第2話 行ってこい現場検証

 雇用契約に押印すると、吉野さんは契約書を眺めながら言った。


「早速ですが現場検証に行っていただきます」

「研修とかないんですか?」

「まずは現場の雰囲気を知っていただきたいので。除霊は私が請け負います」


 吉野さんの笑顔には有無を言わさぬ雰囲気があった。

 心霊現象はべつに苦手ではないので、見ているだけならいいか、と現場検証を承諾した。


「区からの要請が溜まっているんですよ」


 そう言って吉野さんが取り出してきたのは、青いバインダーだった。背表紙には「自治体委任業務・令和五年」と書かれている。


「え、個人からの依頼とかじゃないんですか」

「父の代までは個人から依頼を受けていましたが、最近はネットのあおりを受けまして。私の代からは団体限定になりました」


 世知辛いですね、と吉野さんは苦笑いした。

 僕は昔の雑コラ心霊写真が結構好きなので、吉野さんの気持ちも分かった。ネタをネタとして楽しめる奴が減っている。


「最近友人にスプラトゥーン3を勧められて、ノルマそっちのけでウデマエレベルを上げていたんですよ。なので選び放題です」


 さも依頼主が多いかのように語られたが、ただの怠慢だった。スプラトゥーン3をいったん控えて仕事をすれば、バイトなんて必要なかったのではないだろうか。


「私のところでは主に北区を中心とした北東京地区の業務を請け負っています。弊社の車で行ける距離なので、交通費の面はご心配なく」

「なんでそんな治安の悪いとこばっかりなんですか……」


 そのあたりだと幽霊より人のほうが怖そうだ。

 吉野さんはバインダーのページに目を向けたまま、答えた。


「霊は案外、俗っぽい思念が好きなんですよ」


 霊は思念に呼応して引き寄せられると言っていた。それならば日本一霊が多い街が東京というのも納得できる。


「それに都心部だと代々続く家系が除霊代行業務を行っているので、我々のような新参者は生き残れません」


 ネット社会や古参の競合他社によって追いやられた結果、東京の隅で何とか粘っているらしい。軽い気持ちで闇の深い業界に足を踏み入れてしまった。


「ではこれにしましょうか」


 吉野さんはページをめくる手を止め、依頼内容を読み上げる。


「私立の女子高で起きる心霊現象だそうです。これなら危険度も低そうですし、視覚的刺激も少なそうですね」

「危険度と視覚的刺激が高いものもあるんですね……」

「私の初めての現場が、グチャグチャ殺人現場でしてね。嘔吐して現場を荒らすわ、チェンソーに怯えるわで、父にひどく怒られました」


 トラウマになりそうな出来事を、吉野さんは笑顔で話した。この人もだいぶいかれている。


「ちなみにそれいつのことなんですか」

「十四歳です。そのあとしばらく仕事ができなくなったので、森さんはだんだんと難易度を上げていきましょう」

「いずれ僕も危険な現場に晒されるんですか」

「私は父のような無理は強いませんので、安心してください」


 吉野さんはバインダーを閉じると、黒いリュックサックに入れた。カーキのブルゾンを羽織ってリュックサックを背負うと、棚の引き出しから鍵を取り出した。


「もう十九時を回りましたので、早速現場へ向かいましょうか」


 僕は吉野さんの後について、雑居ビルの階段を下りた。二ブロックほど隣の月極駐車場に、会社のものだという白いワゴン車が停められていた。


「後ろには備品がありますので、助手席に座ってください」


 そう言って鍵を開けてくれた。僕がシートベルトをつけたのを確認すると、吉野さんは車を発進させた。

 公道とは思えないほど細い道を、吉野さんは器用に進んでいく。


「そういえばこの仕事って、吉野さんのお祖父さんの代からやっているんですか?」


 吉野さんは商店街の入り口を横切る大通りに出て、スピードを上げた。


「いえ。もともとは曾祖母が戦後に始めた仕事です」

「歴史あるじゃないですか」

「そうですね。私の兄は、千代田区で代行業をやっています」


 吉野さんはウインカーを入れて、その手でずり下がった眼鏡を上げた。


「お兄さんもロン毛なんですか」

「気になるのはそこなんですね。坊主です」


 並ぶとちょっと面白そうだ。今度見せてもらおう。


「じゃあ――」

「姉も妹もいません」

「まだ何も言ってないじゃないですか」


 実際ポニテ美女のことを訊こうと思っていたので、それ以上の抗議はできなかった。どうやらあのポニテ美女は諦めたほうがいいらしい。


「ですが……黒い長髪の女性は知人に何人かいますので、その方々を紹介することは可能ですよ」


 前言撤回、諦めなくてもいいかもしれない。


「いいんですか」

「ええ。ただ、私も人間関係というものがあるので、条件をひとつ設けましょうか」


 人を殺す以外ならなんでもやる。僕はそんな心持ちで、条件を聞いた。


「森さんがひとりで除霊をできるようになりましたら、紹介しましょう」

「そんなのでいいんですか」

「人手が増えれば私も儲かりますから」


 実際除霊をしている人を見たことがないのでわからないが、おそらく塩を撒いたり数珠でなんやかんややったりするだけだろう。さほど時間はかからなそうだ。


 僕は確定ポニテ美女に満足したので、別の質問をすることにした。


「二十三区中心部で営業できる人は、歴史ある家の出身だって仰っていたじゃないですか」

「ええ」

「なんでそんな家の人が、赤羽のボロ雑居ビルでワンマン自転車操業なんてやってるんですか」

「ボキャブラリー豊富な罵倒ですね」

「文学部なので」


 吉野さんは特に傷ついた様子も見せず、超然と微笑んでいる。由緒ある家の人だとわかると、その笑みさえも上品に見えた。


「私はもともと、家が請けた遠方の除霊依頼を執行していました。家を継ぐのは兄だと決まっていましたし、古参の除霊代行業者同士のしがらみも面倒でしたので」


 北東京で肩身が狭い思いをしているのかと思いきや、案外彼なりにこの生活をエンジョイしているらしい。


「ですが二年前に実家が縁を切ってきまして」

「なにがあったんですか?」

「心霊スポットとして有名だった島根県の廃神社に偶然寄ったところ、本当に霊が集まっていたんです」


 心霊スポットに実際霊がいることは少ないのですが、と吉野さんは残酷な真実を語った。


「業務とは関係がなかったのですがついでに除霊したら、肝試しに来ていた若者にその様子を撮られ、Twitterで晒され炎上したんです」


 ついでに除霊というパワーワードを、当たり前のように口にされた。僕も一年後くらいには、片手間で除霊するようになるのだろうか。


「思ったより現実的な理由なんですね」

「ええ。その廃神社の神主さんがその投稿を見て、吉野家に苦情を入れたんです。それで破門され、今に至ります」

「廃神社の神主……?」


 吉野さんは笑いながら、よくある話ですよ、と言った。いままで触れたこともない業界だが、つくづく現代社会は除霊代行業者に厳しい。

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