第3話 ばっちこい社会規範
「着きましたよ」
十分ほどで目的地に着いた。暗闇に浮かぶ学校は、なんとも気味が悪い。
吉野さんは後部座席から大きなトートバッグを取り出し、肩に掛けた。そのあと足立区から借りたというマスターキーで校門を開錠し、ゆっくりと開けた。
「この学校の美術室にある石膏像が、朝になると必ず壁を向いているそうなんです。後ろめたさからでしょうか」
吉野さんは僕にスリッパを貸し出しながら言った。後ろめたさがあるということは、出現する霊は学校でなにかやらかして死んだのだろうか。
「擦られまくったネタですね」
「そういう依頼か、血みどろの依頼しか入ってこないんですよ」
吉野さんとスリッパに履き替え、一階の別棟にあるという美術室へ向かった。夜の学校の廊下は、女子高ということもあってか背徳感があった。
「テンションの落差で疲れるので、中間が欲しいところですね」
うーん、不謹慎。
別棟に移ると、突き当たりまで歩いた。暗闇の中で、入り口に吊るされた美術室の文字がかろうじて見えた。
「いいですか。この先でどんなものと出会っても、反応してはいけませんよ」
吉野さんは暗闇の中で、そんな物騒な忠告をした。がらりと引き戸を開ける音が、廊下に響いた。
美術室に足を踏み入れると、やけに冷えた空気が頬を撫でた。
「……電気をつけましょうか」
吉野さんは静かに言って、電気をつけた。明るくなった美術室に、これといった違和感はない。ただ空気が、なんとなく底冷えしている。
「机の影にいますね」
そう言って吉野さんは、美術室の隅に寄せられた机の群れを指さした。
「見えるんですか」
「ええ。見えなきゃこんな仕事やってないですよ」
吉野さんは微笑んだまま、トートバッグから何かを取り出した。
拳銃だった。
「では」
穏やかに声を発した瞬間、美術室に爆音の銃声が響き渡った。夜で塗りつぶされた窓が、軋んで音を立てている。
ごん、と重いものが床にぶつかる音がした。吉野さんは眉一つ動かさず、弾丸を放ったほうを見つめていた。
「……ふむ」
十数秒、無言の時間が続いた後、吉野さんは頷いた。
「『除霊』、完了しました」
彼は僕のほうを振り向いて、微笑みながら言った。まだ彼の手に持った拳銃は硝煙を上げている。
「どうでしょう。拳銃ならば訓練を積めば誰でも使えますし、罪悪感は少ないと思うのですが」
いや、どうでしょうと言われても。
「え~っと、拳銃でちゃんと除霊できるんですか」
僕は机の奥を見やる。倒れ込む人影と、赤黒い何かが床に広がっているのは気のせいだと信じたい。
「もちろん。我が家はほとんどの重火器の使用を許可されていますから、これも性能ならば折り紙つきですよ」
そう言って吉野さんはトートバッグに拳銃を仕舞った。
そんな非日常を前に僕は、霊が「殺すべき人間」の隠語だと考えると全部の辻褄が合うなあ、と思った。
「もうひとつ、トートバッグを見ても?」
「構いませんよ。森さんが普段使っている道具がなければ、取り寄せることも可能です」
普段使ってる道具ってなんだろう、と思いながら、トートバッグを覗く。
そこには柄が血に濡れたノコギリや、細長いライフルケースや、ナイフ、アイスピック、白い錠剤に至るまで、古今東西の暗器が詰め込まれていた。
壮観という言葉はこういうときに使うのかな、と思った。
「どうですか? 気に入ったものはありました?」
吉野さんは相変わらず笑顔だ。僕はそれが逆に怖くて、固まってしまった。
それがダメだったのだろう。
「……おや、もしかして」
細められていた眼鏡の奥の瞳が、わずかに開いた。
「同業者ではなかったのでしょうか」
こういうとき頭は意外と冷静で、あー、消されるなあ、としみじみ思った。予想通り吉野さんはさっき使っていた拳銃を取り出して、銃口を僕に向けた。
「外部者ならば、吉野家の規則で除霊しなければならないのですが」
いかがしましょう、と吉野さんは平然と聞いてきた。そんな服屋でMサイズとLサイズを客に選ばせる調子で、生死を決めさせないでほしい。
勿論僕は死にたくない。しかし相手はおそらく手練れの暗殺者。下手な嘘なら見破られるだろう。
「大丈夫です。僕の親も除霊代行業者でした」
だから僕は頭を空にして、ポニテ美女に会うことだけ考えた。
人を殺す以外なら何でもやると誓いながら、結局人を殺さなければいけないとは。どういう因果だろうか。
僕の作戦はうまくいったようで、吉野さんは再び満面の笑みを浮かべ、銃口を下げた。
「失礼しました。改めて考えれば、森さんは『乳をやる猫』の合言葉もご存知でしたしね」
ご存知ではないです。
本川越玉突き事故の説明は「乳をやる猫」というワードを引き出すための、関係のない話だったらしい。
今考えると、代行所で行われた一見風変わりな面接も、最低限血への耐性があるかどうか確かめていたのかもしれない。
なら最初から除霊じゃなくて暗殺って言ってよ、と思ったが、それだといろいろ問題があるのだろう。地方自治体が「暗殺費」として歳出を計算していたら、さすがに怖い。
あとTwitterに殺人現場が露出していたのも怖い。そりゃ炎上するし苦情も来るし破門もされる。
吉野さんはズボンのポケットからスマホを取り出して、どこかに電話をかけた。
「……吉野除霊代行所でございます。はい、先日の女子高荒らしの件ですが、無事業務を遂行しましたので報告します。ええ、はい。片付け不要の任務です。口座ですね、承知しました」
吉野さんは慣れた口ぶりで報告を終えると、スマホの電源を切ってポケットに仕舞った。
「やっと同業者の方を見つけられました。もう口封じしなくていいのは助かります」
吉野除霊代行所に正社員もバイトもいないのは、志願者がゼロだったからではない。みな僕のように霊だのなんだのを信じた結果、返答を間違えて口封じに消されたのだろう。
「これからよろしくお願いしますね、森さん」
翌日のネットニュースで、東京の女子高から男の死体が見つかったと書かれていた。男の死因は失血死で、
彼は窃盗の常習犯で、くだんの女子高にも体操着や備品を盗みに不法侵入していたらしい。過去には窃盗で何十億もの損失を出した人間だそうだ。そういう事情があるなら、地方自治体から依頼が入るのも頷ける。
僕はとんでもない業界に入っちゃったな、と思いながら、朝食のジャムパンを口に押し込んだ。
「……ま、ポニテ美女紹介してもらえるならいっか」
僕が悪いのではない。運命を感じさせるような美女に見える吉野さんが悪い。
なので警視庁の方、逮捕するなら吉野さんだけを逮捕してください。
どんとこい吉野除霊代行所 夜船 @citrusjunos
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