引きニートがコロナ禍で試しに小説書いてみたら書籍化コミカライズされて人生変わった件
月ノみんと@世界樹1巻発売中
引きニートがコロナ禍で試しに小説書いてみたら書籍化コミカライズされて人生変わった件
カクヨムコンで、令和の私小説なるものを募集していた。なので、自分もいっちょ書いてみようかと思う。
人生を変えた衝撃の初体験ってのを募集していた。僕の場合、それは2021年から2022年に自分に起きた一連の出来事が、そうだろう。
今回は、僕の人生に起きた、一番衝撃的だった一連の出来事について、お話しようと思う。
まず僕が何者かから説明しよう。月ノみんとっていって、小説を書いている。
主にカクヨムで活動していて、書籍化もしている。
その前はなにをしていたか?
引きこもりのニートだった。それも、結構な長い間。
僕は高校のころ、受験のストレスやクラスメイトからのストレスで、精神的にいろいろと限界がきてしまった。まあ、もっというとその前からも兆候はあったのだけれど。
とにかく、僕は高校2年のころに、急に学校に行けなくなった。
その理由はいろいろあったが、とにかくストレスで強迫神経症がひどくなったのだ。その前からも、自分は潔癖症なところがあった。だけど、それが病的なまでに深刻になったのだ。それで、学校に行けなくなった。それが主な理由だった。
もっと根本的なことを言うと、僕は発達障害(ASD、ADHD)だから、それで学校や社会になじめなかったのもある。
とにかく遅かれ早かれ、僕は社会からドロップアウトする運命にあったのだろう。
中学生くらいのころから、なんだか漠然と、僕は将来ニートになる気がしていた。そしてそれは、見事に当たっていた。
そしてそのまま、通信制高校に移った。そっからはなんとなく、受験勉強とかをした。
だけど結局、僕は芸大に進む道を選んだ。
ちょうど、高校のころ、僕が進路を決めたころの話だ。
僕の従兄が、亡くなってしまった。
これは本当は書きたくなかったし、事実書かないつもりでいた。
だけどやっぱり、僕のことを話すのなら、触れないわけにはいかなかった。
彼は僕にとって、一番の友人で、兄だった。そんな彼は、ある日交通事故で帰らぬ人となった。
僕らは僕の実家に、僕の母と三人で一緒に暮らしていた。僕の2つ上だった。まだ20にもなっていなかった。僕はその出来事に、わずかながら責任を感じていた。
僕が潔癖症になったせいで、きっと家での居心地が悪かったのだろうと思う。もちろん、そんなことは一切態度に出さず、僕の病気を理解してくれていた。だけど、いろんなところで迷惑やストレスを与えていたのも事実だ。
そんな彼は、ある日ふらっと学校帰りにサイクリングにいった。そしてそこで帰らぬ人となった。もし僕がもっと出来た人間で、家がもっと居心地のいい場所だったら? もっと早く帰ってきたいと思っていたかもしれない。そうしたら、こんなことにはならなかったかも。バカな思いすごしとは思うが、そう考えざるをえなかった。
つい昨日、明日帰ったら一緒にゲームをしようと約束していたのに。それっきりだった。
このことで、僕はさらに病状が悪化した。ひどい鬱状態だったと思う。
僕は長い鬱状態にあって、それがどんどん悪くなっていった。
世界を憎んだし、社会を恨んだ。
この世界は間違っていると思った。間違った世界線に来てしまったのだと。もはや自分の人生さえもあきらめかけていた。半身をもがれた気分だった。
こんなに不幸なら、きっとこの人生は間違っている。僕の世界はもう終わったのだと思っていた。
そんな中でも、なんとかギリギリで高校を卒業することができた。
それから、大学には普通に進学した。県内にある美術大学だ。
大学へは、高校を卒業してすぐに入った。これがまずかったと、後から思う。
まだ鬱状態が抜けきってないなかで、大学に行ってうまくいくはずがなかった。
最初の1年はそれなりに頑張ったけど、だんだん大学へも行かなくなっていった。
なんとか3年まではちゃんと通ったが、ろくに単位をとれていなかった。友達もできない。
本当は、もっと大学に行く前に休養をとるべきだったのだろう。だけど、その判断をする頭も、心の余裕もなかった。主治医の判断で、投薬はしていなかった。
それから、3年の9月に、僕はとうとう学校に行かなくなった。
なにをするにも虚しく思えてしまった。
僕は休学届を出した。それからはまた、家に引きこもり始めた。
家でずっと、ゲームをしていた。僕はもともと、ゲームが好きだった。
もうこのまま、一生家でゲームさえできればそれでいいと思っていた。
まだ鬱は残っていた。
大学に行くのも、かなりのストレスになっていたのだと思う。
この休学期間中に、最初の転機が訪れる。
僕はもともと、大学では絵を描いていた。
なにかを作るのが好きだった。休学してから、ゲームを作ったりなんかもした。
2018年くらいのことだ。僕は突然、音楽に目覚める。
元々音楽はかなりのコアなリスナーだった。だけど、僕は急に曲を作り始めたのだ。
それは、本当に自分がやりたいことだった。もはや絵を描くことには疲れていた。
絵を描かなければいけないという重圧から解放されて、僕は自由に曲を作り始めた。
とても充実した時間だった。ネット上に、ボーカロイドを使って何曲か発表した。
だけど、やっぱり僕に音楽の才能はなかった。まだ、絵のほうがましだ。
それで結局は、趣味にとどまった。だけどここで、なにかを作って、それで認められる喜びを、あらためて実感した。
僕はなにかを完成させるのが苦手だった。絵を描いても中途半端で、落書き程度のものが多かった。
だけど、曲を完成させるなかで、根気だとかスケジュール管理を身に着けた。なにしろ、僕は音楽知識もなく、楽器経験もなく、ゼロからのスタートだったので。そこで学び、得たものは大きかった。
音楽制作ができたのも、もとはといえば大学に行っていたおかげも大きかったと思う。なんだかんだで学校の課題を完成させることは、僕にとってとても身になることだった。大学に行ったことも、無駄にはならなかった。
それで、しばらくは音楽を作りながら、ゲームに明け暮れる毎日が続いた。
そんなある日の大晦日。たしか2019年の大晦日だ。
世の中はコロナ禍だった。家から出られない。まあ、僕はもとから家から出ない引きこもりなんだけれど。
だけど、それでも趣味のカラオケだけは毎週のように行っていた。他にも、友達と遊んだりなんかで、たまには外に出たりもした。
コロナ禍になってからは、さらに外に出る機会が減っていった。
そのせいで、僕のゲームをする時間が前以上に増えていた。家からでないで日光も浴びないで、毎日ずっとゲームをしていた。するとどうなるか、当然、目を傷めてしまう。
2019年の大晦日、僕は徹夜でゲームをしたあと、紅白を見て、それから海外ドラマを一気見するという愚行をしてしまった。
だけどこれが、バタフライエフェクト的に、転機となる。
僕は目を傷めてしまって、1週間くらい目がおかしくなった。瞼の上がぴくぴくしたり、ひりひりと目が痛んだりする。
さすがの僕も、そのころばかりはゲームをするのをやめた。
だけど、それまでゲームしかしてこなかった僕だ。突然ゲームをしなくなると、暇で暇でしょうがない。バイトもしていないし、家からは出ない。なにもすることがなくなってしまった。
ついに僕は、なにもできなくなった。そうなったときに僕がしたことは……。
本を読むことだった。
目が痛くなってるのに本かと思うかもしれないが、当時の僕からしたらゲームよりはマシかと思ったのだ。
とにかく、することがなくて暇だったので、せめて本でも読もうと思ったのだ。
それまで僕は本なんかあまり読んでこなかった。本を読むのは、どちらかといえば苦手だった。
本を読むのに、かなり時間がかかる。
とくに小説は苦手だ。集中力が続かない。文字が右から左へ流れていってしまうタイプだ。
逆に、新書やビジネス書などはいくらでも読めた。
だけどこのときに僕は、小説の面白さに目覚める。
まず僕が読んだのは、『銀河ヒッチハイクガイド』だった。SFの名著だ。
意外なことに、思ったよりもこれがカジュアルな読み物だったのだ。もっとSFの古典って、小難しくてつまらないものかと思っていた。だけど、ぜんぜん印象と違ってコミカルなものだった。
そこで、僕は小説を読めることに気が付く。そう、僕は小説が難なく読めたのだ。
なぜ、学生時代僕は小説が読めないと思い込んでいたのか。それはおそらく多くの場合に教室で読書を強いられてきたからだと思う。教室はさまざまな雑音があって、集中できない。特に僕の場合は発達障害の聴覚過敏のせいで、雑音があると気が散ってしまう。
だけど、家で静かに読めば小説が楽しめることに気が付いたのだ。
そこからは、まるで人が変わったかのように小説を読み始めた。次に読んだのは『1984年』これは僕の中でかなり影響を受けた作品だ。小説ってこんなに面白いのかと、小説でここまでの表現ができるのかと思った。
そうして小説を読みふけるうちに、すぐに僕は自分でも書きたくなった。読んでいるうちに、読みたい欲よりも書きたい欲のほうが強くなっていった。当然だ。僕はもともと、ものを作るのが好きなのだから。
僕は小説投稿サイトに投稿を始めた。
最初は全然読まれなくて、挫折もした。だけど、なんとか読まれたい一心で、努力を続けた。
こんなになにかに打ち込んで努力したのは始めてだった。音楽制作の経験が活きた。なにかを学んでゼロからやり遂げることを学んだ。
そこでどんどん執筆にはまっていく。不思議と、言葉はスラスラとでてきた。最初のころに、小説を書くことであまりつまずくことはなかった。もともとおしゃべりで、いくらでも話ができる性格だ。思考も早い。ただ思いついた言葉を吐きだすだけで、小説が書けた。
だけどやっぱり、それだけではなかなか読まれない。僕はどうやれば人に面白いと認められる小説が書けるかを試行錯誤した。毎日小説のことだけを考えた。
そうやっているうちに、僕の中で夢が芽生える。絶対に、小説を一冊、出版してやるのだという強い思いだ。
思えば、僕は中学生のころ、そこそこラノベを読んでいた。そして、一時期ではあるが、将来の夢としてライトノベル作家になりたいと思っていた。
そして、当時は本当になれると思っていた。まあ、そういう人は多いだろう。自分でも、書いて小説を送れば、そのうち作家になれるという、思い上がりだ。
だけど僕の予想は、結構な確率で当たるんだ。中学のときにニートになるだろうと思っていたら、本当にそうなった。僕は中学のころ、同じように将来はなんとなく、漠然とだがラノベを書いているだろうとも思っていた。
ニートをやって、お金が欲しくなったらラノベでも書いてデビューすればいいやなんて、馬鹿な考えをもっていた。その楽観した考えのおかげで、不思議とニート時代も焦りはなかった。いざとなればラノベでも書くかと思っていた。
そして、今がそのときなのだと思った。僕は決めた。絶対に1年以内に書籍化を決めてやると。それが2021年の3月ころだったかと思う。初めて僕は小説を書き、サイトに投稿した。
ちょうどその頃、医者を変え、僕は抗不安薬を飲み始めた。それもまた、僕のモチベーションにいい影響を与えたのだろうと思う。鬱の症状が抑えられ、夢に前向きになった。小説に集中することができた。
なんでそこで1年という期限だったのかというと、それは父にあった。僕の父はガンだった。おそらくその年中に死んでもおかしくはなかった。運がいいのか、今も生きているけど。
とにかく、僕は父が死ぬ前になんとか書籍を出したいと思った。それは、別に親を思ってのことではなかった。そんな義理はない。僕の父は、おおよそ最低最悪の人間だった。特に、父としてはろくでもなかった。
そんな父の息子である僕は、どこか自分を嫌悪していた。僕は本当によく父に似ていた。だから、父のダメなところが嫌というほど一緒で、それが自己肯定感を著しく下げた。
そんな僕は、父とは違うと思いたかったのかもしれない。あんたは最低だけど、俺は違うんだ。俺は何者かになれるんだ。俺は小説家という夢をかなえるんだ。それを見せつけたかったのかもしれない。
とにかく、僕のモチベーションは高かった。それと、祖母も体調が悪かった。祖母が元気なうちに、いいところをみせたかった。それもある。
それから、従妹も重い病気だった。いろんな不幸が重なった。とにかくうちはそういうカオス。混乱した状況だった。なんとか自分だけでも立派になって、母を安心させたかったのかもしれない。
僕は一念発起した。小説に本気で取りくんだ。絶対に1年で書籍化を決めてやる。そう思った。
期限は2022年3月。
毎月のように、僕は小説投稿サイトに新作を投稿した。まず1作目。これが全然読まれなかった。ブックマークはゼロだった。
だけど折れずに、2作目を書いた。これはブックマーク20。
ぜんぜん読まれないものだから、どちらも5万字くらいで打ち切りにした。
そこで僕はある可能性に気づいた。もしかして、文字数が少ないのがいけないんじゃないのか。文字数が少ないと、なかなか評価もしにくいだろう。
そこで僕は長編を1冊分、書き溜めることにした。それが3作目。これは書き溜めたのもあって、うまく読まれた。初めてランキングにのって、最終的には1000ものブックマークを得ることができた。
そこでコツをつかんだのか、僕は4作目で転機が訪れる。4作目に書いたブラック医術ギルドというタイトル。これがランキングの日間3位にまでなった。そしてブックマークは1マンを超えた。
僕はこれでようやく書籍化できると思った。まだ7月のことだった。正直、自分には才能があると思った。
だけど、残念ながらその時点では書籍化のお声はかからなかった。まあ、のちにこのタイトルはweb大賞の最終選考に残ったり、別のところから書籍化したりするのだが……。それはまた後のお話。
僕はあきらめなかった。懲りずに、また別の作品を書いた。またランキングで、今度は1位をとれば書籍化できると思った。
そして確定レアドロップという作品が、見事にランキングで、これはジャンル別だが2位になる。
確定レアドロップは前作以上に伸びて、ブックマークも3サイト合計で3万にものぼる勢いだ。
それまでの間に、何個も打ち切り、没にした作品があった。ようやく、報われた思いだった。
確定レアドロップを書いたのは、11月ころのことだった。ちょうどカクヨムコンの時期だ。
そしてこの確定レアドロップは見事書籍化のお声がかかる。期限にもまにあった。
僕は見事、念願のラノベ作家デビューへの切符をつかんだのだった。
きっかけは、ゲームのしすぎという些細なことだった。
だけど、それがバタフライエフェクト的に働いて、人生で初めての成功をおさめた。
今まで僕は間違った人生を歩んできたと思っていた。だけど、僕の夢は叶ってしまった。
この道で正解だったのだと、初めて思えた。そんな出来事だった。
どうだろう。これが僕の身に起きた一連の出来事だ。
人生なにが起こるかわからない。だけど、生きていればいいこともあるものだと思った。
なにより、世界は自分の行動で変えられるのだと、初めて思い知った。
別に本が一冊でたくらいでなんだという話でもある。特にこれといって、なにかが変わるわけじゃない。
お金が儲かるといっても、まだまだこれだけでは自立して食べてはいけないし、一生が安泰なわけでもぜんぜんない。すぐに打ち切りとの恐怖がある。
だけれど、それでも僕は夢がかなったことは素直にうれしかった。
なにより、以前より少しは前を向いて歩けるようになった。
自己肯定感があがったし、無敵感を得られた。まだまだ僕は本を出したいし、まだまだ僕の戦いは続いていく。サイトでランキングで戦わなければ、次の書籍化の話も得られない。
だけど、僕は前より少しはマシな人間になれたと思う。胸を張って街を歩ける。
なにより違うのは、この世界を少しだけ好きになれた。自分で世界を変えられると知った。
そのことが、一番大きかった。
この出来事がきっかけで、僕は前から片思いしていた女性にアプローチする勇気を得た。そして僕は見事にあっけなく玉砕するのだけど……。それは別のお話。
だけど、それもいい経験だったと思う。今までの自信のない僕には、到底できなかったことだ。
僕は今もまた、別の女性を懲りもせず食事に誘おうとしている。
だけど、確実に言えることは、前よりも人生を楽しんでると思う。
まだまだ失敗だらけで鬱も抜けきらない。しょうもない人間にはかわりないし、うだつのあがらない毎日を送っている。定職にもついていない。
だけど、今は僕を応援してくれている人たちがいる。
毎日更新を楽しみにして、新作を読んでくれる読者さんがいる。
本を買ってくれる人がいる。なによりうれしかったのは、本屋さんで自分の本が並んでいたときだ。
今は毎日、前向きに小説を書いて、さらなる高みを目指している。
どうだろう。ただのニートが、ちょっとはマシになったと思わないだろうか。
確実に、僕は小説に救われたし、救われていると思う。
もし、僕の小説を読んでくれた人が、少しでも幸せになれば、いいと思う。
僕はこれからも最強のラノベ作家を目指して、前向きに頑張っていくつもりだ。
どうか応援していただければ、うれしく思います。
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