅するのである。』


 史実。ガレスは現代最強の騎士であったサテラを敗かし、この世界の頂点に立った。そしてキリエの信者は急増し、崇拝対象となる最強の悪神が誕生したのである。


――そう、崇拝対象の条件は『最強』であること。


 最強を語るには、最強を倒さなくては成らない。


 後の史実。ガレスは、サテラにより討伐された。


 記憶に新しい大歴史的な発令『第三回ワールドクエスト』。世界中の騎士、魔導士、冒険者、一般市民すらをも巻き込み、ガレス討伐を達成目標と掲げたそれは大英雄{サテラ・カミサキ}により成し遂げられたのである。


 そして、史実に乗らない事実。ガレスは全く別の人間によって討伐されている。




―――――――――

{ウェスティリア魔術学院・別館『探索士科準備室』


「行くんでしょう? 神々の命泉エル=ヴィータへ。」


「――もちろん。」


 俺はハッキリとそう言った。


「ですよね。ですから私は、この禁忌を伝える為にさも密会のような形で今君たちと話をしている。私が今日伝えたかったことは、結局は一つです。」


 オルテガは少々小声に、けれどしっかりとした呂律でハキハキと言の葉を並べた。


「君たちは。悪神教キリエに勝たなくてはならない。」


悪神教キリエに?」


「そうです。ガレスの残骸が封印された彼の地の秘密を教団だけが持っている。」


「……ん、彼の地って何処だ?」


 リザは首を傾げてそう言った。オルテガは困った顔を浮かべたが、俺の表情を伺った後に、姿勢を整えて説明を始める。


「――神々の森域エル=フォレストのことですよ、ミス・エリザべス。誰にも言わないでくださいね。そして、かつて神々の領域エル=ゾーンを巡ったとされる伝説のシーカークラン『黄金律ゴールデンオーダー』は、現在我々の住んでいるこのオルテシア大陸に存在するとされている4つのエルゾーンをクリアした後に、ようやく生命の泉を、すなわち神々の命泉エル=ヴィータを発見したと手記に残しています。


そしてその順番は、

――山稜『サミッツ』。

――墓標『アラム』。

――迷宮『ザ・ダンジョン』。

――森域『フォレスト』


最後に、――命泉『ヴィータ』。


 すなわちですね、ヴィータの所在にはその"フォレスト"が大きく関わっている可能性が有るということです。そしてフォレストを血眼で研究しているのが悪神教キリエです。何でも彼らの中にはガレスの声が聞こえるという者もいます。それが事実ならば神域からの貴重な情報を入手しているということ。そして彼らがフォレスト攻略の為に狙っていたのが、ジマの大秘石。君たちが壊した石。」



 ・・・・・・?



「え。」


――確かに、何かを砕いた記憶が有る。いや、砕いてもらったというか。


「――どうしよ!!ナナシ、壊しちゃったよアレ!!」


「え、いやぁ?俺壊して無いし。……あ、あれはエドガー夫人が?最後に壊しただけで?催促とか別に。え?聞いてた話と違くない?」


 心臓がゴムボールのように跳ね上がる。正直、ビビっている。


「――良いんですよ、ナナシ。」


 オルテガは俺たちの動揺を一蹴するようにそう言って続けた。


「壊した短剣の持ち主はナナシですから、壊したのはナナシ判定です。」


 フォローに見せかけた追討ち。


「ち、ちっ、ちょっとそれは、おおおかしいんじゃないですか?」


 顔から血の気が引いていくのを感じる。人類の開拓史を、新たな文明への鍵を、俺は自らの手で砕いたのかも知れない……。そうかも知れない。Im sorry. hmmm...


「まぁ確かに、{フェノン騎士団}はあの石をガレスの封印を解く石だと断定していましたがその情報は早計と言わざるを得ず、エドガーさんの調査報告を見ても特段封印を解くような、あるいは何かを発動させるような術式が練られている訳でも無かった。では何故、教団はあの石を狙っていたのか。」


 オルテガは部屋のカーテンを開いてから続けた。


「イーステンの田舎町に、ジマリ大洞穴というダンジョン街が有ります。エル=フォレストは鏡の世界。ジマとジマリの所在地は鏡写し。私の収集した情報によれば、キリエの目撃情報がジマリ近郊に……」


 オルテガは杖を取り出し、机の上に乱雑に置かれていた地図の一枚を浮かせた。


「ひいては、その魔力を溜め込む不思議な短剣でもう一つを壊してしまいなさい。ジマリという場所にある、キリエが狙う何かを。勿論時間はありません。君たちは圧倒的に出遅れています。それでも、それが君たちの進まんとする道のしるべとなるのなら、その先にある僅かな希望すらも欲するならば、師の言葉を信じてみても言いかもしれません。……それと、このことは他言無用でお願いします。サテラさんに聞かれたら、私とか簡単に捻り殺されちゃいますから。こう、クイって。」


 手元の地図はジマから中央アイギスを挟み、確かに大陸の線対称となる場所に目的地が刻まれていた。帰省した矢先、知り合いにはほどんど合わずに次の旅へ、それも大きく出遅れているときた。


「分かった。ありがとう先生。為になりました。」


「ふふっ、素直になりましたね。それと学院を出る時は振り返らないほうが良いですよ。旅に出たくなくなりますからね。」


「どうですかね。」


 俺は地図を丸めて、颯爽と立ち上がった。時間が無いのであれば、急ぐまでである。都合の良いことに俺たちのキャラバンはとても速い。


「アルク。そして皆さんも、旅の無事を祈っています。小さな悪~い黒猫も、一応無事を祈っていますよ。次、合う時は宴でもしましょう。人を集めて、料理を集めて、だから生きて帰って来ることです。」


 プーカは目を光らせて返事をし、先頭をきって部屋を出ていく、次にアルク、続いてリザ、俺が扉の前に立ち、オルテガの前で制止したテツを見つめながら待つ。


「オースティック...さん。」


「うん、実に。貴女は学びを求める良い学徒の瞳をしていますね。」


「……。」


「手短に、でよければ何でも聞いてください。答えるのが教師の仕事です。どうぞ、ぜひとも、遠慮なく。」


 沈黙。そしてテツは口を開く。


墓標エル=アラムは、どんな場所ですか。」


 オルテガは楽しそうに口角を上げ、思い出そうとするように目を閉じた。それでも一瞬だけ、オルテガの顔は震えるように揺れる。しかしなおも、彼は楽しそうに、何か一つだけ捻りだす様に、少々悩んで、言葉を紡いだ。


「地獄、ですかね。」


――その答えは、正直だった。


 オルテガ・オースティック。

 若干20歳にしてマスターシーカー到達。

 たった一代にして、自身のクランをランクS、Tier1へと辿り着かせた天才先導手。


 果てしない探求心と天性の才覚に付けられた異名は求道者。紛うこと無きその怪物に、しかしそう言わしめる場所が有る。


神々の領域エル=ゾーン攻略の難しさは、第一にその広さに有ります。それはまるで、に足を踏み入れたような、そんな果てしなさ、途方も無さ。その厳しさは『ワールドクエスト』に匹敵するかもしれませんよ、ナナシ。」


 オルテガは視線を俺に切り替え、目を合わせる。


「...神々の領域エル=ゾーンの生還率は0.02%と謳われているようですが、実際のところはゴールデンオーダーと現在のアポストルシーカー以降に生還者は居ません。そして挑み行くものは全てマスターシーカー位に匹敵する精鋭たち。天才中の天才と呼ばれ続けたであろう彼らを全滅させうるダンジョンこそ神々の領域。その果ての無さは一世界を承服するほどの芸当。」


 吐き捨てる様に呟いた後、落とした視線をまたテツに戻し、オルテガは言葉を続けた。


「……故に、神々の領域エル=ゾーンを生還。ではなく、『攻略』したシーカーは、アイギスの指標によりこう呼ばれることが決まっています。」


 それは、俺ですらも、オルテガの口から初めて聞かされた言葉であった。


『――ワールドシーカー。』


 アポストルには、上が有った。


「成れると良いですね、僕より先に。」


 オルテガは沈みゆく夕陽の前で、たいそう楽しそうに微笑んだ。


  





------------------------- 第53部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

⑤会話の横で


【本文】

「盗み聞きですか?アムスタ。」


 オルテガはコーヒーカップをデスクに置き、アムスタ・シュペルダムと記された書類に判を押した。


 ――特別推薦証明。

推薦者名

ウェスティリア魔術学院ドライアド寮生徒

・アムスタ=シュペルダム

 上級位トッププロシーカー Aランク


監督者名

・オルテガ=オースティック

 極級位アポストルシーカー Sランク


 ライセンス適正を超越する高難易度ダンジョン及び、高ランククランへの参加推薦を継続する。



 仰々しい判は丁寧におされ、それからオルテガは隠し部屋に通じる螺旋状の石階段へ眼を移した。


「違いますよ先生。先生が独り占めしたんです。」


「全く……。全くもって、素晴らしい能力ですね。」


 アムスタと呼ばれた少年は目深に被ったフードを揺らし、苦笑いする。


「ハハハ……、皮肉ですかね?」


「確かに皮肉ですが、賛美も兼ねています。だからこそ私はアナタの為にこのサインを書いている訳ですから。……ナナシがフェアリアに来たときも、アナタの主席評価は確固たるものでしたしね。自信を持って下さい。」


 冒険士寮『フェアリア』から、探索士寮『ドライアド』へ入る為には隠された条件が有る。一つはドライアドが本当に存在するという事実にいち早く辿り着いていること(情報収集能力)。また一つは、フェアリアで上位に入る優秀な成績を収めている者。最後の一つは探索士として生きる覚悟と意志があるもの。おまけとして学寮長が推薦した者。


 すなわち、死者を出すリスクが高く、高度な知識と情報管理能力が求められるこの寮では、編入及び進級を拒否される事があるのだ。


 そしてこのアムスタ・シュペルダムは、最後の条件。フェアリアでの優秀な成績によりオルテガからのヘッドハンティングを受けた生徒であった。


「ユーヴは底辺クランですよ先生。僕は未だに一位です。それもフェアリアの十傑番が全員ドライアドに入った黄金世代で。僕はナナシたちには負けてません。そう言い聞かせてます。」


「それで良いんです。その謙虚さも好きですよ。」


 アムスタ・シュペルダムは天才であった。特段、冒険者や探索士としての危機管理能力、慎重さ、危機回避能力は、オルテガによく評価されているところであり、その能力は学徒の身でありながらA級ランク、トッププロライセンスを取得するように対外的にも認められていた。


「まぁ何度でも言いますが、君のスランプは明確なんです。彼らの強引なスタンスは君とは対称的なものですから、吸収できるものではない。」


「知っています。あのキャラバンは強力だし、革命的だ。野心家の先生ならばてっきり狙っているものかと思っていました。」


 オルテガは笑う。


「野心家ですか……、僕が?」


「えぇ、先生はまだシーカーを諦めていない。それだけで十分に野心的で傲慢です。ナナシもそう思っていたでしょう。それでもなお、疑り深い彼が先生を信用していることが疑問ですらあります。」


 アムスタの表情はいたって真剣であった。しかし、そんな淀んだ雰囲気を消すかのように軽い笑い声を響かせて、オルテガは口元を抑える。


「ハハハッ、フフ……、それは違いますよアムスタ。まだナナシの方が上手かもしれませんね。」


 アムスタは目をぱちくりしながら、そう聞いた。


「と言うと?」


 オルテガはその疑問に立ち上がって答える。窓の外に見える、一台のキャラバンと、その後ろで箒にまたがり彼らを見送る教え子たちを視界に捉えながら。


「ナナシはね、私が楽しんでいるのを見越しているんですよ。私の性格をよく見抜いている。とても深く。思慮深く。」


「楽しんでいる?」


 アムスタは目を細める。構わずにオルテガは言葉を続け、窓を開いた。


「えぇ。だって最高じゃないですか?底辺クランが最強キャラバンだなんて。そうでしょう?」


「殊更疑問ですね。特殊な方舟探索やりかたに重きをおくなら、彼らを自由にさせたら良い。僕みたいに。それでも先生はまだ、その立場を利用しナナシたち縛っています。……それに、例えそうでないのなら言ってやるべきです。『"モノ"に頼ってばかりでは、いずれ痛い目を見る。』って」

 

「……ん?」


 その一言にオルテガは不思議そうな顔をする。


「――あぁ。」


 そして彼は、納得を浮かべたような顔をして言った。


「"そういう"意味じゃないですよ、アムスタ。」


「えっ?」


 ばつの悪そうなアムスタを見て、オルテガは笑う。


「ははっ。昔から君は天然のクセに考え過ぎなんですよ。友を想う心は尊重しますけどね。」


「はぁ。」


 別館の頭上には花火が上がる。彼らに見える様に、魔法学徒の彼ら達が彼らの為に遊んでいる。ピター・ピニックの駄菓子屋には要注意だ。台風花火、終業の鐘提灯、トラウマ起こし、罵倒ラムネに正直ラムネ、惚れ薬キャンディー。あそこには、大人ですら肝を冷やすような魔法玩具が沢山売られている。教えを諭す者たちからすれば、頭を抱える問題だ。


「わっ、楽しそう。」


 アムスタはオルテガの困ったような顔を見る。


「……えぇ……そ、それは許可してないですよミスターヘンデル。……まずいですね騒音は。学長にどやされます……」


 そしてオルテガは、今日も楽しそうに落ち込むのである。





------------------------- 第54部分開始 -------------------------

【第9章】

第8譚{洞穴シーラの街}


【キャッチコピー】

――ようこそ、超高難易度迷宮(シーラ)へ。


【サブタイトル】

①タバーンの安酒


【本文】

 性悪説というものを信じていた。いつだって人は、窮地でその本性を見せるから。醜く卑劣で薄汚れた本性を。それは自分本位で利己的で、つまり他人のことなどお構いなし。まったく醜くまったく卑劣、まったく下等で、正に性悪。…しかし、今はこう思う。


 “――本当にそれは悪なのだろうか?”


 俺たちは5人は旅をしている。5人と1匹。例えば賢者のように修行の旅すがら何かを諭し誰かを救える訳でも無く。例えば勇者のように絶対悪を倒しに行く訳でも無い。このクランはただ私欲の為に旅をしている。


 大陸では貧困が途絶えずに、小国同士の紛争が続いているけれど。国の整備不足が災いし辺りでは凶悪なモンスターが湧き続け、家族を殺された村の人たちは復讐に燃えていたけれど。今日も知らない街で、誰かが苦しんでいるけれど。本当は、俺たちを殺しに来るかもしれないカルト教団を殲滅しなきゃいけないけれど。構わず俺たちは今日も旅をしている。次の目的地は{ジマリ大洞穴}この付近で最大級の天然洞穴型ダンジョンだ。狙いは色々あるけど、特に欲しいものは伝説のシーラ{神々の森域}への手掛かり。でもいつだってそうだ、ダンジョンでの遭難は死を意味する。凶悪な敵はこの命を躊躇なく刈り取って来る。いつだってそうだ、飄々としていても腹は括って挑まなくてはならない。いつだってそうなんだ。


……何故なら俺は、魔法が使えないから。


 いつだって肝に銘じよう。

――ダンジョンとは、人が死ぬところである。


―――――――


「なに考えてるの?」


 小さな黒猫がニヤニヤと笑いながら、上機嫌で肩に登って来る。昼間にあげた鮎が美味かったからではない。こいつは性格が悪いのだ。


「いや。……次の街が見えたなーって。」


 呆けた調子でそう言った。俺たちはこの動く木箱の上で、そよ風を受けながら、迫りくる城壁を眺めていた。悠々と生い茂る草木は轍の端から彼方の地平線まで無限に広がっている。お天気は快晴。風は穏やか。気温は...どうだろうか。


「黒猫(エルノア)、気温は?」


 黒猫は片目を開けて閉じ直し、髭を揺らして数秒後、眠そうな声で「20くらい」と答える。


「じゃあ湿度は?」


 そう聞くと、黒猫は閉じた両目をパチリと開けて俺の首元を軽く噛んだ。


「ボクの眠りの邪魔をするな。」


「…なら、…俺の肩で勝手に寝るな...」


 俺は可能な限り小声で愚痴る。


「にゃにゃにゃ?にゃにかにゃ?」


――普通に喋れ。


「なんでもねぇよ。」


 俺は猫の背中を撫でようと手を伸ばすが、そいつは手の平をスルりと抜けて、右の肩から飛び降りて行った。


「もうすぐ着くって...」


 背中越しの声。キャラバンの車内から屋上へヒョコッと顔を出し、前髪をサラっと吹かれながら、大人しそうな見た目の少女は俺たちにそう言った。


「だから、準備して...」


 少女は催促するように自身の首にかかったゴーグルをはめ、グローブを着け、牽引するように準備をしてみせる。


「はぁ~、…い。」


 俺は適当に返事をしながら片手を上げ、キャラバンの低い欄干に頬杖を突き、今日の終着点をジッと眺めた。


(ジィーーッ)


 一方、少女は俺の横顔をジィーッと眺め微動だにしない。その視線が妙に刺さる。


「――なんですか?」


「今日…、キャンプだって。」


「泊まらないの?」


「お金ないって。」


「ええぇぇぇぇぇぇぇ!?」


 俺は彼女の心中を察し“夕飯の準備”を始める為に下へ降りる。きっと「誰のせいだよ」と言いたいのであろう。なら、俺は言うぞ「皆のせいです。」よし、心の中でだけに留めておく。


「アルクー?」


 俺は車内を、言い換えれば船室を、いや、荷台…?とにかく、階下の共同生活空間を覗き貿易隊長を呼び出す。


「なぁ、今日泊まれないのー?目の前にー?あんなに立派なー?宿居酒屋(タバーン)が有るのにー?」


 ダンジョン街。


 ダンジョンにより隆盛を遂げた街を人々はそう言う。街の中心地でありダンジョン街に住まう冒険家らの集会所。あるいは外部から挑み行く冒険家らの案内所である宿居酒屋は、街々の特色を発露した趣のある場所である。実に、泊まれない理由など既に分かっているけれど。


……そう、これはダル絡み。


「えーーー!?残念だなー?」


 俺が軽いジャブを打つように、半ば愚痴りながら降りると、一室から悲しそうな叫び声が共鳴するように響いてきた。都合のいい時だけ現れる寝坊助の声だ。しかし、その声を聞いて貨幣と商品を見比べながらペンで数字を書いているアルクが怪訝そうな顔でこちらを睨んだ。


「――うるさい!傷んだ肉まで買うからだ!家畜は匂いがーとか、塩だけじゃ食べれないーだとか、君たちがグチグチグチ...――あぁ、貿易は生き物なんだぞ!!君らはそれを理解せずに、いや理解をした上で僕に…!!」


 怒鳴り声のクロスカウンター。予想以上にカリカリしていた。


「いや、す、すみま――あっは!!……こ、これはこれは!冗談じゃないですかアルクさん!全くもう、怖い顔なんだから…。」


 俺はローブを羽織って、腰の短剣を隠す。触らぬ神に祟りなし。穏便なアルクの機嫌は往々にして俺たちの我儘に左右される。ここは黙っておこう。そう決心した瞬間に空気の読めない起床したての丸っこい少女が泣きべそをかいた顔で眼を擦りながら部屋から出てきた。


「えぇぇぇぇぇぇ!?」


――バッドタイミング。


「えぇええええ。え……」


 俺はアルクが全力で少女を睨め付けるのを見て、自分の人差し指を口元で立てた。


「プーカ。...しー。」

 

 アルクの鬼のような形相を見るや時間を巻き戻すかの様に、黙って少女は部屋へ戻る。肩を竦めて縮こまったその動きは、小動物が巣に戻る様であった。{アルク・トレイダル}さすが大貿易商の息子。金勘定は大変だろうけど、こういう時は気性が荒くて困る。まぁそれも、有り難いことだけれど。


「んぬぬ。」


 ペンをくるくると回し、額に手を当てて唸るアルクを横目に支度をする。集中モードだ、ほんの少し話しかけずにいよう。


「ナナシ。」


「――ひッ。……あ、はい。」


 アルクは俺を一瞥すると、帳簿に刻まれた数字を見ながら怪訝な顔をして言った。


「数字の値が回ってる。僕らがジマリを目指し始めた時から、ジマと同じような収益の出し方をしたんだ。」


――ジマ大洞穴、対となすダンジョン。


「気を付けた方が良いのかもしれない。天命が繰り返してる。少なからず今回の交易には僕の読みが狂っていたことも原因にあった。でも僕が読めないなら誰が読めるもんか。試算も、時間も、道中の気温ですらも何かを境に狂い出したんだ。僕らがジマリを目指した時から。ジマを目指した道程をやり直すように。」


 それならば。


「分かった。」


 同じ災いに備えなければ。





―――――――

{ジマリ大洞穴街・宿居酒屋(タバーン)}


「ウマウマ。ウマい…。ナナ~、これ何?」


 辿り着いた木製のタバーン。プーカは柔い頬が突き出すほど口いっぱいに、サックサクに揚げたミートボールを頬張りながら、咀嚼したそれを飲み込むと、炭酸の入った果肉入りぶどうジュースで口に残った油をさっぱりシュワーッと喉まで流し込む。


「それはなけなしの資金(カネ)で注文した食料だよ...」


「うん、美味しい!」


 悪びれる様子もなくプーカは笑う。


「左様ですか…。でも次からは勝手に頼むなよプーカ。怒られるのは俺なんだ。」


 食べ盛りの彼女を責めるものはいない。往々にしてトバッちりは俺だ。


「旨いか?」


「――ウマい!!ほらっ!」


「おっ、…ふんむふんむ。サクりサクり、んぐりもぐり。」


 俺は突き出されたフォークの先端に刺さった揚げミートボールを歯で引き抜き咀嚼する。甘辛のソースは少なめにかかって、天ぷらのようにサッと揚げた衣のパリパリとした食感を活かしながらも、中に詰まったジューシーな牛肉の団子とは良く絡むような絶妙さ。総じて甘味と脂感が強いようにも思えるが、岩塩や香り高い黒胡椒を筆頭とした数種類のスパイス、衣の間に包まれた大葉、そして付け合わせの柑橘類が一向にこの味を飽きさせない。しかも牛肉100%かつ山盛りに積まれて400エデル(西国の読み方はイェル。共通通貨。)!安すぎる。一皿で三人前は下らないボリューム感に悦を覚える。正直、買いです。


「プーカ、無限にコレ食いたい。」


 そう言いながら何気なく葉物を避けるプーカを見て、俺は自らミートボールに葉物を巻いて口に含む。


「あぁーやっぱコレだわ。口の中でパリパリが増えて、うめぇぇぇ...」


 プーカはフォークを止め俺のことをジッと睨みながら再度肉だけを頬張る。もっさりもっさり、頬張った口を動かしながらジト目で観察してくるのだ。俺はもう一度同じ作戦に出ようとするが、その時カウンターの方から耳をつんざくような怒鳴り声が響き渡った。


「だからぁ!お前らが捕らえて来いって言ってんの!!」


「ひぃっ…。い、致しかねます。」


 元気な農夫の老人にカウンターの受付嬢とダンジョンギルド特有のハンコ。壁には掲示板。そして数多の張り紙と難易度表、受注資格。推奨レベル。後で尋ねようとは思っていたが、やはりあそこがクエストの受付をしているらしい。つまりここは典型的な宿居酒屋(タバーン)型のクエストハウス。ダンジョンの管理所。情報の漂流地、そして漂着地。


 ・

 ・

 ・

「例のスリが…」

「2層の薬草がさぁ…」

「ジマリ牛...」

「最近のダンジョンは...」

「あぁ。今朝、ルーキーが死んだ…」

「ウマぃ…」


 情報は貴重だ。耳を立てろ。そして口はしっかりと堅く閉じて無闇に己(おの)から発してはいけない。何故ならそれ自体がとても貴重で、金に換わる価値を持つからだ。無論、場合(ケース)によっては無料で一攫千金に値する情報が手に入る機会。しかし酒と美味い飯の前では人の口など無力。俺が数々のクエストハウスの中で宿居酒屋(タバーン)型を最も愛している理由の一つがコレだ。酔え酔え酔いどれおっちゃんたち、吐け吐けそのまま金の情報ゲロ


『――オイ、アイツだァ!!』


「ん?」


 それは唐突だった。カウンターで怒鳴り声を上げた老人がタバーンの入り口から歩いてくる少年を指さして叫ぶ。


『おい、テメェだァ、俺の牛を返せ!!』


 農夫の老人は軽快な動きと若い口調で小さな少年に詰め寄る。


「――殴れ。」


 しかし少年の後ろを歩くスキンヘッドの男が合図に合わせ遠慮なしにその白髭の生い茂った皺顔を殴った。それは実に大きな拳。体躯はこの辺では見かけないほどに大柄で、珍しいサングラスをかけている。そして小さな少年は鼻血を噴き出して伸びた老人を鼻で笑い、何事もなかったかのようにカウンターへ歩いていく。


「ねぇ、お姉さん。お金を受け取りに来たんだけど?―ねぇ、まだ?」


 その声、ボーイソプラノ。


「大金を公の場で直接渡すことは出来ません。ポイントを指定するか金庫に預けてください。」


「だからぁ、僕はこの街を出るんだって。」


「ならば護送用のキャラバンを取引地点にされたら良いかと思われますよ。――お坊ちゃん。」


 対応した受付嬢も強気だ。彼女は先程のオドオドしい受付嬢とは打って変わり、筆記を止め少年を睨むように顔を上げた。少年はそれに一瞬怯むが、抵抗する様にゆっくりとカウンターに近づき何やらジャラジャラと音のする袋を机の上にドンッと置いた。


「僕には金があるんだ。そしてお姉さん達には拒否する権限が無い。いつだってそう、依頼主は僕なんだ。お姉さんたちは仕事をするの。」


「何か新規のご依頼でしょうか?」


 少年は苦虫を嚙み潰したような顔をした後、数秒黙ってから口を開く。


「あぁそうだ、奥に案内してくれ。」


「えぇ。分かりました、どうぞ。」


 少年は受付嬢に連れられ客室へ案内される。全く不思議な光景だ。ガキ一人が屈強な冒険者が集うこの場を凍らせた。それも、幼い少年の声に似つかわしくない悪い知性を感じさせる。


「すみません。彼はどういった?」


 俺は何となく同じ長机で、隣に座っていた酒飲みへと声をかけた。


「あぁん……、知ぃらねぇえよォ!!――フンッ!!」


 瞬間ビュウッとジョッキのビール樽が空を切り俺の額へ当たって粉砕する。中身は依然、波々たっぷりと入っており衝撃的に重々しい。


「――だあッ!!痛っ....はぁ…、えへへ、スミマセン。えぇ全く...。ごめんなさい。」


――クソデジャブ。


「……ボケがァ!!」


――ドン引きである。まだ昼前なんですけど……


 しかし、我が隊は全員魔法弱者だ。争いは無益。というか負ける。俺は立ち上がるとプーカの手を黙って引きタバーンの出口へ向かった。


「気性の荒い奴らだ。」


 俺が小さく呟くと、聞こえたかのようなタイミングで、さっきの男のサシ飲み相手が「おいッ!」と声を上げた。


――まずい、聞こえたか。


「おい待ちな。無魔(ノイマ)だろ…。――てめぇみてぇな奴がこんな所に居るんじゃねぇよ。いいか!二度と顔を出すなよ!!ぶち殺すぞ疫病神!!」


 ・・・


 天命の繰り返し。嘘か誠かまぁどうでもいい。

 俺はフンと鼻を鳴らした後、クールに笑って会釈をし、タバーンを後にした。この世界では魔法が使えない人間(ノイマ)は忌み嫌われる。悪いジンクスを持っているんだそうだ。見たら死ぬ、魔法が使えなくなる、成果が下がる。全部ウソっぱち。


 しかし、しかしだ。俺みたいな猛者は簡単には手を出さない。やり返しはしない。このクールさにひれ伏せ、そして後で不安になれ。「アレ?あいつ、去り際が強そうだったな…。」って、「アレ?あいつ、去り際だけ強かったな…。」って、猛烈な不安に陥れ。陥った末に眠れなくなって暗くなった家ん中隅々まで徘徊してタンスに小指でもぶつけて泣き叫ぶといい、ブハハハハ。ホントお前らなんて、目じゃないんだからね。


 俺達はそそくさと足早に外へと向かう。しかしこれだけではまだ足りないと、収まりが効かないと、もっと恰好付けろと、俺の中のジェントルメェンが囁いた。


「ふん、いいかいプーカッ。ハァードボイルってのは……」


(ガンッ!!)


 鈍い音と共に、俺の小指は静かに爆発する。


「――痛ッ、(ァァァ……!!)」


 安靴め。


「んー?」


「いっ、……嫌なことが有っても、忘れちゃおうね~ハハハ。」


 締りが付かない。でもこんなことは、日常茶飯事だ。


「ハハハ~、メシまだ?」


 乾いた笑いを捻りだし、プーカがジト目でこちらを見てくる。


「さっき食ったでしょ。」


「忘れちゃった。」


「それは忘れんな。」




------------------------- 第55部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

②野外のキャンプ


【本文】

「はぁあ、怖ぇえ!!」


「ナナ弱いあと臭い。」


「――怖すぎるだろ、アレ。」


 俺はビールでヒタヒタに濡れた頭をローブのフードで拭きながら、先程の衝撃的な体験を思い出す。悲劇も過去なら喜劇に変わる。さっさと喜劇にして過去にする。


「凄かったわ、死んでもおかしく無かった。」


 興奮冷めやらぬ俺の背中をプーカがゲップをしながら擦った。


「うっぷ…、良い小物っぷりだった。ブラボー。」


「いや、うるせぇよ。」


――小物とか言うな。


『えへへ、スミマセン。えぇ全く...』


 プーカは俺の口調を真似したように低い声で、頭を垂らしそう言った。


「……黙らっしゃい。取り合えずキャラバンに戻るぞ。」


 プーカは黙って頷き俺の後に続く。


「飯は獲らなきゃなー」


「プーカ。牛が良い。牛。」


 今夜はキャンプになる。自給自足だ。


「野生は珍しいんだよ。多分さっきのも家畜の肉なはず。」


「…そっか。」


 キャラバンは壁外の駐車場に停まっていた。入国時や荷車駐車時の料金対策だろう。真意の程は運転手に聞いてみないと分からないが…。しかし、この街が相当に頑丈な壁を築いているところを見るに、ここのダンジョンの手強さが伺える。若干高鳴る鼓動は恐怖の為か、待ち遠しさの為か。はたまた、ぶん殴られた恐怖の為か。やっぱり、ぶん殴られた恐怖の為か。それとも、ぶん殴られた――


―――――――


「たでぇ~ま~」

「でぇーま~」


 プーカの調子に合わせて喋る。


「ナナシ。もう出発するぞ!」


 一転、長髪の赤髪を後ろで結びグローブを嵌めた筋肉質な機械技師が、4匹の馬の手綱を運転装置で操り、慌てた様子で俺たちが乗るや否やキャラバンを前進させた。


「――リザ、どっか行くのか?」


「キャンプ地を変えるだけだ。」


「あそこじゃダメだった?」


「いいや。ただ、金が掛かると門番に言われた。そしたらアルクが金は無いと。」


 一同、強い揺れに揺られながら、俺は何食わぬ顔で目線を上げたアルクを見て、少し可笑しくなって笑って言った。


「おいおい貧乏だな。」


「――うん、全くだよ。」


 アルクがそう言うと、それを聞いて鼻で笑ったリザが、木製のシフトレバーを迷路の様に複雑な構造を持つ溝の中で四回ほど切り返しながら倒した。馬はフェイクだ。実際はタイヤで走っている。四輪駆動で。


「で、場所は?」


 そして、このキャラバンの細かい動作は黒猫(エルノア)と機械師(リザ)にしか操れない。毎度この操作を見る時、その事実を痛感している。


「あそこに見える森の中。」


「ほぉえー、分かった。」


 俺は操舵席の飛び出たフロントデッキから戻り、小さなダイニングテーブルの、アルクが座っている対面の席に座った。


「ふぅー疲れた。」


「それで、お金は?」


――言いづらい。飯で消えました、とは。


「あ…、いや。」


「まぁ、良いですけど。」


 アルクは見越したかのように頬杖を付き溜息を吐いた。


「えへへ、それで売れそうな生物(モノ)は?」


 俺は話題を逸らす。


「鳥と豚だよ。ここでは牛肉より高価な家畜として売られていたんだ。だから次の街ではこの街で買った牛を売り捌いている隊が多いらしい。とにかく肉の種類(レパートリー)が少ないんだ。だから牛肉以外ならなんでも良く売れる。ただし、魚は普通だった。」


「じゃあ余分に取れたら…。」


「うん、あるだけ有難い。」


 俺はさっそく立ち上がり狩猟の準備を始める。街々、時々の相場理解、市場理解の情報戦。売るものは売って、残すものは残す。買取手(バイヤー)のニーズに合わせた狩りと採集。これもある種、俺たちの戦いだ。


「それで、取引(トレード)はどうだった?」


 アルクはニヤリと笑うと、よくぞ聞いたと腕を組んだ。


「ギリギリ黒字。」


「えぇ?きもッ!!」


――流石、詐欺師だ。


 アルクの話術は物の価値を高めてしまう。かつて俺は田舎町で買ったただの白胡椒が、彼の言葉で真珠に化したのを見てきた。しかし今回は、長旅で腐らせた肉を売って黒字にしてみせた。どう見てもアレは食えなかったけど、熟成とか発酵で言いくるめたのだろうか。ここまでいけばもはや魔法だ。末恐ろしい子。いっそ砂でも売ってみようぞ。そしたら笑顔で「食えますね、コレハ。」とでも言うのだろうか。


「キモいって言うな。」


「さーせん。」



―――――――

{ジマリ大洞穴ダンジョン街・近郊の森」


 キャラバンは森の中で少し開けた場所に停まった。


「まぁ、ここでいいだろう。」


 リザはそう呟くとレバーを引きボタンを押し、幾つかの手順を踏んで再度レバーを握って引いた。ガチャガチャガチャと、慣れた手つきで高速に。

 やがてホログラムのように2頭の馬は消え去り、残った二頭が魔術陣の中に消える。もう二頭は本物。


「広げるぞー!」

 

 そう言って、とどめのレバーを引き、キャラバンは深い息を吐くかのように、収納されていたスペースを横へと広げた。


「テツー!テント頼むー!」


 リザが屋上のテツへ指示を出す。


「分かったー。」


 耐水性の布は欄干の四つ角に隠された木製のポールを伸ばしたところへ張っていく。このキャラバンには二階と呼べそうな場所がロフトの様な裏部屋にしか無いが、テントを張ることにより、屋上としてのスペースが立派な二階へと変貌する。操舵席の突出した狭いデッキも同様にテントを張り、ランタンをぶら下げれば立派な一室だ。無論テントで作る即席の部屋は冬場には堪える寒さになるのだが…。熱帯夜なんかではむしろ涼しくて快適になる。横幅に至ってはプーカの部屋(薬品室兼、調理室兼、彼女の寝室)二つ分が左右に展開し広々とした空間が出来る。露店が出ているような街では、屋台として彼女の部屋から直接物品をトレードしたりも可能だった。ここまですればもはや移動中の閉所感、圧迫感は払拭され一軒家のようになる。


「よしテツ、行こうぜ。」


 俺は靴紐を結んで、腕を伸ばす。


「ちょっと待って。」


 テツは狩りの為、ゴーグルを付けて手にはグローブをはめる。ここまでは通常装備。加えて今はアンカーガンと呼ばれるオーパーツを腕に装備していた。アンカーガンのワイヤーは決して切れることが無くとても貴重で再現が出来ない。余談だが、このオーパーツがダンジョン探索の、取り分けシーラと呼ばれる特殊ダンジョン探索のお目当てとなる。それは裏を返すと治安の悪い街では標的に成りやすいということで、安易にオーパーツを使うことはできない。


「じゃあ先行ってる。――勝負ね。」

 そういうとテツは木にアンカーを射出し川辺に向かって飛んで行った。


「おい、待てっ!」

 話し相手が消えた...こうなってくると獲ってきた食べ物の量で皆の目が変わってくる。すなわち、絶対に負けられない戦いが始まるのである。





―――――――


{ジマリ森林、星の見える広場・焚火前}


「テツの勝ちだな。」


 テツの獲った大量の魚を焼きながら、リザがさも自分のことのように自慢気にそう言った。


「そうだね、僕の勝ちだ。」


 テツもリザに合わせて微妙にドヤ顔をしながらそう続く。


「ハイハイはいはいはいはい……、貴殿の右腕に装着された“ロストテクノロジー様”には負けましたわ。完敗でございますぅ。」


「素手で獲った。」


「いや、嘘付くな。」


 魚には微かにアンカーで掴まれた引っ掻き傷が存在した。しかしそれはとても軽度なもので、すなわちこのアンカーとワイヤーは使用者の意思に合わせた繊細な操作が可能ということ。そしてこの操作は持ち主の固有魔法には起因せず悪影響(デメリット)もない。正にロストテクノロジー。


 すなわち。この些細でなんの変哲もない事実が、特殊ダンジョンにおける道具としての貴重性を左右するのだ。シーラに埋まるロストテクノロジーは、シーラを攻略するために存在する。そう言っても過言では無い。


「ウリボー1匹でも充分にスゴイよ。…僕にはできない。」


「あは、どうも!」


 シンプルに嬉しいフォローをしてくる男、できる男アルク・トレイダル。良い奴だよ、本当に君は……。あるいは倫理的なことでしょうか。可愛いもんねウリボー。


「…それに良く売れる。」


「余計な一言め...」


 傍らではプーカが無言で魚を頬張る。――お前はさっき食ったろうに。。。


「エルノア?」


「ムガムガ...8時だ。」


「まだ何も言ってないけど。まぁいいや、美味い?」


「微妙だ。もっと美味しくしろ。そして…ムガッ、もっと食わせろ。」


――なんだこいつ。


「傲慢な奴め~よしよし。死ぬほど有るぞ。」


 リザがそう言いながら毛並みに手を埋めると、エルノアは辺りをきょろきょろと見渡し、俺と目が合うや否や大層怪訝な顔で「水...」と言った。




------------------------- 第56部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

③命を計る仕事


【本文】

 心地よい朝だった。朝日は木や葉の狭間へ、木漏れ日は俺の顔へ優しく当たり、朝露はそれらをいっぱいに反射して、湿った木々は深く香っていた。美しく神秘的な森の中にいる。学校じゃ学べないこと、見れないこと、出来ないことの連続の中で俺たちは強かに冒険をしている。だからこの一瞬が、風景が、また呼吸を刻む緩やかな時が、妙に晴れ晴れしく感慨深い。そんなことを思っていると一匹の美しい毛並みを持つ黒猫が俺の横から歩いてきた。俺は空気をいっぱいに吸い込んで、幸せ気分のまま彼女に笑顔で挨拶した。


「おはよう、エルノア!!」


「死ね。」


「...クソが」


 不快な猫め。



―――――――


「またタバーンかよ!」

「クエストハウスなんでしょ?仕方ないよ」

「酒樽怖えよ!違う、樽酒!?」


 俺たちはアルクとプーカの三人で一緒にダンジョン入窟の申請をしにタバーンへ向かっている。通常は受付に隣接する形でダンジョンの入り口があり、裏口などから入窟できる防人型のクエストハウスが多い。しかし今回のダンジョンは大入道と呼ばれている「入口1」以外に、モンスターだけが出入りできる出入口「2」、「3」、「4」が存在し、警戒を怠らない為にクエストハウスは各出入口の真ん中に設置されている。ちなみにそこを中心円としてこの街の防壁は築かれた。つまるところ外敵対策ではなく、内敵対策の防壁である。防壁の仕掛けは内側に凸。珍しい威圧感が有る。


「着いたよ。」


 アルクがタバーンの看板を見上げて言う。


「嫌だ~~」


「ミートボール食べたい。」


「嫌だぁ~~~~」

 

 俺はアルクに腕を引っ張られタバーンへと入った。朝のタバーンは一転、居酒屋の様な雰囲気はなく。若干の騒がしさを残した劇場舞台裏の如く、緊張感に包まれながら静寂が時折入り乱れる開演前の楽屋のようでもあった。木造の机の上には樽酒は無く。そこにはグローブや金具などの装備が並べられている。かなり幅を取ってはいるが1㎡辺り1人前くらいか。あれは俗に言う...


「日帰り装備。」

 テツが呟く。しかし奥の人間は要領が違った。恐らく個人では無く隊を組んでいる。装備もダンジョン内での1泊を考えているだろう。恐らくそれは最悪のパターンなのだろうけど、日帰り装備改と言ったところで、費用もかさむ分、他よりも当然見返りを求められる。


「相当な玄人かな?」


「或いはド素人かもな」


 ダンジョンで寝泊まりすることは基本、死を意味する。例えるならそこは治安の悪いスラム街の中心。俺たちは新鮮な人肉という高価な財産を持ってそこに挑む。それでもキャンプ装備を必須として挑まなくてはいけないダンジョンは依然立ち寄った街で遭遇した。生還率は80%。選りすぐりの狂人たちが万全を期しても、いつも2割が死んでった。目の前にいる5人が1小隊(パーティー)なら確実に1人は死ぬ。往々にしてダンジョンに必要なのは布とポールの家城ではなく、頑強な鉄の前哨基地なのである。


『よっしみんな~?アユレディ~!!?』


『Fu~~~~~!!!』


 その五人は回りながら飛んで天井に拳を突きあげる。例えるならマリオ。


――全滅だ、全滅しろ。


「Fu~~...」


「――やめなさい...‼恥ずかしいでしょ。」


 小声で真似したプーカを制止して、俺はカウンターの受付へと向かった。受付嬢は俺を見るや俯いて自身の作業に戻る。この人、中々に冷淡だ。しかしながらダンジョンの受付は何人もの人間を死地へ送り、人生を賭して挑まんとする人間をも拒絶する。故に仕事柄こういう人は多い気もする。しかし逆に考えればこの冷淡さは経験値の表れとも言えるのか、恐らくは俺の卓越した実力をも簡単に見抜かれてしまうのだろう。俺はそっと燃える闘志を抑え込み受付嬢に話しかける。


「すみません、ダンジ――」


『ダメです。』


「早過ぎだろっ!!」


「はぁ。で、ライセンスは?」


 冷たい溜息一つと凍える様な低い声で受付嬢がそう言った。


「ほらよ。」


 俺は自身のライセンスと魔法学校から送られた推薦状を渡す。推薦状はオルテガからの送り土産であったが、ライセンスは検定試験を通した能力値のステータスも割り振られている。魔法が使えない俺の数値は正直悲惨だ。終わってる。


「最低ランクの冒険者に最高ランクの推薦状ですか…。何処で盗まれましたか?」


「盗んでねぇよ。疑うなら連絡繋いで確認取れば?」


「そうさせていたただきます。」


「するのかよ!いいけどね!節穴!」


 「ふんっ」と振り返ると、受付嬢は初老の背の低いオジサンと番を代わり奥の部屋へと消えていった。


「お願いします。」


「あぁ。」


 この初老もボケてそうな顔をしている。眉毛から耳毛から鼻毛から、全部真っ白でフッサフサだ。風に吹かれてヒラヒラしている。ひっらひら~~^。


「・・・あ?」


「いや、なんでも…」


―――――


 それから二時間が経った。


 二時間も、経った。


「おい、休憩してたろ。いま「上がりました。」って言って戻ったろ。」


 俺は蔑むような受付嬢の目を睨みつけ、痺れた足を床に叩く。


「確認してきました。」


「はぁ。じゃあ、許可していただけ――」


『ダメです。』


「嫌われてる!?」


 頑なに許可を出さない受付嬢は、俺など居なかったかのように黙々と手記作業に戻った。


「ね、ねぇお姉さん。意地悪しないで欲しいんですけれども。」


「許可は出しません。話は終わりです。」


「じゃあ、何故ですか?まずは理由が知りたいなぁ。」


 受付嬢は溜息を吐き、顔を上げて話始めた。


「私はここのクエストギルドで六代目の受付番です。そして先代と代わってからは入窟者の生還率を98%までに引き上げております。」


――じゃあ意外と簡単なのか...?


「では先代の時代。このダンジョンからの生還者は何割であったかをご存じですか?」


 俺は気圧されるように答える。


「いや。知らないです…。」


 知るわけがない。こういう無意味な質問は世界から消えればいい。


「――6割です。4割は帰ってこないのです。では先代は無能であったとお思いですか?」


「まぁ。無能だったの、…かなぁ?」


 聞かれたからそう答えると、ビシィッ!!と俺の頬に彼女の平手が飛んできた。


『――え”え”、痛いッ!?』


『痛くない!!』


「えぇ...?」


―――こだまでしょうか、いいえ、パワハラ。


「先代を侮辱しないで下さい。答えはもちろん否なのです。」


――侮辱じゃない。誘導尋問。


「先代は私よりも遥かに優秀なお方でした。しかし最後に当たったパーティーの応対で100人程の大規模遠征隊に入窟許可を出し全滅させたのです。それから先代はこの職を辞任し、どうなったのかはプライバシー保護の為に申しあげませんが、つまり今、一番弟子であった私へと代表職が受け継がれました次第。」


「はぁ...」


「まだ分かりませんか?ダンジョンは生き物なのです。特にここのダンジョンは未だ深層まで解明されておらずイレギュラーな事態と状況が続いております。」


 その言葉にアルクが少し頷いた。プーカは口を開けて聞いているが、立ち尽くしたアホみたいな姿は馬耳東風の様相を呈している。ヨダレを垂らすな、ヨダレを。


「そして、最近出発した小隊と地元のベテラン一人がまだ帰還しておりません。これは明らかに何らかの異常が発生しています。しかし、そこへ新たに貴方のような、魔法も使えず?酒すら飲めず?根性も無く樽酒に殴られて逃げるだけの役立た...、――入窟条件だけは満たしているイレギュラーな存在がダンジョンへ入れば、私の生還予測はもはや追い付きません。」


「役立た...?」


 というか、見られていたのか...。


「ですから。私はもう二度と。いえ、私の責任下で貴方に許可を下すことは出来ない。」


 俺は一歩身を引いて考えるふりをして、こう聞いた。


「そんなに危ないの?」


「えぇ、危ないです。許可は出せません。クランクラスも最底辺じゃないですか、信用成りません。」


 真っ当な意見だ。彼女はただ冷淡なだけの女では無く芯のある仕事人。それ故にしっかりと型にはハマっていて、俺の渡したライセンスの数字(データ)を元にした分析から導く“固定観念的選択”には一切の迷いが無くて、こちらが返す言葉も見つからないほどに真っ当な判断をしてくる。非常に厄介。でも、ただの片田舎ダンジョンの受付ではない。そこには微かに誇りだとか意志だとか、伝統のように大切にされてきた何と言えばいいか、信念みたいなものを感じる。


「じゃあー、明後日また来ます。その時にまだ危険だと判断されるのなら、諦めます。きっぱりと。」


「そうですか。」


 俺はアルクの顔をチラリと見て、タバーンの出口へ踵を返す。しかしその時、事件は起きた。






------------------------- 第57部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

④命を賭す者達


【本文】

 事件は起きた。


「...けてください…。助けろ!!!」


 隣の受付から最も近い長机。その上に土足で立ち、ズボンを握りながら少年が俯いている。それは妙に震えている様子で、みすぼらしかった。


「お金なら幾らでも出す…。だから…!!クエストを受けて…下さい。お願いしますッ.....」


「なら俺の金を返せ。」

 髭面の男が少年へ向かって淡々と吐き捨てる。


「俺の馬はどうした?」


 他の男も背中越しに声を出す。さも独り言のように、無関係を装いながら。


「てめぇ、俺のもだ!!」


『フザけんなァ!!』『そうだそうだ!!』


 俺は興味が無いふりをしながら机に座った。残念かな、あの少年は何の因縁か冒険者たちに嫌われているらしい。プーカとアルクも続いて席に座るが耳を傾けるだけで俺たちは動かない。紛れもない部外者だから。状況の片割れすら理解できない。全くもっての蚊帳の外。一方少年の周りでは彼を中心に火が付いたかのように物やら飯やらが飛び交っている。飛んで火に入る夏の虫。先程と一変したその態度は、傍から見ても好感が持てない。


「...なんか始まったな。」


 俺はヒソヒソと二人に囁き、彼らは黙って頷く。往々にして他人の物語とは自分の干渉しえない場所から既に始まっているのだ。少年はなお叫び続け、常連客の男たちも罵声を浴びせ続ける。大人げないと言えばこの場を言い表せるのか。いや、この言葉には語弊が有りそうだ。彼は泣きじゃくり、頭を下げながら時折怒りを露呈させる。まるで感情に一貫性が無い。


「受けろよ!!お前らみたいな奴らは従っていれば良いんだ!なのになんで僕だけが?!いつも不幸だ!僕だけがッ…!!」


 少年は泣きじゃくって膝から崩れ落ち、壊れたかのように机を拳で叩く。何度も何度も何度も激しく、――バンバンバンッと、机の上の長皿が振動で割れてしまうのでは無いかといった具合までに、拳を叩きつけていた。


「......問題児らしい。両親が蒸発して大金だけが残ったとか…」


 アルクが頬杖を突きながらボソッと話す。情報通め、お前は何でも知っているなぁ。

 ――ナンデモハシラナイワヨ、シッテルコトダケ...。つってね、けへへ。


「ナナシ、電撃に送る小説でそういうのは……」


「――おっとストップストップ!!それ一番アウトだから!!ここ本編では割愛されてるから大丈夫だから!!この小説メタ要素一切無いから!!」


 湧き出した冷や汗を拭いちらりと左下へ視線を向けると、退屈そうに座ったプーカが近づいてくるウェイトレスに手を振っていた。


「ミートボールー!」

「あっ、無しで。」


 アルクは瞬時にプーカの手首を掴んで降ろす。


「チーズハンバーグ!!」

「無しで。」


「ビッグステーキ!!」

「無しで。お水3つ下さい。」


 アルクは涼しい顔で却下し続け、最後にプーカへ微笑んだ。


「プーカ?お水は食べ放題なんだよ?」


 今日一の名言だ。俺もプーカへ追撃する。


「飛んでる飯キャッチして来いよ、口で。」


「貧乏クラン嫌い。」


 軽い談笑をしていると先程の重装備クランが、すなわち"日帰り装備改クラン"が少年に近寄り、彼を宥め始める。他の団員は興奮した冒険者らを制止する。やがて、気持ちが落ち着いた少年は涙を拭くとクランの代表者と思われる若い人物が机の上に立ち胸に手を当てて演説を始めた。


「少年の願いはァ、我がクラン{ユーブサテラ}が受け取った!我がクランは彼の為、深層へ挑む!!」


『――おぉ~!!』


 と、驚きの喚声が上がり士気が増すかの様に辺りがどよめく。一方プーカは、口から水の入ったコップを離し「うへっ。」と楽しそうに声を漏らした。


「だが僕らはァ、ここのダンジョンの知識に乏しい!!」


 何かの劇を見ているみたいだ。良く通る声には嘘くさい抑揚が有る。嘘くさいとは飽くまで個人の意見ですが。それになんの願いを聞き取ったか知れないが、地元の人間も周知の問題らしい。


『だから1層までで良いィ!ジマリに精通するみんなの助力が欲しいィ!!勇気が有るものは拳を掲げてくれ!』


 ――深層。


 つまりこのダンジョンでは最終第二層目の中間から最深部までのことを表している。ドラマチックな謎の連帯感が宿居酒屋(タバーン)を包み、興奮はやがて絶頂へ、個人も小隊もただの客も自身の飲み物を掲げた。さて、何のことだろうか。蚊帳の外だった俺達には点で分からないが、金の匂いがする。


『――おぉおおおおおおお!!!!』


「...おぅ、ぉぉおおおお!!」

 俺も水を掲げる。


「ありがとうみんな。よし、マスター!!――ここにいる皆に精の付くものを!!今日は決起祭だ!!」


『――おぉおおおおおお!!!』

 プーカが今日一番の声で空のコップを掲げた。それからタバーンは宴会場の如く長机を繋げ合わせ、それを囲い大量の飯が運ばれる。


「大丈夫だ!一層までの最短ルートは整備が進んでる。深層への準備はそこで改められる..!!」

「一層と二層との境界ではッ――」

「先行隊は私たちが努めよう!!」

「後衛の補給は...!!」

「ビッグステーキ!!牛刺し!!餃子!!ミートボール!!!!!そしてッ!ミートボール!!からのッ!ミートボォールッ!!」

「プーカ、今日は食べ放題だよ。」

『ステーキッ!ステーキッ!ステーキッ!ステーキッ!そしてステーキッ!!!』


 アルクがここぞとばかりにプーカを煽り立てる。そして俺も追従する。


「――フガッ!自重するな!全部頼め!食い溜めろ!胃に流し込め!アルク、皆を連れて来い!!」

「ムガムグッ…!!旨いんよッ!!この旨味、肉汁がパレード!!プーカ移籍する!!クラン変える!!」

「――ムガッ!止めて!―ウグッ!!それだけは止めて……!!」


 タバーンはお祭り騒ぎとなり、テツたちが合流した後も宴会、もとい決起祭という作戦会議の場は続いた。その後、夜が更けてから{ユーブサテラ}のリーダーらしき男が集合時間を号令して、場は解散となった。



―――――――

{翌日}


 昇りきった朝日がキャラバンの木目を照らしている。俺以外には誰も起きていない。唯一起床した俺も横の生き物に爪を立てられた結果で目が覚めている。


「寝坊した。。。――まぁ...いっかぁ。。。」


 脳みそがポワポワ、ふわっふわ。俺はハンモックの中のオフトゥンへ再度飛びつく。


「...無責任な奴め。」


 エルノアはそんな俺をジッと睨みながら腹を鳴らした。


「自分で作れぃ....。―ガッ!!痛い!!バカ!!たてるな爪!!」


「二度と寝るな...!」


「それは死んじゃうだろ。」


 耳に走る激痛と共に俺はハンモックから転げ落ち、身体を起こした。



―――――――

{ジマリ大洞穴・ギルドハウス}


「てめぇのせいで!!」

 タバーンに戻るとまたガキが殴られていた。


「てめぇは疫病神だ!!死ねッ!死ねッ!死ねッ!死ねッ!」

 殴る男を誰も止めやしない。よく見ると殴っている男は昨日、補給隊に名乗りを挙げた冒険家の一人であった。


「死ねッ!!!死ねッ!!!死ねッ…ハァ...」


「……ッ!……ンッ!……ヴッ!」


 子供の顔は良く腫れていた。骨はとっくにへし折れているだろう。くしゃくしゃになった顔の潰れた鼻からは血が垂れ続けている。


 そしてここは、ダンジョンではない。


「だっせ...」


 俺は聞こえる程度に呟き、受付に近づいた。


「{ユーブサテラ}隊の同行者として認められた{ユーヴサテラ}ですが。」


「あなたの冗談に付き合っている暇はありません。」


「へぇ、何かあったんですか?」


「うるさい!貴方みたいな初級者の居場所は無いと言っています。どうしても知りたいのなら、そこの男に聞いてみればいいんじゃないですか!!こんなの私は……、私はもう、私は...――十年前の二の前にはならないッ!!」


 人の気配を感じチラリと横を向くと血まみれの冒険家が立っていた。


「誰がダサェだと…!?」


 ヒュッと、飛んで来る拳は俺の頬にめり込み、勢いのまま身体は壁まで吹っ飛んだ。


「――カハっ、ゲホっ...。」


 典型的な筋力増強系の魔法。後衛ポーターに持って来いの体躯。子供がこの重々しいパンチを何発も喰らっていたのかと思うと中々に強烈で、俺は何だか可笑しくて、ヘラヘラしながら立ち上がる。


「いやぁ、ざっす…!気合がね、ヘヘ、入りましたよ、ホントすみませんね。」


 不憫だ。俺は思うが間髪入れずに拳が飛んで来る。


「笑ってンじゃねぇよ!!」


「へへ…。――ガッ!!痛っだ!」


 胸ぐらから服に引っ張られた身体がつり上がり、眼前でおっさんが叫ぶ。


「人が死んでんだぞッ!!」


――死者増える...!ここで増える...!!一人増える...!!


「ブフッ!!」


 再度俺を殴った後、オッサンは肩で呼吸をしながら泣き始めた。


「俺たちの冒険が…」


――俺の顔面が...


「…テツ、、、頼む。」

 ぶっ倒れた俺はフル装備のテツに目配せし、リザは同時に、呆れながら冒険家を宥め始める。教えて欲しい、私は何故殴られたのでしょうか。


「なぁ、もういいだろオッサン許してやってくれ。」


「ちっ。あぁ…すまない。」


――すまない。…じゃねぇだろ...。

 傍らではテツが受付で手続きをしている。あまりこの手は使いたく無かったが、ここまで来れば仕方が無い。奥の手だ。


「――お前らに...何が出来るんだ!!」

 

 殴られていた例の子供が急に吠える。

 事情は昨日、決起祭りの酔いどれ共から片耳で盗んだ。


「行方不明になった義父親だろ。資金は盗品の家畜から...。証拠の挙がらない内に傭兵を雇い親父を救ってやろうって?とんだクズ野郎だ。まぁ…助けてやるよ可能ならば。」


 子供は一瞬ハっとした表情を見せ、また俺たちを睨んだ。


「殴られてばっかの弱い奴が格好付けるなよ!そうやってみんな死んでくんだ!何にも出来ずやり返せずに金の為に名誉の為に皆死んできた!!皆死んだ!!危険を冒して!!後悔して!!それで八つ当たりか!?バカばっかだ!!――僕はただ…!!」


――今更だ。


「……当たり前だろ。それが"冒険者"なんだから。」


 ぶっ倒れている俺が言ったからか、椅子に座る無関係の冒険者にも、クランの仲間にも鼻で笑われる。けれど間違ったことは言っちゃいない。


「バカに成れないような奴に、ダンジョンへ挑む資格は無い。」


「ええ、5人。彼らを同行者とします。」


 テツはお構いなしに受付嬢とケリを付ける。無名クランの俺らはやっと今、スタートラインに立った。


「もう…好きにしてください。もう、皆、死ねばいいんです…。」


 受付嬢は憔悴した顔で判を押した。


「好きにしていいんだな?ならあんたも来い。」

 俺はテツを一瞥して受付嬢を睨め付けた。


「じゃあ一人追加で」


「へ?何を言って…」


 俺は次にギルドマスターに手を振った。正確にはギルドマスターと思われるフサフサひらひらの初老にであるが、爺さんは笑顔で手を振り返し受付嬢と顔を合わせる。


「行ってきなさい。」


 許可は下った。


「――よし、エルノアッ。」

 

 瞬間。何もない空に現れた黒猫は宙をふわっと舞い、神々しい闇の中へ7人を呑み込む。最後に残った一匹はふわりと生き残りの冒険家へと近づき、彼の頬をガリっと引っ搔いてから消えてった。


「――痛ぇ!!なん、なんなんだ…アイツら一体、、、」


 耳に届いていたオッサンの声は次第に彼方へと消えていく。






------------------------- 第58部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

⑤洞穴のダンジョン


【本文】


「エルノア、ちょっとは補助しろよ。」


「無理だ。転送さっきので疲れた。」


「ほんとスタミナ無いのな。」


 入口を抜け闇の中へ。リザが溜息を吐く後方の卓上では、広げた地図の上を受付嬢が指でなぞる。そしてその指は窓の外にある洞窟の景色に合わせ加速的にジリジリと速度を上げ続けていた。


「中央の大洞穴には、――ヒェッ!!!途中までしか荷車では進めません!この先はずっと坂ですから...!ですから!ですからどうかぁ!――スピードを緩めてくださいぃぃ...!!」


――風を切って走る。否、滑り落ちている。


 実に、誰にだって事情はある。冷淡な受付嬢の過去、ギルドマスターの配慮、義父親の消えた少年の想い、それに応えた謎の冒険家、呼応した地元の冒険者、その末路を前にしたさっきの男。


――その全てが眼中に無い。俺たちは所詮利己的な底辺クランだ。だが自分の尻拭いすらできないクランを"ダンジョン"は見逃さない。


「全速前進。」


 リザの淡々とした一声に受付嬢の喉が震える。


「ココココから先は急斜面です!!やめてくださいぃいいい!!」


 馬のいない馬車が一人でに走っている。その正体は魔法原動型四輪駆動荷車、通称{方舟}と呼ばれるもののロストテクノロジー版。すなわち、オーパーツ。詳しいことはまだ俺にだって分からない。しかし、リザがこのロストテクノロジーに改良を加え、方舟の能力を最大限まで引き出したことは事実。俺が初めに見たこの方舟ポンコツには、運転席など無かった。そしてこの仕掛けも。


「――飛ぶぞ!」


 リザの合図で皆が手すりを掴み、俺とテツはキャラバンの屋上で欄干を掴む。受付嬢によれば、大入道から来たるジマリ大洞穴第1層から第2層までの道のりは45°程の傾斜で下り続ける直線、ダンジョンとしてはシンプルな内部構造で、俺たちが選んだルートは1層の{大空洞}から2層の入り口{開門の鍾乳洞}までの強引な滑空(グライド)。悪く言えばゴキブリ式。


『ハハッ、ヨーソロー!!両翼展開ッ!!』


『――ひぃやだァああああああああああああ!!!!』


 前方斜め下への浮遊感と速度感。リザが下で掛け声を出し、キャラバンからは木造の薄い板と安布で出来た大きな翼が上下二枚ずつ広がった。フライト時間はおよそ45秒間、猛烈な速度での落下に近い行軍。乱気流を裂いて進むが如く、時折バウンスする衝撃。突き出す岩壁も合間を潜って抜けていく。


『うひゃあああああああああああああああああああああ・・・!!!」


 初見の客人二人は恐怖に悶える。確かにスリル計り知れない……。横移動の制御はラダーと呼ばれる翼で風を受け流し行われるが、それでもぶつかりそうな岩はテツの狙撃大気銃アトモスフィア(狙撃銃のオーパーツ)か俺の爆弾矢で予め脆くし突っ込んでいく。つまりは突撃、襲い来るモンスターも岩の障壁も体当たりでぶっ壊す。名付けて『空飛ぶ猪☆大滑空作戦。』


「ナナシ、前方下凸。」


 俺は弓を引き、キャラバンの速度に乗せた爆弾矢を的確に放つ。放った矢は天井からぶら下がる形の岩にぶつかり、衝撃で爆ぜる。しかし流石にまだ堅い。キャラバンと岩がぶつかる刹那、俺は大太刀を振るい岩を横一閃に薙ぐ。


「あ、左右上凸、距離四百!!」

「確認!!」


 刀身5尺に柄は30㎝。合計六尺おおよそ180㎝の巨大刀。この大太刀はこれをやる為の特注品である。圧倒的な向かい風をゴーグルに受けながら、欄干を踏み台にバランスを取り、首巻を靡かせたテツが両翼にぶつからんとする岩を狙撃する。


「左、甘い。」

「りょーかい!!」


 脆くなった岩にとどめの如く突撃を刺して、キャラバンの速度のままに穿つ。


「――なるほドォーナッツ!!」


 岩壁のドーナッツはそのまま砕けて下に落ちる。続けて右を狙うテツの後ろから、俺が矢を放ち、穿たれた岩の風穴に爆弾矢を着弾させる。


 そんな息もつかない作業を繰り返し繰り返し繰り返し、高速で何度も繰り返し、死の淵でリスクヘッジをし続ける45秒間。俺たちの意識は限りなく研ぎ澄まされ、動きはずっと洗練されていく。


「いいぞ上組!本船5カウントで減速!!」


 通信管を伝ってリザが声を響かせる。


「よん、さん、にぃ、ちー、ダウンッ!!」


 減速は2つのパラシュートを一瞬間広げ、切り離し、キャラバンに取り付けたアンカーガンを天井に引っ掛け、次第にブレーキする。その際にかかる衝撃は計り知れないが大部分は展開された木造の腕型スプリングアームに吸収させる。


「落下傘!」


 制御は運転席から行われるが、偶の誤作動で発動しない時は上の補助役が手動で展開させる。それでもダメなら猫の手を借りる。スタミナの無いエルノアは往往にして奥の手だ。


「接地するぞ!!」


『ひぃいいいいいいいいい・・・ぃいいい!!!!』


 車輪とスプリングアームが擦れ、――ズガガガガァ!!!と衝撃的な衝撃音が鳴り響き続ける。岩を砕き、数多のがれ場を残しても、しかし方舟キャラバンは壊れない。行軍を振り返ると粉砕された岩石に轍が敷かれていた。


「……おい、無茶をするにゃ。」


 平静を装った、冷や汗ダラダラの猫が俺を引っ掻いてぼやく。


「いつものことだろ。」


 止まった瞬間はいつも鼓動が早い。怪訝な表情のエルノアを撫で、俺とテツはキャラバンの中へ戻り装備を整えてから食卓へ集まった。


「じゃ、作戦会議しよっか。」


『遅い!!』

『遅ぇよ!!』


「なんだー、いたのかぁ。」


『"君"らが連れてきた!!』

『"お前"らが連れてきた!!』


 顔の腫れあがった子供が泣きべそを掻きながらへこたれていた。隣の"受付嬢だった"一般女性も真っ青な顔をし一口ゲロを戻す。なんと仲のいいことで。


「――オロロッロッ...」


「チッ・・・」


 それを見たエルノアは聞こえる程度の大きな舌打ちをし、展開した闇の中へ吐しゃ物を消した。


「飯を出せ。」


 エルノアが腹を空かせて睨んでくる。可愛い奴だ。


「飯を出せ~ぃ」


 プーカもそれに呼応した。


「そうだな。確かにそうしよう。うん、ここをキャンプ地とするっ。ここから魔素順応と調査を進め、環境次第で進行を判断、更に小隊に分けて二層へ行こう。」


 俺は自身の提案を口にしたあと、真っ先にテツの方を見る。ダンジョンでのルート取り、日程調整などの計画づくりは、テツがその肝となっているからだ。そう、彼女の危機察知能力だけが俺たちにタイムリミットを伝える。


「魔素順応?いや、そんなに時間を懸けるんですか?そんなことをしたらリスクが高ま――」


「貴女は、この場所を分かっていない。」


 テツが淡々と切り捨てるように呟いた。そう、肌感でもって感じ取ったこのダンジョンの第一印象は、おおよそ受付嬢が知っていたであろうその場所とは乖離していると推測できる。


「分かっていないって、私はココの番台係で!!」


「テツの言う通り。」


 横槍を入れるように俺も呟く。俺達みたいな特殊な冒険者たちには、すぐさま勘づかなければいけない事象だ。特殊な冒険者、もとい専門家。目を丸くしながらこちらを見る彼女らには、やはり説明が必要みたいだ。


「ここは、"普通のダンジョン"じゃない。」


「ふ……、普通じゃないって、ダンジョンに普通も何もッ...!!」


 確かに、ダンジョンなんて十中八九尋常じゃない。尋常じゃなく獰猛で等しく危険が潜んでいる。ただ許容される異常の範疇を超え、冒険者が然るべき危惧を認識すべき特殊なダンジョンは少し変わった言い方をされているのだ。すなわち、ここの実態とは


「――実態は、{シーラ}」


「シーラ?」


 うん。と頷き、俺は辺りを見渡した。


「そう正しく言えば、ここはシーラって呼ばれる特殊領域のその“片鱗”なんだよ。」


 こうなれば話はだいぶ変わって来るだろう。事前に入手したダンジョンの情報も、ジマリ街のギルドが積み上げてきた歴史も、全てが覆る。おおよそここ数日に起きていたダンジョンの変容や行方不明者の増大はこの為だと推察される。だからこのダンジョンを進む上ではまず、一般的な冒険者たちの常識から外れた大前提を説明しとかなければならない。つまりは、ようこそ超高難易度迷宮シーラへ。


「ここでは、魔法が使えない。」





------------------------- 第59部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

⑥洞穴のシーラ


【本文】

「シーラ?」


 尋ねる番台嬢に振り向き、首を掻きながら答える。


「あぁ、正式名称はシーカーズ...えっと、何だっけな。まぁ頭文字だよ。知られ始めたのは最近だけど、シーカーって存在はダンジョン冒険者と同じように昔から存在していた。そしてここの第二層三層合併最終層、つまりは旧最終第二層{伽藍洞ガランドウ}は恐らくシーラ、。」


――恐らく、もとい間違いなく。


「待ってくださいっ!そんな大事な情報を私が知らない訳ッ――」


「知らない訳が、有るかもな。」


 俺はその事情を思い浮かべ、少しばかり辟易としながら語った。


「シーラは既に公なものだけどさ『オーパーツ』っていうある種の兵器が絶大な力を持ってるんで、欲に眼が眩んだ権力者たちが揉めてたんだ。現場の安全なんて二の次で、利益と暴力の為に足を引っ張ている奴らがいる。つまり、いやおおよそ、ここを管轄する王様かんりにんもその一人だったって訳だろうと。」


「欲望が目を眩ませる?ダンジョンは元よりそういう場所ですよ?」


「確かに...」


 俺はしくじったと一瞬頭を巡らせた。確かに、ここの情報に規制が掛かっている理由は他にあるだろう。俺達もオルテガに催促されるまでは来る予定など無かった。


「まぁ…なんか有るんじゃないの。知らんけどさ。それよか大方、読みは当たったな。」


 俺は語りながらに取り出した"瓶詰めに入った魚の水煮"を開封。突っつきながら、箸を持ち上げる。テツもそれに賛同するように、大層ざっくりとした洞穴ダンジョンの地図を広げてとある地点に指をさす。


「ヨーソローしてる時、1層~2層間の通路には何人か倒れていたのが見えた。それと大型の足跡が二層の方角へと続いていた。恐らくはこの通路の初めから魔法が使えなくなっていたんだと思う。魔法で抗戦した痕跡が無かった。……それとお姉さん。帰ったらこのダンジョン、新たな三層構造に分類したほうが良いと思うよ。具体的にはこの通路を新たな二層にするとか。」


 ダンジョンの層というものには既定の為のルールがほとんど無いものの、その全てに、作成者した先駆者がこれから挑みゆく冒険者に伝えんとする教訓や意図のようなものが存在する。


「いや、まず…帰れるんですか?」


「無理かも」


 受付嬢の言葉にテツがサラッと、脅し文句を言い返す。


「ひッ……ふ、ふざけるなよ!!」


――この子供。さっきまで伸びていた癖に、急に元気になりやがった。


「とにかく。今回は順応を省いて、俺とプーカとテツはこの先の二層まで行ってくる。本当は金稼ぎもしたかったけど…、どうやら救助する対象が多すぎるみたいだ。恐らく遭難者の過半数が最終第二層にいる。それ以前の、まぁ、中間層に倒れてたやつは全てそっちに任せた。」


「――お…お前ら、3人が行くのか!?」


「なんだぁ、ガキの癖にお前も来たいのか?いい度胸だ。」


「いい~度胸だぁ。」


 プーカが俺の言い方を真似して唱える。


「そ…そいつだってガキじゃないか!!」


 少年はプーカに向かって指をさし、怒鳴った。


「そ...それに、お、お前だって殴られてばっかだし、そっちの影薄い奴だって良く見たら女じゃないか!!――お前らどうかしてるよ!!滅茶苦茶だ!イカれてる!!」


「プッ…w よく見たらだってのw」


「うるさい。」


 ――ドスッと重々しく、テツが俺の腹を殴る。


「――ダッ!!、…痛ぇって、ダンジョンでもよおして死んだらお前のせい。。だかんね。」


 殴られた俺の腹はグルグルと唸るウルボロス…。邪龍の封印は解かれたみたいだ。


「いって…魔界の門が...。じゃなくて、あー、あのなぁ、じゃあ一言だけ伝えておく。」


 俺は胸を張って叩き、ビビり散らかす子供を見下ろしながら偉そうに言った。


「俺はこのクランのリーダーだ。仲間を死地へ連れていくってのに友達って理由だけで同行させると思うか?ノリが良いからって同行させると思うか?金に釣られるからって同行させると思うのか、地元の人間で土地勘が良いからって同行させるのか、あるいは人数が多くって、やれ費用も莫大で、やれ準備も完璧だからって同行させるのか?」


 思い浮かべるのは同業者らのパーティーだ。ギルドハウスに居たものは全て、心の何処かで互いの力量を計っている。あのパーティーは戦闘向きだ、あのパーティーは開拓向きだ、あのパーティーは発掘調査向きだ、困った時に頼れそうなのはアイツらだ、とか。しかし未だに俺は、このパーティーよりも優れたメンバーのいるクランを見たことが無い。ただそんなものを全て超越して、一つだけ甘んじてはいけない責務がある。


「よく聞け。その答えは、圧倒的に否だ。」


 ダンジョンとは人が死ぬ場所である。かつて、偉大な獣人シーカー{ククルト・フランデ}が死の間際にそう言った。しかしそれでもこの刃の届く範囲では、俺は仲間を守る盾。


「――何故なら俺には使命があるから。」


「使命...」


 そうだ、反省しろ。今回の事故には依頼主のお前にも非が有る。なんせ義父親が行方を眩ました危険地帯へ、結果的に大勢を送り込んだんだから。


「あぁそうとも。俺はこの探索家シーカークラン護衛師たて。如何なる理由が有ろうとも命を張って仲間を守る。それに、ここにいるのは紛れも無く。見た目がチンチクリンだろうが、貧乏だろうがみすぼらしかろうが、性別不詳だろうが、女々しかろうが、能天気だろうが、――プロの探索士シーカー達だ。ただの冒険家じゃない。探索士シーカーなんだよ。」


 俺は堂々と言い切る。


「シーカー...。」


 衝撃の事実、公認のプロは一人だけ。


「その通り。じゃあリザ、エルノア、後は頼んだ。」


「――僕も僕も!」


 ダンジョンでは無力すぎる商人が必死に手を振る。


「アルクは死なないようにね、非力なんだから。」


「……いや、本気で心配しないでよ。」


 俺達三人は食事を終えキャラバンの戸を開いた。洞窟の涼しげでミネラルたっぷりな空気が肌を撫でる。テツはゴーグルと首巻きと帽子を身に纏い背中には大気銃(ライフル)を装備。プーカは100㎏程の荷物を背負いながら軽々と跳んで見せる。一方俺は、ただ短剣を装備して羅針盤を首からぶらっと下げ、最もラフな格好で準備完了。何も出来なさそうだ。あと弱そう。


「――あっと、忘れてた。」


 俺は受付嬢の方へ顔を向き直し、念の為に言葉を交わす。


「我がクラン{ユーヴサテラ}は、危険度未定=特殊領域{ジマリ大洞穴・第二層}への入窟許可を求めます。」


 これをやると成果を出した時に金が貰える。或いは、価値の高い報酬。補足をすれば先程ギルドに申請したのはB級プロシーカーであるテツ個人であり、俺たちはその付き添いという形で同伴している。すなわち、本件はユーヴサテラの活動として記録されずテツ個人の活動として記録されるが、ここは既にシーラだ。根本からギルドが試算した基準がズレているのだから、流れでクランの活動として申請を切り替えた方が利が大きい。


「え…、ユーブ?」


――違う、ユーヴ。


「許可します。(裏声)」


 受付嬢は咄嗟に振り向くが、彼女の首元に浮遊したエルノアは瞬間、二ヤついて姿をくらました。それよかやはり、先程は聞き流していたらしい。


「よし、それじゃあ行ってきます!!――そっちは頼んだ!!」


「えぇ!?まだ何も、ちょっと!!」


 俺たちは逃げるように第二層への境界線へ飛び込んだ。滞留する酸素は薄く、順応不足で指先がピリッと痺れるが、妙に懐かしい感覚がする。


「シーカーなのは僕だけだけど。」


 テツが呟く。


「あ~、返す言葉も御座いませんで...。」


 立場上、俺とプーカは飽くまで同行者だ。ここにプロシーカーは1人しかいない。


「まぁ行けるっしょ!!――アユレディ~!!?」


『Fu~~~~~!!!』


「ナニそれ。」


 俺とプーカは拳を突き上げ目を合わせる。テツの疑問符に対してプーカはジト目のままニヤリと口角を上げ、それを言い表した。


「呪いの言葉~。」


「あぁ、それだ。実際行方不明だし。」


「止めてよ...。」


 そう今まさに、足場の悪いゴーロ帯を走り抜けながら、バカ二人と本物のプロシーカーによる超高難易度ダンジョンでの救難任務が始まったのである。









------------------------- 第60部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

⑦コスパの女王


【本文】

{ジマリ大洞穴・第二層浅部}


「大丈夫か?」


「あ、あぁ…」


 怪我人発見。死体が点在するその場所で俺の問いかけに対して返事を出来たのは、たった一人だけであった。


「プーカ、C2まで運ぶから応急処置だけして。僕は周囲を警戒しとく。」


「ガッテン!」


 俺とテツが組み立てた作戦はこうだ。


 まず、第二層を浅部、中部、深部と分け、中部の取り分け安全な地帯へC2(=キャンプ2)を設置。可能な限り遭難者を集めフレアでメインキャンプのキャラバンを呼ぶ。メインキャンプとは1層2層間の通路にいるエルノアたちのことだ。彼らがC2到着次第作戦は終了。これがプランA、俺たちの定めたデッドライン。つまりはシーラを攻略しない。現状、出来ないというのが正しいニュアンスだろうけれど。そしてもう1つ少々現実味の欠けるプランBがある。


「もう一人見つけた。二時の方角距離五十!」


 天井からアンカーガンで吊り下がりながら、テツが大きな声を洞穴に響かせる。


「俺が運ぶ!!テツ、こっち見ておいてくれ!」


「分かった!」


 そしてシーラでの死亡原因率を考え、作戦は随時柔軟に変わっていく。2人目のこのオッサンは恐らく滑落をして気を失っている。シーラでの死亡原因率の一位も58%で滑落とされるが、見渡すに大規模な地割れなどの痕跡は無い。加えて本事故は巨大生物による中隊の士気低下(パニック)が要因の事故と思われると推測。しかし巨大生物等での死亡事例は存外少なく、もしも隊が分裂しただけで有るならば生存者は多い....はずだ。


「もう辺りにはいない。安全なC2を探しに行こう。」


――そう、C2はまだ見つかっていない。


「よっこいしょういち…。んねぇ、重い!!」


「余裕そうだぞ。そんなもんか~?――あ~昨日の晩飯の食い過ぎですかね?」


「冗談!まだまだ!!」


「ありがとうプーカ。(単純すぎて)本当、助かってる。」


 プーカは元来、薬師だ。獲ってきた得物が食用か否か、どこが食べられるか毒はあるのかをある程度判断することが出来る。加えて現在、背負っている物資と救助者の総重量は250キロに迫るものだ。薬師兼、運び屋ポーター兼、調理師(料理するのは他だが...)というこの怪物スペックは正直、他クランなら喉から手が出る程の人材。ダンジョン攻略においては重宝される特技ばかり。文句垂れる癖に、よく未だにウチに居てくれている。


「ミートボールね!」


「もちろん。でも良く飽きないな。」


「あれは癖になる味ぃ...」


 毎度同じ手法で飯を強請られるが、正直有り難過ぎてむしろ奢ってあげたくなる。それに確かにアレはいい味だった。俺はまだ試していないが、エスニックな香りのソースもあるらしい。あとは7種のチーズソース、斜塔街の高級トマトソース。ビーフソテー、ジャーキー、ラザニア、ビーフミートのピッツァ。とどめは...


「五層の…」


「五層?」

 テツが俺の小言に過剰反応する。ダンジョンじゃないよ。


「いや、五層のジマリバーガー...なんでもない。」


――ダメだ。集中しろ。


「テツ。思うに、プランBの方が容易な気がしてきた。」


 テツはぼんやりと目線を合わせて頷く。それは通常、突拍子の無い選択肢。


「えっと、今更だけど...僕もそう思う。でも本当に今は50:50フィフティー;フィフティーってところ」


――言い得て妙とやら…。


「確かに、数字で言えば俺もそんなもんだ。」


 乗り気では無い。無いがしかし、不穏な空気が張り詰めている。


 プランB。それはとても極論的で行き当たりばったりの代物。しかし有用...且つ条件次第で最善。シーラにおいて最高の手段。つまり目指すは終着点であり円環のスイッチ。


「とにかく、今はC2を作ろう」


「そうだな。」


 プランがどう転ぼうとC2を作る過程は変わらない。本来のダンジョンなら中間層のC1から最深部まで直接アタックするような距離であるが、C2に安全地帯があるならばC1すら本当は必要無い。


「嘘、やっぱ70:30」


「――どっちが?」


「七割、B」


 直感だろう。俺もテツも感覚タイプ。しかし今回は要因の明確な直感。だから俺はどうせ後で「だろうな」だとか「やっぱりな」だとかの言葉を返す予定。


「一応聞いとく。理由は?」


「ふん。」


 彼女は自分の言葉の重みを知っている。その一言、一つの判断が全滅に繋がることも。だから冷静に周りをもう一度眺めてから、確認する様に頷き、俺の方へ向いて応えた。


「簡単…過ぎるよ、このダンジョン。」


――あぁーあ。川の、流れの、ように。あぁ穏やかに。


「やっぱり。」


 俺は深いため息を吐いた。残業が決まった瞬間である。しかしながら、昔から憧れていたプロシーカーと同じ結論に達している事実。幾多の死地を未然に防ぐ独特の嗅覚に付いていけているこの感覚は、子供心にいつだって興奮してしまう。昔はただ、追うことしか出来なかったシーカーの背中が、今は一緒に進みながら並ぶ肩になった。しかしテツは怪訝な顔のまま行く道を見据え、渋い顔をする。


「それと何となく...嫌な予感がする。」


 能天気に浸っていた俺の頭に、その予感は感じ取れていなかった。


「これが・・・」


 俺はポッと、思ったことが声に出かけた。


「何?」


 喉まで登り詰めたこの言葉を呑み込み、足首を捻挫しそうになるような安定しないガレ場をしっかり蹴って、俺は薄暗い前方に顔を向けた。


「いいや、進もう。」





------------------------- 第61部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

⑧手遅れを告げるモノ、二度目の別れ


【本文】

 五感の全てが彼女に劣る。第六感的な部分でもそうだ。ともすれば、俺の疑念は彼女の顔で確信に変わる。それは拒絶をむき出しにしたような、嫌悪と憤りと呆れが混じったような、真剣な顔だった。


 この洞穴シーラは不思議なことに高山に似ている。ゴツゴツとしたガレ場に移動を制限する乾いた足場。引きずり込まれるような傾斜。しかし、いやだからこその違和感が一つ。これだけ高所の環境に似ているというのに寒くない。湿り気のある温かさ。加えて匂いが有る。微かな匂いだ。土とか、汗とか、遺体とか、遺体とか、遺体とか、遺体とかの腐敗した臭気だとか。あとは遺体だとか。


「――ナナシ。」


「……えッ、あぁ。」


 ここまで悲惨なものだとは思わなかった。傷口はドス黒く変色し、鮮度の落ちた生肉の様に熟れた四肢とむき出しの骨格が服を着ている。寂しいだとか、悲しいだとかの感情は無い。ただ高鳴る鼓動に送られる血液が細胞を目覚めさせるように、緊張感が増し、辺りへの警戒が強くなる。この中に知り合いはいない。でもこれだけの死体が有る場所には今、俺たちが立っている。


――ここで、何が有った?


 テツはまた真剣な面持ちに直り、首巻越しにその口を開いた。


「ねぇ、ナナシ。」


「あぁ。」


 状況は凄惨この上無い。はやくこの場から立ち去るべきか……。


「C2はここにしよう。」


「えぇ逆に!?」


 声色は明るい。C2を確保できた安堵からか。


「まぁ開けてるし。死体が食われてない。匂いは焼けば消える。古い死体も見えない。」


 テツの冷静な分析に加え、プーカが辺りを散策する。この手の光景には成れているのだろう。


「キャンプ跡もあったよ!」


 プーカの一言で不気味さが増した。というかそれは、確信だった。旅にデジャブは付き物である。



―――――――

{ジマリ大洞穴・第二層C2(夜)}


「かぁー。水だぁ、助かったぁ!!」


 おっさんは裂傷。


「やぁー!ありがとう命の恩人ですわ!!」


 こいつは骨折。


「命の恩人じゃわい…」


 ご老体はほぼ無傷、これが経験の差...?


 食料はC2用だけで10日分ある。それが現在は2日分にまで減った。現在、隊の人数は12人、内重傷者は7人。軽症者数は2人。3人は俺達。医薬品は底をついた。水も恐らく底をつく。焚火の燃料はもう残っちゃいないし落ちちゃいない。


「クソ、あんだけ持ってきてたのに……。」


 俺は食料袋を覗きながら嘆いた。


「すまんの恩人方。」


「いえいえ……。」


 内心は焦っていた。C2は元来プランAを考慮し、より深い場所で何日も居座ることを想定していたからだ。しかしテツはやはり、その方向性をプランBへ変更。キャラバンがピックしやすい浅くて開けた場所で、先行隊は終環点へ目指そうとしている。要因としては要救助者数、それも重傷者数の多さにあるだろう。おまけにこの食料難だ。


「プーカ、そっちは大丈夫か?」


「うん、むん……ムガムガッ、ムガ……、ちと糧足りひんかも。」


 プーカは重傷者の横で、簡易食料の空き瓶やら空き缶やらを山にする。


「むぐむぐ。げっぷ、.......うめ。」


――お前かい。


『全部吐けよ、喰った分をよぉ!!』


「(*´Д`)_?」


「あぁもう限界だ……。明日の分の飯も無い、はやくフレアを焚こう。」


 俺は腹を括ってカバンから筒状の発煙筒を取り出す。


「そんなんで応援が来んのかい?」


 右手の小指の骨を折った爺さんが不思議そうに眺めてくる。まぁ確かに、こんな穴倉でフレアを灯そうと、視覚的には効果が無いだろう。


「基本的には匂いだよ爺さん。微かにマタタビを燃やしてる。うちには鼻が強い仲間がいるから第一層までこのフレアは届く。あとは匂いを辿ってやってくる。」


「はえ~」


 俺は関心している元気そうな爺さんへ、間髪入れずに質問する。


「――んで、何があった。」


「はぁ、そうじゃった。」


 能天気な爺さんだ。最も重要な話だろうに。


「まず…先行隊が全滅した。わしらがそれを知ったのは先行隊の一人と会った時。そやつは{ユーブサテラ}の主力じゃったそうで、ポツリと独り俯いて、佇んでおった。そして全滅の経緯を聞いている暇に奴が現れた。」


「牛…でしょ?」


 テツが白湯を飲みながら呟く。


「んん?――そうじゃまさに。足跡を見たのか?良くできるお嬢さんじゃわい。でもただの牛じゃあ無いわ。そいつぁ本来は二層の奥地に生息するジマリ牛の長老。」


「牛肉!!?ミートボール!?」


 プーカが飛び切り嬉しそうな顔をした。


「ほほう!食べたでの?ジマリのミートボール?ジマリの食卓で食べられている牛は、ダンジョンの強くて大きな牛を飼い慣らし、後に家畜としたものなんじゃ。わしも一度行ったことが有る。二層の奥地はここいらの栄養を全て吸い取った牧草の楽園の様な場所で、見たことも無いような巨大なジマリ牛が香りだかい香草をふんだんに食べておる。体長は小さなものでも5メートルは下らない。ワシらはその群れと1層と2層の間で出会った。」


 そして笑いながら話す爺さんの顔がピシりと気迫を帯びる。


「しかし、普段なら魔法の得意なものが追っ払って解決なんじゃが、誰も魔法を操れなんだ。ここにいる者達はみな隊の後方に位置していたもの達じゃろうから、ガレ場に不慣れなものから始まる渋滞を契機にジマリ牛に滑落させられこの有り様じゃ。魔法が扱えねば、あの巨大猛牛に勝てる人間などおらん。」


 これはなるほど、大方予想通りだ。テツの。


「しかし何故(なにゆえ)、こんな奥地までわしらを引きあげた?頑張って戻って、お主らが定めおったそのC1とやらに何故導かんかった?」


 導く。シーラでは"進むトレイルを定める者"を"命を預ける者"として、導き手、あるいは先導手トレイルリーダーと呼ぶ。パーティーにおけるその責務は重い。そしてこの役目ロールは、必ずしもクランリーダーが担う訳ではない。


 実にパーティーにおけるトレイルリーダーは、最終的な判断を下すクランリーダーと一線を画す事が有る。何故なら導き手には変人が多いから。直感タイプも、頭脳タイプも。逆を言えば先導手でありながらリーダーを兼任する上位シーカーのクランは往々にして頭がぶっ飛んでいる。


「明日はこの奥を探索する予定だから、キャンプ地として……です。」


 テツが答える、


「なんと……!!第二層に挑み行く者達を見たじゃろう?みな歴戦の冒険者、装備も洗練つくされておる。人員も申し分ない、経験も若さもそうじゃ。しかし魔法は扱えない!やはや、……なんと。恩人の為にワシが言えることはただ一つじゃ。主らを冒険者と理解した上で言うぞ。それは、止めなさ――」

 

 俺は真っ先に、きっぱりと答えた。


「嫌です。」

「却下。」

「ウシ焼くべ。」


 テツたちがそれに続く。闇に濡れる静寂の中、パチパチと火の中の小枝は爆ぜ、爺さんは硬直した顔面を緩め呆れた様に笑って茶を啜った。


「なんと......まぁ。」


―――――――

{ジマリ大洞穴キャンプ地跡C2・キャラバン隊合流}


「ただいま、エルノア。」


「しぶといな、」


 いつも通りの辛辣な猫だ。まだ生きてたのかと言わんばかり。


「まだ生きてたのか。」


 言った。


「お帰り!!無事でよかった!!」


「コイツらが、で死ぬわけねぇだろ。」


 ――カッハッハッと、リザはたっぷり笑いながら言い放ってくれる。実に痛快で嬉しいことだが、負傷者の前でそれを言うノン・デリカシーっぷりも相変わらず清々しい。


「こっちで発見したのは16人だ。うち2人は生きてた。そっちは?」


「こっちは22人。9人生存。」


 テツが指をさす。築かれた死体の山は、焚火に仄明るく照らされる。


「くぅ...、こ、こんなにも。」


 受付嬢はキャラバンの戸の前で佇みながら苦い顔をした。


C2周辺ここらは足場が狭くなるから、滑落した数名が生存出来た。」


 テツの報告にアルクが答える。


「そうなんだ。浅層こっちはたぶん逃げ場が無かったからね。ジマリ牛に生身で応戦したんだと思う。それでも倒せなかったそうだけど。」


 キャラバンに載せる負傷者の人数は11人。応急手当にプーカも搭乗させるので計16人。工夫すれば行けるだろうけど、防備が手薄になりそうだ。満員電車というか奴隷船。


「行方不明者は、あと10人くらいか。」


「そうだね。」


 アルクが俯いて相槌を打つ。


「ところで。テツと相談したんだけど、まで行こうと思ってる。」


「なるほど。ということは、……行けそうなんだね?でも一応、僕らは引き返しに戻るよ。もちろんナナシたちもそう。生きているのか分からない10人と、自分たちの命を秤にかけるんだ。」


「分かってるよ。」


交渉専門とはいえアルクはシーカー隊の一員だ。ダンジョン探索でも良く頭が切れる。


「……終環点って、なんですか?」


 そういえば連れて来てたな。ここに来てあの子供と女の、たった二人分のスペースが惜しい。


「終環点っていうのはシーラの終点。この特殊領域に不思議な現象を起こしている要因で、そこには時に貴重なオーパーツが埋まってたり、高価な湧き水が出てたりするような場所です。シーカーを目指す人々やシーカーという生き方をする人は、誰しもがその終環点、特異の中心が生み出す美しい価値を掴みにシーラへ潜るんです。」


 アルクが丁寧に説明する。


「そしてその場所を弄れば、ある種のスイッチが作動するみたいにシーラの出入りが容易くなったり危険度が下がったり、もはや危険じゃなくなったりと、とにかく特典がいっぱいある。どれも一時的だけど。」


 俺はアルクの説明に乗っかって話すが、


「でも、そこを目指して大勢死んでく。」


 リザはハッキリと現実を伝える。


「エルノア、倉庫を開けてくれ。」


 俺がそういうと「ふん。」と鼻を鳴らし、エルノアはキャラバンの中へ入っていった。俺とテツはその背中を追い、四角い印の有る壁の前に立った


「ふふん、マスターいつものくれよ。」


「僕も。」


「命令するな。」


 エルノアは何だかんだ言いながら、内壁の印を紫色に光らせ倉庫へと繋げた。


「な...なんだよそれ?」


 依然顔の腫れた少年は目を丸くしながらそう言った。俺はなんとかそれを濁すように説明する。


「えっと。そうだな、このキャラバンには居住場所や台所とは別に、亜空間に倉庫が繋がってる。っていう感じかな~?ほらドラえもんみたいに?」


「勝手に教えるな。」


「――じゃあ、今のは無しだ!」


 俺は少年に腰に手を当て胸を張りそう言い切った。エルノアは舌打ちを挟みスンと不機嫌な顔をする。


「じゃあ、ここは解体しといて。」


「ハイハイ。」


 テツが指示を出し、アルクが火を消し始めた。きっとテツの人使いが荒いのではない、使い易いんだよ君の性格がね。


 俺はエルノアを撫でる手を止め立ち上がる。


「僕に触るな。」


「おりゃりゃりゃりゃりゃ!!!願掛けだよ。なんせ、生きて戻れるか分からないだろ。」


――いつもそうだが。


「大丈夫だ、すぐ迎えに行く。」


 リザは袖を捲りキャラバンの中へ消えた。


「あぁ、頼む。」


 一時の別れもいつだって空虚だ。心に穴が開いたように虚しさが残ってしまう。それを埋めるこの昂ぶりは、俺たちがここに残る理由の一つだ。目的地はジマリ大洞穴『終環点』。10数名の未だ見ぬ命を繋ぐ為、死なない程度に無理をする。


「んじゃ、行ってくる。」


 でも、例え心が空虚になって。それを埋めた好奇心が泡(あぶく)となって。進んだ先には闇しか無かったら…。


「牛肉~!!」


 プーカの声が遠ざかる。キャラバンの光が鈍くなる。音が次第に減っていく。


「余裕有ったらな~!!」


――いいやそれでも。帰る場所が有るならば、笑い譚(ばなし)にでもしよう。


 俺たちは消えゆくキャラバンへ手を振りながら、笑顔のまま、更なる闇へと踏み込んだ。圧倒的に広大な深淵に、ぽつりと二人。経験と知識だけの灯火で、この暗闇を照らさんと進む。




------------------------- 第62部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

⑨赤い煙とジマリ牛


【本文】

 ガレ場を下ると空気が変わった。まるで山頂から草原地帯へ戻る道中のような匂いの変化。乾ききった空気に湿っぽさと草の匂いが混じる。遥か彼方上、洞窟の天井からは天使の梯子が降り注ぎ、湿っぽい若葉を照らしている。加えて鼻を突いてくるのは独特な糞の匂い。恐らくこの先にジマリ牛がいる。だが、問題は牛じゃない。


「ナナシ?」


「あぁ。」


 人影だ。5人パーティーが重々しい装備を身に付け、ゆっくりと進行している。特徴的なのはフードとローブと仮面のガスマスク。あんな奴らはタバーンで見なかった。


潜具オーパーツか?」


 テツは首巻きを鼻まで擦り上げ、籠らした声で「うん」と言った。ゴーグル越しの目はいつも以上に真剣で、心無しか先程から口数が減っている。


「俺が話を聞いてくる。というか――」


「分かってるよ。僕が先に終わらせる。」


 籠らせた声のまま察したように立ち上がるテツの腕を引っ張り、俺はもう一度屈ませる。


「――あ、あとちょっとだけ。手伝って欲しい事が有る。」



――――――


{ジマリ大洞穴・『第二層伽藍洞先』終環点前???地点(未登録)}


「――あのッ!!」

 五つのガスマスクと特殊装備が重々しくこちらを振り向く。威圧感は満点だ、全員190は超えているだろう大きさ、肩幅も物凄くワイド。一番高い奴で、2m20か…30…あるか?


「あのぉ~、そ、遭難者を探しているんですけども。」


「ンンッ。ピー……、」


「――あっ....。あ、もしかして遭難真っ最中ですか?なんつって…あっは!!そのぉ出口はあちらになりますけれども……。」


「ンンッ―・プシュッー…」


 面倒臭そうに一人がこちらに近づき、続けて、何かに気付いた様に先頭の一人がその動きを制止させガスマスクを取った。プハァーっとマスクの間からは新鮮な空気が漏れ出す。素顔は一体、いや言うまでも無く、……ここまで来れば消去法で割り出せる。


「...あぁ、君か!――スゴイな、こんなところまで。」


 タバーンにいた英雄様。少年の頼みを我先に聞き入れ、率先してこのダンジョンへの行軍を煽った張本人。


「なんだぁ!!今回の連合隊の隊長じゃないですか!?名前はなんだっけか{ユーブサラダ}?…無事だったんですね?本隊はどうなったんですか?怪我人は?」


――これは驚いた。俺はたいそう安堵して胸を撫でおろし、その優しくてハンサムな眼差しに一気に肩の力が抜ける。フリをする。


「あぁ……実は悲しいことに、本隊は事故により分断されてしまった。――し、しかし聞いてくれ!このダンジョンの話だ。実はここは特殊なダンジョンだったのさ、それもここを攻略すれば皆を安全に救えるかも知れない!それを悟った我々は決死隊を編成し行軍を始めた。」


「へぇー。それ凄いっすね。スゲェや、無論お供しますよ。」


 俺は話を遮り、打ち解けたように並行して歩く。


「――おぉ!話が早いな。そうだ!よかったら案内してもらえるかな?君は恐らく地元の人間だろう?ここまで来れたということは安全な道にも詳しそうだし、外敵からの安全は僕らが確保する。お互い助け合っていこう。ウィンウィンだ。」


「えぇ、もちろん!こちらですよ。近道が有るんです。」


 俺は五人の先頭、斜め左前方に立ち手招いてから前を向く。視線はピリリと痛いほどに強烈で、重厚な鎧の隙間からは圧迫するような警戒心が重々しく漏れ出ている。


「ところで君。」


「は、はい!」


 俺はゆっくりと振り返り、また歩き出す。


「ここらはジマリ牛の香り高い糞から出る"毒ガス"が充満しているそうだが、例え地元の人間でも君ほど耐性がある人を見たことが無い。――それには、何か秘訣が……」


「さ、さぁ。」


 目の前には光の挿し込む草原が見える。糞の匂いは一層強まっていき、男の声はガスマスクに籠った不気味な声音に変わる。アップダウンはかなり激しい、草花も踝から脹脛(ふくらはぎ)ほどの長さで立派に生えていて、固まった土の道が恋しく成るほど纏わりつく抵抗感がウザい。歩くだけで草臥れる。


「でも、これだけの行方不明者が出れば、依頼主の少年はさぞ心を痛めるでしょうね。あのタバーンにいた子。まぁ僕らも充分悪戯されましたけど。あの子にはどう説明なさるんですか?」


「ん。そうだね。彼の心のケアもしなくてはならない。」


――白々しい。


 俺は僅かに高い丘の上まで来ると膝を付き、疲れたフリをしながら遠くを眺める。目の前は良く開けていて草花の影に沢山のジマリ牛がその巨体を覗かせていた。しかし大人しそうに寝ている牛は一部のみ。ゆっくりだが確実に、俺達六人の周辺を囲むように、ノソノソと荒い呼吸が近付いてくる。


 つまり俺たちは既に、殺人暴牛の縄張り内テリトリーにいる。


「――よし。では彼にはこう言おう!!」


 男はフードを被りながら淡々と話を続ける。ジマリ牛のテリトリーは糞の匂いの強さや種類で隔てられる。地元のおっちゃんがC2で教えてくれた話。この毒の臭気には境界が有ると。


「大丈夫だ、少年。決して君のせいじゃない!連合隊の優しくて勇敢な皆々は、――強くて‼――かっこよくて‼――イケメンで‼――背が高くて‼」


 俺は目を凝らし前方を見据える。


「へへッ。…えひぃ…。――狡猾で!――あっ優秀で!――獰猛で!――敬虔(けいけん)で!――優秀で!――敬虔で!敬虔で!敬虔で!敬虔で!敬虔で!敬虔で!!」


 男は息を荒げ始める。マスクの中の黒目は上に振り切っており、白目が剥き出し。あのマスク越しで薬物でも出てんのかも知れない、それかジマリ牛の糞を嗅ぐと栄養価とか分かっちゃう畜産業界の超新星変態野郎……なんて、


『敬虔で、敬虔で、敬虔で、敬虔で、アァ敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔……ンナアハァッ!!!!!!!!!!!!!』


――冗談はさておき、ここらで良いか。


『“神 の 使 い”に、殺 さ れ て し ま っ た と ね・・・!!』


 俺は振り返り、腰に手を当てる。


「それは事件だな。」


 そう。これは、事故じゃない。

 

 黒いマントを靡かせ後ろの4人は前へ屈み、踏み込んで跳躍する。気圧されるように流動的に、力を抜き後方へ倒れるように飛びつつ、右手で発煙筒(フレア)の紐を引き抜く。


「ンンンッ―。…プシュー。」


 4人の動きは比較的鈍い。ガスボンベに機械の駆動音。それは装備が重い為か、的はとても狙いやすい。俺の放ったフレアは先頭の一人と重なり、――ドォン‼という轟音と共に、ガスマスクのガラスを貫通した後、そいつの顔の中で爆ぜた。


『……へぇ。なんだ君ィ、知ってたのかよ。汚い子だなぁ。』


 マタタビを含む赤い煙は濃く狭く広がっていく。背面の景色、バク転時の視界で捉える景色は、天井の岩に、挿し込む光に、風景の明暗と、光を反射させたスコープ、暗闇の中のスナイパー、そして草原、指先、流れるように動く斜面に左手を付いてそのまま押し返す。身体を支配する浮遊感の後に、重力で体制を整え再度地面を蹴る。爪先から踵、返して膝を曲げ、振り向いて敵に背を、そのまま飛ぶ。すかさず走る。


「ンンッ...!!――ッガガ…!!!」


『……糞に群がる蠅め!!』


 スタートダッシュだ、俺だけじゃない。赤い煙幕を目掛けジマリの猛牛たちは鋭い角を光らせながら一斉に突っ込んでくる。単発の重々しい銃声は鳴り止まず、そこかしこに背中を撃たれた牛たちが暴れ狂いながら興奮して走っている。ザッと数えて二十匹、乱戦の予定が入ったらしい、正面からも煙を背にした俺を目掛け突っ込んでくる。


――充分だ。


 俺は最後のフレアを鞘で擦り、発火させ左前へ投げる。


『ンモォォォオオオウ!!』


 マタドールだ。大地を響かせるような低音の鳴き声と共に、ジマリ牛が俺の投げた赤いフレアに突進する。俺はそれを寸出のところで右手へかわし、横腹を掴んで猛牛の背中へ飛び掴まる。牛の配置、尻に弾丸を喰らった順番、フレアの中心。この煙に巻かれた状況下は実際平等フラットではなく、仕込みによる多大なアドヴァンテージを孕んでいる。


『ンモォォォ…!!!!!!』


――頼むぜ相棒。


『行ッけえええええええええええ・・・!!!!!』


 煙の中の人影は、脆い人形の様にあちらこちらへ吹っ飛ばされていく。マタドールで必要なのは反射神経と安全な高さだ。どちらも持ち合わせない重装備の下っ端どもはこの闘技場からリタイアしたらしい。いや、そもそもあの鎧の中身が人なのかも疑わしい。


 しかし、牛たちの猛進を器用に捌き、身をかわすものが1人いた。俺は自分の牛の角を目一杯に引き込みその男へ突っ込ませる。男は牛を見切り身体を直前で左側へステップ。俺はその動きのコンマ数秒後、ジマリ牛の脇腹を蹴り、拳を握ってそいつの眼前へ飛び込んだ。


 全てを賭し、命を張ったこの刹那。俺はジマリ牛の速度に乗せて腕を振り抜く。金具の感触を経て拳の骨がガスマスクのガラス膜へ突っ込んだ。







------------------------- 第63部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

⑩底辺クランと上級シーカー


【本文】

 拳で割ったガスマスクの仮面から空気の漏れる音が聞こえた。覗く善人面は額から流血しながら薄気味悪く口角を捻り上げている。不気味さの塊のような奴。俺は距離を取りたいが為に胸倉を掴み咄嗟に奴を煙幕の外へぶん投げた。


 ジマリ牛の糞は毒気を放っている。死なない程度に吸い込んでもらおう。 


「ゲぇ...ハァ…、痛いな...、というかさ、おぇ……ぷ。思い出したよ。ハァ…君は地元の人間なんかじゃハァ…無いね?――入窟すら拒否されていた…、素人のパーティーじゃないか…。」


「――そうですそうです。いやはや、ざまぁない。素人ルーキーにやられる気分はどうでしょう?」


 倒れ込んだ男は気分が悪そうに俯いている。俺は落ちてる拳ほどの岩を持ち上げ当てやすい距離まで近づいた。


「終わりにしよう。俺はあんたに勝つ自信は無いが、敗ける気も毛頭無い。」


 仮面の欠片を見つめながら、男は溜息を吐いた。


「その通りだね。じゃあ、どうするつもりかな?」


「――捕まってもらう。」


 男はニヤけてこちらを向いた。


「おいおい…へへっ。――なぁ!…善人ぶるなよ。お縄に着くのは君もだろ?」


 支離滅裂な奴だ。肺に毒が回るから黙っていて欲しい。


「俺なんもしてないもん。」


「君の仲間が私の仲間を撃ったね。彼は、はは…。傀儡だが…、ただの村人だった者だ。それに君らが遅れてこなければ、こんな悲劇は起きなかった。……か、神の罰さぁ!」


 傀儡か、前提としてシーラに魔法は持ち込めない。なら催眠の類か、或いは人間を機械化したか、例えばオーパーツの力で……。


「大方4人は仮面マスクを被せて操ってたんだろ。人に当てた弾だけは性質が他とは違うはずだから、牛に殺されて無きゃ死んじゃいない。それに、隷属させてない共犯者だっているだろが。あのタバーンにいた連れがよ。」


 興奮冷めやらぬジマリ牛の第二波は風に流れたフレアの煙と共に流れていく。隷属させていない共犯者とは、例えば中間層で目撃された{ユー"ブ"サテラ}と騙る一人だ。


「それなら、ここでアンタらを止めたとして、別の所でまた人が死ぬ。」


――こんなの、結果論に過ぎないが。


「はぁ…ははッ、じゃあ君らは...、冒険者たちが死ぬと分かっていて、その上で、…止めなかったんだな?!そうだよなァ?!ヒェッヒェッ…ゲホッ...!!はぁ…、はは…、そうさ、ここは高難易度特殊領域、シーラだもんなァ?!」


 見殺しにしたとでも言いたいのか。どうでもいい、それよりこのダンジョンは深部に迫るにつれ毒ガスが濃くなっている。加えて風向きは芳しくない。身体に回ってしまうから、本当にあんまり……、まぁ、いいか。死にたきゃ死ね。


「確証は無かった。不確定要素をペラペラ喋ったって、俺らみたいなよそ者は殴られて終わりだ。」


「殴られた..腹いせだろ…?」


「ンなわけ無いでしょ。」


「――いいや!。いいか、はぁ…、君らは悪だ。ここがシーラと分かっていて彼らを見殺しにした!私は神に誓って私の正義の為に行動したぁ…、はぁ…、確証だったよ君が、あぁ神よ!はぁ…、これはジハードなのですね…。ゲホッ…!!」


――人殺しが善だ悪だ語るな。なんなんだよコイツ、めんどくせぇな。


「結果論だろさっきから。てめぇの理屈じゃ、俺たちは飯も食えねえ貧困者を毎日見殺しにしてるし、そうと知ってて美味い飯食ってる奴らは全員悪だ。」


「はははァ!!そうだ!はぁ…!!そうなんだ!ゲホッ...!!だから僕は毎日祈っている!はぁ…、ハハッ神にィ!そして絶対的な力の元に世界を統べる。ガハァ…、悪は悪では無く、善は悪を知り、はぁ…、ガレス様の名の下に世界は――」


「あぁ。そのガレスは、俺が殺したよ。」


 真相はどうであれ。これが戯言だとしても、


「は...?」


 この明言にはメリットが有る。


『見つけたぞッ、……ユーヴサテラァ!!!』


「正解。ブ、じゃなくてヴだ。」


 実に分かり易い反応。やはり既に標的にされていたか。ただ、情報は浅い。顔も素性も人数も知らなかっただろう。しかしなんにせよ厄介だ。


『やはり君らがッ、ハァ…、一枚、噛んッでいた!!ズ、ハぁ…、僕の推測は正しかッだ!!』


 動揺を隠すように俺はケラっと笑ってやりながら、持ってた岩を全力で頭部に目掛けて投擲する。響く――ゴッという鈍い音。男はそのまま膝から崩れた。


「動揺は隙なんだよ、馬鹿め。」


 俺は自分にも言い聞かせるように呟く。投石は恐らく死なない程度の力加減。脳震盪だろう、男は卒倒した。まぁ毒にやられて元より麻痺寸前、そのまま死ぬよか良かった。なんたって、苦しみを持って贖罪を果たせるのは生者の特権なんだから。


――死なれちゃ困るんだよ。



――――――

{ジマリ大洞穴・C2}


「早かったな、……テツ。」


 空気には流れが生まれ、強くなり、風になる。挿し込む光も強くなり川の流れは反転する。一時的か、恒久的か。それはテツが終環点の均衡状態を崩したことによる差異。それはまさに、シーラを攻略したということ。


「急いだからね。アイツらは?」


「五人ともテントの中。縛ってある。死んでるかもだけど...」


 シーラを攻略すると環境は緩くなり探索が容易になる。ジマリ牛なんかはまるで牧場の乳牛の様にまったりと太陽を浴びて伸びている。これほどまでに環境を一転させてしまう要因を最深部まで潜り、取り除くなり、破壊するなり、手に入れるなり、如何せん一人でやってのけるのは天才だ。それにテツは毒ガスを首巻き一枚で防ぎ、ピンピンしている。


「そのスカーフ、何級|潜具だよ?」


「お母さんの形見。オーパーツかどうかは分かんないよ。」


 テツは鞄から透明な黄金色に輝く丸石を取り出し、俺に投げる。


「終環点には神棚と秘石これが有った。」


 シーラとは本来、初見単独で踏破、攻略するものでは無い。終環点とは時に、人生を賭してでも辿り着けないような高見である。


――怪物め。


「なに?」


 俺の視線に気付いたテツは睨むようにこちらへ振り向いた。


「いや、スゴイなって。」


「どうかな。このダンジョン、レベル4が良いとこだよ。」


 充分過ぎる難易度。レベル5が通常のプロレベルの限界と呼ばれている。ならばそれは一つ手前だ。


 テツは微かに笑いながら帽子を取る。短髪だった髪は首巻きの中へ入り込むほどに伸びていた。伸びた髪にうなじが隠れていると、それはそこはかとなく女子っぽい。髪は汗のせいか湿気の為か、少しばかり濡れていた。


「随分伸びたな。……散髪行くか。帰ったら。」


「いい。リザに切って貰う。注文面倒だし。」


「あぁアイツ何でも出来るよな、お嬢様だからかな。……おしゃれな服とか生地の性質とかブランドとか色々詳しいし。でも本人は簡素な服着てるよな。何でだか。」


「汚れるからじゃない。あと動きやすいだろうし。」


「……機能派なのか。」


 焚火を囲み、カップに入った牛乳を飲む。興味本位で採ったジマリ牛のミルク(ホット)だ。多分菌とかは死んでるはず。日は段々と落ちていき、風には冷気が混じっていく。


「眠くなってきた。」


「よいよい、功労者はゆっくり休んでてくれたまへ、見張りは俺がやっとくよ。」


 もう一度、ホットミルクを口に含んでカップを置いた。テツはその場で横になり丸まって、身に付けた布類に器用に包まった。プロのシーカーは何処でも寝れるらしい、俺なんか枕の高さ一つで不眠になる。


 さて……、疲れた。温泉に入りたい。


 ジマリ街には天然温泉が湧いているらしい。ジマリ大洞穴の鉱泉は特段高い効能を持っていると有名で、そこから湯を引いているとか何とか。


――あれ、こいつまさか源泉浸かったとか?


 一人になると色々考える。考えながら空気を深く吸ったり、それを細く長く、遠くまで飛ばしたり。肺をしぼめて膨らませて、ここでしか吸えない空気を確かに身体に取り込んでいる。


――――――


「なーに考えているの?」


「……いや、なんでもない。」


{ジマリ大洞穴C2奥地・ピックアップポイント}

 黒猫{エルノアは}何故か機嫌が良い。手土産が視界に映ったからだろうか。


「なぁ、まだ生きてたのか。なぁ。」


 殊更嬉しそうに聞いてくる。とてもウザい。


「悪かったな。」


「――悪かったにゃぁ~。」


 ムカつく猫だ。柔らかいほっぺたしやがって。


「おい、俺の真似をするな。」


「――真似するにゃぁ。」


「はぁ、ウざかわ……」


 感嘆の溜息。俺は焚火を消してカップを遠くへ投げた。ここに来た記念の、不法投棄である。


「ん、悪人め。」


「まぁ。」


 割れた陶器を見下ろして俺は言う。


「その通りですよ。」


――きっと大丈夫だ。土は土に帰る。


 俺は立ち上がり、テントへ潜って、解体した牛をキャラバンへ運んだ。


「ナナ~!!神ィ!!」


「――僕が撃った…。」


「おい、誰が運んだと思ってるんだ。ほら、言ってみろ…、なぁ…言ってみて下さい、重かったんだから。」


 肉塊と諸々の道具をゲートに繋げた倉庫の中へ、重傷者は極力横にして、後は満員電車の如くキャラバンに乗りこんでもらう。身体の動くものは屋上だ。


 この光景もデジャヴの中に有る。俺たちは救命クランではないが、この結末すらも神々の森域エル=フォレストの術中であるのなら、悍ましいことだ。


  それはまるで鏡の如く。対象のエルゾーン、それを中心線に対称に位置する二つのダンジョン。


 俺はキャラバンの屋上で、風に吹かれながら、腰に差していた短剣でさり気無く秘石を打ち砕く。何が起こる訳でも無い。何も起こって欲しくないから淡々と穿った。眩い光に包まれて幻視が見えるだとか、攻略本が現れるだとか。本当に何も無い。ただ今は、それだけの事実に安堵している。





------------------------- 第64部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

⑪Noah's nap


【本文】

 青々と生い茂った草木を踏みながら、朝露にキャラバンを濡らし、そよ風と同じ速度で前へ進む。船内には5人と1匹。無論数え間違いではなく、ジマリ街から受けたクエストを受注し、その為に子供を一人乗せている。


 そして、朝日と心地良い風に吹かれながら、採れたての新鮮なニュースがもう一つ。


――俺は、短剣を無くした。


『え?――えぇええええッ!!!? まずいじゃないかナナシ、あの短剣で二つの秘石を砕いたんでしょ? そ、それならこれからあの短剣がエル=フォレストへの鍵になるかもしれないって!! それに誰かに奪われたとするならば……』


 まくし立てるように喋るアルクを仰ぎ見ながら、眠気のままに欠伸を一つ、頭の後ろで組んだ手を耳に当てがって口を開く。


「まぁまぁ、時間が経てば見つかるさ。今回は宛が有る。」


「今回は、って……、前回は骨董品に流されたあの短剣を僕がどんな思いで、どんな伝手を利用して、どれほどの労力をかけて見つけ出したと思っているんだい?!」


「その節はどうもお世話に……、ホント今回は自分で見つけるから。」


 俺は屋上の欄干に足をかけて目を閉じる。心地良い向かい風はこの場所の特権だ。そよ風に頭を冷やし、状況を整理する。実に探し物をするのは難しい事ではない。どんな場所で、どんな時間帯に、どういった状況で失くしたのか。この理解が有れば消去法でなんとかなる。きっと短剣は遠くには行っていない。むしろ近付いてくるのかもしれない、この穏やかな睡魔のように。


「そうかいナナシ、言質は取ったからね!!それで戦闘は?」


「いつも使ってないでしょ。無くったってほとんど変わらないよ。」


「それもそうかも知れないけれど、それはそうじゃないかも知れない時だって……」


「……分かった、分かった……。」


 ジマリ大洞穴の事件から数日後。大陸の主要なメディア機関『S TEPS~ステップス~』の新聞は、ジマリダンジョンが特殊ダンジョンへと変貌し、大規模な死者を出したという記事を大々的に報じた。


 シーラという特殊ダンジョンの存在が、また一歩公の舞台に近づいたのである。


 しかし新聞の一面を飾ったのは、全くもって別の話題である。この世界ではよく死者が出る。ダンジョン探査という生業は、国家間を現在進行形で脅かす魔法戦争の数々に比べれば、大した話では無いのかも知れない。


――【条約締結、イーステンの小国滅亡。】


 ダンジョン内で起きた宗教団体による陰謀も、戦争の前では小競り合いに過ぎない。もちろん情報統制は日常茶飯事だ。メディアには大国の圧力が掛かっているのかも知れないし、シーラという概念はまだ知名度が低い。


 今はまだ「世は正に、"大探索"時代!!」 と大々的には行かないのである。


 俺は流れる雲を見ながら思い出す。あの日、俺達が大洞穴のシーラから生還した日。必要な手続きを取った後、簡単な謝意を受けてから俺達は直ぐに街を去った。ユーヴサテラと言うクランの素性をなるだけ漏らさない為である。確認したが新聞にも名前は載っていなかった。有名になるのは悪い気もしないが、悪目立ちは避けねばならない。


 俺たちは悪神教キリエにマークされている。


 クラン証書やその他の証明書、個人情報を司る書類には、目を通した者を記録する保護魔法が施されている。仮にもギルド協会の魔法だ、素性はバレ難いはず。キリエは秘密結社的であるが、表舞台ではニッチで健全な宗教団体だ。彼らのメンツを保つためにも、今回のような過激な犯行は起こしにくいと考えられる。俺らのような偶々目的の重なった一冒険家はザラにいるだろう。ジマリ大洞穴の実行部隊も今頃ブタ箱だ。ジマ洞穴の時もそうだが、中々英雄凱旋とは行かない。大手柄に着いてきたものと言えば、口数の多いクソガキだけだ。


「御飯できた。」


 屋上へテツが顔を半分出した。伸びた髪を後ろで括り柄の無いエプロンを着けている。


「いらない。」


「ダメ。」


 今日の炊事当番は彼女である。


――――――


「でさぁ、それってどうやんだ?」


 飯をかきこみながら、ユーヴサテラのキャラバンに揺られる小さな客が、目を光らせてそう聞いた。


「……んな。最上位のクランにお供するか、自力で方法を見つけるか。新大陸の渡航方法はこの二つで、名誉とされる“未踏破領域探索士”になるっていう崇高な目標の為に大志を抱いて頑張ってるトコもある。もしくは“生態系維持”とか“人への被害防止”っていう慈善的な目標もあるし、オーパーツの起源を巡ったり、文明や文化、生物、地質、化学、魔法科学の調査及び探査っていう“元祖シーカー”らしい学者肌な目的もある。」


 俺は教科書に載ってるようなことを言ってやる。もっともその教科書を作っている人間はオルテガな訳で、彼の言葉を代弁しているに過ぎない訳だが。


「じゃあシーカーっていうのはザックリ、“名声ルート”“慈善ルート”“学者ルート”が有るってこと?」


「ルートっていうかなぁ。まぁルート…、そういうことだ。お前は賢いなぁ。」


 俺たちはジマリ街を出た後、新たな旅を始めていた。キャラバンに乗っている小さなお客さんは例の少年である。彼の義父親はシーラの一時的な難度緩和による大規模な捜索をもってしても結局見つからなかった。実に、野生の暴牛は人を喰う事もあるらしい。ダンジョンで死体が見つからないことなど日常茶飯事だ。


 少年は名前をアラタと言った。「それが"冒険者"なんだろ?」あの酒臭いタバーンで俺の言葉を反芻するように呟いてから、彼がピタリと泣き止んだのをよく覚えている。気持ち悪い程に彼の根は大人びている。


 それからギルドの意向で、彼は新天地で正式な孤児となり学校へ通う事になったらしい。しっかりと、設備の整った学校に入れるような優しい法律のある国、戦争が滅多に起きないような安定した大国が隣接する治安の良さと、強くて勇敢な魔法使いを多数輩出する魔法学校が有る場所。俺たちはそこまでの、言わばヒッチハイクだ。


「じゃあナナシたちはどのルートのクランなの?」


 アラタは俺に質問する。


「ん?いや、俺たちはどれにも属すし属さない。強いて言うなら四つ目のルートかな。なんと言えば良いか...」


「――ご飯ルート!!」

 プーカが自室の窓からヒョコっと顔を出し答える。


「――お金ルート。」

 アルクは背中越しに、


「――観光旅行。」

 テツはハンモックの中で。


「――コイツの研究。」

 リザはハンドルを叩きながら、各々が次々に言った。どうにも適当なクランである。方向性はバラバラ。


「まぁ、そういうことらしい。ついでに俺もお金ルートに一票。郷土料理もお金がなきゃ高級なのは食えないし、温泉宿もキャラバンの改造も、ダンジョンに挑むための強い装備の入手もいわんやそうなる。金が無きゃ無理なのよ。」


「お金ルート…」


「結局は金、金、金なんだよアラタ君!!」


 俺はアラタの肩を掴み、重みを与える。人生とは何か、旅とは何か、俺の体重とはどんなか、その重みを一身に振り下ろす。


「――わかッ!わかったよ!!それで、何処に向かってんの、このキャラバン。」


 俺たちはイーステンが整備した国道の脇道から更に外れた峠への登り坂へ進路を変えていた。地図を見れば次の街までは1山分迂回することになる。


「大丈夫だ。ちゃんと安全な場所に向かってる。ただ工芸品が有名な村が有るらしくてな、リザとアルクが行ってみたいって。一応クエストギルドから金は貰ってるんだ、はした金だけど給料分は働いてやる。ちゃんと感謝するんだぞジマリ街の人達に。」


 効率の良い冒険家は、時々こうやってクエストやトレードを並行して行うのだ。


「分かってるよ。超豪華なキャラバンガードだろ。……でも、蓋を開けてみればじゃないか。つまりキャラバンは誰もガードしてない。」


――お前は学校じゃなくて、寺にでも行けばいい。


「グチグチ文句言うな。ほぼボランティアなんだぞ...。それに、ジマリから安全な国までのルートはどれも治安が悪い。現に今だって馬が動かしてるようにカモフラージュをしてだな、凡庸な馬車に見せてリスクヘッジを怠らない...」


「ふわぁ。。……おいナナシ、前方に馬賊だ。」


 リザが欠伸をしながらそう言った。


「出来てないじゃん!!」


「黙らっしゃい、ケースバイケースだ。屈んでろ。我がお金ルートの力を見せてやる。守銭奴のディフェンスは堅ェんだ…。」


「カッコよく無いぞ。」


「うるさいガキだなぁ。」


 俺は懐刀をまさぐる。


――あっ。


 そこにあるのは刀身を忘れた鞘だけであった。


「テツ、短剣失くした。」


 そう言えば、である。


「聞いたよ。でも、無い方が強いんじゃない?」


 テツは首巻を後ろへ流し、ライフルを背負ってそう言った。旅は常々命懸けである。今日だってそうだ。野盗に首を刎ねられようが、滑落死しようが、魔法に焼かれて事切れようが、遭難して衰弱しようが餓死しようが、それが旅だ。


「へへっ。」


 どんな終わり方をするのか分からない。あるいは終わりなんてないのかもしれない。終わりに意味などないのかもしれない。それじゃあまるで、そんなのはまるで、人生のような生き方じゃないか。


『フォームシーカー。』


 黒猫が合言葉を唱える。口を開き武器を取る。木板を踏む、外を眺める、各々の鼓動が高鳴る。キャラバンのトルクが上がる。命が迫る、命を奪う。靴の音、馬蹄の近付き、体温の上昇、視界の狭まり。馬賊が近付く、黒猫が息を呑む。


 あぁ……、なんて、


『――ノアズアークッ!!』


 なんて、愉しい生き方なのだろう。


「ナナッ!!」


 俺は背中を押すようなプーカの声に呼応する。


「……さぁ、行こう。」


「いや、そうじゃなくて……。あんの、さ。」


 視線を落とし、俺は腹を抑えながら何やらもじもじするプーカを捉えた。


「え、うんこしたいの?」


「うん。」


「……。」


 気まぐれな音姫が探索家たちの背中を撫でるように、あるいは彼らを鼓舞するかのように巨大な馬車の中で流れている。

 馬は四頭、二頭は偽物。中には5人と黒い1匹。時々客が迷い込む。時々客ごと迷い込む。目指すは最果て、辿るは隘路。俺たちの名はユーヴサテラ、方舟の旅人である。









【ノアの旅人、序譚~第8譚(完)】読了感謝。

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『ノアの旅人』 西井シノ @nishishino

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