新時代

ハタラカン

自由に自分らしく


健康診断で癌を宣告された。

「治せますか!?」

気になるのはそこだけだった。

原因だの部位だの進行度合いだのはこの際なんの意味もない。

治せないなら昨日までの人生設計が崩れるという意味で結果は同じなのだ。

「落ち着いてください」

医者がお定まりの呪文を唱える。

落ち着けないのはあんたが返事を勿体ぶるからだろうに…。

仕方なく黙ると、落ち着きと憮然の判別もつかぬ頭でっかちが問いに答えた。

「えー結論から申し上げますと、初期段階、つまりステージ0での早期発見ですので、現代の技術でなら、5年後生存率はほぼ100%に近いです」

医学部では前置きは結論に含まれないと教えていないのか?

私は再び声を荒らげた。

「治るの!?治らないの!?」

「えー、切ればだいたい治ります。

だいたい」

ようやく聞きたい言葉を引き出せた。

「他にも化学療法と放射線治療がありまして、どれも一長一短あります。

今からそれを説明していきたいのですが、よろしいですか?」

「お願いします!」

喜色満面で答える。

我ながら単純なものだが、唐突に突き落としてから引き上げる許可なしバンジー会話で上下しないほうがおかしい。

私は上り調子のままぴょんぴょん小躍りしようとする自分を今度こそ落ち着かせた。

『ふざけるな!!』

…矢先、怒声が響く。

私の腹部から…。

『差別主義者!!人でなし!!

弱者を切り捨てるな!!』

腹はさらに怒鳴る。

「しかしあなたを切り捨てないといずれあなたの本体…脳が死んでしまいますよ?」

すると何を思ったのか医者が当たり前のように私の腹と会話しだした。

『うるさい黙れ差別主義者!!

もっと細胞に寄り添え!!

あらゆる細胞を取り残さない人体を作るのが脳の仕事だろ!!責任転嫁するな!!

我々は細胞権侵害を許さない!!』

しかし腹はまるで聞く耳を持たなかった。

腹なんだからそりゃあ耳は無いよな…などとジョークを飛ばしている場合ではない。

私は、私の意思と口と舌と喉は医者に問うた。

「なんなんですかこれは!?

どうして私の腹が喋って…!?」

「ああ、これは癌細胞の声ですね」

「癌が…喋ってる!?」

「こうなるとうちの設備では処置できませんので、治療はよそでやってください。

これは紹介状です」

医者は終始冷静なまま、苦手な料理を皿ごと片付けるように、まさに茶飯事の手際で私を追い出した。

もう私にできる事は自分が金を払って診て頂く立場である事を痛感する以外無かった。


「ふーーーーーーーーっ…」

健康診断の料金をしっかり取られ、駐車場の愛車に乗り込み、思わず溜め込んでいた息を思わず吐き出す。

思わずに次ぐ思わず…私は診察室を追われてから車中まで何も考えていなかったようだ。

それはそうだろう。

無理が通れば道理が引っ込む。

癌細胞が勝手に医者をなじったせいで治療の機会を失うという不条理の極みが通ってしまった今、私の思考は引っ込んで沈黙するより他なかった。

「そんなわけあるかっ!!」

心の底からの叫び。

そうだ。

そんなわけはないのだ。

なぜ癌が命乞いしたからって私の方が遠慮し沈黙しなければならない?

私という言わば全細胞の将来と癌の今とどちらが尊い?

考えるまでもない事である。

沈黙してる場合じゃない。

戦わなければならぬ。

不条理な癌が私を死へ追いやるなら、私は頑として癌と対決し、奴らを即刻滅ぼさねばならぬ。

私が預かる全細胞の命と私自身のために。

俄然燃えてきた私は紹介状に書かれた次の病院の住所を暗記した。

『どうする気だ?』

意図を察したのか、腹から例の声が問うてくる。

「お前を切り捨てに行く」

冷たく吐き捨てると、また怒声が響いた。

『癌だからって差別するな!!我々はただ普通の権利が欲しいだけなんだぞ!!』

「癌に普通の権利を与えたら私が死ぬ。

私が死ねばお前も死ぬ。

そして他の細胞全ても死ぬんだ。

それがわからんのか?」

『だからそれをなんとかするのが脳の仕事だと言ったろ!!いかなる理由があろうと差別は絶対に許されないんだ!!

文句言う前に誰も差別されない生きやすい人体を作れ!!この役立たずの無能!!

ゴミ!!クズ!!我々は自由を勝ち取るまで声をあげ続けるぞ!!』

さすが腹だ…頭が悪い。

頭が無いと言うべきか。

世界には不可能があると知りもしないし想定もできないらしい。

腹の並べ立てる言葉は道理を引っ込めるための無理であり、ただ私を沈黙させるためだけの不条理でしかなかった。

正解に至るための議論でなく、欲しいからよこせという暴力であり、自のためなら他悉くの滅亡を是とする邪悪だった。

構ってられん。

否、構ってはいけない。

全細胞を危険にさらす事になってしまう。

私は責任感の後押しで愛車のアクセルを踏んだ。

…はずが、ペダルは1ミリも沈まない。

足に力が入らなかった。

『足だからって足をやると決めつけるな!!動かない足があってもいい!!

自由に自分らしく生きられる人体を!!』

今度は足が喋りだした。

「馬鹿か!?動かない足があったらどうやって歩く!?どうやって車を運転する!?」

『歩きも車も抜きで生きられる人体になれ!!それがお前の仕事だ!!』

「そんな簡単にいくか!いいから今くらい動け!」

『古い価値観を押しつけるな!!

この足が動かないなら新しく足を生やせばいいじゃないか!!五本でも六本でも!!』

やはり足にも頭は無いようである。

膝頭などでは代用できないのだろう。

ともあれ、こうなっては紹介状の病院まで自力で行くのは不可能に等しい。

ここは病院の駐車場だが足が動かない以上助けを呼びに行く事もままならない。

スマホで救急車を呼ぶしかない…そう決断し胸ポケットを探ろうとすると、腕が動かなかった。

『どうして物を使うのはいつも腕なんだ!!これは明らかにいじめであり、脳は腕への一極集中体制を改め反省し謝罪すべきだ!!』

そして腕からの声。

無駄とは思いつつも他に手段がないため一応諭そうとしてみる。

「頭や腹には上手く物を使えないから腕がやるんだよ…。腕が憎くていじめてるんじゃない、腕が一番物を上手く使えるから適材適所をやってるんだ」

『うるさい!!古い価値観を押しつけるな!!動かない腕があってもいい!!』

予想通りの返事。

手も足も出なくなった私が放心していると、やがて全身が怒鳴り始めた。

『自由に自分らしく!!自由に自分らしく!!』

『肺だからって呼吸を押しつけるな!!

呼吸しない肺があってもいい!!』

『心臓だからって動くと決めつけるな!!

動かない心臓があってもいい!!』

『細胞だからって新陳代謝すると決めつけるな!!新陳代謝しない自由は全ての細胞に生まれつき認められるべき絶対の権利!!新陳代謝はしたい細胞だけがやればいい!!』

『じゃあおまえがやれ!!』

『いやおまえが』

『いやおまえが』

『おまえが』

『おまえが』

全員やれ!!

そう怒鳴り返したかったが、私は既に舌先さえ動かせない状態だった。

呼吸も心臓も細胞分裂も何もかも停まっている。

自由になるのは思考、脳だけだ。

脳だけ…そうか…脳だ!

元々体は脳の指令で動くものなのだ!

今からでも遅くはない!

私の意思で体のコントロールを取り戻すのだ!

『そんな事より!!』

思い立った直後。

私の決意を断ち切るように、いや…ように、ではなく…明白に断ち切る事を目的とした声が頭の中から響いてきた。

『コリハゲ問題の説明がまだです!!

どうして肩が凝ったんですか!?

どうしてハゲたんですか!?

ちゃんと逃げずに説明責任を果たしてください!!』

それは心臓停止した時にやるべき追及だろうか?

或いは当事者たちは大真面目なのかも知れないが、本体の私にとっては致命的な妨害以外の何でもない。

脳にすら裏切られた私は、全ての生命活動が自由に自分らしく職務放棄していくのを感じながら、いつしか完全な自由の中を漂っていた。

『おい!!脳が死にやがった!!』

『ふざけんな無責任すぎる!!』

『我々はただ自由に自分らしく生きただけなのに!!』

『亡命を!!新しい人体に住まわせろ!!

我々にはその権利がある!!絶対ある!!』

『このような非細胞道的な細胞権の侵害は断じて許されない!!人体社会は直ちに!!

直ちに新しい受け入れ先を用意すべきである!!』


数時間後、警察の現場検証…。

「死因は?」

「自殺ですね」

「この変死体が?」

「最近流行ってるんですよ。時代は変わったんです」

「さしずめ自殺病か。世も末だ」

古き良きが去り、新しい悪が来る。

それは暗黒時代の幕開けだった。

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